Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

217 / 275
35話 : 南へ

バージニア州のアーリントン郡にある、とある何の変哲もない建物。その中にある一室で、金色の髪を持つ壮年の男性は虫を10ダースは噛み潰したかのような顔で、目の前に立つ初老の男を睨みつけていた。

 

その視線を受けている男は、白髪の下にある表情を平静に保ちながら、悠然と少し乾いた唇を開いた。

 

「―――分からないな。ユーコンで大きな失態を犯したとはいえ、貴様も国防情報局の一員だろう………いや、それだけではないか。大きな傷なく今の地位に至れる男はそう多くはないと、そう思うのだがね」

 

その声には、何の感情もこめられてはいなかった。まるで本を音読するかのように発せられた言葉を聞いた、金髪の男は―――デイル・ウェラー捜査官は、新たに別の苦虫が口の中に広がるような感覚に襲われていた。

 

浮かんだ言葉は、誰が誰のミスで、誰が尻拭いをする事になったのか、といったもの。だがそれを口に出すことの無意味さを知っているウェラーは、沸き立った感情を理性で処理する事に努めた。

 

無機質で調度品が無い部屋が反発心を加速させていたが、何とかといった様子で押さえ込む。殺風景な光景は人の心を無意識に圧迫する。あるいは狙っての事かもしれないが、とウェラーは考えながらも、話を本題に戻した。

 

「お褒めに預かり光栄です……その調子で、私の忠告も耳に届けて頂けると幸せになれるのですが」

 

「ほう、それは良い事を聞いた。ちなみにだが、その言葉を飲み込めば何処の誰が幸せになれるというのかな、デイル・ウェラー捜査官」

 

「他ならぬ我らが合衆国ですよ、ミスター・ジェイムズ」

 

ウェラーは言葉が届くようにと、名前で呼びつけた。常套の文句しか口にできなかったのは、ウェラーが目の前の人物に対し、名前以外の深い情報を得ていない証拠でもあった。間接的に耳にしたその振る舞いと立ち位置、そして現在の言葉から嗅ぎ取れる癖から、南部出身だろうと推測できる程度のものしか分からない。

 

それでもここで引き下がる訳にはいかないと、ウェラーは畳み掛けるように、数分前にも告げた言葉を繰り返した。

 

「日本で起きている一連の事件に関して、既に処置は済んでいるとおっしゃりました。ですが、あの地には一筋縄ではいかない人材が存在しています」

 

「分かっていると言った。“銀色の亡霊”と“魔女”、“帝都の怪人”が手を組んだ、という情報は貴様より前に入手している。繰り返す必要はない」

 

字面だけを並べるとまるで出来の悪い色物の奇譚のようだが、と答えながらジェイムズは肩を竦めた。その様子に、ウェラーは静かに叫んだ。

 

「だというのに、どうしてあのような強引な策を……しかも貴重な人材であるインフィニティーズの小隊長を使うだけでなく、ああも強引な手を使っているのですか……!」

 

CIAが絡んでいる今回の作戦――日本への工作を把握しているウェラーは、目的はともかく方法が悪手も極まるものだと考えていた。派遣した部隊に潜ませているキース・ブレイザーはインフィニティーズの中でも古株であり、国内の衛士で対人戦に強いのは誰か、と問われれば10指に入る腕前だ。隊内での信頼も厚く、部下からも慕われている。

 

それをどう使うか、知っているから頭を抱えざるを得なかった。米国の第七艦隊が帝国の臨時政府に接触するタイミングも早すぎた。米国の関与を隠そうという努力をするなら、接触や発砲のタイミングはあと10時間は遅らせるべきだった。

 

(あからさま過ぎる……国内からの反発もあるのだぞ。キースは有能な衛士だ。目的を達成できなかった任務は、ユウヤ・ブリッジスと例の試験体を確保するというユーコンでの一件だけだ……そんな貴重な人員を捨て駒にするとは、どういった意図があっての事か)

 

ウェラーは、そもそもが気に食わなかった。植生にまで重大なダメージを与える悪魔の兵器であるG弾を主としたドクトリンに移りつつある事も、それを横浜で無断投下した事も。

 

米国が取る方策として、最悪とも言えないが、最善の判断であるとは思えなかったからだ。米国は強くあるべきで、世界の舵を取るべきだというのはウェラーも同感だが、度が過ぎればその傲慢さに辟易されてしまう。合理的という物言いを前面に出すことで忌避されてきた過去から学ぶべきだと考えていた。

 

故に王道のように、一歩づつ。ひっくり返される事のないよう、“良い人”であるという印象を。建前の仮面ではあるが、それをほんの少しでも損なわせてはならないというのが、ウェラーが思う米国の最善であった。

 

国内に、ウェラーと同じように考えている者は多かった。解明できていない部分がある大量破壊兵器をユーラシア全土にばら撒く事に忌避感を持っている上層部も存在している。兵器開発から戦略まで、G弾を主役にしたものに移った今でも、反対勢力が大きくなりつつある事がその証拠だった。

 

(……時勢とタイミングが悪かった、と嘆くべきなのか。上層部の中に“肌の色に敏感な者が多い”というのは)

 

アメリカは移民の国だ。人種のサラダボウルと呼ばれるぐらいに多種多様な人種と文化が混ぜ合わさって、それが溶けることなく立っている国である。頭から否定される事なく、頭から否定する事はない。自由を掲げるために戦い、それでそれでいて一度国難に遭えば、星条旗の名の下に一致団結できるのが、他の国にはない強みだった。

 

独立をするための戦いや、国内での内戦を経て培われたものである。その一方で、思想的に一枚岩ではないという点もあった。

 

差別主義者(レイシスト)とまとめられる程に過激なものではない。だが、対象が国外になるとその傾向が強まるだろうと指摘されれば、否定できないものがあった。合理的な政策こそが強みとも言える国内に、合理的とはいえない、感情的な思想を未だに持っている者が少なくないと思えるものがあった。

 

そうした者達が集まった結果、日本帝国に対して取る方策の過激さや()()()()()に繋がっているのか、と問われればイエスの方に傾くかもしれない。それだけの材料が揃っている事実を、ウェラーは否定できなかった。

 

(……既に、事は起きている。ここから止められる筈もない。ただでさえユーコンの一件で能力が疑われている。だが、これだけは聞いておかなければならない)

 

キースが選ばれたのは何故か、という理由。戦術機甲部隊そのものが無駄な予算を使っているのだ、と主張する勢力が現れつつある事。その流れが形になるのは先の話で、今は日本での事だ。そう考えたウェラーは独自に掴んだ情報や、ジェイムズが指揮する謀の癖を元に、告げた。

 

「キース他数名が陸軍の第66戦術機甲大隊の指揮下で起こす“事”は本命ではないと、そうおっしゃるのですね? ……彼らはあくまで囮であると」

 

「―――ああ。彼らが成功するに、越した事はないがね」

 

ジェイムズは言葉を止めて、苦笑した。

 

「そこまで掴むとは、やはり有能な男だよ君は……ならば、この後の私の言葉に関しても予想が付いているのでは?」

 

「……“任務の成否は任される人員の力量だけで決まるものではあってはならない”」

 

「イエスだ。見事だな。付け加えるのならば、そうだな―――背を見せた敵の方が、リスク無く処理できる、と言った所か」

 

そうだろう、と嬉しそうに冷たく放たれた言葉にウェラーは寒気を覚えていた。放った男の言葉、表情と仕草の不一致さに。

 

そして、それさえも―――という考えが頭から離れない自分の現状に。

 

(しかし、どう出る鎧衣……いや、香月博士か。この策、事前に読めていなければそれで終わりだが……読めたとしても、対処できる手札は)

 

この策は気づいてからでは遅い、気づいていても単独での対処は無理だ。それを覆すには、事前に大胆過ぎる手を打つ必要がある。

 

すなわち、既に結果は出ていると言えた。その結果が赤か、黒か。ウェラーはルーレット上で回されているであろう日本の運命に、どちらに賭けるべきなのかを、部屋から出た後もずっと迷い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市街地が遠く、迂回路になってしまう地形において、険しい山間部を最も早く抜けるには、高速道路跡を使うのが手っ取り早い。日本における戦術機の常識の通り、武達は夜の山々を駆ける影となっていた。

 

仮の部隊名称は、“ストライク”。最初は夜闇を割く者、光たる殿下を連れて一直線に突っ切る者という意味でレーザーまたはレイザーが良いと、部隊長である武が提案したのだが、光線級を思い出した隊員達の“何考えてんだ”という尤もな猛反発により却下された。

 

ストレートやストレイションという案を経て、同道するであろう米国軍への建前上の協力を示そうという大人の都合から、今の名前になったのだ。

 

そのストライク中隊に背後より迫る決起軍は、既に明神山―――塔ヶ島城から10kmも離れていない場所から、更に近い位置まで迫っていた。決起軍ではない方の帝国軍が応戦しているが、相手は精鋭に名高い帝都防衛を任された連隊の衛士だ。足止めの帝国軍の練度を思うと、長く足止め出来ると思うのは希望的観測に過ぎるか、と武は考えていた。

 

油断は欠片もできない。武は慎重に敵の位置を確認しながらも、4点式ハーネスで固定されている悠陽を――ー守るべき最重要人物の体調を伺った。

 

出発前に加速度病対策の錠剤(スコポラミン)を服薬しているとはいえ、クーデターが起きた事による様々な心労と、緊張から来る不眠による体力の低下は否めなかった。

 

帝都脱出の際も、相当な精神力の消耗が予想された。極限状態での後戻りの出来ない決断は殊の外体力を削られてしまう、というのは武の経験則だった。

 

そんな体調が万全ではない中で、他人の操縦する機体に揺られているのだ。強化服を装備しているとはいえ、フィードバックデータもない状況では気休め程度の意味しかない。コックピット内の揺れが最小限になるような、いつもとは違う丁寧な操縦を心がけているが、どの程度の効果があるのかも不明であり、武はそれが不安だった。その気遣いを察してか、悠陽は平時と変わらぬ声で武の質問に答えた。

 

「問題、ありません。それよりも今は作戦に集中を。……実際の所、揺れによる体調の悪化は抑えられていますので」

 

其方のお陰ですね、と悠陽は言うが、武は首を傾げていた。その様子から色々と察した悠陽は、一拍をおいて言葉を続けた。

 

「自覚がないようですが、想像以上です……ここまで揺れを少なく出来るとは、思ってもみませんでした」

 

それは悠陽の素直な感想だった。実際の所、悠陽にとっては武の操縦は想像さえもできない、埒外のものだった。コックピットの中に入って、分かった。戦術機がまるで手足のように滑らかに動くという表現を、悠陽は理屈だけではない、心で理解していた。

 

それを成せるようになるには、天分だけでは足りないだろう。どれほどの修練を積めばこれ程の、と悠陽は考えながらも、その裏にある戦歴を思って、胸が痛くなっていた。

 

武はその様子から、体調が悪そうだな、と心配しながらも操縦と情報の収集に専念した。その内容は悠陽の希望で、武だけではなくコックピット内に音声が流れるようになっていた。

 

―――10分前に帝国軍の厚木基地と小田原西インターチェンジ跡にあったHQからの通信が途絶したこと。

 

―――決起軍の主力は海沿いに近い東名高速道路自動車道跡からと、小田原厚木道路跡という、南の伊豆スカイライン跡を逃げる武達に対して北と北東から包囲するように迫っていること。

 

―――決起軍は市街地を迂回してくる事が予想される。市街地を進んでいる分、あちらの方が足が早いということ。

 

―――先回りされ、横殴りされての包囲を防ぐために南下の途中で合流する米国軍第108戦術機甲大隊が陽動に周り、決起軍を足止めしている間に目的地までの距離を稼ぐこと。

 

「……冷川料金所跡が重要なポイントになりますね」

 

悠陽の呟きに、武は頷きながら隊員達に説明をした。最も山間部が少ない場所であり、決起軍が自分達の頭を抑えるにはこのポイント以外にないということ。

 

『こちらがその事を察している、という点も相手さんにとっては承知の上だろう。強引な手は打ってこないと予想される』

 

『殿下に万が一はあってはならない、と()()()が考えているからですね』

 

武は真耶の質問を肯定した。意味ありげな強調に、他の隊員達がその意図を察した。それは悠陽も同じであり、その肩が硬くなる様子を武は見ながらも、話を続けた。

 

『料金所跡を通り抜けた後は、遠笠山付近で山間部に入る。そこから旧下田市に抜けて、白浜海岸までノンストップだ……敵さんも釣られて山岳部に入ってくるだろうが、対処は出来ている』

 

山岳部で足が落ちた所に、旧下田市で待ち構えている国連軍がトドメの足止め。その内に自分達は海岸まで、という説明を終えた後に、その他の情報を伝えた。

 

海沿いの進路になるが、味方からの支援砲撃や航空支援は一切無し。各地で各軍の戦闘が継続中である事と、万が一にも殿下の身が損なわれる訳にはいかないという判断からだった。

 

『……これからだが、先に帝国軍と接敵した場合はこのままの陣形で。米国軍と合流した後、B分隊は俺を中心に楔参型(アローヘッドスリー)を。月詠両名は前面に、篁中尉と山城中尉は神代、戎、巴とともに後方の警戒に努めろ』

 

決起軍はともかくとして、米国軍の唐突な攻撃が一番怖い。それを事前に防ぐため、斯衛で周りを固めることで相手方の警戒を煽る。迂闊に仕掛ける訳にはいかないと思わせるための陣形で、それを察した斯衛の衛士達は了解の声を唱和した。

 

武は時計を見ながら―――02時54分を確認すると―――改めて本作戦の最優先目標を告げた。

 

『これは、例えば……本当に例えばの話なんだがな。例え残りが1機になったとしても、殿下を横浜基地にお連れする。それが出来れば、俺達の勝ちだから』

 

もしかしたらでも、話さない訳にはいかない。鋼のような覚悟が込められた武の声に全員が小さな緊張を見せるが、直後にその声色は柔らかいものに戻った。

 

『まあ、そうはならないだろうがな。あと急な連絡になって悪いが、基地に帰ったらパーティーをする予定だ。とっておきの料理と酒を用意してもらっている。悪いが、出席は強制だからな』

 

『それは酷い職権乱用ですわね……未成年が多いと思われますが、後々問題にはならないのですか?』

 

武の軽口に応じたのは上総だった。前線で学んだのだろう応対の早さと軽さに、武は成長を感じながらも、会話を続けた。

 

『子供だから問題だ、っていうオトナ様が居たらこう言ってやるさ。俺達はお前らに負けないぐらいでかい事をしてきたんだが文句があるのか、ってな』

 

『一つだけ、確認を……焼きそばパンは?』

 

『ダースで用意させてあるから心配するな、彩峰』

 

『……そうか、ならば私も腕を振るおう。材料はすぐに手配できる』

 

『おお、そういえば篁中尉の本気の肉じゃがは食べたことがなかったな』

 

『わ、私も手伝う!』

 

純夏の声に、B分隊からの声が上がった。武はそれを聞くと、平行世界の遠い記憶を思い出していた。そして、流れるのは冷や汗。良い予感と嫌な予感が混じってやがると、エクソダスを、という呟きの中にはBETAを越える脅威に対する怯えがあった。

 

そうしている内に、状況が変わった。後方に居た決起軍が、帝国軍の部隊を突破してきたのだ。そのあまりの速度に、武は渋面を作った。そして、4時方向から現れる新手と、その所属部隊を思い、更に眉間に皺を寄せた。

 

位置関係からして、富士教導隊。神宮司まりもや霧島祐悟の古巣であり、日本屈指の練度を持つ帝国軍の最精鋭の一つ。その動きから、教導隊が決起軍の思想に賛同した事が窺い知れた。

 

『これだけの事が出来るってのに、どうしてあいつらは……いや、だからこそか』

 

決起軍や米国の目論見が上手くいかなかったとしても、精鋭部隊が損失したという事実は絶対のものになる。何段構えの作戦だよ、と武は盛大に舌打ちをした。

 

『――止まるな。全機兵装自由、各自の判断で応戦。ただし、こちらからは無闇に仕掛けるな』

 

武は叫ばず、静かに通達した。帝国軍に対しては、最低限の応戦を。迂闊に攻撃して応戦されれば、事態は泥沼になる。どうしようもない状況以外は逃げに努めろ、と武は出発前に事前に説明を済ませていた。

 

隊員は迷わず命令に従った。そんな武達に対し、富士教導隊であろう衛士から通信が入った。

 

内容は、攻撃の意図は無い、直ちに停止を、お前たちの行為は我が日本国主権の重大なる侵害であるというもの。教導隊の一人が告げたその声は、咎める声色さえ含まれていた。

 

武は、ため息を吐きながら通信に応じた。

 

『一つ、訂正を願う』

 

『なんだと? その声、いや、貴様は日本人か―――』

 

『殿下はこちらに居る。殿下の望みで、我々は進んでいる。それを無視して主権を勝手に語る方が、侵害というか心外も甚だしいと思われる』

 

『……止まる意志はない、というそちらの意志は受け取った』

 

相手の声色が少し変わった事に武は気づきながらも、無視した。この状況で会話のキャッチボールができないなど分かりきっていた事だ。言葉で全て解決するとも思っていなかった。

 

それよりも、と前面から迫ってくる、それどころではない相手に大部分の意識を割いた。レーダーより早くその存在を認知した武は、一気に意識を戦闘のものに切り替えた。

 

『―――こちらは、米国陸軍第66戦術機甲大隊』

 

英語で発せられた声は、米国軍らしいのもの。武はそれを聞いて、良くないタイミングだと呟き、内心で舌打ちしていた。今は教導隊との接敵寸前だからだ。周囲に敵が居ない状況ではない、どさくさ紛れに“誤射”をしてくる可能性がある状況は武にとっては好ましくなかった。

 

誰が敵になるか、誰を撃ってくるか。武は人からすれば極限と呼ばれる臨戦態勢の域に、容易に没入した。悠陽の肩が跳ねることを知覚したが、意識はどんな状況にも対応できるよう鋭さを保っていた。

 

一秒、二秒が亀よりも遅いような。胸の中にある鼓動も、同じようにゆっくりと跳ねているように感じられて。

 

やがて、武達の中隊と米国陸軍はただ交錯した。

 

直後に、米国謹製のF-15E(ストライク・イーグル)の砲口が富士教導隊に砲口を向けられた。

 

『速度を落とすな、そのままだ―――早く行け!』

 

『帝国軍はここで行き止まりだ!』

 

『後は任せろっ!』

 

その後、作戦に変更はないという通信が入った後、武は硬い声で応えた。

 

『ストライク1、了解―――感謝を。各機、隊形を変えながら最大戦闘速度!』

 

移動しながらの陣形変更は、難易度が高い。下手をすれば衝突しかねない命令だが、隊員たちは迷わずに了解の声とともに行動に移った。その様子に、B分隊の力量を知らない上総が驚きの表情になった。

 

一方、武達の後方では米国軍と決起軍との戦闘が始まっていた。

 

日本語で戦闘停止を告げる決起軍。英語で何を言っているのか分からない、国際公用語である英語で話せと訴える米国軍。対する返答は、『英語などクソ食らえ』という、抗戦の意志を明確にする回答だった。そこから続く罵りの言葉は、かつて米国が日本に“しでかした”仕打ちに対する怒りを根底にしたもの。

 

その勢いのまま、決起軍が駆る不知火がF-15E(ストライク・イーグル)に襲いかかった。肩に日の丸を、中には精鋭部隊を。その矜持に違わず、F-15Eに乗る米国軍衛士に対して有利な戦い振りを見せていた。

 

だが、新たな援軍の存在がそれを一転させた。

 

上空から見れば、敵の機体に横から普通に仕掛けただけ。だが、襲われた決起軍は完全な死角から攻撃を受けたのと同じ様子で、無防備な態勢のまま。そこを、狙いすました射撃が襲いかかった。

 

その姿を肉眼で察知した決起軍は、いきなり現れたとしか思えない米国産の最新鋭第三世代戦術機―――F-22A(ラプター)に対して平面機動挟撃(フラット・シザース)を仕掛けようとするも、その戦術は描かれる前に終わった。

 

猛禽類(ラプター)という異名に恥じない鋭く早い機動と、鋭利な突撃砲(クチバシ)に啄まれ、何も出来ない内に穴だらけにされていった。

 

富士教導隊もされるがままではない、意地の反撃を仕掛けていった。その成果もありF-22の数機が損傷するも、撃墜までは至らなかった。結果で言えばF-22の衛士に死者が出ないまま、後方での戦闘は終わった。

 

武達はその様子の全てを確認出来た訳ではなかったが、決起軍の損耗の速度から、何が出て来て何が起こったのかを、大まかには推測していた。

 

F-22A(ラプター)―――物理的な障害においては、この作戦で最も厄介な敵になる戦術機が暴威を奮ったのだ。世界最高と名高い性能に、ステルス能力さえも備えた最強の敵が現れた。

 

だが、武の心に動揺は無かった。出てきたものが出てきただけで、結果的に発生したのは、確定敵と想定敵が喰い合いをした、というだけの事。インフィニティーズを越える技量を持つ衛士が居れば武も少しは驚いただろうが、それも居ないのに驚く理由が見当たらないとばかりに、心拍数は変わらず、平静を保ちつつ周囲を警戒しながら、隊長としての仕事を進めた。

 

(決起軍の進撃速度は、想定より早いが……それで良い。引き離しすぎるのも拙いからな。そして、米国軍……第66、という事はアルフレッド・ウォーケン少佐か)

 

平行世界の記憶ではあるが、米国軍人の中でも信用できるかもしれない人物だ。その眼がある中で、それも決起軍が混じった戦場ではない、つまりは“後で誤魔化しようが無い状況”では仕掛けては来ない可能性の方が高い。

 

それでも、警戒をするに越した事はないと、武は緊張感を保ったまま目的地までの道程を進んでいった。

 

「……っと。大丈夫ですか、殿下」

 

「ええ、大丈夫です……其方こそ、顔色が険しいようですが」

 

「はは、流石にこの状況で笑ってはいられませんよ。殿下は……何だか、疲れが増しているようですが」

 

武の問いかけに対し、悠陽は視線を逸す事を答えとした。その様子に武が訝しむも、悠陽は大丈夫です、速度をお上げなさい、としか言葉を返さなくなった。

 

「……飾りとはいえ、軍の最高司令官です。其方ほど、とはとても言えませんが、これでも操縦の心得はあるのです」

 

実機の搭乗時間は108時間。武はそれを聞いて平行世界より多いな、と意味の無い感想を呟いていた。実際、誤差の範囲だった。

 

「ですが、あの専用機での108時間であれば大したもんです。ピーキー中のピーキーな機体をぶん回すのは苦労したでしょう」

 

「……いえ。其方のように、戦において先頭に立てる程ではありません」

 

「はは、それは流石に。こっちにも意地ってもんがあります」

 

搭乗時間は数える暇が無かったし、実戦回数も忘れた。それでも、積み重ねてきたものにたった100時間程度で追いつかれては、立つ瀬が無い所の話ではない。

 

嫌味のない言葉に、悠陽は頷きながらも、並走している機体の方に視線を向けた。そこは、冥夜が搭乗している不知火がある方向だった。

 

「……激戦が続くであろう其方に、少しでも追いつけるようにと、送った専用機。それを冥夜は使ってくれなかったようですが……」

 

「勘弁してください死にます」

 

「え?」

 

「紫の武御雷に命令して戦場に放り込むような真似は出来ません。いや、ほんと無理ですってマジで」

 

冗談抜きで、と告げる武は脳裏に斯衛の知人を思い出していた。崇継が乗る青の武御雷でさえ命令するなどもってのほかなのに、その上の紫とか想像もしたくない。

 

武はそう考える自分に「常識的になったよな」と考え、その表情に悠陽は何かここは否定しなければいけないような、という思いが湧き上がるのを感じていた。

 

―――そこに、通信が入った。

 

第66戦術機甲大隊の指揮官、アルフレッド・ウォーケンであるという名乗りから、現在の戦況まで。大隊のA分隊が時間を稼いでいるが、数に勝っている決起軍を考えると、楽観できる状況ではない。武はその声に同意しながら、可及的速やかに亀石峠で合流・補給を、という声に了解を返した。

 

命令とともに、噴射跳躍で空へ。雪が飽和しているような山間部の上空を、ストライクの名前を持つ部隊が切り裂くように通っていった。警戒は怠らず、前方から砲撃が来ても回避できるようにと、緊張をしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

03時30分、伊豆スカイライン跡の亀石峠。そこでストライク中隊は、補給を受けていた。万が一にも米国軍から奇襲を受けると詰むので、武は自機の補給を最初に済ませ、今は他の機体が交互に補給を受けるのを見ていた。

 

不穏な様子は見せないが、擬態の可能性もある。そう思ってはいたが、ここで強引な手に出るような単純な国じゃないよなあ、とひとりごちていた。

 

「ともあれ、これで一息つけますね……殿下、出発まで仮眠を取りますか?」

 

「いえ……我が民や臣が戦っている中、私だけが休む訳にはいきません」

 

「……了解です」

 

武はため息とともに、補給を受けるB分隊の機体を見ていた。息が詰まるような緊張感の中で、米国軍にはそうと感じさせない様子で、自然な警戒を続けていた。そこに、小さな声での質問が飛び込んだ。

 

「3つ、だけ……いえ、時間がありませんから2つだけ聞きたいことがあります」

 

悠陽の言葉に、武は頷きを返した。目を逸したくなったが、我慢をするように留まって。そこに、武が予想していた通りの言葉が放たれた。

 

「どうして………生きていたのなら、どうして……私に、いえ、真耶にでもその事を伝えなかったのですか?」

 

震えるような声で放たれたそれは、京都や仙台よりもずっと前の、あの公園で交わした時のような声色だった。武は胸の痛みを覚えて、操縦桿を強く握り。少し黙り込んだ後に、答えた。

 

「事前に出した手紙の通りだったから……生きて帰ってるぞ、っていうのは今更報せる程じゃないと思ったから、かな」

 

本当は違った。武は再会することで悠陽が置かれている状況が変わるのを恐れたから、報せなかった。それでは、既知の道筋から逸れてしまう、一撃をかます場所が読めなくなるという軍人としての判断だった。これをこのタイミングで明かすには色々と拙いため、言う訳にはいかなかった。

 

悠陽はそんな武の嘘を即座に見破っていたが、追求はしなかった。それ以上に、2つ目の質問に対する答えが怖かったからだ。

 

悠陽は美しい紫の前髪で目元を隠しながら、尋ねた。

 

どうして私を責めないのか、と。

 

「この有様だ、と怒るのが筋でしょう。帝都は戦場になりました。臣民ともに、死者が出ています」

 

其方は戦場で人を、私は国を、という約束があった。悠陽が一時たりとも忘れたことのない、雪降る仙台の空の下で交わした誓いがあった。

 

戦場で死なないで欲しいという、悠陽の我儘をも武は飲み込み、果たしてみせた。一方で、自分がこの有様だ。無様というにも生温い、無能の極みだと悠陽は呟き、震えた。

 

それは気弱から来る震えではない、自分の情けなさに対する怒りによるものだった。

 

実権が無かったなどと、言い訳にもならない。それでも政威大将軍である自分は何かを成し遂げなければならなかった。武との約束だけではない、血を分けた双子の妹に対して誓った、かつての自分の決意さえも裏切ってしまった。

 

それでも、膝を屈する訳にはいかないと悠陽は強引に自分を律した。諦めれば更なる侮辱を重ねる事になるからだと信じていたからだ。

 

武は口を閉ざしながら、時間と共に震えが収まっていく悠陽を見ていた。否、強引に震えを止めたのだと察した。細かい事はおいて、理解したのだ。今の悠陽は、どこかかつての自分に似ていると。

 

犠牲にしたものを無駄にしないよう、どこまでも強く在ろうと。再会した時より変わらない、背筋が伸び切ったその姿は政威大将軍に相応しいもののように思えた。

 

だが武の目には、触れれば溶ける淡い雪のようにも見えていて。気づけば、武の手は悠陽の方へ伸びていた。武にしては珍しい、優しく壊さないように努めながらその肩に掌を重ねた。

 

「―――失策は責められるべきだ。経緯は関係ない、責任者は出た結果に対して責任を負うべきだというのは、俺も同感だ……だから、顔を上げて眼の前を見ろ」

 

そこに答えがあるという言葉。悠陽は少しだけ顔を上げて、見た。自分を守る、13人の機体の数々を。

 

武は、それが答えだと告げた。

 

「政威大将軍を守るためにと、帝国軍、国連軍、米国軍が動いている。色々な思惑はあるだろうけど、ひとえに煌武院悠陽という存在が重要だと信じている奴らばかりだ。それだけの事をしてくれる……一部の勢力ではされる、か。どっちかは分からないけど、それだけ脅威に思われている訳だ」

 

今は殿下を得たものが勝ち、という雰囲気まで作られている。それを元に武は、謙遜は嫌味にしかならないんだけど、と笑った。

 

「臨時政府だかなんだか知らないが、悠陽を傀儡にしようとしたのは、恐れているからだ。無駄だったけどな。それだけじゃない、決起軍が動いたのは煌武院悠陽がこの国を託すに足ると確信したからだ……暴走したのはただの結果論。総合すると、煌武院悠陽は大した将軍だった、って訳だ。正に大将軍、って訳だな」

 

訳知り顔で、武は下手な洒落を誤魔化すように続けた。

 

「俺もそうだ。悠陽だからこそ、俺は助けに来た。なんせ友達の危機だ、駆けつけない訳にはいかないだろ?」

 

世界最強の俺が、と冗談めかして武は言う。そして、と冥夜の方を見た。

 

「冥夜はおっかなかったぜ。何故、殿下をお助けに行かないのか、って。あのすっげー気丈な傍役二人を怯ませかねない程に怒ってた……他でもない、煌武院悠陽のためにな。だから、落ち込む必要なんてどこにもない」

 

約束は破られていないんだから。武は、肩を叩きながら告げた。

 

「気負う気持ちはわかるつもりだけど、重要なのは周囲を見ることだ。散々叱られたことなんだけど……人の価値は自分で決めるものじゃあ無いそうなんだよ」

 

全ては、周囲の者達が煌武院悠陽をどう思っているのか、どれだけの価値を見出しているのか。

 

「結果は、今語った通り……理屈じゃない、たった今目の前に広がっている現実が答えだから」

 

その言葉に、悠陽は頷かずに、ただゆっくりと呼吸を整え。目を閉じたまま、小さな唇が引き締まった。

 

少し身体が震えたが、それも自然と収まっていく。そして悠陽は、自分の肩に乗せられた手に、自分の手を重ねた。

 

言葉ではないその行為に込められた気持ちは、何か。武は何も言わず、黙って時間が経過するに任せた。しばらくした後、悠陽は顔を上げながら、小さく笑った。

 

「ふふ……弱さを吐露するなど許されない行為の筈なのですが、どうしてでしょう。今は嬉しい気持ちで一杯です」

 

「俺が良いこと言ったからだな。流石は俺だ、という事でパーティーの費用の折半をお願いしたいんだけど」

 

「……一転して情けないその言葉は、演技ですか?」

 

悠陽は苦笑しながら、そのノリに合わせて答えた。

 

「もう一つ、時間があるようですから聞いておきます……其方、煌武院以外の五摂家の当主方に接触したようですが」

 

主に冥夜の件について。どういう意図があるのでしょうか、という問いかけに対して、武は素直に答えた。冥夜を煌武院として迎える、そのための暗躍であった事を。

 

それでも、しきたりはしきたりだ。古来から続くものを、意味もなく消すことは出来ない。そう思っている悠陽に対し、武はあっけらかんと答えた。

 

理由が無ければ作ればいいだろ、と。

 

「しきたりを破ると、縁起が悪い? それを担いだ武家が大勢集まっても、京都は守れなかった。縁起が良いものを多く積み重ねてきたっていうのに」

 

武は奮戦した人達を知っている。軍人を、武家の者を知っている。だからこそ、それ以上にしきたりが尊いのかと問われれば、鼻をかんで捨ててやろうと決めていた。

 

「介さんも言ってたけど、“武士は勝つことが本にて候”。勝つために、煌武院に必要となる人材が冥夜だ。論破完了」

 

「……些かならず強引に過ぎると思うのですが」

 

煌武院の臣下に対する認識も変える必要がある。冥夜という名前のどちらにも、日の光を意味する悠陽に反する文字を使われている。

 

武は、そんなもん、と前置いてなんでもないように独自の理論を展開した。

 

「夜は悪者じゃない。俺、夜は好きですよ。星が綺麗だっていう事を教えてくれる。眠る時には安らぎを与えてくれる」

 

硬直する悠陽に対し、武は続けた。

 

「昼も好きだ。昼の青い空は清々しいし、太陽の光の下でやる遊びは気持ちがいい」

 

子供のような理屈だった。そして、最後も子供のように、当たり前という風に締めくくった。

 

「昼が無ければ、夜も無くなる。逆もまた同じ……つまりは不可分だ。つまり、悠陽と冥夜の二人は離れようがない、って事だ」

 

それは背中合わせであって、対立する存在ではない。武は自信満々に語ると、前向きになれる情報をつらつらと語った。

 

「表向きは身代わりのための教育を受けた、としておくだけ。実際は、厳しい教育を、要所を守る人材を育てた、って事にするんだ。将来的に煌武院の一員として殿下の手助けができるように、って事にすれば反発する奴らの方がアホだ」

 

感情のままに、武は語った。そもそもが気に食わなかったのだ。平行世界でも、間違っているという思いを抱いていた。姉妹なのに、という考えはずっと。

 

「大体“いみご”ってなんだよ。そんな漢字なんて俺は習ってない。つまり、俺にとっては無いのと同じだ。無くなって困る言葉じゃないだろ?」

 

「……視点が公的なものから、私的なものに飛躍し過ぎていると思うのですが」

 

「誰も彼もが好き勝手やってるんだから、良いんだよ……さっきから反論してくるけど、悠陽は冥夜を妹として受け入れるのが嫌なのか?」

 

勢いに押されていた悠陽は、その言葉を聞いて表情をがらりと変えた。冴え冴えとした表情で、刃のような言葉を突きつけた。

 

「―――いくら其方でも、その言葉は許せませんよ?」

 

「すみません、撤回します……本当にごめん。でも、その気持ちだけがあれば良いと思うんだよな」

 

自分が望むままに動くこと。それが一本の芯になると、武は言った。

 

「政威大将軍だろうが、人間だ。理屈だけで動く機械じゃない。人間は機械でさえ出来ないことをやってのける力がある」

 

熟練の職人然り、練達の衛士然り。その上でと、武は言った。

 

「認められないものは認めない、間違っているから変えたい、望んでいるから欲しい。その気持ちを妥協なく貫こうと思える事こそが、“本気”だと思うから」

 

武は人間というものを信じている。だからこそ、ずっと戦ってきた。全部壊れて死んで潰され、引き裂かれ朽ちていく光景を見せられても、認めなかった。事前にそれを知らされても認めず、間違いであると信じて、変えようと本気になった。

 

最初はただの子供で。明日のただ一日でも良い、変えたいと本気で思ったから退かなかった―――戦ってきた。

 

「本気になれる事が大事なんだ。無意味に無欲とか無私を貫く必要なんて無い。欲しいものは欲しいんだからしょうがない。それ以外に必要なのは口実だけど、既にそれは得ている」

 

例えば、このクーデターで激務になるであろう殿下の心が分かる、裏切りようがない最高の家族が居るのに使わない理由は無いでしょう、と。現状の窮地でさえ利用する言葉が飛び出た所で、悠陽はとうとう言葉を失った。

 

将軍に妹が居る事を認めると、諸外国や国内の派閥に対する隙になる。だからこその今までだったが、それさえも利用できるのならば、という突き抜けた覚悟を見せる武の言葉は、それさえもフォローするものだったからだ。

 

「あとは適性ですが、問題ありませんよ。冥夜はずっと、この国の民の事を思っていました。全てを守りたいって言ってましたよ。それだけじゃない、辛い気持ちを抱いているであろう殿下の事を心配していました……ほら、これ以上ない適任でしょう?」

 

「……一理は、あるでしょう。ですが、高貴なる者は常に民の範足るべしという将軍の責務を優先するなら、私的な我儘など……」

 

「民衆が真に望むのは殿下の笑顔ですよ。綺麗で立派な将軍殿下の笑顔を見れば、それはもう問答も無用です。なら、後は心の底から笑えるように」

 

武は断言した。衣食住足りて人は礼節を知るという、国外で学んだことがその理屈を確信に至らせた。それを満ちさせるために全力を尽くしていると信じさせてくれる将軍殿下の姿があれば、民衆は不満を取り下げる。そういうものだと、入れ知恵してくれた者は、武が誰よりも信頼する至上の天才だった。

 

これで終わりです、という武の言葉を聞いた悠陽は眼を閉じた。

 

「……其方は、口が回るようになりましたね」

 

「努力しました。苦手分野だ、って言い訳して色々と取り零すよりはと思って」

 

「ずっと……考えて、努力していたのですね。ですが、私は……」

 

目を閉じても、見えるのは黒だけだ。悠陽はそこに冥夜の姿を描いた。まだ幼い、血を分けた妹が笑っていた。公園の砂場で、笑っていた。

 

悠陽はそれを見据えながら、ずっと昔からの日課を繰り返した。別れてからずっと、自分に言い聞かせてきる言葉を声に出した。

 

「あの者に、双子の姉など居りません………将軍にも、双子の妹など居りません」

 

その言葉を、悠陽は一日に一度は繰り返してきた。そうしなければ、自分の身体が(ほつ)れそうになるからだ。戒めの糸として自分を構築し、己を更に高めるべく邁進してきた。

 

だが、もしかしたら―――縛るよりも、戒律の鎖にするよりももっと、という想いが芽生えた。

 

長い年月を経て、居ないという言葉で終わる一文の末尾に、浮かび上がる新たなものがあった。それを支えるのは仙台で交わした時よりも遠い、あの日の公園で告げられた言葉だった。

 

「……その笑顔はきもちわるい、ですか」

 

「え? どこの誰がそんな無礼っていうか、アホな事を」

 

「ふふ、内緒です……ですが、そうですね。“きれーな笑顔”を保つことが、民の心を晴らすのならば」

 

解決すべき問題は残っているが、そうする価値があると確信できるような。その考えに至った悠陽は、心の底から笑えるようにするのもまた責務ですか、と呟きながら小さく笑った。

 

その途端に、悠陽は眼の前にあった壁のような何かが開けたような感触を覚えていた。

それだけではない、どこか温かいような―――暑すぎるかもしれないが、心地の良い熱に包まれているような感覚さえも。

 

そのままであれば、熱が出ていたかもしれない。だが、誰かが計っていたかのようなタイミング入った通信が、悠陽を現実に戻した。

 

『―――ストライク中隊、各機に告ぐ』

 

コンマ数秒で表情を衛士と将軍のそれに戻した二人に、友軍部隊の後退と、決起軍が山伏峠まで迫っている情報が告げられた。

 

包囲殲滅を回避するための後退だが、敵の士気と圧力は油断ならない。ウォーケンの分析に武は同意し、更に気を引き締めた。

 

『目下の所、事態の推移は予想の範囲内であり、作戦の内容に変更はない……だが、ここではっきりとさせておかない事があるな、白銀中佐』

 

「そうだな、ウォーケン少佐。言っておくが、そちらの指揮下に入るつもりはない」

 

『……足止めをしているのは私の部下なのだがね、白銀中佐』

 

「ありがたいが、それとこれとは話が別だ。階級はこちらが上で、この作戦で米国軍の指揮下に入れという命令も受けていない……っていう風に揉めるのも時間の無駄だから、折衷案だ少佐」

 

条件は一つだけ、と前置いて武は告げた。

 

「“殿下を無事に横浜までお連れする”。この一点が守られる命令に限り、こちらには従う用意があるが……どうだ?」

 

『当然の事を条件に入れる理由は分からないが……それで良いのならば何も問題はない。状況判断が極端に異なる事態にならなければ、の話だがな』

 

「それで戦場の統制が取れなくなるようなら、適宜相談を。互いに立てるべき面子を尊重しあえるのならば、そういった事態には陥らないだろうが」

 

そうして、時間にして5秒。緊張と駆け引きを原材料とした沈黙の帳が降りた後に、ウォーケンは武の提案を受け入れた。

 

武は一つため息を零しながら、ストライク2だ、と笑いながら悠陽に告げた。

 

 

「残りの話は、色々な全てが済んでから―――横浜に生還してからにしましょうか、煌武院悠陽殿下」

 

 

「ええ、この身を預けます―――頼みましたよ、白銀中佐」

 

 

ここからが佳境だと、言葉にせずとも通じ合いながら。

 

同年同日に生まれた二人の傑物は、同じ方向を見据えていた。

 

 

 

 

 




あとがき

・色々と仕込み中……

・14人の悪魔とか言っちゃいけないよ

・フリーダム中隊ではないよ(念押し

・千鶴「純夏、補給を………って何なのその昂る戦意は」

・感情のままに話している時の武ちゃんは、時折口調がしっちゃかめっちゃかになっているようです。未熟ものですから。

・料理の腕は、そうですね……一日の長ありの唯依が最強か


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。