Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
深夜、横浜基地の食堂にある片隅。訓練があるものは食堂には居らず、無いものは寝静まっている時間のため、他に人影はない。そんな中で二人の例外は、無言のまま、合成うどんが入ったどんぶりを間に挟んで向かい合う形で座っていた。静まり返った食堂には、厨房で後始末をする音と、二人がうどんをすする音だけが鳴り響いていた。
「それで………何の用かしら」
まりもは戸惑いのまま問いかけた。夕呼から「うどんでも食べない」と呼びだされた結果が今であるが、まさかそのためだけに呼ばれたと思ってはいない。人払いも済んでいるため事情を察したまりもの単刀直入な質問に、夕呼もまた正直に答えた。
「第三者の意見が欲しくてね………まりも。アンタから見た白銀武の人物像ってどういったもの?」
まりもは夕呼の質問を聞いて少し考えたあと、答えた。
「衛士としては一級品ね。経歴は、正直信じられないけど」
「へえ………本人はどういう風に説明してた?」
まりもは本人から聞いた経歴を説明していく。聞くからにうそ臭い内容だ。それを一通り聞いた後、夕呼は「間違ってるわね」と呟いた。
「間違ってるって………多く見せているって事かしら」
やはり、という表情をするまりもに、夕呼は逆だと言った。ベトナム義勇軍にも居たことがあるし、明星作戦の後からはもっと危険な最前線で戦っていたことを説明する。まりもは一瞬だけ自失したが、そういう事ならと頷いた。
「信じられないけど………あれはあくまで訓練だったという事ね」
「どういう、意味かしら」
「本気だったとは思う。だけど、少し本調子じゃないように思えたから」
動きに少しだけぎこちなさが見えた、とまりもは言う。夕呼は渋い顔をして、問いかけた。
「それが本調子になったら………実戦の勘ってやつを取り戻したアンタでも敵わない?」
「対人戦ならもちろん、対BETA戦ならもっと差があると思うわ。あらゆる局面に対し的確に臨機応変に対応できる。それぐらいの経験は持っているでしょう」
「………人柄の方は?」
「分からない部分の方が多いわ。戦ったのも顔を合わせたのも一度だけ………間接的になら推測はできるけど」
紫藤少佐を介してだけど、と前置いてまりもは言った。長く共に戦ってきた者から見ても、信頼を任されるような人柄をしていると。
「………つまり、本性が試されるような場所に長く居ても、信頼を損なうような言動をしてこなかったと」
「そう。しっかりとした倫理観と意志を持っている、と思われるわ」
まりもはその他、年下というのもあるかもしれないけど、と推測を加えた。自分から見た紫藤樹は女性のような見た目に反して、軍人らしい軍人であるということ。一度だけ接したことがある斯衛の衛士とは異なり、武家としての意見を押し付けがましく語らない一方で、愛想が良いとも言えない。
その印象が、白銀武を交えて会話をした時に一変した。最低限の軍人らしさは持っているが、表情と口調がかなり柔らかくなった。
「ふ~ん………でも、上官としての威厳を見せるのなら、固い方が良いんじゃない?」
「そうね。でも、切り替えは出来ているようだったわ。彼の発言にしても………念を押すようなしゃべり方じゃなかった。きっと、白銀武という軍人がもう“定まっている”と見たのね」
これは紫藤少佐に聞いた話だけど、とまりもは言った。軍人になるには任官する前、した後、実戦に出てしばらくしてからの三度の機会で試されると。
訓練で変わっていく常識を受け入れられるか。軍人になった自分を受け入れられるか。そして実戦で感じた、自分の力不足か、あるいは理想と現実のギャップに折り合いをつけられるか。
「その三つをクリアした者が、迷いを捨てられるのかしら」
「いいえ。人間だもの、失敗も力不足も現実として存在するわ。その上で“定まる”というのは、その後よ。戦闘の最中に失敗をしても動揺せず、すぐに立て直せるか。戦闘が終わってから反省して、次に活かせるか。その二つは当たり前だけど、迷わない人間はその立ち直る速度がとにかく早いの。私も、該当する衛士を見たことがあるから」
失敗をしてすぐに立ち直るのは、自分に欠点がないと思っていないから。失敗もあるだろうと予め覚悟しておけば、動揺も少ない。大事なものは目的を達成することだと、多少の誤差は力づくで踏破する。
才能がある人間は、驕りを捨てること。大事なのは才能じゃないって気づくこと。才能が無い人は、自分に出来ること、出来ない事を心の底から認め、それらを把握してから。
「ふ~ん………ちなみに紫藤少佐は?」
「後者だって断言していたわ。それでも、相手すると怖いけど」
対人戦においては顕著だ。普通なら判断に一歩迷う所を、躊躇なくほぼノータイムで踏み込んでくる。コンマ数秒の差であっても、決して小さくはない。経験が多くあってこそだが、とにかく並じゃ止められない怖さがある。
「………その迷いない軍人から信頼を得ている、ね」
「そうみたいね………参考になったかしら」
「ええ。とてもね」
ありがとうまりも、と。夕呼は礼を告げた後、すっかり冷たくなったうどんの残りをすすり始めた。
翌日。約束の7日目、夕呼は地下にある自分の執務室の椅子に座っていた。集められる情報は全て集めたと、背もたれに体重を預けると、金属の部品が小さく軋む音がした。そのまま眼を閉じる。次に瞼を開いたのは、ノックの音がしてから。夕呼は手元にあるパソコンから部屋のドアロックを解除すると、入室の許可を出した。
その後は、いつぞやと同じような立ち位置だ。手を伸ばしても届かない距離。それを保ちながら、二人は無言を貫いた。
だが、動かなかったという訳ではない。夕呼はデスクの引き出しから、用意していた紙の束を取り出し、デスクの上に広げた。
「………夕呼先生?」
「理論は出来上がったわ。これで00ユニットを完成させる事が―――と思っていたのだけれどねえ」
「今はできない、と」
「分かっていた癖に、白々しいわよ」
夕呼は舌打ちをした。ヒントから結論に至るまでの道筋を見出した時は、雷に打たれたようだった。だが、最後に冷静にならざるをえなくなった。それを武は分かっているのか、いないのか。夕呼は判断がつかないため、説明を始めた。
理論の完成とは即ち、人間の脳を量子電導脳にする方法を確立できるという事だ。
因果律量子論とは存在が存在であるという原因と結果が、何らかの要因によって決定づけられているということ。
「えっと………よく分からないのですが」
「………アンタで例えてみましょうか。白銀武という人間を構成する物質は様々よ。でも元の元をたどっていけば原子になる。その原子が組み合わさり、白銀武という意識を構築している。白銀武という形になる。でも別の世界では犬かもしれない。ただのミジンコかもしれない」
「あるいは猫だったのかもしれない、ですね」
築地のように、とは声に出さずに。
「そうね。そういった世界があるかもしれない。でもその原因は何かしら? その要素の一つとして、意志や記憶といったものがある。人の持つ意志が、その存在を決める。そして最終的には観測によってその存在が決定される」
でも、観測しきれなかったら存在は曖昧なまま固定されると言って、夕呼は続けた。
「その曖昧なまま、固定されない脳を使って一つのコンピューターとする。古典的な0と1の組み合わせとは違う、1でもあり2でもあり3でもあり4でもある量子コンピューターを作ろうと思ったわ」
従来の0と1でしか演算できないコンピューターではない、1でもあり2でもあるという状態の重ねあわせを現実に可能とする高度な演算が出来るコンピューターを作ろうと。その状態を保つには、ODL―――G元素と反応炉を使って抽出できる液体を使う必要がある。観測されれば存在として確定してしまうため、ODLという特殊な液体を使って未観測の状態を保護し続ける。その性能を持続させるために。
「でも、肝心のサイズがね。どうしても手の平サイズに収める必要があったけど………ちなみに、どうして手の平サイズなのかは分かるかしら」
「はい………人の脳みそのサイズに、ですね」
00ユニットはどういうものか、武は知っている。人間を模したものだ。何故なら脳を動かすのは人間だからだ。意志の力こそが脳の運用を可能とする。だが人間は自分の形が人間であるからこそ、平時の状態を保つことができる。人間以外のものになると、自分が異常であると認識してしまうという。それを考えると、脳を肥大化させ、ボディを大きくすることもできない。
「どうしても、通常の人間の形を保つ必要があって………でもそれは難しかった」
「そうよ。この世界の一人の人間が持つ一つの脳。それを量子電導脳にしても、目標としている性能にはまるで届かない。あるいは別の脳を使うことも考えたけど、そうすればサイズは手の平サイズには収まらない。ここで行き詰まっていたのだけれど―――」
夕呼の視線に、武は頷いた。
「“所詮、人間の脳は一つだけ”………ですよね」
「そうよ。そして一つの脳では不足するならば―――別の世界の脳を使えばいい」
平行世界は存在する。その理論はある。証明が成されたのは、白銀武の存在そのものに他ならない。その世界には、この世界と酷似した人間が居る。存在だってある筈だ。例えば、同じ白銀武という人物になる前の存在未満も。
それを利用すればいい。曖昧な状態になれば、世界間の隔たりもなくなる。その中で無数の平行世界にあるであろう、00ユニットに使う“脳”と似た“脳”を利用すれば、一つのサイズで高性能な量子コンピューターを使うことが可能になる。
「だけど、その理論で量子電導脳を運用するためには………普通じゃない、特別な資質を持った脳を素体にする必要が出てくるわ」
この世界だけじゃない、平行世界においても良好であろう性能を発揮している脳でなければならない。より良き未来を見出すことができる、自分に都合の良い未来を選択できる人間の脳でなければならない。量子からアウトプットされる結果を良き方向に持っていくには、その脳が元々そのような素養を持っている必要がある。強い意志で未来を勝ち取ることができるような。
夕呼はそこまで説明すると、黙りこんだ武を見据えた。
睨みつけるようにして、告げる。
「あっちの世界とやらには、その脳が存在した。これは確定よ。その上で聞かせてもらうわ―――その脳を持つ人物とは、誰かしら」
「………どうして、俺が知っていると?」
「さあ? でも、知らないならそれらしい素体候補を選出するしかないわね。A-01は、元々そのために集めた人員だから」
厳しい戦況に放り出し、その上で生き残った者を。より良き未来を勝ち取った結果から、素体に相応しい能力を持っている者を選出する。そのための部隊である。
夕呼の言葉に、武は反論した。
「そのために殺す、と? でも、本末転倒でしょう。覚醒した後、どうしたって自分の現状を知ることになる。BETAに殺された者なら、怒りはBETAに向くでしょう。でも人間に殺されたら、量子電導脳の刃は人類を貫く」
「そう、ね。でも、手はあるわ。BETAに殺されたように偽装すればいい」
「でも、軍人なら感づかれる可能性があります。能力を見定めるために、実戦を経験させたのなら余計に。そして、失敗すればそこで終わりだ」
「そうね。でも、任官前の人間ならどうかしら―――鑑純夏とか」
夕呼の言葉に対して武が見せた反応は劇的だった。そして、夕呼の想定外だった。硬直していた全身が弛緩し、握っていた手の平が開かれたのだ。夕呼は少し戸惑い、言葉に詰まり。武は、一つ息を吸って吐いた後に告げた。
「どうして、そのような結論に?」
「………推測を重ねた結果よ。仙台でアンタはついでのように言った。賭けに勝ったら、鑑一家の安全を保持して欲しいってね。でも、どうしてアタシに? 斑鳩崇継か、アルシンハ・シェーカルに頼っても良かったはず。むしろそうした方が安全は保たれたでしょう。それが分からないとは思えないわ」
ならどうして、と夕呼はその理由を考え、今になって察知した。白銀武はこうしてこの場、この問答が起きる可能性を予測していた。その上で、香月夕呼が鑑純夏に手を出せない条件を取り付けたのだと。秘密は漏れるものという前提で、鑑純夏こそが00ユニットの素体に相応しいと知られた時でも、安全を確保できるため、わざわざ賭けという方法を取ったのだと。
「それが、正しいとしたら、先生はどうします?」
「………場所を変えましょう。ついてきなさい」
夕呼は答えず、椅子から立ち上がった。戸惑う武を連れて、部屋を移動する。人の気配がない廊下を少し歩いて、ある部屋へと辿り着いた。
「ここは?」
「いいから………入りなさい」
武は促されるまま入る。中は薄暗く、部屋の中心から発せられる青い光のお陰で足元がようやく確認できるぐらいだ。武はその光源の近くに霞を見つけて少し驚いたが、直後に夕呼と並ぶ形で見たものの衝撃に、その驚きは焼却された。
「―――これは」
武はどうしてか、直接言葉にすることができなかった。だがそれが何なのかは分かっている。答えは、夕呼が発した。
「人間の脳よ。BETAに実験を受けたのでしょう、その最後の形がこれよ」
知っていたでしょうけど、と夕呼は言うが、武はただ拳を握りしめていた。知識では知っている。記憶でも、別の世界のものではあるが思い出せる。だが今この場所で抱いたものとは、まるで異なっていることを武は自覚した。
湧き上がってくるのは怒りと悲しみだった。怒りは言うまでもなく。悲しみは、実験をされた人間に対すること。そこに、純夏が解剖されていく映像が僅かにフラッシュバックした。更なる怒りと悲しみが胸の中で膨らんでいくが、武は止めようとも思わなかった。
夕呼から「予め社に言っておいて正解だったわね」という呟きを聞いたが、武はそれがどういった意味なのかを考えるよりも先に、自分の胸の中で溢れる感情に振り回されていた。絞りだすように小さく、尋ねた。
「先生、この人は」
「身元は分からないわ。精神がほぼ崩壊してるから深く探ろうにも、ね。でも他の被害者と違って、ほんの少しだけど意識が残ってる」
誤差の範囲かもしれないけれど、と告げる夕呼の口調に怒りの色はない。研究者として徹しているからであり、武もそれは分かっていた。悲劇的な状況にあっても、責任ある者は正しく動かなければならないからだ。武も夕呼の態度を見て、小さく深呼吸をした。
「それで………彼か、彼女か。俺をこの人の元へ案内した理由は、なんですか」
「再認識が必要だと思ったからに決まってるわ。これが―――この世界の現実よ」
正常なんてどこにもない、裏を返せば吐き気しか催さない、救い無き化物相手の殺し合い。負ければ、死なせても貰えない。
「世界中の人間が協力すれば、BETAに勝てるかもしれない。だけど、不可能よ。それが現実のものになるなら、日本は当然、欧州も崩壊しなかった」
強い目的の元に全人類が協力しあって、その軍事力を集結させればハイヴは落とすことができるかもしれない。その目算はある。だが、今この時において人口は10数億にまで減っている。
夢物語を語る時間は終わった。あとは、現実を思い知らされた人間が現状を直視した上で、最善の手を模索する他に方法はない。それが例え人の倫理に反するものであっても。
「ある意味では人道的とも言えるわ。所詮、戦争は数字よ。1人が死ぬか、1億人が死ぬかの選択肢を間違える奴は………算数もできない無能な軍人は、背後から銃殺されるべきだと思わない?」
「………思うかもしれません。部下を無駄に殺す奴は人殺しで、戦場での仲間殺しはすぐに殺されてもおかしくはない」
見てきたことがあった。規律があるとはいえ生存競争だ。間違いなく不要だと言われた奴は、相応の末路を辿っていく。合理的な思考に基づいて排除される。
勝たなければ人類に未来はない。それを守る者こそが軍人であり、人類の切っ先である衛士だ。武は“鋭士”ともじった人を思い出した。最先鋒である我々は、壁のように立ちふさがるBETAの群れを鋭く切り開く士であるべきだと。
一方で、剣は剣であり剣以外になってはならないとも言っていた。剣を使うのはあくまで担い手、つまりは上官であり、剣が勝手に動き出しては剣術もくそも無くなり、諸共に折られて果ててしまうために。
(………予想外だった。まさか、気づかれるなんて思ってなかった)
武は内心で呟き、考えた。経緯はどうでも良い。確証を持たれている奇妙さは感じていて、霞から伝わったのかと少し考えたが、元はと言えば自分のミスだと割りきった。
(俺も迂闊だったしな。思ったより、興奮してたのかも)
サーシャが元に戻っていくその過程で、予想外の事が重なりすぎた。その緩みが出たとも言える。
その上で、武は目的だけを見据えた。純夏を犠牲にしなくても良い方法は、ある。だがそれは不確定だ。問題は、純夏を犠牲にすれば00ユニットが完成するかもしれない、ということ。必要なのは、その問いかけを覆せる理由だ。
情報量では優っている。伝えていない情報もある。それを組み合わせて嘘をつけば、何とでもなるかもしれない。武はふとそんな事を考えたが、その後に起きるであろう事態を思い、自分で案を却下した。相手は本業でないにも関わらず、帝国と国連、米国を手玉に取る百戦錬磨の強敵だ。資質がなく経験もない自分が敵うとも思えない。自分程度を誤魔化せる手法はいくらでもあるだろう。
香月夕呼とはそういう人物だ。やると言ったらやる。王手をかけてくる。むしろ宣告せずにぶん取っていく。反則だと言われようが、常識が無いと罵られようが関係がない。最善であると確信したら、迷いなくその手段を行使してくる。
アドバンテージが無ければ、徹底的にやり込められたであろう。そんな強敵こと香月夕呼を出し抜いて、純夏を殺さず、目的の道に進んでもらうにはどうすれば良いか。
武は2秒だけ考え、諦めた。嘘をつくことを諦めた。
まずは一歩前に。そうして立ち位置を変えた武は夕呼に向き直り、正面からその眼を見ながら告げた。
「あちらの世界で、純夏は00ユニットになりました。それは真実です。でも、ダメです。その方法を繰り返してはいけないんです」
「へえ………それは、アンタの幼なじみだから?」
嘲笑すら含まれた問いかけ。武は違いますと、普通の声色で答えた。
「問題は、00ユニットにこそあるんです。あちらの世界でその問題が露見した時、気づいたんです。全人類が窮地に立たされた事を」
武の言葉に、夕呼の顔色が変わった。どういう理由か、と視線で問いかける夕呼に、武は事実だけを伝えた。
「正しくは、“反応炉と00ユニットが繋がるような状態になると拙い”です。理由は簡単です。反応炉はBETAだからです。あちらの世界では
顔色を蒼白にした夕呼が、呻くように答えた。
「情報流出………フカシじゃないでしょうね」
「フカシなら、桜花作戦は決行されませんでした」
武はODL関連の事を説明し、その結果からあちらの世界で行われた大決戦の経緯と内容を説明した。地球規模の作戦なのに、成功率が低く、不確定要素がいくらでもあった。エヴェンスクに居たГ標的がその力を振るっていたら失敗していたという事がその証拠だ。
「すぐにでも、データとして渡せます。元より提供する予定でしたし」
「………そう」
「もう一つ。あちらの夕呼先生が言ってた事ですけど」
00ユニットを完成させるには、脳髄のまま生かすことができるBETAの技術が無ければ不可能だった。武はその言葉を思い出して説明を加え、告げた。
「人類にそんな技術はない。脳髄だけ摘出しても、すぐに死にます。もしかしたら僅かに成功する可能性があるのかもしれないけど、ほぼ失敗すると思われます。成功しても、情報流出のリスクは無視できない」
つまりは、何の意味もない方法だ。武はあくまで冷静に、告げた。
「意味もなく人を死なせる。それは人殺しだ。1と億じゃない、1と0の比較になる―――単純な算数の問題ですよ、夕呼先生」
先生という部分を強調した言葉。それを聞いた夕呼が黙りこむ。武も、言うべきことは言ったと口を閉ざした。
ごうんごうんと、部屋の中央にある青色の光を発する装置が駆動する音だけが場を支配する。霞も緊張のまま、二人を見守る。視線から発せられる感情の色を視認することが出来るならば、二人の間に火花が散っているのを幻視できたであろう。
そうしている内に1分が過ぎ、2分になった所で、武の口から「あっ」という間の抜けた声がこぼれた。
「えっと………もしかして………試されましたか、俺」
武は気づくのが遅すぎたか、と恐る恐る尋ねた。夕呼は、時間内ぎりぎりねとニヒルな笑みで答えた。
武はそれを見て、頭を抱えた。純夏が素体に相応しいと判断したのなら、問答をする前に白銀武をどうにかしてしまえばいい。表面上は誤魔化し、裏で実験を進めることは出来たはずだ。
「というより、具体性が無さすぎますよね」
「そうね。後は、アンタの情報を引き出すためでもあったけど………探り合いをするのはもう止めよ。アンタの持ってる情報、尋常じゃなさすぎるわ」
もし無視したままだったら、取り返しのつかない事態になっていた。アドバンテージを取るためだったけど、それで互いにすれ違った結果から世界が滅亡したなど、滑稽を通り越して反吐しか出ない。夕呼はそう告げると、心の底から溜息をついた。
「部屋に戻るわよ。社もついてきなさい」
「え、ちょっと………先生? 結局、協力関係はどうなるんですか」
「察しなさいよ。アンタの情報、G弾どころの騒ぎじゃないわ。他にやれる訳ないでしょうが。ほら、さっさと行きなさい。アタシもすぐに向かうから」
夕呼は武を蹴って、執務室に戻っておくように告げる。そうして武が部屋を出た後、また溜息をついた。
「冗談じゃないわ………あいつ、本当に自分の立場が分かってるのかしら」
頭を抱えながら、試した結果を再考する。
一歩間違えれば殺されかねない方法で試したのは、その背景を思っての事だ。夕呼から見た武の協力者というのは、可能であれば敵に回したくない曲者ぞろいだ。
斑鳩崇継は斯衛というだけではない。帝国軍にもパイプを持っているだろう。その上で、第16大隊の雷名は強すぎる。斯衛の持つ権限は条約により縮小されているが、反故にしたとしてそれを責めるのはアメリカのみ。これからの展開次第では、条約の効力が失われる可能性もある。それでなくても、武家という存在は無視できないのだ。目に見えない権勢は厄介であり、日本人は権威に弱いという所もある。やりようなどいくらでもあるのだ。それが分からない相手とは思えない。
アルシンハ・シェーカルも同様だ。若くして元帥という地位まで駆け昇れたのは、白銀武の情報の恩恵だけではない、本人の資質も必要不可欠となる。純粋な国力や技術力はまだ米国には及ばないが、成長できる要素をいくつも持っている。東南アジア方面へのBETA侵攻が緩まり続けているということから、資源や人材の使い方次第で、今後化ける可能性が高い。
油断できない二人。人情家だけでは決してないだろう。その二人が横浜に行く事を了承したという事は調べがついてある。それは、虎の子とも言える切り札を送っても問題がないと判断したとも言い表せる。
どういった理由からか。本人の資質か。何らかの思惑あってか。そこから探りを入れたが、反応は夕呼をして想定外のものだった。
夕呼は、武をあまり信じていなかった。有益な情報は持っているだろう。平和を求めているという姿勢に疑いはない。その上で、自分を利用しつくしてやろうと考えているのだと予想していた。大陸で実戦を長く経験し、日本に戻ってきてからも戦場に出続けた。それも曲者の下で長い間動いていたのだ。青臭い理由に縋る要因など、どこにもない。
(だけど―――まさか、あの時の言葉が全て真実だったなんてね)
協力したいという言葉。姿勢こそが、本音だった。あり得ないにもほどがある。あんな存在が居ることさえ信じられない。
半ば呆然としていた夕呼だったが、参考までにサーシャ・クズネツォワが告げた言葉がふと脳裏に反芻された。
―――人好きのするバカ。
―――女たらし。
―――鈍感。
―――総合すると宇宙人。
―――でもBETAとは違って、一緒に居ると楽しい気持ちになる宇宙人だ。
取りまとめて、感心したように呟いた。
「的確にもほどがあるわ………流石に、長い付き合いなのね」
女たらしと鈍感を発揮した所は見ていないが、想像がついた。ああまで誤魔化さず、本音で喋り続けることができるなら。その上で真っ当な倫理観を保ったまま、少し話しただけでも分かるぐらい、人が好きなら。
地獄のような戦場で、そんな姿を見たのなら。
それを本人が当たり前だと思っているのなら。
「見ていて楽しい奴でもあるわね」
息の詰まる地下だからこそ、風のようにバカを吹きまく人間ならば、居てもいいかもしれない。夕呼はそう思うようになっていた。
「どちらにせよ………協力しなければ始まらない、か」
未来からの情報。異世界の実体験。反則であっても、有用な札であるならば利用しない手はない。それが、信用できる人物の協力があってこそならば。
そう思った夕呼は部屋に戻り、話を続けた。
そうして、持っている情報を全てよこすように告げる。武は分かりましたと告げ、電子媒体を隠している場所を答え、すぐに取りに行きますと答えた。
「そうね。でも、概要は分かってるんでしょう? ………知りたいのは一つよ。あの理論をどうやって活用するのか」
理論を完成させましたが00ユニットが作れません、じゃ話にもならない。貴重な時間を無駄遣いさせたのならば、考える所もある。主張する夕呼に、武は尤もだと頷き、答えた。
「理由は………これからです」
「………どういう意味かしら」
「その手段はあっちの先生も思いつきました。でも、それを可能にする方法は未完成です。だから、先生のこれからの頑張り次第になります」
喜ぶべきか悲しむべきか、武は複雑な表情をしながら告げた。
怪訝な表情をした夕呼は、正気を疑うような眼で武を見た。
「人格が無い脳よ? そこにどうやって意志を………いえ」
夕呼はそこで横を見た。きょとんとしている、社霞の顔を。
「まさか、リーディングとプロジェクションを? 不可能だわ。いくら社でも、一人の力でそんな事が―――いえ、たとえ複数でも結論は変わらない」
「はい。あっちの夕呼先生も同じことを言っていました。でも、00ユニットそのものを作る必要は無いんですよ」
武はハイヴのデータその他、自分が持ってきた情報の概要を説明した。その上でキーワードとなるのは、ハイヴの見取り図と、XG-70という存在だ。
「演算能力が不足すると、ラザフォード場は制御できません。でも、00ユニットほどの演算能力が必須かと言えば、そうでもないんです」
武は情報の中に、量子電導脳を駆使して導き出した、XG―70の改良案があることを伝えた。そして、制御に必要な演算能力についても。
必要な性能は、一人の脳を量子電導脳化するだけでは不足するが、何とかすれば届くかもしれないというものだった。
「………成程ね。いくつか、足りない点はあるけど」
夕呼が指摘するのは、オルタネイティヴ4の成功について。ハイヴを落とせたとしても、第四計画独自の収穫が無ければ、第五が発動しかねない。聞かされた期限を考えると、全てを成功にもっていけない可能性の方が高い。夕呼の指摘に、武は頷いた。
「ごもっともです。でも、いくつか素案があります。あっちの夕呼先生には呆れられました。あんたも悪辣ね、とか」
「発想を、逆転………まさか」
「気付いたみたいですね。これはある意味反則でしょ、って呆れられましたが」
武は困った顔に。気づいた夕呼は、無理もないわと答えた。
「細かい所は置いておくけど、こうでしょ? ―――“別に成功しなくても良い”と」
「正解です。問題は時間ですから。間に合わなかったら………誤魔化せばいいんです。夏休みの宿題のように」
「急にスケールが小さくなったわね」
呆れたように応えるも、夕呼はいけるかもしれないと考えていた。反則を前提にすれば、方法とタイミング次第ではどうにかなるかもしれないと。
「けど、アンタが持ってきた情報の質と量と種類次第ね………忙しくなるわ」
「任せます。何とかして下さい。こっちは指示を頂ければ、動けます。先に用事は済ませておけましたので。大東亜連合に渡したステルスの機密とか」
「ステルス!? って………成程ね」
夕呼は霞を見て再度頷いた。甘いわね、と武に告げる。
武は小さく笑うと、霞の頭に手を乗せた。
「頑張り屋さんは報われるべきです。リーディングも………訓練したんですね。ある程度は制御できるみたいですし」
「………分かるん、ですか」
霞の驚きに、武は苦笑した。以前のような、誰かに触れられることを怯えている様子はない。それは接触した弾みにリーディングを発動しなくても済んだということだ。リーディングを制御する装置の補助はあるだろうが、今の霞は道具に頼りきりになっているような仕草でもなかった。
まるで、あちらの世界の霞と同じように。目を背けたい能力を正面から見据え、多少なりとも受け入れた上で、自分の力なら自分の思い通りにならないのはおかしいと、訓練を続けた下地があってのことだ。
武の言葉に、霞は小さく笑って頷いた。
「自分に、できることを………考えました」
「考えて、すぐに出来ることがリーディングの制御だったか。他にも色々とあるようだけど」
絵本の話などを聞くと、努力を重ねているようだ。武は偉いぞ、と霞の頭を撫でて、ふと気づいたように夕呼を見た。
「そういえば、先生は霞のこと褒めてあげてるんですか?」
「………してないけど、ってなによその顔は」
「いやー、何でもないですよ。でもなあ………もしかして照れてるんですか?」
答えを見つけたというドヤ顔で指摘する武に、夕呼は顔をひきつらせた。
「忙しかったのよ………それに、ロリコンに言われたくないわね。なに、父が父なら子も子ってやつよねえ」
「ロリコンって。でも、くそっ………俺はともかく親父は否定できねえ………っ!」
「へえ、そう。いい音声が取れたわ。ご両親へのいいおみやげになりそうね?」
「なっ?! まさか、今までの会話は全て録音されて………!」
「想像の通りよ。上下関係が分かったかしら、分かったら、三回回ってワンっていいなさい………って教育に悪いからやっぱりいいわ」
「………はい」
武が項垂れ、夕呼が皮肉屋の笑みを見せる。
「なんてバカやってないで………時間がないんだから、早速動くわよ」
「ですね。こっちの下準備は済ませてます。その報告は後で。次はOSの開発に………冗談抜きで忙しくなりますね」
「望んで得た苦労なら、黙ってこなしなさい。どこかの政府野党のように、榊首相の足を引っ張るだけの無駄飯ぐらいにはなりたくないでしょ?」
「それもそうですね。先生は先生で大変でしょうけど。なんていうか、算数ってレベルじゃないですよね」
「そうね。でも、出来ないって初めから決めつけてたら算数どころか数字覚えるのだって無理なのよ」
「ごもっともで。じゃあ、そうですね―――仕事をしましょうか」
「―――ええ」
夕呼は頷き、武は部屋を去っていく。
その背中を見送った後、夕呼は呟いた。
数字を覚え、算数を学び、数学を経て至った現在の地位と立場と役割。
世界の危機なのは明白だ。その確信がより一層深まった。そんな現状に、軍人だけじゃできない、算数だけでは済まない問題がある。
それを可能にするのは誰なのか。
常に抱いている自問に、当てはまる解は一つだけだ。
「あたし以外に出来る奴なんて居ないわ―――なんせ、アタシは天才なんだから」
いつかと変わらない答えを言葉にして声にする。だが、夕呼は気づかなかった。
出てきた声がいつもとは異なり。
余計な重さも気負いも無いような、正しく明るい色になっていたということに。
【 注記 】
因果律量子論関係は推測に推測を重ねたものなのです。
原作で詳しい説明は無かったようですし。
部分的に後で修正する可能性ありです。