Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「もうじき到着しますよ、少尉」
「ん? ……ああ、分かった」
運転席から呼びかけられた声に、武は小さくあくびをしながら答えた。前面のガラス越しに見える横浜基地の遠景を捉えた後、疲労を滲ませたため息を吐いた。
(流石に遠かったなあ……二度とはゴメンだな)
ユーコンからベーリング海を越えてカムチャツカ半島へ、休憩を挟みながらオホーツク海を越え、北海道を経由した後に太平洋に用意されていた戦術機母艦へ。更には数日の船旅を経た後に車での長時間移動である。武は移動経路を振り返りながら、軽く背伸びをしながら、首を軽く横に捻った。
その間にも窓から見える風景は流れていく。見えるのは再建された道路か、罅入りの建物か、瓦礫だけ。その中で武は奇跡的に生き残った桜並木の道を眺めながら、自分ではない自分が毎日のように見ていた光景を重ねようとした後に、舌打ちをした。
「少尉、何か?」
「あ、いや、何でもない……ちょっとした感傷だから」
平行世界とこちらの世界、かつての自分と今の自分。何もかもが違っている。武はそう認識していたつもりでも、果たして本当の所はどうなのだろうかと考えた。
―――これから始まる戦いも含めて。
「さりとて避けられる筈もなし、か」
門を潜った先にある戦いの予感に、武は再び深い溜息を吐いた。
静かだ、とサーシャは感じていた。扉とコンクリートで閉鎖された空間の中で、微かに聞こえるとすれば空調機の音ぐらいだ。それよりも静かに、1人と6人は対峙していた。教官である3人と、最近になって通信士となったイリーナ・ピアティフ、そしてB分隊も何度か見たことがある香月夕呼副司令も目に入ってはいないとばかりに。
5ヵ月前、武が罵倒を始めた時と同じ部分もあり、異なる部分もあり。決定的に異なる部分は、どちらも背筋を伸ばして迷うことなく相手を真正面から見据えていたことだ。そのまま、静かに視線が交錯する時間があり。間を置いて、咳がひとつ。教官を返上し、元の階級に戻った紫藤樹が口上を述べた。
「それでは―――これより最終試験を始める。まずは各条件の説明からだ」
樹は紙の資料に目を落とすと、淡々と朗読を始めた。
「Aチームは207B分隊の6名。Bチームは白銀武が1名。搭乗機は互いに不知火で、兵装は自由とする。友軍なし、2チームによる模擬戦闘を行い、勝利条件は相手チームを全滅させること」
簡単にまとめた内容を告げるも、対峙する7人は相手から目を離さないまま頷いた。
「そして、全滅許容回数だが……Aチームは3回、Bチームは1回。白銀少尉は一度撃墜された時点で終わりだ。Aチームは、2回まで全滅が許される。また、再戦を決める時期は自由とする。フィールドは多少の丘陵がある荒地で、天候は快晴で設定……以上だが、各員質問はあるか」
樹の声に応える者はいなかった。代わりにと、夕呼が口を出した。
「私から一つ、条件―――というよりは景品を追加するわ。勝ったから合格でハイおしまい、っていうのも面白く無いでしょ?」
いきなりの発言にぎょっとしたまりも、樹を置いて夕呼は説明を続けた。
「ここから先、決着が付くまでは互いを同階級の者として扱うこと。敬語を使う必要はなし。それと……Aチームは、白銀武に対しての命令権を各員一つづつ与えようかしら。質問に答えろっていうのもあり。もっとも、経緯を聞いた限りは、“土下座して靴を舐めて発言を撤回しろ”、っていうのが王道よね」
「ちょっと、夕呼!?」
声を大にするまりもに、夕呼は軽い笑みを返した。
「場を盛り上げるための演出よ。それで、白銀の方は……そうね。何か、欲しいものでもあるかしら」
夕呼の質問に武は少し考えた後、答えた。
「天然のコーヒー豆を一週間分、ですかね。なにせもう、眠くてしょうがない」
回復するまで日々の業務にカフェインの摂取が必須なレベルです、と武は小さなあくびをしながら答えた。武はマナーとして、自分の手を口にあてる程度の動作はしていた。
だが、その軽い動作が207B分隊全員の苛立ちを一気に加速させ、限界点まで突破させた。歯ぎしりをさせる者、怒気を二酸化炭素と一緒に吐き出す者、目が座るもの、拳を握る者。その中で純夏までもが、咎めるような視線で武を睨みつけた。
「―――そこまでだ。各自、確認しておく事は……」
樹の声に、千鶴が手を上げた。
「再確認させて下さい。本当に、白銀少尉を一度撃破するだけで私達は合格となるのでしょうか」
千鶴の質問に、樹ではなく夕呼が答えた。
「そうよ。一度でも相手に撃墜判定を叩きつけられたら、それで合格。衛士として任官を認める。方法は問わず。どこから文句が出ようとも関係ないわ」
どの勢力の誰であろうと口出しをさせない。強く告げる夕呼に、B分隊の全員が深く頷いた。直後、視線が武に集まった。
千鶴が、眼鏡をくいと上げながら眼光を武に集中させた。
「よろしくお願いするわ……1分ももたなかった、っていうのは止めてちょうだいね? 拍子抜けは、ゴメンだから」
「へえ。結構な自信だな」
からかうように告げる武に、千鶴は震える声で答えた。
「ええ。まさか、ねえ? 睡眠不足、というよりも疲弊しているのかしら? そんな状態でこの場に出てくるとは思わなかったから」
「それは考えが足りないな。つーか、もしかしたら演技かもしれないぜ?」
おどける武に、慧が呟いた。
「……そんなくだらない真似をするような相手なら、正面から叩き潰しておつりがくる」
「そうです……それよりも、疲れているなら延期したって良いんですよ?」
慧の言葉に続いて壬姫が険しい表情で告げた言葉に、武は笑って答えた。
「ああ、その必要はない」
「つまり……疲れた身体が良いってことだよね」
じっと相手を観察していた美琴が尋ね、静かな声で冥夜が質問を重ねた。
「あえて不利を背負うという、その理由は?」
怒りも、嘲りもない真摯な声。対する武は、笑って答えた。
「だって、ほら―――良いハンデになるだろ?」
ぴしり、と空気が硬直した。少なくともサーシャにはそう聞こえていた。
「簡単に決着が付いたらお客さんを楽しませられないだろ? つまり……夕呼先生と同じだ、演出だよ」
御託はいいから、と武は告げた。
「叩きのめしてやるからかかってこい――――第207衛士訓練小隊、B分隊」
「……それで?」
7人が去っていった後、まりもが尋ねた。どうして煽るような真似をしたのか説明を要求すると、まりもだけではなく樹も視線で訴えた。夕呼は、呆れた表情で答えた。
「踏ん切りを付けるために決まってるじゃない。決着がついた後の方が難しい。そう判断したけど、アンタはどう考えてるの?」
「それは……勝ってそれで終わり、という状況にはならないかもしれないけど」
まりもは自分で言いながら、理由に気づいて視線を逸した。B分隊が勝ったとして、武の罵詈雑言が無かったことにはならない。何か切っ掛けがないと、この拗れた関係がさらに縺れることになるだろう。
「……隊内で悪感情を振りまかれても困りますからね。そういう意味では、いい方法なのかもしれないですけど」
樹の言葉に、まりもが続いた。
「機密の問題はどうするの? 私も彼がどこまでオルタネイティヴ4に関わっているかは知らないけど、聞かれて拙い事は当然あるんでしょう?」
「それこそ馬鹿馬鹿しい話でしょう――こういう機会に、身に余る情報を欲しがるようなバカは必要ないわ」
無用な心配だと、夕呼はまりもと樹の懸念を切って捨てた。そんな事よりも、この勝負の行く末は。207B分隊の仕上がりはと尋ねる夕呼に、教官であるサーシャが答えた。
「あの第二ステージの……2回全滅した時とは、比べ物にならないぐらい、彼女達は成長している。正直、嫉妬するぐらいに」
サーシャは自分の教官でもあったターラーの言葉を借りて説明をした。
「覚えるのではなく、まるで思い出すかのよう。具体的には……陸軍のトップには及ばなくても、精鋭部隊程度の肩書を持った部隊なら蹴散らせます」
「そう。で、
かつてのクラッカーズの二人を見ながらの質問に、返ってきた樹の答えは簡潔だった。
「2対6の勝負なら、10やって勝ち越せるかどうか。五分よりは上だと思っています……新OSの習熟度の差が大きいですが、それ以上に成長速度が類を見ません。おかしいとは思っていたのですが」
樹はある程度、武から平行世界の情報を得ていた。その中で違和感を覚えていた事があると、夕呼の方を見た。
「作為的な何かを感じます。A-01を始め、207訓練小隊にも、才能ある衛士が集まりすぎる。いえ、狙い通りに育ちすぎというべきですか」
衛士として真っ当に育つかどうか、それは短期間では分からないものだ。運動適性や操縦適性、Gに対する適性といった数値は大前提として、その上で戦闘機動をまともに行使できるかどうか、というのは実際に操縦する段階からしか見極められない。
「……それは、集めてきた人間に見る目があった、ということでしょうね。ボーナスでも支給した方がいいかしら」
「そう、かもしれませんね」
夕呼の話題変更に、樹は抵抗せず乗ることにした。それ以上は言うな、という意図を感じたからだ。
裏で、いくつか推測できる事はあったが、考えない事にした。例えば―――かつての武と同隊であったB分隊の5人と、例外の1人が集められた人員の中で最も異常な点など。
(横浜基地、つまりはG弾の爆心地で……何が起きてもおかしくはない不可思議な事象の中心部……)
考えた上で樹は思った。不思議筆頭と関わっている以上、今更な話だと。
「それで……今回の、対白銀戦の勝率は? というか、最後の方は妙なぐらい怒っていたようだけど」
実のところは疲労の極地に達しているであろう一人の男に、万全の態勢の中、陸軍の精鋭部隊に匹敵するという6人が勝利を収める確率はどれぐらいあるのか。
夕呼から端的かつ状況をまとめた質問が投げられたが、対する樹とサーシャは考え込むフリをしながら目を逸らすだけ。一方のまりもは、目を閉じてやや顔を俯かせた。それきり黙り込んだベテラン衛士3人の様子に、夕呼は顔をひきつらせることしかできなかった。
『怒ってるって……アイツが?』
『うん。それも、見たことがないぐらいに』
純夏の言葉に、千鶴は着座調整を続けながら答えた。手は止めなかった。模擬戦闘が始まるまで30分、済ませておくべき事を早めに済ませ、あとは作戦を練る方が良いと考えたからだ。
『笑ってから、どんどん雰囲気が怖くなって……』
『つまり……挑発の成果はあった、ってことね。これで冷静さを欠いてくれるならこっちのものなんだけど』
『その場合は、引き寄せて叩くことになろう。慧と私が囮になるプランDだな』
上手く嵌れば良いが、という冥夜の言葉に美琴はどうかなと呟いた。
『甘く見ない方が良いと思うよ。誘導しての一斉射撃だけど、避けられた後まで考えないと。それに……こっちも冷静に対処しないと、想定通りにはいかないと思う』
美琴の指摘に慧と千鶴と壬姫がうっ、と図星を突かれた顔になった。無言のまま、着座調整の音だけが続いた後、壬姫の深呼吸の音が通信に響いた。
『――そうだね。文句を言うのも、撃ち落としてから。そうするように努めていたけど』
何を言いたいことがあっても、現実の力として見せつけられなければ言い訳に終わる。向けられた暴言を否定するも、まずは成果を見せてからだ。それが隊内での共通認識だったが、怒らないように無理をし過ぎたことで逆に平静を保てていなかったかもしれない。壬姫の言葉に、慧が静かに同意した。
『危なかったね………でも、相変わらずだった』
『そうだね……武ちゃんがあくびしてた時なんかは、正直私でもムカっとしたし』
純夏でも自負があった。207Bの、他の隊員に追いつけたとは思っていなかったが、5ヵ月の間で積み重ねてきたものに対する自負があった。必死に訓練を重ね、痛くなるぐらいに頭を使い続けて、過酷な演習を一つづつ乗り越えてきた。楽だったステージなど一つもない。それでも、やりきったという達成感と共に得た感触があった。
『……虚仮にされた理由も分かったがな』
冥夜の呟きに、全員が黙り込んだ。それは同意に等しかった。過酷な模擬演習の中、友軍の動きと役割、そして軍という組織が持つ力を学んだからだ。特に防衛戦などで思い知らされた。文字通りの“穴”であった自分たちが、そのまま実戦の場に立ったのであれば、共に戦う友軍はどうしていただろうか。
『罵倒して、扱き下ろしたでしょうね。そうされる理由は、確かにあった……だからあの男には感謝しなければならない、でも』
『うん……それとこれとは話が別だよね』
珍しくも美琴の強い口調の言葉に、全員が頷いた。
―――このまま見下されたままで良いなど、間違っても思えないと。
『とはいえ、相手の戦力は完全に未知数よ。油断は禁物。負けることなんて許されない。だから初戦の5分は予定通り回避行動優先で、見極めと観察と分析に努めること。特に前衛、というより慧は1人で突っ走らないように注意して』
『そっちこそ、下手な援護射撃ならむしろ要らない。後ろから撃たれたら、眼鏡にベタベタと指紋をつけるから』
『……地味な嫌がらせね』
変に効果的だけど、という千鶴の呟きにはため息がこめられていた。その後、B分隊の6人は改めての作戦会議をした。プランは基本のAからGまであり、仕留める方法は大まかには二分されていた。
一つは、壬姫の狙撃により決する作戦。
もう一つは、撃墜覚悟で相手に肉薄する作戦だ。
ピンポイントで落とすか、数の有利を全面的に活かすかという単純な内容になった。相談の初期段階ではもっと複雑な作戦も立案されたが、数では圧倒的に有利な状況で小細工をするのは逆に相手の利になりかねないという声があったことから、採用はされなかった。
『それでも、上手く嵌めるには相手の動きをある程度だけど、予測する必要がある。だから、一戦目は最悪捨てるぐらいの意識でよろしく頼むわ。索敵は慎重に。発見次第、位置を、次に敵の装備を報告すること』
千鶴の言葉に、全員が頷いた。模擬演習から、未知の状況に於いて、かつ制限時間もない場合は石橋を叩いて渡るぐらいの慎重さがあった方が良いと学んだが故の結論だった。
やがて、次々と着座調整が終わり。最後の壬姫から全員へ、調整完了の通信が出されたのは、演習開始のちょうど一分前だった。
全員が、深く、浅く、深呼吸を繰り返し。その唇を、笑う形へと変えた。
『―――いくわよ!』
『了解!』
5つの大きな返信と同時、移動開始の合図が出された。207B分隊の駆る青い不知火が、慎重に、だがいつもの通りにハンガーから外へと移動していった。
やがて外に、連絡されていた場所についた後、207B分隊は分散する陣形を取っていた。2機を一組とした、前衛、中衛、後衛の計3隊編成となる。
やがて、
『207B分隊、そこで待機。白銀少尉も同様に。開始まで20秒……』
ピアティフからの通信があった後、ひとまず投影された映像が闇に染まり、B分隊は静かに待機した。初めから相手の位置が分からないようにと、決められたものだ。
やがて、残り10秒から、カウントダウンの声が。
9、8、7の時点で千鶴と慧、壬姫の表情に戦意の熱がこもり。
6、5の声を聞いた美琴と純夏が一つ深呼吸をして。
3の合図が出された段階で冥夜が閉じていた目を開け、正面を見据え。
2、1の通信を前に6機の中で操縦桿を強く握る音が唱和された。
『0―――最終試験、開始!』
同時、映像の闇が晴れ、最初に動いたのは前衛である冥夜と慧だった。索敵を開始する、という声も出さず、予定通りに障害物を横にしながら動いていく。
障害物の陰から出てくる可能性もあるので、慎重に、4分の出力での速度を保つ。頭の中は、発見した後の行動のおさらいが巡っていた。
回避行動の後に報告を、と考えた所で二人ともが目を見開いた。
『れ、0時の方向に敵発見!』
距離も遠く、肉眼では装備が確認できないぐらいの。36mmは言うに及ばず、120mmでも到底当たらない遠距離に不知火を発見した二人は、次に装備を見極めようとした。
危険な距離なら安全を優先するべきだが、ここで装備を見極められるのは大きいと、そう判断したが故の選択だった、が。
『二人共、回避!』
美琴の声に、慧と冥夜は反射的に操縦桿を倒した。直後、ルート上のやや前方に120mm劣化ウラン弾が着弾した音が響いた。
『な、この距離で?! でもロックオンの警報も―――』
冥夜と慧の2機がそのまま真っ直ぐ進んでいたとして、当たる場所ではなかった。それでも想像以上の高精度で放たれた砲撃と、何よりもロックオンされた時に鳴る警報が反応しなかった事に、全員が言葉を失っていた。
『っ、全機散開、遮蔽物の影に!』
千鶴の命令に、B分隊は迅速に従った。間もなくして状況を分析する声が次々に上がった。
『ぶ、武装確認、中刀が2に、突撃砲が1』
『射撃精度はA+の見込み……壬姫さんより若干下、って程度かな』
『そうね。それ以上に厄介なのが……』
千鶴の言葉の続きは、全員が共通出来ていた。
―――敵は、ロックオン機能を一切使っておらず、射撃前の予測が難しいこと。
『………言うだけの事はあったようね。敵の脅威度レベルをAに修正』
想定のB、普通にやっても苦戦する評価から一段階上げた千鶴は、解せないという思いを押し殺しながら対策を考えた。
『射撃が得意なのに、突撃砲が1というのが不可解だけど……取り敢えず、ここは攻める』
遠距離過ぎて、相手の射撃を誘導して弾数を消費させるにも難しい。そう考えた千鶴は、ある程度まで距離を詰めなければ、という方針を元に指示を出した。冥夜と慧はこのまま遮蔽物の影から、敵の側面に回り込むこと。壬姫と純夏は後方に下がりながら、高度をやや高く取り、敵機が上空に現れたら射撃で牽制しつつ味方にその位置を知らせること。
『美琴、私達は遮蔽物を盾にしながら牽制の射撃を。前衛の2機は多目的追加装甲
による防御を優先し―――相手、全く動かないわね』
この距離でも移動時に噴射跳躍などすれば、小さくても音を拾える。それが、先の射撃から一切しないことに気づいた千鶴は、レーダーを確認した。
『動いていない―――っ!?』
次に聞こえたのは、跳躍ユニットが一気に全開になる音。一方で相手の機体は全く動いておらず。
何をするつもりか、と考え込んだ千鶴達の思考を他所に、敵機を示す赤のマーカーは動き出した。
高度をやや高く取ったかと思うと、遮蔽物がある丘陵スレスレに全速で、真っ直ぐに千鶴達が居る場所へと移動を始めたのだ。
『全機、散開―――陣形C、迎撃!』
千鶴の指示が終わって一秒後には、それぞれが動いていた。前衛組は左翼へ、後衛組は右翼へ、中衛組はそのままの位置で、相手を半円形に包み込む形に移動して間もなく、突撃砲を斉射した。
展開速度は、帝都防衛隊に勝るとも劣らず。訓練兵では有り得ないもので、精度も若干劣る程度のもの。相手が並の衛士なら8度は撃墜してもおかしくはない、そういったレベルでの包囲射撃は、荒地の地面を削るだけの結果に終わった。
『地を這うように―――怖くないの!?』
被弾面積を少なく、風圧による抵抗を少なくするためには前傾姿勢で地面スレスレを飛ぶのが最適とされる。機体の傾斜角度は小さければ小さい程に良い。反面、機体の制御は加速度的に難しくなっていく。
B分隊は座学と演習の中で学び、実践することでその理屈を飲み干すに至り。
眼の前の現実は、その常識を覆した。狂気的な角度で飛ぶだけではなく、地形に沿ってスレスレに、弾が地形によって途中で防がれるルートを瞬時に選択していたが故に。
『―――対処Cの6! 前衛、回り込む形で距離を詰めて!』
『了解、仕掛ける!』
『了解、後衛、援護頼む』
冥夜の声に、慧の追従。このまま行けば自分たち中衛組が居る所まで距離を詰められると判断し、それを防ぐのは困難だと見た千鶴は、迎撃の形を変えることにした。
側面に展開していた前衛組が敵機を斜め後方から仕掛ける形に。中距離射撃で仕留めるか、挟み撃ちにする形で長刀を叩きつけるか、という迎撃態勢である。
その後、中衛の2機は出力80%で左後方へ、やや逃げる形で背面への突撃砲斉射で牽制を始めた。追うような形で右翼に展開していた後衛組も、敵機を追う形で移動しながら遠距離による狙撃を仕掛け―――数瞬後、敵の姿を見失った。
『は―――っ、え!?』
予備動作は2秒だけ。何か機体と補助の腕部を動かしたかと思うと、ふっと影を残して消えたかのよう。壬姫と純夏は驚愕に一秒を費やすも、直後の通信に気を取り直した。
『てっ、敵機方向転換、後衛、2時方向だ!』
冥夜の声に、純夏と壬姫は機体を言われた方向へと。レーダーで距離を確認しながら、改めて敵機の姿を捉えた。
『今の―――何を、何が』
『考えるのは後だ、慧!』
正面やや左翼寄りに移動していた中衛組を追う方向から、右翼に居る後衛組と正面から相対する方向へ。千鶴は戦慄した。瞬時にこちらの陣形と意図を読み取った事ではない、その時の動作が何よりも問題だった。
まだ距離があった自分たちでさえ、消えたと錯覚するほどの急激な方向転換。
(――だけじゃない。どうして、私達全員の裏を突くタイミングで!)
敵機を追うには、予めその進路を予測して眼を滑らせるのが常識だ。一転、その予測を外されると視認と視界の追従が難しくなる。
一方の冥夜は、絶句していた。その技術には見覚えがあったからだ。
(虚を踏み影より死を穿つアレは―――いや、戦術機用に工夫を!?)
人間の視界は、存外いい加減なものである。視界が悪い中、急激な速度で動かれるとたちまちその姿を見失ってしまう程に。
故に、対する時は一点を集中するなと教えられる。虚の動作に釣られないように、という意味でも、敵の全身をぼんやりと見つめながら全体の動きを捉えながら対処するべきであると。だが、やはり暗所のような場所において視線は誘導され易く。
態と目を逸らす、手や足の動きで視線を誘導し、その逆を突く方向に半歩踏み出す。
神野無双流が運足の三、“虚踏”と名付けられたそれを冥夜は月詠真耶から見せられた事があった。
(速度と視野の広さは反比例する――それを利用したのか)
冥夜はその理屈を見極め、対処方法を叫ぼうとした寸前に、唇を噛んだ。
(見失わないようにするには相手を集中して見すぎるな、などと―――)
冥夜は、助言したとして全員が咄嗟に対応出来るとも思えなかった。逆に付け焼き刃で可能になったとしても他の行動に影響が出ると、そう判断していた。
中途半端に全体を見据えるような、ぼんやりとした視認方法をすると、敵と味方の位置の見極めが甘くなるのだ。誤射が起きる確率が高くなり、近接戦闘に於いても悪影響が出る。
何か、対処方法は。考えている冥夜の視界から、武の機体が再度消失した。
『緩急を―――くっ!』
一瞬緩めての、フェイントを入れての急速な横移動。だが覚悟していた冥夜は、先程よりその影を捉えるのが早く。それでも、一歩遅かった。
3点バーストが、2つ。通信から悲鳴が聞こえるのと、冥夜が射撃で狙いを定めるのは同時だった、が。
『消え――上か!?』
冥夜は急上昇した機体を追い、上空に視界を移した。慧も迅速に反応して、武の機体を銃口の先に捉えようとしたが、それは出来なかった。
見えたのは青の不知火の影と、太陽の光。不意に目に飛び込んできた強烈な光に戸惑った冥夜と慧は動揺し、その機体の動きが鈍り、
『消え―――』
その隙を突かれた冥夜と慧は完全に武の機体を見失い。直後、機体に走る衝撃に小さな悲鳴を上げた。
そして、見失っていたのは千鶴と美琴も一緒だった。視認できたのは急上昇からの横移動、急速反転しての装備変更。中刀に持ち替えてから2機の間をすり抜けながらの攻撃は一切の淀みが無く、
それでも、その機体の影を銃口で追っていて―――間に合わないと思った千鶴は、美琴を庇う位置に機体をずらしながら射撃した。
壬姫ならば当てていたであろう距離、だが機体を強引に動かしながらの斉射は無駄が有りすぎた。当然のように弾は当たらず、既に変更されていた相手の装備である突撃砲の銃口はこちらを向いていて。
『分かってる―――美琴!』
『りょう―――か、い!?』
美琴は凍りついた。構えようとして、敵機の姿を視界に収めたと同時に、相手の銃口がこちらにずらされたからだ。
『読まれ―――っ?!』
千鶴が美琴を庇った事も、その影から攻撃しようとした事も。全てが予測の内だと嘲笑うように、36mmの劣化ウラン弾は大気を切り裂いた。
そしてついでとばかりに、思惑を外されて一瞬だが思考停止に陥っていた千鶴に対して銃口が向けられた。
衝突音。同時、千鶴は機体が後ろに仰け反ったと認識したと同時、その慣性力を横に逃しながら機体の体勢を立て直した。
(どこを撃たれ―――いえ回避行動を優先、それから機体のダメージ確認を………)
自分が最後の1機ならば、と。千鶴は遮蔽物に隠れようとしたが、突撃砲が当たった位置を見て顔を顰め。
はっと顔を上げて、違和感と共に味方機に視線を移した。
あまりにも早く、連続して移り変わる状況を前に混乱していたが―――聞いてはいなかった。味方機が撃墜された、という通信士からの連絡を。
その理由を察した千鶴は、距離を取りながらもこちらを観察するようにしていた武の機体に向け、通信を飛ばした。
『……どういう、事かしら』
千鶴は脳内で反芻する。地上に居る後衛組の脚部側面を、前衛組の背面にある補助腕に装備されている長刀の柄を。そして、自機と美琴機の補助腕そのものに着弾した36mmの弾痕を。
細かい意味では、違うのだろう。だが、大まかな意味ではまとめられた―――ダメージを受けた場所、その全てが組ごとに分けられていると。
千鶴の、震える声。
それに対して、返ってきた答えは明確だった。
『昔、所属していたある中隊があったんだけどな。で、その訓示に従ったまでなんだ』
―――舐められたら、舐め返せ。
武は今の千鶴と同じぐらいに深く、怒りに染めた声で告げながら。
『見違えた、ってのが正直な所だ。嘘じゃない。若干だけど、ついてこれてる。でもな……簡単に越えられる、なんて思ってもらっちゃ困るんだよ』
報せるための一撃だ。そう告げる武に、千鶴は怒声で返した。
『こっちこそ―――ここまで虚仮にされてるのに、引き下がれるもんですか!』
宣言に呼応するように、207B分隊の全員が各々の武器を構えた。
各々の胸中にあるのは、圧倒的な敵。それでも、戦意の炎は消えず、2機で素早く陣形を組み直し。
武は、その様子を見ながら満足そうに笑顔を向けた。
『上等! 一発目はサービス―――こっからが本番だ!』
宣言した武は中刀を両手に装備させ。
その背面の跳躍ユニットから、全力を示す推力の炎が吹き出した。
ついに始まった最終試験。
連戦なので、1話あたりは少し短いでござんす。(1万文字)
オリジナル技の「虚踏」は錯覚を誘引する技法。
簡単に言えば「予測・想像の斜め上を行く」ことですね。
あるいは、感想にあった通り蝿か、蚊ですね。
このやろう叩いてやるぜ~と目で追ってるのに、いつのまにか見失うという。