Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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エピローグ : トータル・イクリプス

ユーコン基地の外れにある雪原の上。そこに座っている戦術機のコックピットから、小柄な影が飛び出した。

 

「あ~、よく寝た………ってまだ夜か?」

 

薄暗くて時間が分かりにくいんだよ、と愚痴ったタリサは横目に金色の髪をたなびかせた同僚を見た。

 

「おっ、おはようステラ」

 

「ええ、おはよう………と言っても、私達は眠れていないんだけどね」

 

苦笑するステラに、新たに現れた大柄の影が同意した。

 

「図太いっつかー、肝が座ってるっつーか………よくこんな時にぐーすか眠れるな、お前」

 

「休息も衛士の任務の内だろー………あー、でも」

 

「ソ連機なら問題ないわ。あとは回収班を待つだけね」

 

「そうだな………ソ連兵(イワン)が来るこたぁ無いと思うけど」

 

「そうだよねー………ボーニングにこれ以上喧嘩吹っかけても意味ないし」

 

眠そうにタリサが告げる。ヴァレリオはその仕草に違和感を覚え、問いかけた。

 

「歯切れ悪いな。まだなんかあるってのか?」

 

「ここではないと思うよー………ってそういや、二人共ユウヤのやった事を咎めるとかしないんだな」

 

「それは一人の女性として、ね。バカでも勇敢だった決断にケチをつける事は、したくないから………相手に関しては少し、一言あるけど。それに、唯依の気持ちを考えたらな」

「俺は負けた、って感じだな。文字通り、全てを賭けて女口説きに行きやがったよ、あの野郎は。代わりに篁中尉に迷惑かけちまったが………隊長サンがどうにかしてくれんだろ。米国にも責任はあるだろうからな」

 

「唯依は………自分の決着を付けにいったようね。無事だと良いんだけど」

 

「互いに、な………それで、タリサよ。お前はどうなんだ?」

 

ステラとヴァレリオはタリサを見た。タリサはその視線の意図を察すると、眼をこすりながら答えた。

 

「あたしも………ユウヤの決断は間違ってないと思う。でも、きっと………まだ何も終わっちゃいないんだ」

 

「それは、篁中尉の事か?」

 

「タカムラなら心配ないって。アタシが言ってるのは、もっと別のこと」

 

何かが始まる気がしてならない。苛烈な日の光当たる場所で、最後の何かが。タリサは鼻をすすると、背伸びをしながら言った。

 

「さしあたっては、っと―――帰国の準備かな」

 

「おいおい、気が早えな。事後処理とか色々あるだろうが」

 

「あー、そうだよね。でもまあ、器のデカイ隊長が全部どうにかしてくれる事を期待して―――」

 

『マナンダル少尉。私は便利屋ではないのだがな』

 

「げっ、ドーゥル中尉?!」

 

同時に空からうっすらと聞こえた音に、3人は空を見上げた。そこには、バタバタという音と共にこちらに近づいてくるソ連の大型ヘリコプターがあった。

 

「………Mi-26? ドーゥル中尉も奮発するわね」

 

「ああ、どこから引っ張ってきたんだか」

 

『せめてこれぐらいはな………全員、怪我はないようだが』

 

「はい! アルゴス小隊、欠員一名! 他に異常はありません!」

 

『今更取り繕っても無駄だぞ、マナンダル少尉』

 

『まあまあ、ドーゥル中尉。今日ぐらいはいいじゃないっすか。何はともあれ、全員無事だったんですから』

 

イブラヒムの呆れ声に答えたのは、ヴィンセントのもの。それを聞いたタリサ達は、各々が複雑な表情になった。ユウヤに裏切られた形になるヴィンセントの内心を思ってのことだ。だが、続く声はそんな空気を吹き飛ばすように明るかった。

 

『よぉ、皆の衆! さっさと撤収するぞ! 今日は帰って自棄酒だ!』

 

「あー………付き合うよ、ヴィンセント」

 

「私もよ。何なら、胸を貸して上げてもいいけど」

 

「あっ、ならアタシも!」

 

『へっ………ステラはともかくお前はいらねーよチョビ!』

 

「なんだとぉ?!」

 

それはいつものアルゴス小隊のやり取り。ユーコンに新しい顔が来てから今まで繰り返してきた、一つの日常の形。

 

何事もなかったかのようにリフレインするその様子を見たイブラヒムは、小さくため息をついて呟いた。

 

 

『―――それでは各自、補給準備に入れ。それと………今日の酒代は全て私が持とう』

 

 

予想外の言葉に、タリサ達全員が目を丸くし。ステラとヴァレリオは苦笑しあい、ヴィンセントは涙混じりに笑うと、全員が歓声と共に両手を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ………諜報員というのはいつもこうだ」

 

ハイネマンは戻った自室の中、荒らされた部屋を見回すと溜息をついた。

 

「欲しいものだけを奪い、要らないものを押し付けてくる………」

 

それでも、資料に目もくれず。身の回りのものだけをかき集めて、スーツケースに詰めた後だった。見計らったかのようなタイミングで鳴る電話。ハイネマンは小さくため息を重ねると、受話器を取った。

 

「―――監視していたかのようなタイミングだね。ああ、今からだ。無駄な時間を使わされたけど、帳尻は取れた………圧力を掛けるタイミングが遅かった事だけは不満だけど」

 

ハイネマンは受話器越しに聞こえる女性の問いに、淡々と答えていく。

 

「問題なく手筈は整えてるよ。チケットも入手した。カムチャツカの方は心配ないって話だけど………ああ、私にはパイプが無いからね。ああ………そうしてくれると助かる」

それじゃあこれで、とハイネマンは受話器を切った。疲れた表情は受話器から横へ。そこでふと視界に映った写真を拾い上げると、誰に向けるものでもなく呟いた。

 

「………言いたい奴には好きに言わせればいい。私のした事は私だけが。誇るべきものを間違わなければ、それこそがって………そう言っていたね、君は」

 

その言葉を聞いて、映った顔は3つ。

 

その顔の持ち主の名前を、ユウヤ・ブリッジス、篁唯依に、白銀武という。

 

「よく、似ているよ………昔を思い出した………いや、過去に浸るような時でもないか」

 

―――ミラ・ブリッジスは生きている。その確証が得られたからには、自分がすべき事はひとつだ。そう決意したハイネマンは写真をスーツケースに仕舞うと、時計を見た。

 

「何もかも、まだ終わっちゃいない………同じ事を望むのは無理だろうけど、ね」

 

曙計画の時よりも。あるいは、別方向での会話が、大切だと思える時間を作る事ができるかもしれない。

 

(マサタダ、ミラ………カゲユキ。君たちは子を成すことで希望を紡いだのだろう。ボクは、ずっと………優秀な戦術機を開発することで未来を切り開く力を創りだしていた。それが合わさることがあれば………)

 

 

内心で呟いたハイネマンは、可笑しそうに口に手を当てた。

 

 

「ロマンチスト、か。マサタダ達の事は言えないな………私も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、明かりが消えた小屋。その中にある信号を追って、追いついた唯依は立てかけられた緋焔白霊と、その横にある書き置きを手に取っていた。

 

「………あの声は、本当だったか」

 

唯依はつぶやくと小屋にあった椅子に座り、書き置きの紙を開いて読み始めた。

 

「“拝啓、篁唯依様。フハハハハ貴様の兄は預かった、返して欲しくば身代金を―――ってのは冗談です。御免なさい。あと、足止めした時に色々と無茶をさせてゴメンなさい”………ふん、ゴメンですむものか」

 

唯依はその時の事を思い出し、涙目になった。

 

―――突然放たれた銃弾。

 

―――理屈ではなかった。それでも確信できる―――五感の範疇で感知できるほどの圧倒的な重圧と脳内に鳴り響く危険信号。

 

―――相手が誰であるのか悟り、もしかすれば敵対をするのかと考えた瞬間に滝のような汗が出た。比べるのもバカらしい絶望的である戦力差を前に、対処方法が思い浮かぶも、成功する光景が浮かばなかったためだ。

 

唯依は眼をパチパチさせ、流れそうになる涙を何とか収めると、続きを読んだ。

 

「“緋焔白霊はお返しします。ちなみにこの日本刀の重要さを教えた時のユウヤの顔は見ものでした、こんな感じで”―――って、これは白骨のつもりか? ふん、汚い絵だな。下手くそすぎる」

 

唯依は昨日の恨みだとばかりに罵倒しながら、更に続きを読んだ。

 

「“一番最初の話の続きだけど、俺達は横浜に行く。年末から年始は、特に忙しいことになるんで。まるで普通のサラリーマンのように”………か。何をするつもりやら」

 

唯依は武が巻き込まれた騒動を思い、嫌な予感がするな、とため息をつき。自分の胸に、鼓動が高まっていく心臓の音と共に呟いた。

 

「いや、なにをやってくれるのか。本当に、ワクワクさせるだけさせておいて………な」

 

その顔は、期待感だけじゃなく、赤かった。唯依はごほん、と誰に向けてでもない誤魔化しの咳を挟むと、続きを読んだ。

 

「“クリスカとイーニァは無事だ。ユウヤも大丈夫。全員まとめて横浜で気張ることにする。唯依も気を付けてな。あと、上総にも元気でって伝えておいてくれたら嬉しいかも。あとこれは本当におまけだけど純夏のバカも横浜に居るから、良かったら会いに”? ………ふん」

 

どうしてか面白くないと思った唯依は、紙を強く握り。くしゃりとなった紙を見ると、締めの言葉を読み上げた。

 

「“死ぬなよ、戦友。いや、帰国してからの、俺の最初の友達。よかったらだけど、また会おうぜ。俺を思って言ってくれたあの言葉には頷けない。けど、それは別として本当に嬉しかったから”――――か………全く。人の言うことは聞かないくせに、よく言う」

 

自分勝手で一方的過ぎる困った男だ。そう呟きつつも、唯依は自分の顔が緩んでいくことを自覚していた。その頬は赤く。傍目から見れば、年頃の女性そのものだった。

 

しばらくして、唯依は小さく息を吐くと、今の状況を整理し始めた。

 

「兄様は無事に日本に逃げられた、か。当初の目的であったビャーチェノワ少尉とシェスチナ少尉の確保も完了………私は最後まで蚊帳の外だったが」

 

それでも、巻き込まないようにしてくれたのかもしれない。唯依は復帰する前に出会った武が浮かべた、あの何とも形容し難い表情。その中に気遣いの念があったことを思い出し、ふんと息を吐いた。

 

「そっちがそういうつもりなら、私も―――どちらにせよ、次の渦中は日本だ」

 

唯依は母の。そして、自分をかわいがってくれた崇宰恭子の言葉を思い出していた。

 

艱難辛苦は数在ろうとも、最後に頼れるのは己のみ。

それが抗えない程に大きなものであろうとも。

 

「“唯依”………“ただひとつのよりどころ”………そう名づけてくれた父様に応えるために………」

 

ユウヤの事を知らないという。ミラ・ブリッジスは報せなかったという。二人の間にあるものはなにか。それは聞くべきではないのかもしれない。複雑な事情が入り乱れ、未だに納得できる着地点は見いだせていない。

 

だが、事情を察することはできるのだ。ミラ・ブリッジスが姿を眩ませた理由も。

 

「私は………篁唯依だ。篁の者として、相応しい道を行く」

 

手遅れなものは何もない。時間や労力はかかるだろうが、努力を重ねれば、いずれは返せるかもしれないものばかりだ。

 

――――誰も、死んではいないのだから。

 

唯依はそうして、静かに眼を閉じた。

 

「そして、父様が、兄様が、私が死ななかったのは………全てじゃないのは分かってる。でも、差し伸べられた手がなかったら、最悪は………」

 

唯依は借りたものの大きさに笑うしかなく。

 

そうして、眼を開けて窓の外を見た。

 

 

「きっと、日本でもその名前にふさわしく………戦場に居るのだろうな。だから、是が非でも飛び込んで。その時に、改めて借りを返して………“礼”をさせてもらう」

 

 

2つの意味で、と。

 

唯依はその表情を微笑に変えながら日本刀を腰に据え、誰も主の居ない小屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捜査長………以上が、篁中尉からの報告です」

 

「その進路から………アサバスカの放射汚染地帯を横断し、追跡を振り切ると思われる。証言におかしい所は無いが………違うな」

 

提出されたミッションレコーダーの記録からも裏付けられる。だが、とウェラーは首を横に振った。

 

「相手は次世代アクティヴ・ステルス機だ。そのデータの信用性は薄い」

 

「………ええ。データを上書きされた可能性の方が高いと、そう思われます」

 

「ならばこれ以上の追求は不可能になった、か。かくして技術漏洩を追求する手は塞がれてしまった訳だ」

 

2番機には既存の発展技術しかなく、接収すれば逆に無罪を裏付ける証拠になる。求めれば日本からは喜んで差し出されるだろう。そして米国はユウヤ・ブリッジスのテロ行為に関する賠償や責任を追求される事になる。

 

「………様々な勢力から関与されるも、全てが口を噤まざるを得ない状況になった。いつかの焼き直しだな」

 

「何者かに操られての事でしょうか。欧州連合情報軍か、あるいは第四計画の………」

 

「………関与はすれど、本筋ではない。ユウヤ・ブリッジスが協力する価値と理由があると認めた組織………そちらの方にこそ、注視すべきだと私は見ている」

 

「はあ………私には、自制を欠いた衝動的な行動にしか見えませんが」

 

「………ふっ」

 

ウェラーは喜びや楽しみから来る類のものではない笑みを零しながら、無駄だと感付きつつも命令を下していた。全軍に逃走機の撃墜許可を出してくれ、と。

 

そうしてウェラーは、命令を受けた部下が各所に通信を送る背中を見ながら自嘲を含めた言葉を零していた。

 

「………人は往々にして眼したものを元に価値を見極め、判断を下す。その経緯と結論こそに、人としての器や格が示される、か」

 

それは一度だけ聞いた。今もウェラーの心の中で色あせていない、ミラ・ブリッジスが遺した言葉だった。

 

「ふ、っクク………成程。所詮私もこの程度だったか………だが、解せん」

 

ウェラーは負け惜しみではなく、純粋な疑問としてある事を思いついていた。

 

 

「サンダークにしろ、ハイネマンにしろ………いや、ユウコ・コウヅキかもしれんが………ここまで事態を読み切った上で、手を打てるというのか………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。雪原の向こうに見える、清々しい程の青。ユウヤはそれを眺めながら、白い息を吐き出していた。

 

この向こうに、クリスカ達の故郷があるのか。そう思っていたユウヤだが、背後から聞こえる雪を踏む足音を聞くと、ゆっくりと振り返った。

 

「………ラトロワ中佐」

 

「ここは冷えるぞ。慣れていないお前には辛いだろうに」

 

「ああ………でも、遠くからでも見ておきたかったんだ」

 

クリスカ達の故郷は定かにはなっていない。可能性としては、アリューシャン列島にある街かもしれないのだ。何か手がかりがあれば。今は行くことができなくても、今後の励みになるかもしれない。そう告げたユウヤに、ラトロワは苦笑を返した。

 

「あの坊やが、化けるものだ………いや、もう坊やとも呼べないか」

 

「いや、まだまだ坊やだ。あんた達が生きていた事を教えられても、この眼で見るまで信じきれなかった所も含めてな」

 

「いや………笑いながら自分の未熟さを語れるようになれば十分だ。死んでいたと思うのも、無理はない。私自身も死を覚悟した程の状況だったからな」

 

「そんな地獄を笑って乗り越えられるのがあの野郎、か」

 

「………そうだな。だが、お陰で多くの子供達が救われた」

 

感謝している、とは言わない。そのような言葉では収まらない。そうした感情を見せるラトロワに、ユウヤはだからこそだと答えた。

 

「助けられるだけじゃ、納得できないんでね。負けっぱなしじゃあ、気が済まない。どうしてもな」

 

「ふふ、そういう所は坊やだな………いや、男の子というべきか」

 

ラトロワは笑い。そうしてユウヤと同じく海の向こうを眺めながら、徐ろに口を開いた。

 

「“漆黒と光芒が天空に融け合い、兆しの導き手が遂に姿を現す。その者は絶望の果てに望まれ、人の想いによって遣わされたのだ”」

 

いきなりに告げられた言葉に、ユウヤが訝しみ。ラトロワは、戯曲の一説だと苦笑しながら告げた。

 

「ビャーチェノワ少尉とシェスチナ少尉が歌っていた曲のタイトルだ。スニグラチカという」

 

「………!」

 

「ロシアでは一般的な伝説でな。雪娘………いや、雪の精の一生を謳ったものだ」

 

ラトロワは続けた。

 

――――北の国にある聖なる森、その奥にある村。そこには貧しいが善良さを捨てない老夫婦が暮らしていた。その夫婦はとある冬の日、雪人形をつくり、授かることのなかった我が子を想いながら服を着せて大層可愛がった。

 

「その翌日、空で太陽と月が重なる―――皆既日食の晩。人形があった場所に、生まれて間もない赤子が捨てられていた」

 

老夫婦は自分たちの願いが通じたのだと喜び、その娘にスニグラチカと名前をつけて大切に育てたという。

 

「その年………どうしたことか、冬が明けず。極寒で知られる北の国は更なる雪と氷に閉ざされてしまう」

 

それ以来、北の国の人達は笑顔を忘れ。生きていくことだけを考えるしかなくなり、いつしか笑顔も消えていった。

 

「お定まりといえば、そうなのかもしれないが………」

 

「そういう物言いをするってことは………悲劇で終わるんだな」

 

「そうだ」

 

冬の国の中で育ったスニグラチカは、美しく育つも恋を理解できない娘になり。いつしか、多くの人達から結婚を申し込まれるも、その気持ちを理解できず。

 

ただ、娘は森の狩人が詠う“お日様を称える歌”が大好きだった。理解できない恋を、他人の想いを突きつけられる中で、その歌だけはずっと聞いていたいと思えて。

 

「ある日、スニグラチカは森の精からラマーシカの花冠と共に渡される。全てを知る方法を」

 

それを聞いたスニグラチカは、迷わず凍りついた花の冠を被り。そこで森の狩人への気持ちこそが、理解できなかった恋という心であると知ることになり。

 

「狩人に想いを告げ、結ばれるも………北の国を覆っていた雲が晴れて、夜明けの太陽が昇り始めた。追いかけるように、月も空に昇っていく」

 

「………それで、スニグラチカは」

 

「太陽の光を浴びると、紅い焔に包まれて消えた。微かに残った雪の結晶も、光の中に消えてしまった」

 

それがスニグラチカにかけられた呪いだったんだと、ラトロワは言う。

 

「スニグラチカは太陽の娘である春の精と、月の息子である氷の精が結ばれて生まれた鬼子だった。だが、娘を奪われた太陽は怒り………スニグラチカと春の精を塔に閉じ込め、スニグラチカには呪いをかけたんだ。恋を知った彼女がお日様の光を浴びると、自分の恋心に焼かれて消えてしまうという呪いを」

 

それを知らなかった春の精は命を賭けてスニグラチカを人の世界に逃して息絶え。氷の精は、スニグラチカの恋心をラマーシカの花冠に封じると、春の精と同じく娘を護るために、人の世界を厚い雲で覆って息絶えた。

 

「………それを知らなかったスニグラチカは。いや、狩人も、おじいさんやおばあさんも」

 

「悲しみ、泣き叫んだ。でも、その声は歓声にかき消された。夜明けと共に訪れた春を喜ぶ、大勢の村人の声だけが、ずっと響き続けた………」

 

そうして泣き疲れた森の狩人が空を見上げると。そこには、光を遮ろうとするかのように、月が太陽に重なっていたという。まるで太陽と月が互いに犯した過ちと痛みを慰めあっているかのように。

 

「話はこれで終わり………原典は古くから伝わる民話でな。それが帝政時代に戯曲化されたのが、スニグラチカ………地方ごとに解釈や内容に異なりがあるらしい。私も母から聞かされただけで、他の地方で話されている内容は知らない」

 

「………クリスカとイーニァは、管理官のおばさんから聞かされたって言っていた」

 

「少尉達を産みだし、管理していた施設の人間………養母のような存在か」

 

「クリスカ達は、大好きな人だと言っていた。その人だけが、自分達に優しくしてくれたからと。でも、歌詞を知らなかったのは………」

 

「………厳格な管理体制。その中で唯一、メロディだけを伝える事は許されたのかもしれない。その管理官は、彼女たちに待ち受けている苦難と悲劇の日々を、理解していたのだろう」

 

どういった想いをこめて伝えたのだろうか。答えは出ない。だがユウヤは、その気持ちが悪意によって構成されたものだとは、どうしても思えなかった。

 

「………あるいは、その管理官も我が子を思って歌っていただけなのかもしれない。薄情かもしれないが、私にはその気持ちが分かるんだ」

 

「中佐が………?」

 

「ああ。ソ連の新生児は全て、生後間もなく親元から離される。衛士を養成する施設に入れられるんだ」

 

そこで親を知らぬまま、同僚や国こそを家族を思わされて、生みの親の顔さえ知らないまま戦わされる。

 

「親は違う。どうあっても、我が子の事を忘れることはできない………歌は、その管理官の祈りだったのかもしれない。兵器も同然に扱われている幼子たちを思った上で………何処かの誰かか、出会っているかもしれない自分の子供を慈しんでくれる事を願っていたのかもしれない」

 

「………そうか」

 

ユウヤはそれだけを呟いた。内容的には、あまりに救いのない話ではある。それでも、管理官の女性が抱いたものは。クリスカ達に向けられたものは、直接的にでは無いにしろ、暖かいものだった。

 

「甘いって、言われるかもしれないけどな………」

 

「いや………それを認識しつつも、譲れないという意志が今のお前からは見て取れる。本当に成長したのだな」

 

「………ユーコンで出会った奴らのおかげだ。あんたもな。こうして引き上げられなかったら、今でも自分の胸の中の隅っこでウジウジしていたと思う」

 

特にあのバカ野郎に、と。ユウヤが思った所で、背後から複数の足音がした。同じく気づいたラトロワも振り返る。

 

そこには、服を雪塗れにした噂の人物と、ラトロワ中佐の部下である少年少女の姿があった。

 

「………何があった、ナスターシャ?」

 

「中佐………その」

 

言いよどむナスターシャに、武が口を挟んだ。

 

「いや、雪合戦を挑まれまして。挑発されたからにはやってやらにゃと。口ほどにもなかったけどな」

 

「嘘つけ! 一方的にボコボコにされてただろうが!」

 

「ぐっ………!」

 

悔しそうにする武。それを見たラトロワは頭痛を覚え、同じくユウヤも呆れた声を出した。

 

「ていうかここ暗いって。具体的には雰囲気が重たい。って、一体何の話をしてたんだ?」

 

「ああ、スニグラチカの………」

 

ユウヤは端的に説明をして。それを聞いた武は、ほうと頷いた。

 

「つまりは、俺の話だな!」

 

「………は?」

 

「いや、親父の名前は影行………日本的には月だな。お袋の名前は光、つまりは太陽だ。ということは―――俺がスニグラチカになるって事だよな」

 

うんうん、と一人で頷く武。

 

その場の全員は、同時にスニグラチカ=武というイメージを抱き。

 

直後に、腹の底から爆笑した。ラトロワまでも、口を手で押さえながら笑っていた。

 

「く、ふふ……いや、そういう発想はなかったな! 斬新だ!」

 

「あ、はははははは! お前が雪娘って柄かよ!」

 

「人外には違いないけどな!」

 

予想もつかない発想と、あまりにあまりなイメージに、全員が口々に告げながら笑った。その間も武はずっと、反論しながら周囲に居る少年の首にヘッドロックをかけるなどして、じゃれ合っていた。

 

―――その後も。

 

「笑うところか? ………ほら、雪の冠! 星の王子様!」

 

武の出自を知っているユウヤが唯依を思い出し。更に上の家格であるという赤、つまりは王子様と。そのあまりのギャップから、笑死しそうになったり。

 

「つーかラトロワ中佐とターラー教官ってマジで似てるんだよな………怒られると反抗とか考える以前に、こう、涙が零れそうになる」

 

「………あたし、分かる」

 

「俺も、分かり過ぎて困る………でも、お袋って呼ぶのはないだろ流石に」

 

「いや、そうだけど。なんせ当時10歳だったからなー」

 

「あんた本当に人間かっ?!」

 

過去の事で一騒動あったりと。

 

嘘みたいに贅沢で、明るい時間が過ぎ。それでも時間の流れは早く。

 

やがて、10分後。任務に戻ったナスターシャ達を置いて3人になったユウヤ達は、今後の話をしていた。

 

「………г標的、か。俄には信じ難いな」

 

「まあ、今は与太話として。それでも心の隅に置いといて下さい。むしろあんなんが出なければ、それに越したことはないから」

 

「………色々と頷けないが、その意見には同意する。想像するのも嫌な化物など、存在しなかったと思っておこう。それで………今後の主な展開は?」

 

「12月下旬………24日ぐらいに甲21号―――佐渡ヶ島。元旦にオリジナルハイヴ。それが当面の目的です。甲21号に、嬉しくないイベントが目白押しですが」

 

「話半分に聞いてはおこう。それで、例のOSに関する手配は?」

 

「トライアルが終わってからの話になります。代わりとして………」

 

そうして、今後の予定を話し終わった後。ラトロワは、軽い笑いと共に武とユウヤに告げた。

 

「先ほどの事………礼を言う。久しぶりに、あの子達の子供らしい笑顔を見ることが出来た」

 

「子供は笑ってなんぼです。楽しい笑いは、精神的な耐久力を回復する………先任から教えられた事で、それを次に渡してるだけです。借金が多くて、返済の途中なんですが」

 

視線を逸らす武に、ラトロワは小さく笑った。

 

「なら、一発大きいのをアテなければな―――とりあえずはオリジナルハイヴあたりでどうだ?」

 

「手頃ですね。火星にあるでかい奴よりかは簡単ですし」

 

一転、歴戦の衛士らしく不敵な笑みを交わした二人は握手を交わし。

 

「武運を………ブリッジスもな」

 

「そちらこそ、お元気で」

 

「生きてまた会いましょう」

 

「ああ………その気概を持って戦うとするよ」

 

ラトロワは敬礼をすると、その場を去っていった。

 

そうしてユウヤと二人きりになった武は、同じく海を。その向こうにある太陽を掌越しに眺めていた。

 

「………なあ、タケル」

 

「なんだよ、ユウヤ」

 

「聞きそびれた事があるんだけどよ。お前の、今までの事だ。大陸での戦争は生半可じゃなかっただろうが………どうしようもない状況で、挫けそうになった事ってないのか?」

 

「あるさ。今でもある。でも、色々と抱え込んじまってるからな………ユウヤと同じだ」

 

「クリスカとイーニァか………さっきの話じゃないが、そうだな。俺もあいつらを悲劇の中で死なせるつもりはない」

 

「俺もだ。でも、ちょっとニュアンスが違うかも」

 

「何がだ?」

 

「太陽と月………夜と、皆既日食の話だ。ユウヤは、皆既日食(トータル・イクリプス)の中で焼かれて消えそうになっていたクリスカ達を助けた。自らが意志持つ光となって、クリスカ達を護る存在になった」

 

「………お前、クサすぎるだろ。でも、そう表現されたらな………悪くもないか」

 

「そうだろ? で、俺はだな。今から日本で起ころうとしている皆既日食を止めたいんだよ。そのために、戦っているっていう部分もある」

 

明るい太陽の光が、洽く人々に届くようにと。武は、自分の小指を立てながら笑った。

 

「俺は、俺の大切な太陽と。それだけじゃない。夜も守りたいんだ。いや、それを覆い隠そうっていう月もだな。ていうか空も、宇宙もだ」

 

「誇大妄想もいい加減にしろよ!?」

 

ツッコミながら、ユウヤは呆れたように告げた。

 

「つーか、冗談抜きで欲張りだな。大概にしとかないと、早死にするぜ?」

 

「ああ、そうだよな………それでも、諦める事だけは出来ねえんだ」

 

 

武は掌の隙間から溢れる、空の向こうにある太陽から目を逸らさないままに、笑った。

 

 

 

 

「なんせ太陽様と夜闇様に約束しちまったからな―――力になる、って」

 

 

 

 

 


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