Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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Chapter Ⅱ : 『Displacement』  
1話 : Walking on the Sea_


揺蕩う波の上で、少年は原点を思い返す

 

 

母なる海に抱かれ、自分で決めた行く末の先にあるものを、見定めるために

 

 

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船の腹を波が叩く。地平線まで続いている青。海面から漂ってくる潮の香りが、武の鼻孔をくすぐっていた。アンダマン島へ――――インド亜大陸と対岸のバンコクとの間にあるベンガル海に浮かぶ島――――へと向う船の上に武はいた。

 

今では国を失った避難民の居住区となっている島。それに向かう船、その甲板の上で、白銀武は真昼間から黄昏れていた。

 

彼を黄昏させている原因は2つある。

 

ひとつは、これから向かう場所で行われることについて。

 

もう一つは、至極単純なこと。それは、一年ほど前の記憶。

 

さんざん酔った日本発の船を思い出していた。ゲロに塗れ、周囲の大人たちの世話になってしまったという恥ずかしい記憶。

 

(………なんか、日本を出てから今まで、吐いている思い出が大半を占めているな)

 

口の中がすっぱいと、一人嘆いてる。そしてその酸っぱさが、武の胸をうつ。この味は、基礎訓練の時にさんざん味わったもの。だから余計に黄昏度は進行していた。真昼間なのに逢魔が時のような。それほどまでに訓練時代の記憶は辛いということだろう。思い出すだけで酸味が口の中に広がるほど、吐きに吐いたのだから。

 

―――これぞ正に酸っぱい思い出である。

 

「………で、何でいるのお前」

 

酸っぱさいやいやしている武は、半眼で横にいる少女に言を向ける。向けられた少女は、つれないね、と首を横に振った。

 

「いや、答えろってサーシャ。なんでこの船の上に居るんだ?」

 

「ターラー中尉に言われたからに決まってる。“馬鹿の手綱を握ってくれ”とのお言葉。まあ、敢えてオブラートに包んで言うと――――タケルのお守り、だね」

 

「包むどころか剥き出しじゃねえか! ちょっとは言葉に鞘しろよ刃がちょっと刺さって痛えよ!?」

 

武が吠えるが、サーシャはしれっと答えた。

 

「私は正直なだけ。嘘は嫌いだし、言われた通りに答えただけだよ?」

 

告げられた武は、言葉に詰まる。正直に答えた、ということは嘘をついてないということ。そうなのか、と武の頭ががくりと下がる。

 

「俺って………つくづく信用ないのな」

 

「当たり前だと思う。あと、リーサ少尉からの伝言。訓練終わった後、いの一番に模擬戦してやるから、そのときこそは私に勝って見せろって」

 

「えっと、もし負けたら?」

 

リスクが無いはずがないと、武は確信していた。リーサ・イアリ・シフとはそういう女性であるとも。

 

「勿論、罰ゲームが執行される。とびきり凄いやつを用意してるから覚悟しとけって。具体的に言うとターラー教官の拳の3倍ぐらいのやつかな」

 

「何がどのように3倍増し増し!?」

 

「ちなみに私の発案だから」

 

「ってお前なのかよ!」

 

叫びながら、武は考える。一体どうしてこうなったのかと。

 

武は思い返していた。あれは、そう――――昏睡している時に見た、とある夢から目覚めた後のことだ。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

 

俺は、夢を見ていた。内容は、日本にいた頃に見ていたものと同じ。仲間が死んで。自分も死にそうになって。だが、以前見たものとは、決定的に違うものがあった。光景は同じ。しかし、見ている自分が前とは違う。

 

生々しくも、どこか遠くに感じられていた光景が、今ではもう実感として把握してしまえるのだ。だから俺は、まるで夢と現実の境にいるような感じを覚えた。

 

それがしばらく続いた。夢の数は多かった。いつもは断片に過ぎないが、集めればまるで海のように広く、深くなるような。そうして、いつものとおり。ようやく断片達が見せてくれる光景が終わったかと思った時だ。

 

今までとは違う、別のシーンが浮かんできたのは。

 

(………ん?)

 

まず違和感を覚えた。今までとは明らかに違うと、根拠もなく思えていた。そうして、考えてみて分かった。これは、今までのような、記憶にない光景ではない。これは、見たことのある光景だ。自分の眼で、自分の肉体で、しかも酷く最近に見たもの。

 

(ああ、これはインドにやってくる前の)

 

あれは、二年前だったか。俺がまだ8才かそこらだった頃にあったこと。

 

(明晰夢ってやつ?)

 

聞きかじりの言葉を思い出す。となれば、これは記憶の邂逅というやつだろうか。

 

(懐かしいな)

 

あれは、純夏が風邪をひいて熱をだして寝込んだ時だったか。世間では風邪が流行っていて、純夏もドジで間抜けなことにそれにかかってしまって。

 

「ごめんね、武くん」

 

優しい顔に、優しい声。赤い髪の大人の女性が俺に話しかけている。温和だけど、怒ると怖い彼女は、純夏の母である人。純奈母さんだ。俺のもう一人の母さん的な存在。その純奈母さんは、申し訳なさそうな顔をしていた。純夏のことだろう。そうだ、風邪が移るかもしれないから、と言われたので俺は仕方なく外に出て行こうとして。

 

「だげるぢゃーん」

 

一人で遊びに行こうと玄関で靴を履いている時、背後から純夏の声が聞こえて。純夏が鼻水を垂らしながら、一緒に行こうとしていたな。でも、力が入らないのか、ふらふらしていて、泣きそうになっている。そんな純夏を、純奈母さんがいいから寝てなさい、と怒った。

 

(あー、懐かしいな)

 

目に見える光景を追っていく内に、俺は日本のことを思い出していた。昔、と言えるほど前の事ではないのに、遠い過去の出来事のように思える。でも、思い出すだけでこんなにあったかい気持ちになれるもんなんだな。

 

そんな、感傷に浸っている俺をよそに、夢はまだ続いていた。そうだ、一人で公園にでかけたが、誰もいなかったんだ。流行っている風邪のせいだろうか、公園には子供も誰もいなかった。だから、俺は仕方なく一人で遊ぶことにした。帰ってもよかったが、人気がない公園は静かで、今まで見たことのない風景に変わったようだった。だから、遊ぼうとした。ちょっとした冒険をしている気分になったんで、公園の中を色々と探索したのだ。

 

とりあえず、いつもは行かない森の中へいってみた。純夏が虫を嫌がるので、いつもは入り口前にある広場でしか遊んでいない。何か見つかるだろうと考え、探索して。

 

でも、すぐに飽きた。

 

風景が変わったといっても、モンスターが出るようになった訳でもない。純夏が傍にいないのもそうだ。一緒に騒ぐバカ純夏がいなければ、何か見つけても面白くならない。なんてことはない。一人は、つまらなかったんだ。

 

「ちぇっ」

 

地面の石ころをけり、近くにある野っぱらに寝ころんで、空を見上げた。そういえば、昔大きな公園に遊びに連れて行ってもらったとき、親父とこうして寝ころびながら空を見上げてたっけ。親父は大丈夫だろうか、今何をしているだろうか。その時は、そんな事を考えながら、いつの間にか眠ったんだ。

 

そして、目覚めると空が赤く染まっていて。

 

「え、もう夕方?」

 

やば、寝過ぎた、と呟き、急いで起きる俺。見ているのか、自分の立場になっているのか、最早全てが曖昧になっている。夢であるような、ないような。不思議な感覚の中、それでも俺は寒さを覚えていた。

 

「うう、寒い」

 

風邪対策に厚着していたとはいえ、やっぱりこの寒空の中寝ていると寒い。震えながら、公園の入り口の方に向かう。入り口近くにきたときだ。いつも遊んでいる砂場、其処に誰かいると気づいた。駆け寄る。砂場で、女の子達が泣いていた。二人とも、変な髪型だ。初めてみる女の子。二人とも目を涙で真っ赤にはらしていた。

 

「どうしたんだ?」

 

砂場に座り込んでいた女の子達に、話しかける。女の子達はびっくりしたようにこっちをみる。それで、俺の姿をまじまじと見た後、すぐに安心したようにため息をついた。え、どういう反応だろうか。

 

というより――――

 

「何で、泣いてんだ?」

 

「え?」

 

「ほら、目」

 

赤くなっている、と指をさすと、二人とも慌てて目をこする。

 

「わ、駄目だって。砂場に入った後に、目をこするとバイキンが入るから」

 

以前、純奈母さんに言われた事だ。止めようと駆け寄るが、

 

「あっ?」

 

砂場のへりに足を引っかけた。一瞬の浮遊感。

 

「ぎゃっ」

 

咄嗟に手をだそうとするが間に合わず、顔面から着地する。転けた先が砂場でよかった。地面かアスファルトの上だったら、怪我をしていたかもしれない。でも、おもいっきり顔面から突っ込んだので、顔が痛い。口の中に砂が入ってしまったようで、なんか舌と歯がじゃりじゃりする。

 

「うえ~」

 

砂をぺっぺっとはき出す。視線を感じて顔を上げると、二人共目を丸くしてこちらを見ている。う、格好悪いとこを見られたぜ。

 

「どうしたんだ?」

 

誤魔化すように笑う。取り敢えず挽回しようと―――そんな時、自分の鼻から何かが落ちるのを感じた。3人とも、何かが落ちた地面を見る。何やら、落ちた場所、砂粒がちょっと赤くなっている。

 

ああ、これはあれだ………俺の鼻血だ。

 

そこに、カラスがあほーと鳴いた。

 

「くっ、タイムリーな」

 

「ぷっ」

 

悔しがっている俺を見ていた女の子。その青い髪の方が、吹き出した。

 

「くっ」

 

つられて、もう一人の紫の髪の女の子の方も、吹き出す。そこからは、一気だった。耐えられないと、二人はお腹を抱えて笑い出した。

 

「くう、おれとしたことが………」

 

力無く、砂場にへたりこむしかない。くそっ、ちくしょう、こういうのは純夏のポジションなのに。笑う姉妹の横で、俺は感じたことのない屈辱にのたうち回る。

 

それから数分後。女の子二人は、控えめになったけどまだ笑っていた。

俺はかっとなって、いつまでも笑わせていられないと、なんとか起きあがった。

 

と、また何かあったの、と聞く。

 

「いえ、なんでもないのです」

 

さっきまで落ち込んでいたのに、もう笑顔を浮かべている。そんなにおもしろかったのだろうか。軽くへこむ俺をよそに、女の子はまた笑いかけてくる。

 

「そう、なんにもないよ」

 

嘘だ。まだおかしいのか。涙目になっているし。そこで思い出した。さっき泣いていた理由がなんなのかって。

 

「えーと………お前ら、なにか嫌なことでもあったのか?」

 

「え」

 

その言葉に、二人とも硬直する。が、すぐ笑顔を浮かべた。同じ顔で、同じ表情で。

 

「いいえ、なにも、ないの」

 

それは、大人の顔だった。なんでかって、その顔は日本を発つ時の、親父の顔をしていたからだ。

 

(それで、仲間が死んだ時の、教官の顔に似てる)

 

歯を食いしばりながら、痛みに耐える顔だ。なんでこんな二人が、そんな顔をするのだろう。それからしばらく遊んでいたけど、分からなかった。

 

今ならば違う想いを抱ける。しかし、その時の俺は正真正銘の子供だった。

 

「きもちわるい」

 

「え」

 

「その笑い顔、きもちわるい」

 

まさかそう言われるとは思わなかったのだろう。女の子は、明らかに固まっていた。隣にいる方も同じ。だけど、俺は気にもとめず、自分の言いたいことを言っていた。

 

「笑いたくないのに、笑う必要ないじゃん。泣きたければ泣けばいいのに」

 

それは純奈母さんに言われた言葉だ。父さんと離れることになった翌日、泣くのは格好悪いと気張っていた俺に。素直になりなさいと、教えてくれた言葉。

 

「さっきの笑い顔は、きれーでかわいかった」

 

「き、れいですか?」

 

「か、わいいだと?」

 

二人の顔が赤くなる。けど、なんでだろうか。今も分からない。その時の俺も分からず、自分の言葉を続けた。

 

「でも、今の笑い顔はきもちわるいよ。泣かれるのも嫌だけど、その………」

 

そこまで言った俺だが、何を言いたいのかわからなくなったのだろう。言葉につまり、左右を見渡す。傍目から見れば挙動不審だが、何かヒントになるものを探しているのだろう。

 

―――と、その時だった。

 

公園の入口に、車が停まって。

 

「悠陽様、冥夜様!!」

 

女の人の必死な声。振り返ると、中学生ぐらいだろうか。翠色の髪をした綺麗な女の人が、こちらに向かって走ってくる。見慣れない服。赤い服を着ている彼女は、こちらを見て一瞬だけ硬直した。

 

というか、なんか、俺だけ、睨み付けられているような――――ってこっち来た?!

 

ちょ、鬼のような形相で、っておい、懐から小刀!?

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

「うぉ、鬼婆ぁーーーーー!?」

 

「うあっ、何!?」

 

跳ね起きると同時に、武が叫ぶ。横で、驚いた声が鳴る。

 

「………夢か」

 

余り思い出したくない光景を思い出してしまった、と武は首を横に振る。だけど、胸中は穏やかではなかった。思い出したあの緑髪の女性は、まるでテレビで見た任侠映画のヤクザのようにおっかなかったからである。小刀片手に駆け寄ってくる女の人の姿を思い出し、武はまた身震いする。

 

そして考える。あの二人が慌てて止めてくれなかったらどうなっていたのか、と。

 

(考えるだに恐ろしい)

 

何がいけなかったんだろうか、武は思い悩む。怪しい所があったろうか。もしかして鼻血か、鼻血なのか。あの後、女性には即座に謝られたが、顔は怒っているように思えた。何故だろうと考える。そして武は思いついた。

 

(もしかしてあれか。あの二人が、鬼婆と呼ばれた女性を見て、また笑ったからか………うん、鬼婆は流石に不味かったかも)

 

考えることはいいことだと武は想像してみた。もし、教官かリーサに言ったとしよう。

 

(うん、死ねる)

 

だけど、と武は言い訳をしていた。まずでもあんな顔で駆け寄ってくるのが悪いんだと。したり顔で頷き、自分を慰めようとしているのである。

 

そこに、横からコホンいう咳の音が乱入する。聞こえた武は、音の方向を向く――――と、サーシャが半眼でこちらを睨んでいるのが見えた。

 

「えっと………頭、大丈夫?」

 

「う、え? ああ、ってまたアレな言い方だな、サー、シャ?」

 

武の視界に映ったのは、染められた金色の髪の少女。少しウェーブがかかった髪。風が吹けばなびくであろうそれは、本当に綺麗なもので。

 

反射的に言葉を返しながら。頭の中は、徐々に覚醒していく。そうしてようやく今の状況を思い出した武は、そこで我にかえった。ベッドの上。見慣れない部屋。窓の外からは、潮の香りが漂ってくる。見れば、ベッドの近くの小さいテーブルの上には、果物がこれでもかというぐらいに積まれている。

 

「ええと………此処は、何処?」

 

私は誰といいかねない、混乱した武の声。それに対し、サーシャはため息を吐いた。

 

「もう少し、感動的なやり取りとか……抱き合って喜び合うとか」などとぶつぶつ愚痴っている。だが、一端眼を閉じた後、気を取り直したように眼を開き、武の言葉に答えた。

 

「ここは、スリランカの病院だよ。って、あのあとのこと、もしかして覚えてない?」

 

「うん?」

 

武は首を傾げた。作戦終了後の記憶はある。だけど、そのあとどうなったか全く覚えてないのだ。更に南進してくるBETAから逃げて、船に乗って。戦術機から降りて、甲板の上から亜大陸を眺めていた光景が最後。

 

「………何で俺は医務室のベッドで寝ているんだ?」

 

武が戸惑っていると、サーシャは呆れた顔になりながら説明する。

 

「作戦終了後、武は倒れた。今は作戦終了から、18日が経過している」

 

「はあ!?」

 

「私も、ダウンしたんだけどね」

 

言いながら、サーシャは苦笑する。とはいっても、彼女の方は丸二日間程度。原因は、武と同じく出撃が続いた事による、極度の疲労のせいとのこと。それを聞いた武は、そういえば体のあちこちが痛くてたまらないと唸りだす。その痛みには覚えがあるとも。基礎訓練の時に幾度と無く味わった、地獄のような筋肉痛だ。武はそれを思い出した途端、痛みが更に強まったように感じた。たまらず、武は悶絶しそうになる。だけど武の体はうまく動かない。長時間寝ていたせいで筋肉がこり固まっているせいだろう。そんな激痛の中、気力を振り絞りって何とか声を搾り出した。

 

「だ、いじょうぶナノか?」

 

「うん、今の武よりは」

 

変な口調になっている武を見ながら、サーシャは貴方よりはマシだから、と頷く。

 

「ほかの、み、んなは?」

 

「隊長達? 隊長達は………臨時で中隊を編成して、沿岸部で警戒態勢に入ってる。とはいっても、BETAはそうそう海を越えてこないから。迎撃に出撃する機会はなさそうだけど。それよりも、今は書類仕事が多いらしくって」

 

「それでサーシャだけが………って、BETAは追撃はしてこないのか?」

 

「それは――――」

 

聞かれたサーシャは、現在のBETAの動きと国連軍、連合軍の状態を武に説明していく。前の侵攻で、ナグプールにある基地ほか、亜大陸に点在する各基地は軒並み破壊されたこと。その後、BETAの軍団はボパールハイヴに戻っていった。国連軍はそれを確認した後、スリランカに拠点を移すことを決めたとのこと。スリランカ基地周辺、大陸沿岸部にはあまりBETAは来ていないらしいこと。

 

今はインドから先に撤退していた部隊と、殿を務めた部隊とで戦力を再編成している最中、つまりは態勢を立て直している段階であること。

 

「アルシンハ少将が再編の指揮を執っているって。ハイヴ突入を推していた老害どもは駆逐されるって、ターラー中尉が喜んでた。軍内部の動きが良くなるって。私も同感だけど」

 

武はサーシャのきつい物言いに口を引きつらせていたが、内心では同意を示していた。他の衛士達も同じ意見を示すだろう。ハイヴ突入は明らかな愚行で、悪戯に戦力を減らす原因となったのだ。戦争にifは存在しないが、もしも―――あのまま、間引きを続けていれば、ちょっとはマシな戦況になったのかもしれないと。

事実、印度洋方面国連軍、その中でも亜大陸に陣取っていた部隊は壊滅的な被害を受けている。

 

「インド国軍もね。周辺国の残存戦力は国連軍に編入されたみたい。それでも戦力が足りないから………ミャンマーやベトナム、東南アジア方面に駐在している別の部隊を急いで移動させているって」

 

「別の所には?」

 

「もちろん向かわせている。BETAの侵攻経路は西進か東進。西進は中東方面の軍に頼っているから、東南アジア方面の部隊はバングラデシュに。物資や人員を増やして、戦力を増強しているみたい。スリランカは距離もあるし、増強の速度も遅くて、残存戦力は少ないけど………仮に再侵攻があっても大丈夫だと思うよ。今の残存部隊の士気ってちょっと普通じゃないから」

 

「へ?」

 

軍隊の士気というものは、勝てば上がっていくもの。だけど一度負ければ、地に落ちていくものだ。それが戦争にとっての当たり前で常識。なのに、今になって士気が高くなっているとはどういうことだろうか。自分の知らない所で何事か起きたのか。不思議な顔をする武に対し、サーシャは笑みを返した。

 

「秘密。うん、とりあえずはこんな所かな」

 

「そっ、か………」

 

武は、一通り話を聞いて。教官他、仲間の無事と、現在の戦況を把握した後、ようやく安堵のため息をはいた。そう、安堵である。

 

(負けた………けど)

 

落ちそうになる気勢に対し、武は首を横に振って抵抗する。負けた。それは確かで、覆しようのない、過ぎた事象。だけど、完璧な敗北というわけでもない。

 

亜大陸における戦線の状況はすこぶる悪く、全滅のおそれもあったのだから。被害は確かに大きいが、まだ反撃の芽はつまれていない。想定された最悪ではなく―――抵抗する戦力があり、士気も高いらしい。

 

武はそこまで考えると、大きく深呼吸をした。だが、とたんに痛みに顔をしかめた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「っ、だ、大丈夫だよ。でも、わるいけど少し一人にしてくれないか?」

 

「………分かった。でも、何かあったら言って」

 

「了解」

 

武は返事をして、サーシャを見送る。だけどすぐ後、何かに気付いたようにサーシャを呼び止めた。なに、と首を傾げるサーシャ。武はえっと、と言葉を詰まらせていたが、意を決したように言う。

 

「その、ありがとよサーシャ。俺のこと心配してくれたんだよな」

 

横にいた。つまりは看病か、見舞いに来てくれたのだ。それを察した武が、礼を言う。対するサーシャは、武から少し顔を逸らす。

 

「うん………ほん、とう、に、心配した」

 

途切れ途切れの言葉は、それでも悲哀に満ちていて。西洋人形のような顔は、心の底からの憂いに染まっているような、見ているだけで泣きそうな顔に変化していた。

 

それを武は直視してしまっている。だが、原因である自分が、何も言えるはずもないと。気まずそうに頬をかき、耐えるしかなくなっていた。

 

もっとも、彼は気まずさと同時に、異なる想いも感じていたが。

 

あまりさせたくないと思える、本当に直視したくない、見れば辛い想いをいだいてしまうだろう、その表情。

 

(でも―――――なんだろう)

 

どこか、というのは分からない。だけど、何かが変わって。あまり面白くなかった彼女の表情が変わったと。そして、それがとても――輝いてみえた。ちょっとエロかったリーサとはまた違う。前に見た、天然半裸娘とも。異質の感想。とても言葉で言い表せない。だけど、何か、胸の奥を掴まれたような。

 

―――武は気づかない。それが、夢の中で見た。そしてかつて出会った少女に抱いた気持ちと同じであると。

 

「ほんとうに………早く、元気になってね。武が居ないと退屈だから」

 

「うん」

 

思わず素直に返事をしてしまう武。サーシャは、そんな悪態もない素直な返事をする武に対して「変なの」と言いながら、少し唇を緩ませる。

 

「………行った、か」

 

視線だけでサーシャを見送った後。武は、もう限界だと、後ろ向きに倒れ込む。全身を走る痛み。だけどそんな中、鼻に特徴的な香りを感じた。枕元に多く飾られている花ではない。鼻孔の奥にまで入ってくる、どこか懐かしいものを感じさせる匂い。

 

武は潮の香りに導かれたまま、再び夢の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

覚醒して一週間後。武は簡単なリハビリを終えて、退院することとなった。2週間少しほど寝ていた割には早い退院だ。武は頑丈な身体に産んでくれた顔も知らない母に感謝をしつつ、病院を出た。

 

その後は、スリランカに新たに作られたという墓地へと足を向けた。正確には、影行に車で送られて、だが。そうして、影行が運転する車に乗った10分後。到着した墓地の入口では、クラッカー中隊の面々が集まっていた。撤退戦が終わって初めての全員集合となる。部隊の仲間は武を励まし、労い、からかった。

 

「で、どうよ調子は」

 

リーサがぽんぽんとタケルの頭を叩く。

 

「まずまずってとこ。でも退屈だったよ。身体も鈍るし………早く戦術機に乗りたいな」

 

「ああ、戦闘勘が鈍るか。前衛様が愚鈍になられると、俺らチキンの後衛も困るな」

 

だけど、とアルフはターラーの方を見る。ターラーは、ため息をつきながら説明を始めた。

 

「白銀の機体は、あれだ。召された」

 

「ど………どういうことですか?」

 

衛士にとって、自機は相棒に近い存在だ。近しい存在が知らない内に亡くなったとはどういうことだ。聞き捨てならない言葉に、武はターラーへと詰め寄った。

 

「簡単に言うと寿命だよ。疲労限界の果てまでたどり着いてしまった。関節部も骨格部も、修復不可能なレベルで壊れている」

 

むしろよくもったものだとターラーは感心していた。それほどまでに武の機体は損耗が激しく、整備でどうにかなるレベルじゃない所まで傷んでいた。跳躍後の着地の衝撃で、関節部に重大な損傷が起きていたかもしれないほどに。

 

「前任の時から8年。この激戦で、あの機体はよくやってくれたよ」

 

戦術機の多くは、寿命が来る前にその役割を終える。疲労で壊れる前に、BETAに壊される方が圧倒的に多いのだ。その点から言えば、武の機体は見事役割をはたしたとも言える。むしろ本望だとも。

 

それでも戦友を失ったようなものだ。落ち込むことはやめられず、また他の5人もそれを止めない。サーシャだけは、落ち込む武の頭をぽんぽんと叩いて慰めていたが。

 

それを見た4人の間で、アイコンタクト合戦が始まる。

 

(看病させたのが良かったね。流石は女たらしの策だ)

 

(ふっ、美少女の看病を嫌う男はいない。目覚めの光景として、コレほど癒されるものはないだろうよ)

 

(白銀が目覚める数日前に、影行氏が退いたのはそういうわけか。ふむ、男とはバカだな………ってラーマ隊長、何をしようと)

 

(い、いくら白銀でも娘はやらんぞ!)

 

ちょっと錯乱しているラーマに、ターラーから裏手でツッコミが入った。ここ最近親ばかに覚醒したラーマのみぞおちを、ターラーの軽くスナップさせた裏拳が強かに打ち付けられる。

 

「あー、もう大丈夫です。待たせてすみませ………隊長、なんで蹲っているんですか?」

 

「いつものこと。って軽い一撃に見えたのに」

 

横目に見ていたサーシャが戦慄している。

 

一連の出来事を見ていた影行は、眼を丸くしていた。流れるようなやり取り。その様子は、まるで家族のようだった。インドに日本、ソ連にイタリアにノルウェー。生まれた国がばらばらな6人だが、初見の人にはそう見えるぐらいに、互いに気を許している。

 

(ラーマ大尉とターラー中尉を両親に、リーサ少尉が長女、アルフレード少尉が長男、サーシャ少尉が次女、そして武が次男か)

 

これが戦場に出たものの絆か。影行は一人、彼らのくぐり抜けた場所がいかに危険な場所であったか実感する。実際はもっと酷いものだ。希望の見えない戦場の中、ただひたすらに耐える。その上で、共に生き抜いたのだ。死の河の岸で、冗談を交わしながらも励ましあい、戦ったのだろう。それを幾度となく繰り返した6人の心の距離は、防衛戦が始まる前より、格段に縮まっていた。

 

やがて6人は談笑を終えた後、ラーマ大尉を見る。

 

「じゃあ…………行くか」

 

戦友達が眠る所に。その言葉に従い、皆は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

急設された墓。その下には、何も埋められていない。ただあるのは、大きな石碑とそれに刻まれている戦死者の名前だけ。彼ら彼女らの遺体や遺骨は、遠い亜大陸の中に捨ててきた。そうしなければ、自分諸共に死んでいたが故に。だからこれは、衛士にとっては儀式のようなもの。記憶の中にしか存在しなくなった仲間を悼む儀式。

 

戦士たちは、墓碑を前に、戦友達を思い出していた。黙祷の中、思い出の中で笑っている戦友を思い出して。"俺たちが生きている限りは生きている"と、胸の奥で反芻するために。顔を知っている者から順番に。あとは、亡くなった衛士を。戦車兵を。整備員を。最後を知っているとは言い難い。そのような詳細は残っていない。事実、叫ぶ間もなくBETAに喰われた者。断末魔さえ告げられなかった者も多いのだ。そんな戦死者も含めて、衛士達はまとめて悼む。そうして、祈って誓うのだ。

 

――――勝利を、と。つまるところ、墓碑に捧げられるものはそれだけである。

 

「………」

 

黙祷を終えた武が顔を上げる。彼の視界に映ったのは、顔をあげていた3人。ラーマとターラーだけはまだ黙祷している。

 

(そうだ、よな。故郷だったんだよな)

 

最も新しい亡国は、二人にとっての故郷であった。知り合いも多く、亡くした人もまた多いだろう。それを察したほかの面々は、しばらく口を開かないまま、二人の黙祷を見守っていた。

 

そうして、黙祷を終えた後。

 

武は、影行とターラーから差し出されたものを見て、驚いていた。

 

 

「………訓練学校、ですか?」

 

 

「そうだ。お前にはここに行ってもらう」

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

「で、告げられた次の日には出航だもんなー」

 

「時間を無駄には使わない。軍隊とはそういうもの」

 

武は拗ねていた。時間は有限で、だからこそ最も有効な使い方を。軍人の基本概念を言われた武は、頷きながらも納得できないでいた。主張する。つまり、戦術機に乗りてーのだ自分は、と。鈍るのが嫌だという想いもあるが、それよりも乗りてーのだ。

 

子供の駄々のようなもの。自覚している武は、だからこそ二人の提案を受け入れ、反論をしなかったがそれでも乗りてーのだ。

 

「なんか………変な顔しているね。発情期の猫のような。辛抱たまらんって顔?」

 

「一体誰に教わったんだそんな言葉!?」

 

割りとものを知らない天然の気があるサーシャ。そんな彼女から思いもよらなかった傾向の発言が出てきて、武は焦る。

 

「もちろん、アルフから」

 

「よし隊長に密告(チク)ろう」

 

あるいはターラー教官に言った方が良いかなー、と武は考える。そうして、浮かんだ顔を思い出し、武は深い息をついた。

 

「基礎は大事、か………まあ鈍っている身体を鍛え直すにはちょうどいいけど」

 

体力は軍人として必須なもので、何をするにも消耗するもの。2週間も昏倒していた自分が言える言葉じゃないかと、武はまたため息をついた。

 

「でもお前が居る説明にはなっていないぞ。体力ならリーサに匹敵するだろ、お前」

 

「私は別の訓練を受けるから。武とは内容が違うよ」

 

「違うのか?」

 

武が受けるのは基礎訓練のやり直しだ。ターラー教官の元で受けられなかった内容を鍛えるとのこと。速成にもほどがある訓練だったので、訓練に漏れが出るのは仕方がないこと。だけど、このままでは駄目だとターラーが提案したのだ。体力と持続力を代表に、その他の部分の未熟さも残っている。だから、また激戦が始まる前に足元を踏み固めるべきだと。内容を思い出した武は、それだけで顔色悪く吐きそうになっているが。

 

「でも、サーシャは何の訓練を?」

 

「訓練というよりは学習かな。指揮と………あとは、別に必要になる技術の」

 

「それは何?」

 

「秘密。でも、ターラー中尉がやろうとしている事に関係のある内容、とだけ言っておく」

 

サーシャはそれきりと、口を閉ざす。対する武は、降参の両手をあげていた。こうなると、この少女は梃子でも動かない。顔に反して頑固な所があると、ここ数ヶ月の共同生活の中で学んだのだ。

 

(今は風景を楽しむかー)

 

到着すれば、きっと辛い訓練が待っている。だから武は、船から見える平和な光景を目に焼き付けることを選んだ。いつかこの風景が、戦う時に思い抱く重しとなるように。

 

少年は、戦うと選んだから。この風景に辿りつけなかった、戦友たちの分まで。忘れず、背負ってあがき続けるために。

 

 

「綺麗だな」

 

 

嘘のない風景。地球の上にある、なんでもなくて、それでも美しい光景を前にして、少年の顔は自然と引き締まっていく。

 

 

視線の先には、地平線の果てまで続く海と空があった。

 

 

武はそれを見て、教官の言葉を思い出していた。

 

 

―――無限の可能性。

 

 

訓練でも言われた言葉だが、それはこの空に相応しいものだと武は考えている。

 

親父はパイロットになりたかったと言っていたが、武はここに来て何となくその気持ちが分かるようになっていた。

 

世界は不自由だ。自分の心の一つだって、思うままにいかない。

 

ましてや誰かの命なんて。

 

そんな事を考えている武だったが、この澄み切った空の雄大さが理屈ではなく実感できるようになっていた。

 

(だって、空には際限がない。無限に広い、気持ちの悪い障害物だってない――――風も気持ちいいしな)

 

不可視の障壁。BETAの熱光線の檻に閉じ込められようとも、空はどこまでだってその色を失わないんだろう。

 

そんな事を思いながら、馬鹿みたいに空を眺める少年の横では、海鳥たちが舞うように飛んでいた。

 

 

海の上と空の中、互いに青の平原の隣で、風の吹くまま流れるままに漂い続けていた。

 

 


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