Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
1話 : Boys and Guy_
「―――拝啓、純夏さま………ってがらじゃねーな。うん、俺だ、武だ。馬鹿みてーに揺れる船に長い間乗せられてさ。先週、やっとオヤジに会えました。オヤジは滅茶苦茶驚いててさ。最初は笑って抱きつかれたけど………やっぱり殴られました。危ないことすんなってきっついゲンコツくらった。でも『親父が言うなー』って俺が殴り返してさ、そこからは殴り合いになったんだけど。というわけで、俺も親父も元気です。だから心配すんな、約束した通りに絶対に帰るから。そのときは何かまた旨いもんでも作って欲しいって、純奈母さんによろしくな、っと………あ、日付と宛先書かなきゃ」
_1993年春、白銀武から、鑑純夏へ。
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「起床!」
国連軍インド亜大陸方面基地に所属する予備衛士訓練生の一日は、ターラー軍曹の掛け声から始まる。教官であるターラー軍曹。褐色の凛とした美貌に、それなりに整った身体をもつ彼女の喉から発せられる声は鋭いものを帯びていた。彼女自身の恐ろしさを直に知っている訓練生たちは、飛ぶような勢いで部屋から出ていった。寝坊などしようものなら、後でどういう目にあうか痛いほどに知っているからだった。
それは集められた少年訓練生の中でも最年少であり、寝坊癖もついていた日本人の訓練生――――白銀武も、例外ではなかった。
「あー………純夏に起こされていたころが懐かしいぜ」
武は部屋の前で点呼を受けながら、ターラー軍曹に聞こえないように小さな声でつぶやいた。あの頃は良かったと、まるで老人のようにしょぼしょぼと愚痴る。それを聞いていた者がいた。
「何か言ったか白銀ぇ!」
「きょ、教官!? はい、いいえ、なんでもありません、サー!」
「マムだ、馬鹿者!」
「イエスマム!」
武は、取り敢えず元気よく返事をした。呟いた事を深くほじくり返させないためだ。
さきほどの一言は聞こえていたのか、聞こえていないのかは分からない。
だがターラー教官は地獄耳だということを知っている武は、即座に肯定からの否定に繋ぎ、最後に敬礼を返した。ターラーはそんな武の様子を見ながら、ひとつため息を吐いた後に次の部屋へとに移っていく。それを見届けた武は、失言をやり過ごせた幸運に感謝をしながら聞こえないようにあくびをした。
「あー、ねむ」
また聞かれでもすれば、「弛んどる!」と怒鳴られるだろう。
だけど人間、眠気が収まらない内にはあくびは出るものである。ならば見えない所ですればいいのだと、武はこの数ヶ月の訓練で学んでいた。点呼に忙しいターラー教官が気づくはずもない。この光景も、実に三ヶ月は見てきた。訓練が始まってもう三ヶ月である。その中で武は、最年少からか、怒られることが多かった。
だがこれまでの経験から、どういった行動をすれば注意されるのかは大体の所で理解できていた。軍人あるまじき振る舞いに、教官は怒るのだ。武も、いちいち尤もな話だとは思ってはいるが。
そして、直すための努力もしていた。なんせ鬼教官の威圧はすさまじく、睨まれるだけで下腹がぎゅっと縮こまってしまうほどからだ。
視線だけで相手を屈服させられるような威圧を二度受けるぐらいであれば、10の少年でも態度も改めようというもの。恐怖は百の忠告にも勝るという、自分で勝手に作った格言の通りであった。武も当初は落ち着きがなく怠けぐせもあったが、今やそれなりの衛士っぷりを見せられるようになっていた。
「さて、今日も訓練、訓練ってかあ」
基地内で放送が鳴り、皆が駆け足で食堂へと走っていく。いつもの朝の光景だった。これから天国ではないがそれなりに楽しい朝食が始まり、終わればまた地獄のような厳しい訓練が始まるのだ。朝食の楽しみと、その後の訓練の苦しみと。
武はいつものとおり、明るく憂鬱な未来を胸に抱いたまま、食堂へと駆けて行った。
軍人にとって、一番大切なものは何か。どの時代にあっても必要で、それが無ければ軍が根底から覆るものは何だろう。
―――それは、体力と意志の力である。ターラー・ホワイトの持論だった。
「だから走れ、とにかく走れ。軍人は体力が勝負だ。武器を運ぶのも使うのも、重たい弾薬持って走るのも。ああ、お前たちにとっては戦術機だな。アレに乗り続けるのも、膨大な体力が必要になる。無論、筋肉の方も必要になるが」
腹筋ゆるけりゃ内臓揺れる、内臓揺れりゃ口から反吐る。予備訓練生達は、大声で歌いながら走っていた。だが足りない、と教官が言葉を続ける。
「吐いてへたばって任務を果たせませんでした、などと冗談にもならん話だ。まあ心配するな、幸いにもお前達はまだガキだ。時間もたっぷりある。回復も早く、適応能力も大きい。何より、鍛える余地はまだまだあるんだ。一人前になるまで十分に時間があるということだ。だから――――喜んでいいぞ、ひよこども。精強になる可能性がある、衛士の卵ども」
励ますように、叱る。
「お前たちの可能性は無限大だ。その気になれば、どこまでだっていける。しかし、諦めれば等しく零だ。底に落ちたくなければ、諦めずに走れ」
教官であるターラー軍曹が、走る訓練生に向けて教訓を告げる。毎日聞かされている内容で、聞かされているのは訓練生達だった。本来ならば反発心も生まれる呼び名であろう"ガキ"を連呼されている訓練生達だが、誰もそのことに文句を言わなかった。
言えなかったといった方が正しい。なぜなら、彼らは誇張なく子供の身であるからだ。
この3ヶ月で脱落した訓練生も、ここに集められている面々も皆、少年と言い表せるぐらいの年齢である。なぜ、国連軍で定められた規定の年齢以下である少年達が、衛士としての訓練を受けているのか。国際法にも触れそうなのに、と戦火に晒されていない者が見れば憤慨するだろう。そんなことが、何故許されているのか。
答えは一つ。ここが、人類の最前線であるからだ。
人類に敵対的な地球外起源種―――BETAという人類の敵が存在する。そしてここは、そのBETAとの戦いにおける最前線に今現在一番近い場所、いわゆる地獄の一丁目。
直接にぶつかり始めて約10年目の、最も熱い戦場――――インド亜大陸戦線なのである。
人類がはじめて遭遇した地球外生命体。奴らは強く容赦もなく、何よりも数が多かった。その異形の敵が火星で初めて姿を確認されたのは35年も前の話になる。
そして
BETAの意志はただ一つ。それは、地球を蹂躙することであった。
人の命も動物の命も植物の命も興味がないというように、ただ進み陣地を増やし道中にあるものを根こそぎ踏みつぶし壊していく。そのあまりに電撃的な侵攻に人類は対応しきれず、現在までに多くの同胞と大地が踏みにじられていった。滅びた国も両手両足の数などでは、とても表せないぐらいだ。
人類種の、あるいはこの地球の敵であるBETA。奴らに勝つというのは今や全人類の悲願であった。
――――故に、何を置いても優先される目的、その前には多少の無茶は許容されるものだった。未だ勝ちの目も見えない、敗走必至の劣勢な状況であればなおのことである。
足りないものは、"死んでも足りさせる"。倫理という観念を殴り飛ばす屁理屈だが、ここでは無茶の道理としてまかり通っていた。
基地内の人員に公表されている目的は、"スワラージ作戦で失われた数多の衛士の補充を促進する。そして才能溢れる少年衛士達を大勢の中から選び、前線で鍛え、熟練の衛士にする"というもの。何も知らない人間が聞けば、あるいは真っ当な方策に思えるかもしれない。だが、それはあくまで建前に過ぎない。訓練を受け、衛士になった者ならば誰もが知っているのだ。15に満たぬ少年に、たった数ヶ月の訓練を受けさせる、それだけで使い物になるはずがないだろうと。
守りながら戦うことは、至難の業である。BETAを敵とする戦場、特に最前線で戦う衛士にそんな余裕などあろうはずがない。
つまりは、大人の都合よろしく本音は勿論別にあって。
それは、一部の者しか知らなかった。
そんな裏の意図の元に集められた訓練生達は、今はグラウンドを走っている。彼らは予備訓練生の一期生だ。今は、6人しかいない。訓練開始時点では募集を見て集まった、30人の少年達が在籍していた。戦争で家族を失った者、捨てられ身寄りが無くなった者や、脛に傷持つ問題児。誰もが、裏に事情を抱えていた。そうでなければ、こんな狂った条件で軍に志願することはない。
そういった背景もあって、彼らは同年代の少年よりは精神的にタフなものを持っていた。選ばれるということは、少年の自信を成長させる。
そして、彼らは治らない傷を知っていた。心の痛みを知っていた。それに比べれば肉体の苦痛など、と――――限界はあるが――――それなりの事には耐えられると、彼らは無意識の内に分かっていた。
しかし、最初の訓練で5人が脱落。徐々に厳しくなっていく訓練に、脱落者は続出した。それほどまでに、ターラー・ホワイトという教官が行った訓練は厳しかった。内容は、苛烈のただ一言。彼らが受けている訓練の内容は大人でも音を上げる程のものだ。正規の訓練と比べても、なんら遜色のない。むしろ身体の未熟さを考えれば、それをも越えた密度があった。
速成の訓練故に、その訓練の総量は低い。しかし、辛さは変わるものではない。
3ヶ月の訓練の後、残ったのが僅かに6名である。辞退したものは皆、後方の基地に移り、歩兵や戦車兵などの訓練を受けていた。
だが、彼らは決してチキンではない。むしろ残っている者達を褒めるべきであった。
「し、かし、きつい」
残っている中でも最年少、若干10歳である日本出身の訓練生、白銀武は肩で息をしながらも走っていた。まだ幼さが残る面持ちを引きずりながら、息を切らせながら、しかし何とかといった調子で走り続けていた。
「白銀、遅れているぞ!」
「はい!」
容赦など欠片もない言葉が武にかけられた。小学生でいうと4年生にあたる武は、集められた少年兵の中でもダントツに最年少な武である。
だから優しく―――などといった配慮は一切ない。ターラー教官は、全員に平等で、一切の容赦も無い。
年齢性別の垣根などないと、教官の責務であるかのように、区別をせず怒鳴りつけた。
10だろうと13だろうと関係なく、過酷な訓練を受けさせた。
理由は一つである。実戦で敵となるであろうBETA、あの化け物にとっては、相手が誰であれ同じ事だからだ。
“奴ら”は、BETAは10歳も13歳も平等に扱う。差別なく潰し、食い殺す。
そして、向きあった人間が辿る末路は同じだった。なんの区別もなく、ただそうするのが当然といった具合に奴らは物のように人を殺していく。
「よ、っし」
ターラーはそれを知っていて、訓練生共に毎日言い聞かせた。武達訓練生も分かっている。だからは弱音を吐かず、気力を振り絞って走る速度を上げた。そうして周回遅れだけは免れた武は一息をつくと、ちょうど隣を走っていた同じ訓練生に小さく声をかけた。
『これで何周目だったっけ』
息も絶え絶えにたずねられた言葉。それを聞いた訓練生―――武と同じ日本人、名を泰村良樹という少年が答えた。
『俺は数えてないぞ。数えるのも馬鹿らしいから』
泰村がため息をつき、武も同時にため息をついた。今走っているランニングは、何周走ったら終わりという目標周回が定められていない。教官が終わりの合図を出すまで走り続けなければならないという、何とも辛い仕様になっているのだ。
最初は走るだけに集中することしかできなかった。限界と思う更にその先まで身体を酷使させられ、部屋に帰ってからは寝ることしかできない。だがある程度の期間鍛え続ければ嫌でも体力がつくというものだ。今となっては―――といっても最後のあたりはその余裕さえも無くなるが―――――二人とも、小声で話をするだけの余裕はあった。
『これ、一種の拷問だよな……』
『ああ。むしろ拷問より質が悪い』
『えっと………もしかして、吐いても楽になれないからか?』
『その通りだ。なら、死ぬまで走るしかないんだけど………』
諦めの表情。開き直った武達の走るペースが、若干だが上がった。つまりは、"死んだらさすがにもう走らなくてもいいだろうなー"と考えたが故の、一種の悟りであった。だが二人は一周回って教官の顔を見た後に、再びため息をついた。
『………ターラー教官ってさ。死んでも地獄まで追いかけてきそうなんだけど』
『逆に考えるんだ、武。あんな美人に尻を追っかけられるなら、いち日本男児としてほんも―――いや、駄目だな。地獄でも走らされそうだ』
何せ鬼だし。泰村は、鬼教官に聞こえないよう小さな声でぼそりと呟いた。
武も、無言で同意を示す。
『脱落していった奴らと同じに―――諦めれば、楽になれるのかなあ』
弱気な言葉がこぼれ出る。だけど、泰村は否定の意志を示し返した。
『いや、ここで諦めるのは御免だ。衛士になれないのなら、インドくんだりまで来た意味がない』
そう言って、泰村は走る速度を上げた。武も何とか速度を上げ、追いすがる。無理をしたせいで、武の呼吸が盛大に乱れる。ぜひ、ぜひという苦しい呼吸が口からこぼれ出ていた。
一方の泰村は、肩で息をしながらもまだ余裕があった。武とは違い、泰村は集められた訓練生の中でも背が高い方だ。
同年代の平均身長から頭1つ分高い長身を誇る体格を持ち、その恩恵か体力もかなりのものを持っていた。
そんな泰村に追いついた武は、また話題を振った。
『冗談、だって…いっぱい、いっぱい、辞めていったのは確かだけど、なあ』
『…やめるべくしてやめていったんだろう。あるいは、耐えられる奴がこれだけしかいなかっただけだ。まあ、何人いようが同じだったかもしれないな』
『そう、かな?』
『ああ。この程度の訓練を乗り越えられない根性なしに、最前線は務まらない―――ターラー教官が言ってただろう』
『………最近は、『走れ』としか、言わない、けどな』
『その一言に全てを込めてんだよ、節約的じゃないか』
『その、割には、こっちのしんどさが、倍増してる』
『ああ、詐欺だな』
二人は苦笑を交わしあっていた。そこで思いついたように、武が口を開く
『しかし、根性かー………久しぶりに、聞いた言葉だ』
『ああ。似た言葉はあるだろうけど、こんな日本の外じゃあまり聞かない単語だ』
二人は教官を見ながら同じことを想った。国連軍設立に伴ない改正された教育法をもとに習得した英語のことだ。その中に根性というニュアンスの言葉は無い。いや、探せばあるのだろうが、根性は根性というのが一番しっくりくるのだ。
横文字では若干意味が違っているように思える、というのが二人の共通見解だった。
『しかし、泰村。お前、英語、ペラペラだな?』
『ペ、ペラペラ……? ああ、まあ、なんとなく意味は分かったが』
苦笑し、秦村は少し視線を横に外した。何か理由はあるようだが、それを武に対しては答えたくないようだ。なんとなく空気を察した武は、別の話題に移す。根性という言葉を聞かない理由についてだ。
『まあ、日本人少ないし。居るといっても、技術者、しか、いないし、なあ』
『…そういえば、お前の父親も技術者だったか』
『そう、だ。戦術機の、技術者、兼、整備士』
『………え、何だそれ。技術者っつーか研究者だったろ? それと整備員は兼ねられるものなのか』
『えっと、知らない。変人、とは、言われてる、みたいだけど』
武の言う通り、彼の父親である技術者は変人という方が正しい人物だった。名前を白銀影行という彼は、光菱重工から派遣された社員である。
任された内容は、戦術機の実戦運用時における各部部品の破損状況の調査と改善。そのデータを収集し、あわよくば改善案を練ってまとめることを目的に前線に送られたのだ。
BETAとの戦闘は激しく、戦闘中の故障が即座に死に繋がるシビアな世界であるため、戦術機の各部品の品質、特に駆動部分の品質は常に高くなければならない。
また、度重なる出撃にも耐えられる程の強度が必要となる。自国での戦術機開発を目的とする日本企業は、特にこの2点のデータ収集を進めていく必要がある。
そのためには、実際の実戦で使われたデータが必要となる。つまりは誰か前線に出て生のデータを収集しなければならなかった。
1991年に日本帝国の大陸派兵が決定されて、もう2年。ある程度のデータは集まっていたが、それでも足りない部分がある。そのため、日本政府はインド政府に協力を要請。数人だが、技術者を前線に置いてくれと派遣した。
だが、国連軍主導の大規模作戦、スワラージ作戦の際にその技術者が死亡してしまった。
原因は、帰投した戦術機が爆発を起こしたからだ。破損したまま何とか基地に着陸した戦術機だが、ハンガーに着くなり爆発した。近くにいた整備兵と、手が足りないと動員されていた技術者を巻き込んだのだ。
結果、整備兵の何人かと、その技術者が死亡。企業としては、補充の人員を送らなければならなくなった。
しかし、そこで問題が起こった。派遣する人員についてだ。環境も劣悪で、常に死の危険がつきまとう最前線―――そんな死地に進んで行きたがる馬鹿は居ない。
大企業の人間ならば尚更だ。将来が安定している中で、荒波に飛び込みたがる人間は極めて少ない。その中でただ一人、最前線行きを志望した社員が白銀影行だった。
紆余曲折はあったが、認められた。白銀影行は『曙計画』―――米国が持つ第一世代戦術機開発、その運用に関わる基礎技術を習得する事を目的として発動された計画の合同研究チーム、その補充人員として途中からだが派遣されたこともあったためだ。
日本の未来をも左右する計画のメンバーに選ばれるというのは、彼の才能が非凡なものであるという証拠にもなる。その上で影行は勤勉で、知識の幅も広く、国内の戦術機開発においてもそれなりの実績を持っていた。
―――"とある裏事情"で研究の主線からは外れていたが、有能であることは間違いはない。
何より彼は日本初の国産戦術機「瑞鶴」の開発に一部だが携わっていた過去もある。経歴・知識共に問題は無いのだ。彼と同等の人材というと、日本三大と言われる会社の中でも数えるほどしかいない。故に数日に渡る問答のすえ、企業の上層部は影行をこのまま日本に残しても活かせないと判断したのだった。そうして白銀影行の志望は受け入られ、派遣が決定された。
たった一人の息子を残し、単身インドへと向かわせたのだ。だがその説明を影行から聞かされた武は、「何のことだかさっぱり分からない」、と興味なさげに答えただけ。笑顔と共に繰り出された無垢だが無情でもある息子の言葉。その一撃を正面から受けた影行は、瞳の端から少量の水をそっと頬へと流したとか。
『そういえば、いつも忙しそうに、してる、もんな』
父の様子を思い出した武は、器用にも首を傾げながらも走る。
『"そう"じゃなくて、実際に忙しいんだろうよ。ヒマラヤ山脈を盾にして、東南アジア連合と連携を取りながら戦い続けて9年。この前のスワラージ作戦で……負けはしたけど、貴重な交戦のデータを得られた。その中から、色々と次世代兵器のアイデアとか出るだろうからな』
所詮は噂だけど、と泰村が呟く。
『戦闘データを得た技術者が、水を得た魚のように元気になったとか』
『いやな、例え、だな』
死んで言った人たちを犠牲にして得たデータなのだ。あまり、いい例えとも言えないだろうと武の顔が少し歪んだ。
『無駄にしたくないのさ、衛士の死を。次に死なせないのが、オヤジさんの仕事だ』
『…まあ、戦術機のせの字も、出てきてない、俺らには、関係ない、話だけど、な』
武が落ち込んだ顔を見せる。泰村は苦笑しながら、それを見ていた。
『……シミュレーション訓練が始まるのはやれ来週か、それ来週か、って毎週はしゃいでたもんなお前』
毎週期待を裏切られていた白銀武10歳は、いい加減凹み始めていた。
『まあ、そう腐るなって。根性なしの振り落としも済んだ。耐え抜いた俺らも自信が付いた。
座学、銃器の訓練、格闘訓練も基礎は済んだ………多分だけど、来週からシミュレーター訓練にも入るだろうぜ』
「え、本当か!?」
途端、大声を出して元気になる武。現金な様子に、泰村は苦笑した。
『まあ、多分だけどな』
希望の光とも言える言葉。それを聞いた武は走りながらジャンプし、ガッツポーズを取った。
―――そこに、ターラー教官の怒声が飛んだ。
「白銀ぇ!」
「ほぁい!」
武は背後から聞こえたあまりの大声に、反射的に返事をした。その声は、訓練場にいる全員にも聞こえたようで、同期の仲間も全員が硬直していた。まるでパブロフの犬のように条件反射で立ち止まり、その場でしゃっきりと姿勢を正した。
怒声の対象である武の一番近くにいた泰村は、一瞬だけ立ち止まり―――すり足を駆使しながら、徐々に武から離れていった。
君子危うきに近寄らずと、安全区域に避難したのだ。
『許せ、武。お前が悪いんだ』
『見捨てるのか、良樹!』
武は戦友の裏切りを嘆いた。そのまま追いたくなったが、それはまずいと怒声の方向へとゆっくり振り返った。
そして武は振り返った先で―――教官の笑顔を見た。
そこに在ったのは慈悲深い顔だった。浅黒い肌に、黒いショートカット。長身でスタイルも良い。加え、整った顔の造形はまるで本で見たモデルのよう。美人が、そっと武に微笑みを向けていた。だが、笑みを向けられている武は、顔を赤くするどころか、青ざめていた。ただの一欠片も笑っていない教官の目を直視してしまったからだった。
間も無くして、宣告は成された。
「元気そうだな予定より10周追加」
息継ぎもない、相手に二の句もつなげさせない、巧緻かつ速度に優れる一言。
一拍おいて告げられた内容を把握した武は、途端苦悩の表情を見せた。
(っていうか具体的な数を言われると周回を数えなくちゃいけないでしょうがー!)
悟りが消えると、武は叫びながら転げ回りたい衝動にかられた。
だが、責は自分にあるので黙らざるを得ない。これ以上の追い打ちを受ける危険性は、絶対に避けなければならない。口答えをしようものなら、星になってしまう。そう、ここにいる皆はある一つの真理を持つに至っていた。
忘れられない、はっきりと覚えているのだ。3ヶ月前、訓練初日に起きたあの事件のことを。あまりに無法な、子供そのものだった訓練生に成された対応。というか、たった一つの拳。だけどその威力は規格外そのものであった。
――――彼らは知った。『拳で人は飛べるんだ』、という新たな事実を発見したのだ。
あの日以来、武達訓練生は己の命に誓っていた。生きるべき明日に向けて宣誓したのだ。ああ、この教官には絶対に逆らうまいと。武が絶望する傍ら、秦村はとりつく島もない教官の端的な一言に頷き、流石とつぶやいていた。
『そういえば、あの顔で断られていた衛士がいたなー、いや怖いなー、相手の男は二の句も繋げないなー』
心の中だけで呟き、納得の表情で頷いている。だけど続けられた無情の一言により、その表情は激変した。
「ああ、もちろん全員でな」
笑顔での追撃。対象は、秦村を含む他の訓練生5人だった。その全員の口から、声にならない悲鳴があがった。だが前述の通り、ここで"何故"とかいう―――馬鹿な問い返しはしない。誰だって生きていて、生きている内は星にはなりたくないから。
内心で、今はもういない戦友――――初日に教官に横柄な態度を取ってふんぞり返って、そのままお空のお星様になったあいつ――――を思う。あの勇者は今日も青空の彼方できっと笑っていることだろう。そして、彼は笑顔で告げるはずだ。『俺のようになるな』、と。
彼の貴い犠牲――――とはいっても隊を辞めただけ――――は、武達の心の中に遺されていた。
遺志を継いだ武達訓練生、故に教官に反論・文句・不満は持てど、直接教官にぶつけるような愚は繰り返さない。だから、矛先は別の人物へと向けられた。
弱者が持つ理不尽に対する怒りの矛先。それが弱い方へ向くのは、賢い人間の知恵だと言えよう。泰村は視線だけで、『後で武をボコろう』、と他の4人に合図を送り、全員が視線で了承を示した。満場一致で決議案が通過し、提案は可決されたのである。
「で、走るのか―――走らんのか?」
事態の推移を無言で見守っていた教官が、優しく静かな声で訓練生達に問いかける。
最終通告ともいう声色に、訓練生達はびしりと素晴らしい敬礼を返して、答えを返す。
走るのか、死ぬのか。そう聞こえた全員は、丁寧に返答した。
「是非とも、走らせて頂きます」
日が暮れて、訓練が終わった後。武はハンガーに来ていた。隣には父である、白銀影行の姿があった。この地においては極めて珍しい、日本出身の親子が二人並び、談笑を交わしていた様を通行人が横目に流していった。
「……で、どうした武。その傷は」
影行がため息まじりに息子に問うた。基礎体力をつけるための訓練を受けているはずの武が、明らかに不自然ともいえるほどにボロボロになっているのだ。父親としては問わずにはいられないと、その原因を聞いた。
「いや、ちょっと」
武は言いづらいという風に口を閉ざす。だが、厳しい表情を浮かべる影行の様子に黙り込むことを諦め、経緯を端的に説明していった。影行は全てを聞いた後、安堵まじりの盛大なため息を吐いた。呆れたように笑った。
「それは………お前が悪いな」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
もうちょっと手加減してくれたって、と武は座りながらも、ふて腐れてみる。
結局、武達はあの後追加の10周だけではすまなくなり、最終的には15周の距離を走ることになったのだ。余計な距離を一緒に走らされた仲間達の怒りもごもっともだと言えるのだが、もうちょっと優しさがあってもいいんじゃないかと武は思っていた。
「そういえば、最近はどうだ?」
苦い顔を浮かべている息子の横顔に苦笑しつつも、影行は最近の訓練の内容について聞いてみる。
「ああ、えっと……そうだ、今日まではずっと基礎訓練だけだったんだけど!」
勢いよく立ち上がりながら、拳を上げる。
「…ああ、そういえば、そろそろシミュレーター訓練に入るのか」
影行は興奮している息子の様子に苦笑を重ねながら、頷く。
「…ってオヤジは知ってたのか。ええと、うん、そう、シミュレーター訓練が来週から始まるって。
『小手調べはここで終わり。来週から本格的な地獄が始まるぞ』と今日の訓練が終了した後、教官から脅されるように言われた」
本格的な地獄、と告げられた訓練生は皆、一様に絶望の表情を浮かべていた。
しかし訓練の内容がシミュレーター訓練だと聞かされた皆は一転して、歓喜の表情を浮かべた。武などは嬉しさのあまり教官が去った後、そこら中を飛び跳ねていたほどだ。その後、逃げ時を失った武は仲間連中に華麗な連携で捕獲され、今日の恨みとばかりにボコのボコにされたのはご愛嬌だが。いつもよりちょっとひどかったのは、彼らも興奮していたからであろう。武はそう自分を納得させようとしていた。
「しかし……訓練が始まってもう三ヶ月か。早いものだな」
「あっという間だった。人数減るのもあっという間だったけど」
「ははは。でもなぁ………いや。お前より年上のやつらがどんどん脱落していくと聞いたが、その中でよくがんばってると思うぞ」
「うん。まあ、戦術機に乗れるんだしそりゃあ頑張るよ。遊びじゃないってのも分かってるつもりだし」
「…まあ、予備の機体が出ない程に衛士の損耗が激しいからな。戦術機を操縦できるに越したことはない、か」
「うん。まあ、いざとなったらそれで逃げられる、って泰村も言ってたし」
武は基地もこんな状況だからなー、とハンガーを見回しながら答えた。現在、珍しいことにこの基地は駐留している衛士の人数より戦術機の数の方が多いという状況になっていた。
「………度重なる出撃、戦術機が故障・大破したいざという時のために予備を確保……しかして衛士は帰らず、残るは鉄の鎧ばかりなりってか」
「親父、それぜんっぜん笑えねーって。まあ衛士一人育てるのに時間がかかるっていうのは聞かされたけど」
需要と供給……衛士の戦術機稼働時間と戦術機のランニングコストが吊り合っていないのだ。それはつまり、戦術機の稼働限界が訪れる前、新機体の状態で中身の衛士諸共、BETAに撃破されてしまうのが多いということ。
予備は予備である意味を成さず、ただ次の新しい衛士の機体になっているということだ。戦術機の一機を使い潰すまでに屠れるBETAの数、耐用限界が訪れるまでに殺せるBETAの数は決まっている。だが、そういった状態になるまで機体を使えていないのが偽りのない現状だった。
「死の8分、か………」
「8分……衛士が戦場に出てから死ぬまでの平均時間、だったっけ?」
「知っているのか?」
「教官に散々聞かされたよ。それを聞いて辞めていった奴も居る」
「そうか………まあ、誇張されている部分もあるけどな。それでも、平均で10分越えないだろうっていうのは事実だ」
「うん………そういえば、その10分を戦えるように育つまで、本来ならば何年もかかってしまうってターラー教官が愚痴ってた」
「ああ……主のいない戦術機なんて、スワラージ作戦の前は考えられなかったよ。
敗戦の傷が癒えていないのは分かるが、この状況は整備の一員としては不安に過ぎる」
そこまで言うと、影行は自分の手で口を押さえた。
「お前に愚痴ることじゃないな………すまん」
「いいって。それに、こんな状況じゃなかったらなあ………オレみたいなガキが衛士になるなんて、絶対に許されてなかったし」
武はハンガー奥の時計を確認した後、影行に笑いを向けながら、言う。
「じゃあ、また明日。おやすみ、父さん」
「ああ、おやすみ………武」
「ん、何?」
影行は、笑わず。じっと、武の目を見つめている。
何かを言おうと、口を開き―――しかし、言葉を喉に留める。
「いや、いい」
不思議そうに顔をかしげる武。時間がないと、そのまま部屋へともどっていった。
武は自室に戻った後、二段ベッドの上に昇り、仰向けになった。深呼吸をした後、低い天井を見ながら何と為しに呟いた。
「いよいよ、か」
先程ターラー教官から聞かされた内容を思い出し、なんともなしに呟く。来週から本格的に訓練が始まるのだ。この最前線を生き残るための訓練が、と。
この3ヶ月間にこなした過酷な訓練を受けた。武自身も、自分の基礎体力が訓練を始める前と比べ、格段に上がっていることは分かっていた。体の未熟さもあいまって、十分とは言い難いだろうが、何とか最低水準をクリアできるぐらいにはなったと考えていた。
戦術機の用法、その他整備に関することや軍事の基礎知識はまだまだで未熟な面の方が多いが、戦う軍人としての最低ラインに在ることは理解している。
「………」
何をもって短期訓練などという行為に踏み切ったのか、武は知らなかった。ただ、利用しようと思っただけだ。脳裏にささやく何者かの助言に従って、選択した結果をこの手に引き寄せるために。
「なんで、かなあ」
自分はまだ、10歳だ。同年代の友達は、今も日本で学校に通っているだろう。
なのに何故自分だけが、人類の最前線で。そして史上類をみないほどの最年少の衛士を目指しているのか。どうして、こんなことになっているのか。武はそのことについて、はっきりと断言できる原因について、語ることはできなかった。
―――ただ、胸のざわつきと遠く聞こえた囁きに耳を傾けただけ。
その“音”に頷いて。気づけば居ても立ってもいられなくて、そうして今ここに居る。
武は天井にある汚いシミを見ながら、あれから幾度も見た夢について考えていた。見たことのない光景。殺されていく誰か。そして、死んでいく自分。妙にリアルだった。その映像には、問答無用の説得力があった。
だから武は明確な判断ができなかった。あれは本当に夢だったのか、それともテレビや本にある怖い話の………大人に言っても信じてくれないだろう、幽霊に似た存在が見せる、別の何かなのか。武は繰り返し考えてはみるが、日本に居た頃と同じで、対する解答は得られない。
あまりにも現実味に溢れていたあの光景は、即座に鮮やかに武の脳裏へと刻まれてしまった。鮮烈に過ぎる映像の数々は、武の記憶の隅から居座って消えないでいた。
見た当初よりはぼやけているが、それでもこの先消えることはないだろう。そのことは、武自身が一番よく知っていた。
(普通の夢と同じに、時間が経つに連れて忘れちまえば………こんな所に来なくて済んだのに)
あるいは、当初よりは薄くなったのかもしれない。だが、その時に武自身が抱いた絶望の感触だけは、薄くなっていなかった。
だれかが死ぬ記憶、だれかが生きた記憶。まっとうな世界ではない煉獄ともいえる世界の中、だれかが戦いぬいた記憶。そんな中で、ささやく声があった。
声は、言う。
『このままオレがここに居れば、オヤジには二度と会えない。大切な人達もみんな、死んでしまう』と。
それが現実になってしまう光景が見える。妙にリアルに、生々しい血の描写まで。夢の中で容赦なく、あり得るかもしれない未来が映されるのだ。夜中、自分の悲鳴のせいで起きてしまったことは何回あっただろうか。武はその回数が両手両足の指の本数より上回った時点で、数えることは諦めていた。
――――切っ掛けは分からないけれど、消せない悪夢は未だに残り続けている。
「切っ掛け、か。でも………思えばあれからだったな」
切っ掛けというか、予兆のようなものはあったのかもしれない。この声が聞こえるようになって、夢を見るようになったのはあれからだ。
公園で、同い年の。誕生日も一緒だという、あの女の子の双子に出会ってから始まった。
「最後には泣いてたけど………元気にしてっかな」
武は双子を思い出しながら、泣き顔を思い出して。同時にインドへ行くと言ったときの幼馴染―――"鑑純夏"の泣き顔も思い出していた。
まるで兄妹のように、生まれてからあの日までずっと隣にいた幼馴染。武は、あの時の純夏の泣き顔と泣き声を思い出していた。心底胸に堪えたことも。
そんな武は小指を立たせて目の前に持ってくると、日本に発つ直前、別れ際に交わした約束を心の中で反芻した。
『ぜったいに、かえってきてね』
「―――ああ、かえるさ。ぜったいに」
親父と一緒に。誰が死ぬか、そんで死なせてたまるもんかと武は指切りの約束をした感触が残っている小指に誓った。二度と会えなくなるなんて想像さえもしたくない。仕事を優先する親父だが、それでも死んでしまうなんて絶対に許せない。死んだ後の喪失感さえもリアルに感じられてしまうから。
だから絶対に、親父の命を諦めないと武はもう一度口に出して決意した。
そしてその願いと約束を果たすため、明日のための体力を回復するため、武は布団をかぶり目を閉じた。
―――その日の、深夜。
白銀影行は、辺りが薄暗くなった休憩所で一人、虚空を見上げながら煙草をふかしていた。影行は滅多なことでは煙草を吸わない。吸うのは、酒を飲んだ時か―――辛いことがあった時だけ。この場合は、後者だ。影行は、夕方に息子と話した内容を。走り去った息子の小さい背中を思い出すと視線を落とし、ため息ととも煙草の煙を弱く吹き出す。
「……くそ」
影行は毒づく。未だ本音を飲み干しきれていない自分に。そしてこんなクソッタレな世界に息子を放り出さなければならない、自分に対して。本来ならば反対していた。それもそうだ、どんな親が10の息子を死地に送り込みたがる。インドに来たのも、別れた妻との間に残された、数少ない絆の結晶である息子を守る為。息子と妻が居る日本まで、BETAの牙を届かせないためだ。そのために、志願した。あのまま日本で腐っていることは出来ないと、死地へとやってきたのだった。
(で―――俺を追ってくる、というのは完全に予想外だったけどな………お前の息子なだけはあるよ)
影行はその事実に、驚き。そして、怒り。最後には、選択を迫られた。日本に返す、という選択肢もあった。今も、そうすべきだと思う自分が居る。だが、それも危険すぎるという自分が止めるのだ。制海権も完全ではなく、いつBETAに船ごと落とされるか分からない。自分の知らない所で息子が死ぬ光景を想像してしまうと、それだけで思考が止まってしまう。日本とは違うのだ。BETAではなくとも、変な気を起こした人間に攫われてしまう可能性もあった。
だから影行は、せめて目の届く所に置いておきたかった。あと半年もすれば、一時的に日本へ帰国することができる。その時に、一緒に連れて、二度と来ないように告げるつもりだった。
でも―――武が、募集を見て。将来のためにと、試しに訓練を受けさせたのが間違いだった。
「………歴代一位の戦術機適正、か」
軍は無駄を嫌うところだ。本来なら訓練を受けることも許可されない武が何故、訓練を受けられるのか。その理由が、それだ。武が適性試験でみせた、常識はずれの適性。データを取る教官は、まず機械の故障を疑った。次に目薬をした。その後、再度試験を受けて―――結果は、変わらなかった。むしろ、初回より上がっていた。
教官は―――上層部と"懇意"という、男の教官は、そのまま上に報告したという。そして今は、これだ。
影行は、想う。
「もし、あの時の試験官がターラー教官だったのであれば、武は衛士候補生になどならなくて済んだのかもしれない」と。
あの常識的な教官ならば、この馬鹿げた事態になるのを止めてくれたのかもしれないと。
(いや、俺には何も言えないか………それに、上が隠している意図や意向もある)
そも、そういう次元のものではないのかもしれない。我が子の異常さを鑑みた影行は、唸る。異常に過ぎる武の適性。そう、鍛えた成人男子のデータを抜いての成績など―――普通の人間では有り得ない。異様という一言でもすまされない。天才、と一言で括れるものでもない。起こりえないのだ、本来ならば。
友人は"BETAの脅威を認めた人類が新しい進化をしたのだ"とか、
"もしかしたら国連というかヤンキー共のクソッタレな陰謀で―――"という与太話の持論を展開していた。本来ならば一笑にふしていた。しかし、もしかしたら本当なのかもしれないと考えてしまう程に、武の戦術機適性は異様だった。
今は機材の故障ということで、武の試験の結果は公表されていない。それもそうだろう。軍は信用が第一。誰も、狂言師などにはなりたくない。影行も、その結果については息子であっても、伝えなかった。
―――それに、奇妙なことはそれだけではない。
「夢を見た、か」
影行は武に聞かされた夢について、考える。本人もいまいち分からないと言っていた夢の数々。それを聞いた影行は、聞かされた時に違和感を覚えた。そして気づいた翌日―――武に言った。その夢の内容を誰にも話すな。
絶対に、誰にも話すなと。影行が覚えた、違和感の正体。それは、BETAについてのことだった。武が語った夢の内容。その中に、本来ならば絶対に知りえないことが隠されていたからだ。
(BETAの外見。それだけじゃない、BETAの総数における戦車級の割合。要撃級の前腕の堅さ、要塞級の衝角の溶解液―――どれも、民間人には知らされていないことだ)
パニックを恐れて、民間人には秘匿されているBETAの情報がある。衛士でも、軍に入って始めて学習できるBETAの詳細がある。影行は過去に、より良い戦術機を作るためにとBETAについての説明を受けたことがあった。
だが、それは立場あってのこと。客観的に考えて普通の民間人―――しかも10に満たない少年―――が、知っているはずがないのだ。本来ならば知らないはずの武はしかし間違えることなく、BETAの詳細を語った。果ては、まだ発見されていないだろうBETAのことも。
それで、『とにかくインドにいかなくてはならない。このままでは取り返しがつかなくなる』と思ったらしい。理由から行動まで、尋常のものではあり得ない。影行はあまりに荒唐無稽なこの状況に、頭を抱えざるをえなかった。
「………くそ」
最善の見えない状況の中、影行は毒づいた。五里霧中だと、内心の苛立ちを重ねていく。慎重になればなるほど選べない難題だった。息子のために命を賭ける覚悟はあるが、それでも守りきれると断言出来ると言うほど、影行は未熟でもない。さりとて、何もしないままでは状況は変わらない。
訓練を受けさせたのは、せめてもの苦肉の策だった。衛士の適性が少しでもあれば、日本に帰っても軍に―――軍にまだ在籍しているだろう信頼できる友人に推薦して、どうにか出来るかもしれない。
そう思って、資料を―――適性を測るだけの試験を受けさせた。しかし、それが裏目に出てしまうとは、影行をして思ってもいなかった。
ついには上層部のおかしな企画は潰れることなく。武も衛士として訓練を受けることを拒まなかった。むしろ、志願した。影行は親として、言った。武に辞めろといった。しかし武は、辞めるつもりは無いと返した。夢で見たBETAの恐怖が、そうさせるのかもしれない。影行はそう思い、それでも説得を続けた。酷い嘘をついてまで。
(―――大丈夫だ、BETAは日本にまでやってこない。
このインドで押しとどめるから、お前は先に日本に帰れ………なんて、よ。すぐにばれたが)
そんな、自分も信じていないあからさまな嘘は、すぐに見破られた。
そう、今現在―――人類側は圧倒的に不利な状況なのだ。月での戦闘からこっち、BETAが地球上に降下し始めてからちょうど20年。本格的な開戦以降、BETAを相手にする戦闘で、まともに勝てた試しがなかった。
影行が曙計画で見た米国。あの世界最強の国であっても、自国の一部を焦土にして、カナダの国土の内50%を放射能まみれにしてようやく排除できる程に、BETAは強いのだ。
それがどういう事を指すのか。米国の強さを嫌というほどに知っている影行には、その異様さが理解できていた。
かの計画の名前は、『曙計画』。米国が持つ第一世代戦術機開発、運用に関わる基礎技術を習得する事を目的として発動された計画だ。白銀影行は、その合同研究チームの一員として派遣されていた。任地での不慮の事故によって死亡した人員の代替となる、いわゆる中途派遣ではあったが、それでも影行はそこで十二分に理解したことがある。
ひとつは、米国が保持している巨大な軍事力について。影行は天井を仰ぎながら白い煙を空に吐き出すと、苦笑しながら思い出した。
米国で見せつけられた兵器の数々。堅牢で長大な砲を持ち、何よりも数が多かった戦車。戦術機を次々に生み出す工場。充実した設備に、屈強な兵士達。
ふたつめは、BETAの強さ。そう、米国が保持する力をもってしても、"あれ"だけの軍事力と生産力を持つ米国でも、まだまだ足りていないという現実。"あの"アメリカでさえ、BETAが相手では核無しには勝利を得られないのだ。
そんな馬鹿げた強さを持つ化け物が、ユーラシアで猛威を振るっている。
だから、影行はここまで来た。日本にその牙が届く前に、一刻も早く―――米国以上に有用な戦術機をつくるために。瑞鶴を越える戦術機を作り上げなければならない。もちろん、自分一人では無理だ。だが、数ある戦術機の部品の内の一つならば可能だった。
それでも今のままでは無理だろう。影行は戦術機の研究が進んでいることは分かっていたが、その進む速度が、時間が足りないことも悟っていた。
以前に行われたハイヴ攻略作戦、通称を“スワラージ作戦”―――インド亜大陸での勢力挽回を懸けて発動された、亜大陸中央にある"ボパール・ハイヴ"攻略作戦の結末を考えれば分かることだった。
アフリカ連合と東南アジア諸国も参戦したあの大反抗作戦。宇宙戦力が初めて投入され、軌道爆撃や軌道降下部隊なども導入された大規模作戦の中、人類はいつもとは違う結果を得られた。いつもと違う手応えがあったと、誰もが口に揃えて言った。
だが、こうも言っている。"決め手が無かったから負けた"と、生還した衛士の誰もが言っている。そして、負ければ自分もそこまで。
今思えば、得られたものが多かったあの作戦だが、その損耗は非常に大きい。
戦力だけではない。長い間戦線を維持してきてやっとの、大反攻作戦の失敗は、兵士達の士気にも影響を及ぼしていたのである。インド亜大陸で戦線を維持して、10年になろうとしている。この基地に体力は残っていないかもしれない。
次の侵攻に耐えられるかどうか。
綻びは、もう誰の目にも見える所まで来ていた。
15にも満たない少年兵を徴集するなど、今までは考えもしなかった話だ。それが許されることも。3ヶ月の基礎訓練、その後3ヶ月の衛士訓練の、半年しかない速成訓練など、作戦前では一笑に付されて終わりだったろう。それがまかり通っているのが現状だった。基地の友人が司令室の前で見た、"ソ連のお友達"が関わっているかもしれないが、本来ならば通らないことが通っている事実に違いはない。
戦況としては末期的とも言えるのではないか。整備員である影行さえも思っていることだ。他の衛士や戦車兵、歩兵達も皆思っていることだろう。
(いったい、どうすればいいんだろうな?)
影行は、心の中で呟く。しかし、答えを見つけられなかった。武は、帰らないだろう。退くつもりもないだろう。過酷な訓練に耐えたのが証拠だ。10にしてあの訓練に耐えるという異様さも、訳の分からない夢に繋がっているのかもしれない。
もう、武は逃れられない。見えない意図に絡められたかのように、戦場へと押し上げられていく。
影行はそんな我が子の過酷な運命を考えながら、思考の渦におちいる。どうすればいいのか、自分に何ができるのかを考える。
だけど、最善と思える答えは何もなく。それでも頭を抱えて考える影行の視界がぼやけていった。視線は自然に下へと落ちていく。その先で、影行の視界の端に、首からかけているペンダントの煌めきが映った。
「……そうか、そうだよな」
それは、無言のメッセージだった。中に居る人物からの、応援か、罵倒か、それは分からないが何らかの声に違いがない。そう思った影行は口の端に笑みを浮かべながら、ペンダントを握りしめた。
「万全ではなくても、か………俺はここで、自分の出来ることを最大限に。自分にしか出来ないことをやるしか………それしか、ないんだよな」
小さく、だけど力強く。そう呟いて煙草の火を消した日本出身の整備兵兼研究員は、自分の頬を両手で叩き、まだ仕事が残っている戦場へ。
自分の力を発揮できる、デスクへと向かっていった。