Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
横浜基地のハンガーの中。武は不知火のコックピットに座ると、確認するように通信で問いかけた。
「新装備、ですか?」
『そう。要望どおりの性能を持った、新しい戦術機よ』
何がどう違うのか。動かしてみないことには分からないと、武は機体を起動させるとハイヴ用のシミュレーターを使っての演習をすることにした。
今の状態でも、単独ならフェイズ3の最奥にある反応炉まで辿り着ける。尤も、S-11が単発では反応炉の破壊など叶わないため、意味はないのだが。
「それを覆す事ができる装備、か………XM3より凄そうだな」
若干の期待感をこめて武は演習を続けていく。そうしてハイヴの奥に行けばいくほど、搭乗時間が長くなるほど機体の反応が良くなっていく感触を覚えていた。
ついには、今までの5割の時間で反応炉一歩手前にまで辿り着くことができたのだ。
「すげえ………すげえよ、先生!」
『そうね。全く、甲斐甲斐しいったらないわ』
「………先生?」
声が、違うような。濁っているような―――変わっていくような。
何が、と不安を覚えた武に話しかける声があった。
『―――本当に、良いサンプルだったよ。もっとも、完治していなかったら性能は半減していただろう。そういう意味では、よくやったものだ』
「サンプル………完治? 何を言ってるんだ。いや、そもそもお前は誰だ!」
まさか、諜報員を寄せ付けない横浜基地のこんな所にまで潜入員が。どうにかして助けを呼ぶか、あるいは。
迷っている武に、更なる声がかかった。
『その装備は間接思考制御を補助するものでね。特に搭乗者との相性が良ければ、飛躍的に性能が上がっていく。これで戦死者の数は激減するだろう』
「な、にを………相性? 何を、言っているんだ」
『決まっているだろう。実験では男性と女性のペアが最も効果的らしい。鳴海中尉も泣いて喜んでくれたよ。でも、戦死者が半減は言いすぎたかな? なにせ、原材料が原材料なのだから』
同時に、かちりとスイッチが押される音が。
ぎ、ぎ、ぎと何かが開かれていくような振動と、微かに聞こえる声。
そうして、武は網膜に投影された映像を見た。
そこには不知火が映っていた。頭部が開かれ、中が野晒になっている。
そんな所に開閉できるものが、と。
武は喉元にまで出かかった声を飲み込んだ。
意識していないのに、徐々に望遠機能が強化されていく。
“中にあるもの”に、近づいていく。
(この声………聞いたことが………どこで………そうだ、あの時に………)
セルゲイ、という男ではなかったか。どうして。死んだのに。混乱するが、気付けば全身が上手く動かない。
何もかもがなくなってしまったかのような。聞こえるのは心臓の音。エンジンのように跳ね上がる脈拍の振動。その度に視界が揺れる。ごくり、と飲み込んだ唾はまるで灼熱のようで。
『では―――見たまえよ、黄色い猿の小僧』
再会の時だよ、と。
武はガラスの容器に入った“それ”を見た途端、絶叫した。
「あああああああああああああっっっっっっっっっ!」
「きゃっ?! な、なに………タケル、どうしたの?」
「っ、サーシャ?!」
絶叫の後、タケルは声の方向を見た。
そこには、見慣れた銀髪の女性の姿があった。
「………サーシャ、だよな?」
「他に誰か居る? 見た通りだけど」
「え、そ、な………だよな………」
夢か、とタケルは肺という肺を絞るように深く安堵の息を吐いた。なんという夢だ。悪夢にしても性質が悪すぎる。
セルゲイは死んだ。サーシャも、こうして此処に居るのだ。
そこで、タケルはおかしい所に気づいた。寝そべっているが、背中の感触はベッドのもの、つまり自分は今まで寝ていたのだ。なのにどうして夢が覚めた後すぐに、サーシャがこんなに傍に居るのか。どうして自分は服を着ていないのか。
タケルは改めて自分の視界に収まっているものを認識した。そして、いつか見た光景に酷似している事に気づいた。
白いシーツに、白い肌。違うのはサーシャが肩から胸元まで大胆に見えるネグリジェを着ていることと、その胸元の膨らみが大きく、とても柔らかそうだということ。特に銀色と白い肌と華奢な鎖骨の協奏曲がやばい。顕になった太ももに関しても、規制を強いるべきだと論ずれば受け入れられると確信できるような。
そのまま武は、混乱に爆発した。
「はあっ?! ちょ、ななななななななないったい何が!」
「ナニが、って………私の口から言わせる気?」
サーシャは変態、と頬を朱く染めながら目を逸らした。その恥じらった様子と言葉に、タケルは更に混乱を加速させた。
「えっと………つまり、あれが、それで、こうなって、俺と、サーシャが?」
「………」
返答は答えではなく、恥ずかしそうにシーツに顔を隠す仕草だけ。思わず手が伸びそうになる自分に気づき、急いで引っ込めた武は何がなんだか分からないが色々とやべえと呟いた。破壊力とか自制心とか諸々が。
とにかく、誰か助けを。このまま行くと取り返しがつかない事になってしまう。武の思考は情けないものに染まったが、同時に違和感も覚えていた。
周囲を見るに、どうも自分が住んでいた家の中としか思えないのだ。まるで狐に化かされたような。
ジジジ、とノイズが走ったような音も聞こえる。
どういう事か、とタケルはサーシャに問いかけようと視線を戻すが、すでにサーシャの姿は無かった。まるで煙のようにこつ然と消えていたのだ。
「あー………寝ぼけてたのか? いや、でもなんかなぁ」
色々と腑に落ちないが、それよりも汗が気持ち悪い。タケルは周囲を警戒しながら、風呂場へと入っていく。着替えはすでに用意されていた。何が起きているのか分からないが、タケルは取り敢えずシャワーを浴びることにした。
そして髪をシャンプーで洗っている時だ。ふと、背後に気配を感じた。
(気づかなかった………いつの間に?!)
戦慄するも、またもや身体が上手く動かない。そうしている内に、背後の気配の主は声を発した。
「タケルちゃん、ちゃんと洗った? 終わったら言ってね、背中流すから」
「は? え、純夏?」
正面にある鏡には、タオル一枚だけで大事な所をかくした純夏の姿が。それもいつもやっているかのように、背中を洗うという。
「ま、待て……いや、待ってください」
「へっ?」
「何か俺が悪いことしたか? だったら謝る。すまん。許してくれ」
「タケルちゃん、なに言ってるの? 変なの―――わっ?!」
純夏は近寄ってくる途中に、何かに躓いたのだろう、武はこちらに転んでくる姿を見た。視認と行動はほぼ同時。軍人らしい反射神経で、純夏を正面から抱きとめた。
「あ、危なかった………ん?」
良かった、と思う前に感じたのは胸板に感じる柔らかい感触。武はそこで、別の意味でやべえと戦慄いた。
何故かというと、サーシャと会話をしたあたりから自分の息子が元気に自己主張をしているのだ。髪を洗っている間に小さくなろうとしていたそれは、今また再起の時が来たと聳え立っていた。
(ていうか、純夏のくせに………くそ………!)
子供の頃には同じように風呂に入ったこともある。なのに、その姿と先ほど一瞬だけ視認した身体と、横目に見えるその横顔が同じとは思えない。
赤い髪の上をしっとりと濡らす湯の玉。リボンを付けていないせいか、いつもより大人っぽく見える。柔らかい感触も、公園で抱きとめた時のそれとは全く違って。
(まずい………このままじゃ、色々と………!)
戦闘と訓練で発散しているが、ここ数日は自分を追い込んでいなかったようだ。サーシャのこともあり、人間の三大欲求の一つが炎となって竜巻となるような映像を武は幻視した。
それでも、こんな勢い任せで本当にいいのか。葛藤している所に、また別の声がかかった。
それはどうやら、居間からのもののようで。武は別に誰かが居るのかっ、と急いで立ち上がり、そこでまたジジジというノイズの音を聞いた。
「って………あれ? また消えた」
同じように、影も形もない。武は周囲を見渡すと、欲求不満かと自己嫌悪に陥った。着替えた後、疲れているのかなとボヤきながら自分の部屋に戻り、うつ伏せになる。
「あー………身体も何か硬いし。無茶した反動かな」
「なら、マッサージするね」
「お、助かる………って」
武はいきなり聞こえた声に驚き。直後、背中にその声の主が乗る感触に叫びを上げた。
「その声、ユーリンか?! なんで日本に、っていうか俺の家に?」
「だって、疲れてそうだから」
「ここ答えになってねえですよ?!」
叫ぶも、身体がまた上手く動かない。馬乗りになって背中を押されるがままになるしかないのか。いや、それよりも久しぶりに会ったんだから顔でも。
そう思って動こうとしたのが間違いだった。身を捩ったのと、体重をかけて背中が押されるのは全くの同時で。武はユーリンがバランスを崩し、自分の方へ倒れていく事を感知した。主に、背中に凶悪な二つの“ブツ”が載せられたことによって。
「おお………分かってはいたが凄え」
これはひょっとしてヴィッツレーベン少尉以上か、と思った所で武は正気を取り戻した。すぐに混乱の極致に達したが。
「あの、ユーリンさん? できれば離れて頂きたいのですが」
「………どうして? 私がおばさん、だから?」
「いや、ちげーし。綺麗で巨乳なおねーさんの布団になるとか、役得にもほどが………ってそういう事を言っているんじゃなくて、悪くないからヤバイんです」
主に自立しようとしている息子が。布団に真っ向勝負を挑んで痛いのなんのって、と主張する。だが、回答は返ってこないまま。
「あの………」
「ん、動くと………擦れるから………」
「あっはい」
武は冷静に答えるも、耳元で囁かれる色っぽい声に大きなダメージを受けた。そういえばユーリンはMの気質があると、リーサに教えられたことも思い出して。
(そういや、後ろから抱きつかれたこともあったなぁ)
必要にかられて無茶過ぎる機動をした後、基地で倒れそうになった所を後ろから抱き止められた。その時の胸の感触と体温と、今のこの状態は酷く似ていた。
疲労の度合いまで同じのようだ。武はもういっそこのまま寝ててもいいんじゃないかな、と思った所で目眩を覚え、間髪入れずにジジジというノイズと共に歪んだ空間を見たような気がした。
「………気のせいじゃない、か」
サーシャと純夏の時と同じで、背中の重みは影も形もなくなっていた。小さく舌打ちを―――無意識な内に出た―――しながら、武は立ち上がる。そこで、鼻に香るものに片眉を上げた。
「これ、焼き魚の匂い?」
何とも香ばしい、今となっては贅沢品になってしまった食料の一つだ。武はそういえば腹が空いているな、と試しに1階に戻ることにした。慣れた調子で階段を降りる。そして、待っていたのは夢にまで見た光景だった。
食卓に並べられた朝食。そして、目の前に居る人。光ではなかったが、家族と思っている相手だった。
「えっと………雨音さん?」
「あっ、ちょうど呼ぶ所だったんですよ。ご飯よそいますね」
「………はい」
武は逆らえなかった。言われるがままに待ち、運ばれた白米と味噌汁、漬物に焼き魚と冷奴を口に運んでいく。こんなに美味しいのに、どうして逆らおうと思えるか。武はその味に舌鼓を打ちながら、逆らえないもう一つの理由を知った。
和服に、エプロン。太陽のようではないが、静かに風に揺れる花のような笑顔。その中で、髪を小さく後ろに整えているからか、黒髪と背中の隙間に見えるうなじと、その肌の白さが。奥ゆかしくも、深々しい色気がある。武はアルフレードから学んだチラリズム理論の真髄を知った。
だが、一つだけ気になる所があった。
「あの、その首筋ですけど………火傷でもしたんですか?」
絆創膏がありますが料理中にアクシデントが、と。心配する武の声に、雨音は困ったようにほんの少しだけ首を傾げた。
「言え、と言われればお答えするのですが………そうですね。火傷のようなものです」
「………そ、そうですか」
武はどもった声で目をそらした。答えた時の目と、声と、愛おしそうに絆創膏を指でなぞる仕草。そこかしこから、あるいはその身体の奥から感じられたのは、先ほどまでの比ではない色気であり。
武はハッと正気にかえると、ご飯をかっこむように食べ尽くした。
「ご、ごちそうだまでした!」
「ふふ、そこまで噛む必要はないですよ?」
「あ、すんませぬ! ではこれで!」
武はばばっと敬礼をすると、逃げるように玄関から外に飛び出した。
ジジジと走るノイズさえも無視し、日本すげえと呟きながら当てもなく道路を走る。やがて辿り着いたのは、柊町駅だ。そこにはかつてと同じように、通勤と通学をしている人達の姿が見える。
さて、これからどうしたものか。途方に暮れていた武だが、背中に感じた気配に振り返ると、伸ばされていた手を掴んだ。半ば反射的なもので、組み伏せるまでが一連の動作である、だが。
「さ、サーシャ………どうしたそんな格好で」
「そっちこそ、どうしたの急に。私はこれからメイドの訓練だけど」
「………メイド?」
「そう。月詠さんの所に、メイドになるための授業を受けにいくの」
「そ、そうか」
武は色々と突っ込みたい気持ちになったが、黙りこんだ。なんというか、メイド服を着たサーシャの破壊力が高すぎたのだ。授業に行くのならどうしてここで着替えているのか、とか、なんで月詠中尉の所に、などといった疑問が浮かぶが、それさえも些事になってしまう程に。
「って、純夏まで」
「あー、ようやく見てくれた。そりゃあサーシャちゃんは可愛いし髪も綺麗だから映えるけどさあ」
私のことも、と愚痴る姿に武は思わず笑いを零した。それを聞いた純夏が、両手を胸元に上げながら怒りを見せた。
武は悪い悪いと言いながら純夏をなだめる。サーシャは武と純夏の両方を、仕方がないなと呆れた顔で眺めていた。
武はそんな視線をむず痒くも心地よいと思い。
ふと、電車がやって来た音に視線を逸らした。同時に走るのはノイズの音。気付けば二人の姿はなく、手にはメモが入っていた。
そこには、こう書かれていた。
『9:00、駅前の喫茶店でお待ちしています』と。宛先は誰だろうか。武は裏返し、時計を見た後に出来る限りの力で走り始めた。
人の間をすり抜け、鍛えた足で走り続ける。後ろに流れていくのは見慣れた風景だ。そうして、喫茶店の扉にかけてある鈴が鳴った時刻と、喫茶店に掛けられている鳩時計が9度鳴くのと、約束の時間が訪れるのは全く同じだった。
「ま、間に合った………っと、こうしてる場合じゃない」
さて、どこに座っているのか。武は探してすぐに彼女の所在を知った。その一角だけが、他の席とは空気が違っていたからだ。小さく深呼吸して息を整え、目的の場所へと。
武は辿り着いてすぐに、片手を上げて挨拶をした
「ごめん、遅れた。悪かった―――悠陽」
「いえ………今来た所ですから」
悠陽は答えると、おかしそうにクスクスと笑った。教本で見た通りですね、と武に笑いかける。武は悠陽の対面に座り、アイスコーヒーを注文した後でじっと悠陽の方を見た。返ってくるのは視線だけ。それでも、どうしてか見ているのが辛く感じるような。戸惑う武を他所に、悠陽はいかにもお嬢様な物腰でコーヒーを優美に口にしている。
外から聞こえる車の音は、壁に隔てられているから遠い。たまに入り口の鈴がなるが、それだけだ。空気の流れさえ遅くなっているような。
「………平和、というものは良いですね」
「ああ、そうだな」
心からそう思う。武の声に悠陽は頷くと、笑みと共に問いかけた。
「純粋に疑問なのです。貴方は―――生きているのなら、どうして約束を果たしてくれないのですか」
生きて帰るという言葉の結び。悠陽の言葉に、武はごめんと視線を下に下げた。喫茶店のテーブルを見たまま、悠陽と目を合わさないまま理由を語る。
怒るのは尤もだ。約束は果たされなければならないものだ。それでも、と武は会えない理由を告げた。それより前に交わした約束があるから、と。
「悠陽は国を、俺が戦場で人を。共通する目的は、この国を守るってことだろ?」
達成するためには、今の時点では再会しない方が良い。武はそう考えたからこそ、会いに行かなく無事の便りも送らないと答えた。
「自分勝手だって、殴られる覚悟はしてる。俺一人よりも協力した方が、って言われるかもしれない………それでも」
たった一人で何を、と。武自身思う所はある。結局の所は、利用するつもりなのだ。特に、2001年の末には大きな事件が多発するから。
「でも………やり通すって決めた。相談もしなかったのは、俺の都合だけど」
許されるか、許されないのか。ノイズの中で考えるも、答えは出ない。
こんな中途半端では、罵倒されてもおかしくはない。それでも、きっと痛いだろうなと。武は恐る恐ると悠陽の顔を伺おうと、顔を上げた。
だが、そこには悠陽の姿はなく。こつ、こつ、と窓が叩かれる音を聞いた。横を見る。その窓の外には、笑顔を浮かべる悠陽の姿があった。
許されたのか、許されなかったのか。武は小さく溜息をつくと会計を済ませ、外に出た。するとそこには、待ち構えていた悠陽の姿があった。何かを求めているようだ。
武はふと、手を差し出してみた。そこからは一瞬。悠陽は見事な入身で武の間合いの中に入ると、その腕を取って自分の元に寄せた。
「………行きましょう?」
「へ?」
「しばらく、こうしたまま………駄目でしょうか」
「い、いや! うん、行こう行きましょう」
武は促されるまま歩き始める。悠陽は横に、腕を組んだまま離さない。武は二の腕に当たる感触が非常に気になったが、ツッコミを入れることも怖く、役得なので黙ったまま歩くことにした。
そういえば―――平行世界の悠陽が、こういう歩き方に憧れていたっけ。武はそう思った途端に脇に走った激痛に、痛えと呟いた。
見れば、悠陽が笑顔のままその威圧感だけを増していた。これは怒っているのだろう。ひょっとして、他の女性の事を考えるなと言いたいのか。
武は平行世界の悠陽だと反論しようとしたが、どうしてか納得できないと思えたので謝罪だけを口にした。
そのまま、気付けば小さい頃によく純夏達と遊んだ公園に辿り着いていた。
「なっつかしいなぁ………そういや、二人に初めて会ったのも此処だったっけか」
振り返り確認しようとするも、すでに姿はなく。武は溜息をつくと、ここで起きた事を思い返していた。
その原因についても。
「マッチポンプ、とはちょっと違うけど」
斯衛に居た頃に聞いた話だ。詳細は把握していないが、あの時二人で逃亡してきたのは、臣下の数人が悠陽と冥夜を亡き者にしようとしていたかららしいが、その原因についてはもしかしてというレベルだが心当たりがある。
うっすらとだが、平行世界の自分が消えていく際に祈ったこと。その余波かもしれないと武は考えていた。
記憶の流入は人の強い意志によるものが多い。虚数空間から記憶が流れたとして、一番多く受け取ったのは自分だろう。それでも、その流れに付随して漏れでた何かがあるのではないか。
真実は誰にも分からない。知った所で立証も不可能だ。だから武は、二人が会えたその結果だけを喜ぶことにした。
「終わり良ければ全て良し―――帰るか」
家まではもうすぐだ。武は期待感を持ったまま、帰路の道を歩いた。
流石に、これが夢の中であることは武も気づいていた。明晰夢のようなものだろう。その気になれば生身で空を飛べそうな所が、証拠といえば証拠である。
「でも、なあ。流石に生身でレーザー受けると死ぬし」
「ふーん。でも、何だかんだ言って平気な顔してそうだけど」
「そこまでいくともう訳分かんねえよ―――って、涼宮か」
あっちの世界では何度か顔を合わせた。こちらの世界では、一旦横浜に戻ってきた時に一度だけ。夢の中の涼宮茜は、その事を覚えているのか、胡散臭いものを見る目をしていた。
「でも、大丈夫でしょ? ええと………SOS012だったっけ?」
「それSESな」
武は道案内を受けている時に交わした言葉をもう一度繰り返した。
「とある国で数多の困難をものともしない衛士を生み出す計画があった。プロジェクト・スーパーエリートソルジャー………俺はその中でも特攻隊長の任を担い、ラストナンバーを与えられた男―――人呼んで、SES012」
コードネームはノーザンライト、と。武は夢の中だからはっちゃけたが、振り返れば茜の姿はなかった。乾いた風が、落ち葉を運んでいった。
「………夢の中でも、ボケさせたまま放置されんのは傷つくぜ」
寒風に晒された武は傷心のまま家にたどり着くと、玄関の扉を開けた。気付けばもう夜になっているが、幸いにして明かりがついていたから、移動には苦労しない。居間に人影が無いのを確認すると、武は自分の部屋へと戻った。
そこには―――正確にはベッドの上には、霞の姿があった。
「いや、何考えてんだよオレ」
サーシャ達との間に起こったのは、ひょっとすれば自分の願望かもしれない。なんだかんだ言って、武は自分が淡白ではないことは自覚していた。エロい事には興味があるのだ。興じている暇と余裕がないだけで。
先ほどまで起きた事は、記憶の欠片が合わさった結果だろう。夢とは、脳に入った情報を整理するか再配列する時に見えるものだとも言う。
だが、霞相手はいくらなんでも犯罪だ。そんな記憶もない。そう思っていた武だが、無言で待っている霞の顔を見て顔をひきつらせた。
なんだか、機嫌が急速に悪くなっているような。対処方法も思いつかない。霞が怒ったことなど、数えるほども無いからだ。
武は初めての困難に、新兵のようにゴクリと生唾を飲んだ。
「こいつはやべえ………ん?」
武はそこで気づいた。霞は視線で言っている。座ってください、と。一体、何の理由があってのことか。それでも逆らうのは論外だと、武はちょこんとベッドの上に座る霞の横に尻を降ろした。
「………なあ、霞」
「怒ってません」
「いや、だからな霞」
「怒ってないです………」
それしか言わない霞に、武はとてつもない罪悪感を覚えた。どうしてか、怒ると同時に悲しんでいるように見えたからだ。見た目もあって、武はサーシャや純夏とは違う思いを霞に抱いていた。守る、という決意より先に、守ってやらなきゃやべえという根源の感情が。
「………じゃあ、私のことを嫌いになった訳じゃないんですね」
「いや、当たり前だろ。つーかなんで怒ってたんだ?」
「それは………知りません」
「いや、ここに来てそれは………つーかなんで夢の中なのに怒られてるんだ?」
武は原因について考えた。見るからに最近のことで怒っている―――ということは、夢の中で起きた事についてだと思われた。
ハッとなって、霞に振り返る。
「み、見たのか?」
セクハラ通り越して、人権侵害と言われても否定できない数々。武は違うんだと必死に説得しようと、霞に詰め寄った。
今までにあったことのリフレインのようなもので、と。サーシャや純夏とのあれこれを話す度に、霞の顔が朱くなっている事に気づかずに。
そうして、我慢できなくなった霞はざっくりと指摘した。
これセクハラです、と。武は強烈なボディーブローを受けたボクサーのようにその場に蹲った。純夏が居れば幻の左で空の彼方まで吹き飛ばしてくれただろうかと考えながら。
そして客観的に見た今の自分が何をやっていたか、認識した途端に更なる罪悪感に襲われ、苦悶の声で呻き始めた。
霞は周りを見ておろおろするが、誰にも頼れないことに気づくと、武の頭を撫で始めた。大丈夫ですからと、辿々しい手つきで。武は情けない気持ちに気絶しそうになったが、霞の迷惑になる事に気づくと、強引に平常時の精神を取り戻した。
「………マインドセット、ですか」
「あー、そんな大したもんじゃないって。気付けばできるようになってたし」
名称さえ知らなかったそれは、生き延びるための必須技能だった。武はそれで気を取り直すと、霞に怒っていた理由を聞いた。
霞は、うさぎ耳のヘアバンドをピコピコ動かしながら、ようやく小さな声だが答えた。自分だけが出てこなくて、除け者にされていると感じたと。
「あとは………嫌われてるんじゃないかと思って、不安で………」
「そんな事ないって」
武は霞の頭を撫でながら笑った。
「オレが霞のことを嫌いになるなんて無いよ。それに、霞にはさんざん世話になったしな。サーシャの事とかもそうだ」
「………」
「信じてないな? でも、オレは信頼出来ない相手に大事な切り札を託すことができるほど豪胆でも阿呆でもないぜ」
開発を頼むのは、信頼している証拠で。出来上がるものは措いて、託す人を見ていると武は言った。
その後は、あちらの世界の事も含めてたくさんの思い出を話した。霞の方も、辿々しい言葉遣いでも、努力した事をちょっと誇らしげに武に語った。
体力づくりに、サーシャと一緒にランニングしていること。A-01にトレーニング方法を聞いたり、一部の隊員とはいくつか会話をするようになったこと。
武はその度に霞の頭を偉いな、と撫でた。撫でる度に感情と連動しているのか、うさぎ耳のヘアバンドがピコピコと動くのが面白かった、というのもあるが、気持ちの大半は素直に凄いと思ったからだ。
そして一通り話した後。霞は、意を決したように武の正面に向き直った。
「なので………その………」
「ん? 言い難そうだけど、何か欲しいものでもあるとか?」
「はい………あります」
「………分かった。出来る限りだけど、プレゼントする」
武の言葉に、霞は赤い顔のまま告げた。
昨日の深雪姉さんと同じことをして欲しいです、と。
武は笑顔のまま硬直した。
「え? オレの聞き間違いかな………って、そうじゃないみたいだけど………」
恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして俯いている霞を見た武は、分からないと戸惑った。どうして褒美が自分のキスになるのか。もっと自分を大切にしろ、と父親風味の叱り言葉まで飛び出す。
一方で霞は、小さい身体でも引かなかった。
「その………姉さんの、感情が。本当に嬉しそうで………だから………」
リーディングに見えた感情。それは見た覚えのないもので、霞はその色に興味を覚えたのだと言う。何かを贈られるより強く、言葉では当てはまらないそれを、知りたくなったのだと主張する。
それを聞いた武は迷った。言質が取られているというのもあるが、出来る限り叶えたいとも思っているからだ。それでも、不用意にそんな事をするのはダメだという思いもある。いつか霞に好きな相手が現れた時に取っておくべきだと。父親丸だしの思考だが、そこでふと今の場所を思い出した。
「なあ、霞。ここは夢の中だよな」
「みたいです」
「明晰夢みたいだけどな………なんか、一定期間内にこんな夢を見るんだよな」
「そうですか………神様の気まぐれか、世界が強く望んでいるからではないでしょうか」
「スケール大きいな。でも虚数空間のアレを思うと、どうなんだろう………っと、話が逸れた。そうだ、ここは夢だ。だから、練習って意味ならいいんじゃないか」
夢ならノーカンだ。霞にしても覚えてはいない。
(それならどうして、こんな事を考えているのか………そもそも霞と会話が成立しているのがおかしいんだけど)
悩んだが、あまり細かい事を考えるのが得意ではない武は、夢の中でならと頷いた。
撫でていた手を肩において、怯えさせないようにゆっくりと近づいていく。
霞は小さく震えるが、すぐに大人しくなり、眼を閉じると顎を少し上にした。
そして、二人の唇が重なり。
―――そこで、武は目覚めた。起き上がり、周囲を見回してそうだったと頷く。
隣には、霞とサーシャが居た。
「そうだった………疲れ果てて寝たサーシャを運んだ後、霞にお願いされたんだった」
何もないとは思うけれど、万が一があるかもしれない。そう主張されたからには断れるはずもなく。武も心配だったからと、一緒のベッドで寝ることにしたのだ。
「………良い顔で寝てるなぁ、おい」
サーシャはすーすーと、子供のような寝息を立てていた。色々と体内と記憶の変化があったからだろう、それを回復するために深く眠っているように見える。
一方で、霞はどうしてか顔を赤くしたまま、小さな寝息を立てるだけ。
それを見た武は無言のまま霞の頬をついた。ひくり、と動いたかと思うと、また寝息が再開された。音でいえば、す、すーといった、酷く演技クサイという枕詞が付くのだが。
怪しく思った武はじっと霞の寝顔を観察する。するといたたまれなく思ったのか、霞がゆっくりと眼を開けて、起き上がった。
「………霞」
「………なんで、しょうか」
「………夢、見た?」
「………はい」
そのまま無言になる二人。武は武で、やべえと思いながら口元を押さえた。それでも、夢の中にリーディングかプロジェクションで入り込むなど、出来るものなのか。
分からねえと悩む武は、率直に尋ねることにした。
「なあ………霞、寝ているオレに何かしたか?」
「………はい。その、酷くうなされていたようなので、良い夢が見れるようにと祈りながら、ほんの少しの力を使いました」
「うなされ、って………ああ、最初のアレか」
思い出したくもないと、武は忌々しい表情で顔を覆い隠した。霞は、その様子を見ると、何かとんでもない事をしてしまったのかと焦りの表情を浮かべた。
武は違うと否定して、むしろお礼を言わせて欲しいと霞の頭を撫でた。
「ありがとうな。あのままじゃ、2、3日は調子が悪くなってたと思う」
「………何度も経験があるんですか?」
「両手両足ぐらいかな。たまにドギツい夢にやられる」
自分が死ぬ夢ならまだ良い。問題は、絶叫以外のことができなくなるぐらい、記憶からも抹消したい悪夢を見ることで。
「助かったよ。お礼になんでも………い、いや」
「………どうしたんですか?」
疑問符を浮かべる霞に、武は慌てて首を横に振り、思考を別の方向に逸らした。あの光景を霞に見せるなど、本当の意味でのセクハラになると。わざとらしく咳をして誤魔化すと、ハンガーにかけている制服を取るためにベッドから立ち上がった。
隣の部屋に移動し、扉を開けたまま服を着替えながら霞に声をかけた。
「そういえば、霞も良い夢を見てたようだけど、どんな内容だったんだ?」
「………覚えて、いません。でも、ふわふわと………幸せな気持ちになれる夢だったような気がします」
「幸せに………そっか。良かったな」
「はい」
それだけは即答して。
霞は、小さく呟いた。
「覚えていないというのは………嘘ですけど」
唇に触れながら、囁くようにこぼれた言葉。それは部屋に見えないぐらい小さな風を起こすだけで、間もなく虚空に消え去った。
ということで、エイプリールフールネタ書いてるつもりが短編になってしまいました。
霞ちゃんの嘘は、今日が今日という日なので許されることでしょう。
ちなみにタイトルのルイスはルイス・キャロルです。
小ネタも色々と挟んでいます。
あとサーシャにメイド服着せたりネグリジェ姿にしたのはpixivで見た十六夜咲夜のイラストを見たから。後悔はしていない。
子供だとベルさまかサーニャですが、大人Verのイメージは、その咲夜さんに近いかな?
純夏はエクストラのアレです。温泉シーンはやばかったです正直。
ユーリンはストレートなエロ。
そして隠れるエロスが何よりの色気、和の美の雨音さん。
殿下はもう、殿下ですね。なんていうか殿下です(意味不明
霞は霞で、仙台に居た時もちょくちょく武と会っていたので、親しみを持っています。恋の感情もちょっと。そこでサーシャが―――ということで、大人の事に興味を持つ子供うさぎさんでした。