Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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お待たせしました。

そして、多くの誤字修正、ありがとうございます。

特に藤堂さん、光武帝さんは頭が上がらぬどころか全裸で五体投地しても足りないです絶対。本当にありがとうございます。


11話 : 金色の訓練兵

横浜基地の通路で、日はとうに落ちた夜半過ぎ。鑑純夏は照明だけが灯りとなる廊下を、力ない足取りで歩いていた。原因は隣で歩く冥夜と共にグラウンドで行った自主訓練によるものだ。そんな、足の筋肉痛と明日の訓練への不安を若干覚えていた頃だった。

 

純夏自身、正確な距離は分からなかった。かろうじて背中が見える程度の距離。そこに二人の兵士が歩いていた。純夏は何気なくその二人を観察してすぐ、呼吸を忘れた。

 

一方は教官である紫藤樹で、もう片方は――と考える前に純夏の後ろ足はあらん限りの力で踏み出された。冥夜が驚き戸惑った声を発するも、飛び出した火の玉の如き少女は全てを振りきって前方に居る“もう一人”の姿に全神経を傾けた。金色の髪。見慣れない髪型だ。特徴は一切合致しない。だというのに純夏の脳は全速で追いつくべきだと判断していた。

 

角を曲がって、その背中が見えなくなるも、更に速く動けと、純夏は自分の足を叱りつけた。そうして先の二人に遅れて8秒後、純夏は転びそうになりながら角を曲がり、硬直した。

 

見えたのはこちらに振り向いている二人だった。

 

「こんな夜更けに騒々しいぞ、鑑訓練兵」

 

「え……いえ、その」

 

「いえ? …………貴様、用事も無いのにああまで全速で走ってきたのか?」

 

咎める声は激怒寸前のものだ。

眼前に居る純夏は怯えるより前に、呆然としていた。

 

「あの……そちらの方は」

 

純夏はその、“見覚えのない”人物を指を差して質問した。失礼だろうという発想さえ頭から消え去っていた。指の先の人物は金髪で、同じ髪型。なのに、先ほどまで胸中に満ちていた奇妙な感覚が消え去っていた事に戸惑いながら。

 

樹は、ため息混じりに答えた。

 

「貴様の先輩のようなものだ。だが、知り合いではないな……疲れているようだ。今日はもう部屋に戻って休め」

 

樹の言葉に純夏は呆然となりながらも頷き、踵を返した。こちらに駆け寄ってくる冥夜の元にトボトボと歩いて行く。樹は部屋に戻っていく二人を見送った後、ため息をつきながら隣に居る人物に向き直った。

 

「ご苦労でした、鳴海中尉」

 

「いえ、そんな……それよりも敬語は勘弁して欲しいんですが、隊長」

 

「今の自分の階級は軍曹です。ご協力、ありがとうございました。ああ念のため、その“金髪のカツラ”は部屋に戻るまでは被っておいて下さい」

 

樹はそうして去っていく孝之を再び見送った後、曲がり角付近にあった扉を開いた。中に居る、同じカツラを手元でくるくるさせていた人物に、頭痛を堪えた様子で告げた。

 

「結果が出たぞ。見事なまでにクロだった」

 

「そう、みたいだな…………ったく、あの距離でどうやって見分けてんだか」

 

「嬉しいのか悲しいのか分からない。そういった表情だな、武」

 

樹の言葉に、武は曖昧に頷き、呟く。隠し通すのは不可能か、と。

 

今行ったのは確認だった。白銀武が変装をすれば、鑑純夏の眼を誤魔化せるのか、といった。結果は圧倒的だ。あの距離で察知されるのなら、近くで接した場合一秒ともたずに看破されるだろう。

 

恐れているのは、その後だ。武達にとって最も避けなければいけないのは、米国の手の者がどこに居るのか把握できていないこの基地の中で、鑑純夏の口から白銀武の名前が呼ばれること。生存を察知されること。

 

だが、今の結果の通り、正体を隠し通すのは不可能。そうなれば、ある程度は妥協する必要がある。樹は武に視線だけで告げた。お前が直接告げろ、と。

 

武は迷ったが、それ以外の方法が見つからないと、小さく頷いた。代替案もないまま、感情だけで首を横に振るのは間抜けのやる事だと。

 

 

「まあ……偽名を使うのには慣れてるしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、2001年4月4日の早朝。純夏は樹に呼び出され、横浜基地のエレベーターの前に居た。人気は少なく、近寄ってくる者も居ない。唯一何かの眼があるとすればそれは天井に設置されている監視カメラだけ。以前に呼ばれた事もあった純夏は、またあの銀髪の女の子達と会うことになるのだろうか、と思っていた。

 

その予想は的中した。異なっているのは、その女の子が女性のように。正確に表現すれば、生気に満ちた軍人になっていたこと。そして、背後に昨日見かけた金髪で、サングラスをかけている男性軍人の姿が。

 

純夏は前日と同じく、考える前に地を蹴った。案内人よりも先にとか、銀色の少女の様子さえも視界の外へ、制止の声が聞こえるも言葉として受け止めることができず、ただその人物に近寄ることを考えた。

 

五感を一点だけに集中させた。そうして、徐ろに2つのものが外された。

 

金髪と思っていた髪はカツラで、その下からは茶色い髪が。黒いサングラスの下からは、困ったような眼が。ゆっくりと、その口が開いた。

 

「……純夏」

 

「…………っ」

 

純夏は俯き、眼を閉じた。ぽたり、ぽたりと水滴が床に落ちた。武は沈痛な面持ちでそれを眺めるも、次の瞬間には足を踏ん張っていた。

 

間髪入れずに、赤い髪の少女の体当たりが。武はそれを軽く受け止めた。

 

震えている肩が見え、それを抱きしめようとするも、途中で手を下に降ろした。どうしたものか、と口を閉ざす。機密の関係上、言えることは少ないからだ。

 

だがある事に気づくと、表情を引きつらせた。

 

「ちょっ、おまっ、服に鼻水つけてるな?!」

 

「……武ちゃんが悪いんだもん」

 

「いや……それ言われたら反論できねーけど」

 

速攻で発言権を潰され、武が黙りこむ。しばらくすると、純夏はポケットからハンカチを取り出しながら武に背中を向け、眼と鼻を拭うと再び振り返った。

 

「言いたいことは色々とあるけど…………おかえり、武ちゃん」

 

「ああ。ただいま、純夏」

 

言葉と共に笑顔が交差した。その表情のまま、純夏はいつの間にか武の横に陣取っている銀髪の女性を指差した。

 

「で、武ちゃん……の隣に居る綺麗な人、だれ?」

 

首を傾げる様子は、可憐な少女のもの。だが武はどうしてか、その仕草を見て撃鉄が起こる音を連想した。心なしか、樹が微妙にこちらから距離を取ったような気もしていた。

 

(錯覚か………いや)

 

武は俺の余計な妄想のせいで純夏を傷つけるのはと思い、サーシャの事を紹介した。ユーラシアで戦っていた頃の戦友だという所から全て。純夏は武がインド亜大陸に居た頃に送ってきた手紙を思い出し、彼女がそうなんだと頷いた。

 

「それで……クズネツォワ少尉、ですか?」

 

「ここではサーシャで良い。武の家族同然なら、私にとっても家族同然だから」

 

サーシャは流暢な日本語で答え、純夏だけではなく、武も驚いた。だが純夏は日本語が話せることだけではなく、その内容にも驚いていた。そして武が自分を家族同然に思っていることに対して気恥ずかしくなり、顔を少し赤くして。次に、私にとってもの下りを理解した後は、別の意味で顔を赤くした。

 

「武ちゃん……」

 

「お、おう。なんだ、純夏」

 

「サーシャさんと家族同然って――――どういう事?」

 

少しためた後での、疑問の声。武は砲弾が装填された音を聞いたような気がしたが、恐る恐ると説明した。クラッカー中隊をどう思っているか、という事についても。

 

純夏はそれを聞いて、武がユーラシアでどんな苦難を歩んできたのかを改めて知って、ぐっと下唇を噛んだ。明星作戦より少し前、仙台に居た頃も少し話を聞いたことがあったが、それも触りだけ。軍人の訓練を受けた今では、その内容が以前より少しだけだが理解できる。

 

だが、それとこれとは別だとサーシャと武を見た。なんというか、“近い”のだ。純夏はそれとなく指摘するが、武は「そうか?」と首を傾げるだけ。

 

サーシャは、そうかもね、と頷き。じっと純夏を眺めた後、小さく笑った。

 

「スミカも、武と近かった。抱きしめ……あってはいなかったけど」

 

私とは違って、とはサーシャは言葉に出さず。純夏は言い回しから何が言いたいかと何となく察し、武の方を見た。

 

樹はあらかじめ避難していた霞を背中に、更に後方に下がった。知ってか知らずか、その後に純夏は質問を飛ばした。

 

「ちなみにだけど、二人が再会した時はどうだったの?」

 

感動の再会っぽいけど、と震える声。両手はいつの間にか訴えかけるように、胸元へ。武はかつてない悪寒を感じつつも、正直に答えると拙いと直感的に悟り、嘘をつこうとしてサーシャの方を見た。

 

サーシャは頷くと、率直に答えた。

 

「―――キスされた後、抱きしめられた……情熱的だった」

 

ぽっと効果音が聞こえるようにサーシャの頬が少し赤くなった。

 

武は「ちょっ、おまっ」と言いたかったが、その直前にナニかが点火される音を聞いた。実際に見たことも聞いたこともない。だが、脳裏には導火線とダイナマイトがあり、その先っぽには煌々と赤い炎が揺らめく音が。その炎は純夏の髪型に似ていた。

 

ゆらゆらと幼馴染の身体が左右に揺れ始め、触角のような毛が塔のように聳え立ち――

 

「た――――」

 

次に起こったのは、迅速なステップインだった。

 

力の限り踏み出し、足底で着地し、移動による体重移動の力を足底に留め、足首で拗じり、腰より肘へ、肘から拳へ。芸術的な体重移動と共に、地面からの反作用が筋肉のバネに乗って武の顔面で炸裂した。

 

 

「武ちゃんのバカァァァァっっっ!!」

 

 

「ファントムっっっっ?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あからさまな挑発だったな」

 

「いつも通りの私、でしょ?」

 

「嫌過ぎるぐらいにな。レポートの内容に対する報復行動にも思えたが?」

 

「気のせいだと思う……そう言うイツキも、止めなかった癖に」

 

樹の声にサーシャが答えた。部屋の中に二人以外は居なくなっていた。白銀武の機密保持に関する事を伝えた後、両者と霞は共に退室していた。

 

「それにしても…………分かるか?」

 

「武がスミカの肩を抱かなかった理由だったら、何となく分かる」

 

サーシャは間髪入れずに答えた。同時に、危惧している事を口にした。

 

「幼馴染を、あの一家を守ることが、白銀武の立脚点の一つだと思う。でも今は、進みすぎた。ある意味で武の本質と相反する事態に置かれているから」

 

貫くべき事を見出し、やると決める行為を覚悟と呼ぶ。一方で、どこまで貫く事を許容範囲とするのか。

 

BETAを一掃するのを決意と呼び、そのためにあらゆる手段を取っても諦めないと決めることを覚悟とするなら、オルタネイティヴ3は世界に認められるべきなのか。サーシャはそう告げた後、個人が抱えることじゃないと思うんだけど、と前置いて寂しく笑った。

 

「スミカは立脚点であり、出発点……でもこのまま離れ過ぎたら、良くない」

 

「抱きしめられない……巻き込みたくないと思っているが、それではダメだと?」

 

「うん。最後には中途半端になると思う。武も、スミカも」

 

サーシャは顔を合わせたうえで関係を考えるべきだと主張した。挑発したのは、不満と不安を爆発させるためにだ。溜め込んだ挙句に致命的な状況で爆発されるよりは、と考えた結果だった。

 

樹は頷き、理解した。リーサの表現を借りるなら、ドロドロではなくスパっとしつつもドカンドカンと距離を縮めて行こうとしているのだ。

 

そう考えれば武が訓練小隊に入るのも、悪くないと思えてくる、実際、樹は別の理由でも入隊はさせるべきだと思っていた。

 

来月にはユーコンへの潜入が待っている。その予行練習にもなるのだ。207小隊の練度を内側から確認できる事も大きい。内側からの観察結果があれば、予定より総合演習を早めてもクリア出来るのかといった見極めにも役立てることができる。

 

あとは、207B分隊にあらかじめ楔を打ち込んでおく必要もある。教官が行うよりは、同じ訓練兵がやる方が効果的でもある。

 

全部が全部ではないが、適材適所とも言えた。武は現時点では基地の外に出して変に目立たせることも出来ない。XM3の開発は9割が完成している以上、そちらに専念する必要もない。猫の手も借りたい今は、無駄に人員を、それも有能な者を遊ばせておく余裕もなかった。

 

「息抜きも必要だし、ね」

 

「そうだな……A-01に訓練をつけるよりもマシか」

 

「うん。あと、頼れる人を見つけろって言われてるけど、まだ迷ってるみたいだし」

 

「……強引に名乗り出るつもりは?」

 

「それで潰れられる方が怖い。武、見た目以上に内面はボロボロだから」

 

観察した結果から、サーシャは断言する。強固になった。立派になった。だが、無敵になった訳ではない。過去のあれこれを抱えている以上、楽観視するのは危険だと。

過去が過去である。経歴は見事だが、輝かしいものばかりである筈がなく。深く考え込めば、それだけで鬱になれるだけのものだ。

 

サーシャはそれを解決するためにも、207に入った方が良いと考えていた。

 

「しかし、良いのか?」

 

「……全てに問題がないという訳では、決してないけど」

 

サーシャは、個人的な意見を言えば止めて欲しかった。休む場所が必要なら、自分が成りたいと思っていた。ここ数ヶ月の間で、何度か落ち着いて言葉を交わした事もある。その上で結論を付けたのは、武が207をかなり気にしているというもの。

 

複雑な心境は置いて、決着を付けなければいざという時に支障が出る。そう考えたサーシャは、自分の中に溢れた反対したい感情を強引に封殺した上で告げた。

 

「“後悔を先に立たせて後から見れば、杖をついたり転んだり”」

 

「……それは?」

 

「トレンチコートの怪しい人から教わった言葉。都々逸っていうんだっけ」

 

サーシャは小さく笑った。関わるも、無視するも、どちらも最善とは言えない。そして何をしても悔いが付きまとうのは分かっていたから。

 

「何をしても後悔するのなら――先に済ます。時間はまだある。私達がフォローすることも、可能だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、グラウンドの中央。集められた207訓練小隊は一人の人物に視線を集中させていた。その先に居る人物は雲ひとつない快晴の下、金色に輝く髪の前に敬礼の手を掲げて、自己紹介を始めた。

 

「田中太郎であります! 本日付けで、207訓練小隊の皆様と一緒に、頑張らせて頂きます!」

 

非の打ち所のない敬礼。207の面々は珍しい男の訓練兵を前に、それぞれ戸惑いの表情を浮かべた。途中参加など、疑問点が山程あったからだ。軍人が持つ情報に対する基本は“知るべきだけを知れ”だが、明らかに違和感を覚える配置をされて、疑問を抱かない者は居ない。

 

それを察知した教官の二人は事情を説明し始めた。207小隊が受けているのは通常の訓練課程ではなく、衛士になるために特化されているものだと。田中太郎は207の訓練兵の練度を見極め、何か不足している所が無いかを指摘するために配属されたのだと。その説明を受けた皆は、一斉に緊張した。新しい試みであるというだけではなく、教官が有名人だからだ。重要なのは問うに及ばず、そこで自分達が落ち度を見せれば、色々と拙い事になると、改めて訓練に対する真剣度を上げなければならないと、気を引き締めた。

 

その後は田中太郎なる人物の経歴の説明がされた。本人は正規訓練を受けて戦場に出た事はあるが先の明星作戦で大怪我を負い、リハビリ中であること。207小隊は武の頬にあるガーゼを見て、通常の傷ならば完治しているのに隠しているのは、きっと見られたくないぐらい酷い傷があるのだろうと察して、同情の心を持った。その傷というか殴打跡をついさっき作成した下手人を除いてだが。

 

そして、これからの方針も説明された。座学に関しては参加しないが、それ以外の授業では207A分隊に混じって同じ訓練を受けること。一時的だが階級は訓練兵のものになるので、敬語は不要なこと。それだけが告げられ、早速と言わんばかりに207小隊はAとBに分かれ、訓練を始めた。

 

その中で田中太郎は―――武は、最後までこちらをチラチラと見ていた純夏の様子を思い出しながら、グラウンドを走っていた。

 

(秘密だっていうのによ……まあ、純奈母さんに危険が及ぶことを知った以上は、あいつも失言はせんだろ)

 

白銀武の存在は、そう簡単には露見しない。異世界移動の恩恵はまだ生きているからだ。鑑純夏も、現在は米国諜報員の監視の対象にはなっていないことが確認されている。本人にその価値はなく、重要人物である白銀武が戦死していると認識されているのだから、当然だと言えた。

 

それでも、有名人が居る以上は、万が一を考えて慎重にならざるを得ない。武はふと、その有名人の息女だらけである207B分隊を思い出していた。

 

(――複雑というか、なんというか。俺自身が会ったことはないんだけどな)

 

それでも、無視できない存在だった。平行世界の記憶群の大半を占めているのが、207B分隊の彼女達との思い出だからだ。遠い世界の白銀武にとっては、糞ったれな世界の中で出会えた、元の世界でも言葉を交わしたことがある数少ない知人である。

 

厳密に言えば同一人物では無いのだろうが、訓練中に苦楽を共にしたり、任官後は幾度か戦場を共にしたり、共に過ごした時間が特に長い知人の集まりである。

 

この世界では面識もないため、そこまで強い想いを抱いている訳ではない。ただ、死なせたくないと思うことに間違いはなかった。

 

207Aも同様だ。関係が深いとは言えないが面識がある以上、無謀な戦場に送って死なせるつもりはない。かといって未熟な者を衛士に据える事は出来ない。

 

入隊した主な理由は純夏の能力を見極めることだが、付随して与えられた役割も重要となる。戦場を知る先輩軍人として、彼女たちの能力を贔屓目無しに判断する必要がある。武は今自分が身に着けている完全装備の比じゃないぐらいの重責を改めて認識するも、押し潰されてなるものかと足を前に走らせた。

 

そうして、走りこみの訓練が終わり、格闘戦に移るまでの小休止の時間になった。武はうっすらと額に浮かぶ汗を拭くと、装備を指示された場所まで戻した。そうして走ってA分隊の所まで戻ると、武は視線を感じて顔を上げた。

 

訝しげな視線は、分隊長である涼宮茜のものだった。武の眼には、心なしか顔がひきつっているようにも見えた。

 

「どうした、分隊長。面白い顔をして。俺の顔に何かついてるか?」

 

「……え? いや、その」

 

茜は少し言葉に詰まるも、すぐに答えた。

 

「疲れて、いないように見えまし………見えたから。汗をかくだけで、息は上がってないけど……」

 

躊躇う茜に、武はああと頷いた。

 

「体力には自信があるから。初陣でエライ目にあったしな」

 

「へえ……それってどんなの?」

 

「もう吐いて吐いて吐き散らした。上官から応答しろって言われたけど、嘔吐しか返せなかったぐらい」

 

「お、嘔吐って……それ、ただの駄洒落か冗談?」

 

「駄洒落だけど実際あった事だ。あの時は訓練の時にもっと走っとけば良かったって後悔したよ」

 

実際は年齢とか訓練期間など、色々と実戦に出るには無理がある要素が盛りだくさんだったが、武はそこまで説明しなかった。茜は、そうなんだと小さく頷いた。そして、武の方をじっと見た後、ぼそりと呟いた。

 

「田中太郎、だったっけ……同い年なんだよね」

 

「ご紹介の通りに」

 

「だよね……変な事聞くけど、前にどこかで会ったことない?」

 

どうにも既視感が、と呟く茜に武は内心で冷や汗をかいた。横浜に帰省した時に言葉を交わしているためだ。それでも馬鹿正直に答える訳にもいかず、ぱっと思いついた誤魔化しかたを実践した。

 

「なんだ、ナンパか? いきなりアグレッシブだな」

 

「……え? いえ、そういう訳じゃ」

 

「でも勘弁な。そういうのにはもう懲りてるんだ」

 

武は頬のガーゼを指差しながら、軽く笑った。女性兵士をナンパをして鉄拳制裁を受けた衛士を装おうように。目論見は成功し、茜はそうなんだと引きつった顔で一歩距離を取った。一方で武は、今の説明だけで分隊の全員に頷かれた事に軽く衝撃を受けていた。

 

「というよりそこの拳を握ってる人。いくらなんでも頷きすぎだと思うんだけど」

 

「あ、あなたは危険だと思った。勘だけど、多くの女性を泣かせていそうだから」

 

「こ、根拠もなしに深くまで刺してくるな、おい……ってもう時間か」

 

次は格闘の訓練だ。A分隊は予め用意されていた場所に赴く。武は到着するなり上着を脱いで、準備を始めた。用意されていたナイフを手に取ると、軽くその場で振るう。

 

(そういや、こうやって訓練するのも久しぶりだな)

 

生身での格闘訓練を行ったのは、第16大隊に居た頃が最後となる。武は国内きっての白兵技能を持つ好敵手との激戦の日々を思い出しながら、小さく笑った。

 

――――堂々とした振る舞いと、何気なく繰り出された軽い動きを見ただけで圧倒された207A分隊を置き去りにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、武はPXで行われる207小隊の歓迎会に出ていた。久しぶりとなる同年代だけの集まりである。隠さなければいけない事は多々あるとはいえ、内心ではワクワクしていた。だがA分隊の優れない顔色を見て、あるぇーと首を傾げた。それを見た分隊長である茜が、代表して元凶である武に言葉を叩きつけた。

 

「あれほど人をボコボコにしておいて……素知らぬ顔で楽しそうね、田中太郎さん?」

 

「へ? いや、ボコボコって」

 

「私、分かった……田中はきっとそういう趣味がある」

 

「ねえよ」

 

「ははは……流石の私もフォロー出来ないなぁ」

 

「いや、お前まで見捨てるなって!」

 

焦る武に、憔悴しながらも反撃をするA分隊の面々。それを見ていたB分隊の皆は――約1名は別の意味でも――気になっていた。代表として、B分隊の分隊長である千鶴が尋ねた。

 

「ボコボコって、茜がされたの?」

 

「そうよ。今日の近接格闘戦の模擬戦……最後まで一本も取れなかった。それどころか、何をしても通じなかった」

 

「いや、まあそうだけど……涼宮は良い線行ってたって」

 

武は慌てながらも解説した。茜の格闘戦における動作には無駄が少なく、自分がイメージしているだろう動作を正確に再現できていると。特に向かい合っての攻防では、コンマ数秒の差が勝敗を分ける。無駄な動作はそれだけ、負ける要因を増やすことになるのだ。動きに無駄がないから、予備動作から次の行動を先読みするのも難しかったと、正直な感想を述べる。

 

茜は、一瞬だけ嬉しそうな表情を見せるも、次の瞬間にはジト目になっていた。

 

「でも、軽々と避けてくれたよね?」

 

「それは……まあ、反応できる速さだったし」

 

「逆にカウンターで足払いとかして、何度も地面を舐めさせてくれたよね?」

 

「いやぁ、奇襲に弱そうだなあって思ったから。面白いぐらいに足元が留守だったし、つい。あれぐらいは避けられると思ったんだけど」

 

悪意あっての言葉ではなかった。武の印象にある涼宮茜とは、あちらの世界でA-01の最強格なのである。ユウヤと共に、助けられた時もある。

 

武はすぐに気がついて訂正しようとするも、既に茜は胸の奥底にある矜持を一突きされていた。黙りこんだ茜に代わり、晴子が横から声をかけた。

 

「じゃあ、私はどうだった?」

 

「ん~……良い所は自分の長所を自分なりに理解してたことかな。身長あるし、リーチあるしで、それを活かす戦法をされたから、かなりやりづらかった。あと、最後まで冷静さを保ててたのは大したもんだと思う」

 

「……それでも、一本も取れなかったんだけど?」

 

「あー、まあ。全員に言えることだけど、単純に筋力が足りてない。涼宮はその点、動作の遅さをカバーできる鋭さがあったから怖かったけど、他の4人はある程度見てから反応できたし」

 

「えー……逆にこっちは全く反応出来なかったんだけど」

 

「そうでもないだろ。懐に入った瞬間の膝蹴りは肝冷やしたぞ。問題は、それを防がれた後だけど。あれで硬直したよな? ってことは、凌がれた後に何をして逆転するのかを煮詰めて無かったって訳だ」

 

「そう、だね。そこまで深くは考えていなかったかも」

 

「あとは強引過ぎる攻めに弱い……自分の読みが外れた時とか、少し鈍る所があった」

 

「予想外の時、ね……成程。ありがとう」

 

論評とも言える会話は他の隊員達へと波及していった。それが終わった後、晴子が感心したように頷いた。

 

「本当、よく見てるね。兵役経験者はみんなそうなの?」

 

「え? いや、えっと、まあ」

 

武は茜の言葉に、どう答えるか迷った。油断する奴は死ね的な16大隊で揉まれた者を兵士の平均として教えて良いものか。武は自分自身、そうそう弱くないという自覚はある。だが、常識を説くよりも危機感を持たせる方を優先した。

 

「そこそこやれる方だけど、ブランクもあるしな。上を見ればキリがないって」

 

「そう……」

 

茜は頷くなり、悔しそうな表情を浮かべた。過酷な訓練に打ちのめされる日々。それを乗り越えていく内に相応の自信を持つようになっていたが、ここで再び崩されたからだ。

 

他の隊員達も同様の反応を見せていた。茜はオールラウンダーな能力を持っている。白兵戦で言えば小隊の上位になる。それが一方的に打ちのめされるという事は、自分たちも似たような結果になる可能性が高いということだ。

 

だが、純夏と慧だけは違っていた。純夏は武の真実の一端と経歴をある程度知っているため、何とも言えない表情になり。慧は興味があるのか無いのか分からないといった表情で武を眺めていた。

 

だが、その表情が一変した。

 

具体的には武がPXのとある食堂員に呼ばれ、それを受け取って帰ってきてから。慧は皿の上にあるものを指さし、尋ねた。

 

「それは……なに?」

 

「なにって、焼きそばパン」

 

武は半分を一人分として、皆に配った。207の面々は初めてみる料理に戸惑い、武を見た。

 

「これ、どうしたの?」

 

「期限ぎりぎりの食材を使って、作ってもらった。やっぱり炭水化物は必須だし」

 

「でも……いいの?」

 

「気にするなって。賄賂みたいなもんだから」

 

身体を鍛えるためには、多くを食べなければならない。武は積み重ねてきた鍛錬により、並ではないぐらいの筋肉を付けることに成功した。だが、それを維持するにも相応のエネルギーが必要となる。かといって、無駄に食材を消費することもできない。そんな余裕もない。

 

考えた武は大東亜連合に居た時の経験から、期限ぎりぎりの食材を安めに買い取り、PXで調理してもらっていた。調理の手間賃として、PXの後片付けや荷物の運搬などを手伝うことによって。

 

独自のコネもあった。物心つく前から世話になっていた、母のような存在である。

正式に面と向かって再会の言葉を交わした訳ではない。だが、それとなく夕呼から話がされているため、秘密がバレる恐れはない。

 

(……味の好みが把握されてるのはなあ。嬉しいやら泣けるやら)

 

センチな表情になりながら、さあ食べようと呼びかけ―――ようとした武は、そこで硬直した。恐る恐る、目の前に居る黒髪の少女に声をかけた。

 

「え~と……もう、食べた?」

 

「…………食べた。美味しかった」

 

「へ、へえ。それは良かったな、彩峰」

 

「うん……美味しかった、田中」

 

慧は美味しかったと繰り返しながら、武の手元にある焼きそばパンを見た。まだ食べ足りないと、言葉ではなく視線で叫んでいるよう。それを察した武は、ため息をついた後、皿を手に持った。

 

「はあ……仕方ない。お近づきの印だって速っ?!」

 

出したと思ったらすでに皿の上に無く。名残があるとすれば、慧の唇の端についたソースの跡だけだ。武は犬ネタを振った時の介さんの速さに匹敵するぜと冷や汗をかきながら、隠しておいた焼きそばパンを取り出してかぶりついた。

 

「…………田中?」

 

「おっす」

 

「そうじゃなくて。それ、なに?」

 

「え、夜食用に取っておいた最後の一つだけど」

 

武は自信満々に答えた。

 

「こんな事もあろうかと、ってやつだ」

 

「……予想済み?」

 

「噂には聞いていたから」

 

焼きそば好きな衛士の事を、と。武の言葉に慧はうなだれた。

 

「ええと……よ、よくそれだけ確保できたね~」

 

「まだ寒いからな。うどんの売れ行きがまだまだ好調だったせいだと思う。あ、念のため言っておくけどチョッパった訳じゃねえぞ?」

 

「チョッぱ……それはどういう意味なのだ?」

 

「あ~、盗んだんじゃないってこと。海軍の方でいう“銀蝿(ぎんばい)”だな」

 

海軍では厨房などから食料や酒を盗む行為の事をそう呼ぶのだ、と。武は説明した後で、一人落ち込んだ。それを見た美琴が、どうしたのと尋ねた。

 

「なんでもない……ことはないか。えーっと昔にちょっとな。人のこと銀蝿とか言う奴が居たんだよ」

 

先週も昔の範疇だとは告げずに、武は落ち込んだ様子で答えた。美琴はそうなんだと小さく頷いた。

 

「でも、銀蝿っていう名前のハエは居ないよね。そうなると何か昔にあったのかなあ」

 

「あー、そうかもな」

 

「食料にたかるって意味ではハエっぽいけどね」

 

「でも俺はハエじゃないぞ?」

 

「だよね。でもハエに擬えられたのはそう見えたからだと思うなあ」

 

「いや、だから」

 

「それにしてもなんで銀色なんだろうね。あ、ひょっとしたら銀色っぽい名前の人が最初に盗んだからかなあ」

 

「……もういいです」

 

武はどこかの外務二課課長を彷彿とさせるっ、と内心で叫びながらも口を閉ざした。同時に左近ほどではないが話が噛み合わず、変な角度から急所を刺してくるような所を感じ取り、これぞ父娘だと敗北感を味わっていた。

 

そうした何気ない話を繰り返しながら、武は207の輪の中に入っていった。207の面々も、最初は武の経歴や容姿やらで警戒していたが、言葉を交わす内に見た目に反して気さくな人柄であることが分かり、会話を弾ませていった。

 

戦場の事などはNeed to knowがあるので迂闊に質問はできない。練度等の評価も、ざっぱりとまとめる武のせいであまり長くはならなかった。自然と、話題は隊に入る前の事に移っていった。

 

とはいえ、奇想天外な半生を現在進行形で送っている武に話せることはあまりない。B分隊も、冥夜を筆頭として、あまり話したくないといった反応を見せる。それを察した武だが、ふと自分が何も言えない事に気づいた。

 

(そういえば……アレ? 俺、小学校卒業してないよな)

 

遠足の話で紛らわせようとするも、この世界の記憶を思い出す限り、覚えているのはアンモナイト事件があった博物館だけだ。

 

(というより、俺の最終学歴……小学校中退だよな。てことは、幼稚園卒?)

 

父・影行やターラー、ラーマといった大人勢からある程度の教育は受けたものの、いざ履歴書に書くとすれば、幼稚園卒業が最後となる。武は愕然とするも、それはそうだよなと内心でやさぐれた。

 

(いや……でも、世界中を旅できたのは良かったよな。11歳……小学校の林間学校はボパール・ハイヴに行けたし? ということは、小学校の修学旅行は南の島(アンダマン島)バカンス(訓練)か、やったぜ。時期はちょっとずれるけど、観光地(マンダレー)名所の地下(ハイヴ)に潜ったしな。もしくは破壊した?)

 

武は言葉を無理やりに誤魔化しながらも、最後のは駄目だろ、と一人でノリツッコミをした後、机に突っ伏した。そのまま挫けそうになったが、奮起してその後に起きた事を並べていった。

 

(そうだ、中学校の修学旅行は中国の奥地から光州、九州から京都までの旅行を楽しんだじゃないか。最終的には本場の武士からやっとう片手にカチコミかけられたけど)

 

武は血を吐きそうになった。肩をぷるぷると震わせるも、負けてなるものかと良い所探しを始めた、が。

 

(最後の旅行は異世界か。それも、辿り着いた先でやった事と言えばハイヴ激戦世界ツアー? ははははのは)

 

切符の代金は存在そのもので、という話になりかねなかった。武は何だコレとしか言いようのない自分の過去に対し、乾いた笑いをぶつけた。目尻から、ちょっぴりと塩水がこぼれた。

 

一方、周囲の皆は武が一人で落ち込み出したのを見て、何とも言えない表情になっていた。苦しいのか悲しいのか楽しんでいるのか、判断がつかなかったのだ。純夏だけは、顔をひきつらせていたが。

 

「ち、千鶴? きょ、今日はこれぐらいにしておいた方がいいかな。田中も、まだリハビリが終わってないようだし」

 

「そ、そうよね、茜。ここで無理して明日の訓練に悪影響を及ぼすっていうのも本末転倒だし」

 

二人の分隊長の意見に、全員が賛同した。武は心遣いを察し、ここ10年は覚えのない、同年代的な優しさに触れて泣きそうになったが、気合で耐えた。

 

それぞれに別れの挨拶をして、部屋に戻っていく。

 

武も、純夏に別れの挨拶をして去った。

 

(失言が怖かったのか、遠慮してたけど)

 

最後の方には、ぎこちないながらも言葉を交わしていた。武は今までにない環境に、むず痒い心地を覚えていた。いつまで続くのかは、分からないが。

 

そう思った武は、ふと上を見上げた。天井と照明しかないため、空は見えない。

 

「あっちのオレも、こうして部屋に戻っていったんだよなぁ」

 

記憶と経験は同じではないため、映像は知っていても実感は無い。それが今ここに再現されている。ここから先はどうなるか分からないが、今は確かにここに存在している。足元さえ見えなかった、インド亜大陸の訓練兵だった頃より、ここまで来たのだ。幻想だった記憶は似たようなもので形になった。あちらでは記憶になかった仲間。そして、純夏も居る。

 

(207B分隊の面々とも話せた。冥夜は、何かを言いたそうだったけど)

 

茜と同じで、引っかかるものを感じたのか。他の目があるため、言い出せなかったのか。どちらにせよ、武は当初の目的を達成するために、色々と動き始める予定だった。主な所では、207小隊の活性化。彼女たちが持つ負けん気を膨らませること。

 

そして、爆発させる所まで含めて。見極めの時は近づいている。

 

誰も待ってはくれない。感傷はどうであれ、時間は迷いなく進んでいくのだから。

 

 

「……長い旅の終着点。はてさて、何処に辿り着くのか」

 

 

嵐を何人が乗り越えて。この先、確かなものは何もない。だが207小隊だけではなく、自分にとっての大切な人が笑ってたどり着ける場所であればそれ以上の事はないと。

 

武はそんな事を考えながら、部屋への帰り道を変わらぬ足取りで歩いて行った。

 

 

 




横浜訓練学校の超新星、207小隊の田中こと金色の悪魔が爆誕。

えっ、小碓四郎が四番目じゃないかって?
こまけえこたぁ(ry

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