Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
誤字指摘に関して、コビィさん、心は永遠の中学二年生さんありがとうございました。
そして………光武帝さん。
本当に多くの誤字指摘、ありがとうございました(ジャンピング&ローリング土下座)
コックピット内に機械が動作する音が反響する。間もなくして操縦者の眼球に投影されたのは、障害物が一切ない広い荒野だ。寒風が好きなだけ吹きすさぶ光景。それを見た衛士は―――神宮司まりもは、操縦桿を小指から順に握りしめた。
操縦する手の平にこめる力は全力の6割から7割程度が良いとされている。緩ければ衝撃でグリップが滑り、強すぎれば柔軟な操縦ができなくなる上に疲労が溜まってしまうからだ。
(でも………1割、いえ2割程度かしら。力が入りすぎね。こんな所をあの教官に見られたら、なんて言われるか)
訓練兵の頃の教官は、下品な物言いを好む人だった。生きていたら、「成長して培ったのは無駄にでかい脂肪だけか」と怒鳴りつけて鼻で嘲笑ってくれただろう。まりもは思い出しながら小さく笑った。一転、深呼吸をすると、言うことを聞かない自分の手の力を徐々に抜いていった。
―――新しいOSの運用試験。それを前に昂ぶる自分を、取り込んだ酸素の力を借りることで何とか抑えこんだ。
直後に、通信から試験開始の合図が鳴った。まりもは小さくまばたきをしてから、予定の通り、機体を前後に動かすように動作を入力した。ただ歩くだけの、今となっては無意識レベルで制御できる基本中の基本。それでもまりもは、コンマ数秒後に焦りを覚えていた。
(っ、機体の反応が早い!? ………操縦に対する遊びが、かなり違ってるわね)
衛士が入力し、その動作が機体に反映されるまでにはいくらかのロスがある。衛士はそれを考慮した上で機体を自在に操れるように鍛錬を積む。まりもはその常識が、感覚が大きく歪む音を耳にした。
それでも、これはテストだと気を取り直した。操縦の度に冷や汗をかきながらも、操縦の感覚を掴んでいく。そうして5分後に、次の段階に入るように言われた。
まりもは小さく深呼吸をすると、跳躍ユニットに火を入れた。間もなくして機体が空を飛んだ。まりもは重力が上下する感覚に振り回されず、慎重に着地の感覚を噛みしめていく。いつもとは違う感覚に戸惑ったが、歩いた時ほどではない。何度か繰り返しながら、今までの精度で動作が出来るように修正していった。
そうして、いくらかマシになったとまりもが思った時に通信から声がした。
『感覚はある程度掴めたようですね。それじゃあ―――お願いします』
『了、解』
まりもは返事を返したあと、深く息を吸って吐いた後、操縦桿を握りしめた。
試験が終わって、数分後。まりもは強化装備から着替えることなく、A-01がいつも使うブリーフィングルームに呼び出されていた。
にやにやと、白衣の女性が―――香月夕呼がそれで、と口を開いた。
「試験の感想を聞かせてくれるかしら。まずは悪い所からでいいわ」
「………はい」
まりもは頷き、武、樹、霞の顔をちらりと見回した後、考えこむように小さく俯くと、鼻の頭を手で小さく撫でた。そのまま、数秒。沈黙した後に顔を上げた。
「まずは、操縦感覚の差について。今までとはかなり勝手が違います。慣れるより前に急な機動をすると、まず間違いなく転倒してしまう程の差であると感じました。実戦に出るためには相応の矯正する時間が必要であると思われます」
一息ついて、二点目はとまりもは言った。
「動作に幅が出来たから、機体に最適な行動をさせる際に衛士側に迷いが出てくると予想されます。新兵も、覚えなければならない機体動作が増えたことで、機体習熟に今まで以上の時間と費用がかかると思われます」
「―――そう。それで、良い点は?」
「数えきれないほどに。あの………香月博士、このOSの量産化は可能なのでしょうか」
「そうね………そのうざったい敬語を止めてくれたら、可能になるかもしれないわね」
夕呼の言葉に、まりもは小さく溜息をついた。それでも、迷わずに口調を変えた。
「機体反応の向上だけでもおつりが来るけど………操作の限定的な簡略化に、特定操作の簡易化。焦りによる操縦ミスに関しても、優先入力だったかしら? その新しい機能のお陰で、十分なカバーが出来る」
興奮したように語った。操縦概念に罅を入れる。それは良い意味での破壊の前兆。殻を割るように、死亡要因を消す方向に進化していく。まりもは口にすることで改めて認識したけど、と唾を飲み込み。震える声で、答えた。
「衛士だけで2割………いえ、3割。戦死者が減るでしょうね」
「そして初陣の衛士は?」
「っ、そうですね。恐怖による硬直からの事故死は減る。将来的な事を考えれば………総合的には、半減させることができる」
死の八分の要因として、BETAに対する恐怖、それによる意識の硬直がある。操縦が遅れて、一撃死というものが多い。XM3が普及すれば、ぎりぎりになって操縦を入力しても間に合う可能性がある。そして、次の戦場以降であれば多少なりともBETAに対する意識の免疫が出来る。
「それに………総合的な戦力の向上も。撃震から不知火、武御雷まで余さずに恩恵を与えられる」
耐用年数的に退役が迫っているとはいえ、撃震はまだまだ帝国軍の要の一つである。XM3はそういった機体まで機動性を高める事が出来るのだ。帝国軍は撃震の代わりとなり、その要として置換できるに足る新しい機体を求めてはいるが、耐用年数に余裕がある一部の撃震の機動性を高められれば、どうなるか。
「でも、しばらくの間はばら撒けないのよね~」
「夕呼、それは………いえ」
「言っておくけど、資源とか材料が不足している訳じゃないわよ。もっと、別の問題」
まりもはそこで押し黙った。製作が可能で国内にさえ配布できないという理由について、深く追求すべきではないと判断したのだ。例え薄々感づいているとはいえども。
「………それで、A-01には配布する予定が?」
「教官としては聞いておかなければ、ってこと? 勿論、配布するわよ。むしろしない理由が無いじゃない。慣熟に時間がかかるなら、余計にね」
「そう………」
まりもは小さく呟くが、内心では言葉以上のものが渦巻いていた。A-01に課せられた使命は重く、任務も高度なものになる。損耗率に関しても聞かされていた。碓氷の同期は5人居たが、今はもう過去形になっているのが何よりの証明となる。
XM3を使うことができるのなら、間違いなく教え子達の未来が閉ざされる可能性が低くなる。
(喜ぶ反面、どうしてという気持ちも浮かぶけれど)
もしも、もっと早くに完成すれば。まりもは一瞬だけそう思ったが、埒も無い考えだと首を横に振ろうとした。未遂に終わったのは、間に入る声があったからだ。
「しかし………香月博士の高性能CPUがあってようやくか」
言葉を発したのは、今まで黙っていた紫藤樹。間髪入れずに、溜息が返った。
「それも最新のでようやくといった所よ。演算能力について、ある程度の余裕はあるけどこれ以下だと厳しいわね」
「ああ、万が一にも許容を超えるとOSがフリーズするからですか………死にますね、それ。構想はある程度組めていましたけど」
「スペックが足りていても、俺では説明しきれなかった。中途半端なものを配布して現場に混乱を生じさせるよりかはマシだろう。長かったがな………5年か。お前がこんなだった頃から、成長してもまだな」
樹は手の平を水平に、自分のへそあたりで止めた。武が、そんなに小さくねえよと唇を尖らせた。
軽いやり取りに、まりもはそうだったのかと納得すると同時に、樹の振る舞いに改めて驚いていた。A-01の部隊長と教官として、幾度と無く言葉を交わしていた事はある。労いの言葉をかけられた時も。だが思い返すに、それはもっと硬い口調のもので、義務的なものであり、まりもはそうした樹の言動から胸にこめられた感情を一切感じ取ることができなかった。
白銀武という少年の前では、今までの態度は何だったのかと思わせるほど柔らかく愛嬌のあるものになっている。まりもは少し面白くないものを感じていたが、それ以上にふたりのやり取りを見て、可愛いものだなと内心で小さく笑っていた。
顔はまったく似ていないが、兄と弟のようだ。ふと、クラッカー中隊について樹に尋ねたあとの返答を思い出した。
―――“血は繋がっていないが、生きる時間が繋がっている家族だ”と。それはまりもから見た紫藤樹という人物をイメージ付ける中で、最も印象深い言葉だった。
そうしている内に、入り口の扉が開いた。まりもは振り返り、数瞬して驚きの思いを抱いていた。入ってきた人物に、銀色の髪を持つ日本人離れした容貌を持つその“彼女”の特徴に見覚えがあったからだ。
まりもはそこで、ちらりと横目に自分以外の反応を見た。
相変わらず皮肉げな表情を浮かべている者、ストレートに笑みを浮かべている者、無表情ながらでも唇が緩んでいる者。まりもはその誰よりも、残された一人に意識を奪われた。理由は分からない。だが、戸惑いの思いが勝つ。困惑している中で、新しい入室者が姿勢を正して敬礼をした。
「では、改めて―――社深雪もとい、サーシャ・クズネツォワ。オルタネイティヴ4直轄部隊、A-01戦術機甲連隊で世話にならせて頂きます」
「体力鈍ってるんで基礎体力作りからだけどな」
「………そこの役職なしもといプータローは黙っていてくれるかな」
「はあ? サーシャお前、何言って………ってそういえば夕呼先生から正式に任官の通達された覚えがないような!?」
「そういえばそうだったか―――おいそこの無職、食堂でうどん買ってこい駆け足で。ああ、もちろん人数分な」
「まさかの樹からの追い打ち?!」
「私はざるうどんね」
「夕呼先生?! それはそれでつゆと丼で器が別れるから余計に厳しい、っていうかあるんですかざるうどん!」
「ふん、バカね。あんた、京塚のおばちゃん舐めすぎよ? 未熟にも程があるわ」
「くっ………全く反論が出来ない!」
すかさず始まったコントのようなやり取りに、まりもは呆然とした。直後に、夕呼から溜息がこぼれた。
「はあ………ここで追い打ちをかけられないなんて、やっぱりまりもはまりもね」
「えっ?!」
まりもは何この流れ、と言い返す暇もなく場に呑まれていった。そうして雑談―――主に被害者が一人の乱打戦―――が終わった後、話はサーシャに関する話題に移った。
「ブランクがあるから体力と操縦技術に不安があるのは本当。すぐにでも取り戻したいけど………一人では厳しいと判断した。だから、お願い樹」
「それは、どういった意味で?」
「無茶しすぎると思う。する事を前提で訓練する。だけど、潰れたら意味がない」
「そうなる前に………サーシャの事を客観的に観察して、本当に無茶だと思ったら止めて欲しいと」
「うん。とても迷惑をかける事になるけど」
「………いや。分かった。任されよう」
「ありがとう」
素直に礼を言う。それだけのやり取りだが、まりもは違和感を覚えていた。何か、一方的にぎこちないような。深く追求すれば、よろしくない事になるような。
一瞬の戸惑いを置いて、話は続いていった。主にはA-01の衛士について。まりもは、予てから疑問を抱いていた内容を武に尋ねた。今回の唯一の合格者である、風間祷子の事について。卒業試験ともなる演習を乗り越えた後、その帰りのヘリの中でのこと。聞けば、時間制限ぎりぎりだった苦境の中でも唯一諦めず、隊員を励ましながらゴールまで連れて行ったという。まりもはいつにないそのアグレッシブな姿勢を見て驚き、そのモチベーションの元を尋ねた。その時に返ってきた言葉が、「待っている人が居るからです」という冗談めかしたものだった。
「その待っている人の特徴を聞くに、どう考えても変装した貴方の事だと思うのだけれど………何かした?」
「え? いえ、特に。強いて言えばタバコの箱を渡したぐらいでしょうか」
「接触はしたのね………他には、何かあるの?」
「えーと………そういえば、“貴方の演奏のファンです”と言って誤魔化したような。いえ、ファンなのは事実ですけど」
武の言葉に、霞以外の全員が軽く酸素を吸って、深く二酸化炭素を吐き出した。駄目だなこいつ、という副次的な感想も携えて。まりもは、そんな3人の様子に戸惑うも、何となく白銀武の人柄の一端を把握するに至った。
ちょうど昼時になり、それぞれが各々の形で休息を取った。まりもは、食堂へ向かう樹についていった。樹は特に拒む理由もないと、食堂で鯖の味噌煮定食を注文する。まりもはうどんだ。食べ終わったあと、水を飲んでいる時に、まりもは何気なく尋ねた。
「それにしても、驚きました。紫藤少佐も、ああいう顔をされるんですね」
「………それは、どういう意味での発言だ?」
「あ、いえ。気を悪くされたのなら」
「違う。そういう意味じゃない」
怒ってはおらずとも、戸惑っているようだ。ひょっとして、どんな顔をしていたのか自覚がないのだろうか。察したまりもは、まるで家族に向けるそれだったと説明をする。
樹は、小さく溜息をついた。
「弟妹を相手にしていると言えば、そうかもしれない。出会った時は誇張抜きで子供だったからな。あとは、付き合いの長さ故か」
無愛想とはよく表現されるが、と付け加え。樹は、じろりとまりもを睨みつけた。
「こちらで愛想を良くできなかったのは、軍曹の親友のせいでもある。そういった意味では尊敬に値するよ」
「………いいところはたくさんあるので」
「棒読みだな」
樹はくくっと笑う。そしてコップの水を飲んだ後に、「被弾役が現れたのもある」と小さく笑った。
「割れ鍋に綴じ蓋という表現が、これ以上に当てはまる関係はない。突き抜けた奇抜な者どうし、どうにか仲良くやってもらうさ」
「そう、ですね」
まりもは深く頷いた。基地に来て少し経ったかと思うと、奇跡のようなOSを開発する。かと思えば、演習を前に不安を覚えている訓練生の急所を一突きして、颯爽と去っていく。悪い事では決してないが、振り回されている気になるのだ。
「常人の域に無い者こそを天才だと呼ぶのだろうが、見上げる方は大変だな。凝視しすぎて目を回されるなよ、軍曹」
「はい、いいえ。なんだかんだと慣れていますので。慣れさせられた、というのもありますが。それに、今回の“これ”は決して悪いものではありません」
むしろ、天上に咲く華のように見もので。未来を思い明るい気持ちが抱けるというのは、ここ最近は無かったことだとまりもは笑った。
「そうだな。長時間接していると頭痛と胃痛が酷くなる奴だが………周囲を笑顔にさせる奴だ。尤も、一部の女性を除いてだが」
「………苦労されているようですね」
「ああ………いや、違うな。本当に大変なのはあいつらだ」
樹は苦笑すると、立ち上がった。休憩時間が終わったからだ。二人が元のブリーフィングルームに戻ると、既に揃っていた。
「早いな。食堂には行かなかったのか」
「ああ、流石に霞とサーシャ連れて歩くのは目立ちすぎるから。それより……夕呼先生」
「少し早いけど、再開しましょうか………次のA-01候補となる衛士訓練兵について」
夕呼が告げると、霞が予め渡されていた紙資料を全員に配っていく。唯一、武にだけは不安げな表情を浮かべながら、手渡した。武はその様子に気づいたが、理由を察することはできなく。10秒後に、全てを察した。
―――207B分隊。その所属予定の欄に、鑑純夏の名前を見つけたからだ。同姓同名でないことは、資料の中にある写真を見れば嫌でも理解できた。
「………どういう事ですか、先生」
「落ち着いて判断すれば分かることよ」
「っ………そういう、事ですか」
武は震える声で押し黙った。隣に居る樹は、口元を押さえながら考え込んでいたが、しばらくすると夕呼の方に視線を向けた。
「これは、すごいな………内閣総理大臣・榊是親の娘に………未だ慕う者が多い、帝国陸軍元中将・彩峰萩閣の娘。国連事務次官・珠瀬玄丞斎の娘に、帝都の怪人こと情報省外務二課課長・鎧衣左近の娘まで。そして―――極めつけは、ですか」
樹は額に手を当てて呻き声を零した。まりもは樹が見せた様子に、えっと驚きの声を零した。並べられた名前は錚々たるものであり、鎧衣左近を除いてだが、軍人であるならばそれなりに知っているものだ。それを差し置いて、極めつけと称するのはどういう意味か。唯一写真も貼られていないのに、名前だけでどうして察することができるのか。
―――御剣冥夜とは、何者なのか。当惑するまりもを見た樹は、夕呼と武に視線をやった。二人が頷いていたので、深く溜息を吐きながら説明を始めた。
「御剣家は、煌武院を主君とする譜代武家の一つです。家格は紫藤家と同等の山吹………重要なのは姓ではありません」
「姓では、ない………ですが、斯衛関連ですよね?」
もしや赤の武家の隠し子だろうか。そう予想したまりもに、樹は目を閉じながら爆弾に等しい言葉を落とした。
「こういう表現をすると某傍役が口煩く、というよりも刃を先に抜き放ちそうですが………本名を煌武院冥夜様といいます。そして冥夜様は、現政威大将軍・煌武院悠陽殿下の双子の妹に当たります」
「なっ?!」
まりもは一瞬だけ言葉を失った。直後に、納得もしていた。確かに極めつけは、という表現が当てはまると。そして政府、帝国陸軍に情報省、国連に斯衛の重要人物を親に持つ子女が集められている事から、否、“差し出された”事からその意図を察した。
「人質………少なくともこちらからはオルタネイティヴ4を裏切らないという、意志の表明ですか」
「表向きはね。トカゲの尻尾切りの可能性もあるわけだし」
夕呼の言葉の裏にこめられたものに、樹は呻いた。どの人物も組織の絶対的主導権を握っている人物、という訳ではない。榊是親は日本侵攻時におけるいくつかの責任を追求されている事もあるし、彩峰萩閣は言わずもがな。珠瀬玄丞斎も官僚との間がよろしくないという情報がある。
「そうかもしれないですが………鎧衣課長だけは敵に回したくないです」
「それは心情的な事かしら。それとも戦力的脅威から?」
「両方、ですかね。俺とサーシャにとっては命の恩人です。それ以上に、あの隠密性と予測不可能な行動力がこちらに向けられた時なんて………考えたくもない」
「そう………ちなみに、知り合いとか居るのかしら」
「光州作戦の後に、彩峰中将とは。直接礼を言われました。その後、腹黒元帥のメッセンジャーとして中将の退役話とかを首相に伝えました。珠瀬玄丞斎だけですかね、面識が無いのは」
「会っても親ばかり。娘達とは面識はないってことかしら」
「………御剣冥夜だけは、ガキの頃に会った事があります。日本を発つ少し前に、殿下と一緒に居る所を」
「はあ? ………いえ、海外旅行が許されたのは、そのせいかしら」
鋭い指摘に、武は頷いた。
「それとは別に風守の家の事とか、複雑な事情が絡んだ結果でした。もう解決した問題ですけどね」
風守の名前に、まりもの表情が変わった。樹だけは気づいていたが、二人を置いて会話は続いた。特に確執があるものでもないなら、ひとまずは人質として丁重に扱うと。
それは戦場に出さない事を意味する。訓練兵として迎えるが、衛士として期待するような機会を与えるつもりもない。
「鑑純夏も同じことよ。外より中に抱え込んだ方が良いでしょうに」
「………そう、ですね。それにしても、霞とサーシャと樹は知ってたんですか?」
「衛士になるための予備訓練を受けていることは知っていたが、A-01に入れるとは聞かされていなかった。サーシャは………治療の前に数回程度だが、会ったことはある」
「そう………ね。うっすらと覚えているかな」
主な目的はサーシャの治療のために。霞も一度会ってみたいと、基地の臨時合同訓練の後に少しだが会話したことがあると、申し訳無さそうに答えた。
「そうだったのか………でも、樹。衛士の予備訓練ってどういう事だ?」
「志願し、適性があった結果だ。やる気のある人間限定だが、緊急の事態に即席で戦場に出さなくても済むよう、帝国軍が始めたことでな」
「やる気、志願って………まさか、純夏から軍人になりたいと言い出したのか?!」
混乱する武に、樹は落ち着けと手で制しながら答えた。
「紛れも無い本人の意志だ………お前に置いていかれたくなかったんだろう。心当たりが無いとは言わせないぞ」
樹の指摘に、武が唇を噛み締めた。そこに、夕呼から軽い口調で声が飛んだ。
「取り敢えず、他所で戦死されるような事態は避けられた。あとは、アンタ自身が決めなさい」
「どういう、意味ですか?」
「大切な雛人形を箱の中に閉じ込めたいのなら、アンタの意志でやりなさいってこと。そういうのはあたしの趣味じゃないのよ」
ずくり、と。心臓を突き抜けて背中まで飛び出しそうな、図星という元素で出来た言葉の槍。武は、言い返そうとしたが、あまりにも的確だったため、すぐに黙りこんだ。
夕呼を責めるのは筋違いだとも思っていたからだ。徴兵年齢が下がり、女性まで対象となった現在、20歳以下の男女でその身を遊ばせている者は居ない。例外としては、有力者の婦女子ぐらいだ。日本人として無責任か、あるいは。
論ずるにも答えが多数出てきそうな問題であるが故、鑑純夏を“そう”するなら止めないが、やるなら自分の手足と言葉で説得しろと言われているだけだ。
「どっちを選んでも何も言わないわ。男のアンタなら、まりもと違って婚期が遅れることを心配をする必要もないし」
「………香月博士? 私を引き合いに出した理由を教えてもらっても構わないでしょうか」
「また敬語になってるわよ。一から十まで説明して欲しいっていうのなら、この場で簡潔にまとめるけど」
まりもは「いいの?」と言い返す夕呼の横に霞の姿を見て、うっと呻いた。興味がありそうな純真な少女を前に、どんな毒舌が飛び出してそれを聞かれるか、想像しただけで気分が落ち込んだからだ。
「軍曹、香月博士もそのぐらいで。武も………A-01のこれからの事も含めて、じっくりと話し合う必要がある」
A-01に与えられる過酷な任務に耐えられる戦力を鍛える。部隊を預かる身として、その点をないがしろにされる訳にはいかない。樹の訴えに、武は小さく頷きを返した。
決戦の日までそう時間があるとは言えない。クーデターに、佐渡ヶ島ハイヴ攻略に、横浜基地防衛戦に、オリジナルハイヴ攻略戦。精鋭部隊でも全滅必至な地獄を乗り越えるためには、可及的速やかに有能な衛士を揃える必要がある。
それを考えれば今までどおりに厳しい任務をこなさなければならない。A-01としても、対外的に戦力的価値を示さなければ、帝国軍などがどう動くか分からないのだ。
A-01が秘匿されている部隊とはいえ、帝国軍上層部はどの組織から派遣されているのかを知っている。A-01が活躍することで、オルタネイティヴ4という、傍目にはうさんくさい勢力が認められている部分もあるのだから。
よりよい未来を掴めるという00ユニットに相応しい人材を見極めるために、A-01を過酷な任務に就かせていた訳ではない。
それでも損耗率が高く、中隊の規模を保つのがやっとになった現状、優秀な人材が居れば喉から手が出るほど欲しいというのが、部隊長である樹の本音だった。
「しかし、涼宮茜か………姉妹で同じ部隊というのは、よろしく無いんだが」
血縁に対する私情が挟まると、部隊の運用に支障を来す恐れがある。かつてのクラッカー中隊も、結束が強まることで戦闘能力が向上したが、その反面リスクも高まったのだ。それだけ親しい人間の戦死というのは、衝撃が大きい。涼宮遥以外にも、速瀬水月と鳴海孝之という知人が居る。樹だけではない、武も連携が上手く戦歴も長い部隊が一つの戦死による衝撃が連鎖して全滅した、というのは何度も見てきたことだ。
それでも、贅沢に人材を選んでいられるような状況ではない。そうなれば、あとはどう鍛えるかという結論に集約される。即ち、教官と教育課程をどうするか。それによって未来が変わると言っても過言ではない。
様々な意見交換がされた。その中に、まりもをA-01の戦力の核として数えるため、XM3の習熟訓練に頻繁に参加すべきだという意見があった。発言したサーシャに、樹から質問が飛んだ。
「やはり、最低でも二個中隊は必要になるか」
「そう。先を見据えた場合、中隊のもう一人の指揮官として相応しいのは、神宮司軍曹を置いて他にはいないと思われる」
年齢も同じで、教官として接してきた時間があるため、人柄が知れているという見方。女性の比率が多い部隊で、男性だけを指揮官に据えるのはどうかという問題があるかもしれないというサーシャの意見に、樹と武は実力の方も申し分がないからな、と深く頷いていた。
まりもはそこまで自分が買われているのだと驚くも、戦歴の長いベテランから認められている事に内心で喜んでいた。一方で、不安に覚える点もあった。訓練をし直すとしても相応の時間を割く必要があるが、今度の教え子の数は総勢にして10名にもなる。両立するのは不可能とは言わずとも、かなり難しいというのが正直な意見だった。
教習課程が今まで通りならば、何とかなると思われますが、というまりもの声に、武がそうですよねと頷いた。
小さい、沈黙の間。武は小さく俯いたまま、樹に尋ねた。
「………知っている限りでいい。純夏の現在の基礎体力はどの程度になる?」
「それなりに優秀だと聞いている。与えられた訓練だけではなく、自主訓練も行っていると聞いた」
樹の回答を聞いた武は、分かったと言うと改めて樹に向き直り、告げた。
「207B分隊の基礎訓練過程修了までの教官は、樹にお願いしたい」
「基礎訓練というと、総合戦闘技術評価演習に合格するまでか?」
樹の質問に、武は曖昧な顔で頷いた。何となく言いたい事を察した樹だが、人質としての話はどうすると尋ね、夕呼がその質問に答えた。
状況によるけど、十中八九人質の価値が必要になる事態は訪れないと。
「207A分隊は今まで通りまりもで。教習課程については、後で白銀から話があるそうよ」
夕呼はそう伝えると、まりもに退室を促した。ここからは少しややこしい話になると。まりもは頷き、敬礼を残して部屋を去っていった。
それを確認すると、夕呼は「それで」と前置いて武に尋ねた。
「B分隊は、人質として利用するだけじゃもったいないと言うわけね。それもそうか。あっちのアンタが所属していた部隊なんだから。優秀さに関しては………あちらの世界でカシュガルを落としたメンバーを聞けば分かるのかしら」
夕呼の鋭い指摘に、武は眼を逸らしながら答えた。
オリジナル・ハイヴのヌシを潰した部隊は、衛士になってたった二ヶ月程度しか訓練を受けていない207B分隊のメンバーと、鑑純夏と社霞だったことを。
「そう。XG-70の活躍もあったんでしょうけど………最終的な生存者は?」
「俺と霞だけです」
「………突入できなかった隊員はそれまでの戦いで戦死したか、出撃できない程の大怪我を負っていたって? ―――本当にぎりぎりだったんじゃない」
初めて詳細を聞いた夕呼が、小さく溜息をついた。部隊長である樹の方は難しい顔で、より戦力の向上を目指す必要があると考えていた。結果的に余剰戦力がほぼゼロとなる接戦など可能な限り避けるべきだというのは、軍人にとっては常識的な考えだ。負ければ後がない戦いに余裕の欠片も持てないなど、その時点で無能の烙印を押されても文句は言えない。
「それにしても、たった二ヶ月でカシュガルを? それでもお前が推せないのは、別の理由があるからか?」
「………あるには、ある。でもそれが正しいのかは分からない。前から考えてはいたんだけど、答えが出ないんだよ」
それでも勝手だけど、と。
武はそれまでとは異なり、はっきりとした口調で告げた。
「訓練過程の中で問いかける―――どういう結果になるかは、分からないけど」