Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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間話 : 影と光と

一通りの話が終わった後、俺は武と二人きりで話をすることになった。武が望んだからだ。俺も望んでいた。

 

落ち着いて話をするべきだろう。そう考えハインさんが入れてくれたハーブティーを飲むも、手の震えが収まらない。

 

罪の形がどんなものなのかは分からないが、しきりに胸を刺してくるからには、きっと鋭く尖っているのだろう。だが、もう隠すことはできない。いや、隠していたことが間違いだったんだ。

 

こちらからも、聞きたいことが色々とあった。最たるものは純夏ちゃん関連の。武が決死の覚悟で戦っていることに関しては、本人の口から直接聞いたから知っている。本気だからこそ、俺も止められなかった。亜大陸からこっち、戦線の後退に寄り添う形で武のことを見てきた。顔色を見れば、どれだけ辛い思いをしていたのか分かる。戦術機の損傷や疲労度を見れば、どれだけ厳しい戦いをしてきたのか、全てではないが理解できる。サポートするために、俺も出来る限りの事はやってきたつもりだ。

 

そう思っていたが、思い上がりだったようだ。武が抱えているものの大きさは、俺の想像の遥か上を行っていた。フォローできていたのは、あくまで一部だったのだ。どうして父親である俺にさえ話してくれなかったのか。シンガポールでの、謝りたい事もある。話題は尽きなかった。

 

色々と考えながら、何秒が経過しただろうか。あるいは、分か。重苦しい空気に、小さな呟きが響いた。

 

「………思えば、さ。うっすらと記憶には残ってたんだよな」

 

懐かしむような口調。俺は緊張しながら何の記憶であるのか、問いを返した。心臓はとっくに破裂寸前だ。それを分かっているのかいないのか、武はいつもの様子で告げた。

 

「台所から変な臭いがしてたんだよな。純夏の家じゃなかった。俺らの家だ。で、オヤジと夏彦さんが慌てて、純奈母さんは………あれは、純夏だろうな。泣いてる赤ん坊をあやしてた」

 

それを引き起こしたのが誰なのかは、すぐに分かった。俺にとっては懐かしくも、日常の光景だった。黙ったまま、次の言葉を待つ。

 

「こっちの世界に帰ってきてからすぐ、横浜の家に戻った。そん時に思い出したんだよ………すげえボロボロになってたけど、覚えてるもんだよ。で、さ。なんとなくだけど、あっちこっち見てると記憶に掠るんだよな」

 

玄関の、居間の、台所の、2階に続く階段の、と武は言う。思い出のほとんどは、俺か、純夏ちゃんとのものだろう。指摘するが、武は黙って首を横に振った。脈拍数が上がっていくのが自分でも分かる。武は、小さく笑っていた。

 

「もっと、赤ん坊の頃だ。本当にうっすらとだけど………忘れてないものもあるんだって、それが嬉しかった」

 

そう、喜ばしいという感情しか見えない顔で。それは俺にとって予想外だったのか、それとも。判断しない内に、決定的な言葉は来た。

 

「―――母さんと会った。京都で。戻ってきてからも。泣かせちまった」

 

「そう、か」

 

俺はまともな声を出せているのか。本当に言葉は日本語になっているのか。視界が揺れて分からないが、話は続いた。

 

「最初は分からなかったんだけどな。めっちゃやらかしたし」

 

「………何をやった?」

 

「振り向きざまに、こう………“え、ちっちゃ”って言っちまって」

 

 

絶句した。()()()()()()()。あいつもそうだっただろう。聞くと、予想の通りだった。

 

「うん、すっげえ驚いてた。怒るんじゃなくて、戸惑いのあまり絶句してた。まるで“死人が空で踊ってるのを見た!”的な」

 

「ああ、うん。どうしてだろうか、妙な説得力があるな」

 

わざとか、わざとじゃないのか。それでも冗談で場が和んだのは確かだった。俺なりにも、少し落ち着くことはできた。

 

しかし、頭が痛い。迂闊な発言そのものじゃなくて、俺と全く同じ言葉を吐いた武と、血に関してだ。そこまで似なくてもいいだろうに。

 

武が驚いた理由を聞きたがっていたので、話すことにした。元より聞かれれば答えると、そう決めていたからだ。

 

俺が最初にあいつと―――光と出会ったのは武と同じように、瑞鶴の前で。篁主査に開発現場に招き入れられた当日だった。

 

そこに至るまでも長い道のりだった。子供の頃の夢は、パイロットだった。両親が事故死した後、預けられた施設の中で、塀の外の空に見たからだ。

 

尻に雲を敷いて、空を引き裂くように飛び回る巨大な物体。自由だと思った。

 

だがその夢は鉛をも溶かす熱光線に焼かれて落ちた。ならその糞ったれなレーザーを撃つ化物を殺しつくせたのなら、夢はまた復活すると。そんな単純な理由から戦術機開発の道を選んだ。

 

曙計画への参加を許され、少し調子に乗っていた頃もあった。俺は若いのに選ばれてすげえ、とか。だがそんな泡のような自負はすぐに消えた。篁主査とブリッジス女史、いや、ミラさんか。彼女とハイネマンという、世界を動かす風を送ることができる、所謂ひとつの“本物”の前に散らされた。

 

それでも諦めきれないと、アメリカでは学ぶ事と自分なりにできることに徹した。それがハイネマンとの差を思い知らされる原因になったが、後悔はしなかった。悔しさを抱いたのは、才能が無い俺自身に対してだった。あとは、篁主査とミラさんの別れの形について。時々考えることがある。俺も、もう少し上手くフォローできたんじゃないかと。

 

挫折と成長と。経ても戦術機開発の夢を諦めきれなかったのは、切っ掛けはどうであれ、アメリカに渡って色々な戦術機を見たからだろう。俺は戦術機の本場で、あの雄大な巨人をこの手でつくり上げるという夢にとことん魅せられた。

 

パイロットになりたいという夢を見た時に似た興奮があった。アメリカがレーザー級の脅威に晒されていなかったというのも幸運だったのだろう。空をかける人型のシルエットに、ひたすら憧れた。

 

光菱重工に入ってからも努力を重ねた。だがあの頃は国産戦術機開発史における過渡期だった。馬鹿みたいに予算を食う戦術機開発を国内で推し進める意味と理由はあるのか。賛成の声と反対の声の大きさに差がなかった時代だ。

 

会社内で燻っている所に、篁主査から瑞鶴の開発計画に参加しないかと誘われた。俺は、一も二もなく頷いた。国産戦術機開発の最前線である、どうして断れる筈があろうか。そこで多くのものを学び、技術を盗み、功績を上げれば開発反対の声も押しつぶせるだろうと、そう思っていた。

 

現場で、仮の形だが組み上がっていた瑞鶴を見てからは確信した。ここで頑張れば何かを起こせると。

 

そしてハンガーに招かれ、機体を見ている時にあいつと出会った。巌谷さんに連れられた、斯衛所属の開発衛士。その体躯を見て、思わず言ってしまったのだ。「うわ、小せえ」と。

 

今となっては笑い話だが、当時は少しも笑えなかった。なにせ人の発する本気の殺意というものを目の当たりにして、他ならぬ自分がそれに晒されたのだから。

 

だが、武も同じ轍を踏んだとなれば懐かしい気分にもなる。だが続きが気になると、その後に何が起きたのかを聞いた。

 

武は遠い目で「嘘が下手なのは血筋なんだって思った」と答えた。

 

義勇軍と斯衛の混成部隊として動く中にあった事を聞き、俺も同意を示した。動揺や内心を隠せているようで隠せていないからだ。事情を知っている者からすれば―――例えば巌谷さんあたりが見たら、大声で笑っていたに違いない。

 

無理もないと思う。あいつは光は風守家の養子になってから、衛士として認められるために余計なものを一切削ぎ落とそうとしていた。言い訳や嘘など、自分の立場にあっては許されないと思い込んでいた。事実、そうだったのかもしれないが。

 

経緯はどうであれ、才能があり努力を重ねれば相応の結果は出る。風守光という名前は、当時の斯衛軍衛士の中でも有数の実力者であると認められていた。

 

だからこそだろう。当然とも言える。初対面で“小さい”などと嫌な顔で無礼を告げる男を、許せるはずがない。

 

武がそのあたりを聞きたそうにしていたので、最も聞かれたくない、恥ずかしい部分を除いて語った。あまり乗り気ではなかったが、武にとっては母であるあいつとの思い出を語るというのは今までにしてやれなかったことだ。今更、躊躇うまでもない。

 

まずは、その時に光がどれだけ頭に来ていたのかを説明した。具体例として、一度本人に聞いたことがある。答えは、「あの時帯刀していなくて本当に良かった」と、真面目な顔で答えられた。冗談の色が一切含まれてなかった。

 

そんな生死の分かれ目を乗り越えた後は、只管に口論を重ねた。俺としての言い分は―――自分の人生における三大恥部の一つなので詳しくは思い出したくないが―――小さい身体だと体力が不安だから相応しくないとか、一般的な女性衛士の身長に満たないのに大丈夫なのかとか、もっともらしい理由を述べていたように思う。

 

光は光で、大した功績もないのに上から目線でものを言うなとか、途中参加の新参ごときが最初から呼ばれるほど認められていないくせにとか、軽薄かつ浅薄で体力もなさそうな薄っぺらい男がどの口で言うのか、とか。

 

売り言葉に買い言葉、とは言い訳で。互いに未熟な部分をむき出しにして、感情のままに言い合っていた。篁主査のとりなしがなければ、周囲から冷たい視線を浴びせられるか、最悪は開発を降ろされていたに違いない。その後の巌谷さんの拳骨が強烈過ぎて同情された、というのもあるかもしれないが。

 

頭が冷えた翌日、それでも謝罪は形だけになった。互いにバカをやったことだけは分かっていたが、こっちは絶対に悪く無いって気持ちがあったからだ。それでもこれ以上の失態を重ねるのが拙いって事だけは理解していた。チーム内で信頼関係を築くことができなければそれで終わりだ。お払い箱にされるのだけは避けたかった。表向きは良好な関係を、と提案した。本格的に開発が始まってからはそんな悠長なことを言っている余裕は綺麗さっぱり無くなったが。

 

技術大国の威信がハリボテではないと示すために、参加していた者のほとんどが死ぬ気で挑んでいた。そうで無い奴は自然に淘汰されていった。肩を三度叩かれたら終わりが、暗黙のルールになった。喜んで去っていく奴も居た。実際、狂ったスケジュールだった。その上で気が触れたかのように、細かい部分までチェックして練り上げていこうとするのだからもうたまらない。

 

それでも人員が一定数以上減らなかったのは、みんなが開発している機体を好きだったからだ。全長にして18m、ちょっとしたビルほどの高さがある重量物を自在に動かそうというのだから、困難なのは分かっている。それでも手間のかかる子供ほど可愛いというのだろう。開発に携わっている皆はこの大きな子供を立派に育て上げて、胸を張って送り出してやりたかった。

 

俺もその一人だった。だが、機体を優れたものにするためには、乗り手である衛士との意見交換が不可欠だ。幸いだったのは、未熟であっても超えてはいけないラインを互いに持ち合わせていたこと。あっちは敬語が下手な俺の口調を、こっちは斯衛特有のばかに堅苦しい男のような口調を嫌っていたが、開発のための意見交換はむしろ積極的に行っていた。それこそ普通ならば言葉にするも躊躇うかもしれない所まで。

 

場と会話の主導権を握っていたのは俺だ。アメリカでハイネマンに思い知らされてから猛勉強した甲斐があったのだろう。技術者として、戦術機の知識で負ける訳にもいかなかった。光はそれを苦々しく思っていたのかもしれない。あるいは、負けている自分が許せなかったのかもしれない。後塵を拝することなど許されないという強迫観念があったように思う。

 

互いに刺激し合い、いつしか現場でも確かな信頼を得られるようになった。その時に開発班の一人に言われて今でも記憶に残っている言葉は、「お前ら揃いも揃ってバカだけどただの阿呆じゃないな。その部分は敵わない」だ。言わんとする事は理解できたが、もうちょっと別の表現があっても良かったように思う。

 

阿呆な部分はどちらにもあった。それを理解したのは、季節外れの寒冷前線が本州にやって来た明後日だ。疲労が重なったこともあり、体調を崩した光はその日の意見交換会において明らかに様子がおかしかった。今までにない勢いで、俺の意見を頭から否定していたのだ。それまでは上手くやれていた自負があった俺は戸惑い、方針は一向に定まらず。

 

そして、ぽろりと出た言葉があった。

 

―――重ねた努力を頭から否定して、何を言おうとも無視するのか。

 

反応は劇的だった。理解するまで数秒を要したのだろう。その後に光の心を犯した感情の名前は、“羞恥”であったように思う。真っ赤になった顔を右手で隠すように押さえ、全身を震わせていた。その間に何を思い出していたのか。

 

直接は問いただすことはしなかったが、今になって分かる。光はあの時、自分が心底嫌悪していた、家格だけを重んじるバカと同じことをしようとしていた事に気づいたのだ。あとは、それまでの言動に重なる部分でも見つけたのか、ついには静かに涙を流し始めた。ごめんなさい、と消え入るような言葉。俺は何が起きたか分からず、右往左往に頭を上下させ、そうしている内に光は倒れた。慌て、抱きかかえた時に気づいた。

 

風守光の身体が、満足に筋肉トレーニングもできない自分でも容易に抱きかかえられるぐらい小さいものなんだと。そして今に至っても少し記憶にないぐらいに小柄で軽く、女特有の靭やかさと柔らかさがあった。

 

「………そう、なんだよな。病院でも、そうだった」

 

「病院って………怪我でもしたのか?!」

 

思わず問い詰めて、返ってきた言葉に絶句する。戦場に出ているのだ、命の危険はあるだろう。だけどまさか、防衛戦の最中に人に斬られ生死の境を彷徨うとは、思ってもみなかった。今では退院していると聞いて、心の底から安堵する。気がつけば口の中に鉄の臭いが広がっていた。どうやら唇を切ってしまったようだ。

 

「興奮しすぎだって。でも、なんか安心した。オヤジはまだ母さんの事、忘れてないんだな」

 

「当たり前だろう」

 

即答すると、武は苦笑していた。

 

「いやでも、まさかミラ………ミラさん? と一緒に居るとか考えもしなかった。最初は“新しい母親だ”、とか紹介されるかと思ってたし」

 

「どんな風に見ればそうなる。少し観察すれば分かるだろう………って、お前に言っても無駄か」

 

そう言うと反論してくるが、こればかりは譲れない。二人の乙女のためにも。それに、俺とミラさんが恋仲だとか、ありえん。

 

「そういえば、まさかユウヤ君と知り合いだったとはな。あっちの世界とやらとは言え、奇縁もあったもんだ」

 

「ミラさんは戸惑ってたようだけど。まあ、普通は頭おかしい奴が妄想垂れ流してるようにしか思えないよな」

 

武の指摘に頷く。クラッカーの皆は武の言葉だからと信じたのだろう。ハインさんは恐らく、場に揃っている各々の表情と様子を見て信じることに決めたと思われる。ミラさんは最初は信じていなかったが、ステルスの設計図と、高出力跳躍ユニットの設計図を見て信じるか信じないかの二択があると気づき、問いかけた言葉に返ってきた答えを聞いて、取り敢えずは信じることに決めたのだろう。

 

思えば完全なアウェーである。ユウヤ君の話も聞きたそうにしていたし、この後少し時間でも取るか。と、そうするなら聞いて置かなければならないことがある。

 

「武。ユウヤ君の父親の事だが―――」

 

「ああ、篁祐唯さんだろ? 最初は驚いたけど、納得したよ。兄妹そっくりだもんな」

 

「………待て。妹、というと篁主査の娘さん………確か唯依ちゃんだったか。どこで知り合ったんだ?」

 

「あ、そういえば言ってなかったっけ。こっちの世界の京都防衛戦で一緒に戦った。戦友かつ友達だ」

 

親指を立てる武に、色々な意味で頭が痛くなった。ついでに追求するのが怖くなった。どこで何をして、どう戦ったのかは知っておきたい。地獄に叩き込んだ張本人として、知って置かなければならないことだ。だがまさか、それを聞く道程でどんな女の子と知り合って、どういう関係になったのかという問題で胃が痛むとは思っていなかった。

 

「………それで、知り合った女の子はそれだけか?」

 

「違うけど、なんで女の子限定で………わ、分かったって。いうから、怖い顔引っ込めてくれよ」

 

根掘り葉掘りはあれだから、名前だけ聞かせてもらった。日本に帰ってからだと、風花、操緒、唯依、上総、志摩子、和泉、安芸、朔、悠陽、ってちょっと待て。

 

「ゆう、ひ?」

 

「うん、悠陽」

 

「………日本帝国政威大将軍の、煌武院悠陽殿下?」

 

「うん」

 

「………そう、か」

 

「って、どうしたオヤジ。胃を押さえて、下痢か?」

 

ああ、明日は胃痛のあまり腸までおかしくなってそうだから的外れでもないよ。でも、まあ、あれだ。最悪は赤の武家の女子と仲良くなったかと想像していたが、その斜め上どころか天井まで行き着いたな。いや、むしろ場外か。

 

なんていうか、普通に会話をしているつもりが、話の展開があっちこっちに飛んで行く。それも胃壁がごりごりと削れる方向に。

 

その後の話も同様だ。風守の当主から弟扱いされているらしいが、行動を聞く限り勘違いだろう。どう考えても異性の、それも想い人として認識されているとしか思えないような。後は斯衛16大隊でも重宝されていたらしい。光が傍役を務めていた主家である斑鳩崇継その人にも、認められているという。

 

あとは真壁介六郎という、後日に頭を下げなければならない人の名前も聞いた。流石に武も迷惑をかけている自覚があるのか、介さんには足を向けては眠れないと、謝罪と感謝の意志を示していた。

 

そこで一区切りと思ったのか、武がテーブルにあった茶に手を伸ばした。ハインさんの趣味だというハーブティーには、精神を安らげる効果がある。俺も全て飲み、静かに戻した。皿とカップ、陶器どうしがぶつかる小さな音がする。

 

来るな。そう思った時、武が視線を咎めるものに変えた。

 

「………問いただすのは今更だと思ってる。でも、どうしても聞きたいんだ。なんでオヤジはずっと、母さんの事を、真実を教えてくれなかったんだ? 嘘をつく理由なんて無かった筈だ。事情をそのまま教えてくれたら、俺だって………」

 

武はそこで口を噤んだ。責めるのも今更で、意味はないと思っているのかもしれない。それでも心のなかで膨れ上がった疑問をそのまま押し殺せなかったのか。

 

嘘をつくのは簡単だ。偽りでも話せば、それを真実として呑み込んでくれるかもしれない。だが、ここでそれをしてはいけないと思った。それをやれば、本当に俺はこいつの父親じゃなくなる。

 

だから、全てを。抱え込んでいた、かくも情けない腐った内心を言葉にした。

 

「俺は―――怖かった。話すことで起きるだろう、色んな事を恐れたんだ」

 

突き詰めれば、俺の不甲斐なさに起因する。

 

―――もっと技術者としての功績を積んでいれば、赤の武家の婿として認められたかもしれない。別れずに済んだかもしれない。惚れた女を泣かせずに済んだかもしれない。

 

あの別れの時始発列車よりも前、薄暗い明け方に見たあいつの泣き顔は今でも忘れられない。思い出す度に臓腑を抉られる痛みを錯覚する。

 

その経緯を武に伝えることを恐れた。何より、認めたくなかった。説明するという事は、俺の不甲斐なさを改めて認識する作業を行うに等しい。

 

伝えることで、武に責められる事を恐れた。子供の感情はストレートそのものだ。特に子供の頃の武はそうだった。だが、それも言い訳になるだろう。亜大陸に渡った後の精神的に成長した武なら、分かってくれたかもしれない。なのに説明しなかったのは、万が一を恐れたからだ。

 

俺の情けなさを責めたかもしれない。斯衛に居る光を追ったかもしれない。武の腕はあの時でも相当なものだった。戦線は既に日本に迫っていた。重宝され、斯衛で認められ、光と再会すればそのままこっちには戻らないかもしれない。

 

そうならない可能性の方が高いと頭では分かっている、それでも。

 

「………分かる、かもしれない」

 

「………武?」

 

「心構えなんて許しちゃくれねえ。保証なんてどこにもない。本当にいきなりで、永遠に会えなくなる。まるで冗談みたいに。だから………責められねえよ、オヤジ。それを防ぐために戦っている俺にとっちゃあ、余計に」

 

武はそうして語った。予知夢のようなもの。身近な人が死んでいく光景。大切だと思う心に関係なく、運が悪ければ永別を余儀なくされること。

 

「腕が足りてても、不意の一撃で即死する。戦場で初めから終わりまで、思い通りになった事なんて少ない。ほんの僅かな隙間でも、簡単に人は死ねる」

 

戦場にはあまりにも多くの死が存在する。歩兵で中型に会えばまず死ぬ。小型であっても、数が揃っていれば後は神頼みだ。戦術機であっても、一つのミスで全てが台無しになる。高機動を優先して装甲を薄くした機体であればよほど。理不尽だと、声が枯れるぐらい責めても応える神はいない。

 

淡々と言葉を紡ぐ武に、改めて衛士が生きる世界の厳しさを思い知った。歩兵に比べれば戦死する可能性は減るという。だがそれは、戦場で死ぬ多くの人間の姿を目の当たりにするということだ。辛くはないのか。今更な問いに、武は笑って答えた。

 

「辛いけど、やるしかない。誰も彼もが同じだ。別れたくないなら、やるしかないんだ」

その可能性を1%でも少なくするために、必死で抗う。課せられた命に違いはないと。

 

「父さんが、日本にずっと居たままならちょっと文句とか言ったかもしれない。でも、違った。本気で出世して、母さんが戻っても問題がないように努力した。文字通り、命を懸けてまで」

 

呼び方が変わった事に気づき、それよりも発言に気が向いた。

 

「そうであっても………結局、お前を巻き込んじまった」

 

武の推測は正しい。俺は、誰も行きたがらない国外での活動に志願した。最前線。そこで得られるものが大きいと思い、一か八かの賭けに出た。生きるか死ぬかの場所で、骨が乾き果てるぐらい努力すれば、栄光を掴めると思った。光が戻ってくる、その夢に橋をかけることができると思った。

 

でも、武が死ねば本末転倒で、そういう意味では失格だ。主張するが、返ってきたのは呆れ声だった。

 

「だからそれは俺の都合だって。いや、我儘か。俺が日本に居たまま、父さんが仕事を上手くやって功績を認められれば、俺が母さんの子供で、父さんが母さんの夫だって何の問題もなく認められたと思う。でも………俺も、臆病だったから」

 

武は言う。俺が死ぬ光景。それが現実のものになると思ったからこそ、初陣の窮地を脱せたのだと。

 

「その御蔭で頑張れた………これ、父さんの功績だぜ? その後の戦いも、マンダレー・ハイヴ攻略作戦も」

 

どういう意味か。分からない俺に、武は胸を張って答えた。

 

「あっちの夕呼先生に言われたんだよ。俺がこうまで戦ってこれたのは、父さんと母さんのおかげだって」

 

「………どういう、意味だ?」

 

「俺は人が死ぬのが嫌だ。誰も、BETAに殺させたくないと思った。だから、ここまで戦ってこれた。でも、その結論に至るにはそもそも人が好きじゃなかったらできないって」

 

人が嫌いならば、自分が生き延びるために。好きでも嫌いでもなければ、身近な人間だけを救うことで満足しただろう。そうしなかった根底にあるのは、人への信頼があるからだと。

 

「何がどうって訳じゃねーけどな。ターラー教官かもしれないし、クラッカー中隊のみんなかもしれねえし」

 

成りたい大人の背中を見せてくれた人達だという。そこには、肯定できる要素しかなく。同時に気づいた。責めるのではなく、まず理解を示す。そうする武は、こちらを気遣っているのだと。

 

「………怒ってもいいんだぞ?」

 

「したくない事はやらない。これでも軍人だ。無駄で無意味で気が乗らない任務は、誤魔化すに限る」

 

その不敵な笑みはクラッカー中隊の皆に似ていた。悪い大人の笑顔というやつだ。武は卑屈の欠片もなく、それでいて悪戯のスリルを楽しむ子供のような、子供では決してできない笑みを浮かべていた。

 

「まったく………悪い遊びを覚えたな」

 

「親父は嫌か?」

 

「逆だ。一緒に美味い酒を飲める男の方がな………いや、まだ未成年だったか」

 

「いやいや。生憎と、悪い遊びも一緒に教えられたもんで」

 

「一長一短か。まったく、しょうがない奴だ」

 

「文句なら悪い大人に言ってくれって」

 

小さく笑い合う。しばらくして、武は呟くように言った。

 

「………ごめんな。嫌な役目を押し付けた」

 

戦術機の開発は一苦労なんてものじゃない。大勢の人間が何ヶ月、あるいは何年もその労力を積み重ねて生み出すものだ。それを横取りするというのは、血反吐が出るような苦労を横からかっさらうに等しい。それを是とするならば、そいつは技術者じゃない。

 

「でも、俺は要求する。無かったらできない事がありすぎる。約束も、果たせない」

 

頷く。自惚れではなく、それをできるのは俺以外に居ない。表舞台に出ることができて、それなりの説得力を与えられて、裏切りの心配をする必要がなく、それなり以上の無茶を聞いてくれる人物など、他に存在する筈がない。

 

「だから遠慮なく言ってくれ。我儘の続きと思えば軽いもんだ」

 

「………いいのか?」

 

「ああ。お前も、他に方法があればそっちを提案するだろう」

 

武も軍人だ。安易であっても成功する確率が低い方法を選ばない。見てきた未来が、そうさせない。

 

「なら頼れ。技術者として腐っても腐っても、だ。それに………」

 

「それに?」

 

「発酵食品というものもある。味が出るぐらいに、熟成してみせるさ」

 

短時間ではあるが、無い訳ではない。オリジナルだと主張する。そうしない以外に人類を救う方法は。ならば、血肉ぐらいは捧げるべきだ。

 

―――そうする事でやっと、何とか今日も眠ることができることができるから。

 

無茶をするという武の主張など、聞ける筈もない。武は困った風に、それでいて嬉しそうに告げた。

 

「そう、だよな………最善の方法。できるなら、俺の手で」

 

「………武?」

 

「ああ、ごめん。なんでもない」

 

一瞬、武の表情が今までとは違った、悲壮なものになったような。追求するも躱される。シンガポールでの事も謝ったが、全て笑いながら否定された。むしろあの腹黒元帥閣下は事前に察知して、それを利用したのだから、こっちは巻き込まれた被害者だと。

 

「それに、想像できた方が嫌だぜ。裏切り者が居る前提で訝しんで、周囲に不機嫌面振りまいてる方が迷惑だ」

 

「それは、確かに」

 

答えつつ、内心で呻く他なかった。成長を痛感させられた、というのか。男子三日会わざれば刮目して見よと言うが、それにしても成長しすぎだろう。他人が見せた人の弱さを直視しながらも笑みを返し肯定して許せるなど、17やそこらの男ができるものでもない。それでいて子供特有の青臭さを捨てていない。いや、大事だと思って、重荷になると分かった上で抱え続けているのか。

 

そうして魅せられた者は多そうだ。武が周囲に与える影響は良くも悪くも、大きいものだろう。なんというか、目立つのだ。それがセルゲイとかいうクソ野郎に狙われた原因でもあるのだが。そう言うと、他にも心当たりがあるのか、ぽりぽりと頭をかいた。

 

「んー、でもなあ。なるようになったし、それでいいさ。それで見捨てられるようなら、俺の価値もその程度だったって割り切るし」

 

「………済んだ事に関しちゃ、本当にドライだな」

 

「そこは矯正されたかな。反省も良いけど、大事なのは次の事ってね」

 

過去は目を背けるべきではないが、それで先の戦争を疎かにするのは本末転倒だ。軍人とはそういう生き物である。前の戦争よりも、次の戦争を。戦い、勝ち抜くために呼吸をしているのだと。

 

武はそこまで話すと、背筋を伸ばして言った。

 

「それも良かれ悪しかれだって。考えて、考えて、頑張って、頑張って、最高の結果になれば、さ。その時は家族一緒に旅行でもしようぜ? 箱根に温泉の一つぐらい残ってるかもしれねえし………それぐらいは許される筈だろ」

 

「ああ………そうだな」

 

今までに無かったことでも、しちゃいけないって訳ではない。照れくさそうに言う武の言葉に深く頷き、その光景を想像して笑い、そういえばと思いだした。

 

あの時は時勢が時勢だったので新婚旅行は出来なかったが、行けるのならばと想像した事があって、その旅行先こそが箱根の温泉旅館だった。

 

まるで普通の夫婦、家族みたいにと。特別じゃなくて良い、子供に思い出として聞かせられるような場所を望んだ。

 

「………来年の話をすると鬼が笑うと言うけどな」

 

「温泉なら許してくれるんじゃねえかな。温泉なら鬼もきっと楽しみにするしさ」

 

「はは………そうかもな。いや、そうだ。死ねない理由がまた増えた」

 

それは未練。積み重ねるほどに生への執着心が湧いてくる、開発者にとっての燃料剤の一つ。そう主張するも、武は顔だけの笑みをみせるだけだった。

 

―――その約束だけは、守れないかも、しれないけど。

 

武が見せた表情からは、そんな言葉が聞こえてきそうだった。誤魔化すように、問いかけてきた。母さんのどういう所に惚れたのか。

 

色々な女性の誘いを断ったのと、母さんの見た目がほぼ女学生だったけど、やっぱりそっちの方がと言われたが、嗜好としては逆だ。むしろ巨乳派だった。

 

「え………でも」

 

「皆まで言うな」

 

強化服まで見れば分かるだろう。でも、小さいのも良いのだ。問題は揉めた時にどれほど幸せな気持ちになれるかだ、とは声に出さずに。

 

ただ、自分の想いを自覚した時の仕草と表情は覚えていた。

 

「あの時は………部分的には、お前に似ていたな、そういえば」

 

「その心は?」

 

「諦めの悪い顔だった。別の赤の武家に嫌味を言われた後だ。それを聞き入れ、受け入れなかった。身体の隅々まで力をこめて、深呼吸をしてた。やってやるぞって、歯を食いしばりながらじっと前を見てた」

 

小さい身体に養子という立場。そんなものは言い訳にならないと、己の両足だけで立っていた。その一切を諦めなかった。辛さに震えてはいても。

 

勝てないと思った。美しいと思った。背負ったものの重さと、それに潰されないという意志をしった。

 

俺はあいつが見せたその仕草に、眼にこめられた光にこそ心を奪われたんだ。

 

その答えに満足したのか、武は深く頷き、笑った。

 

あいつに惚れたもう一つの表情を。挑む姿勢。それが好きだと告げた後、礼とともに見せられた―――屈託のない見ている者を惹きこむ笑みをその顔に浮かべながら。

 

 

 


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