Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
―――瞬きさえ許されない戦場で俺たちを襲うのは鉄騎か、悪鬼か。
判断がつかないぐらいに、俺たちは追い詰められていた。12人を3チームに分けての模擬戦大会。10回目ということで景品でもつけようか、と浮かれていた空気を吹き飛ばした下手人は、くじ引きで決まったAチームの。今、面と向かって戦っている者達だった。
「アルフ!」
「分かってるっての」
返事をしながら、そろそろだと気合を入れる。引き締めないと勝てないからだ。葉玉玲、リーサ・イアリ・シフまでは良かった。良くないが、マシだと思えた。その後に、隊内で最も敵に回したくない二人が加わる事に比べればの話だが。
「くっそ、こっちには凸凸コンビが揃ってるってのに………!」
アーサーとフランツ。何をどうやっても衝突しあう二人だが、直接的な戦闘能力で言えば上から数えた方が早い、エース級だ。前衛小隊という事もあり、技量は隊内でも屈指ではある。だが、相手はそれ以上だった。
それでもこのまま死ねるか、死んでたまるものか。一足先に身も心もズタボロにされたCチーム(サーシャ、樹、グエン、ラーマ)の姿が脳裏に過る。
勝てるかどうかというより、せめて一矢をという目標に変わって来ている気がするが、そこは譲れない一線である。
ユーリンと副隊長閣下の万能コンビを前に逃げるしかなかったり、海女と宇宙人の高機動嵐としかいいようのない猛攻を受けて心が折れそうになるが、防御と忍耐力には定評がある俺である。
アーサーとフランツ、クリスティーネも強いを通り越して卑怯なチームを前に機体のあちこちを損傷させられていたが、どうにか耐えられているようだ。
そうこなくてはな、と。5分経過の通信が聞こえ、その30秒後に俺たちは仕掛ける事にした。戦闘が始まる前に決めた作戦だ。
追いかけてくる機体をそれとなく誘導しながら、一瞬だけ4対1になる場を作り上げる。弧を描く機動に、複雑な機動。その全てをある一点に集約させた時に、一斉砲火を仕掛けて落とす。
一つの銃砲では当たる気がしない相手でも、4つ重ねればどうにか出来る。まずは一機落とさなければ話にならないと全員が判断していたが故に、その動きも統一させることができた。
過ぎるほどに順調ではなく、怪しまれる要素もない。
かくして、機動の点が一つになる所までもうすぐだ。嵌ったと、全員がそう思っていた。
―――リーサが不意に機動を変えなければ。
それも、今の位置関係上から、俺たちが最も行って欲しくないポイントに全速で向かっていなければ。
『まさか、読まれ………っ!?』
なんだそれは。どこをどのようにして読まれたのか分からない。通信だって飛ばしていない。互いが互いの動きを見て瞬時に組み立てた、先読みされる要素など皆無の筈。
どういった理不尽だと、動揺は隠せなかったが、瞬時に立て直した。戦場において予想外などままあることだ。心の硬直こそが肉の身を滅ぼす刃となる。故に、怯んだのはコンマにして数秒だけ。4人ともがそうだ。
でも奴らにとっては、その時間だけで十分だったらしい。いつの間に速度を上げたのか、奴は自らが得意とする間合いに入っていた。
そう、よりにもよって奴が―――白銀武が。
幻覚に似たレッドアラートが脳裏にけたたましく鳴り響く、逃げろ逃げろと自らの本能が泣き叫ぶ、だけど。
『てめえなんか怖くねえっっ!』
負けねえ。ここで逃げても意味がねえ。通称、異常オブ異質オブ異端。巷では『一対一で奴に勝てる衛士が居るのか』『ていうか中に人が入ってるんだよね本当に』『新種のBETAなんじゃね』など、数々の異名を轟かせている奴に追撃を仕掛けられては、逃げきれる筈もないから。
背中を見せればその時点で撃たれてゲームオーバーだ。フランツに伍する射撃の腕とは、そういうレベルになる。
ここで退いた時点で敗北は必至。それに、これはCチームの弔い合戦だ。覚悟を決めた俺は、なけなしの勇気を振り絞って、二門の突撃砲を前に向けた。
『やって、やらぁぁぁぁあああっっっ!!』
撃つ、撃つ、撃つ。相手の移動ルートを予測しての偏差射撃を試みる。相手の心理と能力から動きを先読みするのは得意分野だ。
射撃精度は高くないが、俺にはこの武器がある。並の衛士なら、4体まとめて相手にできる程の技量は身に着けたのだ。
―――でも。
『やっぱり当たらんよなああああっっっ?!』
宇宙人の思考など読める筈もなく。樹に曰く、ねずみ花火のような動きをする火花のような機体は、全砲弾を回避し尽くしたと思うと、視界から消え。
間もなくして、機体の中に幻覚ではない本物の赤い信号が鳴り響いた。
通信の向こうから、クリスティーネの断末魔が聞こえたような気がした。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
混沌としている。小洒落た高級将校用のバーの中は、かつてない状態にあった。せめてもの幸いは、この位置をキープ出来たことか。
「ユーリン、お代わりいる?」
「うん、ありがとうサーシャ」
礼を言いながらグラスを渡す。待っている内に、ちょっとした光景が見えた。
「それで、こっちが考えた渾身の策をですよ。見破った要因とか理由とかを聞いたら、あのアマなんて言ったと思います?」
「い、いや。全体の動きを見ていたから気づいた、などではないか?」
「違いますよ! 理由はただ「何となく」ってそれだけ! そんな瞬間的なふわっとしたモンで悩みに悩み抜いた策をぶち壊すなぁぁっっ!!」
数時間かけて築いたトランプタワーをなぎ倒された者のように。奥の席では、昨日の模擬戦で惨敗したアルフレードのやるせない怒りと、それを見て少し引いているオバナ少佐の姿があった。
一方で、左手前の席ではいつもの通り、リーサとヤエが飲み比べをしていた。ストッパー役である隊長と副隊長は用事があるとのことで、今日は参加できていない。いや、居た所で怪しかったかもしれない。今日はヤエが祖国のツテを頼ったとかで、大量の日本酒を持ってきたのだ。出資者はラーマ隊長とターラー副隊長。模擬戦大会が始まる前は景品とされていた酒だが、あまりにあまりなチーム編成と結果になったので、全て忘れて仲良く均等に分割しよう、ということになった。
「っかし、冗談抜きで美味しいわね。もっと、癖のあるもんだと思ったけど、チンピラが自慢するだけあるわ」
「おう、
「本当だな。これなんか、ちょっとした高級ワインのように思える。フルーティーと言うのか、アルコールはそこそこあるのに凄い飲みやすい。気品さえ感じさせられる。樹、これは本当に米で作られた酒か?」
「大吟醸の、それも普通じゃ手に入らない銘柄だからな。というか、譜代武家でも入手困難ってどれほどだ。全く初芝少尉の実家のツテさまさまだぜ、なあユウゴ」
「ああ。つーかまさかコレを海外で飲めるとは思わんかったぜ………拝んでいいかヤエっていうか拝ませて下さい」
「気色悪い真似すんなよ………ってこれ妙に旨えな。和食っぽいけど、作ったのお前かユウゴ?」
「ああ、良い酒には良いアテが必要だろ? せっかくの機会だ。シフ少尉の目利きで、良い材料も手に入ったしな」
そのグループは、ヤエにリーサに、フランツに樹。そしてオバナの中隊の突撃前衛である、霧島祐悟という男。彼らは料理に酒に、味にこだわる面々だ。ヤエは実家所以で、リーサは海沿いで新鮮な魚介類を日常的に食べていたから、フランツは実家が没落したとはいえど元は貴族で、樹に関しては言わずもがなの譜代武家だ。キリシマは一般家庭出身らしいが、料理を作るのが趣味らしい。元は富士教導団所属なのに似合わないにも程があるとは、ヤエの感想だ。
いずれも私やアーサーのような貧乏舌とは違う、血筋や経験により鍛えられた舌を持っていた。その彼らをして、この日本酒はここで飲み尽くすべきものらしい。そして、その横では。
「あっれ、そういやクリスがいねーけど………ユーリン?」
「ええと………ちょっと、ね」
言葉を濁しながら、用事だと答えた。実のところは違う。クリスティーネは、ヤエに別口で頼み込んで居た一升瓶とグラスを片手に、想い人の部屋へ向かったのだ。武からすれば、父親に戦友がモーションをかけに行っているという、特異な状況だ。経緯を知っているサーシャも、何とも言えない表情で黙り込んでいた。
グエンはインファンに酌をされながら、無言で飲んでいた。表情はいつもと変わらないが、傍らに居るインファンが笑顔を見せていることから、きっと悪い気分ではないのだろう。時折、グエンが逆にインファンのグラスに酒を注いでいるが、その度にインファンは「いたいけな女性を酔わせてどうするつもりなのかな~」とか言っている。
その時だ。奥に居るリーサとヤエの瞳が光ったように見えたのは。同時に、やってやれやってやれとハンドサインを送っている。そういえば、一昨日にあの二人がグエンに何かを吹き込んでいたような。
気づけば、アーサー達もそれとなく酒を酌み交わしながらも、グエンとインファンを横目で見ていた。武は気づいていないようだけど、サーシャは気づいている。歓談の場に、また異なる方向での緊張感が漂っていった。
やがて、グエンがグラスをテーブルに置いた。コトン、という音は覚悟の合図か。そうして、ゆっくりとインファンに向き直った。
何時にない反応を前に、インファンは首をかしげた。そのまま、グエンはじっとインファンを見つめていた。歓談の声が徐々に小さくなっていく。武などは、何事かとキョロキョロ周囲を見回していた。
そのまま、時間が流れること1分。ようやくと、グエンは口を開いた。
「酒は、旨いか」
「ええ? うん、美味しいけど」
「………そうか」
「そう、だけど………」
また黙りこむグエン。インファンは何が言いたいのか、と困惑の表情を浮かべていた。やがてはっと気づくと、慌てたように立ち上がった。
「ああ、そういえばグエンが好きな春巻きが無いわね。このニホンシュって奴に合いそうだし………待ってて!」
そのまま厨房があるらしい方向に走り去っていくインファン。グエンは呼び止めようとするが、遅かった。残されるグエンに、居なくなったインファン。武はまだ分かっていないというような表情をしていて、それを見たサーシャが小さく溜息をついていた。
歓談が戻っていく―――と思われたが、一部では違った。
ヤエとフランツが舌打ちをしながら、お金をリーサとアーサーに渡していたのだ。どうやらグエンの行く末がどうなるかで、賭けていたらしい。その本人はあまりにあまりな事態になったからか、気づいていなかった。
「えっと、ユーリン?」
きょとんとするタケル。私は、努めて優しい顔をしながら告げた。なんでもないし、タケルには、そのままで居て欲しいと。
これは隣で頷いているサーシャと同様、嘘偽りのない私の本心だ。最近ではアルフの教えを受けているからか、時折ドキッとする言葉を吐いてくる。だが、無差別なのはよくないと思う。ただでさえタケルはタケルなのだ。この上女性関係の機微に聡くなられたり、女性の扱いを覚えられたらたまらないというか、いつか刺される事態に発展しかねない。
そうしている内に、ある視線に気づいた。主だった所は、先ほど賭け事をしていた面子だ。少し緊張感を漂わせて、こちらを観察しているような。視線を返すと、にこっと笑われた。あれは何か、隠し事をしている時の笑い方だ。
「………やっぱり」
「え?」
「ユーリンなら分かると思うけど………さっきのと同じよ」
そこで、私は気づいた。あのギャンブラーは、私達を賭けの対象にしているのだ。そこで私は、はっとなった。それは即ち、私の想いが皆にバレているということだ。
「どうして………」
「………どうしてって、気づかない方がおかしいと思う」
「え、何が?」
「いいから、タケルは黙ってて」
「なんで?!」
サーシャは少し呆れた顔をしていたが、こちらにそんな余裕はない。どうしてか、と戸惑う私に、気づかないかとサーシャは問うてきた。
「こういった場は、酒宴は、結構あるよね」
「うん、みんな呑むの大好きだから」
「そう―――それで、ユーリンが私達に近い席に座る頻度はいかほど?」
「………あ」
バレた、と。顔が少し赤くなっていく事に気づく。記憶が訴えかけてくるし、嘘をつく意味もない。そうだ、こういう場所に向かう時は、いつもタケルとサーシャと一緒だった。そして、到着すると同時に、横に座っていたのだ。それは、無意識的な何かじゃなくて。
「はあ………」
「でも、俺は気づいてたぜ」
タケルの言葉に、サーシャと私は絶句した。え、まさか。そ、そんな、心の準備がと焦るけど―――
「それは、あれだろ? ユーリンは酒があまり強くないからだろ。だから、あまり酒を飲まない俺たちと一緒ならって痛え?!」
ドヤ顔で出てくる武は武だった。サーシャが無言でタケルの頭を殴る。緊張感を返せ、と怒っているようだ。そのまま、視線だけで「返答は?」と問うてくるサーシャに対し、私は顔を押さえながら答えた。
「え、っと………返す言葉もございません」
顔が熱い。二人に顔を見せられない。タケルが「風邪か、大丈夫か」と騒いでいるが、今近づかれると拙いからこれ以上は。そう思っていると、アルフレードと樹が近くに。二人はタケルの肩をぽんと叩くと右の腕を左の腕を掴んで持ち上げ、あっちの席の方に連れていった。タケルは「俺はグレイじゃねえよ?!」とか言っていたが、どういう意味だろうか。
と、いつまでも現実から逃避している訳にもいかない。私は意を決して、こちらをじっと見つめているサーシャと向き直った。
「………どうした、ユウゴ。いきなりテーブルに突っ伏してよ」
「って、お前、まさか、もしかして?」
「あちゃー、お前もユーリン狙いやったか。まあ、順当といえば順当やけど。かわええもんなあの子。でも、やっぱり決め手は………やっぱり、コレでコレもんか? ―――この巨乳派が」
「セクハラ通り越しておっさん臭いぞ。ちょっとは言葉包めよ。まあ、あの巨乳に男心を揺らされた心理は非常に理解できるが」
「元気だせ、これでも飲めよむっつりスケベ」
「畜生どもめ、ちょっとは慰めるとかしろよお前らぁ!」
………なぜかあっちで騒いでるけど、今はサーシャだ。
なんというか、美少女だ。人形のように整った容貌に、今は染めているが、以前に一度だけ見せてもらったあの幻想的な銀色の髪。ほんの少しソバージュがかかっているのもまた魅力だ。そこに恋する心という、インファン曰く「天下無双の化粧品」が加えられている。
対する私はどうか。少し胸が大きいと言われるが、それ以外は可愛げのない女だ。それでも。それでも、ここで退くのは嫌だった。何より、反則だと思った。
そう思っていると、サーシャは無言のまま酒を注いできた。私は黙ってそれを飲みながら、言葉を交わすことにした。
「サーシャは、何時から?」
「………いつの間にか。本当、するっと懐に飛び込んできて、そこに居座られた。無視できないほどに、居場所を作られた。居なくなったら、寂しくて泣いてしまいそうになるぐらいに」
「そう………私も、同じだ。見ている内に、言葉を交わしている内に………本当に、いつからかは分からなくて」
同じ時間を生きている内に、気づいた。いつまでもこの時の中に在りたいと。言葉にはせず、ただグラスに酒を注いだ。サーシャも、国によっては酒を飲める年齢だ。お国柄か、酒に弱くもない。以前はそうでもなかったらしいが、最近になって強くなったという。それでも、これまで結構な量を飲んでいたのだろう、顔は僅かに赤くなっていた。そうして、頑な心を緩める妙薬を利用しなければ言えなかったのだろう本心を言葉にした。
「うん………知ってた。でもね、嫌な気分にはならないの」
「え………」
「ユーリンも、同じじゃない? ………私は、弱いから」
だから、人を嫌う事が。特に見知った人を、隊の誰かを嫌うことが怖くてできないと、小さく呟いた。
「それに、ね。馬鹿な考えだと思うけど………笑ってくれたらそれでいい。馬鹿なまま、落ち込まないで、ただ今みたいに笑ってくれさえすれば………傍に居たい。でも、笑ってくれなくなったらって思うと胸が張り裂けそうになる」
「………中隊の誰かが死んで、泣き叫んでいる所は見たくない。それならばいっそ、自分が命を賭けて守って………それで喜んでくれる筈がないのにね」
「いつまでも、この状況が続くなんて。そう思っていても―――」
無言で酒を煽る。口には出さない、互いの想いを飲み干す。
「………想いを告げることさえ怖い、か。本当に似たもの同士だね」
困ったように笑い合う。同時に、私は気づいた。恐らくはサーシャも、“自分に自信を持つことができない”のだ。
だから、想いを告げても断られる未来しか見えなくて。自分に置き換えれば分かる。こんな、ヤエや仲間に言われるまで、格好を意識しなかった私なんて、と。その上で、私はかなり年上になる。普通ならば犯罪者扱いされてもおかしくはない年齢差だろう。
そう考えていると、サーシャは私の胸を指さしながら言った。
「でも、ユーリンには武器がある。アルフ曰く、“挟める”のと“挟めない”のとでは、女性として天と地程の戦力差があるって」
いきなりの猥談に、目を白黒させた。というか、サーシャにそういった方面の話を振るのは厳禁ってラーマ隊長と副隊長が。そう思っていたのだが、張本人のアルフは向こうで樹に関節技をかけられていた。タケルはと言えば、わけが分からないよとばかりにオレンジジュースを飲んでいた。
そのまま、サーシャは酒をちびちびと飲みながら愚痴を零していた。素直になれないというか、鈍感すぎるタケルを前にすると、どうしてもキツイ言葉を吐いてしまうとか。それで怒った時の表情も好きだとか。でも黒のワンピース作戦は成功だったとか。
ぶつぶつと呟くその様は、歳相応の少女の姿で。私はどうしても我慢できずに、笑ってしまった。それで気が抜けた私も、同じように小さな声で愚痴を零し合う。
タケルに届かないように。思いであの少年を縛ることがないように。サーシャもそれは分かっているのだろう。
そうしてしばらく愚痴を零しあった後だ。なんだかおかしくなった私達は、顔を見合わせながら笑ってしまった。
「でも………運が無いね、私達」
「その心は?」
サーシャの言葉に、小さく答えた。
「ドギマギしても、知らん顔だもの。それどころか、そこら中で女の子引っ掛けてきそうだし」
「戦場でもね。ハラハラさせられるこっちの身にもなって欲しい………本当に」
理不尽で、勝手な理屈だ。そう思いながらも、言葉にせざるを得ない。互いに、上等な女じゃない。それは分かっている、分かってはいるけれど。
「………乾杯、しようか」
「何に盃を?」
グラスを持ち上げながらの私の問いに、今度はサーシャが答えた。
「悪い男に巡り会えた幸運に対して、かな」
また、可愛すぎる笑顔。だが、その想いには頷くしかなかった。
私とサーシャのグラスが重なり、甲高い接触音が鳴り響く。
「やっべえよ………乙女だ、乙女だぜ。それも純愛だ。見たことねえよあんなの」
「拙い、ヤエとリーサを隠せ! ヨゴレの二人があんな白くて綺麗な光を浴びたら、骨の髄まで浄化されてしまう!」
「円満解決じゃねーか、って冗談抜きに苦しんで………もしかして、飲み過ぎたか?」
「いや………ちょっと。あれ聞いて我が身を省みたら、こう………こみ上げてくるものがたくさんあったから」
「ウチも、胸に来るもんがあってな………あー、なんか弥勒の奴の声が聞きたい」
「野郎、ここに来て男が居るとか予想外すぎ………待て、ユウゴの奴はどこ行った?」
「ちょっ、探せ! 最後の方には人殺しの目になってたぞ気持ちは実に分かるが!」
「あ、タケルに喧嘩売りに………って、腕相撲で勝負仕掛けやがった」
―――残響も束の間に、わいわいがやがやと喧騒が。どうしてか腕相撲を始めたタケルとユウゴの方に、わらわらと歩いて行った。間もなくしてアーサーが懐から紙とペンを取り出した。いつもの通り、賭けをするらしい。
本当に普段の通りだ。どこまでも変わらない。功績も名誉も手に入れた。多少は好き勝手しても許されるというのに、くだらないと騒ぐだけ。
ただ、隣の仲間と肩を組んで笑い合っている。一人で居た時では考えられない、見えない縁が輪になっている。家族だと、以前にサーシャが呟いていたが、それも間違いではないと思う。
偽りなく、幸せな時間だと。心の底から、そう思えた。その後酒を浴びるように飲んだリーサとヤエの騒乱に巻き込まれたけど、それはそれだ。
困ったこともあるけど、楽しくない日々なんてなかった。
きっとこれからも、と思ってしまって。
―――分かっていた筈なのに。学習した筈なのに、忘れていた。
こんなに気持ちのいい夢のような時間が、いつまでも続くはずがないという事を。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
ここだけ重力が何倍にもなっているんじゃないか。あるいは、深海の底か。そう表現してもおかしくない空間の中、アタシは居ない奴らの事を思っていた。
「それで………ユーリンは?」
「吐いて、気絶したっきり。今は医務室だ。クリスティーネは病院に運ばれたオヤジさんとこ行ってる」
「そう、か………」
沈黙が場を包み込む。アーサーとフランツは腕を組んで黙りこんだまま、その表情は見えない。アルフレードは誰よりも怒っていた。グエンは更に輪をかけて怖い顔になっていた。樹は、表面上は冷静に見えるが、組んだ腕に食い込んでいる指を見れば分かる。
アタシも、冷静では居られない。今の感触はどこか、嵐に呑まれた友達を待っている時の気分に近いからだ。
遠くから、ハイヴ攻略を祝う歓声が聞こえてくる。隔てられたこの個室には、嘘のように静まり返っている。何とも言えない空間の中で我慢している内に、しばらくすると残りの全員が戻ってきた。
そうして、誰もが悟る。ターラーの姐さんは、怒っている時以上に、悲しんでいる時に表情が動くのだから。
クリスを混じえて語られた事情は、それを証明するものだった。タケルとサーシャはソ連のクソッタレに攫われたのだ。近域の全軍を賭して勝負に出た攻略作戦、その隙を突かれた。軍としての解釈はMIAになるという。
「………それで、手引をしたと思われるのが」
「何人か居るようだけど、全員が死体になって発見された………残りが居ないか、探っているようだが」
そこから先は言わなかった。言えなかったのだ。こうまで大胆な真似をする奴らが、下準備をしていない筈がない。家までの帰り道、そのルートを今から追ったとして手遅れになる可能性の方が高い。
そう思っていると、椅子と机が蹴飛ばされる音がした。決して軽くはないが、渾身の力がこめられた軍人の蹴りは容易くそれを壁まで転がせる。大きな音の後、それを上回る叫び声が部屋を支配した。
「くそっ! くそが、クソッタレが、畜生………ッ!」
「アルフ………」
「なんでだよ。俺たちは勝ったんだろ!? ガキ自爆させて、多くを死なせて、それでもあのクソッタレな奴らの巣をぶっ潰した! 勝って気持よく終わりで、それでいいじゃねえかよ! なんで………よりにもよってあいつらなんだ!」
付き合いとしては一番長いアタシでも聞いたことがない、まるで泣き叫ぶガキのように悲痛な叫び声。それは、ここに居る全員の声を代弁するものだった。
落ち着け、とは誰も言わない。言えない。言いたくもない。
白銀武とサーシャ・クズネツォワは銀だった。このクソッタレな世界でも希望を抱かせてくれる光だった。まだまだ世界は捨てたものじゃないと、大人な自分として世界に対する責任はあるのだと、そう思わせてくれる存在だった。
全ては、あの二人から始まったと言ってもおかしくはない。あの二人の未来を守るために戦うのであれば、アタシ達の戦いに間違いなど欠片もないと、そう信じる事ができた。
なのに、二人を潰したのは同じ人間だという。これが新種のBETAとか、事故のようなものならば、納得はできなくても耐え切れたかもしれない。人の悪意が絡んでいなければ。
そこまで考えて、首を横に振った。
そうだ、これこそがこの世界だ。アタシもそうだが、散々に味わった理不尽の味が思い出されてくる。それはまず、舌を支配していくのだ。どうしようもなく苦く、辛く、泥のように喉の奥に絡みついてくるその食料の名前は、絶望と言った。
当たりどころが悪ければ腹を下すが、咀嚼しきれば栄養だ。耐性もつくし、逞しくなれる。それでも、慣れた訳ではない。向こうでは底辺扱いされていたからか、アーサー達もアタシ達と同じモノを見てきた筈だ。なんてことない絶望ならば飲み干すことができる。
だが、違う。何よりも、今回の絶望は味が効きすぎていた。遠くで聞こえる歓声が耳障りだと、そう思える程に。
それでも、アタシ達は胸を張らなければならない。ハイヴを攻略した英雄として、笑顔を見せなければならない。同じように、BETAに殺された者達は数えきれないぐらいに多いのだから。
理屈の上では理解できている。でも、それを実行できるかどうかは、別の話だった。
言うとすれば隊長か、副隊長か。
同じ事を考えていたのだろうフランツの視線が、ターラーの姐さんの方に向き。直後、ぎょっとなって立ち上がった。
ラーマ隊長も気づいたのだろう。驚き慌てながら、同時だった。姐さんの身体が後ろに倒れそうになるのと、ラーマ隊長の手がその背中に回るのは。
「脈拍が………っ、アーサー!」
「っ、了解! 衛生兵呼んできます!」
最も足が早いアーサーが、急いで部屋の外へ走っていった。倒れた姐さんの顔色を見たからだろう、今まで見た中で最も速かったように見えた。
残されたアタシ達は、所在がなかった。どうしても、あの二人が居ない場所に集まっている自分たちに対する違和感があったのだ。隊の構造を象るという意味で、精神的に重大な要素であった二人が居なくなったからだろうか。
そんな事を考えている時だった。青い顔をしたユーリンが戻ってきたのは。
「ユー、リン………大丈夫か?」
「………大丈夫じゃ、ない。大丈夫でも、頷きたくない。でも………駄目だ、みんな」
ユーリンは震える声で続けた。
「生きて、いるか………んでいるかは、分からない。でも、あの二人は望んでない。勝利の日に、暗い顔をして無様を晒すのは。それに、中隊は最後まで希望の象徴じゃいけないって………」
「っ………だ、けど! それでもあいつらの中の一人が、裏切ったんだぞ?! 金に目がくらんで、よりにもよって一番若いあいつらをカタにハメやがった!」
俗物だからして、思う事がある。守ったのに、この仕打はどういう事かと。守って当然とは思わない。命を賭ける代価があって良いはずだ。なのに、最も嫌悪し憎悪する形で恩を仇にして返された。
ユーリンも、それは分かっているようで。でも、違った。
「あの二人は………生きている。私は、そう信じてる」
「………ユーリン!」
「馬鹿な希望論だってのは分かってる! でも、そう考えないと、私は………っ!」
ぎりっと歯を食いしばる。その時に漏れでた威圧感こそを、殺気と呼ぶのかもしれない。底冷えする空気のようなものを間近で感じて、理解する。姐さんと同じぐらい、今のユーリンは危ういのだと。
「生きてる。ちょっと、再会するのに時間がかかるだけ。なら、残った私達は立場を考えなければいけない。成すべき事をしなければいけない」
俯き、前髪に隠れたせいでその表情は見えない。それでも、震えながらの訴えはアタシ達の胸に届いていた。
そうだった。悲しい時にも泣かずに笑えと、ずっと強要してきたのだ。15にも満たない少年を相手に、ずっと。ならば、残ったアタシ達が先に挫けてしまうのは、筋違いな上、情けないにも程がある。
フランツやアルフレードも、同じ事を考えたのだろう。クリスティーネと樹も、割り切れないようだがこの状況で間違えるほど浅くはない。グエンは泣いているインファンの頭に、ぽんと手を置いていた。破れた唇から流れ出る血を見るに、そんなに余裕がある訳でもないだろうに。
―――そこから先の事は、あまり思い出したくない。歓待の声が雑音どころか心に直接打撃を加えてくるハンマーのように感じられたのは、あれが初めてだったから。
そうして心労の極みに達していたアタシだが、聞いて置かなければならない事がある。そう思ったからには、一直線だった。功績を積んだばかりの衛士だからか、たどり着くまではスムーズだった。
「………違う、予想していたのか」
「その通りだ………全く、貴様のそれは本当に勘か?」
確証を抱かれては誤魔化しようがないと、肩をすくめる。その様に、アタシは拳を握りしめた。
「つまりは―――認めるんだな、アルシンハ・シェーカル。あの二人の裏を取り巻く状況を知りながらも、対策を取らずに………むしろ故意に、攫わせた事を」
こいつは抜け目がない。それはここ一年の激戦の最中に嫌というほど痛感させられた。だというのに、あからさまに怪しいあの衛士を。リーシャ・ザミャーティンと、その裏に蠢く影に気づいていない筈がない。何より、アタシの直感が告げていた。こいつはこの事態をも利用するつもりなのだと。
黙って睨みつけていると、観念したようにアルシンハは両手を上げての降参のポーズと共に、私の考えは一部正しいものだと答えた。
「具体的に言えば、大筋では違うとも言えるが………現実の結果を見るとそうとも言い切れん。だが、仮にその通りだとしてだ。貴様は、何をどうするつもりだ?」
「………どのように答えて欲しいんだ、元帥閣下」
皮肉を返したが―――分かってる。どんなに称賛されようとも、アタシ達は駒だ。全員が納得した上での結論だ。駒である事に甘んじず、戦況を動かす指し手になるということは、衛士の領域を越える事を意味する。そうなれば、今よりも多く人を殺す必要がある。
大勢の人間を指揮するとはそういう事だ。助けられる者が多くなる分、より高い目標に手が届く分、多くの死体を積み上げる必要がある。
「………一つだけ、聞かせて欲しい。これは必要だったんだな? どうしても避け得ないものだったんだよな」
「ああ―――だが、信じろとも疑うなとも私は言わん。だが―――これは必要な布石だったと断言しよう。名が売れすぎた弊害だ。何をしても目立つようでは、そのうち米国に………いや、これ以上は言えんか」
「……なら、これ以上は聞かないさ」
胸中にある感情という感情は、嵐のように荒れ狂っている。銃の一つでもあれば、衝動のまま引き金を引いていたかもしれない。同時に、失ってしまうものも忘れて。
持ってこなくて正解だったと思う。衝動のままの過ち、それを許すことは駒でさえなくなるという事。望んだ訳でもないが、今のアタシ達には立場があるのだ。ここで元帥を殺害など、した時点でこれまでのアタシ達の戦いは無駄になる。
「結局は、ユーリンが正しいか………本当、すごいよ。アタシじゃ敵わないね」
弱いのか強いのか分からない。それでも、ここぞという時は踏ん張って、正しい答えを抱く事ができる。許せないのは、それが偽りの希望だった時だ。
だから、アタシは問いかけた。
「あいつらは………生きて、居るんだよね?」
「………白銀武は生きている。サーシャ・クズネツォワは、生きて“は”いる」
「っ、分かった」
これ以上、この腐れ元帥の言葉を聞いていたら、銃がなくても撃ち殺してしまいそうになる。これが逃げだと理解してはいても、我慢できずにその場を立ち去った。
最後に、一つだけ。
「ターラーの姐さん………あのままじゃ、近い内に壊れるぞ」
人の心は死ぬ。生きてはいても、殺される時がある。あれは見たことがない形だ。復帰して、能面のようになった表情を見て思う。
強いからだろう、一気にではなく、緩慢に崩れている。細胞ではない、もっと繊細で大事なものがプチプチと潰れていくような。血が吹き出し肉が見えて内臓が露出する、それよりもエグい。久しく覚えていない、本能的な恐怖さえ感じさせられた。
だから、真実を告げるのなら今の内だ。責められる事も覚悟して、お前の口から言わなければならない。言外に含ませた意図に、当然のようにアルシンハは気づいた。
そうして、部屋を出て行く直前。分かってはいるのだと、元帥の沈んだ声を聞いて暗い愉悦を覚えたアタシは、情けなくて死にそうになった。
そのまま、早足で建物の外に出る。狭い場所に閉じこもっていると、心まで腐ってしまいそうで。最後には駆け抜けて、外に出る。
そこは、開けた場所で、電線も少ない。だから目前にありありと見えた
大きな
「―――クソッタレ」
世界はこんなに綺麗だというのに、世間はどこまでも糞色だ。誰が悪いという訳でもない。始めから、人の世界の裏側に隠されたものは、世界は総じてこんなものなんだ。だから期待をしなければいい。
欧州で思い知った事だ。それでも生き残るために全てを割り切ろうとしたが、駄目だった。だから、いつも悪態をついて。クソッタレと毒づきながら、諦めずに走って。
辿り着いた先が、また肥溜めの底のような。
「―――いや。まだ何も………始まってすらいねえ」
声に出して、噛みしめる。そうだ。生きている。生きて“は”いるんだ。
生きているなら、あいつは終わらない。誓いが潰えない限り、まだ何も終わってはいないんだ。
例え死んだとしても私達は終わらないんだ、なら今から鬱陶しく黄昏る必要もなく、何も諦めることなんてない。
そうして、空を見上げた後、向こうに見える水平線を眺めると、ふと気がついた。
これは勘だ。確証のない想像だが―――何か、大きい事が起こりそうな予感がした。
むしろマンダレーハイヴを前にした時よりも大きい。
行く末は優しくないだろう。夢の時間は終わった。アタシ達だけじゃない、それぞれが一人で戦っていかなければならない。
でも―――だからこそ、いつもの通り。
「へっ………クソッタレが」
涙を堪え、笑いの形に歯を食いしばり、待っていやがれと、挑むように。
遠い空の向こうに存在する、約束もない再会を確信しながら。
アタシは背筋を伸ばして顔を上げ、悪態をつきながらも前に向かって歩く事を決めた。