Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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13.5話 再出発

 

 

「まだまだ後がある。きっと次がある。だから今度こそは上手くやれば良いと……そんな贅沢な余裕は、跡形もなく消えた」

 

冷静に分析した上での結論が男から告げられた。

 

少女は、噛みしめるように頷いた。

 

「分かっています。いえ、分かっているつもりなのかもしれません、それでも――」

 

「無様を承知した上で諦められない。そう主張するのなら、誰でもない、お前自身の力でやるしかない。与えられる助言は三つだけだ。言っておくが、こういった難問に対する解法はないぞ。なにせ、人間が相手だ」

 

突き放すような、それでいて親身なような。男は事実だけを伝えた。

 

「所詮は小娘だ。“今の”お前はな。それを自覚した上で、たった一人。汚名を返上するために何が必要か……しくじれば、そこで終わりになる」

 

 

故に怠けることなく真剣に考え抜け、と。

 

男の言葉はどこまでも深く少女の心に染み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満足な呼吸さえもままならない。気を抜けば、周囲に当たり散らしてしまいそうだ。彩峰慧はそんな内心を押し殺しながら、廊下を歩いていた。

 

煮え立つ湯を見たことは幾度もある。鍋の中で踊る気泡と蒸気。触れれば火傷する程に熱いそれを。だが、彩峰慧は初めて知った。人の心の内も熱を帯びれば容易くそうなることを。

 

慧は思う。アレほど誰かに怒りを覚えたことはないと。

 

慧は蔑んだ。それを許してしまうも同然の自らの無様さと無力さを。

 

慧は嘆いた。どうして自分はこんなに弱いのか。

 

翻って考える。冷静になった今ならば分かる。慧は、上官に殴りかかった自分の行為が正しい事だとは思わなかった。逆に、罰せられて然るべきだと思う。それを理解してなお、許せることではなかった。殴りかかったのは、あの言葉だけは許せるものではなかったからだ。

 

正誤より先に、認めてはならないものがあると慧は信じていた。座していたら、自分の中の何かが死ぬと思ったから、動いたのだ。その怒りさえも捌かれ、極められ、地面に。丁寧に折り畳まれたまま。正しい言葉という熨斗まで付けられた上で。

 

(そして、何事もなかったかのように、アイツは居なくなった)

 

叩き返そうにも、届かない位置まで行かれたからにはどうしようもない。二度、会うことがなくなる可能性もある。そうならないために、今やるべき事は。正しい選択とは何なのか。慧は知らずの内に、約束の刻限より早く目的の部屋へ辿り着いていた。

 

「……」

 

慧は何かを言おうとして止めると、部屋の扉をノックした。開いているわと、中から声がする。慧は僅かに逡巡するも、大人しくドアノブを開いた。中には予想の通り、部屋の主だけが――――榊千鶴が、そこに居た。

 

「……まだ集合時間より30分も早いのだけれど」

 

「知ってる……分かってる」

 

慧の率直かつ無愛想な返答に、千鶴が眉の端を上げた。そして何かを言おうと口を開くも、息を吸うだけで言葉は飛び出なかった。慧はその様子から、何某かの事を思い出したのだろうと察した。同時に慧も色々と思い出して、舌打ちをした。

 

「なにを……いえ、いいわ。そこに椅子を用意してあるから」

 

千鶴の言葉に、慧は壁に立てかけられているパイプ椅子を見た。のろのろと自分の分を用意しすると、後の者の邪魔にならないよう部屋の隅に座る。その様子を見た千鶴が、苛立つように告げた。

 

「貴方ねえ……それ、嫌味?」

 

「……なにが?」

 

「っ、彩峰……! あいつから指摘された事、まだ分かってないの!?」

 

「そっちも……分かったつもりでいるみたいだけど」

 

慧はいつものように受け流そうとするも、自分の声が荒ぶった事を意識する。たまらず、千鶴を睨みつけた。

 

言いたい事は山ほどあった。お互いに山ほど文句はあるだろう事も、慧は理解していた。かつてない程に苛立っている現状、演習の前であったなら感情のままに言葉を発していた事だろう。

 

――鎧衣の勘を信じていれば。

 

――そもそも、あの地雷原に至る道中での方針決定でも時間をかけすぎた。

 

――感情に任せての指揮を取らなければ、あるいは。

 

思い浮かぶ言葉は色々とあった。だが、同時に思い知った。その一端を指揮官にぶつける事が、どれほど醜い行為であるのか。

 

だから押し黙った。千鶴から視線を逸らすと、早く時間よ過ぎろと脳内で繰り返した。他の者が来れば、この最悪な空気からは解放されると思ったからだ。

 

(……?)

 

ふと、慧は疑問を抱いた。それならば、もっと後に来れば良かった。そうすれば大嫌いな相手と二人きりにならなくて済んだ。なのに、どうして自分は30分も前に来てしまったのか。自然と、視線が千鶴の方を向く。

 

タイミング的には全く同時だった。言い訳が挟まる余地がないぐらいに、ぴったりと互いの視線がぶつかり合う。

 

「なに、睨んでるのよ」

 

「睨んでない……睨んでるのはそっちの方。どうしてそんなに怒ってるのか、理解不能」

 

「……怒ってるのは認めるけど、この怒りは貴方に向けてのものでは無いわ」

 

千鶴は答えながら視線を逸した。気まずそうな仕草は、嘘を言っているように思えないもので。少なくとも、いつものような軽いものでもなく。含まれているのは怒りもそうだが、別の感情が隠れているようにも見えた。

 

「それはそうと、貴方がこんなに早く来たのは理由があるからでしょ? 私に色々と言いたいことがあったんじゃないのかしら」

 

「……べつに」

 

慧は図星をつかれたような感覚に陥ったが、すぐに否定した。認めたくないという感情の方が勝っていた。内心を当てられた事に対する忌避感もあったかもしれない。それでも、内心は満たされない。むしろ焦燥感が募っていくような、そんな気持ちを抱いていた。

 

ふと、顔を上げて千鶴を見る。そして千鶴の横顔を見て、一端だが理解した。

 

(――羞恥心?)

 

根拠はない、直感だった。それでも慧は、それ以外無いように思えた。

 

指揮官としてか、もっと別のものか。判別はつかないが、慧は今の自分にとっては聞いておかなければならない事のように思えていた。

 

だが、時間が経過しすぎていた。慧が榊、と呼びかけると同時に、ノックの音が部屋に響いた。

 

「私だ。少し早いが、中で待たせてもらって良いか?」

 

「……ええ、構わないわ」

 

「ありがとう……彩峰?」

 

入室したのは冥夜。端正な顔立ちが一瞬だけ驚きに揺れるが、すぐに表情を平時のものに戻すと、二人を見回した。

 

「ふむ……取り込み中であったか?」

 

「……いえ、違うわ」

 

「……」

 

千鶴は言葉で、慧は無言で否定を示した。それを見た冥夜は、視線をやや鋭いものに変えるも、すぐに平時のものに戻した。そこから207B分隊の6人が集合したのは数分が経過した後のことだった。

 

各々に思い詰めた表情で、唇を引き締めている。その中で口火を切ったのは、最も顔色が悪い分隊長だった。

 

「まずは現状、私達が置かれている立場に関して……共通の認識を持っておきましょう」

 

直視したくはないが、そうしなければ始まらない。千鶴は努めて冷静に、207Bの今を語った。

 

演習は不合格。次の演習は未定。それでもA分隊と同様、衛士としての訓練を受けることは許されると。合否に関係なく、戦術機に関わることを許される。違和感を抱いた冥夜達に、千鶴は前もって教官から確認していた事を伝えた。

 

「現在、横浜基地……いえ、紫藤教官と神宮司教官が関わっている部署では、新しい教導方法を模索しているらしいわ。私達はそのデータ収集の一環として、衛士教習課程に上がることが許される」

 

「補欠合格、といった所か……いや」

 

「ええ、そう甘いものでも無いと思うわ。モルモット扱いはされなくても、役割的には似たようなものだから」

 

国連軍内部に、一部の部署というのも引っかかるが、千鶴達はそれを気にしている余裕さえなかった。不合格の内容と、叩きつけられた問題点が大きすぎる。正にどん底に居るのだ。楽観的に考えれば、それでもチャンスは与えられているのだから、自分たちの素質は認められている、という解釈もできる。矯正すれば衛士として認められるのだ、という甘えさえも浮かぶ。

 

だが悪い方向では、207B分隊はどう扱っても構わない問題児として、既に“振り分けられ”ている可能性も考えられる。

 

「どちらにせよ、失敗は許されない……繰り返した時点で、僕たちは」

 

美琴が膝に置いた手を震わせた。間もなくして、そのことだけど、と千鶴が躊躇いがちに告げた。

 

「成功したとしても、並の挽回じゃ衛士として認められないでしょうね。そうすると、A分隊……茜達だけじゃなくて、他の衛士にも示しがつかないと思うから」

 

「……ああ。教官達が関わっている部署には、他の衛士も居る。何人居るかは不明だが、その全てに認められるような成果を見せないと厳しいだろう」

 

冥夜の返答に、千鶴は頷きつつも、渋面になった。

 

「最悪は……私達が万人に認められる成果を出したとしても、任官できない。そのような筋書きが用意されている場合ね」

 

「え……」

 

千鶴の発言に、壬姫を始めとした全員が絶句した。視線が集まっている事を感じた千鶴は、慎重に言葉を重ねた。

 

「紫藤教官は真実の全てを語っていない。少なくとも……当初、私達は人質という目的でここに集められた筈よ」

 

「……自信たっぷりだけど、その根拠は?」

 

「貴方も分かっているでしょう。国連軍の横浜基地という特殊な場所に、各機関の重要人物を肉親に持つ訓練兵が集められた。これが、偶然である筈がない」

 

それは直視したくない事柄の一つだったが、状況を分析すれば嫌でも真実は浮き彫りになる。こうしてB分隊としてひとくくりにされている現状、集められた理由に何の背景もないと考える方が不自然だからだ。

 

「そうだね……何らかの目的があって集められたのは、間違いないと思う。父さんのことは、驚いたけど」

 

「あっ……ご、ごめんなさい鎧衣さん」

 

「ううん、謝らなくていいよ。僕も、薄々だけどおかしいなって思ってたから」

 

美琴は小さく笑った。一方で冥夜は純夏が言った“誘き寄せられた”という内容が気になっていたが、この場で聞くつもりはなかった。京都という単語が出た以上、難しい立場にある自分が迂闊に探らない方が良いと考えたからだ。

 

「でも、受けた指摘は……正直、考えさせられる部分が多かったんだ」

 

「そうですね……私も、耳が痛かったです」

 

悪意に飾られた感はあるが、指摘された内容はB分隊の問題の核を端的にまとめたものだった。演習の不合格という言い逃れの出来ない結果が出た直後だというのも効果的だった。明確な異論を唱えることができなかったのは、どこかで正しいと思っていたからだ。

 

千鶴や慧、壬姫は身内への罵倒が混じっていたため、素直に反省して頷くことは難しいが、それさえなければ羞恥心に悶えていただろう。不甲斐なさを感じる反面、反骨心も増幅される。

 

そういった空気の中で、千鶴は立ち上がった。皆を見回すと、深く頭を下げた。

 

「――ごめんなさい。演習の最後の判断。あれは、私が間違っていたわ」

 

許されるとは思っていないけど、と震える声。

 

頭を上げない千鶴に、冥夜が首を横に振りながら告げた。

 

「其方だけの責ではないぞ、榊。誰かではない、私達全員が悪かったのだ」

 

「ええ、そうかもしれない……なんて、私だけは認める訳にはいかないでしょう? だって、私は指揮官だったもの。隊の運営を左右できる代わりに、責任も負う。人に指示を出す人って、そういうものだから」

 

「……それで、頭を下げて。だから、許して欲しいって?」

 

「あ、彩峰さん!」

 

純夏が思わず叫んだ。こんな時になってまでどうして、と。続けようとした言葉は、他ならぬ千鶴に止められた。

 

千鶴は慧の視線を真正面から見据え、告げた。

 

「許してくれ、なんて口が裂けても言えないわ。ただ、認めて欲しいの――このまま私が分隊長を続けることを」

 

「その、理由は?」

 

慧は否定するより前に、挑むように質問した。千鶴は気不味そうにしながらも、その視線を見返しながら答えた。

 

「この隊において、指揮官に適性があるのは私か、御剣。でも、適性から言って……あの時に唯一冷静だった御剣が分隊長をするのが、一番理に適っていると思う」

 

でも、と千鶴は拳を強く握りしめた。

 

「私は、今この時にあって分隊長を止めたくないの…………我儘で自分勝手な主張だとは分かってる。指揮官として足りないものの方が多いのも、承知しているわ」

 

千鶴は純夏を見た。美琴を見た。その他、全員を見た。演習が終わった後、純夏の言う通りに全員を集めて話し合えば、このような事態にはならなかったかもしれない。美琴の提案通り、迂回ルートを通れば目的地に辿り着くことができたかもしれない。

 

それを潰したのは自分だ。指揮官として、皆を殺す道を選択してしまった。

 

「でも……ここで止めたら、あの言葉を認める事になってしまう」

 

「……それは、榊さんのお父さんに対してのこと?」

 

「ええ――そうよ。私の父、この国の首相である榊是親。あいつが、父に向けて吐いた言葉だけは、絶対に……っ」

 

このままにして置く訳にはいかない。暗に告げる千鶴の肩は、怒りに震えていた。誰も、何も言わず。ただ慧だけは、迷わずに問いかけを投げた。

 

「徴兵免除を断ったって聞いた。榊は、お父さんが嫌いじゃなかったの?」

 

「……ええ。免除の話を蹴って軍に志願した事は本当よ」

 

千鶴は前半の質問だけを答えて言葉を濁した。慧も当然気づいたが、質問を重ねるより早く千鶴の言葉が返ってきた。

 

「貴方はどうなの。父親の事は……嫌い?」

 

「……それは」

 

慧は無言のまま、僅かに目を逸した。何かを答えようにも、上手い言葉が思い浮かばなかった。一言で言い表せるような、単純なものではないからだ。

 

目の前の堅物も、そうなのかもしれない。慧は自分に照らし合わせてみて、そう思った。すれ違うことはあっても、十何年も一緒に暮らしてきた家族なのだ。頭から100%好きだ嫌いだなど、断言する事もできない。

 

慧はそこで、追求することは止めた。何かしらの回答が出たとして、他人にひけらかしたいものではなかったからだ。次に、どうしてこういう話になったのか、疑問を抱いた。それは慧以外の者も同様で、自然と大元である千鶴へと視線が集まった。

 

千鶴は、覚悟を決めたように答えた。最初からやり直したいと、全員を見回した。

 

「命じられたから、じゃなくて。私が分隊長をする事を、認めて欲しいの」

 

「……命じられた場所に赴き、面識のない上官の指示に従う。軍とは、そういう所ではないのか?」

 

「ええ、御剣の言う通りだわ。先の失敗で、信頼を失った事は分かってる。本来なら指揮官を降ろされるのが当然でしょうね。教官にも尋ねたわ。そうしたら、“話し合って決めろ”と言われたの」

 

榊はそう告げると、手渡された書類を皆に見せた。サインも、紫藤樹のものだ。そして千鶴は、樹から言われたことそのままを皆に告げた。

 

――任官が認められるまでの道のりは厳しいものになること。

 

――それを乗り越えるためには、この時点で一丸になっておく必要があること。

 

それを聞いた美琴が、成程ねと頷いた。

 

「僕達は正真正銘の、運命共同体になった。一人でも欠けたら駄目なんだよね」

 

「ええ。隊全員で課題をクリアする。それも条件の一つだから」

 

「だからこそ、結束の形をそれぞれが認識して置かなきゃならない……?」

 

「珠瀬の言う通りよ。そして最後の条件である、白銀武の打倒。それを成すには、徹底的に隊全体の戦闘能力を向上させる必要があると、そう言われたわ」

 

「一丸となるには、妙なしこりは仇にしかならない。罪も罰の大きさも、私達で話し合って決める。そうする事で、納得が生まれる訳だ」

 

冥夜の言葉に、全員が黙り込んだ。後は結論を出すだけだ。榊千鶴を分隊長として、過酷な教習を耐えていくのか。あるいは、別の者を。

 

狭い部屋の中に、淀んだ空気が流れる。人体という障害物が多いせいで停滞するそれは、207B分隊の胸中に似ていた。誰も、何も言わないままちょうど30秒。張り詰めていた空気は、静かな声に破られた。

 

「分かった。――私は、榊の分隊長継続を認める」

 

「……彩峰?」

 

「二度は言わない。言いたくない……礼も要らない」

 

その視線は千鶴も、他の者達も初めて見るものだった。一切の誤魔化しがない、強い感情を伝える眼。千鶴は言葉に詰まるも、小さく頷いた。

 

「私もだ……認める」

 

「私も、認めるよ。むしろお願い。適性がないのは自分も分かってるし」

 

「わ、私も……」

 

「僕も。それに、分隊長じゃない千鶴さんって想像がつかないし」

 

「……ありがとう、みんな」

 

「礼は要らないと言った」

 

「まあまあ彩峰さん。でも鎧衣さん、さっき榊さんのこと名前で呼んだ?」

 

「うん。だって、これから僕達は同じ命綱を握って進むんだよ? なのに、変に気を使うのも馬鹿らしいと思ったんだ」

 

「そっか……そうだよね。じゃあ、ここからは名前で呼び合おうよ!」

 

純夏の元気な言葉に、全員が頷いた。試しにと、互いを名前で呼び合う。恥ずかしがる者、にこにこと笑う者。無表情ながらも、照れくさそうな者。小さく頷くもの。何やら感激している者。反応は様々だが、そこには共通する何かがあった。

 

ここに来て初めて、お互いを見たような――――出会ったような。明日からの訓練は過酷なものになるだろう。なのに、何が来ても乗り越えられるような気分になる。

 

千鶴は提案された内容と、それを認めた事によって得られた効果に、改めて気落ちした。今まで自分が見過ごしてきたものは、どれほど大きかったのだろうか。今更過去に戻ることなどできない事は分かっているが、もしもやり直せたらと、そう思ってしまう程に、自らが犯していた過ちの重さに打ちのめされていた。

 

その後、全員が部屋へと戻っていった。たった一人を除いては。千鶴は、むしろありがたいと思った。椅子に鎮座しながらも、視線を合わせようとしない慧に対して。

 

「それで……話の途中だったわね。御剣が部屋に来る直前、何をいいかけたのかしら」

 

「なにも……聞きたいことは聞けた」

 

「なら、私の方から質問しても良いかしら」

 

「……」

 

むっつりと黙ったまま。千鶴はため息を一つ零した。

 

「……沈黙は肯定と取るわ。それで、何故貴方は認めてくれたの?」

 

千鶴は分隊長継続の了承を、まさか目の前の人物が一番にしてくれるとは思っていなかった。予想外で、だからこそ確認しておかなければならないと思った。これ以上のすれ違いは、問題しか産まないと思って。

 

慧はしばらく黙り込んでいたが、呟くような小さな声で答えた。

 

「私も、同じ……あいつを叩きのめして、言葉を撤回させる。困難かどうかは、関係ない、やるんだ。絶対に、アイツを認める訳にはいかない」

 

「……否定させない、というのは彩峰元中将のお言葉ね」

 

人は国のために、国は人のために。千鶴は良い言葉だと思い、それを正直に告げた。

 

「私は、父さんが光州で何を考えて、何を選択したのかはまだ分かってない。良いも悪いもまだ……だけど、その言葉だけは尊敬できる。だからこそ、あいつの発言は許せない」

 

何としても取り消させる。籠められた意志が強すぎるその声は、怒りに震えていた。千鶴はそれを聞いて、そういう事ねと小さく頷いた。

 

「挑む理由だけを言えば、似ているわね。だから、否定はしなかったの?」

 

「別の理由もある。御剣が隊長になった所で、隊が一つにまとまるかは未知数」

 

「……そうね」

 

言わずもがなだ。顔を見れば、誰に似ているのかは一目瞭然だ。基地内で斯衛の赤が居ることも。今までは互いの背景は詮索しないという暗黙の了解を理由に、深く考えることはしなかった。

 

だが、ここに来てそんな余裕は消えた。各々が理解を深めなければならない。それは、御剣冥夜と煌武院悠陽の関係性をつきつめる結果になる。

 

(もし双子の妹だとわかった時、か)

 

分隊長は意見や提案が収束する役割。その相手が現将軍の肉親よりかは、内閣総理大臣の娘の方が意見を言いやすい。

 

「先を見据えての事ね……どちらが良かったのかは、私自身にかかっていると」

 

「……意外。嫌味の一つもないなんて、本当に貴方は榊?」

 

「煩いわね。別に……貴方が隊や皆の事を見ていないなんて、言ったつもりはないわ」

 

千鶴は分かっていた。慧がその振る舞いとは裏腹に、隊の人間を見ている事を。本当に自分勝手な人間であれば、隊はもっと振り回されていた筈なのだ。

 

それを口にしなかったのは、ただの意地から。見ていて尚、単独行動をする様子に嫌悪を抱いていたから。それで一定の成果を得ている姿を、千鶴は認めたくはなかった。

 

「それでも、今からは控えて貰うわ……いいえ、違うわね。とにかく貴方は人に相談するという事を覚えなさい」

 

「……それは」

 

「言っておくけど、私は貴方の能力の高さを疑っていないわ。近接においては、あの御剣と同等と言ってもいい……それが普通のレベルじゃないのも分かってる」

 

将軍家、斯衛という背景を考えれば分かる。訓練兵限定で言えば、国内でもトップクラスと言っても過言ではないだろう。千鶴は自分の嫉妬を押し殺しながら、事実だけと告げた。戦術における観点も、悪くないことも。

 

「でも、それだけよ。望むべきはその先。その能力を活かして、案の成功率を上げることこそが重要なの。優れている一人よりは連携の取れた二人の方が強い。そして、二人よりは六人よ」

 

そうでなければ、きっと勝てない。千鶴は限界まで隊全体の力というものを突き詰めなければあの男には到底敵わないという、奇妙な確信があった。任官の条件である、不知火に乗った白銀武の撃墜。そこに至るには方程式を解くように、決められた方法だけを貫けば勝てるなどといった甘い次元ではないと考えていた。慧も同様の思いを抱いているため、素直に頷いた。

 

そして、慧は立ち上がった。話したいことは終わったからだ。そのまま扉の前まで行くと、そこで立ち止まった。数秒の後、慧は振り返らないまま告げた。

 

「……似ているだけじゃない」

 

「え?」

 

唐突な言葉に固まる千鶴に、認めた理由は、と慧は告げた。

 

「本音、口にしたから。隊の中で一番先に晒したから……それだけ」

 

慧は告げるべきだと思った考えを口にすると、扉を空けて部屋を去っていった。扉が閉まる音。千鶴はそれを聞いた後呆然とし、暫くして溜まっていた酸素を深く吐き出した。

 

「……相手の事を分かっていると。言葉だけの“つもり”はただ甘え、怠けているにすぎない、か」

 

千鶴は樹から言われた事を反芻した。隊において、本当に必要だったものを。慧が考えているもの、感じていたこと。その反応が予想外で、この驚きこそが自分の不甲斐なさの証明だと。

 

慧は参考にと教官から聞いた、個性派揃いだったというクラッカー中隊についての話を思い出していた。さぞ仲が良いのだと思い、千鶴は参考にと尋ねたことがあった。返ってきた答えは予想外のものだった。

 

実際は一般的なイメージで抱かれているような、隊の全員の仲が良かったという訳ではない。B分隊と同じく、深く過去について根掘り葉掘り聞かないというルールもあったという。そして互いに嫌いな所もあったし、認められない部分もあり、その事が原因で喧嘩する事もあったと聞かされた。

 

それなのに、どうして上手くいったのか。それは、互いが互いのスタンスを理解していたからだという。全てを把握していた訳ではない。他人だからという理由で甘えず、言葉少なでも理解しようと努力した。そしてともに過ごす間に、信用できる部分や、信頼できる部分。譲れないものや、触れれば激怒する部分を見つける事が出来た。その上で、互いに尊敬できる部分があった。ならば後は人として当たり前の礼儀を尽くせば、自然と隊は一つになれると。

 

(茜は……それをしていた。しようと、時間を重ねていた。短い間だったけど、隊を隊として大切に思っていた)

 

甘えず、怠けず、隊を一つにまとめようと努力していた。一人一人に声をかけて、苦手な分野でも会話を弾ませようとしていた。

 

劣っていた部分は、他にもあるように思う。千鶴は、今の自分がその理由の全てを理解できているとは考えていなかった。見過ごしている部分は、きっとある筈だ。これから必死で見つけなければいけないものだと。

 

その他も、やるべき事は多い。欠点を埋めて、隊を一つにして、戦術機の操縦技量を上げ、連携した上で課題をこなし、紛れもなく強敵であろうあの男を倒す。二度目はない。だが、この底の底から這い上がるしかないのだ。

 

それでも道はあると確信していた。あの時に“お家に帰れ”と言われた時、全員が激怒していたから。敗北すれば後はない。自分にとっての最悪の事態が訪れる。その認識を共通できているのなら、きっとやれると。

 

協力を得る事もできた。隊として一つにまとまる事の、感触も。

 

(本当、助言通りにしただけなのに……)

 

任官の条件の説明を受けた後、千鶴は紫藤樹からアドバイスは三つ。

 

――この期に及んで嘘をつくな。

 

――人としての筋を通せ。

 

――傲慢だと誤解されてもいい、本音を語れ。

 

(普通の訓練兵と同じ、当たり前のように……下っ端らしく、必死になれ。腹芸を覚えるのは任官してからでも遅くない、か)

 

急ぎすぎている事を指摘された。そして、取り繕うことを止めろとも。演習に落ちる前ならば、聞き入れることはあったかどうか。

 

今は違う。やらなければいけない。言い訳は、もう誰も聞いてくれない。否、最初から言い訳など通用する世界ではなかった。

 

千鶴が正直に隊の問題と、自分の要望を出したのはそのためだ。提案を並べ、解決策を示し、同意を求めた。問答無用は悪手だと思ったからだ。そして自分の問題を詳らかにした上で謝罪した。隊の外ならば、あるいは違ったかもしれないが、これから運命を共にする仲間に対して、中途半端に有耶無耶にする事は何かが違うと感じた。

 

反対されるのなら、それでも良かった。話し合って決める事が第一だとも考えていた。頭ごなしに決めるのも、筋が違うものだと思った。

 

それは、当たり前の。人して、人を付き合う時の礼儀に努めた。理解しようとして、理解してもらおうと努力した。

 

千鶴はその結果を見て、ようやく理解した。自分たちが不足していたのは、目的を共にしているという自覚だ。最初から、運命共同体だったのに。

 

なのに仲間を仲間として高めようとする努力をしなかった。目に見えない、それでもそこに確かにある、人と人を繋ぐ糸のようなものを紡ごうとする意志が弱かった。窮地に至り、隊が空中分解して、ようやく気づくことができた。

 

(今までそれなりに“やれて”いたからこそ、気づかなかった。教官はそうおっしゃっていたけど)

 

実情は違った。勝手に分かっていたつもりになって、何も分かっていなかった。千鶴は慧の話を聞いて、実感していた。父に対する複雑な思い。それは自分と似ているようで、どこか異なる部分もある。

 

千鶴は慧の思いについて、それとなく察していたが、深く考えることはなかった。だが、特殊な背景を持つ人間が集まっているのなら、逆に突き詰めて考えてみるべきだったのだ。人と違う信念や目的を持っているのなら、動きも違ってくる。それを表面だけ見て理解したつもりになって、結果があのザマである。

 

一方で紫藤樹は自分の不甲斐なさを悔いていた。それでも最低限の連携は出来ると思っていたからだという。個々の能力は高く、訓練の成果も高かった。だから強く言うことはなく。その結果、B分隊の問題に気づくことはなく、矯正することもできなかったと。

 

それでも千鶴は、教官のせいだと責めるつもりはなかった。問題を外に求める気もなかった。A分隊との差に気づかなかったのは、分隊長である自分の責任でもある。そう考えた上で、これからやるべき事に眼を向けた。

 

隊を隊として、的確に運営しなければならない。自分だけではなく、6人全員で。そこで思い出したのは、父である是親の教えだった。

 

「自分の事が出来るのは当たり前、人の面倒を見れてようやく半人前、か」

 

そして、こうなれば一人前であると驕ってはいけない、と。人を纏める立場にあるのなら、そういった役職にあるのなら、常に上を目指す気概を持ち続けていなければならない。千鶴も慧と一緒で、父のその言葉だけは素直に頷くことが出来た。

 

同時に、父の立場の重さを思い知った。能力的に高いとはいえ、たった6人。それをまとめるだけで、どんなに努力を重ねる必要があるのか。先が見える分、父が今まで重ねてきた苦労と努力の途方のなさに、目眩がした。

 

(御剣も……鑑もかしら。少し、私達と違うけど)

 

慧あたりは、動物的直感で、冥夜を隊長にする事の問題に気づいていたのかもしれない。千鶴は、色々と意見を交換する必要があるとも思っていた。怒りは抱いていたが、自分や慧とは異なる、憎しみの色が薄いように見える態度についても。

 

苦労は多いだろう。それでも千鶴は、ここで諦めて帰るつもりは毛頭なかった。条件をクリアした所で任官が認められる保証もないという、脳裏に過る不安に関係なく、やるべき事があったからだ。

 

 

「せめて、一発……あの頬を張るぐらいまでは、辿りついて見せる」

 

 

きっと、全員が抱いているだろう、このままでは居られないという、強い思い。

 

硬い決意の言葉を共に、軋むほどに強く拳を握る。

 

 

 

――――後に、榊千鶴は確信することになる。

 

 

この時、底の底に落とされた6人全員で抱いた思いがあったからこそ、地獄というにも生温い状況に晒されてなお、最後の最後まで戦い抜く事ができたのだと。

 

 

 

 




思いの外、207の中での話が膨らみました。

まるまる一話、反省から再起に至るまでの内実でございます。


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