Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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大変遅れまして申し訳ないです。

忙しくて感想返信が出来ていなく、申し訳ありません。

ですが、感想の内容は毎回必ず読んでいますので(言い訳

あと、点数付けの後のコメントも。挫けそうになった時の薬です(断言



14話 : 進む事態、進みゆく者達

空は青く、太陽の光が眩しい。一年で一番平均気温が高くなる時期に、帝国陸軍大佐である尾花晴臣は少し温かい合成緑茶を啜っていた。

 

「夏も真っ盛りだというのに……」

 

「風情が無いなぁ。まあ、秋の半ばだと言われても違和感がないような気候では、無理もないか」

 

晴臣が愚痴る声も、相方の――真田晃蔵の責める声も元気がない。二人が共通して抱いた思いは一つ。暑くない夏が、これほどまでに自分の心象をささくれ立たせるとは、思ってもいなかったという事―――そして。

 

「俺らがガキの頃は、意地でも海に繰り出していたもんだが」

 

「盆を過ぎるとクラゲが出るからな。ついでに、休み中の宿題を片時でも忘れられる最後の時期だった」

 

「そういえば、日焼けした肌を剥きすぎてエライ事になった馬鹿が居たとか聞いたが」

 

「かき氷を食べすぎて腹を下した間抜けが居たとも聞いたな」

 

二人はわざとらしく乾いた笑いを交わした。間もなくして、真田が問いかけた。

 

「……何人死んだ」

 

「14名だ。漏れなく、夏休みを満喫していても許される年代だった」

 

だというのに、佐渡ヶ島の地で土に還った。偽りようの無い事実を伝えた後、尾花は迷った。少なく済んで良かったと喜ぶべきか、嘆くべきか。察した真田も迷い。だが、声にはせずに次の話題へと移った。

 

「ついには年頃の女子まで徴兵か。晃造、貴様の苦労が今になってようやく理解できた」

 

「それは、どういう意味でだ?」

 

真田の問いかけに尾花は少し黙り込み。小さいため息と共に、低い声で答えた。年端もいかぬ婦女子の末期の声は堪える、と。

 

上官なれば、先任ならば、精鋭だったらという建前を突き抜けて心に迫る。そう告げた晴臣の目の下には、僅かだが隈があった。

 

「“徴”兵か。俺らの年代じゃ、実感も遠い言葉だったが」

 

「ああ……どういった意味で集めるのだろうな」

 

徴の言葉には様々がある。呼び出す、召し出す、求める、取り立てる。そのどれが相応しいのかは、任官後の本人の働き次第だ。それでも、軍に入る事を強いた主な目的は、本質はなんなのであろうか。

 

「片や、政府高官の子息の中には徴兵を免除された者が多いらしい。公表はされていないが……いや、若い者達の反応はどうだ」

 

問われた尾花は、窓から食堂のある方角を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂の端にあるテーブル。その更に隅で、少女は気怠そうに俯せになっていた。内心に満ちるのは反省の念。その流れるような薄紫の髪の奥にある脳内は、先の間引き作戦の一部始終が反芻されていた。

 

結果として目的は果たされた。佐渡島ハイヴ付近、少なくとも地上部分に出ているBETAの多くを潰すことが出来た。だというのに戦死者は、前回の作戦から半減したという。

 

(でも、納得はいかない。いくはずがない。何もかも十分じゃないしー……)

 

発端は少女が所属する中隊の隣の区域を担当していた、ある中隊の衛士が暴走してしまった事にある。後催眠暗示が悪い方に出てしまったという話だ。そこに突撃級の襲来が重なってしまった、間の悪い事故だと。

 

だが、少女―――三峰梨凛(みつみね・りり)はそう締めくくった上官の言葉に賛同できなかった。思うのだ。あれは、防ぐ事が出来たのだと。

 

納得できていない事は、とことんまで分析したがる。それが、彼女の性質であった。更に深く考え出す。衛士と戦術機というものの、運用の難しさについて。

 

(索敵に、移動、攻撃に弾薬調整、通信に判断……同時にやらなければいけない事が多すぎるんだよね)

 

戦車であれば、操縦手、通信手、装填手に車長と役割が分けられている。各々が頭である車長の命令に応じて、自らの仕事に専念すれば良いのだ。衛士はそれを全部一人で処理しなければならない。前衛や後衛など、ポジションで分けられてはいるものの、機体を動かすのは自分より他は居なく。

 

(だから、個人差が大きくて……指揮官としては、頭痛い所の話じゃないよねー)

 

隊での行動で言えば、各々が均一な性能を持っている方が運用はしやすく、結果が得られやすいのだ。一面に特化している衛士は相応の場所では活躍し易いが、時にはそれが悪い方向に出ることがある。

 

(玉石混交……玉は役に立つけど、それに頼り切っている隊は危うい)

 

玉が失われた時が怖い。隣の中隊がそれを体現していた。混乱中に不意をつかれて倒されたのは、その隊の突撃前衛だったらしい。

 

(もしも、隊の要である突撃前衛長が不意に死んだら。そのケースを想定して訓練してなかったんだよね、きっと)

 

結果が、隊の半壊と、とばっちりと。梨凛は巻き込まれて死んだ、自らの隊の砲撃支援を担っていた衛士の死を思った。特に親しかった訳ではない。戦場を共にしたのは、前回の間引き作戦の一回のみ。それでも釜を共にした戦友だった。

 

特別な思いは無い。唯一印象深かったのは、大陸の英雄中隊の信奉者だった点だ。熱っぽく語る様を、もう二度と見ることはない。そう考えるだけで、何故かため息が出る。そうしている梨凛に、声をかける男が居た。

 

「こんな所で……何をやっているんですか、不良前衛さん」

 

「……見て分からない?」

 

「分かるけど、分かりたくありません。いいから姿勢を正して下さい。こんな所隊長に見られたら――」

 

「しなくても私には怒鳴るって。だからいーの。トシも、巻き込まれない内に離れたら?」

 

「……い、いやだ。もしかしたら、僕が居れば隊長も怒らないかもしれないし」

 

「無理だと思うけどなー。だってアレ、趣味みたいなものだと思うし?」

 

外国人イビリっていう。梨凛はタレ目を面倒くさそうに瞬かせながら、ため息を吐いた。その様子を見た男―――吉野利宗は、罰が悪そうに少し眼を逸しながら答えた。

 

「外国人じゃないですよ……国籍は日本なんだから? 父親がドイツ人というだけで。リリって名前も……」

 

「あの人にとっては黒が少しでも混じってたら真っ黒なんでしょ? 純白以外は推定有罪。よってイビリの刑に処す。分かりやすいよねー。まあ、今更だし。だから別の事に想いを馳せていたんだけどねー」

 

リリは諦めた口調で眠そうに答えた。そう、境遇をどうしようと考えても無意味なのだ。我が隊の隊長は、外国人の血が入っていると何もかもが許せなくなるらしい。背が低いのも、紫がかった髪の色を持つのも、日本人らしくない容姿をしているのも、衛士として才能があるのも。

 

米国のあれこれが関係しているらしいが、リリは知ったこっちゃないと、隊長関連の事に対して思考を閉ざした。時間の無駄だと思ったからだ。奇異の眼を向けられるのも、日本で過ごした19年の内に慣れてしまった。

 

例外は居るけどね、とリリは笑うと、途端に身体を起こした。その笑顔の源がやってきたからだ。

 

「あっ、リリちゃん!」

 

「うん、見たとおり私だよ、絵麻」

 

リリは吉野には向けない笑顔を、走り寄ってきた長身の少女に惜しむことなく披露した。だが絵麻と呼ばれた少女は、それどころじゃないとリリに詰め寄った。

 

「大丈夫だった!? その、一昨日の作戦で怪我してたよね!?」

 

「あー……えっと。なんで、気づいたの?」

 

「いいから!」

 

そんな細かいことよりも、と迫って右腕を見る絵麻に、リリは大丈夫だと答えると、軽く右腕を振った。

 

事実、かすり傷だったのだ。だがそんな負傷でも隊長に嫌味を言われる材料になると判断したリリは、自前の知識と用意していた薬その他で処置を済ませていた。

 

「でも、ナイショね。色々とややこしい事態になりかねないし」

 

「うん……ごめんね、リリちゃん」

 

「いいよー。絵麻が謝ることじゃないし。いや、冗談抜きでね?」

 

どう考えても原因は別にある。加えてリリは、絵麻がしょぼんとしている様子も見たくなかった。心苦しくなるし、ともすれば抱きしめたくなるからだ。背が低い自分が長身の絵麻を抱きしめると、母親に甘えている子供のように見えるため、感触とは別に女子のプライドとしてそんな様子を周囲に披露する趣味をリリは持っていなかった。

 

「そ、それよりもだ。り……いや、三峰少尉。別の事考えてたって何を?」

 

吉野が強引に話しかけた。リリは一瞬だけタレ目の中に苛立ちの色を見せるも、ちょうどいいかと吉野の話の転換に乗ることにした。

 

主題は衛士という兵種の厄介さについて。リリはそれまでの自分の考えを話すと、続けて兵の質について、あくまで自分の意見だけど、と前置いて話し始めた。

 

「衛士には本当に向き不向きがあると思う」

 

「……それは、どういう根拠に基づく意見ですか?」

 

「具体的には、救援に入ってくれた斯衛の部隊。徹底的にBETAを潰しまわってたあの姿を見ればねー」

 

技量が均一だった、という訳ではない。だが青赤黄色に白が混じった戦術機は、隙なく容赦なくBETAを効率的に屠っていた。素の能力差もあるだろう。リリはその中でも、特にある一点について着目していた。それは、衛士達が取っ替え引っ替え僚機を変えていた事だ。

 

BETAに対処する流れの内に、小隊編成を組む相手が僅かに遠ざかる事がある。だというのに、斯衛の衛士達は迷わなかった。近場に居る同隊の衛士に背中を預ける事を一切躊躇わなかった。

 

「なんていうのかな……訓練の厳しさとかじゃなくて」

 

「……じゃなくて?」

 

「うん、私も思った。あの人達、ほんとに仲間の事を知り尽くしてるよね」

 

「絵麻、鋭いねー。その通り。あの中隊、色んな事態に対しても全く動じなかった」

 

その場その場での最善効率を。それが出来る程に、様々な状況をこの隊で乗り越えてきたのだと言わんばかりの。

 

「そう、なんですか? いや、でも僕が聞いた話じゃあ……」

 

「どうしたの?」

 

「あの隊――斯衛の第16大隊は色々と有名だから聞かされた事があるんですけど。その、かなり人員の入れ替わりが激しいらしいというか」

 

第一中隊から第三中隊まであるが、その所属が入れ替わる事が比較的多い方だという。吉野の言葉に、リリは首を傾げた。

 

「おかしいねー。10年この面子でやってきましたーって言われても頷けるぐらいだったんだけど」

 

この差はなんだろうかと、リリは考えられる要因を一つ一つ列挙し始めた。

 

覚悟の差か、隊内コミュニケーションがよほど充実しているのか。訓練の密度だけが原因じゃないようにも思える。実戦経験は重要だがリスクが大きく、機会も限られている。ならば、より高度な訓練手法を見出したのか。

 

「訓練、訓練、ですか……訓練っていえば実機かシミュレーターですよね」

 

「吉野?」

 

「第16大隊ほどの有名部隊が実機で派手に訓練すれば、噂に上がります。それが無い、ということはシミュレーターの方かと」

 

「……相変わらず鋭いねー。それで、変わるとすれば映像か内容か。リアルになったか、あるいは?」

 

「実戦に適した内容になった、ですか。より効果的に衛士の練度を高めることが出来るような。ですが、それをするには衛士の実戦データの収集が不可欠かと」

 

ぶつぶつと呟き考える吉野は、そこはかとない不自然な臭いを嗅ぎ取っていた。斯衛は他方面の軍との交流を積極的に取っている訳ではない。秘密主義とまではいかないが、それに準ずる立場を取っている。一通りを考えた吉野は、どちらにせよと前置いて告げた。

 

「今はその手法とやらを独占しているようですね。まずは権力がある人達から、ですか……軍全体に広がるのは何時になる事やら」

 

「家庭の事情で任官遅れてた吉野が言うと説得力あるねー」

 

「ぐっ」

 

痛い所を突かれたと、吉野が黙った。リリはもう今さらだけど、とため息と共に愚痴を吐いた。

 

「隊内の空気も悪くなるしねー。只今絶賛徴兵免除中のご子息様方が居るんだから、そっちを恨めばいいのに」

 

「……三峰少尉」

 

「気にならない、ってのは冗談でも言えないでしょ。前の一戦、目の前で死んだ衛士……17歳だったって」

 

徴兵より前に志願し、訓練を積んで衛士になった新兵が居た。幼い声だった。地元からは尊敬の眼差しで見つめられ、見送られて来たのだろう。そんな彼女の最後が、突撃級になぎ倒され、操縦不能な状態で戦車級に泣き叫びながら貪り喰われたのだという。

 

間近でそれを眼にして尚、三峰リリは悟りきれていない。勇敢な少女が国を思って戦場に立っている一方で、親の特権で実家住まいをしている者が居る。隔意を抱かないで済むとほど、三峰リリは世界を悟った訳でもなかった。

 

戦場を重ねた衛士ならばよほどだ。関東防衛戦の最中、いの一番に家族を避難させた官僚。高級将校の中にも、ほんの一部だが居たらしい。己の権力を特権であると勘違いした者達が。

 

「そうだね……色々と改善はしてきたけど」

 

絵麻も先任の衛士から、悪いことばかりではないと聞いた事があった。BETA侵攻に伴う形で指揮系統や軍内部の体制など、いくつか洗練されてきた部分もある。だが、上層部でも上の上の方が精力的に対BETAに動いているかと言えば、否定の意見の方が多く出てくる。横浜基地に対する政府の対応。無断でG弾を落とした米国に対し、厳しい追求が成されていないこと。それらの要因が重なり続けた今、軍の一部には上層部の能力を疑う者達が出始めているという。

 

「でも、こうして間引き作戦は成されています。被害も、前回に比べて小さくなったと聞いています。それでも……不満が?」

 

「うん。確かに……被害は小さくなった。数の上では少なくなったよ。けど、それで遺族が納得する筈ない。同じ隊の仲間なら尚更だと思う。それだけ、知っている人が死んだって事実は大きいんだから」

 

「……そういえば、樫根少尉はお兄さんを京都防衛戦で亡くしたと言っていましたね」

 

「うん。お兄ちゃんは……軍に入る前の晩に、震えてた。怖いって泣いてた。でも、次の日は笑って家を出たの。私達を安心させるために」

 

化物どもを上陸させない、英雄になる。なってみせると言って。100に99人が下手な作り笑いだと思う顔だが、絵麻の眼には頼もしく映った。昔から、妹である絵麻の背の方が高かった。今ならば拳一つ分は高い。それなのに絵麻は、その時の兄の正吉の大きさに、未だに敵わないような感覚に襲われていた。

 

この情勢である。誰しもが見ている光景。襲われている現実がある。必死にならなければ、生き残れない。なのに一方で温々と休んでいる者が居れば、人はどういった思いを抱くのか。

 

未来への不安は一杯だ。あくまで駒の一つである衛士に、戦況を正確に読み取る力はない。公表されている情報の全てが、事実であるばかりではない。だが三峰リリは佐官クラスの表情と口調から、ある程度の予測を立てていた。順調に行けば負ける、と。

 

(情報を得られる立場にあるからかなー。先が見えてしまう、とか)

 

実戦経験が豊富な衛士程、顔色が暗いような気がしていた。体感的に察知しているのかもしれない。戦術機が進化している事や、戦術が練られていっている事など、人類側の戦力上昇といった希望はある。

 

それでも、このままでは負けると。何か、根こそぎひっくり返してくれる者が居なければ、日本は―――と。

 

(そこまで明確じゃなくても……勝てるビジョンが見えないんだよねー)

 

凄い戦術機が出てきて、BETAを蹴散らしてくれて、物資が底を突くことなく、佐渡島ハイヴを攻略できる。並べてみて、まず最初に自分が抱いた単語は、「無理だ」というもの。戦いが重なる程に、その予見が正しいものだと思い知らされる。

 

(……本当は、八つ当たりなのかも。何もかもが)

 

言う通りにしても、BETAに勝てる可能性が見当たらない。生存確率が極小。疲労と緊張を肉体的にも精神的にも強いられる。ストレス発散の機会など、あまりない。そういう立場を強いられた者の悪感情の行き着く先は、元凶か、あるいは裕福な者へと―――“裕福であると自分で決めつけた”者へと向けられる。殴っても許される対象として。リリも、何度か耳にした事があった。

 

(問題は……こうまで上層部への批判が広まっているのが、ねー。今はいいけど、といつまで言っていられるのか)

 

憲兵や情報部が動かず、そういった者達が放置されている今を考えると、軍内部の不満は火消しが出来る段階ではなくなった、と推測するに足る証拠にもなった。目に見えなくても、“下火”は一定の線を越えてしまった。

 

一度、何かが爆発しなくては収まらないぐらいに。情報を扱う者達にとっては悩みのタネになるだろう。どこでどう爆発させて、怪我を最小限に抑えるのか、という方法を考えなければいけないのだから。

 

「それでも……自分が言える事じゃないですけど、その立場に甘んじている者ばかりではありません」

 

「えーっと。前半は置いておくとして、一例があるの?」

 

「はい。彩峰元中将のご息女と、榊総理のご息女が志願入隊したそうです」

 

「えっ!?」

 

驚きの声を上げたのは絵麻だ。親の知名度は日本国内で言えば上も上である。吉野はその反応に微笑を浮かべ、続けた。

 

「父から教えられたんです。徴兵免除を蹴って、とのことだそうで。今頃軍学校の方は士気が上がっていると思いますよ」

 

「ふーん……それが本当なら、大したもんだね」

 

今の時代、軍人の死傷率は群を抜いて高い。加えて、敵の異様さである。「人間を食い殺す化物に立ち向かう栄誉が与えられた」と告げられた上で、その立場を有り難いと思う者など、まずもって存在しない。

 

(でも、問題は別にあるねー。そういった事実があるなら、軍は率先的に動くのに……未だに噂レベルでも広まってない)

 

そして美談に作り変えて、士気高揚に使う。それが無いという事は、相応の理由があるからだ。背景も複雑過ぎた。特に彩峰元中将だ。彼に対しての意見や感想は、軍内部でも四つに分かれる。好意的、悪感情、無関心と、恣意的に貶めようとしている者。そんな中で徴兵免除を蹴った中将の娘が入校など、針の筵もいいところである。扱いを間違えれば精神的な意味での爆弾になりかねない。そして本人の性格にもよるが、周囲に敏感な性質であれば、訓練兵生活は胃に穴が空くぐらいに辛いものになるだろう。

 

「同情しますよ……私より立場悪そうですし」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「いえ、特に何も……って、どうしたんでしょう」

 

リリは廊下側から軍人達が騒いでいる声を聞いた。何か起きたのか、と思ったのも束の間、その答えは即座に氷解した。新たに登場した二人の衛士の姿を見て。

 

「うげ、初芝少佐に鹿島大尉……!」

 

リリは二人を見て、先週の嫌な出来事を思い出した。元凶は衛士達の間で出回っていた本にある。それは10年前は人気だった、とある料理雑誌。衛士は比較的若い世代が多いが、合成食料しか口にした事が無いという者は少ない。だが、今となっては当時の味を思い出すのも難しい。

 

そこで、ある企画が立ち上がったのだ。内容は、有志で金を出し合って材料を買い、本にある料理を再現しようというもの。リリも興味があったので、金を出して参加した企画、その最初の料理に選ばれたのが、たこ焼きだった。

 

初芝少佐を筆頭とした、大阪出身の者達による鶴の一声が原因である。初芝八重と言えば、大陸帰りのベテラン衛士。京都防衛戦から関東防衛戦まで戦い抜いた、超がつく有名人である。帝国陸軍の衛士の中で言えば、確実に五指に入る。木っ端衛士が反論など出来る筈もない、雲上人である。

 

だが、その結果は―――最悪だった。今の時代、海鮮類などよほど強いコネかツテがなければ手に入らず。ソースも、合成食料を使わない物は生産中止になっていた。出汁の類も同様だ。たこ焼き用鉄板だけは入手できた。そして最終的に出来上がったのは、小麦粉とたくあんと紅生姜を混ぜた丸い塊。

 

(最初に不味いって言ってしまったのがよろしくなかったのでしょうかねー……)

 

リリが呟いた後の事である。みんなで言えば怖くないとばかりに、次々と不味い発言が。トドメは、初芝少佐の隣に居た鹿島大尉による「だから言ったでしょうに」とう冷たい眼と声だった。

 

(まさか、発端になった私に八つ当たりとか……されたら、月まで吹き飛びますねー)

 

リリは諦めの胸中で、乾いた笑いを零した。何故か自分と、自分の隣に居る樫根絵麻を見た初芝八重の表情がにんまりと擬音で形容できる様子になっているような気がしたが、それは錯覚か見間違いだと自分に言い聞かせながら。

 

そして、祈った。自分と同じような窮地に立たされているかもしれない、年下の訓練兵にも良き未来が訪れますようにと、先日逝った戦友の顔を思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「慧、冥夜。これから反省会だけど、いける?」

 

「……分かってる。すぐ、いく」

 

「ああ……だが、1分ばかり待ってくれ、千鶴。呼吸を整える」

 

様子を伺い合う暗い声が、ハンガーに響く。どちらも訓練を終えたばかりのため、額には汗が滲んでいた。身に纏っているのは、身体のラインが出る上に、あちこちが肌色になっている訓練兵用強化服だ。女性衛士の羞恥心を捨て去るためにと作られたものだが、経験の無い者が慣れるというか、表面上だけでも取り繕えるようになるのには時間がかかる。第207衛士訓練部隊のB分隊も例外に漏れず、最初は羞恥心に顔を頬に染めた。すぐにそのような事を気にする余裕はなくなったが。

 

千鶴達3人は、その筆頭である。そして3人全員は、聞き慣れた足音を耳にすると、即座に姿勢を正して敬礼した――余裕を消した張本人に向かって。

 

「社軍曹に、敬礼!」

 

「……だから敬礼は良いと言っているのに。それとも、態と? あるいは嫌味?」

 

「はい、いいえ。教官殿に敬礼をするのは当然であります」

 

「そう……まあどっちでもいいけど」

 

社と呼ばれた銀髪の女性は――サーシャ・クズネツォワは、千鶴達をじっと観察するように見回した。その後、小さくため息をついて、興味が無くなったと言わんばかりにあっさりと背を向けて、その場を去っていった。

 

その背中を見送った3人は何をする事もなく棒立ちになり。しばらくしてから、慧がぽつりと呟いた。

 

「息、ぜんぜん切れてない……やっぱり、私達は体力的にはまだまだ及ばない?」

 

「そのようだ。ブランクがあったという教官が……それも、我らより動いている筈なのに、あの様子ではな」

 

「体力的には大きな差は無い、と言っていたけど」

 

やっぱり慣れなのかしら、と千鶴が呟く。直接聞くことはしなかった。できない、と言った方が正しい。衛士訓練過程に入る最初に、告げられたからだ。

 

その、最初に出会った時のこと。3人は3ヶ月が経過した今でも、教官として名乗った女性が告げた言葉とその時の表情は、片時も忘れた事はなかった。

 

(紫藤教官が続けて、ということも思い込みだった)

 

B分隊にとってはいきなりだった、銀髪の女性の言葉は率直だった。

 

――落ちこぼれの面倒を押し付けられた。

 

――神宮司軍曹も、第三者視点として見るために、ある程度は参加する。

 

――データ収集のために訓練を受けさせる。

 

――帰りたかったら、帰っても構わない。

 

――訓練は第三段階まで。第一段階が終わるまで、一切の質問を禁じる。

 

内容に関しては、わかりきっていた事である。千鶴達も、覚悟はしていた。反論をするな、というのは、問題児であると知られているからだろう。発言力がマイナスの状態で、その立場から脱却したければ少なくとも第一段階の訓練を超えろ、と言外に示しているのだ。当たり前といえば当たり前の。それでも特に印象的だったと思った原因は、社深雪という女性の声色にあった。

 

紫藤樹には多分にあった、白銀武にもそれなりにあった感情の色が、社深雪の声には一切含まれていなかったのだ。淡々と、訓練の説明と衛士になるための条件を述べるだけ。本を朗読するだけの様子を見た千鶴達は、この上なく理解させられた。

 

彼女は、自分たちの背景に興味が無い。落ちたら落ちたで、それ以上でも以下でもない。ただの落ちこぼれとして処理するだけで終わりだと。

 

感情が薄いタイプなのかと思った事もあった。だが、訓練が始まってすぐに、それは勘違いだと知らされた。

 

「まだ、神宮司軍曹の方が冷静よねー……」

 

「二度目の失敗の時は特に厳しいな……いや、同じ間違いを犯したらより一層怒る、という行為は当たり前なのだがな」

 

「うん、分かってる……分かってるけど、と言いたくなる声の冷たさだったね」

 

思い込みと油断による失敗に対する叱責は特に厳しく、淡々と臓腑を抉るような厳しい声と言葉で責め立ててくる。それも、言い訳の思考を完全に封殺する順番でだ。B分隊も、そういった怒り方をされる時は自分たちの怠慢が原因なので、反感の念を抱く事さえ叶わなくなる。

 

「それも、間違った指摘がないのよね……それだけ自分たちを見てくれているって事だけど」

 

「良薬口に苦しだ。成長の種を与えてくれていると思おう」

 

「そうだね……今は、言葉より行動」

 

質問さえ許されない立場を脱するためには、来週行われる第一段階の最終試験をクリアしなければならないのだ。操縦の基礎訓練課程と動作応用課程が終わった後に始まった、これからが本番だと言わんばかりの、シミュレーターを使った訓練。

 

武器弾薬や地形状況、敵の規模など、様々な状況が設定された場所で、一定の目的を達成しろという内容が与えられる、小隊規模の疑似演習。

 

ステージは10あり、同じステージで三度失敗すれば訓練中止。合計で10失敗してもNG。その時点で分隊は解散されるという条件だが、冥夜達は一度も詰まることなくステージを突破してきた。残るステージはあと一つだけ。それを終えさえすれば、質問を許される。今まで溜まりに溜まった疑問点などを、一つ残さず解消できる。

 

「失敗する訳にはいかない。完璧に、やり遂げる」

 

「そうだな……私的には、惜しい気もするが」

 

「惜しいって……どういう意味かしら」

 

「……特定の状況を与えられ、それを越えるために隊内で話し合う。その上で力を合わせて、難題を突破していく。その後で、的確な評価も得られる……どうしてだろうな。この演習は楽しいと、そう思ったのだ」

 

「ああ、そういう意味ね……確かに、同意するわ」

 

失敗のリスクは大きいが、人死には出ない。演習の内容も、考え抜かなければ対処できないレベルだ。だからこそ、やり甲斐がある。超えるのに易くないが故に、突破すれば一種の達成感や爽快感が得られる。評価が出た後には反省会だ。その成果が得られれば、自分の成長も実感できる。

 

「部活のようね。あるいは将棋の力を判定する問題集、と言った所かしら」

 

「全員の力を借りなければ間違いなく突破できない……という点では特殊。でも、よく考えられてる。私達でも分かるぐらいに」

 

ステージの中には、突撃級と要塞級を誘き寄せた上で、一体だけ残った光線級を狙撃して撃破する、といった方法が正解となるものがあった。慧はそこで思い知らされた。あれは、自分単独では到底突破できない難題だったと。

 

「考えさせられる内容だったわね。状況は撤退中。敵の数は圧倒的。でも、距離は十分。だけど、地形は丘の上……丘の上に一体でも光線級が残っていたら、5機程度の私達は、撤退時に全滅しかねない損害を負う」

 

正面衝突は愚の骨頂。数に押し潰されてそれまでだ。突破するには、光線級への射線を開いた上で、その隙間を正確に貫く事が出来る人物が必要になる。

 

「壬姫のような人材が居れば、全機生還も可能。居なければ……全滅必死」

 

「でも、囮役は必要。弾薬が少ない中で、中型を誘き寄せられる前衛が居なければ、そもそも射線が開けない」

 

そして、深く考えれば怖くなってくるのだ。与えられた戦況は、その場限りの特定のもの。だが、もしもあれが現実のものだとすればどうか。少し前の戦いで、壬姫を失っていれば。前衛の跳躍ユニットが損傷していれば。考えれば考えるほど、連続する戦場というものの難度の高さと、実戦の恐ろしさが連想できてしまうのだ。

 

「……社教官と神宮司教官は、よく気づけたな、と感心していたけれど」

 

「あれは本音だった、と思う。勘だけど、美琴も同じだって言っていた」

 

「そうだな……もっと早くにその姿勢を見せていれば良かったのに、という言葉も本音だったのだろうが」

 

「その後の“バカだね”って言葉もね……痛感させられるわ」

 

練度は上がっている。隊内の仲も深まっている。どちらも必然的にだ。協力しあわなければ、到底クリアできない難題がある。否、最初からあったのだ。目をそらして、やれるつもりになっていたのは自分たちだ。

 

「……今は、汚名返上の時。名誉挽回するのは、その後だ」

 

「分かっているわ。そして最後には、ね」

 

第三段階は分かりきっている。白銀武の打倒だ。だが千鶴達には、その難易度がどの程度のものなのか、推測する事さえ出来ていなかった。

 

「社教官は、世界一を相手にする気概で訓練をしろ、と言っていたけど」

 

「厳しい言葉だが……我らの立場を思えば、当然だな」

 

「うん……ぎったんぎったんにする。手抜かりなく、強くなってから」

 

どれだけ強い相手だろうが、やってやる。共通の思いを抱いた3人は、意気も高く互いを見回した。

 

ふと、千鶴が思いついたように言った。

 

「そういえば、冥夜の“惜しい”って言葉を聞いて思ったのだけど」

 

別の意味に取った千鶴は、ある提案をした。先のステージクリアで出た、B分隊が抱える不安点について。

 

「ああ、我らには多様性が無さすぎるという問題だな」

 

「そう。やっぱり、極端に偏り過ぎるのは良くないわ」

 

戦況は水物だ。後衛の衛士が射撃だけではなく、近接での殴り合いを強いられる機会は必ず訪れる。そうなった時にそれぞれどういった対処をするのか。不測の事態で、前衛が後衛の、後衛が前衛の仕事を一時的にも引き受けなければならない場合も考えれば、どうか。

 

3人は歩きながら話し合い、反省会の議題に上げる事にした。

 

「……なんていう事はない会話でも、思いつく事は無数にある、か」

 

冥夜との会話が無かったら、思いつかなかった。惜しいという言葉を、千鶴は全滅許容回数が残っているから、という意味で取ったのだ。そこから連想しての、今回の発想である。そういった意味でも、誰かとの会話は、決して無駄にはならない。目的を共にしている人物であれば、余計に。

 

「見えていない手段は、まだまだ存在する。余すことなく観察した上で選んで……出来うる限り、それ以上に強くなる」

 

否、強くならなければならない。強迫観念と義務感に自分の意志が混じった状態で、千鶴は強く拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……上機嫌だな、サーシャ」

 

「樹は不機嫌だね。ついに水月から一本取られた、って聞いたけどそのせい?」

 

「ああ……前衛の素質で言えば速瀬に到底及ばないと分かってはいた。理解させられていたが、それでも……納得はできんよ」

 

指揮官や後衛的な働きであれば、樹はA-01隊内の誰にも譲るつもりはない。だが、それが個人戦で倒されてもいいという事と等号で結ばれないのだ。

 

「まあ、俺の話は置いておこう。そちらは順調のようだな」

 

「うん。頭、柔らかくなった。あと、かなり貪欲になってきた、かな」

 

サーシャはそう評した原因を説明した。B分隊は最後のステージにあって、ポジションをわざと変更してきたのだ。

 

「前衛と後衛を交代して? ……ああ、落ちても次があるからと、試しにやってみたのか」

 

「アンダマンではよくやったよね。前衛は後衛を、後衛は前衛を。一度経験して相互理解を深めれば、隊全体の連携精度と対処に奥深さが産まれるから、って」

 

それでも、任官もしていない訓練兵が言われもせずに思いつくことではない。質問をせず、自分たちで話し合い、欠点を本気で補おうと考え抜いたからだろう。教え子の成長していく姿に、樹は自覚なく表情を綻ばせた。

 

演習を突破する速度も、瞠目に値する。帝国陸軍用に考えられた内容から、かなり難易度を上げているのだ。A分隊も同様の難易度で演習を受けさせているが、あちらは二度程躓いている。

 

「それを意図的にA分隊に伝えて競争心を煽る、か……樹もワルヨノウ」

 

「待て。意味分かって言っているのか、お前」

 

「え? 相手の悪辣さを褒める時に使う言葉だって、博士から教えられたけど」

 

違うのか、とサーシャが尋ねる。樹は、間違ってはいないが、と言葉を濁した。

 

「何にしても、今の所は順調だな……そういえば、あのバカは?」

 

「イワヤエイジって人の所に行った。ワルヨノウしにいくって……そういえばエイジって人、影行の知己らしいけど、知ってる?」

 

「……日本人衛士でその名前を知らない奴の方が少ないな」

 

新兵はそうでもないかもしれんが、と樹はため息をついた。主に白銀武を取り巻く交友関係の意外さと、その大きさに向けて。

 

「そうだね……武の産みの母親も、結構な人なんだっけ。風守光さん、って」

 

「結構な有名人だな。会った事はあるが、まあ言われてみれば、って感じだ」

 

斯衛のようで斯衛らしくなく、でもやっぱり斯衛である。武が風守光を母親ではなく、衛士として見た時に表現した言葉である。

 

「……どんな人だった?」

 

「尊敬すべき衛士、だな。容姿で言えば……背が低くて童顔だった。ああ、クリスの奴とは正反対だったなそういえば」

 

「ん……なんか、変な方向に暴走しそうだね。アーサーあたりに絡んでそう」

 

「あー、否定できないのが何ともな。あいつらも、今はユーコンに居るらしいが」

 

「それは私も聞いた。これはもう、巻き込むしかねえって武は頷いてたけど」

 

「……冥福を祈ろうか」

 

「誰に対して?」

 

「巻き込まれるあいつらの胃と、対峙するかもしれない何処かの試験小隊に向けてだ」

 

「それもカムチャツカの後、らしいけど」

 

タイムスケジュール的には、8月以降に再度ユーコンでの事態は動く。これまでとは全く異なる方向と規模で。

 

――樹は深く息を吸って、吐いた。

――サーシャは目を閉じたまま、全身で小さく呼吸をした。

 

何処ともなく見ながら、樹は呟く。

 

「かくして舞台に演者は揃う、か。縁ある者も、そうでない者も」

 

「相応しいのか、違うのか。私達には判断がつかないけどね」

 

全てを把握しているのは白銀武と、香月夕呼の二人だけ。サーシャ達に与えられているのは、何が起きるのかという内容と、その時に求められる役割といった情報のみとなる。

 

「それで、207Bもその一部だと?」

 

「必要になると、私は思う。それだけのモノは持っている。以前のままだったら、邪魔になるだけだったけど」

 

日本の、自分の、置かれた状況を見据えておらず中途半端に訓練を積み重ねた衛士などは存在そのものが邪魔になる。例え有能であってもだ。そういった者は何時か必ず戦場で周囲に迷惑をかけながら盛大に戦死するから。

 

「良かったと思うよ。どちらにせよ、巻き込まれてた。望む望まないに関係なく、彼女達は相応の行為と成果を求められる。嫌だなんて、言えない内にね」

 

「そうだな……」

 

特に彩峰慧だ。樹の推測だが、彼女だけは人質ではなく、劇物扱いされたから国連軍に厄介払いされたかもしれない。陸軍に入れるのは周囲を刺激し過ぎるとして。その時点で既に巻き込まれている。様々な流れから生じる渦に。

 

世界では、あちこちに大渦が出来ている。戦わなければ、踏ん張らなければ居場所が無くなる、流される。そういう時代になった。その中で素質ある者は、才能ある者は、立場ある者は――余裕がある者は相応の物を余裕の無い民に、兵に与えなければならない。それをしない者は必要ないと呼ばれるぐらいに、余裕の無い状況になっている。

 

「……それも、第二段階の疑似演習を越えてからか……しかし、よくも思いつくな、あちらの博士は」

 

「衛士の立場からの助言があったと思う。博士だけじゃ思いつかないよ、ああいうえげつない仕様は」

 

「それでも有用で、必要だ。この上なく。禄に経験を積めないあいつらにとっては……厳しいだろうが、な」

 

最悪は、そこで終わる。それだけのモノだ。そしてこればかりは、素質といった問題には収まらなくなる。

 

「特に……純夏だけは、って武は言ってたけど」

 

「ここでの区別は駄目だろう。分隊内の信頼関係に、致命的な亀裂を生み出しかねん」

 

「……だよね」

 

誰しもが特別では居られない。そんな世界だ。BETAが訪れ、ユーラシアが落とされ、そういう世界になったのだ。誰より、サーシャがよく知る所であった。

 

両手を精一杯に広げても、全てを救うことはできない。

抱きしめて身を守ろうとしても、心の全てを守る事はできない。

 

出来るのは、居もしない神様に祈ることだけ。

 

サーシャは、掌を合わせて祈りを捧げた。

 

「珍しいな……誰に教わった?」

 

「祈りの心はアルフレードに。祈るのは無料だから覚えとけ、って」

 

「……信仰心という言葉を辞書で引かせたいな」

 

 

樹の呆れる声を聞きながら、サーシャは祈りを続けた。

 

効果など、到底見込めない。

 

だが極小であろうとも、この先全員が無事に在れる可能性が欠片でも上がるならと、あらん限りの心をこめながら。

 

 

 

 

 

 

次の日、207B分隊は演習の第一段階を突破し、次なる段階へと進んだ。

 

 

――後世に“死の門”と名付けられる。衛士の資質を見極めるために設けられた、悪名高き最終試験へと。

 

 

 

 

 


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