Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「悪魔の倒し方だよ。奴らを根絶やしにするには、どうすればいいと思う?」
「不可能だよ。だって、奴らはどこにでもいる。付かず離れず。人間と共に在るから――――」
そう言って、問われた男は自らの蟀谷を銃で撃ちぬいた。
見届けた男は、笑って消えた。
――――「正解だ」、と言い残して。
--------------------------------------------------------------------------------
アンダマン諸島。日本の九州ほどの長さで南北に伸びるほそ長いその島は、2つの目的のために土地の大半が使われている。ひとつは、亜大陸から避難した住民の居住地としてだ。亜大陸撤退後、インドに住んでいた国民はその大半がオーストラリアや、東南アジアといった場所に避難をしていた。
だが、避難民は受け入れる国にも、少なくない負担を強いる。かつて世界2位の人口を誇っていた国、BETAの侵攻により総数は激減すれど、その全部が死んでしまったということはない。あるいは小国にも匹敵する数の避難民、その全てを受け入れられる国などあろうはずがなく、オーストラリア以外にも移住は進んでいった。東でいえばスリランカや、アンダマン。西でいえば、ソコトラ島やアフリカ大陸など。亜大陸の住民はインド洋を越え、あらゆる国に避難している。かといって、人並みの生活ができるわけもない。彼らのほとんどが難民キャンプという、天井すら確かでない住居で、生活を強いられているのだ。
食料も配給制で、満腹になるまで食べられないのが当たり前になっている。国連としても避難民の支援を行なってはいるが、必要数には足りていない。支援する国にも限界があり、その限界以上に避難民は生きている。
しかし、腹を空かせた人間は正直になるもの。各地では、空腹を燃料として、あちこちで不平や不満が沸き上がって燃焼していた。だが、そんな国々の中で。避難民とは言えど、お腹いっぱい食べられる場所がある。
それこそが、アンダマン諸島にある衛士候補生の訓練所。
パルサ・キャンプと呼ばれる場所であった。
その受付で、今日も新しい訓練生の書類処理と案内を担当する事務員、スティーヴは眉間にシワを寄せていた。彼は数年前に行われたスワラージ作戦で再起不能なほどの大怪我をして、退役した元軍人である。スティーヴは、今日も受付にくる子供をみながら、色々と考えていた。
内容は特別なことではない。最近あちこちに出没し始めている、とちくるった宗教人。彼らが考えるものとも違う。彼らの主張である、"BETAは神の使いだ"なんてこと、一度でも奴らと戦ったことがある軍人なら、一笑に付す。
もしくは―――鉛玉を精一杯プレゼントしたい衝動にかられるか、どちらかだろう。彼は前者だった。極めて常識人な彼が考えることは、普通のことだ。子供が軍人なんて。俺らは一体なんのために。怪我をした我が身を不甲斐なく思いながら、悶々と繰り返している。
(亜大陸撤退戦じゃあ、15やそこらの少年兵も戦死したって聞く)
それなのに、この身は戦場に駆けつけることもままならない。
―――無様だ。もしも。自分が。あの時。
そんな、傍目から見れば、そもそも考えても仕方ないだろうという事を、あきず繰り返し考えている。つまりは、どこまでいっても普通の人である。運良く生き残って、しかし戦場に何かを置き去りにしてきた者。その普通人は、実に普通人らしく。仕事をほっぽり出さず、いらぬことを考えながら今日も、受付に来る子供達の入校手続きを行なっていた。
受付にやってくる子供の数は多い。最近増えてきた難民キャンプだが、そこにいる子供のほとんどが衛士候補生として軍隊の基礎訓練を受けていた。難民の義務だからだ。住む場所を奪い、果てはこの星を滅ぼそうとしている"エイリアン"を打倒するために、
ひとりでも多くの戦力が必要で。だから、幼いからと憐れみの視線を向けて、戦いから遠ざけることに意味はない。亜大陸が陥落したことは記憶に新しい。
このままでは人類は敗北し、果てには全てが喰われるだけだろう。最後には、子供も大人も等しく殺される。奴らは、年齢性別立場の区別も、差別もしてくれないのだから。
それを理解しているから、スティーヴは不満を覚えながらも、仕事をこなしていた。余計なことを考えながらも、新しい軍人を受け入れる。幼き子供達を鉄火場に送る書類、その最初の一枚を拒否せず受け取るのだ。
(………今日は、多いな)
入隊のための書類。それを差し出す時の、子供の反応は多種多様だ。軍関係の施設だからと、緊張をしている子供。軍というものが怖いのか、おどおどしている子供。自分がこれから何をするのか、うっすら分かっているせいか、諦観の表情を顔に張り付けている子供。殺された身内がいるのか、憎しみを隠そうともしないもの。望むところだと、青臭い感情で挑んでくる表情。
何かを勘違いしている子供もいる。
そんな中、変な子供が二人も現れた。片方は、可憐な少女。年はジュニアハイスクールの半ばぐらいか。あと数年もすれば大人を翻弄するような美少女になるであろう。その先、大人になるのが楽しみであると断言できる美少女だ。
しかし、その視線は何も見ていない。基地もお前もこれからおとずれるだろう過酷な訓練も興味がないといった風に、ただ一点だけを見ている。
視線の先には、もう一人の子供。東洋人の少年だ。年の頃は10かそこら。その年にしては身長が大きく、隣にいる少女と並ぶ程に成長している。
こちらも変だった。気負いもなく。恐怖もなく。ただ、故郷に帰ってきたというように、迷いなく受付である自分を見据えている。
「すみません」
「あ、はい」
そうして、出された書類。その内容は、入隊手続きをするものとは違っていて。
「アルシンハ大佐………じゃなかった、准将殿からです」
紹介状を見るやいなや、スティーヴは飛び上がった。
「変な人だったなあ」
「私達には言えないと思う。実戦を経験した後に、また基礎訓練を受けようなんて変人が居るとは思えない………タケル以外には」
「軍が許さないだろ。って待て、誰が変人だよ誰が」
訴えに、サーシャは無言の視線で回答した。武が諦めたように肩を落とす。
「素直なのは良い事。それで、このキャンプの訓練校については説明が必要?」
「予習はしてきたけど、漏れてる部分があるかもしれない。お願いするよ」
言われたサーシャは歩きながら武にアンダマン島のこと、そしてこのパルサ・キャンプについて説明する。まずは1978年。喀什からのBETAに備えるインドが、後方支援設備増強の一環として、ベンガル湾東部に位置するアンダマン・ニコバル諸島に大規模基地設備の建設を決定した。将来発動されるであろう甲一号攻略に向け、インド洋での大規模作戦を計画していた国連は、
ディエゴガルシアに続く戦略拠点構築として基地建設を支援。
1985年、ここ南アンダマン島のポートブレア基地を中心とする一大基地群を完成させたというわけだ。それに伴い、インフラも整備された。防衛力もあるとして、人が住める環境になったのだ。それもあって、ここにはBETA南進により故郷を追われた者達を保護する難民キャンプ群が、多数設立されている。
東南アジアへの移民中継地という側面も持つ、インド方面屈指の重要拠点というわけだ。パルサ・キャンプはその内の一つで、アンダマン島の南にある難民キャンプだ。そして、難民は等しく生きるために軍に協力する義務がある。中年は軍関係の工事を手伝うか、物資を運搬する人員として。体力のある者は軍人として。少年や青年は、未来の軍人として扱われている。軍人となるための、訓練を受けさせられているのだ。
つまりは、ここにいる子供のほとんどが衛士予備候補生。近い将来、兵役につくことになる軍人、もしくは衛士の卵だ。成長が早い者から、実戦に耐えうると判断された者から次のステップにあがる。
「俺たちはひとっ飛びで実戦かー。インドのあれは、本当に無茶な試みだったんだな」
「ターラー中尉を筆頭に、反対意見は多く出ていたようだけどね。元から無謀だって」
ソ連じゃあるまいし。一言そう告げた後、サーシャは話を次に移す。
「訓練期間については、聞かされた?」
「一応は聞いてる。三ヶ月、だろ」
武は基礎訓練を。南アンダマン島の訓練学校で三ヶ月の期間みっちりと鍛え、その後は前線に近い北アンダマンの基地へ異動となる。そこで行うのは実戦か、または模擬戦等の演習訓練になるのかは分からないが、半年後には前線復帰となるだろう。
BETAが来れば実戦、来なければ演習、たまに間引き作戦。めくるめく戦いの日々が再開される。
「その時には、俺の新しい機体が………あればいいなあ。使える機体は、戦線で張ってる衛士の方に優先されて回されるらしいし」
「うん。難しいだろうけど、訓練の終わりまでに配備されていたら良いね。でも、もし配属に間に合わないなら………私の戦術機に乗って戦えばいいよ」
「え、複座とか?」
膝の上に乗って戦うのか。しかし意味はあるのか、と悩む武に、サーシャはずっぱりと告げた。
「ううん、機体の肩の上。強化装備つけて、大口径の銃を乱射してればいいよ」
「み、未来が見えねえ!?」
戦死以外の結末が見えない、と叫ぶ武。廊下に声が響き渡る。この時間でも、まだ廊下には人通りが多く。その中の幾人かが、武に視線を向けた。主に子供だ。この訓練学校にいるのは大半が子供である。その誰もが日本やアメリカといった国土をBETAに滅ぼされていない国の子供
とは、また質の異なった顔をしている。それもそう、彼ら彼女らは卵とはいえ軍人なのだ。この、厳しい訓練に耐えうる基礎体力をつけるための場所で、軍隊としての考え方を学ばされた少年たちは、一般のそれからはかけ離れている。特殊な訓練は行っていない。せいぜいが格闘訓練か、基礎体力作り止まりである。
――――それでも厳しい環境と辛い訓練は、否応なしに人を変える。
子供たちは訓練の中、苦難というハンマーを、艱難辛苦という火を。くべられ叩かれ、鋼鉄な心へと変わりますようにと望まれ、変わっていく。傷めつけられて初めて、変貌に足るのだ。それは人の輪の中で、人に触れ合いながら自然に起きる真っ当な成長とはまた異なる。真っ当ではありえない歪な変化と呼ばれるものだ。そして変化した子供たちが持つ問題として、一番にあげられるのが感情の起伏の欠落であった。
「なんか、居心地が悪いな………」
武は居心地の悪さを感じていた。眼が不気味だし、とは小さくつぶやくだけ。見た目にも分かるほどの違和感に、戸惑いを隠せないでいる。サーシャは前情報から子供たちが抱える問題と、それらの事情を知っていたので、特に驚かない。
(情操が発達していないのだろう、とターラー中尉から聞かされていたけど)
同意する。あれは――――自分が抱えていたものに似ている、と思いながらもサーシャは自嘲する。いつの間に、自分は一端の人間になったつもりなのかと。
「ん、どうしたサーシャ?」
「何でもない」
力なく、首を振るサーシャ。武はそれを怪訝に思い、問い詰めようとするがサーシャは「時間がないよ」と追求を躱す。
事実、伝えられていた集合時間までいくばくもない。軍において時間は重要だ。遅参は時に戦況を狂わせる。味方を殺すことにもなりうる、最低最悪の行為である。それをインドに居た頃から徹底的に叩きこまれて、実戦の中でそれらを理解した武は、瞬間的に意識を切り替えた。
「急ごうか」
「うん」
頷き合うと、二人は駆け足をはじめた。
武達は部屋に入ると、すぐに着替えをはじめた。狭い部屋の中の大半を占拠する左右の2段ベッド。その中で、物が置かれていない場所に自分の荷物を置き、服を脱ぐ。サーシャも同様だ。武も、今更慌てふためくことはない。激戦の中、余裕のない戦況の中では、そういった事も学ばされる。ターラー達も、決意をした武に対して、そういった点では配慮も遠慮もしなくなった。
必要なことを学ばせるため。子供の感性のままでは生き残れないと判断したからだ。
「でも、こっち向いては着替えないんだね」
「いやだって恥ずかしいだろ」
武は顔を赤らめながら答える。後ろから聞こえる衣擦れの音から連想される光景のせいだった。性の差別なしが最前線の鉄則であるが、異性に肌を晒すのはやはり気恥ずかしいもの。武はそういった方面に対して、まだ耐性をもてていなかった。お子様的な思考だと揶揄されてはいるが、それでもどうしようもないものだった。それでも胸に興味がある辺りは男の子である。
しかし、それが武らしさとも言えた。ラーマは怒らず、むしろ褒めるようにしていた。かといって、どうしようもない時はある。だから武の方針はこうだった――――"仕方ない時は仕方ないが、避けられる時は避ける"と。処世術でもある考えだったが、子供らしい恥ずかしさが残る中途半端な残し方は、染まった大人から見て微笑ましく思えるものとも言えた。
武本人は全く気づいていないが、かつてインドの基地で日夜衛士として在った頃も、いちいちそうした事に悩んでいる事があり、それを見た周囲の者達は微笑ましささえ感じられていた。
そうして、着替え終わった後のこと。武はサーシャと別れ、一人でグラウンドに向かった。そこで教官から訓練内容を聞かされた。武はひと通りの説明を受けた後、内容に違うところはないと確認すると、問題ありませんと頷いた。そして、本格的な運動の前に準備体操をしてようやく、単独での訓練がはじまった。他の訓練生は違う所で別種の訓練を受けている最中で、そこに混じることはしなかった。
まずは休息が明けて、基礎体力がどれだけ衰えているのかを見ることが優先だと言われたからだった。目標や訓練内容を決めるのはそれからだと、いうことを教官から伝えられたからだ。武は納得して、教官の方を観察した。
じっと、立ち居振る舞いや、目を見つめる。これは武がインドの激戦で学んだことで、癖でもあった。衛士は、練度だけではその本質や有能さは計れないもの。性格を知って、それを把握した上で有用な情報に変えろと、ターラーから教えられているが故に。
そして衛士にとって重要なのは正悪ではない、性格であった。窮地に心が容易く折れそうな衛士であれば、戦車級にまとわりつかれた時に手早く対処を。その後にやさしい言葉をかけて、混乱したままにしない。単なる力量だけでは仲間のフォローもできないと、そう考えての教えだった。
全てが自分の生死、果ては仲間の損耗にかかわるものだからして、必要なものだと身体が認識しているのだ。それは安全である筈のここ、アンダマンに来ても忘れていなかった。いつもの通り。武は観察した結果と、受けさせられている訓練から、大体の所をまとめた。
(―――ターラー教官ほどの覇気も威圧感もないが、基本は分かっている。良い教官だな)
今は表面だけしか見てない推測だが、的外れでもないだろう。武はそんな感想を抱いていた。その教官から、まず軽く10キロを走れと言われた武は、大きく返事をした後、グラウンドを駆ける。
舞う砂埃。走る武の頬を、温風が撫でた。
(暑い、な…………まあインドよりは赤道に近いし)
仕方ないか、と軽く走り、やがて目標の距離を歩くことなく完走できた。武は思ったよりも体力が残っていて、想定よりも速く完走できたことに喜んだ。横では、タイムを測った教官も、満足そうに頷いている。まずは褒めることをしない軍人の教官がケチをつけない、それだけのタイムだった。
成人の軍人の水準にはまだまだ達していないが、病み上がりにしては速いタイムだと言えた。それを聞かされた武が、安堵のため息をついた。病院でリハビリはしていたが、激しい運動はしていなかったのだ。
そのため、武は自分の身体がどれだけ鈍っているのか把握できていなかった。安堵の息は、思っていたより衰えていないことに対するもの。そして――――三ヶ月もあれば、前よりは体力をつけられる。すぐに戦場に帰れるということに対する、息だ。
一日の訓練が終わった後、武とサーシャは学校の中を案内されていた。案内をしたのは受付の男、スティーヴ。校内にある医務室や装備保管庫、その他訓練に使う施設の位置をひと通り知らされる。道中には、英語での会話もあったが。
「じゃあ、多くの訓練兵達が英語を?」
「ああ。全く知らないということはないし、勉強する時間もあるので、片言では会話できるだろうがな。まあ、君のように話せる子供もいる」
苦笑するスティーヴ。次に、武の方を見た。
「綺麗な英語だが………君は、祖国で学んだのか?」
「インドでも少し。父が教えてくれました」
武が答えると、スティーブの顔が少し変わる。
「インド…………ということは、あそこにいたのか? わざわざ最前線に?」
「年明け頃まで。親父と一緒に避難しましたよ」
「じゃあ、本当に最後まで残っていたのか。そちらの君も?」
「私の父と武の父は知己なので。一緒に避難しろ、と言われまして」
誤魔化す二人。スティーヴは納得するように頷くと、意外な縁もあったものだと言う。ソ連人と日本人。知りあっている人間がいてもおかしくはないが、それが最前線ということならば異なる。
それこそ、研究員のような立場で無い限りはまず有り得ない。スティーヴはそれをなんとなく察しながらも、話題を次に移す。
「准将からの紹介、ねえ。少し前に5人ほど来たけど、また追加とは珍しいものだ」
「5人、ですか…………その訓練兵もここに?」
「いや、先週に基礎訓練は終了したのでね。今は、東南アジアの方で衛士の訓練を受けているそうだ」
「そうですか………」
武が肩を落とす。もしかしたら再会できるかもしれないと思っていたのだ。あの時に起きた喧嘩みたいなことも、出来ればとことんまで話しあってみたいと考えていた。
(死ねば、話し合いもクソもないよな)
武は散っていった同隊の面々を思い出し、決心する。生きている内に話しあおうと。
「もしかして、知り合いか何か?」
「インドで、少し一緒に。俺も、万が一のためにと訓練を受けていたものですから」
「………そうか。彼らは訓練兵の中でも上位だったが、君達もそうなのかな?」
「それなりの自負はあります」
武は謙遜はせずに、自信はあると答えていた。
(実戦に出たことを、吹聴する気はない。だけど――――)
仲間と一緒に得た力は軽くない。だから武は自身の力量について、自ら下に答えることはしないと誓っていた。まだまだである、という自覚はある。だけど、自分だけのものではなく、軽んじていいものではないと。サーシャもそれは同様で、武と同じようにスティーヴに答を返していた。
それを聞き、二人の瞳を見た彼は感心の念を抱いていた。
「大したものだよ。瞳の奥にゆらぎがない。力に対する自負と信念。言葉から透けて見える覚悟…………」
自分は、君達が軍人に見えるよと。苦笑しながら、冗談を言うようにスティーヴ。
対する二人は、笑顔で答えた。「やべえ」という思いを悟られないよう、無言で。
「ふ、感情も豊からしい。まったく、ここの子供たちとは大違いだよ」
「と、言うと?」
「難民キャンプか、あるいは亡国からやってくる子供だがね。最初は、子供らしい眼をしているんだよ。だけど………訓練が進むにつれて、ね。射撃の精度が上がっていく。格闘戦の技術が鍛えられている。座学で、敵を効率良く殺せるやり方を学べている。だけどその度、子供たちの瞳から輝きが消えていく」
スティーヴは暗い表情を見せた。
「彼らの多くが、親を失った子供たちだ。それも、ここ数年内に」
「あ………!」
武が、そうだったと声を上げた。アンダマンは亜大陸に近い。BETAの侵攻経路上にある国々にも。だからここには、特にインドが故郷である子供たちが多いのだと。
「心の傷も癒えていないだろう。だけど、BETAを殺せるようになりたいと訓練を望む…………まあ、何もしないよりはマシなのかもしれないがね。それでも、精神面でいえば不安定で、未熟なのだ」
「それをケアする精神科医も、軍の方で手一杯………人手不足ですもんね」
「まあ、全ては軍事が優先されるから仕方ないと言えば仕方ないのだがね。衛士の心のケアは特に重要だ」
武とサーシャは深く、心から頷いた。親しい仲間を失い、孤立した衛士の心は容易く砕けてしまう。正視に耐えない光景を見た者は特にそうだ。忘れることが最善という声を、拒否できる者は少ない。強がれば破滅にも繋がる場合がある。二人も、激戦の中で限界に達してしまった衛士を見たことがあった。狂乱して、錯乱して、味方を撃ち殺そうとして、撃ち殺された衛士を。
「かといって、容易く補充もできない。医者は高度な知識を必要とする職業だからね。不安定な精神のまま、癒されない子供たち。
そして親を、故郷を、と。復讐に走ろうとする子供たちを止められる大人もいない………」
大人も、そんな戦う子供たちが必要になっている。衣食足りて礼節を知る。倫理も、まともに生きられる下地があってこそ。緩い倫理が通じない戦況になっているのだ。
だから、子供たちは望まれ、望み、銃を持って、持たされて。
安心の中――――歩兵ならば硝煙の臭いに、衛士ならば身体にかかるGに慣れていく。
「復讐に心身を預け、それ一色に染まっていく。自殺よりはポジティブな考えだと思うが、それでもプラスとはとても思えないからね」
「………情操教育などはできないのですか?」
「軍では不可能だよ。それにナンセンスだ。教師が教える一般の情操…………それとは対極に位置する思考で考え、動くのが軍人だ」
サーシャの言葉は即座に否定された。教師は、守れ、壊すなと言う。軍人は、攻めろ、壊せと言う。そんな相反する理念を共有できるほど、子供たちの心は発達していない。状況に応じて使い分けるのが人間だ。非道であっても、任務ならば遂行するのが軍人。だが、普通の生活の中で軍人の考えは毒にしかならない。
使いこなすには、道徳、知識、様々なものが必要になる。それが足りない子供たちが多く、またこれから教えていく者たちがいないのが現状だと。
(ソ連では、それを意図的に行なっているようだけどね)
スティーヴは心の中だけで呟いた。一定の年齢に達した子供を親元から引き離し、軍隊で育てる。そして軍隊という組織、コミュニティに忠誠心を抱かせ、忠誠心を利用する。そうして出来上がるのだ。子供は、"何でもする兵士"に変貌させられていく。このキャンプは事情も異なるし、全く同じとは言えない。だけど、大体の所で同じ様式が展開されているのも確かだ。
「かといって、戦わないという選択肢も有り得ない。どこもかしこも問題だらけ。猫の手を借りても足りないぐらいさ」
武にしても、それは知っていた。生死の問題、生活の問題。どこにいっても、生きる上での難題は襲ってくると。それはまるで悪魔のように、しつこく。人間につかず離れず、場所を選ばず現れる。逃れる方法は、死のみである。
英語に言う、"Between the devil and the deep blue sea"。
武はその言葉を、『どこもかしこも悪魔だらけ、逃れるならば身を海に投げよ』と、解釈している。
(日本で言えば、前門の虎、後門の狼。左右には要塞級、飛べばレーザー、って後半はなんか違うな。今じゃあ、空も海も同じものだけど)
海の底も、空の果ても、危険度でいえば似たようなものである。海に沈めば、窒息。空に上がれば、蒸発。
(それでも、空には憧れる)
武は、衛士になってから、考えることがあった。光線級のレーザーがあるからして高い場所はそうそう飛べないが、限られた空間でも縦横無尽に走りまわるのはきっと最高に気持ちいいのだと思っていた。父からの吹聴もあるが、オーストラリアから来た衛士に話を聞いたことがあったのだ。
レーザーの照射圏外であるオーストラリアでは、戦術機で自由に空を駆けられるらしい。それはきっとすごく開放感があるのだな、と羨ましく思ったことがあった。
そして、明確な人類の敵であるBETAを倒すことができれば、それ以上のことはないと思っていた。窒息か蒸発か、ではなく――――死ぬか、死にたくないと足掻くか。武はその問いに関しては後者だと即答できた。敵は強大だけど、戦わずに死ぬのは馬鹿のすることだと。
スタンド・アンド・ファイト。
ターラー教官から聞かされた、好きな英語を口の中でつぶやきながら、武は戦術機で戦う方法を考えた。夢の中で見た機動を、戦術を、活かせる方法はないかと考えて――――
(っと、駄目だ。今は訓練だ。でもまあ、夢で見た、あの………戦法というか、特殊極まる機動についてはメモしておくか)
武は確信している。夢で見た多くの機動。あれは恐らく、自分の先にあるもの。発展型であり、BETAをより殺せる武器になるに違いない、と。それを最後に、武は戦術機とBETAに逸れた思考を、頭を振ることで修正した。乗りてー、とは口だけでつぶやいているが。
そんな武を怪訝に思いながらも、スティーヴはフォローの言葉をつけくわえる。
「全部が全部、"そう"であるとは言えないがね。割合が多いということはあるが」
「中には、例外もいる?」
ほっとしたように、武が言う。スティーヴはそれに答え、前方を指さす。
「ああ………例えば、あの」
指された先には、武達の部屋。いつの間にか到着していたのだ。そして、部屋の前には一人の子供の姿があった。
まず二人の印象に残ったのは、その勝気な瞳だった。紫という不思議な色をしている瞳の奥からは、強い意志のようなものを感じさせられた。
褐色の肌と、短く切りそろえられた髪は、よく知るターラーを思わせられた。顔立ちも、可愛い顔立ちで整っていた。背丈は小さい。武の胸までぐらいしかないので、少し成長した武とは違って、一見すると本当に子供に見える。
「軍曹、そいつらが例の?」
「敬語を使い給え――――タリサ・マナンダル訓練兵」
「へーい」
タリサと呼ばれた子供が、ふざけた敬礼を返す。
(見たところ、年は10かそこら?)
サーシャが推測する。彼女も、会ってきた人間の数だけは多いから、見た目と動作からそれなりの年は分かる。まだ軍における規律もなにも分かっていない年頃か、と思って、なので仕方ないのだろうと武は納得しようとするが、そこに言葉を向けられた。
「あたしはタリサ・マナンダル。グルカ兵の卵ってことになってるけど、アンタ達は?」
「白銀武だ、よろしく」
「サーシャ・クズネツォワ」
挨拶する二人の言葉は対照的だった。武は、友好の挨拶を。サーシャは、まるで突き放すように。タリサは、サーシャの方を見て、眼を尖らせた。
「なんだよお前。アタシに文句でもあるのか?」
「いいえ、全然。なにも無いから、そう睨まないでくれると助かるな」
「ああ? お前が睨んできたからだろーが」
何やら二人の間で火花が散っている。武は突然の事態に驚きながら、仲裁をしようと一歩踏み出す。タリサの方は言っても聞かなそうだからと、サーシャの方に言葉を向ける。
「サーシャ、なにいきなり怒ってるんだよ。お前のほうがお姉さんなんだから、こんな小さい子をいじめちゃ駄目だろ」
「………分かった、ってちょっと待って。小さい、子?」
言葉のニュアンスがおかしいと、サーシャが白銀とタリサのを交互に見る。
「タケル。つかぬことを聞くけど………この子、何歳に見える?」
「えっと………」
いきなり問い返されたタケルは、少し驚いた後。タリサの方を見て、うん、と前おいて言った。
「6っつ、ぐらい?」
「だ、だだ誰が6才だぁ!?」
タリサが、うがーっと怒声を張り上げた。
「アタシは12! アンタより年上だよ!」
流石に年半分、幼児ちょっと後ぐらいの扱いをされたからには怒らずにはいられないとタリサ。だだっと駆け寄り、素早く武の胸元をつかもうと手を伸ばす。その動作は速く、普通の子供ならば瞬く内に捕らえられていただろう。しかし、武は咄嗟に反応した。ターラー教官の伝説レベルのゲンコツのせいで、褐色肌の女性にトラウマじみたものを抱いていたからだ。
(――――)
思考ではない、反射で行動する。考えるより早く、身体が動いた。間合いをつめてくるタリサを見た直後、さっと後ろに下がり、それを回避した。空かされたタリサは、目を見開いた後、また怒りながら掴みかかろうとするが、武はそれを全て躱した。
「っだよ、てめ、逃げんな!」
「いや、逃げるって………でも12歳はサバ読みすぎだと思うぞ!」
「てめぇ………! もう容赦しねえ、ぶっ殺す!」
物騒な言葉を吐きながら再度襲いかかるタリサ。しかし、武は全てを回避した。
(教官なら動作も見えないから、大人しく拳骨を受けるしかなかったけど!)
この相手ならば可能と、武は盛大に逃げまわる。呆然とするスティーヴの横、やがて数分間の攻防が終わる。
武は、満足げに。
タリサは、涙目に。
そしてサーシャは、いちゃついているように見える二人を、冷たい目で見つめていた。
そして、冷水のような言葉が武を襲う。
「タケル………そんなに小さい子と戯れていて楽しい? うん、ずいぶんと楽しそうに見えるね?」
「ちょ、なんでサーシャがそんなに怒ってんの!?」
「小さいっていう………な、なんだよこの女は!?」
背後から炎が見えかねない怒気を感じ、武は一歩下がった。
タリサも、わけのわからない圧力を感じ、一歩下がる。そこに武は協力を申し出る。
「仕方ない、タリサ。ここは
脱出しよう、という言葉はタリサの言葉にかき消された。
「――――おいてめえ。今、アタシに、なんて、言った?」
途切れ途切れの言葉が、怒りの度合いを感じさせる。
――――ここで注釈を一つ。英語で俺=私=アタシ=「I」である。
そして、武は未熟者であって。英語は分かっても、響きで女性の名前がどーとか、わからない。
その上、よせばいいのにまた一言付け加えた。
「何怒ってるんだよ、敵はあっちだぞ
「ボーイ!?」
タリサは水鉄砲を受けた鳥のように跳ねて、やがて俯いた。そして声が地面を揺らした。
「っ………ふ、ふ、ふ、ふ…………!」
タリサは俯きながら聞くもの全て心胆寒からしめるような、不気味な笑い声をあげた。武はそれを不思議に見ていたが、笑い声と共に何やら彼女の背後に黒の虎が現れたかのような錯覚に陥った。
まるで大口径の戦車砲が発射される、その寸前のような。見たことはないが、噴火前の山というものはこういうものなのかもしれない。そう感じていた武だが、それは正しかった。
「覚悟は、いいよな?」
タリサは一歩踏み出した。それこそ最早に問答は無用、というぐらいに怒っていたからだ。理由はいわずもがなであり、そこに触れられれば戦争レベルになるほどのものであることは間違いない。武は戦場というものを経験していたが、そんな彼をして感じたことのない質の危機感を覚えるほどだった。
気圧され、一歩下がる。しかし更に鬼は近づいてくる。
そして、背後には。
「ふふふ…………?」
美麗に笑う銀の、今は金の狼がいた。武の主観だが、こちらの方が怒気でいえば少ないように見える。それも間違いではない。サーシャ自身、なんで自分が怒っているのか分からないのだ。だけど彼女の脳裏には先程の光景が反芻されていた。
リピートの回数が増える、その度に意味不明の怒気がふくれあがっていった。それを前に、武はサーシャの背後に幻視する。親父の戦術機コレクション、というか資料にある機体。
写真でしか見たことがない、ソ連の戦術機「チボラシュカ」を。
「ま、待て。落ち着け二人とも………っ!?」
――――説得の言葉もむなしく。
夜も遅い訓練学校に、一つの悲鳴がひびき渡った。