Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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b話 : A Day In The Life 【Ⅱ】

4月20日

 

全身の筋肉痛がひどい。昨日の模擬戦が原因だ。圧倒的戦力を相手に、気絶した後も目覚めると立ち上がっては、叩きのめされた。数えるのも馬鹿らしい回数を転がされた結果だろう。一撃もいれられなかったのが悔しい。

こちらの攻撃はどこ吹く風と逸らされて完封され、逆に拳でめった打ちにされた。ナイフを使うまでもないのだろう。見かねた教官の一言で訓練は終了となったのだが、それまでの一時間はずっと立ち合えた。終わると同時に倒れ込んだが。

 

昼の休憩時間、話す機会を得られた。お互いに自己紹介しあう。日本人だと言うと、驚かれた。

難民の数が急激に増加してきている、中国人だと思っていたらしい。そのタリサの師匠、グルカの人の名前は、バル・クリッシュナ・シュレスタ。階級は大尉だ。

 

「あれも少しだが、天狗になっていた所があってな。君に負けたのも良い経験になっただろう」

 

タリサのことだ。最近はグルカ式教練の成果から、白兵戦では負け知らずだったらしい。そのせいで自分は同年代なら負けない、なんていう程度の低いプライドを持ってしまったと。

 

「まあ、あの子ぐらいの年頃なら当然の帰結なんだがな。しかし、良いタイミングで負けたものだ。負けることの悔しさを知ったあいつは、これからもまだまだ伸びてくれることだろう」

 

負けるにもタイミングがあると、大尉は言う。早すぎれば自信を持てないだろうし、遅すぎれば変なプライドを持つことになるそうだ。人に教える、という事も難しそうだな。ターラー教官を見れば分かるけど。会話の最後に俺は、"自分にもタリサと一緒に、グルカ兵式の訓練をつけてもらえますか"と頼みこんだ。

 

―――話していて分かったのだ。この人の教えは、俺を更に伸ばすと。ならばこの機会を逃す手はない。バルさんは俺の頼みに少し驚いた後、いいだろうと頷いてくれた。しかし、訓練期間はあと一ヶ月しかない。どうしようかとターラー教官を見ると、渡りに船だと頷いた。期間を延長するかどうか迷っていたらしい。次の侵攻が始まれば、しばらくは戦場を離れることはできないかもしれない。ならば、今の間に、知識の面でも徹底的に叩きこんでおく必要があると。更に1ヶ月延長し、6月まで。

バル師匠――――もう師匠と呼ぶ――――には、明後日から訓練が終わるまでの間、お前はグルカの卵として扱うと言われた。

 

ありがとうございます。

 

 

4月21日

 

なんか下級の訓練生達の顔が変わった。暗いそれから、明らかに変わっている。彼らの内面に変化が起きたからだろうとターラー教官は言う。お前が原因だとも。飯時の様子も変わった。今まではサーシャとタリサ、ラム君だけで食事を取っていたのだが、徐々に別の部屋の奴らも集まってきて。それで、色々と質問攻めにあった。BETAはどうだったか、戦術機ってやっぱり格好良いよな、教官怖えっす、とか。まあ色々聞かれた。戸惑ったが、色々と答えた。リーサとアルフを真似て、ちょっと脚色を加えながら物語調にまとめていく。本当は暗い話なのだけど、戦い、逝った戦友には相応しくない。

 

うまく話せたかは分からないが、節目節目に「おー」と歓声が上がったので上手くいったのだろう。というかお前ら英語片言だってのに分かってんのかよと思ったが、ニュアンスかなにかで理解したのだろう。でも、衛士の実体験はなにがしかの励みになったのか、あるいは物語風味の話が気に入ったか。ずいぶんと喜ばれたようだ。タリサも何だかんだで聞いていたしな。アタシは聞いてないぜ的なポーズを取っていたが、ばればれなんだよ。後にそう告げると、また怒っていたが。ひと通り話し終えると解散となった。あと、遠くで聞いていた、前の教官からは変なものを見る眼で見られた。気味が悪いと、そういう感じの眼だ。どうしてそんな目をするのか分からない。夜中にグラウンド前に出るとサーシャがいた。何故こんな時間にこんな所へ。特に面白い話もなかったので、訓練の内容と体調について少し話し合った。恒例の中距離勝負はどうするか、ということだ。これからは訓練の方も更に厳しいことになりそうだから。でも、週一ペースで変わらずやろうと答えた。曜日は設定できないけど、週に一回は勝負しようと。毎週の行事のようなものになっていたし、あれがないと落ち着かない気がする。

 

勝ち逃げは許さんともいうが。

 

あとは、賭けるものについて相談した。マンネリは駄目だ、励みになるものが必要だ。その後の協議の結果、『一月以内に俺が勝ったら、俺の勝ち。勝てなかったら、俺の負け』に決定した。とことん舐められている。いつか泣かす。何を賭けるか迷ったが、考えてみると今は賭けられるものをお互い何も持っていないので、『命令権一つ』ということになった。さり際に、サーシャの唇が傾いたように見えた。

 

 

4月25日

 

グルカ兵の訓練が始まって3日。教えは厳しく、内容もかなりきついものだったが、体力が無かった頃に受けた地獄のインドキャンプほどではない。今と比べれば、ほぼゼロの体力。それなのに全身の筋肉をぼてくり回されたあの時と比べれば、このくらいは。師匠は「当然だ」という顔で応えてくれた。諦めるようなら話にならないと――――膝をついて荒い息になっているタリサの方を見て、言う。お話にならないというきつい言葉。だけどタリサは屈さず、顔を真っ赤にして立ち上がる。しかしそれをも師匠は「当然だ」といった具合に受け止める。顔は少し、笑っていたように見えたけど。

 

 

 

5月5日

 

ここに来て二ヶ月が経過した。前より格段に筋肉が付いたように思う。実戦を乗り切ったこともあるのだろうか、傷ついた筋肉が、より強く生まれ変わっている。腹筋がちょっと割れているし。厳しい状況を乗り切った成果のように思えて、何か嬉しい。で、鏡の前でずっとニヤニヤ笑っていたらサーシャにキモイと言われた。まあ、確かに傍目からみたらキモイだろうが、もう少し言葉を選んでくれ。頼むから。言うが、「嘘は好きじゃない」とのこと。にべもねえ。

 

身体に関しては問題なさそうだ。筋肉痛はほとんど無くなった。だけど、それとは別に関節のあちこちが痛いがなぜなのだろう。聞けば、これが成長痛というものらしい。ターラー教官が言うに、背が大きくなる前兆とのこと。つまりはこれから本格的に背が伸びるのか。見てろよサーシャ。年内にはお前を越してやる。

 

 

 

5月6日

 

訓練の後の夜、部屋でトランプをした。体力的に余裕はあるし、何よりインドでの話を聞いたタリサが「アタシもしたい」と言ってきたのだ。ラム君も交えて4人で勝負。結果は………語るまでもないだろう。ラム君のポーカーフェイスにはびびったけど。これからは二日おきに勝負すると決まった。賭け金は日本に居た頃に戻って、デコピンか、しっぺだ。とはいっても、皆鍛えられているから、デコピンもしっぺもかなーり痛いんだけどな。

 

 

 

5月8日

 

戦術機の機動に関してまとめていたノートを、ターラー教官に渡した。実戦の経験が俺より数十倍はあるだろう教官の意見を聞いてみたかったのだ。以前から話していた、新しい機動概念のこともある。夢にあった機動の詳細、そしてノートの内容を話しながら、戦術機の機動概念について色々と話した。俺は取りあえず思いつく機動を、解説を加えて伝えた。教官はそれをノートに書き加えていく。

後でまとめて、教練の参考にするらしい。すぐに採用されますか、と質問したら、教官は「難しい、時間が掛かるだろう」と答えた。

 

今までの戦術機動は先達が実戦で試行錯誤を繰り返し、練られてきたもの。異端とも言えるこの機動は、すぐに採用されないだろうとも。そういう類のものは、実績による実証がないと、話にもならないらしい。ベテランだと尚更受け入れがたいだろうな、と苦い顔をしている。でも当たり前のことなのだろう。衛士にとって、機動はある意味誇りそのものだ。俺だって頭ごなしに「こっちの機動が正しいんだよ!」って言われても素直に聞き入れられないだろう。機動の正誤を考える前に、反射的に反発するに違いない。

 

あと、日本で国産戦術機が実戦配備されたらしい。第三世代にあたる戦術機で、名前は「不知火」。

そういえば親父に聞いたな。「撃震」はファントムのライセンス生産による機体、「陽炎」はイーグルのライセンス生産による機体だと。

 

そうなれば、不知火は日本初の純国産機体か。しかも世界最初でもある、第三世代機!

機会があればいつか、乗ってみてー。

 

あ、そうだ。実際には乗れなくても、イメージトレーニングは出来る。新しい機動を思い描くことも。今からやってみよう。

 

 

5月10日

 

上級クラスの訓練生と合同演習をすることになった。そこで脱落組の上級生に近接格闘の模擬戦をしようと言われた。上級生の中でも一二を争うぐらい強いらしい。教官からは隠れて言われたから、ちょっと情けなく思えたけど。でも、その顔は嘲りに染まっていた。自分よりも下だと顔で言っている。鍛えた自分が5才も年下のこいつに負けるはずがない、と。

 

OK、いいだろうやってやる。俺は衛士だ。挑まれては逃げるわけにはいかない。

 

訓練生に舐められるのは、衛士としての俺が許さない。"悔しさはやる気になり、いずれ自らを育てる糧"となる。昔、純奈母さんが言った言葉だった。ならばその種を盛大に植えつけてやるぜ。

 

で、まあ結果は推して知るべし。種はまかれたとだけ言えばいいのか?

 

 

 

5月12日

 

上級生の視線が痛いがしったこっちゃねえ。いつでもかかってこい、俺は負けん。で、それはおいといて、サーシャと一緒にターラー教官からグルカの勇猛さについて聞いた。白兵戦はもちろん、戦術機の格闘機動に関しても世界でもトップクラスらしい。射撃でいえば、アメリカが一歩リードしているらしいが。聞いていけば面白い。各国ごとに機動運用の方針の違いがあり、国が同じなら得意分野も同じ、というのが結構多いと。サーシャは、「その国のもつ歴史、文化に拠るものが大きいかも」と分析していた。

 

日本の衛士は総合的に優秀な部類に入るらしい。俺は自分以外の日本人衛士は見たことが無いので、実際にどの程度優秀なのか、いまいち分からない。そんな事で俺はどうかな、という質問を投げかけると、サーシャに「武は変態だと思う」って言われた。

 

え、国とか関係ないよなそれ。

 

反論すると、「変態に理由はない、変態はただ変態であるが故に変態。だから武は変態なのである」なんておっしゃる。

 

まるで哲学だ――――ってまて、何でそこまで言われなきゃならねえんだ!?

 

問いつめるが、無視。教官も頷かないでくださいよって言ったけど笑って誤魔化された。

肯定の笑みか否定の意味で笑って吹き飛ばしたのか、どっちなのかよく分からなかった。

 

 

 

5月13日

 

その日の朝、俺は初めてサーシャに中距離走で勝った。最後の勝負だったので、嬉しさも一入。昨日の変態発言に対しての意趣返しの気持ちもあったので、心底嬉しかった。俺は歓喜のあまり転げ回った。通りすがったタリサに「邪魔だしうるせえ」と蹴られたが。腹が立ったので後ろからチョークスリーパーをかけた。すると今度はサーシャから蹴られた。「小さい女の子を襲うな」とのことで。

 

言われたタリサは顔を真っ赤にして怒って、あとは3人での乱闘になった。

勝者はターラー教官。仲良く拳骨で昏倒させられた。さすがは"鉄拳"と噂される人だ。

でも、何で"鉄拳"と呼ぶのだろうか。聞いてみると、時間がないから明日に教えてやるとのこと。

あまり自分のことを話さない人だけど、話してくれるとは。明日が楽しみだ。

 

 

 

 

 

5月14日

 

基地に戻ったら、その話の司令官を殴りに行こうと思う。ターラー教官の異名の由来を聞いた後、俺はそう誓った。顔に出ていたのか、やめろバカと、ターラー教官から拳骨をくらったのだけど。それにしても、派閥争いか。なんで同じ軍隊に入る大人どうし、仲良くできないんだろう。落ち込んでいる人にそんな言葉をかけるとか。心底理解できない。なんでそんな酷いことを言えるのか。

 

ターラー教官に告げると、笑われた。

 

「お前はそれでいい」と、頭を撫でられた。

 

遠く、日本にいる鑑家の。母がわりでもある、純奈さんの手の感触を思い出した。

 

 

 

 

 

 

5月15日

 

ターラー教官曰く、俺にはあまり指揮官特性はないそうだ。指揮官とは常に全体を捕らえ、最善を選択し続ける者。視野の広さと知識量、感情のコントロールが肝となる。子供だからもあるけど、性格的にも向き不向きがあって、俺には向いていないとか。前衛は?と聞くと、難しい顔で答えてくれた。

 

「感情に流されるのは良くないが、感情を殺しきるのも、良くない。感情に流されるのは二流で、感情を制御できて一流。そして、感情の力をそのまま戦闘力に上乗せできるのが超一流だ」

 

最後の一つがさっぱり分からない、と言うと、何故か笑われた。優しい笑みだった。

あれ、ひょっとして憐れまれてないか、これ?

 

 

 

5月16日

 

今日と明日は、休みだ。訓練生のほとんどは、同じアンダマン島内に家族が住んでいる家(キャンプともいう)があるので、そこに基地からでるバスで帰るらしい。

海まで出るバスもあると聞いたので、サーシャとタリサを誘って行くことにした。タリサには両親がいないらしい。以前の侵攻で姉と死んだと言っていた。弟と妹はいるが、知り合いに預けているという。キャンプの方には戻れないそうだ。訓練生未満であるから、仕方がないのだろうけど。

 

でも、小さかった時のことなので、親という実感はないとか。師匠が父がわりらしい。

両親がいるラム君はキャンプに帰ったけど、タリサもサーシャと一緒で帰る場所がないのか。

言うが、湿っぽいのは苦手だと怒る。だから俺は「じゃあ、全力で遊ぶか!」と言った。二人とも笑う。サーシャもノリノリだ。最初に誘った時は「水着もないし、ここで本でも読んでる」と誘いを断るが、背後から現れた教官がサーシャに「あるぞ」と水着を手渡された。

 

で、タリサも行くことを知ると、「断固行く。絶対に行く」と何故か乗り気に。

まあ、なんにせよ良かった。休みの日は遊んだ方が良い、むしろ遊びたいからな。

そうして、バスに乗って砂浜に到着した後。着替え、待ち合わせた場所には、水着に着替えたサーシャとタリサの姿が。

 

二人は対照的だった。サーシャは雪のように白い肌に、黒い水着。タリサは褐色の肌に赤い水着を。サーシャは「こんなに薄着になった事はないから、何か恥ずかしい」、と赤い顔で周りをきょろきょろ見回している。タリサは「それより泳ごうぜ!」と息巻いている。どう見ても少年だけど、黙ることにした。俺だって学ぶことぐらいある。

 

ターラー教官の教えに従い、日焼け止めのクリームを塗る。支給品らしい。日焼けすると体力は消耗するし、訓練時には擦れるしで、地獄らしいからだとか。で、最初はサーシャに泳ぎを教えた。なんとサーシャは泳げなかったのだ。泳ぎに行こうと誘うが、しぶるサーシャ。

 

聞くと、俯いたまま「泳げない」と呟いて。え、本当?と聞くと睨まれたのは怖かったけど。

でも考えを変えた。ならば泳げるようになればいいじゃんか、とタリサに向かってアイコンタクト。いやらしい笑みでタリサは頷いた。スルーして、泳ぎを教えた。ソ連にいた頃は、泳ぐ機会もなかったそうだけど、これからはあるんだ。泳ぎは楽しいし、覚えればいい。

 

タリサも混じって、サーシャに泳ぎを教える事になった。元々、運動神経は悪くない。手を持ってバタ足とか手伝ってやる時のサーシャは可愛かったが、驚異的なスピードで泳ぎが上手くなるサーシャは可愛くない。

 

何か負けた気分だ。途中でなんか邪魔していたタリサも、今は悔しそうにしている。

この二人、正反対の性格だからか、気づけば張り合うよな。

 

泳ぎを一通り教えた後は、海で色々な遊びをすることになった。

そういったものには縁がなかったというサーシャと、何だかんだで友達が少なかったタリサに、およそ海でやる恒例の遊びを叩き込んでやった。

今日は師匠と教官の訓練も忘れてはしゃごうぜ、と。頷く二人の手を引っ張って。

 

――――そうして、本当に長く。時間を忘れるぐらい、遊んだ。

 

ゴーグルをつけて泳いだり、水を掛け合ったり。砂浜にあった綺麗な貝を拾って、二人にプレゼントしたり。砂浜で、日本に居た頃と同じ、無意味に山を作ったり。

 

人間、なにかに夢中になると時間の経過を忘れる。熱中すると時の長さを忘れる。親父が言っていた言葉だ。それは正しかったらしく、日が暮れるのはあっというまだった。気づけば、空は赤く染まっていて。更衣室の時計で時間を見たあと、俺たち3人の顔色は蒼白になった。

急いで更衣室で着替え、集合場所のバス乗り場へ急ぐ。このバスに乗り遅れると、教官から大目玉を食らってしまう。走って、走って、走って。ようやくたどり着いた後、俺は見た。

 

発着場前の堤防。そこに座り、金髪の少女が夕陽を見ていた。髪は海から吹く風に流されるままになっている。やわらかく、なびく金色の髪。その横顔は、見惚れるぐらいに綺麗だった。出会った頃のような、人形じみた無表情はない。白いが、肌の色は肌色として認識できる。眼にあった陰りも少ない。

 

気づけば、俺はサーシャの横に並んでいた。目の前の光景は息をのむほどに美しい。昼は空の青と同じだった海面が、今では夕暮れの赤に染められている。純夏にも見せてやりたい。手紙が返ってこないせいか、日本が遠くに感じる。似ているっていうタリサも、純夏そのものではない。

 

あいつの声が聞きたい。バカにして、ムキになる所を見たい。あいつの拳だけは本当に勘弁だけど。

 

でも――知って欲しくないと思ってしまう部分もある。だって純夏だ。あいつに戦場(あそこ)は似合わない。あの泣き虫が耐えられるはずない。俺だって、我慢できて、耐え切れたのが嘘みたいなのだ。それほどまでに訓練は厳しかったし。だけど、代わりとして得たものもある。例えば、この光景だ。浮かぶのも、ただ目の前の景色だけではない。

 

撤退戦の時に見た地平線に似ているのだ。波は草と同じ、風に揺らされて海原の表情を変える。彼方まで続く雄大な景色は、自分のちっぽけさを教えてくれた。連鎖的に思い出すこともある。何よりも仲間のこと。

 

――――戦場は確かに、逃げ出したくなるほど辛くて厳しい。だけど、そこには仲間が居る。

確かに、死ぬかも知れないって思う度に背筋が凍る。心臓と肺が物理的にも精神的にも圧迫されて、呼吸がうまくできなくなるなんて日常茶飯事だ。

 

この世のものとは思えない断末魔も。直視すれば吐いてしまうようなものも見てきた。身体の奥の奥まで疲労がたまり、寝付けない夜もある。砲撃の音にたたき起こされて、寝癖がついたまま衛士の服に着替え、目やにを取る暇もないまま、出撃。そんなことも何度かあった。

 

それでも、辛いだけじゃないのだ。日本の友達とは絶対的に異なる、家族以上の連帯感が、戦場(あそこ)にはある。

 

背中を任せること。その安心感と信頼感。BETAを倒して、危なかった仲間を守れて、感謝の応答をする。その時の満足感。

 

整備のおっちゃんにほめられたこと。バカを言って笑いあうこと。

 

命のやり取りをする場に嘘はない。みんな命がけで、自分のそのままの命を振り絞って戦っている。

 

ラーマ大尉は言った。"あそこは生に溢れている"と。俺もそうだと思う。あの生きている感触は、何者にも代え難いものがある。

 

「………ん」

 

気づけば、手が握られていた。握ったのはもちろん、横にいるサーシャだ。柔らかい手の感触。日本にいた友達とは違い、軍事に関わっているせいか、その表面は粗い。だけど、柔らかいのは変りない。純夏と同じ、女の子の柔らかい手。戦術機を駆り、化物そのものであるBETAを狩る少女。

 

俺もそうだけど、この年で戦うことになるとは。ましてや、アンダマン島っていう、日本に居た頃は名前さえ知らなかったここで、遊ぶことになるとは思ってもみなかった。だけど、悪くない。まだ俺は笑えているし、親父も笑えている。仲間と一緒に笑えている。

 

日本にいた頃よりも、多くのことを知れた。日本にいたままでは――――確かに、戦いの苦しみを知ることは無かったけど―――――仲間のこと、この光景も知らないままだったに違いない。

 

どちらであっても失うものがあり、得るものがある。そう考えると、何だかおかしく思えた。横を見る。サーシャもおかしそうに笑っていた。同じ事を考えていたのだろうか。分からないけど、綺麗な、穏やかな笑みだった。

 

「………ありがとう、タケル」

 

突然のお礼。なんで、と聞き返すが、「言いたかっただけ」としか説明してくれない。もう少し踏み込んで聞きたかったが、タリサがトイレから戻ってきたらしく、バスも出発の時間になっている。

 

急いでバスに乗り込んだ。そのまま、空いている座席に座る。何故か俺が真ん中に。左にタリサ、右にサーシャという並びだ。目の前には海に来ていたのだろうお婆さんの姿が。

 

こちらを微笑ましそうに見ている。なんでか、居心地が悪いような。座席は硬いし、バスの揺れがダイレクトに感じられる。それでも我慢できない程ではない。じっとしながらバスの震動に揺られ、しばらくは正面の車窓の外に見える海面を眺めていた。いつもは騒がしいタリサも無言である。

 

と、気がつけば、左の肩に重みを感じた。見れば、タリサがこちらに身体を預けて眠りこけている。遊んで、疲れたのだろうか。視線を感じたので右を向くと、サーシャも俺と同じようにタリサを見ていた。だけど何故か不機嫌な顔だ。

 

そのまま10数秒の沈黙の後。サーシャは突然笑顔になると、同じように俺に体重を傾けてきた。

サーシャは座高が低いせいか、座れば俺とそう変りない身長になる。

 

だからこうして、肩に頭を乗せられるのだけど。

 

「着いたら起こしてね」

 

眼を閉じたサーシャが言う。

 

「ぐー………」

 

タリサのいびきがうるさい。このまま眠るなということか。聞き返す前に、サーシャは眼を閉じて寝息を立てやがった。狸寝入りかもしれないが、本当に寝たのかも。分からないが、この状況で俺まで寝てしまえば三人まとめてこけてしまう可能性が高い。

 

俺はバスに揺られたまま、睡魔と戦い。肩の体重を支えるべく、じっと背筋を伸ばしたまま、窓の外に流れていく景色を眺め続けていた。

 

じっとこっちを見つめながら笑っていた、お婆さんの視線が痛かった。

 

 

 

 

 

5月30日

 

訓練期間は6月末までだから、あと一ヶ月だ。今日からは、バル師のもと、本格的な訓練に入ることになっている。訓練は厳しかった。模擬戦の中、仮の実戦形式で教えていくという。今日から一ヶ月、ボコボコにされる日が続くと思うと憂鬱になるが、光栄なことだと思って頑張ろう。実際、教えはためになるものばかり。

 

まずは、守る時の心得。

 

「違う。思考を止めるな。相手の状況にとらわれるな。常に動き続けろ」

 

ナイフを繰り出しながら、バル師は言う。

 

「一撃で倒そうとするな。防御が疎かになる。威力を出すのにかまけて、動きを鈍くするな。流れながら待ち続けろ。さばける技量があるなら、耐え続けろ。そして考えるんだ」

 

集中して、集中して。相手の攻撃を必死で捌き続けることで、直撃させない事を意識する。人体は思いの外強靭で、急所にあたらなければ簡単に倒れないようにできていると。しかし、それだけで何とかなるほど甘くもないらしい。気づけば掴まれ、次の瞬間には青空が見えた。

 

「………よけることは結構だ。だが、それだけでは駄目だ。逃げるにしても単調になるな」

 

色々と言われた。あとでノートにでもまとめるか。そして、次は攻める時の心得だ。

 

「攻めるなら、あらゆる行動に意味を持たせろ。一の行動最低一の、あるいは十の意味を持たせろ。勝つ気がなければ、勝てはしない。地力で劣るならば、それを認識しろ。そして勝利を手繰り寄せる方法を考え続けろ。必要なのは最速でも最大でもない、場に応じ求められている最適の一撃だ」

 

言葉と同時、軽くナイフが突き出される。俺はそれを刃で弾き、横に飛ばす。

 

(やった!)

 

と思った直後、側頭部に衝撃を受けた。視界がブレ、立っていられなくなる。

 

「不注意だからそうなる。なにより、意識を"纏え"。思考と行動を同時にしろ。意識しなければできない技術など技術ではない。意識で知識を引き出すな、意識と知識を合一させろ。そうすれば、反射的に最善の行動をとれる。例えばいまの一撃だ………明らかにおかしい所はあったか?」

 

あった。たしかに、あの程度の一撃で、ナイフを弾けたのはおかしい。まるで自分から飛ばされたかのような軽さだったし。

 

「落ち着いて考えれば分かることだな。だけどそれでは遅いのだ」

 

だから意識をまとう。おかしい所を認識すると同時に、行動に移せなければ倒されるのだと。

 

「フェイントに惑わされるのはそのためだ。体重が乗っていない一撃イコール、フェイント。落ち着いて考えれば、ガキでも分かることだな。だがガキに出来ることを誇っても意味が無い。一人前に成りたいのなら、注視して分かるそれを見ただけで認識し、同時に見極められるようになれ」

 

またフェイントに惑わされ、蹴倒される。再度立ち上がり、構える。何を受けたのかわからないが、おそらくはナイフの一撃をフェイントに、それを障害物として、死角となった横からの回し蹴りだろう。

倒れた隙は大きく、詰められればやられていた。最適の一撃とはこういうことか。大きすぎることもなく、また速すぎることもなく、状況を把握して抽出する最善の、勝負の趨勢を決定する"最後の一撃"。威力が大きい程、攻撃の前後に隙ができる。決める一撃を放っても、避けられれば大きな隙を生み出してしまうことになる。ならばどうするか。

 

『決める』のだ。相手を見て、自分を見て、動きながら機を伺い、あるいは作り、当たる状況で倒せるだけの一撃を繰り出す。己の短所を囮に引き寄せ、相手の得意を見極めて、その死角に潜みこむ。一昨日に考えたことと同じ。長所に影あり、しかし短所にも光あり。必要なのはそれらを見極める事。

 

その上で適時必倒の一撃を通すことが重要なのだ。反復練習をするしかないだろう。

道は遠く、正直気が遠くなるほどに難しい。だけど、弱音なんて吐いていられない。

 

訓練を繰り返して、いずれは辿りついてやると、そういう気概で挑まなければきっとどれだけ労力を費やしても辿りつけない。目標は見えなくなる程に高く、遠いのだから。

 

それに、バル師はいっていた。この訓練は必ず、戦術機にのった時に役に立つと。それを信じて、今は鍛えるのみだろう。

 

 

 

6月15日

 

あと、二週間とちょっと。本格的な訓練を受けて二週間、だが、腕が上がってきたように思う。成果はバル師との模擬戦に如実に現れている。勝てないまでも無様な負け方はしなくなった。その程度には戦えるようになったのだ。だけど、それでもうかうかしていらえない。この前タリサと勝負した時のことだ。10本勝負のうち、2本も取られた。

 

バル師は「以前からの教えがあるからな」と言っていた。タリサは悔しがっていたが、こっちから言わせればタリサの上達っぷりに悔しがりたいぜ。以前とはまるで別人だ。

 

そのことについて、「あいつも本気になっただけだ」と、バル師は言う。本当に、真剣に、勝つための意識を引き出す事ができるようになっただけ。戦うという事に関し、遊びもなく、憂いもない気持ちを気負わず纏える事。自分の上を行く相手を見て、それに勝ちたいと願ったから。定まっていなかった気持ちが定まり、グルカ本来の気質を備えることができたと。元々、白兵戦に関しては、俺より上質の訓練を受けていたのだろう。その差もあるかもしれない。

 

だけど俺もこのまま負けるつもりはない。なにより、負けていいなんて姿勢で訓練を受けているのがばれると―――そういった事には厳しいターラー教官に、怒られちまう。

 

一昨日、ターラー中尉は北アンダマン島の基地に戻っていった。「待っている」という言葉を残して。その言葉を吟味する。サーシャも言った。

 

待たせているのだから、中途半端なものを持っていくことは許さないと。

 

 

 

 

 

 

 

6月20日

 

朝の中距離マラソンの勝負、勝率が五分五分になってきた。実戦の恩恵は大きいらしい。乗り越えた今、体力が格段に違っている。あの独特の緊張感も、いい重圧になってくれていたようだ。これなら、体力不足に悩まなくて済むかもしれない。ようやく一人前として戦場に出ることができるかもしれない。まあ、クラッカー中隊のみんなに匹敵する、とは口が裂けてもいえないけれど。なんせ体力おばけなのだあの人達は。

 

筆頭に、ラーマ隊長。同率にターラー中尉。リーサ、アルフと続く。長く戦ってきた事だけある。疲れ知らずとは、ああいうのを言うのだろう。俺でさえ、今の訓練生より4~5段違う。タリサとでさえ、2、3段は違う。もう5ヶ月、乗っていない。イメージで思い浮かべはするが、その程度だ。あの戦術機独特のG、人によっては癖になると思う。俺のように。それに、乗っていて楽しい事は確かだ。こうした体力作りの訓練よりは、余程面白く、楽しい。

 

あと一週間。鍛えたこの身体で戦場に出て、どこまでできるのだろうか。考えるだけで、心が沸き立った。

 

 

 

6月28日

 

最後の訓練。いつもの格闘戦ではなく、俺はバル師と話をした。

 

「仮だが、卒業をくれてやる。前線に戻っても、頑張れよ」

 

「はい」

 

たわいもない話。奥義の伝授とかそういうものではなく、普通のうわさ話とか、タリサへの愚痴とか、昔のタリサは素直で可愛かったとか。まるで親ばかみたいな。いや、きっとそうなのだろう。訓練の時には厳しいが、それ以外では父親なのだ、この人は。

 

そうして雑談を交わしている中、身につけた技術について話した。理屈では分かっていた技術についてなど。知識と実践の差。理など。実戦を知っているからこそ、訓練の成果は顕著になる。全て、経験してみてはじめて、実感できる事もあると。

 

『机上で学んだ事を、現場で知れ。そこではじめて理解となる。話はそれからだ』

 

整備教練を受ける前に、父さんに言われた言葉だ。父さん自身、昔に会社の先輩から言われた事らしい。理を解するのには、まず自分自身の手で触れなくてはならない。

 

俺も触れた。人の死に。そして、一片だが、分かった事もあった。いろんなものが持つ、『重さ』について。だから、訓練にしても真面目にやった。決して、手は抜かなかった。何より決めたことがあるから。

 

軍人として生きていくということ、告げるとバル師は「そうか」と頷いた。その後に、教え諭す口調で、説かれた。

 

「決意は心の鱗だ。まとわなければ戦場には立てん。誰しもが戦う前に決意をする。そして…………戦った後にも、新たな決意をすることになる」

 

それは老人の顔。戦い続けた師の顔。どこか疲れている顔。

 

「………だが戦場は想像以上の場所だ。あの場所に立ったことが無いものからすれば、死が飛び交う戦場は埒外の果てにあるもの。その中で、誰しもが決意を揺るがされる。初陣からしばらくだ。新兵は戦場というものを、骨身にまで叩きこまれて、学ぶ。そして決意の不備を知る。その上で真価を問われるのだ」

 

言われてみて気づく。確かに、自分もそうだった。訓練前に、決意を持っていたのに。実際の実戦に立つ直前には、逃げようと、そう思ったりもした。実戦に出た後も怖かった。逃げたいという気持ちもあったのかもしれない。

 

現実しかない戦場。

色々なことを知って、決意が相手するもの、その正体を知ったと言えばいいのか。

 

「正体を知って、それでもなお立ち向かえるのかどうか。お前は決断できたようだな」

 

笑って、頷く。失ったものを前に。背負うと――――逃げないと、決めたから。

 

「本当に大した奴だ………だが、子供でもある。と、そう怒るな。いいから聞け」

 

反発する俺に、師は真剣な表情で告げる。

 

「戦場は綺麗な所ではない。いつか、あの汚泥の中でお前の決意が汚されるかもしれない。壊されるかもしれない。その時は…………自分の中にあるものを、見つめろ」

 

「自分の中にあるもの………それは?」

 

「色々あるさ。汚いもの。綺麗なもの。それは特別じゃない。白も黒も珍しい色ではないんだ。だから………その全てから、決して目を背けるな」

 

そうすれば、いずれは立ち直れると。バル師から教わった、その最後の言葉は、ずっと胸の奥に残ることとなった。

 

 

 

6月29日

 

訓練が完了し、明日にはここを発つ。その前に、送迎会みたいな事をしてくれることとなった。日本の小学校でしたお別れ会に近い。下級の訓練生達から、色々と言葉をもらった。また会おうぜ、お前みたいになるよ、教えてもらったことは忘れない、そして死ぬなよ。単純だけど、だからこそ胸に突き刺さった。俺の話は役に立ったらしい。脚色つけて話した甲斐があったというものだ。あの訓練にも意味があったと、あいつらとの出会いも無駄にはならないと、そう思える。

 

その夜は、中隊の面々プラスアルファで送迎会をしてくれることになった。参加者は中隊の6人とタリサ、バル師の合計8人だ。そこで俺は、スリランカで別れて以来会っていなかったリーサ達に会った。一目見ただけで、違うと分かったらしい。顔つきと体つきが変わった、と頭を叩かれた。軍人らしくなったらしい。リーサは再戦が楽しみだと言っていたが、こちらも同じことだ。それよりも、今日は飲むと聞いたけどいいのだろうか。

 

聞けば、今日はリーサ達にとっては、数カ月ぶりの休暇になるらしい。今まで休暇無しの働き通しだったということもあり、今日から二日間も休めるそうだ。ようやく、東南アジア方面からの増員の配備も落ち着いたとターラー教官は言っていた。

 

リーサもアルフも、そしてラーマ大尉も、気晴らしという意味もあって、盛大に騒ぎたいそうだ。幸いにして、金は持っている。衛士は特にそうだ。他に使い道がないし、使う時間もないので貯まりやすいらしい。あまり客の来ない小さな酒場を貸し切りにして、騒いだ。10人も入ればほぼいっぱいのちっぽけな酒場だ。

 

メインは合成酒や合成食料。あとは果物やらを食べながら騒いだ。俺とサーシャ、タリサは合成のオレンジジュースだ。流石にこの年で酒を飲まされるのはまずい。リーサとアルフは不満そうだったが。

 

あと、リーサはタリサのことを気に入ったのか、色々と話をしていた。リーサも、ターラー教官経由で「根性ある小娘がいる」と、話だけは聞いていたらしい。そんなタリサは時折笑いながらも、リーサに弄られている。ちっこいのに大したもんだねえと、頭をぐりぐりされている。本人は嫌がっているようだけど、まんざらでもないらしく、反撃に出ることはしなかった。

 

ラーマ大尉は義娘でもあるサーシャと色々な話をしていた。なんかどこぞの親ばかのように、ニコニコと笑みを絶やさずうんうんと頷きながら話を聞きっぱなしだ。俺の親父はどうしたのだろうか。ターラー教官に聞くと、見事整備班長としての信頼を勝ち取ったとのこと。

 

え、ちょっと、訳がわからないよ? そもそも、クビ? あの、天下の光菱重工を? 仕事にプライド持ってたじゃん、親父。幼かった俺でも分かるぐらいに、自分の仕事に誇りを持ってただろ? 

 

瑞鶴の開発にも携わったことがあるって、開発者としてのプライドを持っているって。だから納得できない話ばかりだ。取り敢えず経緯を聞いてみたが、会社をクビになった経緯は分からないらしい。それでも、整備関係の話については聞いた。なんでも親父は、整備員としてのスキルは持っていて、日本人だからか、その腕も良くて。会社をクビになった所、アルシンハ准将から「整備班に加わるつもりはないか」という話があって、親父はそれに承諾したらしい。

 

俺の意識が、まだ戻っていない時にだ。その後は、何故か整備班長に指名された。しかし、そこで一悶着が起きたのだ。整備班の人は、インドに居た時から中隊の機体を担当していた人達ばかりだ。

 

整備班長が撤退戦の際に大怪我をしてしまって、困っていたらしい。だが、それでも整備員としての自分の腕にプライドを持っている。上からの命令とはいえ、ぽっと出の技術者あがりを素直に班長にと認められないと、少し揉めたらしい。

 

軍人だからと従った人もいるが、全員が認めることはしなかったと。だからわだかまりが残るのも不味いと、親父は班長として命令した。自分、白銀影行という男をどうすれば認めるかと。その議論は長期に渡ったらしい。最初は実践を。次に口論から、ついには拳での話し合いまでに発展し。その果てにようやく、親父は整備班長として認められたのだとか。

 

いやでも、俺はそんな話、一言も聞いてないよ? これはちょっと親父殿と拳を交えて話し合わなきゃならんね。鍛えた拳で詳細を聞き出してくれる。

ともあれ、そういうことだと。親父に関しては、直に話をするしかないだろう。

 

あとは、新しい人員に関して。長らく6人ぽっきりだった我が中隊も、新しい人員が入ったと。配属先はアンダマン島の北にある基地で、新しい人員はそこに配属されているネパール人が3人。

 

そして――――撤退戦にも別の隊で参加していた、欧州出身の衛士が2人。イギリス人に、フランス人とのこと。あとは、新しく配属される新人が一人。これは、日本人だそうだ。

 

「………インド、日本、ソ連、イタリア、ノルウェー、ネパール、イギリス、フランスですか」

 

節操ない。全員が国連軍所属なのは分かる。でも、なんでこうして国籍がバラバラなるのか。八ヶ国ですよ、八ヶ国。ターラー教官に聞くが、「この隊は問題児が集まる場所でな」とだけ返された。

 

なにも言い返せなくなった俺は、誤魔化すように合成オレンジジュースを飲む。その様子を見て、またため息を吐かれたのだけど。

 

そして、宴もたけなわといった頃、アルフがどこからともなくギターを取り出してきた。店にたてかけてあったものを見つけたらしく、店長に頼み込んで借りたらしい。あちこち傷が入っているが、音に問題はないということ。アルフは簡単にギターのチューニングを済ますと、徐に簡単なメロディーの曲を弾き始めた。暗くなく、でも明るくもなく。

 

なんというか、牧歌的なメロディーラインだった。インドに居た頃に知った、地元の唄らしい。流石はアルフという所か、女を口説けるような技能にぬかりはなかった。素人目の俺にも、上手いと分かるほどの音色が店の中を流れていく。みんなはそれを見ながら、酒を飲んでいた。

 

そういえば、前の連戦の時でもアルフはギターを弾いていた。あの時は疲労が溜りに溜まっていたので、音色も骨身に染みた。疲れた身体が癒されるような感覚。そして、疲れていない時より音というものが綺麗に聞こえるのが不思議だった。

 

銃火の響きや悲鳴の音に耳を汚されていたのかもしれない。音色は、耳の奥にこびりついた、耳糞のようなそれらの重みを流してくれた。

 

一曲目が終わり、拍手が流れる。アルフは手を上げながらそれに答え、2曲目を弾き始めた。2曲目は一転して、明るい曲になった。俺も何度か聞いたことのある曲だ。訓練学校の食堂でも流れていた唄。タリサに聞くが、これは地元の歌らしい。そこで、タリサがいきなり歌い出した。顔が赤いし、そういえばさっきから呂律も回っていない。

 

もしかして酔っているんだろうか。見ると、リーサがにやりと笑っていた。隣のバル師にいいんですかと聞くと、今日はいいと笑われた。タリサは、顔を真っ赤にしながらギターの音に乗せて歌っている。というかタリサって普通に歌が上手いな。

 

ちょっと、びっくりした。まさかあのタリサにこんな技能があるとは。そんなタリサ・オン・ステージの傍ら、皆はそれぞれの反応を見せていた。

 

上等な時間の使い方だな、とバル師は笑っていた。あんな屈託の無い笑い顔をするとは。訓練の時とはまるで違う表情というか、あんな顔をするなんてちょっと意外だった。

 

ラーマ隊長も笑っていた。バシバシと俺の肩を叩いて笑っている。なるほど、これが笑い上戸というやつか。

 

ターラー中尉の方を見るが、あきらめろ、と苦笑している。その後は、歌う二人を見ながら静かに飲んでいる。

 

リーサも歌い出す。「海で鍛えたこの喉、とくと見せてやるわー!」と意気込んでいる。相変わらず見た目を裏切るな、この欧州美人は。

 

こっちも普通にうまい。酔っているのか、しまいにはタリサと肩を組んで、歌い出した。サーシャは、一人だけ違う反応を見せていた。じっと、タリサとリーサの方を見ているだけ。それは、まるで眩しいものを無理に見ている時のように。目を細めながら、少し逸らしたりなんかして。

 

どうかしたのか、と聞くと、何でもないと言った。だけど何もないはずがないだろうと、俺はしつこく追求した。そうすると、サーシャはぽつり、ぽつりと語り出す。

 

これは、その時の会話だ。

 

「私ね。昔は、嬉しいとか、悲しいとか、よく分からなかった。だから人付き合いも苦手だった。今も、そう」

 

タリサの方を見ている。

 

「あんな風に、素直に人と接することができない。会ってすぐの人間と、ああして仲良くなれるなんて………羨ましい。でも、あれが普通なのかな?」

 

「それは………」

 

サーシャは、他人に対しての壁が厚いというか。親しみのない人間に対して、過剰に拒絶するようなことはあった。人見知りをするタイプなんだろうと思っていたけど、まさかこんなに思いつめていたとは思わなかった。

 

「思う時があるの。私は場違いなんじゃないか、って。本当はこんな所に居られるような立場じゃないのに………光がいっぱいで、眩しすぎるよ。私が居ることに違和感を覚える時もある。だから、こうも思うの。もしかして………これは夢なんじゃないかって。寝る前に考える事がある。眠って起きれば醒めてしまう、泡のような夢なんじゃないかって」

 

 

見たことがないような、悲しい顔。普通の女の子のようなしゃべり方だった。

まるで小さい雪のように、放っとけばそのまま消えてしまいそうな顔をするサーシャ。

 

寂しいのか、あるいは悲しいのか、それは分からなかった。

けど、無性に居ても立ってもいられなくなった俺は取り敢えずサーシャの手を握った。

 

「………タケル?」

 

「夢じゃない。だって、こうして触れるじゃんか………ってああもう!」

 

難しいことを並び立てるには苦手だ。だから解決策として、俺は取り敢えずサーシャを引き寄せて、抱きしめた。

 

――――寂しい時は、誰かに抱きしめてもらえればいいのだ。俺も、昔やってもらったことがある。俺が、一人で横浜の実家に住んでいたころだ。親父はほぼ一日中、家に帰って来なくて。電気で家中を明るくしても、どこか暗い家の中。無性に泣きたくなって、盛大に泣き出した後だ。

 

隣に居た純奈さんが、何事かと様子を見に来てくれた。そして色々と話すと、ただ抱きしめてくれた。暖かいでしょ、って。実際そうで、効果は絶大で、意味不明の哀しさは薄れて行って。

 

それで俺は泣き止んだんだから、サーシャも泣き止む。

 

抱きしめれば分かる、細い体。こんなに細かったのかと驚きつつも、俺の体温で包む。これで、効果は抜群なはずだ。でも、サーシャの反応は予想の外だった。

 

「ちょ、タケル………!?」

 

なぜか腕の中でもぞもぞと暴れだす。この体勢で見えるのは耳だけだが、それでも耳は真っ赤になっている。歌っているタリサとリーサの顔にも負けないぐらい赤くなっているというのに、効果はないのか。半ば意地になって、更にぎゅっと抱きしめる。すると、胸の所に柔らかい感触が!

 

「んっ、何やら面白いことをやってるな!?」

 

「あーーーー!」

 

「おっとう! 武少年、ひょっとしてBGMを変えた方がいいのかあ!?」

 

リーサ、タリサ、アルフの順番に。アルフはBGMをなにやら怪しいメロディに変えやがった。

 

………って、なんか見られてる気がする。背後から視線の束が。そこでサーシャを抱きしめながら振り向くと、全員がこちらを凝視していた。タリサは何やら怒っている。リーサはうんうんと頷いていた。アルフは変わらず、妙にエロチックなメロディーを奏でている。やめろってバカ。

 

ターラー教官は、怒れるラーマ大尉を押さえていた。バル師は視線で言ってくる。「やれ」と。え、やれって何を? ていうか皆さん、もしかして今までの話を聞いていた?

 

軍人、舐めるんじゃないよってリーサが親指を立てる。ってなんじゃそれは。心底おもしろそうな顔をしている。アタシ不覚にも照れちまったよ、と笑っている。どこから聞いてたんですかあんたら。

 

「お兄さんは嬉しいぞ! ようやく、ようやくか!」

 

アルフの言葉の意味が分からない、何がようやく? あと、誰がお兄さんか。

 

「娘はやらん、やらんぞー!」

 

「静かにして下さい隊長!」

 

おもいっきり酔っているラーマ隊長だが、ターラー教官の制止は振り払えないらしい。しまいには、ターラー教官は暴れるおっさんの首にチョークスリーパーをかけはじめた。この人も酔っているのか。あ、でもターラー教官の着痩せする大きな胸が大尉の後頭部に。教官は俺の視線でそれを察したのか、瞬時に顔を赤くすると、大尉を絞め落とした。やっちまったって顔をしている。

 

「も、いい加減、はなして!」

 

「げふぅ!?」

 

聞いたこと無い口調と共に。サーシャがゼロ距離から放ったボディーブローがみぞおちに入る。たまらずよろけて後ろに下がる。そうして離れると、サーシャの顔が見えた。今まで見たことないように、感情を顕にしている。

 

暴れていたせいか、息も荒い。暑かったせいか、いつもは雪のように白い頬が桃色に染まっていた。

怒ったような顔色で、ふーふー言っているのが、可愛いけど怖い。

 

「あ………その、ごめん?」

 

「え………ううん、別に謝らなくても………」

 

謝ると、表情を変えて一転。サーシャ、今度は急にもじもじしている。

 

そこに、サーシャの背後に隠れていた、小柄な伏兵が飛び出してきた。

 

「ずるい! サーシャにしたなら、今度はアタシにもしろ!」

 

「ちょ、タリサ!?」

 

サーシャの横をすり抜けて、顔を真っ赤にしたタリサが飛びついてくる。そのまま首に手を回して巻き付いてくる。胸のあたりに顔が当たった。うん、固いねまるで板のようだ。そこで、何故か正面から何がしらの罅が入った音がする。ぎゅっと頭にしがみついてくるタリサの身体から顔を横に出し、音の発生源を見る。

 

そこには金髪の夜叉がいた。名前をサーシャ・クズネツォワという。サーシャはそのまま、つかつかと俺の前まで歩くと―――――

 

「はっ!」

 

「きゅっ!?」

 

タリサの両脇腹に、一本指で刺突を繰り出した。たまらずも可愛く呻いて、手を離すタリサ。サーシャといえば、すかさず俺に近づくと、タリサと同じように頭を抱え込んで自分の元に引き寄せる。

 

「ちょ、サーシャ! それ返せよ! 次はアタシの番だから!」

 

「絶対に駄目。これ私のだもの。だから嫌、あげない」

 

「俺は玩具かよ!?」

 

言うが、二人とも聞いちゃいねえ。というか相手との間合いを測りだしたぞ、おい。だけど、そこで仲裁者としても名を馳せているらしいターラー教官の裁定が下された。

 

―――ぶっちゃければ拳骨でした。

 

二人は死角からの一撃を受けると、その場で頭を押さえて痛がり始めた。

 

「白銀………お前は、甲斐性はあるな?」

 

「………え? あの、教官?」

 

なぜか意味のわからない説教が始まった。男は甲斐性とか、鈍感は最低だとか、でも二股はいかんとか。もしかして、これが絡み上戸というものか。ちなみに残る3人は、教官の後ろにいた。

 

何食わぬ顔で、戦術機の格闘機動戦術といった真面目な話をしている。君子危うきに近寄らずといった風に、無関係を貫いている。でもその話題は興味深いなー、ってか助けろよ。特にそこのリーサとアルフの自称腐れ縁コンビ。

 

そうして、犠牲者も多いが、楽しい。混沌とした光景の中で、夜は更けていった。だけど、楽しい夜も終わりがくる。夜遅くに解散して、帰り道を歩かなければならないのだ。

 

俺はといえば、先に用があると帰るみんなをよそに、少しだけ外を見て回ることにした。

 

明日からしばらく。もしかしたら、永遠に。二度と、ここには戻ってこれないかもしれないから、最後に島を見て回りたかったのだ。

 

 

 

「武?」

 

声の方を向くと、浜辺で一人、リーサが佇んでいた。

 

「どうしたんだ、こんな時間に」

 

「いや、ちょっと」

 

経緯を話す。そして、色々な話になった。訓練の甲斐はあったか、とか、ここ最近の前線はどうか、とか。最近、中隊に入った欧州コンビ。

 

通常、凸凸(デコデコ)コンビの事を。

 

「えっと、凸凹(デコボコ) じゃなくて?」

 

「どっちも意地っぱりでとんがってな。凸と凹みたいに、上手い具合にはまりそうもない。だから、凸凸が正しいんだよ」

 

「あー………例えば、サーシャとタリサのような、あれか」

 

訓練学校でも仲が悪かったこと。こういう事があって、と話しながら質問してみた。さっきの喧嘩も含めて。あの二人、実は相性悪いんですかね、と言うが、何故かリーサは頭を抱えていた。

 

「………嫉妬の応酬」

 

「は?」

 

「互いに互いの事が羨ましいのさ。あの二人は、性格も正反対だろう? ………同族嫌悪と無い物ねだりが入り交じってんのさ、きっとね。サーシャはタリサのあの明るい気性と、他人に対してあまり壁のない所が眩しい」

 

一本、右手の一差し指を立てる。それは正しい。サーシャも言っていたことだ。

 

「タリサは………サーシャのいかにも女の子っぽい特徴とか、頭が良い所とかが羨ましい」

 

こんどは左手に一本、小指を立てる。

 

「えっと、それは本当に?」

 

「こっちは無意識だろうけどね。それでもあの子は女の子だよ。だから、ぶつかり合う。右は左が羨ましい、左は右が羨ましい。でも、根本は似ている。だから、どうしようもなく意識するのさ。それでも憎み合ってはいないし、疎ましく思ったりもしていない。どうでもいい人間なら、心底どうでもいいで終わらすさ。はなから関わりすらしないだろう。サーシャは特にそういうところがあるしね」

 

俺も同意する。サーシャがそういう気性なだけで別に良い悪いとかではないのだが。

 

「………まあ、間違いなく"そうなった起因"というか、"核"があるんだけどね。そういうのが起きる事例には」

 

それも、極めて特定できる起因がね、と言うがそれは何なのだろうか。

聞くと、リーサに半眼で睨まれた。

 

「はー………これじゃあ、ねえ。あの子らも報われないってもんだよ」

 

わざとらしく目頭を押さえてため息を吐くと、子供はもう寝な、といって追い返された。

 

帰り道にも考えたが、分からない。ベッドの上で考えても、結論は出なかった。

だから俺は帰って寝る事にした。そういえば、リーサはあそこで何をしていたんだろう。

ひょっとしたら、落ち着いて夜の海を眺めていたかったのかもしれない。漁師の娘だと言っていたし、海には特別な思い入れがあると聞いたことがあるような。いつか、故郷の海に帰りたい。そのために戦っているとか、アルフが言っていたような。

 

その帰り道にタリサと会った。まだ酔いは冷めていないようで、やけにハイテンションだった。ふとリーサの事を思い出し、何気なく戦う理由について聞いてみた。タリサの勝負に対する執着心は並外れている。

 

訓練の時の頑張りも、あの鬼教官のシゴキに耐えられるのも、リーサと同じに何か特別な想いや願いがあるのかも。

 

「あー………まあタケルならいいか。アタシが戦うのは、死んだ姉ちゃんの代わりだ!」

 

「え?」

 

「弟も妹もまだまだ小さいからな! 父さんも母さんもいねーし、あたしが一番上だし! ならあたしが頑張らなきゃどうするんだよ!」

 

タリサは、からからと笑いながら、強がりもせずに言ってのけた。俺はその強い言葉を前にして、一瞬だけ何も言えなくなった。けど、何かタリサらしいな、と笑いかけた。大切なもののために。胸を張って断言するその姿は、いつもより大きく見えた。

 

「凄え、お姉ちゃんしてるんだな。俺には真似できねえ………ほんとスゲえよ」

 

「おーよ、アタシは凄いっての! 今更気づいたか! あ、何ならお前もあたしの胸で泣くか!」

 

「いや、遠慮しとく。それに………胸ちっさいし、クッションないし」

 

「い、い、言ったなコラァ! あ、逃げんなよこらぁ!」

 

そこからは浜辺で追いかけっこになった。捕まって、転んで、見上げた夜空には満点の星があった。どちらともなく黙りこんで。そしてタリサは、呼吸を落ち着かせた後に言った。

 

「あー………死ぬなよ、タケル。アタシが衛士になるまでな」

 

「お前もな、タリサ。つまらない事故で死ぬんじゃねーぞ」

 

「言ってろ。あーあとな」

 

「ん?」

 

「いや………その………察しろ、馬鹿!」

 

言葉に詰まったタリサは、小さい声で言った。

 

―――あとついでに、あの不器用な奴にも死ぬなよって言っといて、と。ぶっきらぼうな応援は、何となくタリサらしいなと思った。

 

 

思い出深い夜は、そうして終わった。

 

 

 

 

 

 

6月30日

 

北アンダマンへ向かうバスの前、俺はタリサとバル師へ別れを告げた。他のみんなは次の異動場所で同じになるから、しばらく会えなくなるのはこの二人だけだ。

 

「じゃあ、タリサも元気で。また会おうな」

 

「ああ、アタシが衛士になるまで死ぬんじゃねーぞ! ………一応だけど、そこの金髪もな」

 

「昨日聞いたって」

 

「あたしが覚えてなかったら意味ないだろ! 絶対にだぞ、約束だかんな!」

 

おまけ、といった感じで、サーシャにも別れの挨拶をする。

 

「死ぬなよ根暗。お前みたいな奴でも、死なれると寝覚めがわりーからな」

 

「ありがとう、そっくりそのまま返す。チビちゃんも、どうか元気でね?」

 

微笑みながら、握手する。いつのまにか額に青筋が浮いているし、握力での勝負になっているが。

俺はそんな様子の二人にも慣れたから、ほっといて師匠へ挨拶する。憎み合っていないなら、別にいいし。

 

「バル師匠、お元気で。教えられたこと、絶対に無駄にはしません」

 

「ああ。辛い時には、あの訓練を思い出せ」

 

「はい」

 

「それでいい。クラッカー中隊の活躍、楽しみにしている」

 

知ってるんですか、と聞くと師匠は笑顔で言ってくれた。

 

「まあな。一部だが、撤退戦の噂はここまで届いてるぞ、天才少年衛士くん」

 

俺も冗談の類だと思ってたんだがな、と苦笑する。

 

「………やめてくださいよ」

 

仲間も死なせ、戦線ももちこたえられず負けたのだ。本当の天才ならばどうにかしていると思う。

 

「何となく、お前が今考えてる事は分かるけどな。でも、胸を張っていいぞ。こういう事、俺だけに言われたわけじゃないんだろ?」

 

「それは………はい、何人かには」

 

「素直な賞賛だよ。他人の評価も素直に受け取っておけ。賞賛には理由がある。増長せずに、それを誇れ。そして次を見続けろ。それが衛士としての気構えってやつだ」

 

そこで俺は思い出した。ハイヴに突入して、死んでいったエース部隊。あの人達も、賞賛を素直に受け取って、自信満々にして。周囲の衛士達の士気を高めていたのだ。

 

「それに、お前は 突撃前衛(“ストーム”バンガード) だろう。ならば暴風らしく立ち止まるな。仲間の前に立ち迷いなくBETAを屠る、頼もしき暴風として在れ」

 

――――そして仲間に誇られるような、偉大なる風に。師匠はそういいながら、最後の教えだと、笑った。

 

厳しかった師匠の、優しい表情と言葉。俺は思わず泣きそうになるが、意地でも泣くもんかと歯をくいしばった。耐え切って。顔を上げ、師匠の目を真っ直ぐに見返して敬礼をする。

 

「了解です! バル・クリッシュナ・シュレスタ大尉殿。今まで本当にありがとうございました………師の教えは、死んでも忘れません」

 

敬礼する。そこに、タリサと喧嘩をしていたサーシャも、やってくる。互いに敬礼をする。師匠は敬礼を返しながら、告げた。

 

「またあおう、白銀武少尉。そして、サーシャ・クズネツォワ少尉。武運を祈る」

 

「「はい!」」

 

そして――――時間だ。俺はバスに乗り込む前に、タリサの前に立った。

衛士に成るのに、最短で2年。学校の教官はそういっていた。ならば、言うことはこうだろう。

 

「次は2年後に、戦場でな」

 

「ああ、絶対に!」

 

教えた隊の合図を最後に、俺たちはバスへと乗りこんだ。運転手の人にバスを出してもらう。

 

走り出すバス。開いた窓から後ろを見ると、タリサが大きく手を振っていた。

俺も振り返す。サーシャも、同じだ。姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

 

そして豆粒だったタリサの姿が、とうとう見えなくなった後。窓を閉めると、サーシャと視線があう。

 

「2年後まで、絶対に死ねねーな?」

 

「………そうね」

 

俺の言葉に、サーシャがすぐに答えた。顔を見ると、サーシャはどこか寂しげな表情を浮かべていた。その表情に、俺はリーサの言っていたことは正しかったんだと分かった。

 

思わず、苦笑してしまう。最後まで喧嘩していたけど―――――本当は仲いいんじゃないか。

 

素直じゃないなと言うと、頭を殴られたけど。

 

しばらくして、震動がきつくなってきた。窓の外に見える光景は、相変わらずの青。空と海が、澄み切った青色に染まっている。開いた窓から、潮風が舞い込んだ。これから、この地で戦うのだ。

 

そう思うと、胸中から湧き出てくる何かがあった。

 

(――――生き残ろう)

 

戦って、そして生き残ろう。恐れず、揺るがず、BETAを滅ぼす矛になろう。人類を守る、盾になろう。

 

現実の戦場に蔓延している死、そして絶望に塗れている物語は知っている。だけど、訓練生に聞かせた嘘話を、真の話にしたいと思ったのだ。

 

だから語ったのは、夢物語のような、荒唐無稽な物語。聞かされれば、誰もが苦笑して否定するような。だけどきっと、誰しもが心の底で願い、望んでいる明るい未来。

 

大切な人を失いたくないから。なけなしの光を胸に、走って戦って勝利するおはなし。

 

「名前をつけるなら――――"あいとゆうきのおとぎばなし"ってところかな」

 

俺はそのおはなしに出てくる誇り高い衛士のように、みんなを守れる英雄《ヒーロー》になってやる。あの夕焼け空に散った、衛士達の誇りを汚さないために。

 

 

この海に囲まれた島の人達、出会った人達に誇れるように。

 

 

大きな空の下で、戦い抜くことを誓った。

 

 


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