Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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遅れまして申し訳ありません。

久しぶりの本編であります。


1月29日に先の短編集の最後に、一つお話を追加しましたので、
未読の方はぜひ。


15話 : 絶叫

 

 

「5ヶ月は少なすぎると、アンタ達は言うけどね」

 

夕呼は事実だけを告げた。

 

「事態が動き出すのがちょうどその時期。ぎりぎり間に合うだけじゃ遅いのよ。ついていくのでやっとのお荷物なんて、アンタ達も要らないでしょう?」

 

「……必要か、と言われては肯定できません」

 

「そう。なら―――これ以上話す事は無いわね?」

 

告げる夕呼に、樹も、まりもも、何も言えず。最新型のシミュレーターの運用という題目で判が押された書類は、その効力を発揮することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心拍の乱れこそが心の乱れ。御剣冥夜は剣術の師にそう教えられてきた。呼吸の乱れは身体の乱れに等しく。そのような確かならぬ身を引きずるようにして剣を持っても、何もならぬと。

 

明鏡止水の心こそが辿り着くべき頂。冥夜はそれを理解するも、高まる自分の鼓動の音を聞きながら、その域にはまだまだ至っていない身を恥じた。

 

(今は8月の始め。最終試験があるという10月の半ばまで二ヶ月以上はある。それを受けるのは、第二段階がクリアできてから……それでも、先は見えてきたな。そのせいか焦燥感に、高揚感が高まっているか……未熟だな、私も)

 

失敗すれば終わりだというのに、難易度は第一段階より上がるという。失敗すればそこで終わり。一方で、これさえ乗り切れば望んだ立場に到れると期待している自分も存在する。両方が綯い交ぜになった内心は平常心から程遠く、横目で観察した仲間の様子から、冥夜は彼女達も大小の差はあれ同じような心境を抱えていることを察することができていた。

 

(純夏は……相も変わらず、動作が硬いな)

 

冥夜はシミュレーションの模擬演習が始まってから、常に変わらず微妙な緊張感を持っている純夏の様子を察していた。映像とはいえ、異形の化物と断言できるBETAを見てからの事だ。後催眠暗示が必要になるまではいかないが、時折不安気な内心を表に出すことがあった。その後、周囲を見回して誰かの姿を探している事にも冥夜は気づいていた。

 

白銀武。冥夜はゆっくりとその名前を反芻すると、晴れない疑惑について思った。B分隊が再起してから、一番事情や背景、過去に詳しいであろう純夏に対してB分隊の者が質問をした事はない。機密漏洩の文字がちらついた事もそうだし、純夏が本人から直接注意されていたのも理由として上げられる。万が一にも、それが原因で演習が取りやめになるなど、冥夜としても考えたくなかった。

 

それ以外にも情報収集のツテがある。そう思った冥夜は、真っ先に自分の姉的存在であり、剣術の師の一人でもある月詠真那を頼った。白銀武がどういった人物か、どうしても知りたかったからだ。

 

だが、反応はナシのつぶて。冥夜は見たことがなかった。答えられないと言われるのも、極めて複雑な表情を浮かべる真那の表情も。

 

(だからこそ察せた事もあるが)

 

冥夜は、真那が自分の味方である事を疑っていない。それほど浅い関係ではない。その真那が白銀武を否定しないのは、何かしらの理由があるからだ。詳細までは不明だが、少なくとも悪意を持った者ではなく、増上慢に身を呑まれた愚か者ではない。真那をして言葉を濁すに足る、複雑な事情を持つ者だと。一方で、放置されたままにはならない事も理解していた。あの言葉のやり取りを忘れ、誤魔化し、逃げるような輩であれば必ず真那から特定の反応が見られると思ったからだ。

 

(純夏は、それを知っているのか、どうか……だが、迷っているのは確かだな)

 

あれは理由があっての事だと、必ず再び会うことになるのだと。冥夜はそれを純夏に伝えるべきか、別の言葉で元気づけるか。あるいは純夏の様子に気づいているであろう千鶴に任せるか。迷っている内に教官の姿を目視した冥夜は姿勢を正した。隊の中では銀髪の子鬼、と影で呼称している社深雪だ。

 

「敬礼!」

 

千鶴の号令に、冥夜達は敬礼をする。最早その行為に躊躇いはない。B分隊の全員が、紫藤樹から引き継いだと言って突然教官として現れた彼女に対し、面食らった事があった。だが、今ではその誠意を疑う事はなかった。今の成長した自分たちを見れば、彼女の有能さは自ずと理解できるからだ。

 

“社教官”は時折苛烈な物言いをするが、そういった時には何某かの理由が必ずあった。気を抜いていたか、やってはいけない判断ミスをしたか。そうしない時は、ちくりと胸に刺さる言葉だけ。冥夜達は隊内で幾度か話し合った結果、どう考えても彼女が誠意を持って自分たちに接してくれていると、そう判断するに至っていた。

 

指導の言葉も的確で分かりやすい。何を言うでもなく、頭の良さと実戦経験の豊富さに裏打ちされた教導だと、理解させられる程だ。一度だけそれを指摘すると、困った顔を返されたのが予想外だったが。

 

どうであれ、有能で、歴戦の衛士だ。

 

・・・・・

()()()()()冥夜は気になった。その彼女をして、躊躇いが、自分たちを気遣うような表情をしていたから。

 

(理由もなく、というのは考えられない。嫌な予感がするな)

 

確信はない。だが、冥夜は美琴の表情を見て気の所為ではない事を知った。

 

何かある、と。

 

(変わった事と言えば……そういえばシミュレーターが新しくなっているな)

 

間もなくして、サーシャから説明がされた。今後の演習は基地に新しく搬入された、新型のシミュレーターで行うと。

 

冥夜を含めた全員が、その物言いを怪訝に思いながらも、頷く他になかった。

 

「後は、戦闘条件について。全滅の許容回数だけど、2パターンがある」

 

様々な状況をクリアしていく、その一つ一つをサーシャはステージと表していた。

 

第二段階のステージ数は10。その上で、条件は以下の2つとなる。

 

1、模擬戦を通じての全滅許容回数は6。ただし、一度全滅した後、作戦会議の時間を取ることができる。

 

2、模擬戦を通じての全滅許容回数は10。ただし、全滅をしようが何をしようが、インターバルを取ることは許されない。どちらを選ぶのか、と問われた千鶴は1の方をと即答した。

 

「間髪入れず、相談もせず……独断とも取れるけど」

 

「予想はしていました。慎重に行くと、それが隊の方針です」

 

「実戦では、作戦会議などやっている時間が無い場合もある。即戦力を目指すなら、2の方が良いと思うが?」

 

「知識と経験が蓄積されていない自分達が、即座に最適解を見いだせるなどと自惚れてはいません」

 

それを積み重ねるのは、衛士になれてからの話だ。迷いなく告げる千鶴に、サーシャはそれ以上何も言わず、ただ頷いた。

 

そして、冥夜は更に訝しげに思っていた。千鶴の回答を聞いたサーシャが、どことなくホッとしたような顔をしたからだ。

 

(……今まで以上に、気は抜けんな)

 

最大限の警戒を。冥夜は心がけ、皆に周知しようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「四方同時に気を張れる人間はいない。予期せぬタイミングで死角から不意を打たれた時点で一巻の終わり。だからこそ俺たちは、孤立しない。戦場に出る前に群れる。個ではなく組を織り成し軍となる」

 

樹が誰ともなく呟き。大陸を思い出したサーシャは、例外を思った。

 

「だが、組織にさえなれない、お粗末なものだったら……足手まといになるだけの重荷であればまだ良い。最悪は、味方の足を噛む罠になってしまうこと」

 

サーシャは知っている。人の愚かさを。人の弱さを。でも、当たり前だとも思っている。自分に置き換えれば分かった。無敵など、夢のまた夢。人はただ一つの困難であっても、苦悩するものだから。

 

「だから……副司令が出した方策は的確の一言。備える、という意味でこれ以上の事はない。そのためのシミュレーターである事は分かっている、けれど」

 

独り言を聞いている樹も、それ以上を言わない。認めざるを得ない、その一点だけが真実だったから。その背後では、まりもが沈痛な面持ちでシミュレーター演習が行われている方角を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着座した後は、まず自分の場所を作る。操縦する手足がスムーズに動くように、座席位置や操縦桿の位置を調整するのだ。

 

(自動車も同じだと聞いたけれど)

 

衛士の教習課程が始まって間もなく教えられた事だ。自動車で言えばバックミラー、ハンドルの高さ、ハンドルまでの距離、サイドミラーを自分の目線から見やすいように調整する。調整しなくても操縦できないことはないが、時間が経過するにつれ身体が辛くなるという。コンマ数秒の油断が生死に直結する戦場ならば余程だ。

 

とはいえ、慣れた作業でもある。擬似的なコックピットの独特な臭いも、操縦桿を握った時に湧き出てくる高揚感も、目新しさを覚えなくなった。その頃の感覚など、思い出そうとしても思い出せない。それほどまでに濃密な訓練だった。

 

(それでも、まだ何も終わっていない。油断は禁物どころか厳禁……と、頭では理解してはいても)

 

苦難を超えた快感は、満足感を与えてくれる。擬似的な達成感さえ。それでもこれからが本番だ。甘い相手ではない故に、この第二段階の演習でどのような無理難題が待ち構えているのか、千鶴は考えるだけで吐き気がしてくるような感覚に陥っていた。第一段階の演習も、余裕では決してなかった。何か一つ歯車が狂えば瞬く間に全滅の許容回数を超えていただろう事は、隊内での共通見解だ。気を緩めるなど、もっての他だと。

 

(それを、全員が理解しているのは救いでしょうね。口うるさい、心配性だと言われるのが一番拙かったけど)

 

そういった声は無く、全員が自分と同じ危機感を抱いていた。ならば後は、いける所までやるだけだ。そうして準備運動を終えた千鶴は、網膜に投影された情報をチェックしていく。間もなくして調整を終えた隊の皆に、隊長としての声を告げた。

 

『みんな、準備は良い?』

 

『悪かったら言ってない。眼鏡はまだまだお固いね』

 

『け、慧さん!』

 

美琴の注意する声を聞きながら、千鶴は静かに我慢していた。実を言えば眼鏡と固いの関係について問い詰めたかった所だが、そういう場合でもないと話を戻した。

 

『あ、こっちは準備オッケーですー……うん。設定は大丈夫なんですけど』

 

『変に不安がるな、壬姫。油断は以ての外だが、根拠のない弱気はもっと良くないぞ』

 

『そうそう、そうだよ。やってやれん事はないっていうぐらいの気合が必要だって』

 

『そういう純夏の方は、もっと慎重になった方が良いと思うけど』

 

慧の常になく真面目な声を前に、純夏が言葉に詰まった。慧と同じ前衛の冥夜も、慧の追求から庇わなかった。的確な援護射撃はありがたい。されど、スレスレの位置を砲弾が過ぎる感覚を覚えて、良い気分にならないのが人間というものだからだ。

 

『で、でもさ。まだ当ててないし。つまりは万事オッケーだよ!』

 

『まだ、という言葉に果てしない不安を覚えるのは、私だけか……?』

 

『ま、まあまあ。純夏さんだって悪気がある訳じゃないし』

 

『うむ。しかし、逆を言えば悪気が無いのに失敗を重ねられる方が、解決策が絞られるのだが』

 

悪気があればそれを解消すれば解決できるが、無い場合は原因を抹消する他になく。

 

『め、冥夜まで酷いっっ?!』

 

純夏の悲鳴に、全員が笑う。千鶴は笑いながらも、何時も通りやれているなと安堵していた。厳しい試練になるだろうが、気負いも油断もない。程よい緊張はあろうが、張り詰めすぎて切れるようなものではないと。

 

(当初は、どうなる事かと思ったけど)

 

再起を誓いあったのは良いが、それだけで意思疎通が計れる訳がない。人は言葉一つをとっても、様々な解釈をするものだと、千鶴はここ二ヶ月で実感させられていた。

 

隊員どうしの間柄もそうだ。時には誤解が生まれて、口論に発展する事もあった。だが、その度に千鶴は仲裁を買って出た。互いの意見を聞いて、どう思っているのかを自分なりに理解する。その時に驚いたのが、人間はこうまですれ違う事ができるのか、というものだった。

 

(……別に、憎んでいる訳でも、敵でもないのよね)

 

少し感情的になったり、言葉が足りずに誤解されたり。そして千鶴にとって有り難かったのは、B分隊の皆は冷静になれば反省も謝罪も出来るような性格を持つものばかりだったということ。

 

千鶴は断言できる。父の周りで見たように、悪意や打算を前提に相手の意見を揶揄したり、否定するような悪辣な者はいないと。

 

同時に、渋い顔をした。そのような相手と直接殴り合うような事態にならない、否、させないように論説と行動を駆使してきた父は、一体どれほどまでに遠い所に居るのだろうかと思ったからだ。

 

(それでも、届かないなんて、やる前から思ってやらないけど)

 

そう考えてた千鶴の耳に、演習開始を告げる通信が。

 

サーシャの口から、第二段階における模擬演習、その概要が説明されていく。基本的には、第一段階から大きく変更になった点はない。一通りを聞いた千鶴は、心の中で反芻した。

 

(目新しい事は多くない。でも……友軍の存在も状況に組み込んでいく、ってどういう事なのかしら?)

 

今までは分隊の6人が生存すればそれで良いという内容だった。だが、今回からは友軍もシミュレーターの中に出てきて、それを助けるなど、自分たち以外の生存も戦術上の勝利目的として組み込まれるという。

 

(いえ、そうね。より実戦に近い形で、という事なのかしら)

 

相手の動きを把握し、予測し、その上で自分たちがどういった行動を取ればこの課題をクリアできるのか。処理すべき情報が増えた、と千鶴は難しい顔を浮かべた。

 

しかし、直接指揮できない相手の行動を、どうすれば。いずれにしても、一筋縄ではいかないと、千鶴は隊の皆にも周知し、改めて気を引き締めることにした。

 

 

やがて、演習開始を告げる声が、千鶴達の耳目を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三人寄れば文珠の知恵。そう評せるだけの力量はついた。数による力を、足し算ではなく掛け算にする方法も」

 

集うことで死角を潰し、不意打ちで死なないように振る舞う事ができて三流。僚機と死角を埋めあいながら、攻める戦術を繰り出すことができて二流。隊全体で死角を生み出しつつも殺し、戦術担当区域を支配できて一流。

 

樹から見て、B分隊の組織としての戦闘力は二流から一流の間に至っているように思えた。抜群の成長速度だ。今まで観察してきた中で、これほどまでに成長速度が早い訓練部隊があったか。樹は自問し、否定をもって自答した。

 

「才能がある。今の時点で正規兵と並べても、遜色はないだろう。優秀だと賞賛できる―――机上で論じるなら」

 

戦術論は敵を打倒する事を前提に作られていく。だが、誰もがそれを実践できるのなら、人類はここまでBETAに押されてはいない。

 

様々な状況に対して瞬時に応じ、身につけた技術や知識を正しく適所に発揮する。それが出来て初めて、戦場から生還する事が出来る。戦果を上げることが出来る。そうなれるように訓練と座学は繰り返されていくのだが、散っていく者の方が遥かに多いのが現実だ。特に対BETA戦における死亡率は、人間を相手にした時の比ではない。

 

「……特に“単価”が高い衛士、その死亡率の原因を潰すために、か」

 

樹の呟く前で、B分隊は映像上のBETAに果敢に挑んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで、そこにBETAが本当に存在するみたい。慧は網膜に投影された幻影の要撃級を撃破しながら、そんな感想を抱いていた。

 

それも、刹那の間だけ。直後には操縦桿を前に倒し、後続の要撃級を視認した。

 

対象との距離は、今の自分の速度は、相手の腕の位置は、周囲に障害物は、自機の腕の位置は。近接戦闘において把握しなければならない情報を全て処理した慧は、一歩更に踏み込んだ。慧の目前に居た要撃級も、自分の左側に来た存在に対して即座に反応し、その豪腕を振るうために半身だけを翻した。

 

一秒の後に、遠心力の入った超重量の一撃が繰り出された。直撃されれば、機動力向上のために装甲が薄くなった第三世代機の練習機体である吹雪など、ひとたまりもない。それでも、当たらなければただの駄々っ子の腕振りと同じになる。

 

慧は予想通りにやって来た―――間合いとタイミングを調節して振らせた―――左腕の一撃が繰り出されるより前に回避行動に移っていた。BETAに駆け引きはない。機械のように正確に、まるでそれが義務であるかのように行動を起こす、それを利用したのだ。

 

(――そこ)

 

次の一撃が繰り出されるその前に、慧は肉薄した。短刀で数カ所、要撃級のクリーム色の表皮を切り裂き、肉まで抉った。紫色の体液が振りまかれ、要撃級はゆっくりと倒れていく。

 

(次。まだ、終わりじゃない……けど)

 

まだ二体。油断ができる筈もないと、慧は次なる目標を探しながら、吐き気と戦っていた。原因は新しくなったという、シミュレーターにあった。

 

短刀から返ってくる機体の感触。肉の抉れ具合。体液の描写。その全てが一段と生々しく感じていたのだ。ここで撃墜されれば本当に死ぬのではないか、という錯覚に陥りかけるほどに。もしも、先程の一撃がコックピットを直撃していたら、自分は。慧はそうなった時の自分を想像し、小さく頭を横に振った。

 

それが、隙となった。時間にして二秒程度。慧が気づいた時にはもう、赤色の死神は跳躍の準備を済ませていた。

 

(戦車級! っ、まず―――)

 

取り付かれれば、一気に不利となる。即死はしないだろうが、繊細な重心バランスを元に高機動を確保している吹雪である。派手に振りほどこうとすれば転倒し、その衝撃で電子機器が損傷すれば死亡判定は免れない。

 

さりとて、ここからの回避も迎撃も不可能。一連の認識を実感をもって解し―――直後に、宙で戦車級は四散した。

 

『大丈夫!? 油断しちゃ駄目だよ、慧さん!』

 

『……ごめんなさい。ありがとう、壬姫』

 

狙撃で助けられた、命拾いした、だから礼を。認識と行動、謝罪と礼を済ませた慧は、今度は僚機である冥夜機に奇襲を仕掛けようとしてきた戦車級を、自分の突撃砲で撃ち潰した。止まっている暇もないと、迅速に次なる行動へと移っていく。それでも、有り難いという気持ちは本物だ。第一段階で試験的に試した、ポジションの交換から得た教訓を慧は忘れていない。

 

後衛の仕事は、それだけ大変だった。無造作に動き回るのに、その進路予測と前衛に近づく敵の脅威判定と、狙い付け。全てを短時間で済ませなければ、前衛はすぐさま窮地に陥ってしまう。今まで慧は、後衛の援護が遅いと思った時もあったが、それには自分の責任もあったのではないか、と思えるようになっていた。

 

工夫すれば、もっと。どのような動きを、スタンスをもって前衛で動くのか、特別な訓練をするのではなく、それらを伝えるだけで連携の精度が上がるのかもしれないと。

 

(成果は、少しだけど……あった、かも)

 

実感を得られるような段階まではまだまだ。増長もできないと、慧は眼前と周囲の敵、味方へと集中した。

 

一方では、冥夜の援護を担当している純夏の後方からの狙撃が、次々と敵に突き刺さっていった。精度は壬姫のそれに比べるべくもないが、判断が早く、前衛が危うくなる前に援護を成功させている。あれも、慧にとっては真似出来ないと思える技に見えた。

 

ふと、そんな時に通信から声が聞こえた。

 

『助かったぞ、純夏。よし、少し前に敵が―――』

 

『そんな事言って、また長刀に頼ろうとしてる?』

 

『ぐ……き、気をつける!』

 

純夏の指摘を受けた冥夜は長刀による切り込みを諦めた直後、突撃砲を装備しなおすと、まだ距離がある要撃級を相手に次々と弾痕を刻んでいった。慧はそれを援護しながら、内心で呟いた。

 

(……射撃と機動は、まだこっちが上だけど)

 

慧は冥夜を、千鶴とは違う意味でのライバルとして意識していた。共に突撃前衛候補であり、自分と比較しやすい似通った適性を持つ者どうしというのもある。どちらがより、前衛としての役割を果たせているのか。細かい部分で言えば、機動時の射撃や近接格闘動作の精度、高機動戦術の巧さはどちらが上か、といった点で意識せざるを得ない相手だ。

 

得意とする分野で負ければ、悔しさは倍増する。まるで自分の存在が否定されるかのような思いさえ浮かんでくる。慧は、その時に口に広がる虚無の味を思い出し、家に居た頃の事を連想させられていた。

 

(―――全てから遠巻きにされるのは、ごめん)

 

腫れ物を扱うような、周囲の人達。全てを話せなく、申し訳なく思っているのか、遠慮がちになった父親。気苦労と、父への気遣いが増えたせいか、以前とは違う様子になった母。世界が変わったかのようだった。そして、婚約者のような存在だった沙霧尚哉が家に顔を見せることもなくなった。

 

接触禁止の令が出されたからだろう。当時は理不尽に思っていた慧も、軍に入って色々と考えるようになった後で、その理由も理解できるようになった。

 

話せること、話せないこと、話してはいけない事、隠し通さなければならないこと。指揮というもの、その必要性と意味を全てではないが学ぶ事が出来た慧は、飲み込むことができていた。人を使う立場にある人間には、両立できない様々な事情があるという事も。少し前の自分が、いかに軽率であったかも、言葉ではなく理屈で納得させられた。

 

それでも、許せない事がある。正しさと、正しければ何でもして良いとは、決して同じではないのだ。

 

(……現実でこんな実戦を乗り越えてきた相手に、どこまで食い下がれるかは分からないけど)

 

背筋に走りつづける、自分の命が脅かされる感触。映像ではなく、現実のものとして直面してきた本物の軍人が居るのだ。勝てないとまでは思わないが、厳しい戦いになる事は最早疑いようもない。

 

「だから、こんな所で…………負けない」

 

『何かいった、慧』

 

「何でもない……それより、どうするの」

 

『この後ね……友軍の機体に損傷はない。まあ、私達が生きているんだから当たり前か。それでも、第二陣は……散っているエリアが小さい割に、数が多いわね』

 

情報を共有するように、言葉にする。全員が頷いた後、指示を仰いだ。千鶴は少し待って、と言ってから5秒後にレーダーに映った簡易データを元に指示を出した。

 

『迎撃ポイントはココ。広がられたら、包囲されかねない。そうなったら終わりよ」

 

その前に接敵を、と千鶴は判断していた。

 

『途中に眼にしたけど、ポイントの周辺は地形が悪いから……3機連携で動く。私と冥夜は右翼よ。壬姫はその援護を。慧は美琴と左翼から。純夏はいつもより近い位置で二人の援護を。慎重に、それでも考えすぎて止まらないように、常に動き回って。単機で突出しないように、死角を潰し合うことも忘れないで』

 

敵の密度が高く、足元が確かではない状況では、連携の遅さや敵中での停滞が即撃墜に繋がりかねない。そう判断したが故の部隊分けだろうと、慧は頷いた。

 

気合を入れ直した慧は、冥夜に負けじと。それでも隊全体の動きと、演習で課せられた目的を達成するため、隊長から命じられた効率の良い行動を意識しながら、突撃砲を構え。

冥夜の機体を横目に―――あちらも、自分を見ているようだったが―――左前方へと、機体を躍らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2分を残して第一ステージクリア、ですか……私は衛士について詳しくないんですが、凄いんですか?」

 

霞の問いに、サーシャは迷わず答えた。

 

「訓練兵として見たら、上々……より更に一段上ぐらい。才能だけじゃなくて、訓練に取り組む姿勢と熱意。教官にも恵まれてるから」

 

サーシャは妹分である霞に、小さく胸を張って自慢した。霞は、目を逸らしながらも全面的に肯定した。

 

「そう、ですね。力を、教え子の精神状態の把握に使うなんて……思いもしなかった、です」

 

「落ち込む必要はない。霞が思いつかなかったのは、能力の質の違いもあるから」

 

感情だけを読み取る自分と、思考まで加えて読み取ってしまう霞。同じような能力であっても、その精度には明確な差があるから、とサーシャは発想の差の原因について説明した。負担を考えると、とても実践しようだなんて思えないとも。

 

「それに、私は衛士としても、教官としても有能な人の背中を追っていたから。その逆で、とても育成に向いていない人も見てきた。そして、無能な教官の元で育った訓練兵が何を犯すのかも」

 

サーシャは武とは異なり、衛士としての力量を高めるだけではなく、移り変わる戦地や休息地の中、周囲の情報や人々の様子を観察することも並行して行っていた。まともな人間とはどういうものなのか。気がおかしい人間は、どういう人を指すのか。それを学ぶ、あるいは再確認するために。

 

「知らずに気付け、という方が無理。でも……戦場に出た事がないと聞いたのに、どうして副司令は“あの”方法を思いつけたのか」

 

大元の発起人はあちらの世界の香月夕呼であると武から聞いていたサーシャは、その時に抱いた畏怖を今でも持ち続けていた。どこまで視野が広いのか、どれだけ人の事を、その内面を見渡しているのか。表面だけではない、その深奥までも。

 

それでも納得せざるを得ないのは、確かな理由があると、サーシャも確信しているからだ。少なくともあの規格外の衛士に挑むのならば、“それ”を経験するのが最低限。そして、彼女達の性格を思えば、最善だと思えた―――その手法の質の悪さと、失敗した時のリスクを無視すれば。

 

「……再起不能になっても、おかしくはない」

 

霞はそれを、実感がこもっているように感じた。事実、サーシャは何度も見てきた。

 

一番、ダメージを受けそうなのは。サーシャは第一ステージの様子から、桃色の髪を持つ少女の姿を思い浮かべていた。ステージの後半、密集地帯で戦っていた彼女は、それまでの援護だけではなく、BETAの脅威を目前に確認できる距離まで近寄って戦う機会があった。ほんの少しだが、徐々に動きが悪くなっていった事を、サーシャは見逃さなかった。

 

「あの程度でそれなら、明後日は……」

 

休息の時間は一日だけしかない。だがサーシャは、一週間を休んでも、B分隊は次のステージで確実に“それ”に見える事になるだろうと予想していた。B分隊の様子を今現在誰よりも把握しているサーシャは、何をどうしたって、仕掛けたものが炸裂する未来しか思い浮かべられなかったからだ。その先は、どうなるのか。

 

サーシャの脳裏に、B分隊の顔が浮かんだ。クラッカー中隊の皆と比べれば短い付き合いだが、関係としては浅い筈もない。

 

生真面目と実直が結婚して生まれた子供なのではないか、と思わせられるも、それを当たり前のものとして主張することがなく。誰よりも、優しいかもしれない性格をしている冥夜。

 

冗談をやり過ごせない性質なのか、慧の挑発にいつも乗らされているが、後になって気づいて羞恥の心に悶える事が割りとある千鶴。

 

おっかなびっくりで他人との距離を計りつつ、負担をかけるのは良しとしない、傍から見れば矛盾を孕んでいるのではないか、と思わされる慧。

 

あがり症について、外面は取り繕っているが、実の所は誰より気にしている壬姫。武から指摘されたこと。国連軍について、思う所があるからかもしれない。

 

軽く気楽のように見え、場の流れを読んでいないように見えるが、実の所誰よりも仲間思いである美琴。いつも笑っているのは、それを隠すためか、もっと別の理由があるのか。

純夏はもう、サーシャにとっては言わずもがなの仲であった。同じ人を想っている、という間柄という意味で。反省と努力の念が強いが、同時に武に置いていかれる事を恐れている。隣に居られないからではなく、まるでそのまま武がどこかに行ってしまいそうだからこそ怖いのだという思いを、サーシャは誰よりも理解できるような気がしていた。

 

全員がこの二ヶ月、死にものぐるいで頑張った。成長速度に関しては文句がない。その心の強さも、横浜基地に居る一部の衛士に説いて聞かせたいぐらいだ。仮初の教官であることはサーシャも自覚しているが、全力で指導してきたのだ。身近で見てきたサーシャにとっては、世界の大多数がそうであるような、死んでも何も感想を抱けない他人という範疇に収めるのが難しくなっていた。

 

だが、次こそは、あれを見て、最悪は―――と。サーシャは想像するだけで鳥肌が立つような光景を強引に頭から消すと、誰ともなく呟いた。

 

 

「祈るだけなら無料、だったよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『壬姫、大丈夫?』

 

「うん……ごめんなさい、心配かけて。でも、もう大丈夫だから」

 

『何が大丈夫か、私は聞かせてもらっていないけど……取り敢えずこれ以上の追求はやめておくわ』

 

「ありがとう」

 

『いいのよ。でも、どうしても無理だったら先に言ってちょうだい。フォローなしに撃墜された時の方が困るから』

 

「分かったよ、千鶴さん」

 

答えた壬姫は、最後の着座調整をすると言って、通信を切った。そのまま目を閉じると、深呼吸をしながら自分の心臓に手を当てた。

 

それだけで脈動を手に感じられる。いつもとは違い、緊張をしている内心の現れそのものだった。

 

「でも、言えないよね……あの生々しい映像を見てから、なんだかBETAに近づくのが怖くなった、なんて」

 

下手をしなくても、隊内の和を乱す。間違いなく、士気が落ちてしまう。壬姫は隊全体が一丸となって頑張っている現状を、自分が壊す訳にはいかないと思い、活を入れようと自分で自分の頬を勢い良く叩いた。

 

「いたっ! う~~思ったより痛いー………」

 

下手をすれば紅葉として、1時間は残りそうな。思ったより筋力が上がっている自分に、誰よりも壬姫自身が驚いていた。

 

「成長は、しているんだよね。それだけは間違いないと思うんだけど」

 

第一段階もクリアできた。このまま、という思いが生まれるのは当然の事だろう。壬姫は自分に言い聞かせるように、何度も反芻していた。

 

何もしていない時間を、作りたくはなかった。

 

そうしたら、どうしてか自分が死ぬ光景が―――何か、惨たらしい死に様をする自分の姿が脳裏に浮かんでしまうようで。

 

本来なら聞こえない誰かの悲痛な絶叫が、何かを介して鼓膜を震わせるような。

 

「っ、ダメダメダメ! 絶対に合格するんだから! みんなで頑張って、人類の切っ先、銃口である衛士に―――」

 

それでも、その先に待っているかもしれない光景は。もしかしたらではなく、戦死者から想定できる現実は。壬姫はそんな自分の考えを振り払うかのように、強くかぶりを振った。自分の桃色のツインテールがその勢いで自分の顔に当たるが、おかまいなしとばかりに、大きく。

 

『壬姫、もうすぐ時間―――本当に大丈夫?』

 

『け、慧さん?! う、うん……私はいけるよ。ちょっと緊張してるだけ』

 

『……分かった。でも、千鶴が先に言っているかもしれないけど』

 

そうして慧が何か言おうとした時に、時間となった。いつもの銀髪。いつもの厳しい眼。そして、変わらない無表情な声で説明が始まった。

 

『第二ステージは、友軍の救出。BETAの数はそう多くはない。ただし友軍の撃震の内2機以外は、跳躍ユニットの燃料があまり残っていないものとする。制限時間内に、7機居る友軍が全滅せずに1機でも生き残っていたらクリアとする』

 

淡々とされる説明だが、最後の条件に関してはB分隊の全員が違和感を覚えていた。これまでクリアしてきた課題での厳しい状況を考えれば、全機生還しなければ失敗、と言われないのはおかしいと思えていたからだ。そして、そのような表情を映像越しに読み取ったサーシャは、間違いではないと念を押すように言った。

 

『訂正は、ない。繰り返す―――“ただの1機でも生還すれば”目的は達成できたとする……珠瀬、復唱』

 

『っ、了解! “1機でも多くの生還を目指します”』

 

『……自己流のアレンジか』

 

それが何を意味するのか、と。サーシャは、小さく息を吸い込んだ後、告げた。

 

『先の戦闘とは違って、友軍からは擬似的な通信が入るものとする…………余談だが、第二段階は“より実戦的な、リアルな状況”でも、当たり前のようにクリアする方法を身につけてもらうために行われている。この意味は、分かるな?』

 

『っ、了解!』

 

間髪入れずの、全員の返答。サーシャは小さく息を吐いた後、絞るように告げた。

 

『当たり前だが、こちらから通信しても応答はないものとする……声は、聞こえるが』

 

その後、何事かをぽつりと呟き、サーシャは告げた。

 

『以上だ――全員、準備に入れ』

 

最後まで硬い声だった、と。

 

壬姫は不思議に思っていたが、その疑念を消して、目の前の状況に集中するべく、意識を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「1か、0か。戦場にはそれしかない。ないんだよ、だから」

 

カムチャツカの、淀んだ空の下。武は今の時間に行われているだろう演習を思い、空を見上げながらB分隊の事を思った。

 

そのものではない。されど現実ではなくとも、一番多くを見てきた。見てきたのだ。何をも問わず、刻まれていた―――彼女達の死に顔が。

 

この世界ではない出来事だ。それでも一番多く、見知った顔が死んでいく光景を。その大半を占めていたのがどのような仲間か。そう問われれば、武は間違いなく断言できた。207B分隊の彼女達の死に様を、何度も見せられたと。

 

あ号標的を倒した世界でさえ、誰も生き残れなかった。任務だったとはいえ、全てを納得できたはずもない。彼女達の命が両の手からすり抜けて、すり潰されていく様子を見せつけられたのだ。

 

 

「だから―――それを、超えられないようなら」

 

 

武の声は、空に呑まれて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、全く同時刻。演習開始から20分後、課題クリアまでの時間を10分残してのことだった。

 

『くっ…………壬姫、純夏、残弾は!?』

 

『こっちは残り1マガジンだけ! 制限時間までは、とても持たないです!』

 

『ごめん、こっちはもう無くなった! こうなったら、私も前に出て援護を………!』

 

『焼け石に水だ! ―――千鶴、私と慧で時間を稼ぐから、その間に打開策を! こちらも残弾が心もとない、このままいけば全滅する!』

 

発言をした冥夜と、その他4人の視線が千鶴に集中した。その視線に、疑いの色はない。今までの課題も、隊長の策に従い、その結果クリアできていたからだ。時には拙いと思えるものもあったが、概ね致命的な失策はなかった、というのもある。

 

一方の千鶴は、今回ばかりは自分の失策と、八方手詰まりになった状況を認めざるを得なかった。

 

弾が無くなる時間と、無くなった後の隊全体の戦闘能力と、守るべき友軍の位置関係と、敵の残数。分析するまでもなく、全てを守りきるなど不可能であると結論づけざるを得ない。

 

こうなった状況には、友軍の動きの悪さもあった。自分たちがこうまでBETAを倒して回っているのに、友軍の衛士は何を考えているのか、鈍いにも程があったのだ。

 

それでも、見捨てて良い理由にはならない。壬姫の言葉も、千鶴は覚えていた。助けたいという想いは、自分も理解できる所だと。

 

『っ、でも、全機を助けるのは―――なっ?!』

 

アラーム。千鶴は認識すると同時、その原因を知って愕然とした。

 

銃口が、自分を狙っているからだ。助けようとした撃震、その背中に戦車級が取り付いていたからではない。混乱したのか、暴れ始めた撃震の36mmの暗き穴が、こちらを向いていたが故に。

 

光線級のレーザーには及ぶべくもないが、一撃で十分な致命傷を与えられる36mmの鉄塊が、要撃級の前腕の何十倍も早い速度で何十にも飛来してきたら。

 

回避を、と。分析から行動までの判断は、早かった。訓練兵という練度を考えれば、賞賛されるべきだと断言できるぐらいに。

 

それでも、結論から言えば0.8秒遅かった。ばらまかれた36mmの一つが千鶴機のコックピットに直撃し、撃墜判定のアラームがB分隊が入っているシミュレーターの筐体の中を駆けていった、そして。

 

 

『ざ、残弾ゼロ! 味方機が―――』

 

壬姫が悲痛な叫び声を上げた。それでも、関係がないとばかりに、撃ち漏らした戦車級の数体が、跳躍ユニットが使えなくなった友軍機の片側へと取り付いた。

 

一体であればまだしも、全長4.4mもある重量物に一方向だけのしかかられ、バランスを保てる筈がない。間もなくして撃震は倒れ、周囲に砂煙が舞い。

 

間もなくして、それは起こった。

 

『た、助けてくれ! 誰か、早く、こいつら………ああああぁぁぁ!』

 

 

撃墜された千鶴を含む、B分隊の全員が硬直した。シミュレーター内に響く悲痛な声が、叫びは、どう考えても演技ではなかったからだ。

 

きょうかん、という言葉にもならない言葉。それが声になる前に、撃震の装甲が一枚、剥がされて行った。

 

『ひっ、やぁ、やめてよぉおお! 誰か、早く、誰かぁ!』

 

恐怖に染まった声。それを聞いた慧と冥夜が反射的に撃震を押し倒している戦車級に向けて突撃砲を構えたが、直後に二機とも硬直した。

 

自分の射撃精度を考えれば、この距離では。ならばもっと近づくべきか、あるいは短刀か長刀で、と。

 

最善の選択肢を模索し―――直後に、今の自分たちのポジションを忘れた2機が、諸共に突撃級に跳ね飛ばされた。それを見ていた美琴機も、動揺を突いた要撃級の一撃でコックピットごと潰された。

 

撃墜判定のアラーム。だが、それでも無慈悲に、当たり前のように状況は終了しなかった。鉄の歪む音に、悲鳴。装甲が剥ぎ取られる音に、悲鳴。その中で、壬姫と純夏はただ動けなかった。

 

唐突に発生した地獄を前に、震えることしかできなかった。そうして動けないまま、コックピットを覆う装甲の、最後の一枚が剥がされた。

 

『ひぃ―――お、ぎぃいいいいいいいいっっっぎゅぶえあひぐぅ』

 

それは、断末魔だ。断末魔のような。それでも、知らなかった。彼女達は知らなかった。人間は、人間だが、人間ではない声を発する事ができるのだと。

 

圧倒的な状況を前に、何も。出来たのは、あ、という言葉を発することだけだ。意味もなく、ただひとつの言葉だけを。

 

それでも、状況は終わらなかった。動けない壬姫と純夏。その2機が存在しないかのように、戦車級は友軍へと向かっていった。

 

『や、やめ、もうやめ―――!』

 

『壬姫ちゃん、だめぇっっ!』

 

純夏の制止の言葉は遅く、突撃砲で殴りかかった壬姫の機体は、待ち構えていたとばかりに繰り出された要撃級の一撃に弾き飛ばされた。それでも、かろうじて回避したお陰で撃墜判定は下されておらず。

 

間もなくして、後方から突っ込んできた突撃級に轢殺された。

 

筐体内に響くレッドアラーム。壬姫は、その中で見た。

 

 

剥がされたコックピット前の装甲。そして機体から戦車級に持ち上げられる人間と、その眼前にある妙に白く、巨大な歯と。

 

 

直後に起きた事を、灰色の光景を。赤い警報の下で見せつけられた壬姫は、演習の終わりが告げられるまで、喉が枯れて罅割れん限りの絶叫をただ上げる事しかできなかった。

 

 

 

 

 


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