Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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ひらひらさん、emeriaさん、distさん、Shionさん、秋の守護者さん、Bulletさん、 フィーさん、誤字報告ありがとうございます。

特にひらひらさん、秋の守護者さん、フィーさんの報告数はぱねえ………ていうか誤字多すぎぃ!(悶絶


5話 : 準備(前編)

最初にサーシャが感じたのは、とてつもない疲労感だった。寝ている間に身体の中へ鉛が埋め込まれたのではないか、と錯覚するほどの。何が起きたのか、サーシャはきょろきょろと周囲を見回した。

 

「………ここ、どこ?」

 

見覚えのない部屋。窓もなく、かといって牢屋でもない。そもそも寝る前の自分は何をしていたのだろうか、それさえも思い出せない。

 

ただ、何か嬉しいことがあったような。それさえも睡魔に襲われ、意識が覚束無くなっていく。それに必死で抗いながら耐えている内に、部屋の扉が開かれた。

 

入ってきたのは小さい女の子。これも見覚えがない。だが銀髪に容姿にと、その特徴は記憶の中にあった。

 

「大丈夫ですか、深雪姉さん?」

 

心の底から心配そうに。それでも、呼ばれた名前にも覚えはなく。

 

(違う………いや、深雪という名前には、聞き覚えが………ある?)

 

サーシャは掌で自分の顔を覆い、必死に頭を働かせた。そして動く思考のままに、声を発した。霞、と。

 

「………そう。貴方は、社霞………っ」

 

途端に襲ってきたのは、霞に関連するだろう記憶の数々。一通りを思い出したサーシャは、ようやく視界を開けると、目の前であたふたする恩人に声をかけた。

 

「ええと………霞、と呼ばせてもらう。迷惑をかけてごめんなさい」

 

サーシャは色々と拘束してしまったことに対して謝罪した。霞は、頷かなかった。違うと首を横に振った。どういうことだろうか。疑問を抱くサーシャに、霞は一言だけ告げた。

 

もしもプルティウィさんに同じことを言われたらどう思いますか、と。サーシャはしばらく考え、小さく頷いた。

 

「………ありがとう。これからもよろしくね」

 

「はい!」

 

控えめだけど、読まなくても喜びの色が見て取れる。その仕草を目の当たりにしてサーシャは、たまらず霞の頭を撫で始めた。

 

(かわいい………)

 

恥ずかしいのか顔を少し赤くしながらも、されるがままになっている所が特に。

同時に、自分の動作に対する違和感が徐々に小さくなっていく事に気づいていた。あの時から4年。成長したことで自分の肉体や関節の動作にしっくりきていなかったが、動かしはじめればその年月を多少は埋めることができる。

 

そして安堵の息を吐いた。思ったより鈍りきってはいないようだと。霞はサーシャの思考に気づき、その原因を説明した。

 

「姉さんは………身体は、動かしてましたから」

 

「………色々とごめんなさい」

 

自分ではない自分が無邪気に走り回っていた時の事を思いだし、サーシャは羞恥に顔を赤く染めた。怒涛の如く復古するのは、悪戯ばかりしようとする自分の行動ばかり。霞のほっぺたをむにむにしたり、樹に関節技をかけようとしたり。

 

(そして………く、クリスマスの時は………っ!!)

 

サーシャは帰ろうとする武に飛びつき、まるで童女のように駄々をこねる自分の姿を思い出した。自分の顔に熱がこもっていく事を感じながら、止めることができなかった。忘れたい。でも、消えてはくれなかった。

 

たまらずベッドに倒れ、ごろごろと横に転がり始める。そして我を失っていたサーシャは、壁に頭をぶつけた。その勢いは隣の部屋にまで届くほど。サーシャは痛みに頭を抱えて悶絶した。

 

「ど、どうした―――サーシャ、どうしたんだ!?」

 

焦燥の様子に、自分に駆け寄ってくる足音。サーシャはその声の主を認識すると、がばりと身体を起こした。

 

(あっ………身体、が)

 

いきなり動かしたせいかサーシャの身体が倒れそうになり。その倒れきる直前に、身体はたくましい腕に抱き止められた。

 

「だ、大丈夫か!? ちょっと待ってろよ、このままモトコ先生の所まで………!」

 

「ち、ちがう。いいからちょっとまって………」

 

サーシャは制止の言葉をかけようと顔を上げ、硬直した。手を伸ばせば触れられる距離にある顔に。記憶にあるのは4年前、まだ幼さが残っていた少年のそれとは違う。自分を真っ直ぐに見据える眼差し。

 

トドメとして昨日、眠りにつく前にあったやり取りを思い出したサーシャは、今度こそ手遅れになるぐらいに顔を赤くした。それを見た武は舌打ちをし、サーシャの額に自分の掌を当てた。

 

「熱が、脈拍数も高まって………! くそっ、副作用か何かかっ!?」

 

 

手を震わせ、不安げな表情で今にもサーシャを抱えて走り出しそうな武。

 

林檎のような顔で眼を回しつつ、武の腕に全力で体重を預けるサーシャ。

 

その心象を察すも今までの苦難を想い、小さく微笑み続ける霞。

 

三者三様の混乱は、様子を見に来たモトコがやってくるまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二時間後。落ち着きを取り戻した武達は食事を取った後、合流した樹を加え、地下にある一室で情報の交換をしようと集まっていた。目的はあれど、互いの現状を確認しなければ始まらない。そのお題目でまず最初に口を開いたのは、サーシャだった。

 

サーシャは自分の状態を語った。

 

―――この4年の間の記憶を、全てではないが覚えていること。

 

―――自分でも分かるぐらいに身体が鈍っているということ。

 

―――体力と操縦技量も、今の武や樹には到底及ばないということ。

 

一通りを説明したサーシャは、3人に改めて頭を下げた。武は当たり前だったからと笑い、霞はこちらこそと礼を言い、樹は無言のままうなずいた。形は違えども感謝の言葉を受け入れた3人は、一息をついた。

 

「しかし、社深雪か。いい名前だと思うけど、混乱するな」

 

これからなんと呼べばいいのか。悩む武に、サーシャは以前のままで良いと答えた。深雪という名前にも愛着はあるけど、義父であるラーマに与えられた名前を捨てることはできないと。その言葉に武と樹は深く頷いた。

 

「でも、霞。名乗る名前を変えたとしても、貴方のお姉さんを止めたつもりはない」

 

「え………」

 

「今までどおり。ううん、逆に………存分に甘えて欲しい」

 

「………良いんですか?」

 

「悪い理由がない。私も、妹が欲しかったし」

 

「え、プルティウィは?」

 

「あれは娘」

 

「判断基準が分からん………でもまあいいか」

 

二人が明るい気持ちであるならば、特に言うこともない。細かいことはいいんだよ、という主義の武は全面的に二人の関係を応援した。

 

それを見ていた樹は、小さくも笑い。次に渦中の人物についてと、武に視線を向けた。武は頷き、これから最優先で完成すべきである新しい概念を持つOSについての説明を始めた。大きくは三つ。

 

操作体系の大幅な改革―――直感的かつ素早く機体を動かせるようにすること。

 

操作手順の簡易化―――特定の入力を行えば、予めプログラムしていた動作を行うように設定すること。

 

入力と動作の柔軟化―――入力から動作完了までに別の行動を入力すれば、前入力の動作を取りやめ、新しく入力した動作をできるということ。

 

サーシャは大陸で戦っていた頃に聞いた事もあるので、そのOSがどういった目的で作られているのかを即座に理解していた。

 

1に早さ、2に機敏。3、4がなくて5に速度。戦死の主たる要因である、硬直や混乱による1秒の隙を徹底的に潰そうというのが狙いであると。

 

「その上で改善する案がある。霞とサーシャには、それを頼みたいんだ」

 

両方とも多少ではない知識があり、情報漏えいの恐れもない。サーシャは尤もだと頷いた後、疑問を口にした。

 

「でも、シンガポールに居た頃はCPUの性能が足りないからって………いえ。香月博士に接触したのも、それのため?」

 

「そうだ。第四計画の副産物っていう高性能CPUがあれば問題は解決できる。で、あっちで手に入れたXM3の一応の完成データはここにあってな」

 

「………作る前から完成してるって、いくら武でも早すぎる。それにあっちの世界ってどういう意味か分からな………ついに宇宙速度突破して故郷の星に帰っちゃった?」

 

「納得するな頷くな。いつ誰がそんな人外になった」

 

武はツッコミを入れつつ説明をした。今まで自分に起きていたことも。

サーシャは黙って話を聞いていたが、明星作戦でG弾に呑まれた所でびくりと身体を震わせ、あちらの世界でハイヴ攻略に参加したと聞かされた所で眼を閉じ、こちらの世界に帰ってくる時に消滅しそうになったと笑って言われた所で身体をプルプルを震わせた。

 

武が気づいたのは、一通り話し終えた後。俯いて震えるサーシャに大丈夫だから、今生きてるからオールオッケーと笑いながら親指を上げた。

 

次の瞬間、悲鳴に変わった。サーシャに親指を握られて。

 

「ちょ、いたたたっ?! おま、サーシャ、極まってるって!」

 

「武が………止まらないことは分かってる。でも………それでも、だけど、だから」

 

サーシャはじっと武の眼を見た。責められない。代役が居なかった。得られたものは大きい。賭ける価値があった。全てを理解しながら、肯定はできない。

 

止めても、止まらないだろう。察したサーシャは親指を離し、口を開いた。

 

「………ごめん。でも、次からは相談して欲しい」

 

「相談って………」

 

「一人よりは二人。三人寄れば文殊の知恵ともいう。相談して意見を交換し合えば、それだけで選択の幅が広がるかもしれない。それに、万が一にも武が先に死んだら、どうする? ………後を継ぐ者が必要になるから」

 

サーシャはもっともらしく相談しなければいけない理由を語った。それが建前であることに気づいたのは、樹と霞だけ。武は小さく驚くと、頷き。その表情に納得の色がこもっていない事に気づいたサーシャは、ずいと前に出て武の顔を覗き込んだ。

 

「“早く走れるからってこれみよがしに突出するバカこそ早死にする。重要なのは足並みを揃えること”………覚えてる?」

 

「………ターラー教官の言葉だ」

 

「うん。武にしかできない事があるのは分かってる。でも、複数人で分担できるならその方が効率が良くなる。積み重なる疲労を考えるのも重要なこと。次の、その次の戦いに負けないために体力を温存しておくのは必須だと思うけど?」

 

「………でも、だからこそだぜ? XM3の開発を霞に任せるのは」

 

「分かってる。でも、一つ重要なことが抜けてる。OSの開発に並行してCPUの換装に関する手筈を整えた方がいいと思うけど」

 

そこで武はハッとなった。プログラムの完成と改善は霞とサーシャだけでも可能だが、CPUを戦術機に換装するには技術部の協力が不可欠だ。あちらの夕呼はそのために下げたくない頭を下げたという記憶がある。

 

実質的に最高責任者である夕呼であっても、問答無用に動かすことができなかった。つまりは系統として全く別の部署へ働きかけることであり、相手の面子をある程度だが立てる必要があるということ。

 

適任者はいない。武は夕呼に認められてはいるが、階級もまだ未確定で、取り敢えずということで少尉の軍服を与えられているだけ。基地内において階級差を何とかできるだけのツテやコネといった、横のつながりはない。樹は少佐であるが、所詮は斯衛からの出向扱いであるだけ。霞とサーシャは役割と機密保持の関係上、出来る限り表に出したくない存在だ。

 

「気づかなかったな………夕呼先生を待つっていう手もあるけど」

 

「それも一つの手だけど、香月博士なら研究の方を優先するかもしれない。頼りっきりというのもよろしくない」

 

香月夕呼は聖人君子でもなければ、博愛主義者でもない。武としても、先の困難や駆け引きしなければいけない案件を思えば、これ以上余計な負担をかけたくはなかった。

 

「さりとて基地内に特別なコネがある訳でもなし………あっても生半可なものじゃダメだろうな」

 

「ああ。でも重要度を思えばな………くそっ、手はないのか」

 

「難しいね。技術部のやる気を引き出すためにも、それこそ基地司令にでも頼みたいぐらいの―――」

 

そこでサーシャは、ぽんと手を叩いた。小さい笑いを浮かべ、武の方を見る。武と樹は、何が言いたいか気づいたかのように大きく頷いていた。

 

取り残された霞だけは、何事か分からず、首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その日の夕方。武は基地の屋上から見える町並みを眺めていた。

 

夕陽の赤に照らされた廃墟は血に塗れた戦場跡そのものであり、見る者の胸を多角的に打ち据える効力を持っている。それも慣れ親しんだもので、涙の一つも流すことができない。

ぼうっと眺めている武、その背中に声がかけられた。

 

「懐かしい光景だとは思わんかね」

 

「そうですね………ナグプールの屋上で見た時も、こんな夕陽が浮かんでいましたっけ」

 

振り返らずとも、声だけで分かる。佇んでいた武の隣に声の主は並び、風景を眺めたまま声の主は言った。

 

「報告は副司令より受けていた。だが………この眼で見ても信じられない」

 

「同感です。自分自身でも、まだ死んでいない事に驚いています………あいつらは先に逝っちまいましたけど」

 

ナグプール基地の屋上で、ジープに乗って安全な場所へ避難していったチック小隊の衛士。そのジープを運転していた軍人も含め、全員が空の向こうへ旅立っていった。

 

「………和解は、間に合ったのかね」

 

「はい………間一髪でしたけど間に合いました。誰も、俺のことを恨んじゃいませんでしたよ。逆に、相談もせずにあの作戦を受諾したことに腹を立てています」

 

「S-11による自爆作戦か。噂には聞いていたが」

 

「シェーカル元帥閣下の指示か、あいつらが志願したか………結果的には数十万以上の人間を救いました。手段は………喜べませんが、成した事については素直に胸を張れます」

 

血路が開かれなければ、マンダレーハイヴを落とすことはできなかった。中隊は全滅していた。東南アジア地方の情勢はもっと複雑怪奇になっていただろう。

 

「無駄死になんかじゃない、忘れてなんかやるもんか。それが、俺の戦い続ける理由の一つでした」

 

あの夕陽に誓ってからずっと。その言葉に、どちらともなく笑い声がこぼれた。

 

「他者への想いを根幹として自らの志を立てる、であるか………その似合っていない変装はともかく、戦場に挑む姿勢だけは全く変わっていないな、白銀武少尉」

 

「お互い様ですよ、パウル・ラダビノット大佐―――いえ、横浜基地司令閣下。まさか連絡してからたった3時間で来て頂けるとは―――あと、この変装は必要にかられてです。俺の趣味じゃありませんって」

 

ちょび髭にメガネをかけた武は、パウルに向き直る。パウルは武の真っ直ぐな視線を受け止め、問いかけた。

 

「今はただの戦友でいい。その戦友として、若者に確認したい。新概念のOSとやら、効果はどの程度だ」

 

「損耗率が5割減。戦術機としての性能が活かせる場所限定ではありますけど」

 

一方的にレーザーを受けるような戦場でなければ、数秒のタイムラグが生死を分かつ対BETA戦であれば、その死者の半数を生きて基地に帰すことができる。

 

「連絡した時にお伝えしたはずですが………」

 

「それでも、必要な儀式だ。結論がどうであれ、物事を進めるには段階がある。形だけでも成しておかなければならないこともあるということだ。アルシンハから学ばなかったのか?」

 

「いえ………腹黒元帥閣下とはそういった仲じゃありませんでしたので。利用しつつされる関係、といった所ですよ」

 

「あの者も変わらんな。深く立ち入らない所が、奴らしいと言えば奴らしいが」

 

「人使い荒いのも変わってませんよ。なんせ、公的には3回死なされましたし」

 

白銀武はマンダレーで、鉄大和は京都で、風守武は横浜で。いずれも涅槃に旅立った人間の方が多い激戦の地であり、生きている確率の方が低い死地であった。

 

「それでも、生き残った………だけではないな」

 

パウルは思う。黄昏に染まる故郷を前にしても、それに呑まれていない。その向こうだけを見据える若者ならば、ひょっとすればと。そしてXM3のことも。絶望に呑まれた子供のわがままではない。それが分かったパウルに、迷う理由はなかった。

 

「XM3に関しては、私からも働きかけよう。根回しに必要な資料などは後で連絡する」

「はい、お願いします」

 

武は嬉しそうに笑った。パウルは任せておけと頷く。もとより若者の死者が激減するならば、受けない手はない。短いながらも、基地内の日本人や国連軍人とのコネは最低限確保している。その上で、例えば先に行われたという戦術機戦闘の映像を見せればむしろ積極的に開発を進めることができる。

 

そこで、パウルはそういえばと武に質問をした。大東亜連合に居る父君と連絡はとったのかと。武は、これから取るつもりですと答えた。

 

パウルはその内容は尋ねずとも、一つの提案をした。それが後回しに出来ることなら、一刻も早く大東亜連合に赴いた方が良いと。武は、難しいと答えた。

 

「今はXM3の事もありますし、目立つのは避けたいんですが………いえ、一人なら行けるかもしれませんね」

 

サーシャと一緒でなければ、いくらでも誤魔化しようはあるだろう。二人セットであれば米国にその正体を掴まれる危険がある。パウルもその辺りの事情は聞いていたが、それでも可能であれば会うべきだと言った。

 

「えっと………親子がどうこう、じゃなさそうですけど、何か理由が?」

 

「詳しくは帝国の鎧衣課長から聞くといい。こちらで連絡を取っておく」

 

「それはありがたいですけど………」

 

釈然としないが、それだけ主張されるのならば何か理由があるのだろう。幸いにして、今は一日の余裕もない状況ではない。武は鎧衣に会って、大東亜連合に行くことを検討の内に入れた。

 

「賢明だ。では、私は先に戻る」

 

「はっ! 態々ご足労頂き、ありがとうございました!」

 

武は敬礼をして、去っていくパウルの背中を見送った。昔と全く変わっていない、尊敬すべき上官の姿に。振り返って屋上から見える故郷の姿を眺めながら、改めて思った。

 

変わり果てたものがあっても、僅かでも。変わってほしくない形のまま残っているものもあるんだと。

 

それから武は時間を置いて、屋上から階下へ降りていく。階下に降りていく階段と、途中に見える廊下を眺め、その光景も記憶の中にある横浜基地そのままだと、別種の懐かしさを覚えながら。

 

やがて地下に戻る前に、グラウンドに顔を出した。変装をしているため、基地内に居るかもしれない諜報員に自分が白銀武だとばれることはない。そのまま、訓練に明け暮れている訓練生を見て、あっと声をあげた。

 

教官は、神宮司まりも軍曹。となれば、訓練生はA-01に入隊するであろう未来の仲間に他ならない。

 

「とはいえ207はまだだし、今は誰かな―――って、風間少尉達か。そういや俺たちの1コ上だったっけ」

 

あちらの世界でも同部隊の戦友だった、風間祷子が一つ上の世代。同様に一緒に戦っていた宗像美冴が二つ上。あちらでは戦死していた速瀬水月が三つ上で、伊隅みちるが四つ上だった。

 

「ひのふの、4人か………時期的に総合評価演習直前、といった所かな」

 

あっちの世界ではもう少し前に任官していたような記憶もあるが、こちらでは色々と事情が違っているのだろう。横浜基地が本格的に稼働し始めた時期にも差がある。あちらでは2001年の始めだったようだが、こちらではまだ2000年であるにも関わらず稼働し始めている。

 

そんな考え事をしながらじっと眺めていた武だが、訓練が終わったらしく、その内の二人がこちらに歩いてくる事に気づいた。

 

武は一瞬だけ、その場から足早に立ち去ることも考えたが、直前に思いとどまった。見られてすぐに逃げるのは自分が不審者であると主張することに他ならない。武は某イタリア人から受けた薫陶の“壱の巻”である、半身で挑めば容易く嘘は看破される、女に嘘をつく時は真正面から嘘をつけという教えに従い、真正面から挑むことにした。

 

とはいえ、話しかけられないのであればそれに越したことはない。沈黙する武だが、武の近くまで来た二人は、もし、と言いながら武に話しかけた。

 

「少尉殿………で、よろしかったですか」

 

「ああ。そっちは訓練生だよな。俺に何か用でもあるのか?」

 

「はい………実は、その」

 

二人は言い難そうに視線を泳がせる。武はその様子に―――特に祷子の初々しい仕草に新鮮なものを感じていた。あちらの祷子はそれなりの激戦を潜り抜け、多くの戦友の死を経験したということもあって、見た目はお嬢様だが、一本芯が通った衛士としての姿勢を終始保っていた。

 

一方で、目の前の祷子は任官前で総合評価演習を控えているからか、お嬢様はお嬢様な風体ではあるが、どことなく落ち着きがないように見える。

 

(でも、俺に何の目的があって………って、そうか)

 

武は胸ポケットに入っている、変装用のアイテムとして樹から渡されたタバコの箱を取り出すと、祷子の方に投げた。祷子は咄嗟のことだが受け取り、掌に収まったものを見て目を丸くした。

 

「あの………どうして?」

 

「なんとなく、欲しそうな感じがしたから」

 

衛士は給与もそれなりにあるためか、こうした嗜好品に手を出す者も多い。周囲に溶け込むように持っておけと渡されたが、こういった用途で役に立つのもありといえばありだろう。同時に、こちらに歩いてきた意図もなんとなく察していた。

 

恐らくは総合評価演習が始まると言われたのだろう。そこでタバコが必要になった。自身も苦い思い出がある蛇対策だが、タバコを使えば対策することができる。

 

(それでも、同期の訓練生にタバコを持っている奴はいない。当たり前だ、同年代ならまだ入手は難しい。年上の………例えば先輩とかいった女性も無理。タバコ吸う女の人は少ないしな。対象は年上の男性に絞られる)

 

そこで武は、知らずの内に辿り着いていた結論を隠すことにした。

 

宗像大尉―――あちらでは大尉だったあの人―――とレズっぽいオーラを出していた貴方が年上の男性からタバコを融通してもらう光景とか想像つかないから渡したなんて、正面から言えば喧嘩を売っているのと変わりない。

 

「それに、蛇は大変だからな………冗談抜きに厄介だ。噛まれると痛いし」

 

ループの記憶の中にある、最初の総合評価演習のことだ。複数のパターンがあるループの中では、蛇に噛まれたことが原因で合格できなかったこともある。その後の207B分隊の5人が自分に向けた視線は、武として抹消したい記憶の中では10指に入るほど。そういった実感がこめられた声に説得力を感じたのか、祷子ともう一人の訓練生は小さく頷きを返した。

 

「………ありがとうございます。それにしても………私達がこれから総合評価演習を受ける事を、どこで聞いたのですか?」

 

「………そうだな」

 

武は一拍置くことで間を空け、その中で思考をフル回転させた。そして、某イタリア人の教えの“弐”である言葉。嘘をつくときは褒めて誤魔化せ、に従って答えた。

 

「麗しい女性の思考が読めなければ、花を愛でる男としては失格だと思って―――というのは冗談で」

 

刹那の見切り。効果が芳しくないことを優れた反射神経を無駄に発揮して察した武は、“嘘をつく時には真実を少し混ぜるのがコツだ”という教えに従って、記憶の中から最適である言葉を抽出した。

 

「本当は、コネが欲しかったんですよ」

 

「コネ………ですか?」

 

訓練生の私に、という言葉が出る前に武は告げた。

 

「ファンなんですよ。貴方が奏でるヴァイオリンの」

 

それは、嘘ではなかった。芸術に詳しくない武でも、音楽を聞くことは嫌いじゃなかった。特に戦場続きで心が荒んだ時ほど、何か綺麗なものが見たくなり、聞きたくなる。風間祷子の演奏は、その中の一つだった。

 

「だから、貸し一つです。返すのは演奏会のチケットでお願いします………では」

 

そうして武は勢いのまま二人に背中を向けると、気持ち早足で地下に続くエレベーターがある建物へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー、危なかった」

 

武は目立たないようにするのも楽じゃないと、部屋へと続く廊下を歩きながら溜息をついた。一方で迂闊だったかと、気が抜けている自分を叱咤した。

 

「戻ってこれて嬉しいのは分かるけどよ………ここからなんだし、しっかりしろよ俺」

 

XM3限定だが、ラダビノット司令の協力も得られた。後は理論が完成するのを待つばかりだ。そう思った武だが、屋上で告げられた言葉を思い出し、なんとはなしに呟いた。

 

「なんで大東亜連合なんだろうな………何か、掴めたことでもあるのか?」

 

具体的に言えばアメリカ関連の。そう思った武だが、世界に名だたる諜報機関を複数持つ米国では相手が悪いとも考えていた。規模は大きくとも急造の連合が持つ諜報員の質は、決して高いとは言えないだろう。

 

樹と合流した武は、何があったのか、どんな理由があるのか、可能性を含めて色々と話していた。

 

「影行氏に会え、というのならば戦術機開発に関することだと思うが」

 

「だよな。でも、ラダビノット司令は俺が色々な情報を持ってるってことは知らないはずなんだよな」

 

秘匿している中に、大東亜連合の協力無しには得られないものもある。だから初めから連絡を取るつもりだったが、言い出す前に指摘されると、なんだかこちらが考えている事を見破られたかのような気分になる。

 

「この段階で看破はあり得ん。副司令も、未確定な情報を司令に流しはしないだろう。そうなれば考えられるのは………斑鳩公に流した情報の中に答えがあるかもしれないな」

 

「んー………そういえば崇継様は鎧衣課長とはこちらで話をつけておく、って言ってたけど」

 

「はっはっは、呼んだかね?」

 

「ええ呼んだことは呼びましたが―――っっっ!?」

 

驚愕と跳躍は無意識の中に同居し。武は気づかない内に隣に並んでいた声の主から距離を取ると、その全容を確認するも、いきなり過ぎて口をパクパクする事しかできなかった。樹も同様で、指差すだけで、何の言葉も発することができなかった。

 

「ふむ、金魚ごっこか。懐かしいものだ、私も小さい頃は良くやったものだよ」

 

「え………鎧衣課長に小さい頃があったなんて」

 

「驚く所はそこなのかね。時に紫藤少佐。以前に息子から頼まれましたサインの件に関してですが―――」

 

「息子っ?!」

 

「いや、間違ってしまったようだ。息子のような娘………いや娘のような息子か」

 

「それ結局息子ですよねっ?!」

 

「そうとは言わないかもしれない可能性がありにしもなきにしもあらず。取り敢えずお嬢さん、お近づきの印にこれでもどうかね」

 

「え、お嬢さんって樹のこと? 娘が息子で息子が娘?」

 

「………いいから落ち着け」

 

樹は左近から受け取ったモアイ像を手に、武の頭に唐竹割りをくらわせた。割と力のこもった一撃に、武はたまらずしゃがみこんで頭を抱えた。

 

「はっはっは。なんとも賑やかしい」

 

「誰のせいですか―――帝国外務二課課長、鎧衣左近」

 

諸外国の諜報機関から“帝都の怪人”と恐れられる、北米―――米国本土を担当とする外務二課の課長。改めて相手の異様さを認識した樹は、隣に居る武を見た。

 

「何故、とは問いません。ここに来たという事は、そうなのでしょう。ですが、聞かせて頂きたい。今このバカを大東亜連合に行かせる理由を」

 

「生き別れの親子が感動の再会をする。それを手配できるのならば、例え火の中土の中」

「………そう、ですか」

 

鎧衣左近に答えるつもりはないらしい。わかっていたことだが、と樹は小さく首を横に振った。その隣でしゃがみこんでいた武は、涙目になりながらも立ち上がった。

 

「変わってませんね、鎧衣課長は」

 

「私は驚いている。まさか香月博士がブードゥー教の使い手だったとは」

 

「誰がゾンビですか、誰が。それに使い手ってなんですか。確かに夕呼先生なら何しても有り得そうだな、って形で納得しちまいそうですけど」

 

「麗しき美女になんという。時に少年。その土産には録音機能が―――」

 

武は即座に樹が持っていたモアイ像を奪うと、何度も踏みつけて壊した。証拠隠滅完了とばかりに、額から出た汗を拭う。それをきっちり待った後、左近は言いかけていた言葉の続きを口にした。

 

「―――つく予定だったが、予算の都合で断念されたらしい。全く、嘆かわしいことだとは思わないかね」

 

「………もういいです。本題言って下さい、この通りですから」

 

武は頭を下げてギブアップを宣言した。左近はうなだれた武を見るも様子を変えないまま、基地にやって来た目的を話した。

 

 

―――ベトナムにある孤児院。

 

そこに居る白銀影行と、影行の旧友に会って話をする場を整えている、と。

 

 

 

 


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