Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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a話 : A Day In The Life 【Ⅰ】

――――これは、白銀武の記録。

 

 

当時、訓練学校での記憶を、描写付きで抽出したものである。

 

 

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3月5日

 

二日目。ようやく本格的な訓練が始まった。タリサに殴られた頭が痛いし、サーシャに極められた関節が痛いが。結局、二人からは怒った理由は聞き出せなかった。聞いたけど、話してくれなかったのだ。なぜだろうか。ともあれ、訓練兵と一緒に本格的な訓練が始まった。午前中はランニングから始まる基礎訓練。思ったより距離が長い。俺のような正規の訓練を受けたことのない奴らはそれだけでへばっていた。まあ、この年齢の子供に受けさせるにはきつい内容だったから仕方ないか。見たところ、一緒に訓練を受けている奴らは学校に入りたての奴らばっかりだ。聞けば、下級と呼ばれる組なのだとか。その名が表す通り、この訓練班の年齢は、一番上で12才ぐらいだった。

タリサがそれに該当する。とてもそうは見えないが、書類で見せられては納得せざるをえまい。というかあれで俺より年上とかないわー。下は10にも満たない子供がいる。それでも上から下まで、全員が必死に訓練に取り組んでいた。普通の10才前後の子供ならば耳を疑うような距離を『走れ』とだけ言ってくるけど、それでも文句を言わずに淡々と走っていた。これぐらい何でもないからだろうか。まあ、ターラー教官から受けたあの地獄の訓練には遠くおよばないのは確かだけれど。

きつい訓練だけど、辛い訓練ではないのだ。なんていったって、ゴールが見えているのだから。

どれだけ走ればいいのか"わざわざ"教えてくれるとは、ありがたい事この上ない。

ターラー教官は、どれだけ走れとは言わない。"死ぬまで走れ、走れなければ死ね"の精神だった。だからこっちも死ぬ気になって頑張るしかなかったのだ。それに比べれば、体力的にも、精神的にも楽なのである。それを踏まえても、随分と楽な訓練だ。"訓練=吐くもの"と認識していたが、その認識は間違っていたのだろうか。軽いカルチャーショックを受けている自分がいる。

 

夜、同室のサーシャから聞いたことが、

「タケルが受けたターラー中尉の訓練の意図は、この学校のそれとは全く違うから。きっと中尉は、いつ召集されても構わないように、って。子供たちを、最悪でも"生還させる"と。それを目的としたものだから。まとめると――――1、極限状況においての"粘り"を身につけさせるため。流されて殺されないよう、生への執着を植えつけさせる。2、厳しい訓練を乗り越える事により、一つの兵士としての自信を付けさせるため。戦場での自失の可能性を減らすため。いわば民間人から兵士に変える、その最終段階の訓練を常時受けさせていたのだと思う。もう一つ加えるなら、速成訓練に耐えうる人員の見極めの役割も兼ねていた。うん、一石三鳥の良い訓練だね」

 

以上が、ターラー教官の考えていたこと。その推測らしい。うん、だから嘔吐が日常になるぐらい、厳しいものだったんだねー。遠い目をしてつぶやくと、サーシャは労ってくれた。まああの中尉の訓練の厳しさは、サーシャも知っているからな。あの訓練に比べれば、そうだな。確かにここの訓練内容は楽と言える。それでも、ターラー教官が正しかったのだ。今更になってあの人が偉大だってことが理解できた。実際現実、生きるか死ぬかの実戦を経験した俺だから分かるのだ。もしも訓練内容が年齢に合わせた軽いものならば、間違いなく。俺はきっと、初陣で死んでいただろうから。

 

それにしても、ターラー教官はスゴイ。もしかしての状況を見越して対処して、それが完全に上手くいったというのだから、本当にスゴイ。

 

訓練の内容を聞いただけで、意図を理解するサーシャもスゴイが。で、「頭良いなサーシャ」と言ったらグーで殴られた。理由を聞いたら、「武に頭良いとか言われると、馬鹿にされてるように聞こえる」らしい。本気でひでえ。昨日のこと、まだ怒ってるのか。言うが、答えてくれなかった。ともあれ今の訓練は――――サーシャの言葉ほどではなくても――――病み上がりの俺には、それなりにきついものだった。リハビリの時のような、生温いものではない。それでも、息を切らすほどの苦難を前にして。俺は、ようやく自分の居場所ってものに帰ってこれたような気がした。

午後からは近接格闘の訓練。そこで俺は驚くものを見た。同室のタリサだ。自分より体格が二回りは上の奴を、一捻りにしていた。瞬発力と反射神経の違いだろう。両者の差はまるで大人と子供のそれだ。動体視力も並外れている。反応し、見極め、神経に反射し、踏み込み、一撃をお見舞いする。いかに体格が良い人間でも弱点は存在する。屈強な成人男性でも、急所に"いい"一撃を受ければひとたまりもないのだ。それにしても、タリサはやるものだ。一連の行動を危なげなくやってのけるとは思わなかった。技量や胆力、度胸はそこいらの子供とは2つ頭分ぐらい違うかも。いや、図抜けているといってもいいかもしれない。

そういえば、グルカ兵の卵って言ってたっけ、ってあの時も思ったけどグルカ兵ってなんだ。食べられるのか。分からんので、あとでサーシャにでも聞いてみるか。一方で、俺の相手は普通の子供だった。時間かける相手でもないので、短時間でさくっと倒した。それなりに強い相手だと聞いたが、リーサを思えば比べ物にならない程に弱い。

この相手を、例えば闘士級と例えよう。戦術機ならば難なくプチっと踏み潰す小型のやつとすれば、リーサとターラー教官は、あー………………だめだな。リーサには勝てたことないから、うまく言い表せない。闘士級から要塞級まで、ひと通りのBETAはインド亜大陸で殺した事がある。未だ殺していない奴がいるすればなんだろうか。

えっと、たとえるなら――――ハイヴ? って本人に聞かれると笑顔でぐりぐりされちまう。二人の前では口が裂けても言えないな、これ。

ターラー教官はオリジナルハイヴだろうきっと。問答無用の難攻不落。でも、いつか勝つべき相手だ。タリサは俺の模擬戦を見ていたのか、しきりに「あたしとやろうぜ!」と言っていた。直後に教官に拳骨を受けていたが。規律も学ばさないといけないからなあ。でも元気な奴は嫌いじゃない。俺としても、張り合える相手が欲しかった所だ。そう、ターラー教官はつねづね言っていた。苦しくなければ訓練にはならないと。辛くないと人は成長しないと。つまりは、簡単に勝てる相手では訓練にならないのだ。見たところ、タリサとの模擬戦は一週間後ぐらいになるんじゃなかろうか。病み上がりの俺のことを気遣ったんだろう。病み上がりで、怪我をしてもらっても困るといった所だろうか。仕方ないといえば仕方ないな。

以上で、一日目が終わった。タリサ以外の訓練兵は、暗い顔をしているか、おどおどしているだけだった。訓練が終わると元に戻ったように見えるが、どこか歪なものを感じる。日本の同年代のやつらとは、圧倒的に違う。だけど、今の俺にはどうすることもできない。俺だって親父や、鑑の一家。純夏が殺されたら、復讐するだろうし。

 

それに、何も分からないままこんなきつい訓練を受けさせられたら、まともでなんかいられない。

と、そこで大事なことを思い出した。

 

純夏だ! 日本へ、手紙を返していない!

 

急いで返さなきゃ、あいつ勘違いして泣いてるんじゃないか。絶対、明日中には、絶対に書いて出す。それは明日にすることにして。訓練兵達を見ての感想。精神はともあれ、実力的にはここの訓練兵にはまず負けないだろうということ。

 

俺は、このキャンプの訓練兵未満の中でいえば、

体力:上の上

近接格闘:上の上

射撃:中の上

座学:上の中

といったところだ。実銃は撃ち慣れていないせいか、命中率が低かった。座学は問題ない。親父殿の集中講座が効いているのだろう、分からない所はあまりなかった。ターラー教官からは出立前、『今持っている技術は更に。不足している所は全て埋めていけ』と言われた。それこそが目的だとも。確かに、穴など無いほうがいい。射撃を含めた、全ての項目で一番をとれるように頑張ろうか。体力もつける。欠点のない、一人前の軍人になるんだ。だからしばらくは早く寝て、明日に備えよう。体力が元通りになるまでは、余裕もないし。

同室の面々も、悪くない。サーシャはもう家族に近い感じだし、タリサも見ていて面白いやつだ。二人の仲は、なぜかとても悪いが。もう一人はおどおどとした少年。名前をラムという。ネパール人らしい。なんていうか、普通の少年だ。家族はキャンプの方に居るらしい。タリサに常日頃いじられていたという。まあ、この3人なら特に気を張る必要もないか。今は取り戻すのを優先する。月並みな台詞だけど、頑張るしかない。先に逝った戦友たちに、笑われないように。

 

 

 

3月12日

 

一週間ごしにようやく、体力もインドで戦っていた頃に戻ってきた。筋力はまだあの時に達していないが、それ以外はぼちぼちと。そうして、満を持してのタリサとの模擬戦が始まった。形式は一対一。10本先取、ということで提案すると、教官は承諾してくれた。他の訓練兵にも見せた方がいいという、サーシャの提案だ。このほうが効果が出るとも言っていた。なるほど、練度の高い者の戦いを見せるためか。教官もそれを察したのだろう。タリサも、今は卵だが、その技量は並ではない。以前に聞いたグルカ兵の詳細から、タリサも普通ではない素質を持っていることが分かる。

 

グルカ兵――――ネパールの山岳民族出身者で構成される戦闘集団。主に山岳民族で構成されている。

 

例外として、グルカ兵と呼ばれる彼らが素質を持っている別部族の子供を見出し、鍛えることもあるらしい。精兵で知られる彼らは、白兵戦限定だが世界屈指とも言われている。イギリスに多くのグルカ兵が派遣されていて、そこでもかなりの戦果を上げているとか。彼らは、一人前の証として、グルカナイフ、ククリとも呼ばれる、刀身が内側に曲がっている独特の短刀を渡される。それを持っていない今のタリサは卵の段階ということだ。

だが、それでもタリサは強かった。年上で、グルカの教えがあるからだろうか、他の訓練兵に比べると、段違いに良い動きをしてくる。反射神経や勘も鋭く、付け入る隙が少ない。侮ってかかれる相手じゃない。

 

それでまあ――――結果だけ言えば、俺が勝った。からくも、という言葉が頭につく程の接戦になったが。精兵の卵とはいえ、衛士となった俺より上ではない。負けるわけにもいかない、とも言うが。それだけの苦境は越えてきたという自負があった。プライドともいう。血ぃ見てない卵に負ける衛士なんて笑いものにされるだけだから。

勝てた理由は多く在る。タリサにも欠点があったのだ。技量は高いが、実戦を経験したことがないからか、緊張感が圧倒的に足りない。

 

"模擬戦といえど、戦う時には実戦のつもりでやれ"。ターラー教官に、徹底的に叩きこまれたことだ。負ければ死ぬと思え、と。そうして、実戦をしっている俺と。人の死の中で戦ってきた俺と、全く知らないタリサ。どうしたって、動かそうとする自分自身の意識の質に違いが出てくるのは当たり前だ。特に、動作を終えた後の隙が大きかった。ならば防御に徹すればいい。そうして、攻撃の後にできた隙につけ込んだ。

そのまま、どんどんと勝ち星を増やしていった。だから9本目までは余裕だったのだ。苦戦したのは、最後の一戦だけ。

                                             全敗してなるものかとくらいついてくるタリサ。鬼気迫るそれを前に、「やるな、少年(ボーイ)」と言った後だった。タリサの顔がものすごい勢いで真っ赤になったのだ。はて怒ったのだろうか、といっている暇もなかった。

 

物騒な空気。というか、殺気のようなものまでが出てくるしまつ。感情のまま振るわれる攻撃は、しかし早かった。リズムは単調になったが、単純な速度は倍になったのではなかろうか。なにより、執拗に急所を狙ってくるのが怖い。

「金的はよせ金的は! お前も男なら知っているだろうあの痛みは!」と言ったが、攻撃の激しさが三倍になった。なにゆえ。

必死に攻撃を捌き、隙をついた投げが見事に決まったので何とか勝てた。周囲からは歓声が上がっていた。色々とばんばん頭とか身体を叩かれた。

しかし、タリサは何故怒ったのだろうか。聞くが、涙目で走り去っていった。例え様のない罪悪感が胸を襲う。サーシャに事の仔細を話すと、キャメルクラッチをきめられた。痛かった。

 

 

 

3月13日

 

昨日の俺を殺してやりたい。衝撃の事実。なんとタリサ少年、実は女の子だったのだ! ……っていうとなんか変な意味に聞こえるなコレ。まあ、女なのに少年言われたら怒るよなあ。頷いていると、サーシャからはアホの子を見るような眼で見られた。

 

事実を知った時のこともあるのだろう。

その時のことを、ぶっちゃけよう。着替えの最中だった。ノックを忘れていた。その挙句だ。

 

――――"ついて"なかった。あと申し訳程度に胸のふくらみが。

 

その後はまあ、盛大にボコられた。まず一緒にいたサーシャ――――服を着ていた――――には、蟹挟みからの膝関節を極められた。コマンドサンボ恐るべし。というかなぜにサーシャが怒ってるんだよ。そんなツッコミを入れる暇なく、苦しんでいる俺に服を着たタリサが拳でラッシュ。ちょう痛かった。

 

つか、お前ら仲悪いんじゃなかったのかよ。あ、やめて睨まないで。ほら、ラム君が部屋の隅で怯えているじゃないか。といった抗弁は暴力にて鏖殺された。俺はひと通り殴られた後、タリサに土下座して謝罪した。泣かせたのもあるから、本気の謝罪を見せた。

もしも、この一件がターラー教官に知られると………うん、謝って許してもらうしかないのだ。

あの拳骨は痛いのだ。ずびずばんという効果音が出るぐらいなのだ。もうほんとに勘弁なのだ。

 

タリサからは「許してやるから、アタシの家来になれ」と頭を踏まれた。後でサーシャに聞くと、その時のタリサの頬は染まっていたらしいが、なにゆえ。

 

で、サーシャがちょっとまったコール。同時に両手で突き押し。横隔膜を的確にとらえた一撃に、タリサが咳き込んで。何故か、サーシャとタリサの乱闘が始まってしまった。関節技と打撃技の応酬は熾烈を極め、ラム君が巻き添えになっていた。ああ合掌。

 

結果は当然として、サーシャの圧勝だった。タリサよ。俺でさえ勝てないのに、この銀狼少女にお前が勝てるはず無かろうよ。今は金髪だけど。それは置いといて、そろそろ自主訓練を始めた方がよさそうだ。日中の訓練だけでは足りない。とても辛いとは言えないし思えないのだ。戦場に戻ろうというのなら。今のままじゃ絶対にまずい。生ぬるい訓練に、身を浸すわけにはいかないのだ。

 

 

 

3月20日

 

夜の自主マラソンをはじめて、一週間後。ここにきて初めての、サーシャとのマラソン勝負だ。

勝負する余裕があるぐらいには、回復していた。それでも、また負けてしまった。おのれガッデム。まあ、サーシャもあの頃より体力が増しているから仕方ないのかもしれない。

 

―――と、言って諦めるほど俺は腑抜けではない。

 

明日にでも勝つと、それぐらいの気概でやってやる、事実、体力はインドに居た頃より上昇している。もう二度と、へばった挙句の無様は晒さない。今まで以上に重要視するべきものだ。実戦というものが、どれだけ身体をすり減らす行為なのか理解したから。それにしても、身体が回復するのが速い。もしかしたらだが、この青空のせいかも知れない。この島の空は、大陸の内地で戦っていた時に見た、何処かくすんだ青ではない。晴れ晴れとした青空だ。透き通るような、混じりっけ無い、問答無用の青一面。戦闘により立ち上る砂埃も少なく、香しい潮の風も漂っている。あのくすんだ夕焼け空もよかったけど、この島の空も結構好きだ。

夕焼けはたまに泣きそうになる。敗戦後だし、このくらいの青空がちょうどいいのかもしれない。

 

――――背後で地面に突っ伏してぜーはー言っているタリサはどうしたものか、と困ってもいたが。

 

 

 

3月25日

 

上級の訓練兵にからまれた。どこかで見た顔だと思ったら、あれだ。ターラー教官の「ドキ★ドキ・地獄訓練~はーとがギュン!~」に脱落した、元衛士訓練兵諸君だ。命名の由来は察して欲しい。

で、泰村達とは違う脱落者の人達は、俺が衛士になったことを知っているらしい。恐らくはインド撤退戦で生き残った兵士達の、噂話から推測したのか。まあ、脱落しなかった者の中に泰村達が戻って。その中に、俺の姿がなかったら気づくよなあ。

サーシャが何事かと駆け寄ってきた。あと、タリサも。

で、訓練兵の一人がいらんことを言った結果、実戦経験があることがタリサにばれてしまった。

嘘をついてたのか、とむくれるタリサ。余計なことを、と吹雪を思わせる視線と言葉で、脱落者達を責めるサーシャ。

どうにも収拾がつかなくなった所に、学校の教官が駆け寄ってきて、場はひとまずの収まりを見せた。その夜、色々と事情を説明させられた。「言いふらさないでくれ」と前置いて、タリサと、ラム君に説明する。色々と聞いてくるタリサ。

 

サーシャは早々に切り上げようとしていたが、全部答えることにした。タリサには、前にしでかしてしまったこともあるし。そのせいか、その夜は寝不足だった。

 

ラム君も熱心に聞いていた。目がキラキラしていたのは、なんか物語でも聞いてた気分になったからだろうか。

 

 

 

 

 

3月26日

 

俺とサーシャの経歴が学校内に広まっていた。あいつらの仕業だろう。

戦場上がりの兵士は怖がられると聞く。一般の人達からみて、実戦を経験した軍人とはそういうものだと聞いたし。しかし、同じ下級の訓練兵の眼差しは、恐怖ではなく嫉妬に染まっていた。

 

BETA相手に、命を賭けての殺し合い。そんな経験をした者を、人を殺せる能力を持っている人間を、怖がるのではなく羨ましいものとして見る。スティーヴ軍曹が言うように、これがこいつらの"歪"というものなのだろう。見た目に暗いものではない、本質的な歪み。実体験を経て、俺はようやく理解した。まだまだ未熟な俺にできることなんて無いのだけれど。

 

 

 

3月27日

 

恒例の朝の勝負は、また俺の負けだった。ちくしょう。でも差は確実に狭まりつつある。次は勝つ、とお日様に誓った。その朝、キャンプの教官から俺たちに知らせが。何でも、現役の衛士が数ヶ月に渡り、訓練を見てくれるらしい。このクソ忙しい時期に教官職に就かされるとか、どんな衛士だ。実は「実力不足の衛士が初心にかえるため」とか、「実は無能の衛士が左遷されて」とか色々と。上級の訓練兵も集まっている部屋の中サーシャと予想しあったけど結論は出ないまま、入り口のドアが開いた。

 

噂の教官は―――長身に冷徹な美貌。吊り目な瞳は綺麗な茶色。視線だけで人を圧倒する威圧感。内側はタコだらけだろうが、外側に見えるは綺麗な手、のはずだがなぜか蘇る訓練時代のトラウマ。

 

つまりはターラー教官だった。オーノー。マイガッ。

 

というかまた教官職ですか。え、何、訓練生の熱烈な要望があったと?

………してないしてない。絶対してない。ほら、脱落組の連中の顔色が青くなってるよ。あ、一人倒れた。きっと、あの地獄を思い出したのだろうね、うん。でも君たちが去った後、更に辛くなったからね、あれ。それでも気持ちは分かるぜ痛いほど、と元脱落組に向けてサムズアップしたいが、ターラー教官に見つかれば"何をふざけている"と親指を握られ、折られそうなのでやめておく。

 

あと、サーシャとアイコンタクトで先ほどの会議について話し合った。会議時間は一瞬。先ほどの会話は永久封印する事になった。何故って、教官に聞かれれば俺達はあの夜空に浮かんでいるお星様になってしまうから。

 

 

 

3月28日

 

昨日のサーシャとの会話の内容―――新しい教官について予想していた話を、訓練兵の誰かに聞かれていたらしい。

 

で、そいつが密告(チク)ったらしい。夜のマラソンに、とグラウンドに出ると、ターラー教官が現れました。いい笑顔で『走れ』とおっしゃる。うん、笑顔の意味を意訳しよう。

 

――――『死ぬまで走るか、今此処で死ぬかどちらを選ぶ?』に違いあるまい。

 

理解した俺と、道連れにと呼んできたサーシャは、走る事を選んだ。サーシャも、ちょうど何事かの一区切りがついたらしいし、逃げ場はなかった。

恨めしそうな顔をするなよ、戦友。さあ一緒に走るのだ。あの、綺麗なお星様になる前に。

久しぶりに足腰がガクガクになる程走った。それでも、浮かんできたのは忌避感ではない、不思議な満足感があった。やはり教官の威圧感を受けながら、というのはいい。そう言うとサーシャからは変な目でみられたが、どうしてだろうか。

 

 

3月29日

 

俺たち下級の訓練兵の、日中の訓練はターラー教官に任されることになった。

今までの教官は、新しく入ってきた別の訓練兵を担当することになったのだとか。

ターラー教官からは「下の者に教えてやれ。お前が、私やリーサ達からされたように。それも軍人の義務だ」と言われた。教えることで、お前の理解も深まると。渋っていたが、納得させられた。「いつか仲間になる者たちの技量を上げるためだ」と言われて。確かに、衛士は一人だけじゃ戦えない。

頷くと、総当たりの模擬戦が始められた。相手の訓練兵も最初は渋っていたが、挑発をするとすぐにかかってきた。

 

―――感情をむき出しにして。取っ組み合って。最後には、どっちもムキになって。応援する声も、力が入ったものになって。

 

全員の感情が顕になっていたように思う。でも普段のあれよりは、この顔の方が良いと、そう思えた。他の訓練兵に受けさせる内容は、今までより少しきついぐらい。流石に、あの訓練をこんな子供たちに受けさせるわけにはいかないか。そう納得していると、ターラー教官は複雑そうな顔でこちらを見ていた。

 

 

4月6日

 

純夏に手紙を出して、一ヶ月。こちらの宛先も書いたのに、手紙が返ってこない。純奈母さんや、夏彦さんからも来ない。もしかしたら、何かあったのかもしれない。

でも、今は平和の日本で、一家まるごと連絡が取れないようなことが起こりうるのか。いや、交通事故ならありえる。俺は親父に連絡を取ることにした。確認しなければ。

 

 

 

4月7日

 

手紙が届かなかった、その原因が分かった。俺の単純なミスだった。郵便番号を間違えていたのだ。戦時のゴタゴタもあり、間違った手紙も、俺の元に返還されなかったらしい。とはいえ、何故に番号を間違った? 正しい郵便番号と、俺が書いた郵便番号。下四桁が、全然違うのだ。インドにいた頃は何度も書いたはずだ。激戦になると物理的、精神的に出せなくなった。

 

でも、それまでは頻繁に出していた。覚えているはずだ。なのに、なんで間違えた?

サーシャに聞いた所「夢か何かで見た番号が正しいと思い込んでいたのでは」と言われた。

 

………そうかもしれない。さておき、純夏宛の手紙を出し直さなければ。

 

 

 

 

4月15日

 

タリサも、夜の訓練に混じることになった。何度やっても俺に勝てないことに気づき、今のままじゃまずいと思ったらしい。サーシャに負けているのも、悔しいらしい。まあ、見た目に反して凶悪な性能持ってるしな、あいつは。ターラー教官は最初、断った。子供訓練兵にとっては"どぎつい"訓練を、この子に受けさせるべきではないと。だが、タリサがグルカ兵の卵と知って。あとは、その熱意に負けたらしい。許可するが、無理ならば言え、とだけ告げた。

 

………タリサはそんなこと言われて、音を上げるような奴じゃないと思うんだけど。

 

ともあれ、また仲間(みちづれ) が一人できたのだった。

 

 

 

4月16日

 

タリサの顔がげっそりほっそりとなっていた。「あの教官は鬼すぎる」と言っているが何を今更。そこは俺と泰村達が一年前に通った道だよ、タリサ君。あ、"さん"か。どうにも同性のダチとして扱ってしまうな。日中の訓練でも、タリサは辛そうだった。昨日の疲労が完全に抜けていないのだろう。だけどこいつは、やめるなんて言い出さないだろう。愚痴はあれど、辛いから出来ないなんてこと、言えるような奴じゃない。

 

出会って一ヶ月程度と短いが、それでもこのタリサ・マナンダルがどんな奴かは大体分かっていた。負けず嫌いで、意地っ張り。ムキになったら、一直線。だけど感情的なだけでは終わらない。グルカ兵の卵として選ばれた理由が分かったような気がした。12才にして、兵士としてプライドのようなものを持っている奴なのだ。そういえば泰村達は、あいつらは衛士になれたのだろうか。訓練を越え、任官を。一人前の自負をもつ軍人に。

一度だけでも話してみたいけど、どこにいるのか。電話でもいいから、とターラー教官に言うが、「難しいな」とだけ返された。何か、事情があるのだろうか。

 

で、その夜にめげずに顔を出したタリサを見て、俺は笑った。バカにしているのではない。嬉しかったのだ。一生懸命なやつは、嫌いじゃない。耐えてやる、負けないと、歯を食いしばりながら意地を張る奴は大好きだ。ターラー教官も同じなのだろう。笑いながら一言「根性があるな、気に入った」と言った。余程気に入ったのだろう、あまり見たことのない、心底嬉しいって顔だった。まるで娘を見るような。

 

――――でも、来週までタリサは生きていられるかなぁ。あの笑みはまた別の意味もあるのだけれど。

 

 

 

4月18日

 

明日、タリサの師匠のグルカ兵の人が帰ってくると聞いた。名前は"バル・クリッシュナ・シュレスタ"と言うらしい。昨日までは、東南アジアにある衛士訓練学校で臨時の講師を務めていた、とか。相手先の軍人さんの熱意に負け、二ヶ月だけ、という期間限定でグルカの技を教えていたらしい。タリサは基礎訓練を受ける時期だから、とその間だけ自主訓練を命じていたのだとか。口うるさい爺だよ、とか言っているが、嬉しいらしい。顔に出ているし、本当に分かりやすい奴。まるで純夏みたいで、面白い。サーシャに同意を求めるが、「え、分かりやすい奴ナンバーワンのタケルが言うの」って言われた。言葉ではなく、顔で。

 

………こいつも、酷いこと考えてる時は分かりやすいなー。

 

 

 

 

 

4月19日

 

午後の訓練で、タリサの師匠と格闘戦をすることになった。あまりにも唐突で俺には訳が分からなかったが、そう言うことらしい。いやどういうことでしょうか。突っ込むけど、ターラー教官は聞いちゃいなかった。目の前に立つ壮年の衛士を見る。実戦を戦い抜き、この年まで研鑽を積んだ、白兵戦のスペシャリスト。こちらはナイフありで、向こうは無し。どう考えても俺に有利な条件だけど。まあ年寄りだから手加減してくれよ、と言うけど正直に言えばほんと冗談じゃない。

 

明らかに、最強。今まで模擬戦などで立ち会ってきた強者は多い。ターラー教官を筆頭に、リーサ、アルフレード。それでも、これほどまでに"怖い"と思ったことはなかった。その不可視の威圧感、見ているだけで泣きそうになるぐらいだった。だけれども、ここで泣いては突撃前衛の名折れ。ああ、ここは戦場だ。泣くなと踏みとどまる。負ければ死、無慈悲の鉄火場で泣いてしまうような無様な姿、あの世の仲間に見せられるもんか。きっと盛大に笑われる。

 

そう考えた瞬間、意識が切り替わるのを感じた。

 

つまりは、BETAを相手にするつもりでやればいいのだ。そこで想定した相手は、BETAの小型種。

こっちは生身だ、どう考えても負けるだろう。だけどBETAを前にして諦める衛士はいない。

 

そうして、戦闘が始まった。開始の号令はない。敵とされている者同士が立ち会う、その瞬間に始まっているのだ。まずは、ナイフを抜いた。

 

で、かなり笑えた。どうしようもないなこれ、と変な感情が溢れる。どう仕掛けても崩せる気がしないのだった。浮かぶのは負けた後の自分の姿だけ。

 

この感覚は訓練はじめの頃の、あの二人に抱いたものに似ている。

絶対的力量差による格の違い。相手をBETAと想定しているからか、怖さも感じる。

そのまま一歩下がりそうになるが、それも冗談ではない。

 

―――後退はしない。進むと、そう誓ったのだから。

 

だから屈み込み、真っ正面から突っ込んでいった。自分の出せる最高速度で踏みだし、力一杯、最高速度で一直線。弱気な自分をたたき起こす、無謀とも言える突進。最短距離を、ナイフで貫こうとする。小細工なしの正面勝負だ。だが体重がのったナイフはいとも簡単に軌道をそらされ、次の瞬間は青空が見えた。

 

背中に衝撃。

俺は何とか反射的に受け身を取れた。それでもダメージはあるが、即座に相手から距離を取る。

 

自然と笑みを浮かべていた。渾身の一撃を、逸らされ、掴まれ、投げられる。一連の動作を瞬時に淀みなく、正確にやってのける相手の技量に感嘆して。この機会を与えてくれた教官に感謝しよう。達人ともいえる衛士と立ち会える。それは、上を知ると言うことだ。

 

俺はあの二人が上限だと思っていた。だがこの相手はそれを確実に上回る。俺には想像もつかないほどの技量を秘めているのだろう。強い相手との戦闘は、貴重な経験となる。俺は実体験でそれを知っていた。あの二人に鍛えられた日々は、俺の中に残っている。衛士としてはトップクラスの能力を持つ、リーサ、ターラー教官との訓練の経験は、確実に俺を上に押し上げていた。

 

息を整え、集中する。勝てないまでも、勝つ。勝つつもりでやる。負けから学ぶ事は多いというが、それよりも俺は勝ちたい。戦場だから、敗北を前提に戦うなんて敗北主義者のような真似はしない。

 

それに、試してみたい。どんな技で俺の攻撃を捌くのか。一種芸術ともいえる、その技を体験してみたい。また踏み込み、虚実を混ぜた動きでナイフを振るう。手先を狙った払いは手を引く事で避けられ。

 

突きは、手のひらでその軌道を横に逸らされる。虚動、フェイントの動作にはぴくりとも反応してくれない。

 

"実"に至る動作―――当てるつもりで放った一撃のみが見ぬかれ、軽く対処されてしまう。

 

一体どういう技量をしているのだろうか。相手の力の差が見えないなんて、初めてのことだ。

勝つビジョンが全く浮かばない。それほどに技量がかけ離れているのだろうということは、容易に察することができる。あるいはBETAよりも厄介な。勝てる可能性などない、強敵を前に。

 

それでも、俺は再度、突進した。脳裏に浮かぶ、ハリーシュの笑顔。それを壊さないために。

間合いを見極め、自分の届く距離になると同時、ナイフを横に払う。が、後ろに避けられ当たらない。だが、それは想定済み。俺は横薙ぎによって生まれた遠心力の勢いそのままに、回し蹴りをはなった。しかしその蹴りは、ただ一歩、前に踏み込まれる事でその威力を殺された。蹴りなんて、体重がのったつま先付近にあたらなければ意味がない。避けられればそのまま後ろ回し蹴りにつなげようとしていたが、こんな対処をされては、何もできない。で、直後、蹴り足の反対側である軸脚を足で掬われると同時、顎に衝撃を感じた。

 

瞬間、真っ白になる意識。だけど俺は気合を入れて気絶しないよう耐える。

 

何か、相手が戸惑うようなものを感じた。

 

いったい何がおきたのだろうか。この体勢では何もできないというのに。で、完全覚醒した後、見えたのは足の裏。しりもちを付いた俺の顔面に向け、蹴りを放ってきたのだ。

 

俺はそれを両手で受け止め、蹴りの威力に押されて後ろに倒れ込んだ。そのまま回転する。

威力は思っていたより軽いもので、あのまま受けていても気絶する程度で済んでいたものだ。

回転し、起き上がり、即座に構える。だが、相手は詰めてこなかった。

 

少し、驚くような表情。一泡吹かせてやれたのだろうか。

 

やったと、そう思う。

 

――――だが、その直後だった。

 

いくぞ、という呟きすら最後まで聞きとれたのかどうか。構える間すら無い、まさに一瞬だった。

俺は距離を詰められたことに対し、反応する事さえも出来ず、相手の腕が霞んだ記憶を最後に意識を失っていた。

 

 


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