Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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3話 : 再会、そして(前編)

「おいっす、久しぶり!」

 

副司令である香月夕呼に言われ、やってきた部屋の中。惨敗を喫した4人は入るなり、ちょっとそこまで買い物に行ってきた、と言わんばかりの軽い調子で、最も階級が高い人物に向けて片手を上げて投げやり風味な挨拶をする少年を見た。反応は四者二様だった。片方は、深い溜息を。もう片方は、困惑に眉を顰めた。

 

「………紫藤少佐。この少年は、少佐の親戚でしょうか」

 

「止めてくれ。想像しただけでも心臓に悪い」

 

樹は即座に否定した。一方で発言したまりもは、辛子を口の中に放り込まれたかのような、心底嫌そうな表情を見せる、それなりに付き合いのある上官の様子に驚いていた。感情の制御に長けているのだろう、いつも無表情を保っていたのに、こういう顔もできたのか、と。身内に見せるような色。それでも親類では無いのであれば何者だろうか。

 

(伊隅も同じような事を考えているが………碓氷はこの子の事を知っているのかしら)

 

相手の素性を知っているのだろう。その上で何かしら思う所があるのか、じっと少年の様子を観察しているような。そうして用意されていた椅子に座っている内に、ある事に気づいた。

 

(待って………この二人だけが知っている相手?)

 

既視感を覚えたまりもは、まさかと少年を見た。想起したのは2時間前に終わった模擬戦のこと。だが、重ならないと即座に否定した。まさか、今の教え子達と同じ年に見えるような20にも満たない少年が、あんな並外れた力量を持っている筈がない。ましてや、紫藤少佐は極東最強と言ったのだ。その名前を冠する事が許されるであろう衛士は5指にさえ満たず、素性がはっきりとしている者を除けばたった一人だ。年代を考えればあり得ないが。そうして次々と出てくる疑問が右往左往したまま、困惑し続けるまりもに声がかかった。

 

「………副司令曰く、今度新しくA-01に入隊する期待の衛士、だそうだ。取り敢えずは顔見せと挨拶と、情報交換。副司令から命じられた内容はそれだけだ。あとは階級差は考えるな、だそうだ………取り敢えずは自己紹介を」

 

樹の言葉に少年は―――白銀武は頷くと、立ち上がって敬礼をした。

 

「白銀武。衛士です。得意なポジションは突撃前衛。年は………17歳?」

 

「違う。1983年12月16日生まれなら、今は16だろう。来月で17だ」

 

「あ、そっか」

 

ちょっと時差ボケというか時空惚けが、と言い訳をする武に樹は溜息をついた。その様子を見たまりもとみちるは目を丸くしながら驚いた。見られている事に気づいた樹は、何かおかしい所でもあるのか、と視線だけで問い返した。半ば呆然としていたまりもは、ためらいつつも答えた。

 

「いえ、その………少佐とかなり親しい間柄のようですが、彼は?」

 

「腐れ縁の申し子だ。一応は戦友で………質問したい事が多そうだな。気持ちは実に分かるが」

 

埒が明かないから質問を許す、という樹の声。何か説明を放棄したかのように見えたが、悪い感情があっての事ではない。そう判断したまりもは、真っ先に気になっていた事を聞いた。

 

「来月で17歳、という事は2年前に徴兵されたのかしら」

 

「はい、いいえ。徴兵はされてません。むしろ志願した事になんのかな?」

 

「ん………一応は、そうだな。志願というよりも徴発か。それも例外中の例外になるだろうが、な」

 

「という事は………元、少年兵?」

 

「あー………まあ、そうですね」

 

探るような言葉に、武は言葉を濁した。樹を見て、どこまで言って良いのか視線で尋ねる。隊内における関係などを気遣っての事だ。樹もそれを察すると、仕方がないとばかりに説明を始めた。

 

「1993年、インド亜大陸に居たこいつは現地で特別に徴発された。初陣は九・六作戦のほぼ同時期らしい。訓練期間は半年、実戦期間は………もう6年になるのか」

 

「あー、そんなになるのか」

 

遠い目をする二人。一方で、みちるとまりもは硬直していた。は、とか、え、という声だけが溢れる。しばらくして、理解できないとばかりに武の方を見た。

 

「神宮司軍曹と、ほぼ同時期に………?」

 

「それよりもおかしい所があるだろう、伊隅。7年前と言えば10歳だ。それなのに、衛士………いえ」

 

まりもはそこで少し黙りこむと、零すように呟いた。

 

「そういえば………大陸に居た頃、聞いた事があるような………」

 

眉唾というよりは噴飯物というそれは、何の根拠もない噂だった。激戦も極まるインド亜大陸攻防戦で、類まれなる素質を見せた少年兵が活躍していると。

 

まりもは軍の士気向上のためのプロパガンダか、情報伝言がおかしい方向に走った結果だと思っていた。真実だとしても、任官したての15の少年の話だろうと。これはどういう風に受け止めればいいのか。視線を向けられた樹は、諦めたように答えた。

 

「事実だ。大東亜連合の衛士で白銀武の名前を知らない者は居ない。まあ、納得はできないだろうが………こういう生物も居るのだな、という風に諦めておけ」

 

次だ次、という樹の言葉に促され、碓氷が立ち上がった。

 

「碓氷沙雪、階級は大尉だ。年齢は22。得意なポジションは強襲掃討………その節は妹が世話になったな」

 

「世話って………いや、碓氷………?」

 

まさか、という言葉に沙雪は頷いた。

 

「碓氷風花の姉だ。そして………まずは礼を言わせてくれ」

 

京都では叶わなかったが、と沙雪は頭を下げた。光州作戦において碓氷風花と九十九那智の命を助けてくれてありがとうございます、と。

 

武は沙雪の予想外の行動に、慌てて手を横に振った。

 

「いや、こっちこそ! それに俺も風花には危ない所を助けてもらったし! それも………片腕を犠牲にしてまで」

 

「いや、あれがベストな判断だった。今はそう思えている………あの後に白銀がやり遂げた事と、京都から続いた戦闘を考えればな」

 

極東最強の窮地を救った妹として、よくやってくれたと素直に褒めてやりたい気持ちになる。助けられた命を思えば、と。少し悲しげな表情になりつつあった沙雪に、武は問いを重ねた。

 

「風花は、その………腕の方は? やっぱり、あの状況じゃあ完治は………」

 

「日常生活は問題ないけど、衛士としてはもう………今は帝国陸軍でCP将校を目指していると聞いた」

 

「そうか………でも、聞いたって誰から………もしかして那智大尉から?」

 

「―――さて。ここで長話しても仕方がない。次は伊隅の番だ」

 

沙雪は露骨に話題を逸らすと、視線をみちるに向けた。何か強い圧を感じたみちるはすぐに立ち上がり、敬礼をしながら自己紹介をした。

 

「伊隅みちる。階級は中尉で、ポジションは迎撃後衛だ。年齢は21………先の模擬戦では世話になったな」

 

まるで行きがけの駄賃か、力量を宣告する材料に使われたみちるはジト目で武を睨みつけた。睨まれた武は、うっと腰を引いた。その仕草を見たみちるは、小さく溜息をついた。

 

「本当に17だな………」

 

あきらと同じ年であの腕なんて、とみちるは零す。一方で武は、呟かれた聞き覚えのある名前に反応を示した。

 

「あきらって………伊隅中尉の恋敵の一人っていう妹さんですか?」

 

「なっ?! ど、何処でそんな事を!」

 

「あ~………いえ、その、夕呼先生がちょっと」

 

武の返答を聞いたみちるはぐっと息につまらせる様子を見せた後、やがては諦めたかのように肩を落とした。その様子を見た碓氷が、小さく呟く。

 

「姉妹で幼馴染の取り合い、ね………ちょっと理解できないかも」

 

「ああ、そういえば那智大尉とは喧嘩別れしたんでしたっけ」

 

「なっ………そ、それをどこから?」

 

「あ、いや、その………九州に居た頃にですね」

 

武は風花が訓練が厳しくて、ちょっと限界を迎えそうになった事があって、不貞腐れて、勢いでと言い訳を重ねながら答えた。

 

「ちょっとかっぱいで来た酒をかっくらった事がありまして、その時に。二人共意地っ張り過ぎて見てるだけでやきもきする、見てる方の苦労も考えて欲しいって愚痴ってました」

 

武の言葉を聞いた沙雪は、ぐっと呻いた。そして今度会ったら覚えておきなさいよ、と呟いている所を見ると、妹に対して怒っているようだ。武はやべえと思いつつも、風花の尊い犠牲に祈り、夕呼先生の言葉だからという言い訳の利便性に可能性を見た。

 

そして、みちるの視線に戸惑った。まだ警戒しているらしいが、それをも上回る好奇心が溢れているようだ。具体的には碓氷大尉の幼馴染について詳しく、と目で言葉を語っていたから。武はいつかの夜の、甲板の上での出来事を思い出し、顔をひきつらせた。

 

「あー………まあ、それはそれで。次、お願いします。ってなんですかその、夕呼先生を見るかのような目は」

 

「………いえ。なんでもありません」

 

まりもは疲れた顔をしながら自分の番ですね、と立ち上がった。

 

「神宮司まりも。A-01の教官で、階級は軍曹です。得意なポジションは中衛全般と強襲掃討」

 

まりもは階級が上の相手だという事で敬語になった。それを聞いた武は、今は無礼講ってやつですからと敬語を止めて欲しいと言った。

 

「それに夕呼先生の事ですから、言った通りにしないと後で理不尽な嫌がらせがあるかもです」

 

「………そうね。その様子だと、私と副司令の関係も知っているようだけど、紫藤少佐から聞いたのかしら」

 

「樹からは聞いてませんが、まあ蛇の道は蛇って奴です。それに夕呼先生とは仙台基地に居た頃からの知り合いですから」

 

「そう………紫藤少佐とは随分親しいみたいね。やっぱり亜大陸に居た頃に?」

 

「いえ、撤退戦の後です。アンダマンで休養と再訓練受けて、復隊した後に戦術機での殴り合ってからの付き合いです」

 

懐かしいな、と武が頷く。樹はバツの悪い顔で仕方なかっただろうと、目を逸らす。一方で、まりもは驚きの表情で武を見た。

 

「復隊して早々に模擬戦………?」

 

「はい。見た目子供が突撃前衛とかお前マジでふざけんな、って感じで喧嘩売られたんですよ。ノッポとかチビとか海賊とか、色々巻き込んで()り合いました」

 

うんうんと頷く武に、樹がそれ以上言うなと眼光鋭く睨みつけた。子供だからと侮った事、感情を制御できずに振る舞ったこと。若かった頃の恥は恥として忘れてはいけないが、言い触らされたいのかと聞かれれば、答えは否となる。

 

一方で武は鉄拳発言を忘れておらず、子供扱いされた事も忘れていない。和解したとはいえ、弄るのは許される筈だ。へへへと笑う武と、ギンと睨み付ける樹。

 

その二人を置いて、呆然としたようにまりもが言った。

 

「その頃からというと………亜大陸撤退戦の後、バングラデシュでの防衛戦も?」

 

「参加しました」

 

「………タンガイルでも?」

 

「はい………未熟を思い知らされました」

 

「そう―――マンダレーハイヴ攻略作戦も?」

 

「いの一番に突撃して、突入しました。一応は、突入部隊の最先鋒だったんで」

 

そうして、まりもは悟った。樹が否定しないのを見て、みちるも理解する。この目の前の快活な少年が、かつて英雄と呼ばれた部隊の突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)だったということを。

 

まりも小さく息を吐いた後、呆れたように言った。

 

「非常識さなら、夕呼といい勝負だわ」

 

「いや、それは酷くないですか?!」

 

「………傍目に聞くと、どちらも酷いんだが」

 

「でも、夕呼先生ですよ?!」

 

「………いや、俺もいい勝負だと思う」

 

樹の言葉にまりもは同意を示した。そうして、それ以上過去について追求する事はやめた。隠匿されている内容も含めて、理解できないし、してはいけない類のものだと判断したからだ。

 

得体の知れなさはとてつもなく、この状況で新しく入隊するという事実に対しては何らかの意図を感じずにはいられない。それでもまりもは、この目の前の少年がすぐに敵に回るような相手ではないと判断していた。何か大きな失態を犯した事が原因でその存在を隠されたのなら、かつては同僚だった樹に責めるような意志が無いことがおかしい。会話の所々で視線が鋭くなるが、悪戯好きな子供を戒めるそれに近い。

 

どちらにせよ、自分がどうこう言った所で覆されるものでもない。まりもはそう感じながらも、聞きたい事が多すぎると内心で溜息をついていた。

 

(夕呼の事を先生って呼ぶのも、問い詰めたい所だけど………)

 

それにしても先生か、とまりもは内心で苦笑した。自分の親友が横浜の魔女と呼ばれている事は知っている。そんな誤解をさせる態度と行動を取っていることも。傍目に見れば、先生という役職には程遠いだろう。

 

(………実際には違うんだけど、ね)

 

まりもは、香月夕呼ならばなんなく先生を務められるであろう事は知っていた。人物観察眼に優れ、時には感情を殺して叱ることもできる。意味のない甘えを許さない所もそうだ。高校以上の教諭であれば、自分の趣味と好奇心を満たしたまま、先生としての生活を送っている光景を眼に浮かべることができる。

 

あるいは、白銀武はその事を知っているが故に先生と呼んでいるのかもしれない。真実かどうかはまりもから見て分からなかったが、その態度を思えば分かるような気がした。

 

横浜の魔女を相手にするのではない。奇天烈な天才と思っているのだろうが、その上で親しみを感じているような、尊敬しているような。ふと思い立ったまりもは、武に尋ねた。模擬戦を始める前に夕呼が語った内容と、その様子に関して。どう思っているのかと、聞かれた武は引き攣った顔をした。

 

「いや、まあ………間違ってないですけど、言い方が。誤解されるようにアレンジしているというか………これ、態とですよね」

 

「恐らくは、そうだと思う。ちなみに、夕呼にこうまで言われる理由についての心当たりは?」

 

「あります。そうすると、八つ当たりですかね。いや、俺も悪いのかもしれないですけど………」

 

でもあっちの先生が、という言葉を武は押し殺し、そういえばとまりもの方を見た。

 

「これから一週間は、先生には会わない方が良いです。今の先生の精神状態は本当にやばいですから」

 

「………具体的にはどれぐらい?」

 

「あー………無能な軍の若い高官から“女風情が”とか“お前の理論は間違いだろう”とか。頭ごなしに言われてその上でセクハラを受けた時の、優に数倍はムカついてるでしょうね」

 

マジでやばい、と震える声で。まりもはそれを聞いて―――マジという言葉は理解できなかったが―――夕呼が本気で怒り、不機嫌になっているのだと思った。彼女が嫌う要素を羅列した上で、その数倍というのだ。その極まっている頭脳と合わさって、何をされるか分からない恐怖もある。

 

(それでも、悪態でもいいから愚痴って欲しいと思うのはね………私の勝手だけど)

 

まりもは夕呼が自分を呼び寄せたその理由を何となくだが推測していた。A-01の教官が欲しかったというのもあるが、それはあくまで付随したものに過ぎない。まりも自身、自分が帝国の中で最も優れている教官だとは自惚れていない。そんな存在を呼び寄せる事が許される立場にあってなお、富士教導隊から引き抜いた理由はなにか。

 

まりもは溜息と共に、武の提案に対して首を横に振った。それでも、愚痴を聞くのが私の役目だと、内心で呟きながら。

 

樹はその様子に苦笑して。

 

次の瞬間には表情を真剣なものに戻し、武に問いかけた。本題は何か、と。その言葉に対して、少年は少年の笑いのまま答えた。

 

 

「これから俺は、新しいOSの開発に入る―――A-01と神宮司軍曹には、そのテストをして貰いたいんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そうして、説明が終わり。樹は退室した3人を見送った後、武に向けて溜息をついた。

 

「あの説明で良かったのか? 3人とも、あまり理解できていなかったようだが」

 

「いや、まりもちゃんはそれなりに有用だって分かってたみたいだ。流石に大陸で地獄は見てないってことかな」

 

「………含蓄があるな。しかし、どうして“まりもちゃん”なんだ」

 

一番年上になにゆえちゃん付けを、と。樹の言葉に、武はああと答えた。

 

「まあ、一応は知り合いっていうか………ある意味で忘れられない人なんだ。あっちの世界で戦った俺の教官だった人だから」

 

武はそう告げると、平行世界に行った後の事と、そこで戦っていた自分の事を話した。ループと純夏とオルタネイティヴ4の事はぼかしつつ、オルタネイティヴ5の危険性と自分の目的も含めて。

 

一通りを聞いた樹は、重苦しい表情のまま武に問いかけた。

 

「つまり、オルタネイティヴ4が見限られた時点で人類は窮地に立たされるのか」

 

「イコール滅亡、とかそういうんじゃないけどな。でも、相手はアメリカだし………力でどうこうってのは難しいと思う」

 

「そうだな………竹槍という程でもないが、動作不良を思わせるF-5でマンダレーハイヴを攻略しろ、と命令される程度には頭が痛い」

 

人モノ金が揃いに揃った強国を相手に、国土の過半をBETAに荒らされた帝国が真正面から挑んだ所でどうにもならない。そのためのオルタネイティヴ4だ、と武は言った。

 

「成果を小出しにして時間稼ぎを、という方法も取れない。国連は米国寄りだからな」

 

「そう、だな。光州での一件を思うに、米国の意志に協調している者が多いようだ。そういえば、今の帝国内の情勢は把握できているのか?」

 

「一応だけど、風守の家で休養している間に重要な所は教えられた」

 

主に言えば軍と内閣の関係がよろしくない方向に発展してしまっているという事だ。

 

一番古い事柄として、帝国軍の大陸派兵の件が。大陸であたら若い命を落とされ過ぎたあまり、本土防衛が出来なかったのではないか、と。今更な意見であるが、得てしてそういう言葉は取り返しがつかなくなった後に出てくるもの。当時の内閣は解散しているが、それで収まるものでもない。

 

次に、彩峰元中将の光州での出来事がある。ベトナム義勇軍の光線級吶喊と最後の砲撃により、難民と帝国軍の多くが本土に帰還できた。一方で国連軍の司令部が壊滅してしまったが、そもそもが国連のせいだという声がある。防衛に不向きなものを指揮官に寄越した事や、地中侵攻の兆候を見逃したのは国連軍の責任でもあるのに、と。

 

なのに、功績を挙げた中将が退役を迫られ政府はそれを承認したなど、上は現場で命を張っている者達をなんだと思っているのか。そうした声は小さくなく、喉の深くに刺さった骨のように、不和の痛みを残しているという。

 

「その上で………明星作戦のG弾投下に対する政府の行動を思えば、な」

 

「樹も、納得してないのか」

 

「諦めてはいるさ。本音を言えば、もっと非難して、責め立て、贖いをさせたかった。叶う筈がないだろうが、そう思っている衛士は多い」

 

無断投下で殺された戦友が居る。その報いを受けさせたいという気持ちがある。原因である米国に対し、国の代表たる政府は激声でその行動を責めるべきだ。謝罪でも物資でも、代償がなければ納得なんてできないと憤る者は多く。

 

「それでも、政府や軍の上層部は損耗した戦力の方を重視した」

 

「ああ。その結果に完成したのがここ、国連軍横浜基地だ………確証はないがな」

 

横浜基地は各勢力の様々な意図が交錯して生まれたが、その中に帝国軍と内閣の関与が無かったとは思えない。ならば、国内に基地を置くその事を許したのは何故か。

 

「………いざという時の保険か、緩衝地か。米国との関係に決定的な亀裂が走る事を許容できなかった、という事だろう。事実、米国が撤退した時に国内に走った動揺を思えばな。無責任に臆病だ消極的だと謗ることは難しい」

 

「自転車で、初めて補助輪を取っ払った時のような?」

 

「転べば死ぬ。己だけではなく、数多の命を巻き込んで―――恐怖を覚えるのは当然だ」

割り切りにも程度がある。それでも最前線で戦っていた衛士はその態度を認められなかった。国土防衛という責務があるため暴走はしていないが、上層部の行いの全てを許したという筈もない。

 

「本土防衛軍と陸軍は特に、か。斯衛の方は?」

 

「殿下の下に上手くまとまっている―――と言いたい所だが、実際はどうかな。政威大将軍と言えば聞こえは良いが、公的な権限は無いに等しい」

 

煌武院悠陽が政威大将軍になったこと、それに対する反発の声は少ない。特に五摂家に近しい者全員が就任に対して肯定的であり、認める姿勢を見せているからだという。

 

樹は、一度接見すれば分かるからな、と主家の主君の見事な振る舞いに対して嬉しそうに語った。各五摂家の家臣にも年かさの者は多く、往々にして若年層に対する口は軽くなる。そんな者達をして、煌武院悠陽は将軍に相応しいと言わせる。

 

16という年齢を思えば、傑物以外の何者ではない。素養だけではない、途方も無い努力を重ねたからこそ。それが分かる家臣としては、主君の見事に破顔せざるを得なくなるのだろう。

 

(………今は、再会できないけど)

 

生きてまた、という約束を破ったと思われているかもしれない。それでも会う訳にはいかないと、武は悠陽へ自分の生存を報せないでくれと樹に頼み込んだ。

 

樹は戸惑いつつも、真剣な表情で訴える武を見ると黙って頷きを返した。説得するのに時間がかかると思っていた武は、予想外な反応に眼を丸くした。

 

「え………いいのか? 主君だろ? もっと理由とか経緯とか、根掘り葉掘り聞かれると思ったけど………ほんとに?」

 

「時間の無駄だろう。お前は確かにバカだが、真剣な顔で嘘を吐けるバカじゃない。それに、今はここでやる事があると見たが」

 

「………ああ。斯衛の方も、今は心配ないようだし」

 

もっと言えば、自分が何をどうこうした所で斯衛の内情が変わるとも思えない。武も政威大将軍と斯衛、米国の因縁は知っていた。政威大将軍が権限を失った原因である米国に対する敵愾心を思えば、米国があからさまな挑発を見せた時に帝国の勢力と同調して反発する声が大きくなってもおかしくはない。

 

「それでも、今は大丈夫だと思った。斑鳩、九條、斉御司。3家が協力して、五摂家筆頭の煌武院を立ててるんだ。崇宰も、今は反発する訳にはいかないしな」

 

「………そうかもしれないな。特に今は旗頭が不在だ。尤も、崇宰恭子の戦死がG弾によるものであったら、もう少し違った結果になっていただろうが」

 

「そうだな………つーかまとめてみて分かったけど、今の状況はほんと色々と紙一重だよな」

 

冷静に観察すれば、今の帝国の現状の拙さが理解できた。ここに米国の、オルタネイティヴ5推進派の干渉が加わればどうなるか。どういった方向で加えれば、日本に致命打を与えられるか。武はその起爆剤になりかねない組織を思い、口を開いた。

 

「そういえば、樹は“戦略研究会”って知ってるか?」

 

「うん? ああ、聞いた事はあるな。かなりの面子が揃っているようだが、なんだ。いざという時に協力でも要請するのか」

 

「いや、協力っていうか………それより聞いたって誰から?」

 

「お前も知っているだろう、尾花中佐の指揮下に居たあいつだ。霧島祐悟だ。試しに参加してみないかと誘われた事が………どうした、武」

 

「………何でもない。それで、他に参加しているのは?」

 

「有名所で言えば、大陸でも名を馳せていた沙霧尚哉か。よほど光州作戦と京都防衛戦に参加できなかったのが無念だったようだな。あとは、九州から京都までの戦いで、お前が率いていた衛士もいる」

 

「京都まで………という事は」

 

武は重々しく呻いた。九州で指揮下にあったのは3人。内の二人は四国で別れ、残ったのは一人しかいない。

 

―――橘操緒。

 

彼女も、“あの”沙霧が率いている戦略研究会の。クーデターを引き起こした組織に頻繁に顔出しをしている一員だというのだ。

 

(………“ここ”はあの世界とは違う。分かってはいたけど、やりきれないな)

 

見覚えがないだけで、二人はあの世界の時にも参加していたのかもしれない。あるいは、日本で見知った誰かが、助けた事のある誰かが、言葉を交わした誰かも。

 

武はそこではっとなって、樹に問いかけた。

 

「斯衛からも参加している、とか………」

 

「それは居ないな。以前より堅苦しさは薄まったとはいえ、斯衛軍の背景が背景だ。そこまで開放的になるには、あと1世紀は必要だろう。尤も、その必要性を感じればという前提があっての事だが」

 

「………そうだよな」

 

扱う機体も違うし、受ける訓練も異なる。故に斯衛は戦略研究や戦術開発を行うにしても、斯衛内部だけで全てを収める傾向がある。

 

(だからこそ、あのデータを渡したんだけど………介さんも、訓練する相手は更に選ぶだろうしな)

 

突入部隊は厳選する必要があり、無闇矢鱈に広めるつもりはない。明言された事で、尤もだと思えた。斯衛における情報の秘匿性、その能力は帝国の比ではなく、組織内部の結束力も高い。外部からの接触もほとんどないのだ。

 

役割は色々あるが、詰みに至るその一手を担える部隊は少なく。万が一の事態が―――A-01が全滅してしまった時、最悪を回避するためにその役割を託すことが出来るのは誰か。武の脳裏には、古巣である第16大隊か、五摂家に近しい精鋭部隊しか思い浮かばなかった。

 

帝国陸軍にも信用できる衛士は居る。それでも戦略研究会の事を考えれば、迂闊な事はできない。クーデターの実行部隊の中に、米国の息がかかった者がいる可能性は高いのだから。

 

(それにしても………祐悟と橘少尉も、か)

 

厄介な事になったと、武の顔が顰めたものになっていき―――その額に硬いものがぶつかった音がする。武は思わず痛っ、と呟いて額を押えた。

 

そして樹と自分を隔てていた机の上に転がったものを見て、呟く。

 

「硬貨………っていきなり何すんだよ樹!」

 

「この期に及んで腑抜けた顔を見せるな、バカ者」

 

樹は叱りつけるように告げた。武はその口調に聞き覚えがあった。大陸に居た頃、教養が足りなすぎると授業を受けていた時のことだ。日本の常識など、実際に役に立つものは多かったが、当時は理解できずに流して聞いていた。その時に、聞いたフリをするなと拳骨を落とした時と似た声で樹は続けた。

 

「副隊長はお前を国に返さなかった。奇貨にも程があるだろうお前を、信じる事にした。お前の意志を尊重した上で自分の目的を達成するために利用した」

 

未来の情報を持つ者。有用性は高いが、現実に存在する筈がない。もしも間諜の類であったなら、事は自分だけに収まらない。情報は時に銃よりも人を殺す武器になる。最悪は部隊の全滅も視野に入れなければならないぐらいに。

 

「それでも信用した理由は何か。あの時の厳しすぎる戦況の中で優先したものはなんだ? 何もかもが足りない中で、最後に掴みとったものがある」

 

マンダレーハイヴの攻略と、応用教本の完成。それは自分達だけではない、世界中に存在する衛士の希望となり、糧となった。

 

「副隊長の一番弟子を名乗るなら、忘れるな。まだ何もかもが手遅れになった訳じゃない………分かるな?」

 

「ああ………掴んだ情報。それが悪いものであっても、時と場合によっては好機(チャンス)に変えられる」

 

与えられた情報を見てそのまま諦めるのではなく、活用するための礎にしろ。樹の言葉に、武は頷いた。

 

「悪い………少し考えてみる。それにしても、今更になって分からされるな。ターラー教官の凄さが」

 

人を動かす立場になって初めて理解できる。こんな小僧の戯れ言に耳を傾け、それを活用しようなどという事のリスクを。

 

「ある程度の信用は勝ち取っていたからな。それでも、ここに来たからには今までのやり方がそのまま通用しなくなるぞ」

 

「分かってるって。あの3人………いや、A-01の事だろ?」

 

武が感じたのは、自分に対する信用の判別が紫藤樹という先任を通したものだったこと。まだ初対面で、常識外の動きしか見せない自分を、そのまま受け入れてくれるような奇特な人間が多いはずもなく。神宮司まりも、伊隅みちるといった、記憶の中にある人物も、かつての関係があるから、という言葉が免罪符にはなりえない。ここからの行動によって信用を勝ち得ていくより他はないのだ。

 

「今は、あの動きを見せた衛士とお前を、等号で結ぶことができていないようだがな。次に会った時は覚悟しておけよ」

 

「あー………それでもまあ、いつもの通りにやるつもりだ。難しいことばっかり考えてるとバカが更に進行するし」

 

「思考停止するなバカ者。いや、ちょっと待てお前、まさか」

 

「色々とやることあるし、最低限連携できたらあとは部隊内の調整とかは樹に任せようかと、ってひててて」

 

樹は立ち上がると武の頬を両側から掌で挟み込む。そして奇妙なひょっとこのような顔になった武を前に、安心したと呟いた。

 

何が、と間抜けな顔をする武に、樹は躊躇いながらも答えた。

 

「杞憂だったという話だ。面倒くさい所は放り投げてくる所や、それ以外も………やはりお前は、お前のままだったようだ」

 

「………へっ?」

 

「違う自分の記憶が刻まれた、と言っただろう。それを聞いて、人格までもが変質してしまったのではないかと思ってな」

 

人格を象る要素の一つが記憶である。樹はそう思っているからこそ、平行世界の記憶とやらを思い出した―――あるいは叩きこまれた武が、自分の知っている武ではなくなっているのではないかと考えたのだ。

 

武は変わっているのかもしれないけど、と呟きつつも答えた。

 

俺は俺だ、と。

 

「一緒じゃないかもしれないけど、俺はこんなんだ。多少は時間が経ってるし、あっちで色々と経験した分だけ変わっているのかもしれないけど………自覚ないしな。いや、むしろ成長している感じか? こう、ズバーンしてニョキニョキって」

 

「………人が成長する音じゃないんだが」

 

樹は苦笑しながら、武の頬から手を放し。それにしてもと、生暖かい眼で成長したその姿を見た。

 

「本当に―――大きくなったな。身長も、いつの間にか追い抜かれてしまった」

 

「そうだろ。だってもう17になるんだぜ? 樹は………26になるんだっけか?」

 

「ああ。神宮司軍曹と同じ年だな」

 

「そうかあ………ていうかなんで自己紹介の時に言わなかったんだろ」

 

「複雑な女心というやつだろう。言っておくが本人にそれ以上の追求はするなよ………こっちとしては十分若いと思うんだが」

 

「まあ、ターラー教官と比べればなぁ………ってなんか寒気がするような」

 

武は左右を見渡した。

 

懲りろ、という樹の声を聞きながらそういえばと思いついたように言った。

 

「身長が樹以上になったって事は………隊内最低身長は」

 

「アーサーには言うなよ、武士の情けだ。というより、さっきからどうしてそう、さらりと話を酷い方向に持っていく」

 

樹はデリカシーというものを学べ、と溜息をついた。

 

「自重するお前はきっとお前じゃなくなるんだろうが………それで、だ。クラッカー中隊の面々に連絡は? 生存だけでも報せるつもりか」

 

特に玉玲(ユーリン)には一刻も早く連絡を、という言葉を樹はすんでの所で呑み込んで、どうするのか尋ねた。伝えるにも躊躇う内容だ。伝えてほしくないかもしれない、という考えもある。

 

武は、悩む表情をしながらも状況次第になるな、と答えた。

 

「とにかく今は裏方に徹するつもりだから………連絡したいけど、まずは国内のあれこれに対処する。やる事は嫌っていうぐらいあるし」

 

武の言葉に樹はそうかと頷き、問いを重ねた。

 

鑑純夏の事はどうする、と。武は一瞬だけ硬直すると、用意していた答えを述べるかのように口を開いた。

 

「連絡は、しない。生存がバレるのは拙いし………純夏を巻き込みたくないんだ」

 

「………気持ちは分かるが、居場所を聞くつもりもないのか」

 

「聞けば会いたくなるからな。ちょっと、我慢できる自信がない」

 

横浜と鑑家と純夏は、帰る場所と取り戻すべき日常の象徴だった。だからこそ血なまぐさい陰謀で汚したくはないと、武は首を横に振った。先日に見た光景が、廃墟になっていた町が、撃震に押し潰された鑑家が脳裏に刻まれていても。

 

「だからこそこれ以上、か………」

 

「ああ………ってどうした? なんか、知ってるようだけど」

 

「今は言えん。鑑一家は全員無事で、なんら心配することはないが………それでもな」

 

「それだけ分かれば十分だって」

 

武は笑って、現状のまとめと達成すべき目的を並べ始めた。

 

主に解決すべき問題として浮かび上がるのは、帝国内の不和のこと。オルタネイティヴ4を遂行するための布石である佐渡島ハイヴ攻略と、別の事件を考えれば、これらを望む方向に達成するためには、斯衛を含めた帝国軍内においてある程度以上に統一された意識が必要になる。万が一にも内部分裂して士気崩壊で撤退ともなれば、その時点で色々と終わる。

 

「そうだな………解決策は?」

 

「XM3を、新OSを配布する。新しい可能性を示す。その上で佐渡島ハイヴを攻略すれば?」

 

「戦術機によるハイヴ攻略が夢ではなくなる………いや、夢を現実の所まで引き摺り下ろせる、か」

 

「俺たちの悲願だろ? もう一つは―――今はまだ言えない」

 

不確定要素が多すぎて、と武は言葉を濁した。クーデターそのものが起きなかった世界もある。彩峰元中将が生存しているなど、平行世界とは異なる点も多数存在する。

 

「でも、不和を取り除くのは比較的簡単だと思う。幸いにして、共通する敵は定まっているし」

 

「そうだな。一にBETA、二に米国か」

 

前者は元より、後者はオルタネイティヴ5を推進する存在として。感情は措いて先の事を考えれば、従うべきではなく、可能であれば打ちのめさなければならない相手だ。

 

「だが、並大抵の事じゃないぞ」

 

「ああ………分かってる。だからこそ、一番先にやっとく事があるんだ」

 

感情的にも、と武は言った。

 

 

「連絡があった。指定した場所へ行け、って」

 

 

サーシャを治せる目処がたったらしいと。武の言葉を聞いた樹はかつてないぐらいの勢いで立ち上がり、その余波を受けた椅子が音を立てて地面に転がった。

 

 

 

 




次は水曜日までに。

ちょっと文字数少なめですが、上げる予定です。


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