Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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30-3話 : 急転 ~ Given~ (3)

ユーコン基地の中、統一中華戦線にあてがわれている区画。その一室で崔亦菲は顔色を青白くしながら、紙に書かれた文字と絵を見つめていた。

 

「葉大尉………これは質の悪いジョークって訳じゃあ、ないのよね?」

 

「私も冗談だと思いたかった」

 

G弾の一斉爆発によって地球がどうなってしまうかなんて、とは言外に。亦菲は絶句した。未曾有の規模での覆し難い絶望がこの先に待ち構えている。それを知りながら平静で居られる者など、ほんの一部の例外だけだ。

 

だが、この場に居る二人はその例外だった。

 

「それで………私達にできることは?」

 

「………なんか、素直だね。割り切り早すぎるっていうか」

 

「バカにバカを言われたから。アタシだけ凹んでいるってのも、負けた気がするし………」

 

視線を逸らしながら応える亦菲を、玉玲がじっと見つめる。亦菲はそれに気づくと、ごほんと咳をしながら玉玲の方を見た。

 

「なにより、年下の男に借りっぱなしってのは性に合わないからね!」

 

突き放した物言いの割には、頬が少し赤い。玉玲はジト目になりながらも、回答を。私達がこの地で出来ることはないと告げた。

 

「それは………この騒動も?」

 

「統一中華戦線の衛士である私達は、蚊帳の外。でも………全てを見通せる筈もないけど、行く末というか結果に関しては――――」

 

玉玲はそこで盗聴されないよう、紙に筆を走らせる。そうして、ずいと前に出された紙にはこう書かれていた。

 

――――リーサ・イアリ・シフを筆頭とするように。白銀武からこぼれ落ちている何かをユウヤ・ブリッジスが少しでも多く拾う事ができたのならば、最悪の結末だけは避けられるかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も更けたユーコン基地の空の上。弐型のコックピットの中でユウヤは歯噛みしていた。単独犯に見せかけた機体強奪後、ウェラーの指示通りに演習区画へ。移動ルートを遠回りにすることによって追跡を困難にした上で、施設に侵入する。病室のパスワードなどは入手済みだ。

 

作戦に何も問題はなかった筈。なのに弐型の通信機は、秘匿回線から発せられる自分を呼ぶ声が鳴り響いていた。

 

『応答しろ、ブリッジス少尉。貴様がその機体に乗っている事は分かっている』

 

威圧感のある低い声。それは党の上層部に呼び出され、セラウィクに居る筈のサンダーク少佐のものだった。

 

(どういう事だ………まだソ連との国境は越えていないんだぜ? いくらなんでも感知されるのが早過ぎる!)

 

違和感を覚えながら、ユウヤは無言を貫いた。その間にもサンダークの言葉は続いていた。応答しないという事で、こちらの事情をある程度は察したのだろう。クリスカ達の研究を知っていると仮定し、だからこそ愚かな真似はやめろという制止の言葉を並べてくる。

利用されている。死地に出ず、後ろから甘言を弄する犬どもに唆されたのか。我が国ならば相応の待遇で迎え入れることができる。ありきたりの言葉に、そこまではユウヤも我慢することができた。

 

―――だが。

 

『ビャーチェノワ少尉も生かしてやる。いや、欲しければ貴様にくれてやろう』

 

『………っ!』

 

『冷静に考えろ………我々にとっては必要な研究だったのだ。あの者達の量産が叶い、実戦に投入できれば何百万もの将兵の命が救われる。形式的には戦術機を用いた通常戦力だ、G弾のような環境汚染を引き起こすことがない。貴様には、これ以上の成果があるとでも考えているのか』

 

人間ではない、まるで機械の一部のような。子供のように喜ぶクリスカ。言動が子供そのものだったイーニァ。それを装置呼ばわりするサンダークに、ユウヤは怒りを覚えていたが、続く言葉に何も言えなくなった。

 

『更なる死者か、あくまで限定的な被害か………現実的な世界を生きる以上は、捨てるものこそを選ばなければいけないのだ。軍人が夢のような希望的観測に踊らされるなど、あってはならない』

 

サンダークは更に声を大きくしながら語り始めた。クリスカ達は白き結晶(ビェールイ・クリスタル)と名付けられている特別な胚からクローン技術によって産み出されて培養された兵器で、特別な存在なのだと。

 

『まさか、米国に連れて行けば延命が可能などとは思っていないな? いや、欺瞞情報を与えられたか………言っておくが、それは不可能だ。テロの際に彼の国の諜報員が我々の研究成果を強奪しようと非合法な手段で訴えかけてきたが、我々はそれを阻止した。あの者達の強奪作戦が展開されている現状が、その証拠だ』

 

それは、嘘がないような言葉で。ユウヤにとっては、あまり聞きたくない話だった。

 

『生命維持が出来たとしても、モルモットとして扱われる。米国の第五計画は日本の第四計画を潰すつもりだ。ビャーチェノワ少尉達の能力を解析し、それを使って第四計画に攻勢を仕掛けるだろう』

 

第五計画。それも米国主導の。ウェラーからは与えられなかった情報に、ユウヤは内心で舌打ちをしていた。

 

『だが、それは楽観的な未来だ。少し考えてみれば分かるだろう。敵の手に渡ればとてつもない脅威になるというのに、その対策をしていないと思うのか? それほど我々は愚かであるとは思ってはいまいな』

 

無言のユウヤ。それはウェラーから聞かされて知っていた。だが、次の言葉は予想外だった。

 

『特殊な指向性蛋白の定期摂取。米国では用意できない類のものだ。ビャーチェノワ少尉が施設から連れだされたとしよう。だが、数日後には躯を晒すことになる』

 

 

「―――っ?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、機体を奪われた陣営も動き出していた。だが、演習場でロストしてからその後の足取りを追跡できていない。緊急事態で一時的に解放されているが、共謀を疑われているXFJ計画関係者は米軍の衛星情報を見ることができなくされていた。

 

苛立ちが募る作戦室。その中に、新たな人物が足を踏み入れた。

 

「っ、篁中尉!」

 

「遅くなりました―――概要は米軍から聞いています。こちらの現状は」

 

「弐型の2番機と、F-15ACTVに追跡班を待機させています。篁中尉の方は………」

 

「………弐型の真偽がはっきりしていない現状を逆手を取りました」

 

唯依は言葉少なめに語った。共謀を疑われども、逆に“帝国の財産を強奪した米国人衛士”についての責任を問いかけ、その説明に窮した担当官に訴えかけた上で、奪還のため計画の責任者の一人として動かせてもらうと。

 

「ドーゥル中尉。米国の動きはどうでしょうか」

 

「表向きはセオリー通り。だが、他国との連携を取るつもりは毛頭ないと見た方が良い。事実、ソ連も国連も米防空司令部(NORAD)による支援は受けていない。ほぼ間違いなく、アメリカは自国だけで片をつけるつもりだ」

 

「………分かりました。また、これからは私が指揮を取ります」

 

「なに?」

 

「私はXFJ計画の責任者。帝国の総代として、成すべき事は成さねばなりません。ドーゥル中尉は若輩故の我が身の補佐をお願いします」

 

「………篁中尉」

 

「ドーゥル中尉の懸念は承知しております。ですが―――私は私として、最後までやり遂げるつもりです」

 

それは弐型を強奪した衛士を、ユウヤ・ブリッジスを手に掛けるという所まで。暗に告げる唯依に、ドーゥルは躊躇いながらも頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方でユウヤは、研究施設の中でマズルフラッシュを背に前へと駆けていた。

 

「くそ………っ!」

 

「ユウヤ!」

 

紆余曲折を経て病室からクリスカを連れ出せたものの、病室から出た直後に発見されてしまったのだ。ユウヤは背後から斉射される銃弾の脅威に晒されながら、暗い廊下を走り続けていた。

 

「っ、私が盾になる! 向こうは殺る気だ、イーニァ以外ならば事故で………!」

 

「そんなもん認められるか!」

 

「だったら置いていけ! 私は十分に走れない、このままではユウヤ達が………!」

 

「さっき言っただろ! 俺も、もう戻れないんだよ!」

 

クリスカを連れ出す際にも告げた言葉だ。私など放っておけと主張するクリスカに、ここまで来て引き下がる理由もないと、自分の現状を説明したユウヤは、強引にクリスカの手を取って納得させたのだ。

 

「だが………!? っ、距離を詰められてる! 前方からもだ、このままでは………!」

 

後方と前方から挟撃を受けた時点で終わりだ。

 

「っ、わたしがおとりになる!」

 

「バカ、待てイーニァ!」

 

敵を二手に分かれさせようと、イーニァが離れていく。制止の言葉も間に合わず、イーニァは屋上へ続く道へ消えていった。

 

「くそ………でも」

 

ユウヤは追いかける事ができなかった。一方で、冷静な部分は状況の判断に努めた。緊急性があるのはクリスカで、悪ければ射殺される可能性がある。だがイーニァは能力を全開にすれば逃げ切る事ができるだろう。

 

(イーニァが探知できる範囲を聞いておくべきだったか………っ?!)

 

ユウヤは直後、この施設の中なら大丈夫だというイーニァのメッセージを受け取った。言葉ではない、そのように感じる光景を受け取ったのだ。あとは目的の物が到着後合流するというメッセージを飛ばせばどうにかなる。

 

そうしてユウヤはクリスカを連れながら、能力によってグレネードの発射を事前に察知するなどして、施設の中を逃げまわった。

 

だが次々と放たれるグレネードの爆発から逃れるためにと、複数の部屋がある中の一つにまで追い込まれた。逃げ場のない密閉空間。その中でユウヤは、扉越しに投げかけられる声を聞いた。

 

降伏勧告の後に突入し、クリアという声が聞こえる。そうしてソ連の警備兵はついにユウヤ達が居る部屋にまでやってきた。施錠されているからと、銃撃で破るという勧告。ドアから離れていろという忠告は、生かして自分達を捕らえるつもりだろう。

 

対するユウヤはイーニァに合図を送ると、逆に警備兵達に告げた。

 

「ソ連の隊長さんよ………本当に撃たないのか」

 

「ああ、危険だからな。左側の壁に手を突いて立っていれば大丈夫だ」

 

「分かった………だが、逆に忠告だ。そっちこそ扉から離れた方がいいぜ?」

 

「なに―――こ、この振動は?!」

 

 

直後、部屋に轟音が響き渡った。発生源はユウヤ達が居る部屋の黒い壁で、それが崩壊した音だ。

 

その向こうから現れたのは、純白の巨人だった。手に持っているのは36mmの劣化ウラン弾を連続で放つことができる突撃砲。人間が受ければ挽肉どころではない、血の霧になるほどの威力を持っている。

 

 

「な……ぁっ?!」

 

 

「悪いな、隊長さん―――修理費用はつけといてくれ」

 

 

葬儀の費用を出したくなければそこから動くな。ユウヤはそう言い残すと、クリスカと一緒にコックピットに乗り込み、イーニァに屋上に出るように告げた。屋上で合流して脱出しようと。そこまで成功すれば、作戦の大半に問題はなくなる。

 

そう思った直後だった。弐型の機体内部にアラームが鳴り響き、ユウヤの視界に赤い照明が点滅した。

 

「なっ、これは――――戦術機か?!」

 

投影された網膜に警告が映る。迎撃機1、匍匐飛行で当機に高速接近中と。

 

「っ―――Su-37、マーティカか!?」

 

息を呑むクリスカに、ユウヤは舌打ちしながら機体を上昇させた。信号は敵がSu-37であることを示していたが、思考を読み取るマーティカが相手なら一瞬の遅れでも命取りになりかねない。

 

「違う、ユウヤ………これは!」

 

ユウヤはクリスカの声を聞きながらも高度を上げて装備を長刀に変えた。

 

「イーニァ、隠れてろ!」

 

通信を飛ばしながら施設から離れる。万が一突撃砲の撃ち合いになれば施設まで巻き込んでしまう可能性があるからだ。幸いにして相手は1機だけ。ユウヤは速攻でマーティカを無力化すればイーニァを連れて脱出できると判断した、だが。

 

「疾いっ?!」

 

こちらの思考を読み取った上での対処戦術ではない、積極的に攻勢に出て仕留めようという動き。ユウヤの駆る不知火・弐型は間一髪でSu-37の長刀での攻勢から逃れ、Su-37から距離を取った。

 

「このまま施設から離れ………秘匿通信っ!?」

 

『―――投降しろ、ブリッジス少尉』

 

「その声―――サンダーク少佐かっ!」

 

セラウィクから急いで戻ってきたにしても早過ぎる。ユウヤは舌打ちをしたまま、施設から離れると振り返り、長刀を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

荒野で二機の巨人が対峙する。互いに動きまわり戦闘態勢に入ったまま、先に手ではなく声が飛んだ。

 

『何を聞いたのかは知らんが………ビャーチェノワ少尉を返してもらおうか。今は非常に重要な実験の最中なのでな』

 

『人の命をモノみたいに扱う実験か………っ!』

 

『人ではない、人形だ。そのもの達は兵器なのだ。発作的に同情を見せる貴様の青臭い感傷に付き合うつもりはない』

 

『外道が悟った物言いをしてんじゃねえっ!』

 

それが再開の合図となった。仕掛けたのはユウヤ。全速で跳躍ユニットを吹かし前進しながら、左右に機体を振って距離を詰める。脳裏に唯依から教わった剣術の理を思い出しながら。

 

(剣が届く距離は生と死の交差線上―――故に迷わず、初撃に全霊を込める!)

 

それは篁示現流の教え。ユウヤはその通りに、相手に的を絞らせないまま突っ切ると、迷わず長刀を振り下ろした。だが、剣先が捉えたのは戦術機の外装ではない、硬い感触のみ。

 

『ぬっ!』

 

『くそっ、防がれたか!』

 

Su-37は接触の間際に長刀を構えて弐型の一撃を受け止める。それでも推力に勝り会心の出来であった一太刀の威力に圧されたSu-37が圧されながら後方へ飛ばされていく。

 

『グ………っ、冷静になれブリッジス! 貴様は我が国の未来を奪おうとしているのだぞ! 何百万の将兵に死ぬ事を強制する資格が貴様にあるのか!』

 

『っ!』

 

『無駄なのだ! ビャーチェノワ少尉は間もなく死ぬ!』

 

『なにを………っ!?』

 

言葉と刃のやり取りに

 

『自壊までもって数日! その間に米国がどうこうできる筈もない!』

 

『すうじ………苦し紛れの嘘を言うな!』

 

『この期に及んで偽りを口にしてどうなる!』

 

サンダークは声を荒げながら告げた。このままでは身体中の細胞が壊れて内臓まで崩れていく、人だけが感じられる極限の苦痛がクリスカを襲うのだと。

 

『貴様の行為こそがビャーチェノワ少尉を苦しめるのだ!』

 

『それを仕組んだあんたが言うことかァッ!』

 

ユウヤは更なる攻勢に出た。感情だけではない、機体の全身を駆使した上での長刀の連撃は鋭く重い。性能にも優れる弐型の怒涛の攻撃を前に、Su-37は反撃もできないほどに劣勢になっていった。

 

『チィッ! ………ブリッジス少尉、冷静になれと言っている! 戦友たちを裏切り、言葉を交わした相手を裏切った上で祖国に戻ったとしてどうなる! 帰った所で歓迎されるなどと、本当に信じている訳でもあるまいに!』

 

『………っ!』

 

『その人形に、代えられない価値があるとでもいうのか! 本当に選ぶべき道か! 一時の気の迷いに踊らされるな、正しきを選択しろ!』

 

その先は修羅の道であると、サンダークが諭すように告げる。

ユウヤは、唇だけで笑いながら、レバーを前に傾けた。

 

『手前勝手に、人の価値を決めつけてんじゃねえよっ!』

 

『ぬっ!?』

 

鋭い一撃を受けたサンダークの長刀が飛ばされる。サンダークは距離を取りながら予備の長刀を装備するよう操縦し、叫んだ。

 

『っ、私だからこそだ!』

 

『何を根拠に! クリスカ達の時間を、当たり前の生活さえ奪うだけ奪っておいてそんな事を言う資格があんのかよ!』

 

『資格だと………』

 

声の質が、暗い方向に一段を下がったような。ユウヤは背筋に走る悪寒のまま、構えを防御の型に変え、

 

『その者達は我が妹のなれの果てだ。それを資格などと―――笑わせるな!』

 

直後にサンダークの鋭い一撃が弐型の持つ長刀に叩きつけられた。それだけでは収まらず、二度三度と重い一撃が弐型を襲う。

 

『泡沫の如き感情に踊らされる者の末路など決まっている………!』

 

今までとは全く異なる、感情がむき出しになってなお疾い攻撃。ユウヤはそれを捌きながら、サンダークの言葉を聞いていた。

 

『地獄に………罪科に追われて落とされた地で手を差し伸べてくれる者など、在ろうはずがない!』

 

更なる攻勢に、弐型は圧され――――

 

『くだらん正義感に酔った代償、その身で味わってから言うのだな!』

 

『アンタが―――兄貴、だってんなら』

 

するりと半身分。弐型は横に逸れて、Su-37の長刀の袈裟斬りが空振る。切り返しが来るも、弐型は長刀でそれを受け流しながら、更に前に進み、

 

『妹をそんな目に合わせてんじゃねえよッ!』

 

隙をついた弐型の強烈な蹴りが、Su-37のがら空きの胴体部を直撃した。

 

『ぐああああああああっっっ?!』

 

サンダークの叫びと共に、体勢を崩していたSu-37は更にバランスを崩しながら失速し、地面に叩きつけられた。ユウヤは肩で息をしながらも墜落したSu-37の所まで弐型を移動させ、その前に立った。

 

『少佐………殺しはしない。だが、クリスカとイーニァは連れて行かせてもらう』

 

『………好きにすればいい。所詮は一時のものになるだろうがな』

 

『なに?』

 

『すぐに我々に泣きつくことになると言っているのだ。シェスチナ少尉の事でな』

 

『なっ………どういう、事だ。クソッタレの仕掛けはクリスカだけに施してたって訳じゃないのかよ!』

 

慌てるユウヤにサンダークは嘲笑しながらも言って聞かせた。イーニァは母集団から一定期間分離すると、脳細胞を溶解する物質が流れ出る仕掛けを施していると。死ぬことはないが、人格と能力は喪失し、それを取り戻せるのは我々を置いて他にはない。ユウヤはそう言い切ったサンダークを疑ったが、機密保持を考える以上は当然の処置であるとも考えていた。

 

(クリスカも知らない、か………それに、燃料が)

 

激しい近接格闘戦を行ったせいで、逃亡用の燃料が予定外の域にまで減少している。迷っている内に、接近の警報が鳴った。ソ連の哨戒待機部隊が動き始めたのだ。

 

ユウヤは敵のMiG29の格闘戦性能を分析すると、顔を渋面のそれに変えて、機体を施設から離れる方向に向けた。

 

「ゆ、ユウヤっ?! この進路は………」

 

「必ず戻る! 今は………撤退するしかないんだ………っ!」

 

燃料が尽きればそれで終わりで、撃破されても同じ。それでもイーニァを置いていくという事が何を意味するのか。ユウヤは渋面を更に深くしながらも、共倒れになれば意味がないと割り切り、機体の速度を上げた。

 

通信に入る、イーニァの大丈夫だからという声と、それに応じるクリスカの涙を受け止めながら、不知火・弐型は夜の空を駆けていった。

 

 

 

 

 

「………適性の一つはクリア、か。それで、シェスチナ少尉の捕獲は済んだのだな?」

 

弐型を見送ったサンダークは通信越しに現状を確認すると頷いた。そして、ベリャーエフに指示を出した。

 

“繭”を使用する、と。ベリャーエフは時期尚早過ぎると悲鳴のような声で反論するが、サンダークは言葉に怒りを含ませて告げた。

 

最高級の衛士が乗る高性能のステルス機を捕捉した上で捕獲するためには、“繭”を使う他ないと。ベリャーエフは最後まで納得できないという意志を示していたが、方法も思い浮かばないのか、最後はサンダークの指示に従い動き始めた。

 

サンダークはそれを確認した後に一端通信を切ると、別の所に通信をつなげた。

 

「―――やはり機体性能は通常の第三世代機を大きく上回っております。シェスチナ少尉を含めた3人乗りならばまだしも、二人のりで衛士の力量を考えると………」

 

通常の機体ではたちまち迎撃されることだろうと、サンダークは分析していた。

 

「アターエフ准将―――問題ありません。テロに乗じた例の施設破壊。それを成したステルスに対する信仰など、いかようにでも」

 

最高の触媒であるユウヤ・ブリッジスが居れば比較する必要すらなくなる。自信に満ちた声だが、僅かに苦いものが混じった。

 

「第四計画が接触してきたのはそのためでしょう―――はい。研究成果を接収する事に意味がないのは承知している筈です。あとは手はず通りに………」

 

その後、2、3の言葉を交わしたサンダークは通信を切ると、映像越しに見える空を眺めながら呟いた。

 

 

「女一人のためだけに全てを捨てた、という訳ではなさそうだが………いや」

 

 

くだらん事には変わりがないとサンダークは言い捨て、彼が乗るSu-37の上には、怪しく煌めく月の真円が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、XFJ計画の格納庫。篁唯依は一人、機体があった場所を見上げながら今回の騒動について考えていた。

 

弐型にはYF-23と同じく、F-22にも搭載されている統合補給支援機構(JRSS)が組み込まれているという情報。その上で、現在進行形でその有用性を発揮しているアクティヴ・ステルス。それは機密漏洩に対して、言い逃れの出来ない証拠ともなる。承知していながらフェイズ3の換装を認めたハイネマンの意図はどこにあるのか、唯依は分からなかった。判断がつくほど情報が揃ってはいない。判明しているのはレーダーにも捉えられず、燃料補給も難しくない弐型を捕捉できる可能性が、著しく低くなったという事だけだ。

 

米国にソ連に国連。いずれもそれぞれの利益を求めて弐型を捕捉しようとしている。ソ連は自国内で撃墜し、ステルスの技術を手に入れるため。米国と国連はそれを防ぐため。同じではないが、似たようなスタンスだろう。唯依達XFJ計画は情報も少なく、まともに考えれば追跡できるような状態ではない。だが、唯依は一つの可能性を見出していた。

 

(ユウヤが日本刀(緋焔白霊)を持っているのなら、それを頼りに追えるが………)

 

当主の証である刀には独自の電波を発する、発信機の役割も兼ねている。ユウヤの家宅捜索の結果次第で、弐型を捕捉できる確率は格段に上昇するだろう。一方で唯依は、その結果が分かるまでの間に色々と覚悟を済ませておかなければならなかった。

 

斬って帝国の財産を守るか、あるいは。

 

そうして迷う唯依の横に、近づく姿があった。唯依はゆっくりと視線を横に向けると、予想通りであったその人物に声をかけた。

 

「………ローウェル軍曹」

 

「ええ………行っちまいましたね。たった一人で」

 

ヴィンセントはしばらく乾いた笑いを零すと、唯依の方を見ないまま、努めて小さく慎重に息を吐いた。

 

「こっちの迷惑も何もかも………分かった上でやっちまったんでしょう。我儘な奴ですよ、ほんと。周りが見えてねえっつーか」

 

言葉は責めるもの。口調は定まらず。その声は、明るいものだった。

 

「戻ってきませんよ。猪で、前しか見てなくて………でも、こうと決めたことは曲げないんですよ。周りに合わせるとか、全く考えないバカ野郎で」

 

「………そうだな」

 

「口うるせえし、こっちが気遣っても逆に怒るんですよ? 戦術機に関してもいちいち細かい所まで突っ込んできやがって」

 

皮肉も嫌味も一丁前で。でも、とヴィンセントの声に震えが重なった。

 

「でも………こいつなら何かをやってくれるって。そういう期待は持たせてくれたんですよ。ユーコンに来てからも、改修案が定まってからは特にそうだった、なのに………」

 

ヴィンセントの瞳から涙はこぼれない。ただ悲しい色が混じり、その上に怒りが混じった。

 

「畜生………弐型を最高の戦術機にするって、そう言ってたじゃねえかよ………!」

 

裏切りを責める声も、怒りだけではない、深い悔恨の念があった。それを見た唯依が、黙っていられるはずもなかった。

 

「きっと………他の誰にも説明できない。いや、してはいけないと………そういう事情があったのだろうな」

 

「篁中尉………」

 

「直接聞き出すしかないのだろうな………だから―――ローウェル軍曹、用意を頼む。事態を傍観したままなど、許容できそうにないのでな」

 

私が許可が降り次第出撃する、という唯依の声。本来の機体である武御雷が調整中である今、唯依が何に乗って出撃するのかは、確認するまでもないことだ。

 

驚くヴィンセントに、唯依は現在進めている結果次第だが、と前置いて告げた。

 

 

「不知火・弐型の準備を頼んだ………いつでも出られるようにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、ユーコン基地から離れたポイント。その中には、夜の森に紛れて休息を取る不知火・弐型の一番機の姿があった。

 

「………各国の警戒レベルが引き上げられているな」

 

言うまでもなく自分たちを探しているのだろう。ユウヤは残りの燃料と装備を確認しながら、どのような手段でイーニァを奪還すればよいかを考えていた。

 

「燃料だけじゃなくてバッテリーも足りない、か。こりゃもう一戦やる必要があるな」

 

偵察部隊を急襲して、強奪する必要がある。そう判断したユウヤに、背後から声がかけられた。

 

「ユウヤ………」

 

「………分かってる。ようやく落ち着いたしな」

 

救出から脱出、直後の戦闘からの撤退と時間が取れなかったが、今は違う。体重を背中のシートに預けたユウヤに、クリスカは恐る恐ると声をかけた。

 

「あの時は聞きそびれたが………」

 

どうして助けに来た、とはもう問いかけなかった。サンダーク少佐との戦闘中に聞いた叫びの中にこそ答えがあったからだ。

 

それよりも、と引っかかっている事をクリスカは問いかけた。もう戻れないという言葉の意味について。ユウヤは自嘲しながら、肩をすくめた。

 

「少佐の言葉を聞いて分かったが、俺は………いや、“俺達”は嵌められたんだよ」

 

弐型の機密漏洩から計画停止に、デイル・ウェラーに聞いた事まで。一部始終を話したユウヤに、クリスカは唇を噛み締めた。

 

「それじゃあ、最初から日米共同の開発というのも………?」

 

「よく分かったな。最初っからか、途中からか………米国はXFJ計画を真っ当に終わらせるつもりなんて無かったようだ」

 

ウェラーはハイネマンの内偵を前もって進めていると言った。統合補給支援機構(JRSS)が組み込まれているのも、ハイネマンが隠していた本命の設計図を入手したからだという。

 

「それを利用したんだろうな。聞けば、テロの騒ぎに乗じてクリスカ達の身柄を拘束しようって考えていたようだし」

 

機体の確保に仕損じた作戦の挽回。それを利用するためだろうとユウヤは答えた。

 

「ウェラーの誘いに乗ってアメリカに戻った所で、針の筵だ。なんせ、過去にやらかした経緯を持つ問題児だからな。だから………」

 

「………私に気を使わなくていい。だから、本当の事を話してくれ」

 

嘘はつかないで、と望む声。それを聞いた気がしたユウヤは、頭をがしがしとかいた。

 

「戻った後に………ダンバー准将や、他の衛士が庇ってくれるかもしれなかった。だが、どうにもな。同盟国との共同開発における場で機密漏洩だぜ? そんな場所に居合わせただけで、どういった扱いになるか」

 

「だけど………ユウヤは知らなかったんだろう?」

 

「確証も無しに無責任な噂をばら撒けるのが人間だ。そいつが本当に悪い奴かどうかなんて、確かめる方法は持っていないからな」

 

「………そうだな」

 

暗い声になったクリスカに、ユウヤは慌てて言葉を付け足した。

 

「いや、クリスカ達がどうだって訳じゃなくてな!」

 

「私も………責めてなどいるものか。蔑まれ、怖がられるのは慣れているからな。その者達とユウヤの反応は………正反対だ」

 

「そう、か………」

 

無言になるユウヤ。だが、とこれだけは確かめておかなければならないと、クリスカに問いかけた。

 

「サンダーク少佐が言った事は本当なのか? クリスカと、イーニァの………」

 

「私に関しては………本当だ」

 

クリスカは淡々と説明を始めた。指向性蛋白の摂取は必要不可欠。摂取を中断してから早ければ8日、遅くても2週間程度で自壊が始まると。

 

「だが、イーニァに関しては分からない。私も、聞かされてはいないんだ」

 

それらしき薬を飲んでいる事は知っているが、機密にあたるだろう情報は遮断されている。上官や特定の人物のリーディング及びプロジェクションは意図的に使えなくなるようにされていると、クリスカは自分の髪につけている制御装置に触りながら告げた。

 

「最後に投与されてから4日間………イーニァに関しては、具体的な時間さえ分からない」

 

「………そうか。クリスカの方は、その………施設には、投与されれば崩壊を防止できる薬とかあるのか?」

 

「薬は………無い。リカバリーできる時間は過ぎているから。少佐の言った通り、アメリカがその短期間に薬を作り出す事が出来るとは思わない」

 

「なら………国連は、どうだ?」

 

第三計画を主導していたんだろう、という望みもこめた問いかけ。

クリスカは、静かに首を横に振った。

 

「指向性蛋白を作るのは特定の施設が居る。ソ連であっても、残ってはいない。今は第四計画と第五計画に力を入れているだろうから」

 

「………第五、計画?」

 

「米国が提案した予備計画だ。正式に採用されてはいないが、予備案として研究は進められているらしいが………まさか、聞かされていないのか?」

 

驚いたクリスカだが、端的に説明をした。その内容を聞いたユウヤは、頭を抱えながら低い声で呟いた。

 

「成る程な………助かったぜ、クリスカ。おかげで色々と見えてきた」

 

第四計画は第五計画と。日本とアメリカ、つまりは白銀武の黒幕とデイル・ウェラーが仕えるものは敵対しているのだ。ハイヴを通常戦力で攻略されると困る、というのは本音だったのだろう。ユウヤはその上で、クリスカに問いかけた。

 

「第四計画は第三計画の研究内容を接収したって聞いた。なら、指向性蛋白は第四計画が用意できるんじゃないか?」

 

「いや、それは………分からないな。ユウヤはどうしてそう思ったんだ?」

 

「イーニァからちょっと聞いたんだ。第四計画に協力している衛士、白銀武が知ってるんだとよ。トリースタ・シェスチナって子の事を」

 

ならば指向性蛋白の研究成果も持っている筈だ。そう主張するユウヤだが、クリスカは怯えるように肩を縮こまらせた。

 

「話は、分かった………けど」

 

「けど?」

 

「………怖いんだ。私は、あの男が化物にしか見えない。ユウヤは、テロの時に私達が暴走した時のことを覚えているか」

 

「あ、ああ。確かに、あいつは化物みたいな腕を持ってたけど」

 

「違う。力量もそうだが、心の中が………あの時、私達はあの男の思考を読み取ろうとした。装置に邪魔をされて完全にとはいかなかったが、能力が高まっていた私達はそれを欠片でも読み取ることに成功した、だが………」

 

クリスカは起きた事を嘘なく説明した。その欠片を見ながら、周辺に居る唯依、タリサ、亦菲の思考を読み取りながら、暴走したプロジェクションを混じえながら。

 

「はっきりとは覚えていないが、浮かんできたのは強烈な“黒”。それを、実戦経験のある衛士が、“欠片でもあの男の思考を転写された”だけで硬直した。それも命のかかった戦闘中だというのに」

 

「………そう、か」

 

ユウヤも、唯依、タリサの過去は直接本人の口から聞かされたから知っている。その凄惨さも。それでなお硬直させるほどの、曰く“黒い”何か。ユウヤは武が大陸や日本の戦いで何を見てきたのだろうか、想像をしかけた所で思考を中断した。

 

「それでも、あいつはお前たちを死なせないためにユーコンに来たって言ってたぜ。まあ胡散臭い所はあるが………どうしても、人を騙してどうこうしようって奴とは違うと思うんだ」

 

筆頭はウェラー。同位置にサンダーク。理由は、言わずもがな。

 

「でも、単独で解決できた方が………悪いけど、第三計画の話を聞いて良いか」

 

「え? も、もちろん構わないが………その、見ていいか?」

 

ウェラーという男から聞かされた内容と照らしあわせた方が効率が良いし、情報伝達の齟齬を無くせる。そう告げるクリスカの声は小さく、理由を察したユウヤは拳を強く握りしめながら答えた。

 

「イーニァにも言ったけどよ………化物ってのは、クリスカ達を指して言うことじゃねえんだ。ユーコン基地で………テロの中で、その後になっても人の命を駒として使って、それで利益を得ようとしている奴らこそ、人の心が分からない化物なんだ」

 

自分だけを見ていたかつての自分も、とは言葉に出さずに。

 

「すまない………というのは違うか」

 

「当たり前の事に礼も謝罪も要らないって」

 

「ふふ、そうかもしれないな………」

 

そうしてクリスカはユウヤの頭の中をリーディングして、自分の持つ情報と擦り合わせた。思考速度に優れるクリスカは一分も経たない内にそれをまとめ、第三計画に関する事で、必要な部分のみを説明し始めた。

 

ソ連のアカデミーでは元々ESPの研究が行われていた。だが、その発生率はかなり低かったこと。第三計画で予算を得た後は遺伝子工学などを導入し、倫理を超えての研究が行われた上で人工のESP発現体を開発しようとしたこと。

 

いくつかの成功例を伴い、BETAに対するリーディングを行うためにハイヴ攻略作戦に参加したが、その大半が戻ってはこなかったこと。

 

「その一つがスワラージ作戦………ボパール・ハイヴを攻略する大規模作戦だ。そして、最近知ったことだが………当時の作戦に参加していた者の一部は、スワラージ作戦を強行する理由となり、作戦失敗の要因ともなったESP発現体を恨んでいる」

 

「最近、って………誰からだ?」

 

「元クラッカー中隊の衛士。欧州に居た彼らがインド亜大陸の戦線に異動されたのは、そういった背景がある。尤も、その発現体の全てが年端の行かない少年少女だったと知って何かを悔やんでいたようだが………」

 

「クラッカー………待てよ。そういえば、タリサの友達だっていう衛士も」

 

「第三計画の本筋ではない、予備とも言えない愚かな計画によって産み出された失敗作。ベリャーエフ博士が言っていたことだが………」

 

「………そうか」

 

タリサから聞いた話では、自分とそう変わらない年齢だったという。クラッカー中隊の人員を考えれば、白銀武と最も年が近かった衛士だろう。

 

(その衛士は死んだって言ってた。だからこそ武はクリスカ達を死なせたくないって思っているのか………いや)

 

確証はないとユウヤは首を横に振った。

 

「悪いな。話の腰を折っちまって」

 

「ううん、いいんだ。ESP発現体だが………戻ってきたのは数%だけ。それでも彼女たちが遺した情報は重要だった。対BETA戦術にも多く活かされるようになったんだ」

 

だが、ソ連と国連は対立した。国連としての本命は和平工作だが、そちらに関しては取っ掛かりすら得られない。ソ連は研究とデータ収集をこそ重要視していた。

 

その果てにソ連は国連を、オルタネイティヴ計画自体を見限った。科学アカデミーを再接収して、人工発現体の応用研究を開始したという。

 

「研究は数多く存在した。その中で最も成功したのが、サンダーク少佐の………つまりは私達を産み出す計画だった」

 

その後はサンダークが言っていた通りの。だが、ユウヤは詳しく話される内容に憤りを覚えていた。

 

白き結晶から分離培養された複製胚に遺伝子改良を施し、人工子宮の培養に収まらず。生後一年も経っていない赤ん坊と表現できる時期の子供に対し、脳の一部を切除するという正真正銘の下衆が行うような処置まで施されていたというのだ。

 

「………っ!」

 

ユウヤの噛みしめる歯からぎりりという不愉快な音が鳴り、握りしめる拳の軋みが大きくなっていく。

 

(あんたが………あんた自身が、自分の妹を………っ!)

 

サンダークの言うような成れの果てなどという言葉を使いたくはない。それでもサンダークが見てそう表現するほどの処置を施してきたのは事実だった。

 

「………怒っているのか?」

 

「ああ………逆に聞くけど、クリスカは怒ってねえのかよ」

 

「私にとっては当たり前で、日常のことだった。怒る理由がないと、そう思っていたが………」

 

クリスカは躊躇うように口を開いたが、すぐに黙りこみ。小さく息を吸うと、思い切ったように言った。

 

「誰にとっての当たり前ではないのだと、知って………説明している内にも気づいたんだが………私は与えられてばかりだったんだ。作られた子宮に、培養されて、白い病室で安全に育てられた。成長の方法に、立ち上がる意志や目標、存在意義まで………私達は定められたレールの上を歩かされていた」

 

「………それは。親の役目を果たすべきサンダーク少佐と博士があんな奴らだったからだ。お前のせいじゃない」

 

「それは………違う。親は選べないと、ユウヤも言っていたではないか。いや、誰でも選べないんだと思う。それでも人は、自分の中にあるものを頼りに強くなれるのだと………ユウヤと出会ってから思い知らされたんだ」

 

私には見えるものがあったと、クリスカは言う。

 

「強い感情は、見るつもりがなくても感じることができる。ユーコンでプロミネンス計画が始まってから、出会った者達の多くが………自分の心に確かな“それ”を持っていた」

逆境があっても、失敗しても、気持ちが沈んだとしても、とクリスカが言う。

 

「最初は分からなかった。そのような状況に陥ること自体が、努力が足りない証拠だと思っていた。私は望まれた通りに努力して強くなったからこそ、負けないのだと………だけど、そうじゃなかった」

 

「なにか、切っ掛けがあったのか」

 

「ああ。洞窟の中でユウヤと篁中尉が対立していた時だが………覚えているか?」

 

「洞窟って言うと………グアドループの無人島で唯依と言い合った時の事だよな。あれは、はっきりと覚えてるぜ」

 

「そうか………私は、あの時になんと無駄な行為をする者達だと、二人を蔑んでいた」

 

なぜなら、とクリスカは言う。

 

「言い合う行為自体が無駄なことだと、そう思っていたからだ。目の前に成すべき事があるのに、どうして余計な感情を殺すことができないのか。だが、二人はそのまま、感情を誤魔化すことなく衝突して。言葉を交わす度に、やがて輝きは増して………最後には見たことがない程に強烈で、鮮やかな“それ”が、輝きを放っていた」

 

いつになく饒舌な様子で、クリスカは言葉を続けた。

 

「テロの時も同じだった。アルゴス小隊の誰もが。ガルム小隊、バオフェン小隊、他の衛士達も差はあれど似ていたな。感情を完全に殺すことができず、迷っている。なのに、窮地にあっては歯を食いしばりながらも最善の方法を模索し続ける。その中央には、いつも強く輝くものが存在していた」

 

不完全なのに、最適ではないのに。

 

「あの時の私は役立たずだった。イーニァの事だけを考え、焦るだけで………誤った行動を取ろうとしていた。あの時篁中尉に制止されなければ、私はテロリストに殺害されていただろう」

 

その時に思い知ったのだという。不測の事態で不安定な戦況にあっても目的に向かって真っ直ぐに伸びていこうとする“それ”の(きざはし)を。

 

「篁中尉の中には迷いがあった。後悔の念と失敗への恐怖は過去から来るものだろう。だがそれを表に出さず、胸の内で留め続け………苦悩し、考えぬいた挙句に、最善と思われる選択を。見事な決断を果たした」

 

「ああ………それが出来たのは、唯依が生真面目で仲間思いだったからだ」

 

ユウヤも、唯依があの年齢であそこまで成長した事の原因は想像することができた。実戦でしくじり、痛い目にあった。二度と繰り返したくないと考えたからこそ、必死で己を鍛えてきたのだろうと。

 

「ユウヤも同じだ。テロが終わった後のユウヤは見違えるように強く美しい光を持っていた。その光で多くの者を巻き込み、より強く輝きを増していった」

 

「強く、か………いや、俺は自分の夢を叶えたかっただけだぜ」

 

「そうかもしれない。だが、篁中尉の消失した光が宿っているようだった。それを受け入れられるほどに強くて、遠くて………回復したイーニァと一緒に見た時に思ったんだ」

 

ユウヤはもう、自分たちには届かない、遠くに輝いている星のようで。私達は置いていかれたんだと。それを聞いたユウヤは、イーニァの言葉を思い出していた。

 

遠くにいったユウヤを見るのは寂しいけど、と。

 

ユウヤはそれを聞きながら、そんなに大層なもんじゃないと言い返そうとしたが、脳裏にヴィンセントや整備班の顔が浮かび。迷った挙句に、否定だけはしなかった。

 

そんなユウヤを見ながら、クリスカは眼を閉じながら、小さな声で呟いた。

 

「遠いと思った感覚。私にはその理由さえ、理解できなかった。全てに気づいたのは………最後の比較試験の前日。次の試験で結果を出せなければ廃棄処分されると告げられた夜。ヴァレンティーノ大尉と問答している時に、ようやく気づけた」

 

与えられたものは多いが、それを奪われようとした時。レールから外れ、自らの力のみで成果を出さなければいけない時。

 

つまりは、本当の一人になって逆境に置かれた時。責任を負わされた時に、感情や思考に迷い続けながらでも、歯を食いしばって足の先に力をこめられる人の強さ。

 

「どのような状況でも、俯かず顔を上げて歩き続けようという―――“意志の光”。それが、私には不足していたんだ」

 

失敗したからこそ。感情が死んでいないからこそ。割り切れないから、諦められないから、譲れないものがあるから。

 

「でも、未だに分からない事がある。どうして、ユウヤ達は………どんな時でも、それを捨てないで持ち続けることができるんだ?」

 

「………そうだな」

 

今までは覚えがなかった、訴えかけるような。慎重に言葉を重ねての問いに対し、すぐには答えられなかった。言葉は多く、全てをまとめきれるものではない。

 

それでも、ふと投影された映像越しに見える星を見たユウヤは、言葉を整理せず、思いのままに口を開いた。

 

「昔にな………一度だけ、家出をしたことがあったんだ」

 

それは、グアドループでも話したこと。クリスカは戸惑ったが、黙ってユウヤの言葉を聞き続けた。

 

「生まれ育った屋敷から外に飛び出したんだ。その時は、とにかく………あの家になんか戻るもんかって思ってた」

 

「ユウヤは………母親の事が好きだったのではないか?」

 

「普通に言われると恥ずかしいな。でも、あの頃はなあ………お袋は祖父さんに怒られた時は優しいんだけど、教育に関しちゃ鬼だったんだ。礼儀とか教育に関しちゃ、とにかく厳しくてな。本気で怒った時には祖父さんとダブって見えたもんだぜ。それでも俺が虐められる原因を作った親父を持ち上げ続けて………」

 

今では違うが、と言い訳を挟みながら、ユウヤは苦笑した。

 

「祖父さんの方はもう、たまらなかったぜ。もう鬼っていうレベルじゃなかった。本当にこいつは俺が憎いんだろうなあって、子供心に理解させられた。主に会ってる二人がそんな調子で、ふと思ったんだよ。それじゃあ俺は、要らないんじゃないかって思ってな」

 

菓子とジュースをデイバッグに詰め込んで。パンと水じゃなかったのは、ちょっとした子供の欲張る心で。

 

「その頃にはもう、俺とお袋は離れに住んでたからな。脱出は楽だったよ。でも………どれだけ歩いても、家の外が見えねえんだ」

 

南部の名士で大地主だったエドワード・ブリッジスの屋敷は相応に広大で。子供の足で超えられるほど、狭い庭ではなく。

 

「足が痛いってのに、関係ないとばかりに道が続きやがるんだ。どこまであるのか……果てがないようにに思えたぜ。そうして、歩いてる内に夜になった。歩き続けたせいで疲労困憊。動物の鳴き声ひとつで、飛び上がるほどびっくりしたよ」

 

情けねえけど、それで知ったとユウヤは言う。

 

「昼間に車の中から見える風景とは全然違う。何も守るものがない、守ってくれる人が居ない、正真正銘のひとりきりだった。それでも………月灯りの下を、歩き続けた」

 

その横には星が見えた。遠く、小さく、届かない輝きが。それを見上げながら、呆然と歩いたと、ユウヤは言う。

 

「そうだな……どこに行こうかなんて、考えてなかった。とにかく、此処じゃない何処かに行きたいって、足の豆が潰れても歩き続けたんだ」

 

同時に浮かんでいたのは、母・ミラと祖父・エドワードの顔。

 

「居なくなったから、心配してくれてるかもしれない。心変わりをしてくれるかもしれない、もしかしたら――――なんて」

 

それが儚い願いであっても。遠くに見える星や、月のように輝くものに思えたから。

 

「それでも、今になって………あの時の俺と同じになっちまうなんてよ」

 

ユウヤは手を伸ばして、クリスカの手を握りしめた。

 

「唯依達が強い理由は分かってる。あいつらが強いのは、どんな事があっても揺らがない根っこがあるからだ。いざとなった時に道を間違わない指針がある。頼れる―――立脚点を持ってるんだ」

 

月や星に対しても、ただ呆然と憧れるものではなく、確かに目指す地点として見据えて歩き続ける。ユウヤは思う。彼ら、彼女達なら星を見上げるとまず北極星を探したであろう。目指すべき方角を知るために、確かな意志を持ってして。

 

それはそれぞれの環境、過去と経験から形成される頼れる拠り所が、足場が、立脚点があるからだと思う。ユウヤの言葉を聞いたクリスカは立脚点、と繰り返すと、ハッとなってユウヤを見た。

 

「それは………今のユウヤならば、もう持っていると思う」

 

「……違う。機密漏洩の嫌疑が発覚した時に。いや、きっともうそれ以前に、無くなっちまったんだよ」

 

軍に入る以前は、母や―――祖父に認められたいという想いで。母を亡くし、ユーコンに来て見つけたものは、仲間たちとの弐型の開発で。

 

「皮肉だよな。気づいちまったよ。ユーコンに来て、ようやく誇れるようになったってのに、それが俺の立脚点を壊すなんて」

 

クリスカ達の情報に嘘が含まれていた。第五計画について話されなかった理由。総合すると分かってしまうのだ。とどのつまりは、第四計画と第五計画が未来を巡って対立しているこの情勢において。

 

 

「―――日系人の俺が、アメリカの英雄になることは許されない。歓迎される可能性なんて、ないんだ」

 

 

それを喜んでくれたであろう母は居らず。会いたい人が居る帰りたい所が無いなんて、あの頃よりも酷くて。

 

ユウヤは、知らない内に自分の両目から涙がこぼれている事に気づいたが、それを拭わずに、両手の拳を強く握りしめながら俯いた。胸の中にあるのは、張り裂ける程の悲しみと切なさ。

 

ようやく日本の血を誇れるようになったのに、母の気持ちが分かったのに、それが今の自分を縛り殺す材料になってしまう。その皮肉の強烈さは、頑強なユウヤの精神を根底から揺さぶり尽くしていた。耐え切れなかった欠片が、両目から水となって次々に溢れ続けた。

 

「あの時も………どれだけ歩いても祖父さんの敷地からは抜けだせなくてよ………」

 

とんだ道化だ、という呟き。その声は涙を引きつける身体に掠れさせられて。

 

「なにもできねえ、無能で………なに、やってんだよ………オレは………」

 

「………ユウヤ」

 

かけられた声に、ユウヤは顔を上げた。涙を拭うその速度が、ユウヤの過去を語っていたが、本人はそれに気づかない。

 

「悪い、な………お前の方が大変だってのに、みっともねえ所見せちまって」

 

「っ、みっともなくなんてない!」

 

それは、クリスカの本気の怒声。ユウヤが驚き硬直していると、クリスカはその頭を抱え込むように抱きしめた。

 

「みっともなくなんてない、無能なんかじゃない! ユウヤは私を―――私達を助けるために、命をかけてくれたじゃないか! イーニァを絶対に取り戻すって、言って………っ」

 

だから、という声には涙が混じっていた。

 

「最後の比較試験に立てたのは、ユウヤのお陰だった! ユウヤのプレゼントを見て、思ったんだ! こんな、情けないままじゃダメだって………!」

 

感情のままに、クリスカは叫んだ。

 

「イーニァを助けるために、自分の感情を殺してまで。必死で頑張ってくれているじゃないか………みっともない筈があるものか!」

 

クリスカは繰り返す。ユウヤがサンダークに向かってみせた怒りを。言葉を、想いを。

 

 

「誰にも、文句なんて言わせない。ユウヤは………私達の、英雄だ」

 

 

「………クリスカ」

 

ユウヤは無言のまま、クリスカを抱きしめ返した。震える肩は子供のようで。それでも、ぬくもりと柔らかさは、確かな人間のそれであった。

 

そして―――10分後。

 

どっちとも言わず離れた二人は、着座し。ユウヤはレーダーを確認しながらも、ちらちらと横を。その方向には恥ずかしさのあまり眼を逸らしたまま硬直し、それでも姿勢を正しているクリスカの姿があった。

 

更に10分後。耐え切れなくなったユウヤが、がああっと叫んだ。

 

 

「クリスカ………頼みたいことがあるんだが」

 

「な、なんだ?」

 

「さっきの、俺のみっともない姿は忘れ―――いや、なんでもない」

 

ユウヤはリーディング無しでもクリスカが怒ろうとするその予兆を読み取り、即座に口を閉じた。ごほごほと咳をしながら、話題を変えた。

 

「そういえば………そう、歌だ。クリスカが前に歌ってた曲って誰に習ったんだ?」

 

まさかサンダークではないだろうな、という意図がこめられた質問に、クリスカは少し考えた後に答えた。

 

「私の、故郷と呼べる場所の思い出なんだ」

 

「そうか………って遠回しな表現だな。あの研究施設って訳じゃないんだよな?」

 

「ああ。名前も分からない。断片だけはかすかに覚えているが」

 

真っ白な建物、高台から見えるも遠い町並み。ユウヤはプロジェクションされる風景を見ながら、思った。

 

「綺麗な、場所だな」

 

「ああ。もうBETAの支配域にされている可能性が高いけど………」

 

「………いや。諦めるのは早いんじゃないか?」

 

はっきりと言うユウヤの顔は、悪戯をする子供のような笑みが浮かんでいた。

 

「帰りたい………というのは無理だけど、もう一度見たいって思ってるんだよな?」

 

「ああ………一度だけでもいい。出来るのなら、今の私の眼であの風景を見てみたい」

 

「それが立脚点だ」

 

「………え?」

 

目を丸くして驚くクリスカに、ユウヤは簡単さ、と告げた。

 

「誰でもない、クリスカだけが持っている望み。もう一度見るまでは死んでたまるかっていう程の願いがこもった目印、目標。そのために生き延びるって………ひとまずの立脚点は、それで良いじゃないか」

 

「………それは。でも、こんな、急に決まるものでいいのか?」

 

「取り敢えずでいいんだよ。それに、今の俺も一緒だから」

 

「ユウヤも………その、立脚点とは?」

 

「弐型の事は忘れられねえ。だけど、同じぐらいに、やりたい事ができちまった」

 

 

問いかけるクリスカに、ユウヤは笑いながら告げた。

 

 

「3人全員で、お前たちの故郷に帰る―――誰も死なせねえし、死なねえ」

 

 

その願いこそが、新しい俺の立脚点だと。

 

告げるユウヤの双眸には、恒星の如き意志の光が輝いていた。

 

 


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