Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
●3.5章途中ターラー教官達と再会し武の事を問うタリサ
ベトナムはホーチミン市から少し離れた場所。街よりは大東亜連合の陸軍基地の方が少し近い地域。アタシはその道の上を走る、軍用車ではない限定的な公用車の助手席に収まっていた。日本製の車だからか、シートの座り心地と質感は非常に良かった。油断すれば寝てしまいそうになるぐらいに。
「………マナンダル。疲れているのなら、寝てても構わないぞ」
「はい、いいえグエン少佐殿。本来ならあたしの方が運転すべきですので………」
「敬語は必要ないぞ、マナンダル」
互いに休暇中だからして、フランクに接してくれて良い。そう言いたいんだろうけど、できる筈がないって。それほどまでに運転席に座っているグエン・ヴァン・カーンという衛士は有名人で、特に地元住民からは英雄の一人として讃えられている。
ミャンマーに造られたマンダレー・ハイヴの攻略。これが成らなければ、ベトナムを含む地続きである周辺国が蹂躙されていたってのはド素人でも分かる話だ。マンダレーにBETAの脅威がなくなり、重光線級の捕捉域が遠のいたということで交易も盛んになり、経済的に発展した事も大きい。
以前に中隊と少佐の功績を理解していなかったらしい訓練学校を出たての若い衛士が少佐に舐めた口を聞いた事があったけど、その後に彼を襲った悲劇は思い出したくない記憶の一つだった。
「………お前はそれ以上の活躍をしただろう。レッド・シフトが発動すれば、下手をしなくても世界が滅亡する可能性があった」
「でも、あたし一人の力じゃないですし。ていうか、貢献できたのは本当に僅かだったし、そんな恥知らずな真似はできません」
「そう言うな。同じ、命を賭けた事には変わらない」
言葉少なにほめてくれるのはいいが、どうにもむず痒くて全身を掻き毟りたくなる。たまらなくなって周辺を見回したけど、それよりも車の揺れが大きくなったのが気になった。いよいよもって道の舗装が怪しくなってきたみたいだ。基地に続く道はアスファルトで舗装されているが、孤児院に続くこの道は手が回っていない。
しばらくしてから、目的地にたどり着いた。“第4孤児院”という施設の名称が書かれた門を抜けて、建物の玄関を横切って行く。見える建物はホーチミン市内にあるものとはまた異なり、日本のRC(鉄筋コンクリート)構造を元に設計されていた。日本ほどではないが地震が起こるからと、耐震性が高い構造が選ばれたらしい。外壁にはその威容を和らげるための塗装が、窓枠にも厳しい印象を持たれないような装飾が施されていた。
「………綺麗になりましたね、ほんと」
「日本さまさまだ。以前の限界が見えている木造建築では………どうしてもな」
子供達の命を預かる所だからこそ安全性こそが重要となるのだ。そうした意志を示し、安価ではないRC構造での建造を命じたのは他ならぬベトナム政府だった。子供たちの未来を、という思想が見える政策は好感を持って受け入れられた。日本もその姿勢に好意を示し、当初より安価で建設に協力したという。
それだけではなくて、建設業を営んでいた傷痍軍人を派遣し、現地の人々にノウハウを教えているって聞いた。また、徴兵などで子供の数が減じた影響で職を失った教師の一部なども同様らしくて。
裏には、日本や東南アジア各国が絡んだ意図が色々とあるのだろう。某CP将校から聞いた話だけど、失業者も積もり積もれば不穏分子になりかねないらしい。東南アジア各国は、欧米に及ばないまでも技術水準を高める必要がある。インフラは整えられた。数世紀前とは見違えるほど。それでも維持するために必要な知識・技術は従来の比ではなくて。
子供達の未来を、というのはそういう意味も含まれているのは分かる。人的資源と兵力が等号で結ばれてもおかしくない時代だから。戦術機を筆頭に、取り扱うにも最低限の学がなければ通用しなくなっている。
だからこそか、孤児院の院長も厳選されている。抜き打ちで査察が入り、問題があった施設の院長などは問答無用で更迭されると聞いた。
その点において、院長は心配ない。この孤児院の院長であり、グエン・ヴァン・カーンの姉であるグエン・ジェウ・ハインは地元でも有名な名士であると同時に、言葉を飾らず例えれば生粋の“いい人”で知られていた。
―――だからこそ、隠れ蓑になる。相応しい場所じゃないけど、仕方がないと割り切るしかないかな。
「………何を考えているかしらんが、先に。弟に顔を見せてやれ」
「少佐は?」
「先にハインに会いに行く。挨拶もな………遠慮は不要だ。いつも子供たちの面倒を見てもらっているからな」
「………それは」
この孤児院に来た時は、ネレンだけではなく他の子供たちの面倒を見る事もある。ハイン院長に手伝いたいと願ったからだ。実際はネレンのここでの生活を聞きたいからだけど、少佐はそれでも嬉しく思っていたらしい。
「家族の再会にこの顔を挟むのも無粋だ………ではな」
そう告げて去っていく背中に感謝を告げる。気を使ってくれたのが分かったからだ。カーン少佐は寡黙だが、人を見ていない訳ではない。アタシと弟との関係を、全てではないが察しているからこその。
全てではないが、白黒を付けなければならない問題の多い事。それでも、とアタシは建物の中へ歩を進めていった。手入れが行き届いた、清潔な玄関。そこに見慣れた姿を認識すると同時、アタシは大声を出していた。
「―――ネレン!」
「あ………タリサ姉さん」
「久しぶり、元気だったか」
小さい声で答えながらも戸惑を見せた弟に駆け寄る。分厚い本を持ちながら、ネレンは何かを言おうとしたが、少し俯いた。
「なんだ、いきなり。元気ないのか?」
「ううん、そんなんじゃ………姉さんは、大丈夫?」
「何言ってんだよ。あたしはいつも元気だろ、ほら」
それだけが取り柄だって言うバカも居たけどうるせえよ。それよりも、とあたしはネレンの頭にぽんと手を置いた。するとネレンは驚いたように顔を上げ、あたしの顔を見るなり、えっ、と呟いた。
「………えっ、てなんだ。もしかしてなんかついてるのか、あたしの顔に?」
「え、いや………ついてなくて」
ネレンは虚を突かれたかのような表情になって、ぼそりと呟いた。
「取れた、のかな………ううん、違うか?」
「ネレン?」
ますます分からない。そうしている内に、孤児院に居る他の子供たちが駆け寄ってきた。ネレンの声が聞こえていたらしく、あたしの方を見ながら興味津々に尋ねてきた。
「ネレンドラくんのお姉さん………マナンダル? ってもしかして、グルカの衛士さま?!」
「あの、若手の超新星タリサ・マナンダル!? わたし、聞いたことある!」
途端に騒ぎ出した。ネレンドラに、どうして言わなかったのかと、詰問を始めるほど。というか、噂になってるってどういう事だ。というか評価が恥ずかしい。困惑していると、玄関の奥に人影が見えた。その人物―――ホアン・インファンは笑っていた。いかにも楽しそうに。それで、全てを察した。
あのアマ、ユーコンでの事を大々的に広めやがったのだ。グルカ、最近多くなってきた女性衛士、若手という宣伝材料を盛りやがったに違いない。
その意図は分かる。ここ1年の間、大東亜連合には大きな功績を挙げる者が居なかった。民衆とは忘れるもの、らしい。だからこそのプロパガンダか。理解はできる。できるが、納得できるのとはまた違う。あたしも恥を知っているから。
軽く睨みつけたらより一層笑みを深くしやがった。くそ、アタシの功績はそれほどじゃないってのによ。
「………お姉ちゃん?」
「おう? ………思わず返事したけど、懐かしい呼び方だな」
あたしにとっては妹、ネレンにとっては姉となるルーナが死んでからずっと、姉さんと呼ばれていたのに。自立、あるいは成長したいという意志の顕れでしょうとは、ハイン院長から聞いたけど。
「なんだ、そんな顔して………もしかして心配してんのか?」
「ち、ちがくて。でも、危なかったんでしょ?」
照れたような口調だが、その表情を見て悟った。ネレンはルーナが死んだ時の事を思い出しているんだ。キャンプという一応は安全な筈の場所でさえ暴力は存在し、死は隣人扱いされている。ならその暴力の渦の中心である戦場に居るなら、もっと危険なのではないかって。
「………危なくなかった、って言えば嘘になるな。でも、これが当たり前だ。衛士ってのは人類の鋒で、先陣を任される精鋭だからな」
特にユーコンに居たハイレベルな衛士達は“死んでも上等、いいからかかってこいや”っていうぐらいに極まっていた。
答えるけど、どうしてかネレンの顔色は優れない。何か拙いことでも言っちまったのか、焦っている所に救世主が現れた。
ハインさん達と―――あいつの父親と、もう一人。あたしはこの孤児院に来た目的を噛みしめて、ネレンの頭に手を置きながらその人達を見据えながら言った。
―――ユーコンで会った、あの兄妹について話があると。
数分後、あたしは孤児院の奥にある部屋に案内されていた。何気に外からは伺いしれない構造になっている。そして予想の通り“床下に何かを収納する場所があるかのような、扉が見受けられた”。
恐らく、というよりは………この場に居る面子を思えば、間違いないだろう。グエン少佐、ハイン院長、白銀影行に―――ターラー・ホワイト。いずれも情報を共有している筈。そう思っていたあたしに、動揺を隠しきれていないオヤジさんが困ったように話しかけてきた。
「それで………兄妹の話、だけど。ユーコンで知り合った人の事、とか?」
「いや、まあ。あたしも最初は気づかなかったっていうか、どう考えてもおかしいだろって思ってたけど………材料は揃っちまいましたから」
誰からも、あのバカからも聞いた話ではないと前置いて、迷わず告げた。
―――篁唯依とユウヤ・ブリッジスの事だと。
反応は、約一名限定で劇的だった。驚き困って頭を抱え、最後には溜息をつきながら、重々しく口を開いた。
「………確信を抱いているようだが、その理由は?」
「いや、まあ………色々と。最初は冗談のつもりだったんだけど」
ちょっとした思いつきだった。でも、どちらも日本の血が入っているだけではなく、性格も似ていて。顔立ちも、全体的には似ていないけどどことなく似通っているパーツがあって。
「決定的だったのは………ユウヤの方かな。以前、ここの4階である人を見かけた事があるんだけど。オヤジさんもその場に居たから知ってるよな」
子供たちと遊んでいた時のことだ。院では日本の遊びであるかくれんぼが流行っていて、あたしもそれに付き合わされた。それでも子供が相手だ。あたしの方が圧勝して、それを悔しく思った子供の一人が、あまり足を運んではいけないという場所に隠れてしまった。
厳罰に処される訳でもない、それでも仕事の邪魔になるから近づかない方がよいと、ハイン院長が子供達に教えていた場所。そこに逃げ込んだ子供を追いかけ、ある部屋に飛び込んだ時に見たのだ。
影行のオヤジさんと、黒い髪をした白い肌を持っている女性を。
「………それが、どういった風に繋がる?」
緊張した風なターラー大佐の言葉に、慎重に答えていく。その時に分かった事は多くない。だけど、アタシはグルカだ。特に買われていたのは、反射神経―――刹那の判断力の高さと、観察眼。
近接戦における対人の白兵戦の基本がそれだ。相手の意識と視界を先読みするか、読み取って誘導すること。そうして錯覚させて攻撃を外す。あるいは、その隙間に攻撃を潜りこませる。ナイフをわざと捨てたり、というのは強引な手法にすぎない。極まれば、真正面から不意を打てる。師匠の得意技だけど、あたしもかなりのレベルで身に着けている。
それは観察眼無くしては成り立たないもの。鍛えられた自負はある。その目から認識できたことは、彼女がアジア圏内の出身じゃない事と、オヤジさんと親しい技術者であるということ。
「その時は、特に深追いするつもりはありませんでした。知りたがりは早死にする。それでも、記憶の一つになったのは確かで―――ふと、気づいたんですよ。ユウヤを見て………あれっ、てな具合に」
ユウヤに似ている、つまりは血縁者であり、アメリカ人。影行が知り合いというと、曙計画関連でしかない。そして、あたしは聞いた事があった。アメリカに居た時に、迷惑をかけた女性が居たと。
「あとは、タケルの動きかな。喧嘩の仲裁はするんだけど、たまに………VGとヴィンセントがあの二人の仲を冷やかすと、すっごい気まずいというか、焦った顔をしてたから」
何かが起ころうとしている。その事に気づいた切っ掛けはそれだ。ハイネマンが居るのも怪しすぎた。それだけの人物が偶然集まっているなど、あり得ない。あり得ると考える方が軍人失格だ。
カモフラージュしているのも分かる。日本よりマークは緩いだろうが、アメリカの諜報員は世界中に居ると聞いた。この施設も、そういった意図で使われたのだろう。基地よりここまで、遠くはあるけど遠すぎることはない。“基地からこの場所まで地中にトンネルを掘る”など、考え難いがおかしくもない。以前にベトナム出身の衛士から聞いたが、そういった技術はあるらしい。地盤も、日本の一部地域よりは格段にしっかりしていると聞いた。
その目的は思い当たる部分がある。人一人の隠れ家にするには十分だ。あるいは休息に使うのも。ユウヤの事を考えれば―――子供たちの声を聞いて、精神の安定を保つ場所に、相応しくないとも言い切れない。そして、目の前の人達はそういった配慮に。甘いと嘲笑われようとも、全力を尽す人達だから。
そこまで話すと、オヤジさんとターラー大佐が大きく溜息をつきながら、眉間を指で揉み始めた。しばらくして、開き直ったように顔を上げたけど。
「………それで、マナンダル? 態々私達に丁寧に説明してくれたのは、どういった意図を含んでの事だ」
「意図、っていうか………持ってる情報の危険度が分からなくて。ユウヤのお袋さんが、どれだけの人物かってのも分かってないですし」
ちょっとした爆竹なのか、S-11なのか。理解していないと怖すぎて仕方がなかった。そう告げると、ターラー大佐は納得したように頷いた。
「そうか………結論からいうが、最重要レベルの国家機密だ。E-04の開発において、最も貢献したのが彼女だからな」
「………それは、冗談ではなく?」
あれから、E-04の性能はユーコンで絶賛されていた。開発者が誰か、という声も多い。そのうち、白銀影行の名前は世界に知れ渡るだろう。でも、それは裏の開発者の功績を盗むことになる。
それは、オヤジさんが最も嫌悪する行為じゃなかったのか。あたしの疑問に気づいたのだろう、オヤジさんはあたしの眼を見返しながら答えた。
「ああ、屑のやる事だ。他人の成果物を横取りして、自分の名誉に変える。まっとうな人間のやる事じゃない。ましてや技術者のする事じゃない」
だから、遠慮なく屑扱いしてくれていい。いっそ潔い程の答えに、だからこそ戸惑った。観察した結果からも分かる。本当に申し訳がないと思っている。そう感じられる。なのに、迷いがなかったからだ。
それはつまりどういう事か。考えられる事は一つだけだ。つまりは、そうする他に手がなかったという事。屑の所業であると認識しても、そうしなければ“間に合わない”と思ったからこその。
嫌な予感が膨れ上がっていく。それはユーコンでタケルが動いている事を知った時にも感じたことだ。あたし達のような普通の衛士は蚊帳の外。でも知ることができない世界の裏側で、何かとてつもなく大きな事が動き始めているような。
それこそ―――世界の命運を決する程の何かが。
「マナンダル―――そこで止まれ」
「え?」
「ここが分水嶺だ。これ以上深みにハマってくれるな。衛士の本分は戦術機を駆りBETAを倒すこと。知りすぎれば、本分から外れ、しなくてもいい苦労を背負い込む事になる」
「………深みなんて。そんな。遠回りに告げられて、納得できる筈が!」
「できなくても納得しろ。白銀武は………テロについて事前に察知しながらも、それを止めなかった。結果、何が起こったのかは分かるな?」
「っ………ナタリー」
血煙に舞った姉のような存在。それだけじゃない、民間人にも犠牲者は出た。全て、難民開放戦線の動向を大々的に基地司令に伝えれば未然に防げた筈だ。それでもそうしなかったのは、テロによって起きる混乱が、それに乗じて動く各国から何か弱みを得るためか。
「不相応な情報だ。それを得たのは幸運ではない、不幸な事だ。それは―――説明をせずとも分かるな?」
大佐の言葉に、頷きは返さない。だけど分かってしまう。大佐がこういう顔をする時は、いつも子供たちの事が絡んでいる。この状況で繋がる人物は一人だ。
何より、ターラー大佐達は知らないだろうが、ユーコンで偶発的に垣間見た記憶が確信させてくれた。尋常ではあり得ない、身を100度裂かれてあまりあるのではないかと思わせるほどの負の記憶。その大半が、戦場で得たものであるに違いがなかった。
知ってしまって、泣きながらも歯を食いしばって、震える膝でもバランスを取って、拳を握りしめて立ち上がって。
あたしは今、タケルと同じような境遇に置かれている。そう認識した。
あれほどまでに深刻ではないが、似たような。それで、あたしはどうするべきか。
「―――マナンダル。ネレンドラはお前を心配していたぞ。後悔していた。あの時、お前に告げた言葉を」
大佐が言うのは、ルーナが死んだ後のことだろう。再会したネレンドラは、一時的だが混乱していた。いや、正気だったのかもしれない。
―――どうして助けに来てくれなかったのか。
―――グルカなのに、どうして。
―――どうして、軍人じゃないルーナお姉ちゃんが。
―――もうタリサお姉ちゃんなんて頼りにしない。
どれも正論で、否定出来ない言葉だ。落ち着いた後も、ネレンドラはあたしの呼び方を変えた。どこか遠くなったように思えた。
「ネレンドラの疑問に、嘘偽りなく答えた。衛士の損耗率を。それも、突撃前衛に適性がある者の生存率を」
グエン少佐は言う。軍人になる事を選ぶと、そう告げたネレンドラに全て説明したらしい。選択するための知識として伝えた。試しにと、正規軍人の半分の量だが走りこみをさせた。それだけで、次の日はまともに歩けなくなったと聞かされた。
「………知れば、責任を負うわ。目を背ける事が罪になる。人のために人を陥れる、その欺瞞に死ぬまで悩み続けることになる。それでも―――」
それでも、と。その先は言わせなかった。
「もう選んだんだ。だって、あいつの背負ってるものを知っちまったから」
黒い記憶に悩んで。唇からは血が出てるのに。全身は傷だらけだろう。拳の骨はもう限界なはずだ。なのに、諦めない。そうしなければいけない困難が、絶望がこの先に待ち構えている、だからこそ。
「それに………あたし、勝ってねーんですよ」
パルサ・キャンプで、何十回も模擬戦やったのに勝てたのは10もない。それに、ユーコンでも戦術機戦で負けた。
そして、あたしには誓いがあった。告げた言葉があった。あたしが一番上で、ならあたし頑張らなきゃどうするんだよって。
「追いついて、追い越して………守ってやるって誓った」
我が身可愛さに誓いを破るのは下衆のやることだ。約束を忘れて逃げるのは臆病者のすることだ。いずれもグルカに相応しい振る舞いじゃない。
なにより、あたしが。タリサ・マナンダルがそれで納得するなんて。
「それに、深みなんてもうとっくに嵌ってますよ。質の悪い落とし穴に。でも………その穴の底は、振り返ってみたら悪くない場所かもしれないし」
故郷を追われ、キャンプで反吐を、大東亜連合で衛士になって、ユーコンでも死ぬ思いをした。それでも、その苦しい場所に落ちなければ会えない人達が居たのも確かだ。
キャンプではタケルにサーシャにラム。ユーコンではステラ、イブラヒム、VG、ヴィンセント、唯依、ユウヤだけじゃない多くの。おまけでケルプといった所か。誰もがぶつかり甲斐のある、芯のある人間だった。
どんな場所だろうと、行ってみなければ分からない。辛い場所でも、結局は笑えるなら上等な場所だ。運が悪ければ死ぬだろうけど、クソッタレって断末魔を聞かせたい相手が。その最後の声を僚機で、自分の耳で聞き届けたい相手が居るから。
「それに………約束を破ったあいつらに、一発キめてやらなきゃ、気が済まないし」
2年後に、戦場で。あたしは間に合った。なのに勝手に姿を消したのはルール違反だ。相応の事情があったのは分かるけどそれとは別として、殴られる覚悟もあるけど、一発だけは殴る。
だから教えて下さい、と。頭を下げたあたしに、全員が何ともいえない。だけど、ダメな子供を叱る時に似たような、安堵を含んだ感情を抱いていたように見えた。
●3.5章、色々考えすぎて一歩を踏み出せないユーリンの悶々とした日々
バングラデシュ。私の死地になるだろう基地で、変な衛士と出会った。なにがと聞かれると困る。だって、全体的におかしい所しかない。年不相応にも過ぎる操縦技量に、実戦経験はベテランの域にあるという。観察した所、それが嘘である要因が一切見られないから困る。
要所要所に歳相応な所もある。同じ中隊の衛士に、金色の髪を持つ若い衛士―――これも年不相応な出で立ちなのだけれど―――が、たまに寝床に潜り込んでくるらしいが、恥ずかしくて困るとのことだ。少年らしい羞恥心はあるらしい。というより、これで反応しなければ同性愛を疑うだろう。それほどに、白い少女は可愛かったから。
というより、反応がちょっとずれているような。ベテランの衛士ならそこまでされたなら、まず、まあ、そういう関係になるだろう。実体験ではない、聞いた話だけど。赤くなったり、上官らしいインド人の女性に怒られて青くなったり。感情を制御仕切れていない所が、少年らしいといえばそうか。
それでも、尊敬に値する。私が同じ年の頃は、生きるだけで精一杯だった。他人に気を使うこともあったけど、自分の時間を削ってまで思いやることなど無理だった。なのに少年はそれをした。
色々な姿を見た。必死に戦う姿。訓練に対する姿勢にも感服した。流れだす汗を、俯く顔を。それでも、元は教官らしかった女性の上官の声に答え顔を上げる、意志にあふれたその表情を見て、何とも言えない。それでも決して悪く無いものが胸の中を駆け巡って。
切っ掛けは、戦術機の前で悩んでいた時。唸っていると、心配してくれたのか声をかけてくれて。藁にもすがる思いで相談して、その返答が的確かつ有用過ぎた。私の下手な英語にも根気よく付き合ってくれた。聞いた話だけど、仕事を中途半端で放り出すなと父親に教えられたとか。
ちょっと偉ぶっている様子がおかしかった。感謝の念と共に。成長、生存率が上がる機会を逃してたまるものかと次の約束を取り付けられたのは、奇跡だと思った。
そこから、何度も授業は続いた。戦術機関連ではない、普通の会話ができたのはしばらく経ってからようやく。それでも、戦術機動の教授が主だった。傍目から見たらおかしかったと思う。なにせ教師と生徒の立場が全く反対なのだから。当然のように、周囲からは奇異の視線を向けられた。部隊の中には私達の関係を揶揄する者も居た。
あちらの方は、イタリア人衛士―――アルフと、同郷の女性―――インファンが上手く防波堤になっていたらしい。一度注意を受けた事があった。尤もだと思った。自覚していたからだ。年の離れた少年に、私のような者が粘着しているように見えたのなら、保護者役にあたる者はどうするか。
頷き、離れる事を決心しようとして。でも、どうしてか二人は話している内に焦った顔を見せて。最後には私の肩とか背を叩いて、元気を出せと言ってくれた。その後は、どうしてか揶揄する声は小さくなっていった。
しばらくして、転機がやってきた。クラッカー中隊の発足。誓いの言葉は様々だったけど、みんなが胸に抱いていた思いの性質は似通っていたように思う。
即ち、白銀武とサーシャ・クズネツォワに未来を。全員が自らの無力に打ちひしがれるようになっていたからこそ、身近な子供を。戦場に立たせてしまう矛盾を孕みながらも、その現実に負けないように抗っていた。タンガイルで守れなかった民間人の姿、その何割をあの二人に重ならせていたのかは個人差があると思うけれど。
だけど、私だけが不純だったように思う。あの二人の未来に穏やかなものが訪れますようにと、その想いに嘘はない。だけど、それと同時にチクリと胸を刺す痛みも覚えていたから。
いつまでもその原因に気づかない訳にはいかない。アルフとインファンに相談してようやくだけど、この感情の根源たる言葉を見つけることができた。というか、不意に接触するだけでいかにも顔が赤くなるのを見せられる度に「ローティーンか!」というツッコミを入れたくなっていたらしい。
恋とか、愛とか、判別はつかない。だけど、限りなく同質な、温かく熱いものを私は自覚した。してしまった。
許されないと思った。だって、歳の差が。互いに成人を迎えているならばおかしくないかもしれないが、13才は犯罪だ。インファンは大丈夫だと言ってくれたけど、誰よりも気になってしまうのは当然で。
迷っている内に、サーシャにバレた。罵倒されると怯えた。でも、それは杞憂だった。サーシャは、何よりも武の身を案じていた。
サーシャは、色々な葛藤を抱いていた。一人になるのが寂しくて、武が一人になるのが怖くて。そして自分に自信がなかった。自分一人で武の事を支えきれる筈がないと、そうも思っていたように思う。
戦いの意志を抱いたのは同時期。タンガイルの後、手を重ねたあの日。私の方は―――“自分は誰にも負けない、いかなる場合でも絶望に屈せず、最後まで全力を以って抗う”。そう抱いた意志の絵に、色が篭った瞬間だったように思う。
その後の数ヶ月は、夢のようだった。でも、サーシャに先んじようとは思わなかった。なんというか、無礼な気がしたから。それに、年上だ。オバさんがしゃしゃり出るのは、みっともなく思えた。ぽろっとこぼしたら、どうしてかターラー大尉が胸を押さえて悶えていた。
間もなくして絶望が降った。死ぬかと思った戦い、それでも生き抜いて、全員で生きて戻れた事に歓喜して、そこから突き落とされた。冗談だと言って欲しかった。それが偽りのない状況だと知って、まず吐いた。耐えるという感情さえ沸かなかった。防波堤を乗り越えた不安は、胃と腸に直撃したらしい。
意識を保つことさえ、思い及ばなかった。でも、それが幸いしたかもしれない。気絶した後に、はっきりと見たからだ。二人が泣きながら、手を伸ばしている光景を。
―――生きている。でも、困難に見舞われている。そう信じた。でなければ、銃を蟀谷に突きつけて引き金を引きたくなってしまうと思った。
あの二人が死ぬはずがない。武が、サーシャを死なせるはずがない。軍人としては失笑モノだろう、何の根拠もない希望に縋った。再会の時がきっと来ると妄信して、戦い抜いた。
大東亜連合には居られないと思った。ここには隊長、副隊長だけではない元帥が居る。ならば、自分は手の足りない場所に行くべきだと思った。統一中華戦線で戦う事を選んだのは、楽をしたくなかったから。予想どおりに、いや想像以上に内部は腐敗していたけど、まともな人員も居る所には居る。
崔亦菲はその筆頭だ。才能ならばかつての中隊と比べてもトップクラス。前衛の適性で言えば、統一中華戦線でも有数だろう。何より、誰にも屈しないという意志が良かった。私も負けてはいられないと、そう思えるから。あと、意地っ張りな所が可愛い。おかしいだろうと言われるかもしれないけど、妹のように思えて可愛いのだから仕方がない。
だけど、人は色々であり様々だ。中には私の噂を聞きつけ、会い、後日に身体を求めてきた者も居る。私の目的を察したからかもしれない。あるいは、単純に欲情したのか。胸を凝視する輩は昔から分かりやすい。だが、その全てをはねのけた。利用できるほど自分が器用だとも思わなかったからだ。名前は忘れたが、大佐ともなれば好き放題できる部分もある。危うい所もあった。だから、限界が訪れた時。その時には殺す決意をして―――その意志を察したのだろう、恐らくは当時の戦術機甲大隊の大隊長である人が、先んじて処置してくれた。
メリットとデメリットを理性的に考えられる人だった。守りたい家族が居るからかも、とは亦菲の言葉に同意した。目的が定かになっていれば、何を優先すべきかは計算できるだろうから。家族も危うかったが、ベトナム義勇軍の戦術機甲中隊に助けられたらしい。私は裏で彼らに感謝した。
そうして、忘れもしない。1998年。その情報は、インファンからもたらされた。
あの二人が、生きて日本に居る。それを聞かされた時、私は部屋の中で声が枯れるほどに泣いた。自分でもびっくりするぐらいに。涙を止めようとも思わなかったのは、あれが最初だった。
次の日、眼を真っ赤にしながらいつもの2倍の訓練を命令する私を、亦菲達は
どう見ていただろうか、それだけは聞くのが怖いけど。
実際に再会したのはユーコン基地で。戦術機越しだったけど、すぐに気づいた。だって最前線の中、リーサと二人で暴れまわる姿は。そのデタラメな機動と戦闘力は、タケル以外の何者でもなかったから。
というより、成長しすぎだった。正面からやって勝てる絵が思い浮かばない。どのような激戦を経験すればここまで人は。そう思わせる程に。
色々を考えさせられる切っ掛けになった。カムチャツカで伝えられた内容も衝撃的だった。いや、それだけでは済まなかった。
まるで嘘だと思わせる内容でありながらも、満ちて溢れるぐらいの説得力。荒唐無稽さと、その戦闘能力との隔絶が、奇妙過ぎた。ひょっとしなくても、大きすぎる事態に巻き込まれている。そう確信させられた。
ユーコンに戻ってから、暇があればアルゴス小隊のハンガーに赴いた。そこで動きまわるタケルの姿を眺められるだけで満足した。
―――いや、嘘だ。出来れば正面から出会いたかった。良かったと泣き叫びながら、抱きしめたかった。あの頃とは違う、背丈も私より少し大きくなっている。服越しでも、鍛えられた体躯は分かるほどで。
やきもきする日々。だけど、そう長くは続かなかった。テロが起きたからだ。それをさっした、最初の時のこと。アメリカの陰謀だろう、その肉片さえも隠滅された女性。
タケルが彼女の血煙を眺める眼、その奥に秘められたどうしようもない悲しさに気づいた。見ているだけで、切なさに涙が出そうになるほどの。
その後の、難民解放戦線との戦いでもそうだ。タケルは強くなった、今の私でも比較にならないぐらい。それでも、奥に秘める決意の深さに危うさを感じた。
そもそも、普通ならばここまで身体を張らない。ともすれば、米国の諜報員に消される可能性もあった。ユーコンは彼の国のフィールドだ、どうとでも処理される危険がある。
だというのに、まるで自分の命を度外視しているような。
―――でも、平常運転な所もあった。まさか、亦菲が過去にタケルに助けられたというか、教えを受けていたなんて。いつか決着をつけなければいけない相手が増えた。サーシャは例外だけど。
でも、あの時のやり取りは思い出すだけでちょっと満足できた。
亦菲は問う。どんな関係なの、と。そうして、私は答えるのだ。お天道さまにだって、自信を持って答えられる。
―――彼こそが大東亜連合の一番星、暗き闇を払い、火の先を行く者。
ちょっとどころじゃない、鈍くてお調子者で、女性の心が分からなくて、あちこちで女の子を引っ掛けてくる。それでもお伽話のように、一度誰かが悲しめば、全力でその涙を拭ってくれるような。
私の想い人―――白銀武。
そして私は、誰よりも早く彼の教えを受けた、一番弟子であると。