Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

164 / 275
今回のお題は以下です。


 ・3章 明星作戦前。武があの行動を取る事を事前に知らされた人の反応

 ・3章、最終話、極東最強の衛士の戦死を知った人達の話


シリーズ:斯衛之5と単独もの

・3章 明星作戦前。武があの行動を取る事を事前に知らされた人の反応

 

 

 

 

「―――以上が、オレの仕掛ける策の全てです」

 

数カ月後に発令されるであろう明星作戦において、G弾によって起きる時空の歪を利用して平行世界へ移動する、と。

 

白銀の説明の後、地獄のような沈黙が流れた。それはそうだ。崇継様も風守女史も即座には言葉を発せないでいるが、道理である。あるいは風守光以上に戦場でのあいつを知っている私―――真壁介六郎自身も、何もかも忘れて絶句した程なのだから。

 

横浜ハイヴ奪還作戦、その失敗から米国のG弾投下までは許容範囲だ。まだ予測はできる。だが、その機に乗じて平行世界とやらに渡るなどという与太話を聞かされれば話は別だ。確率どころか、正気か否かを論じる段階に入っても当然のこと。

 

だというのに、崇継様はただ問いかけをした。確率は如何程なのか、と。

 

「ええと………7割、程度ですかね」

 

「―――ふむ」

 

主語がなく、答えになっていない。成功の確率か、失敗の確率か、それも分からない返答があるか。崇継様も分かっていらっしゃるだろうに、問いを重ねない。煮え切らない態度だと思うが、意図しての事だ。

 

そして、私にもその思惑は測ることができた。数秒も待たずに、その思惑の矛先である女性が声を上げた。

 

「他に………何か、方法はないのか? いや、もっと成功の確率が上がる方策でも良い」

 

泣かないだけで最低限。否定しないだけで及第点。立場を考えれば、止めたくて仕方がないはずだろう。だが私情を抑え、公的な立場をわきまえた風守女史の問いかけに、息子である奴は答えなかった。

 

否、無言という答えを返していたのだ。つまりは、そのような方法など無いということ。風守光もそれを悟ったのだろう、黙りこんだ。それでも諦めない。当たり前だ。どの世界に、腹を痛めて産んだ息子が投身自殺に等しい死地に赴く事を良しとする。

 

感情論で言えば否決の一点張りだろう。だが、武家としての立場がそれを許さない。斑鳩崇継の傍役だった。何より、人類の鋒として戦う衛士だった。その方法を選ばない場合の、人類側の損失は情感もたっぷりに語られていた。

 

それでも、それはただの理屈である事も確かだ。感情で言えば頷かなくても良いかもしれない。立場も責務も無ければ、あらゆる言葉を駆使して白銀を止めただろう。だからといって、納得などできる筈もない。視認できそうなぐらいに煮詰まった葛藤。同じくそれを見ていたのは、私だけではなかった。

 

「………贅沢な悩みなんだよ、母さん」

 

一拍を置いて、白銀は自分の拳を軽く握りしめた。

 

「俺は………今まで、甘えていた。死守を命じられて。捨て石になれと言われた事がない。全てを理解しながらも、S-11を抱いて敵陣深くに身を投げるって立場に立たされたことがなかった」

 

「―――それは」

 

「適材適所だってのは分かってる。でも、人類のために死んだ人達が居る。状況に相応しいからって、命が左右された。なら………ここで俺が逃げるのは、卑怯なことだ」

 

「―――っ」

 

風守が言葉に詰まる。その様子を見て、白銀は静かに語りかけるように告げた。

 

「だって、そうに決まってる。これは俺にしか出来ない事なんだ。なのに、そこから目を背けて尻まくるなんて、誰が許しても俺自身が許さない」

 

見てきた死があるからこそ、その選択をするなら自分は肥溜めの底の井戸のヨゴレにも劣る。そう断言して、白銀は拳を開いて掌を見た。

 

「掴めるものがある。まだ、溢れていないんだ。成功すればより多くの人の命が救える………俺だけにしか救えない命がある」

 

その眼に最早迷いはない。それでも黙りこんだ風守に代わり、言葉を返す。

 

「自分が命を賭けることで、その人を助ける事ができるならば。そう主張するのだな、貴様は」

 

「はい。一人で助かったってしようがない。一人で食べる飯は旨くない。料理は同じはずなんです。だけど、絶対的に違った。バカみたいに騒ぎながら、笑い合ってかっ食らた飯の味を………あれを、忘れたくない」

 

忘れていないとの主張に、溜息と共に答えた。

 

「BETAを前に、救える命のために逃げることはしたくない………それが貴様の立脚点か」

 

いや、失う事こそを恐れているのか。磐田中尉と吉倉中尉だけではない、古都里少尉が死にそうになった時のこいつの様子は尋常じゃなかった。常人の比じゃないぐらい多く、戦友の死を間近で見たはずなのに、塵の欠片ほども慣れていないのだ。

 

どうしようもなく弱いと言えよう。割り切る強さを持っていないというのは、致命的だ。こういう職業にこそ必須になる技術だというのに、極端にその方面での才能がない。

 

―――なればこそ、か。己の弱さが重しになっているからこそ鍛錬に身が入る。そうしてずっとこいつは戦場を渡り歩いてきたのだ。次こそは、次こそはと。そうして辿り着いたのが現在であるならば、もう問答の余地はないと見た方がいい。

 

故に、風守光に視線で言葉を投げかける。これ以上は無粋を通り越して侮辱だ。白銀はそれを了承と取ったのか、崇継様を見た。

 

「………右か、左か。其方は既に選んでいるのだな」

 

「はい―――葛藤は済ませました」

 

「―――分かった。ならば、聞くがいい」

 

「え………」

 

崇継様は滅多にみせない、虚飾の一切を取り払った眼を。

見慣れていないからであろう戸惑う白銀に、告げられた。

 

「風守武。否、白銀武。明星作戦において、G弾炸裂時にその中心へ往け。異なる世界より情報を入手し、人類のために戦え。拒否は許さぬ。これは、何よりも優先されるべき命令だ」

 

それは私をして聞いたことがない、斉御司公の重厚さと、九條公の苛烈さを思わせる声。白銀は真正面からそれを受け止めるだけではなく、姿勢を正して見事な敬礼と共に大声で応えた。

 

「―――はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、白銀が退室した後の部屋。誰も、何も言わなかった。崇継様の意図は把握している。長らく傍役を務めている風守ならば余計にだろう。

 

白銀は、もう止まらない。誰が制止の声を叩きつけようとも無駄だ。最悪は斯衛を抜けてでも実行するだろう。より危険の多い方法であっても、明星作戦に参加する事を諦めはしない。

 

見上げた決意である。ならば、せめてその時まで死なないように送り出してやる事こそが最善の選択となる。

 

もっとも―――風守光に対しての配慮も含まれているだろうが。

 

「………甘い、ですね。相変わらず」

 

「そう言うな、介六郎」

 

まるで予想していたと言わんばかりの返しに、改めてこのお方には敵わないと思わされる。そんな人でさえ、風守光には甘い。崇継様が命令という形を取ったのは、風守に責任を負わせないためだ。主君に命令されたのならば、という風守にとっての言い訳を作るためでもあろう。

 

少し、贔屓が過ぎると思う。私がそんな事を考えていると、崇継様は少し愉快そうに笑った。

 

「感謝の証だよ。若かりし頃とはいえ………傲慢な子供の思い上がりを、見事に潰してくれたのでな」

 

これは奉公に対する恩だと、崇継様は笑う。

 

「………幼少の頃はな。私にも些かの自負はあった。才があるのに無いと宣うことこそが驕慢だと、そう思っていた」

 

全ての方面において才能があったかもしれんが、と崇継様は苦味を含んだ自嘲を零した。どこにその成分があるのかは分からない。それほどまでに崇継様の才は際立っていたのだ。文武だけにとどまらず、芸術にも高い適性があると詩の教師役をうならせるほどだ。

 

「相応に人を観察する能力にも長けていた。だからであろうな。私にはまるで、人が演者のように見えて仕方がなかった」

 

武家において、才の有無は大きな判断基準だ。才能が無いものは大成せず、要領の悪い者は未来を閉ざされる。それが見えていたからこそ、崇継様は人の歩む道がまるで線路を辿る亡者のようなものだと評していたと言う。

 

「なのに、どうして無駄な努力を重ねるのか。続く道の先に未来はないのに、どうしてそのような必死な形相で歩みを進めるのか」

 

先の他人に対する所感を含めての問い。そこには、戯れが多分に含まれていたという。近くに居て、衛士としての才を唯一認めていた風守にそう話したと、笑う。

 

風守の義務を務めるのに必死な者であれば。代理としても、斑鳩に対する奉公に粉骨砕身で臨んでいる者であれば、悪いことにはならないと判断して。

 

「………いや、その。そう前置かれるということは?」

 

「回答は今でも思い出せる痛烈な平手打ちだ。流石に度肝を抜かれたぞ」

 

笑っているが、笑えない。風守自身も、沈痛な面持ちどころではない。崇継様の話に引きこまれていた。

 

「―――“いずれ犯すであろう過ちを防ぐための、一打ちです”。そう告げて、一歩退いたのだ。私は忘我の縁より戻ってすぐ、間合いを詰めた。どう見てもその場で腹を切りそうだった故な」

 

冷や汗を覚えたのは生まれて始めてだ、と崇継様は小さく笑う。

 

「最終的には命令をもって制止し、質問を重ねた。得られた単語は明快だった―――“人が人の全てを測れることなどありえませぬ”、と」

 

反論は封じられていた。崇継様は、風守が、その名前を冠するものが自殺に似た暴挙をするなど思ってもいなかったのだ。

 

「分からぬから問いを重ねた。読めると思っていたのだ。なのにそれが不可能だと身をもって主張する。ならば、どうすれば我は、私達はこの混沌とした時代を切り開けるのか。風守は、苦笑しながら応えた。まずは諦める事が最優先であると」

 

「………諦める、ですか?」

 

「そうだ。“楽をしたいという気持ちを、諦める”」

 

人が理屈だけで動く、そんな甘い世界は存在しないのだと。

 

「世界とは人だ。人の動きで決まる。だが人を見ただけで読み取って掴める、唯一絶対の最良なる解答など存在しない。ならば、時と努力、血と汗を積み上げながら、一歩づつその最善に歩み寄っていく他に方法はなく。高きに至る足場を組む材料を調達し、地道に組み上げていくしかない」

 

材料とは、情報だけではない様々なもの。崇継様は臣下にそれを命じ、入手したものを組み立てていく、崇継様にしかできない役割を背負っていると。

 

「それを理解した時は、世界の広大さと裏に潜んでいる闇の深さに目眩さえ覚えたぞ。当たり前だろう。十人十色とも表現すべき様々な人間が、それぞれの欲望を胸に各々勝手に蠢いているのだから」

 

苦笑し、崇継様は重ねられた。

 

「………どこまでも道理だからこそ分かる。風守がおらぬならば、私は盛大に痛い目を見ていたであろう。故に我は凡人なのだ。そうだろう? 思い上がりで足元を救われるなど、あり得て良い筈がない。そうして、質問をした。初めてだった。脇目もふらず、真実を………答えを知りたいと思ったのは」

 

崇継様は問うたという。“ならば、私はこの闇をどうやって歩けば良いのだ”。

風守は、神妙に答えた。“暗闇に呑まれず、歩く勇気を。苦境を笑って踏破できるたくましさを”。

 

「厳しい傍役だと思ったが―――納得はできた」

 

「………それは。しかし、その後の事はどうやって………いえ、まさか」

 

「そうだ。一度だけ、私が奇行と呼べる行動をしたことがあったが、忘れたか?」

 

「まさか………忘れられません」

 

雨の日の後だった。そうだった。崇継様はあの時、両頬を真っ赤にして道場に現れられたのだ。問い詰める当時の斑鳩当主に、崇継様は答えた。

 

自分が腑抜けている事が自覚できたから、自分の両頬を自分で張り飛ばすことで、気合を入れなおしたのだと。

 

「あ………そういえば、その後は」

 

「そうだ。当時は師であった紅蓮のやつは笑い、本気を見せた。当時は怖気が走るほどの剣気だったが………良い経験になった。身近な者さえも、測りきれていなかったという、戒めにもなった故な」

 

そう告げる崇継様はほんのすこし、暗い表情を見せた。恥じているのか、紅蓮の事を苛立たしく思っているのか。これもまた珍しい。そしてまた珍しい事に、罰の悪そうな顔で風守に向き直った。

 

「………心配をする必要はない。あの時、其方は言った。苦境を愛せと。されば世界は輝いて見えると。その言葉を、本当の意味で理解したのはたった今だ」

 

「………その、意味とは?」

 

「絶望が闊歩する世界の中であっても、同じように抗っている者が見て取れる。ならば世界は素晴らしいだろう? ―――闇に負けてたまるものかと懸命に瞬く、我と同じ人が居るのだから」

 

だからこそ、と。ようやく顔を上げた風守に対し、崇継様は言った。

 

 

「―――信じて待て。其方達を両親に持つあ奴が、たかが人が産みだした暗闇に負ける筈がないだろう」

 

「………私と影行さん、ですか?」

 

「そうだ」

 

そうして、崇継様は告げた。

 

 

「影を行くが如く道の中であっても、守るべき者にとっての光であれという―――“武”の本来の形を見出し、今も体現するあ奴だ。たかが世界の隔たりなどという暗闇に負けるはずがないだろう」

 

 

故に信じて待っていてやれ、と。

 

告げる崇継様はいつもの通り、何をも物ともしない頼もしさがあって。

 

その声を前に、私と風守は共に自然に、何の躊躇もなく心よりの臣下の礼を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・3章、最終話、極東最強の衛士の戦死を知った人達の話

 

 

アジアで間違いなく最大規模であるハイヴ攻略作戦―――明星作戦(オペレーション・ルシファー)が終わったその明後日。本土防衛軍の第1師団の生き残りが駐屯する基地の中のとある一室で、男は号外をじっと見ながら黙り込んでいた。場所は食堂。日の本の命運を左右する大規模作戦の後ということもあり、どこもかしこも落ち着いてない。その中でも有名人であった男に注目する者は多く。その中の勇気ある一人が、このままではならぬと意を決して話しかけた。

 

「霧島少尉………それは?」

 

「帝都の方でもらった号外だ。見るか?」

 

勇気ある男は、受け取った紙に書かれている文章を追って読んでいき。数秒後に、硬直した。

 

「ま、さか………赤の雷神が、あの爆発の中心に!?」

 

その声に、衛士の全員が振り返った。そして声の発生源に駆け寄るや、号外の紙を取り合うように読みあう。

 

赤の武御雷、堕つ。その報を見た者の反応は様々だった。膝を落とすもの。無言で尻もちをつくもの。崩れ落ちるように倒れるもの。そこいらの物に当たり散らすもの。共通しているのは、悲嘆が含まれているということ。

 

その中で霧島祐悟は、ぼうっと窓の外を見ながら呟いた。

 

「そうか………お前も逝ったか」

 

噛みしめるように繰り返す。嘆き悲しむ衛士達には聞こえていない。その群れを割って入るように現れた者以外には。

 

屈強な雰囲気を纏う衛士を両脇に、中央に居た男が祐悟の前に。その姿を視認した祐悟は、何でもないように告げた。

 

「そんなに厳つい顔で………何のようでしょうか、沙霧中尉」

 

「お話があって来ました、霧島大尉」

 

「そんな男は知りませんよ。俺の階級は少尉です。中尉も知っての通りに」

 

「………耳にはしました。ですが、認められません………真っ当な評価をされていれば、もっと上に行けていた筈です」

 

「筈、筈か………変わらねえなぁお前も。明星作戦が終わって間もない、混乱も甚だしい時だってのに落ち着けないのか」

 

「っ、だからこそです! 他国の軍が、それも戦時に逃げ出した臆病者が、問答無用で影響も不透明な汚染兵器を使うなどと、あって良い筈がない!」

 

「………そこまで言うか。場所が拙い―――という訳でもないか」

 

気づけば、周囲には本土防衛軍の衛士以外の姿はなくなっていた。その誰もが、同じ憤りを抱いているようだ。その筆頭である沙霧は、全ては政府の弱腰外交が原因だと激昂した。対する霧島は何も答えなかった。ただ、胸ポケットにあった最後のタバコに火をつけ、深く息を吸うと、白い煙と共に呼気を吐き出した。

 

「………それで? 正しくない、ならどうする」

 

「本来の正しきを通すべく動く。ただ、それだけです」

 

有無を言わさない、沙霧は強硬な姿勢で一歩詰める。それを前にして、霧島はタバコを吹かした。赤い灯火が少し明るくなっては小さくなる。一拍を置いて白い煙が吐き出された後、霧島はゆっくりと口を開いた。

 

「努力は報われない。官僚体質がいつまでも抜けない政治屋どもは今日この時でさえも柔らかいベッドで就寝中だ」

 

「………それだけではありません。この期に及んで責任のなすりつけ合いをしているようです」

 

「よく届く耳だな。で、政治屋どもは今日も意外性のない行動しかしていないってか? ………なけなしの勇気出して、前線で命張った奴だけが損をする。珍しい話じゃない。よくある話でつまらんな」

 

「言っている場合ではありません! 大尉はそれが、許されるとでもお思いなのですか!」

 

「知らんよ。俺は、人間が平等だなんて信じちゃいないしな」

 

祐悟の言葉に、沙霧は更に怒りの言葉を叩きつけようとするが、寸前で声が挟まった。他ならぬ祐悟の声によって。

 

「だが―――流石に、呆けるのにも限度がある」

 

祐悟の脳裏には、赤の武御雷の中に居たであろう少年の姿が焼き付いていた。繰り返す。どうして、あいつが死んだのに性根と腹が腐った糞ったれ共が生きているのかと。

 

「っ、では………私達に、協力して頂けると?」

 

「ああ。ただし、頭はお前だ。俺には相応しくない」

 

それは祐悟の本音だった。今更、人を諭すも説くも面倒くさいと思っていたからだ。自棄になっている。その自覚はあっても、燻り出した胸の底は熱を出し始めたが故に。

 

 

「政治屋、腐れ官僚どもを殺す時は呼べ。花火の時間に遅れないよう、いの一番に駆けつけてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国陸軍の指揮官にあてがわれた部屋。その中心で、二人の中佐が眉間に皺という皺を寄せていた。

 

「………武御雷に乗ってた英雄衛士殿がついに死んだ、か」

 

小さく呟いたのは今や陸軍でも有数の発言力を持つに至った尾花晴臣だ。そのまま、目の前に居るかつての同期に向かって、声をかけた。

 

「私的な事は置いて、だ。真田。お前はこの情報をどう見る」

 

「残念と一言だ。それだけではない。英雄が死んだことで、衛士の士気は下がる。回復にも時間がかかるだろうな」

 

輝けるものこそ、堕ちた時にはその暗さが際立つ。緊張した声と共に、真田は言った。

 

「佐渡のハイヴも健在だ。それだけじゃない。急ぎ態勢を建てなおさなければ、米国にいいようにされかねん。奴らの狙いは明白だ。斯衛としては、どう動くか分からないが………尾花、お前はどう考えている」

 

「士気云々に関してはお前と同意見だ。米国だけではない、国連に対する敵愾心が高まっている………人類同士の殺し合い、という事態だけは避けなければな」

 

明星作戦における損耗率は類を見ない。日本が保有する戦力がまた減じたのだ。その上で士気が下がっているままでは、米国にいいようにされかねない。それに反発してなし崩しに武力衝突、というのもあり得ない話ではない。もっとも、その時は国力が衰えた日本帝国の方が圧倒的に不利になるだろうが。

 

「ふん、確かに。BETAに漁夫の利を得られるのも業腹だ。しかし、武御雷の衛士か………うん? 名前を、なんといったか」

 

お前は知っているのだったか、と真田は不思議そうな顔を尾花に向ける。尾花は訝しげな表情のまま、真田を睨みつけた。

 

「長らく斯衛で娘の如き女学生を相手にして惚けたか? ―――白銀武だ。以前、貴様にも話しただろうが」

 

「………っ! ああ、そうだ思い出した。何をするにも非常識な衛士、だったか」

 

「そうだ。連戦の疲労が溜まっているのか。まったく………彩峰元中将に聞かれたらどやされるぞ」

 

「ふ………そうだな。斎藤の弔いも済んでいない。腑抜けるにはまだ早いか」

 

真田が自嘲する。尾花はその様子を見て、相当参っているなと不安を覚えていた。斎藤貴子は、京都より真田を支えていた部下でもある。実力も確かであり、それなりに名前も売れていたが、要撃級に足止めを受けていた所をG弾の爆発に飲み込まれて塵となった。その時の真田機との距離、僅かに200m。戦術機ならば数秒の、僅か過ぎる距離だが、それが二人の生死を分かつ線となった。

 

「米国の糞ったれが、やってくれる。陸軍も我慢できたのが奇跡だ。これ以上間違えれば戦争になりかねんぞ」

 

「そうだな………本土防衛軍の方も同様だ。気持ちは分かるが」

 

「………噂では、官僚の中に米国へ情報を流していた売国奴が居たと聞くがな。なんなら、どうだ。腐って仕事をしなかった官僚共に、物理的な意味で抗議文を叩きつけてやるか?」

 

「いや………そうしたい気持ちが、無いと言えば嘘になる。だが、できんだろうな。感情に任せて拳を振り上げるには、あまりに多くのものを見過ぎた」

 

どの組織にも、立場にも、背景があって役割がある。それを力づくで壊すことなど、考えるだけで恐怖を覚える。真田はそう告げて、自嘲した。

 

「それに、G弾投下を許したのは他ならぬ俺たちだ。責任転嫁になりかねん情けない真似をするのはゴメンこうむる」

 

「ふん………しかし、G弾か。その爆発は鮮やかだったと聞く。極一部だが、あの破壊力に魅せられている者も居るようだ。お前はどうだった」

 

「どう、とは。はっきりと言え」

 

言葉を返すが、その声は低い。尾花はそれを真正面から受け止めて、更に返した。

 

「怖い顔をするな。間近で見た感想を聞きたいんだよ」

 

遠慮も何も無い問いかけ。それでも真剣な表情のまま問いを重ねる尾花に、真田は小さく舌を打ち鳴らし。視線を逸らしながら、小さく口を開いた。

 

「あれは、駄目だ。なんというか………ダメとしかいいようがないが、とにかくダメなんだ」

 

「ダメ、とは? 要領を得んぞ。軍人ならば報告は端的でも明確にするのが当然だろう」

 

「ああ、分かっている。だがそうとしか形容しようがない。例えるならば………寝ている時に、たまにあるだろう? ふと、どこまでも落ちていくような錯覚に陥る」

 

何かから落ちた時のような、浮遊感。起きては覚めるそれが、いつまでも続いていく悪寒に襲われたと真田は言う。

 

「破壊力で言えば申し分がないが、あれはダメだ。使う度に………拙い事態になるような気がする」

 

「………そう、か」

 

物言いは軍人らしくなく、次に繋がる情報でもない。それでも尾花晴臣は真田晃蔵が歴戦の衛士である事を知っている。間違っても、このような状況でとち狂うほど弱い男でないことも。

 

ならば、相応の理由があるのだ。G弾には普通ではない、欠点がある。仮ではあるが所感をまとめた尾花は、窓の外を見た。

 

空は暗く、欠片の青も見えない。明星作戦の時もそうだった。

 

(そうだ、あんな日であれば………一番星も落ちる事が、あるかもしれない)

 

入手した情報を分析した結果が物語っている。赤の武御雷に乗っている衛士は白銀武であり、爆発時にはその爆心地近くに居た。号外で出回っていることからも、恐らく間違いはない。

 

(問題は、その号外が出たこと。このような時期に? 何かしらの背景があると、疑ってくれと言っているようなものだ)

 

裏に居るものは、武御雷撃墜の報を、衛士の死という情報を利用しているのか。

―――それとも、撃墜の報を衛士こそが利用したのか。

 

「いずれにせよ、留まってはおれんな」

 

今までと変わらぬ、と尾花は呟いた。生きているにせよ、死んでいるにせよ、この身は人類を守護する軍の鋒である。

 

(白銀が死んでいるならば、その穴を埋める。生きているならば………いずれ起きるであろう祭りに向けて備えなければな)

 

横浜ハイヴは、恐らく国連に接収されるだろう。だが、絶望ではない。その裏にちらつく者の姿は、他ならぬ噂の天才科学者なのだから。

 

確かに、無様に帝国が終わった訳でもない。立ち止まっていい理由など一つもない。

 

「初芝あたりも、そう考えていそうだな」

 

「うん、何か言ったか?」

 

「いや………仕事の時間だと、そう思っただけだ」

 

 

夢を見るには年を食い過ぎている。それでも、年輪が見えるほどに重ねられた者であるからこそ出来る事がある。

 

そうして尾花晴臣は、自らの信念を疑わず、次なる動乱と戦争に頭を悩ませながらも立ち上がり、自分の足で歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、大東亜連合の戦術機甲連隊が駐屯する松島基地。そのハンガーの中で、ターラー・ホワイトは動き回っていた。書類での仕事が終わった後、自らの足で衛士達を励まして回っているのだ。

 

明星作戦における損耗率は帝国軍ほどではないが小さくなく、結果的に米国と国連に成果を持って行かれたという事も大きい。親交が深まってきた日本である。古くは第二次大戦時より、現在ではインフラや食料その他、自国を豊かにしてくれた恩義ある国である。その危機を救うためであり、ハイヴ攻略という衛士の本懐でもある作戦に参加した衛士達の士気は非常に高かったのだ。

 

なのに、散々な結末。特に若い衛士は自信を喪失したのか、まともな精神状態ではない者も居た。ターラーはその者達を見る。同じく疲労した衛士や、本国より連れてきた整備兵達を労う。

 

赤の武御雷に誰が乗っているのかなど、わかりきっている。その中に居る者が普通ならばどうなったかなど、考えるまでもない。

 

だが、信じない。偶然に武御雷を見たという衛士から情報を得た上での結論だ。

 

BETAはついに中国から韓国を越えて日本へ、その半分を喰らい尽くした。劣勢である事は疑いようがない。東南アジアとて今は侵攻の足音が小さくなっているが、一度本腰を入れられれば次こそ蹂躙される。

 

なればこそ、とターラーは思うのだ。まだ何も終わっておらず、始まったばかりのこの戦争。なのに、自ら爆心地へ赴くということは、何かしらの理由があってこそ。

 

何よりも信じていた。間違っても自殺するような男ではないと。

 

だから、動きまわった。

 

―――自国に居た頃は考えられない。自分の限界を見誤って、倒れそうになった所をグエンに止められるまでずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下で一人、月詠真耶は窓の外を見上げていた。室内から聞こえる、覚えのない涙の声を耳に収めながら。

 

「………責めるに足る道理はない。多くが死んだ。貴様もその内の一人だったという訳だ」

 

何もおかしい所はない。それどころか、最前線で戦って最後まで生き抜いた事を認め、称賛するべきだろう。

 

「なのに、どうしてだろうな。欠片たりとも、そういう気にはならんのだ」

 

真耶には、今現在進行形で、誰にも言えない本音があった。

 

―――何もかも忘れ、戦友の死に心を傾けたいと。それは五摂家の傍役であり赤の衛士には許されない、傲慢たる願い。

 

それでも、奇跡的に時間は出来た。いい含めたこともあって、この廊下にはあと30分は無人のまま。寝静まった夜の町と同じだ。

 

その静寂の中で一人、月詠真耶は瞳を閉じて静かに悲しみに身を任せた。

 

―――明るくも強い、絶望の中でなお輝いていた白い銀の輝きを思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どうであった、介六郎」

 

「16大隊の生き残りの内、覚えているのは全体の8割。2割には一時的な記憶の欠損が認められたとのことです」

 

介六郎は慎重に集めまわった情報を崇継に報告してすぐ、隣に居る人物を見た。風守光。白銀武の母。俯いて顔が見えない姿に、語りかけた。

 

「何を落ち込む。ここは喜ぶべきだろう―――っ」

 

介六郎は光から垣間見えた殺気の、あまりの鋭さに言葉を詰まらせた。だが数秒後には理をもってして論を諭した。

 

「誤解をするな、傍役。いついかなる時でも冷静さを欠くなと俺に教えたのは他ならぬ貴様だろうが」

 

介六郎は言い訳を吐かず、むしろ怒気を含めて語気を強めた。数秒の後、光はハッとなって崇継の方を見た。

 

「死ねば、それだけ………なのに、これは。記憶の喪失か、何かが起きているのならば」

 

「白銀武は命有るまま、異世界へと旅立った。そう判断して間違いないだろうな」

 

それはひとまずの作戦の成功を意味していた。崇継が、腕を組んで溜息を吐く。

 

「無様を晒した甲斐があったということだ。最善は我々の力だけでハイヴの中枢を抑えることだったが………」

 

失敗し、多くの戦力を喪失した。横浜ハイヴの実権に関しても、これからは国連や米国からの干渉を途絶させることはできないだろう。日本の手だけで奪還できれば、話はまた違ったことになった。悔やまれるばかりだと、介六郎が舌打ちをした。

 

「16大隊も、すぐには動けそうにありません。流石に今回の事は堪えたようです。特に磐田の方は自責のあまり………あれは、一種の恐慌状態に陥っていますね」

 

介六郎は上がってきた報告のままを崇継と光に告げた。

 

「気丈に振舞っているようですが………自分の部屋の前でドアノブを握ったまま俯き硬直している姿が目撃されました。あくまで一例です。限界が来て取り繕えなくなった途端、壊れた時計のようになっているようですね」

 

恐らくは、この状況で錯乱するなど許されないという克己心と、内心より満ちて溢れる悲嘆が拮抗しているか。それも推測でしかなく、内面で何が起きているのか実の所は判断がつかない。それでもひと目で限界と分かる所作だ。崇継はすぐ様、磐田朱莉を強制的に休息を取らせるよう手配を進めた。

 

そうして、未だに暗い表情が抜けない光を見ながら内心で呟いた。

 

(明星は闇に落ちた………夕焼けはとうに、か)

 

宵の口を過ぎたばかりで黎明は遠く、夜の闇は今後更に深まっていく。崇継はこれより始まるであろう苦難を思った。

 

帝国の戦力は大きく減じた。それは兵士の心理にさえ影響が出る事を意味していた。米国憎しの声は条約破棄の頃とは比べ物にならないぐらい高まっていく。それでも厚顔であるかの国はこれより横浜を手中に収めるべく動きだすだろう。

 

政府や軍上層部としてはそれを利用せざるをえない。佐渡にはまだハイヴが残っているのだから。突っぱねた所に再度の侵攻があれば、今度こそ日本という国は終わってしまう。

 

(煌武院悠陽は傑物だ。それでも、事態の全てを好転させられるほど万能ではない)

 

それができるのならば最早人間ではない。文永の役―――元寇然り、いつの時代でも窮地を覆す土台を築き上げるのはいつだって人間だ。鎌倉武士の徹底した奮闘無くば神風も意味を成さなかったように。

 

それを体現した男が居た。諦めるという言葉を知らず、窮地であり、劣勢であり、人の身にとっては地獄に近しい場所でありながらも踊り続けた。

 

それだけではない。G弾を。目の当たりにすれば、感想もまた異なってくる。記憶にあると言った。なのにあれを知りながらも、黒い絶望の渦を既知に収めながらも望んで飛び込んでいった、知る限りは世界で一番の馬鹿者が居る。

 

見る前と後ではまるで違う。崇継は深く尊敬の念を抱きながら、誓った。

 

 

―――白銀の輝きが再び陽に照らされる、運命の日が訪れるその時まで。

 

間違いなく存在するであろう、今回の敗戦の前に諦めていない者達と共に、自分の出来る限りを賭して襲い来る滅びに抗うことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

女は。少女と呼ばれる年齢ではなくなったサーシャ・クズネツォワは。その名前の意味さえ忘れた彼女は、銀色でソバージュの髪を持つ女性は空を見上げた。隣に居る、背丈が低く同じ色の髪を持つ少女を無視してずっと。

 

「姉さん………」

 

沈んだ声。そこでサーシャは、視線を少女に―――社霞に向けた。そして悲しそうな表情をしている霞に向けて、笑顔を見せた。

 

どうして悲しんでいるのか分からない。その顔を見て、霞はハッとなった。

 

「もしかして………姉さんは、何か知っているんですか?」

 

「シって? ン………? ………っ、ン!」

 

不思議に首を傾げたかと思うと、満面の笑顔で頷く。霞はその行動の意図を測りかねていた。未だに己の姉的存在は、健康時とは程遠い状態だ。気まぐれか、と。視線を逸らそうとした霞の前に飛び込んできたものがあった。

 

それは、小指。邪気もなにもない顔で、サーシャは小指を立てながら霞に微笑んだ。言葉はない。それ以上の、何を伝えようかという仕草も皆無。

 

それでも、霞だけは分かっていた。形ではない。読み取った中で、サーシャ・クズネツォワのという女性の中にある感情こそがその証拠だった。

 

 

「………疑ってすら居ないんですね、姉さんは」

 

 

今のように、雲一つない快晴の。蒼穹以外になにもない空と等しく、サーシャの心は澄み渡っていた。疑っていない事を知った。白銀武が、こんな所で死ぬはずがないのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ時、青い空の下。銀色の少女達と同じく、東北は仙台市のとある土地。その訓練学校に続く道の上で、赤色の少女は銀色の女性と同じく、ただ空を見上げていた。

 

「………戻ってくるって、約束してくれた」

 

少女は知っていた。約束の相手のことを。悪戯好きだが、約束したことは守ってくれた。破られた事はない。ただ一つ、戦争の混乱に巻き込まれて手紙を出せなくなったことはあるが、結局は誤差の範囲になった。最後には戻ってきてくれたから。

 

だから、信じていない。白銀武らしき人物が戦死したなどという情報は。

 

動揺もしない。ミャンマーでの事が良い例だ。

 

「いっつもそうだよね、武ちゃんは………人の気なんて知らないでさ。大人の都合なんて関係なしに、自分の主張を諦めないし」

 

戦時においては尚更際立つ。常識や体裁なんてくそくらえとばかりに、事態をかき乱しはするものの打破していく。子供っぽい事は間違いないが、決して否定されるものではなかった。

 

 

「でも………待ち続けるのは、もう限界なんだ」

 

 

そうして、鑑純夏は歩き始めた。いつか、白銀武が戻ってきた時。その時、いの一番に会って。待ち合わせの遅刻を咎めるべく、想いをこめて鍛え上げた左拳をその腹筋に打ち込むために。

 

 

「絶対に、忘れない………他の誰が信じようとも、私だけは信じない。武ちゃんは絶対に、帰ってくるんだから」

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。