Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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呟きを一つ。

………PS3逝ったぁぁぁぁ!

赤ランプ点滅した後、起動しねえええええ!

TEゲーム本編見れねえぇぇぇ!!!


どうする、どうするよオレ!(今話のユウヤ並感





29話 : 前進 ~ Plus ~

 

ぱらり、ぱらりと束ねた紙がめくれる音がする。それは不知火・弐型のフェイズ3の詳細図が書かれたものだった。ユウヤは一人、自室の中でそれを熱心に見ながら昼頃に搭乗した時の感覚を思い出し、舌打ちを繰り返した。

 

設計思想もそうだが、全体のトータルバランスの取り方においても一歩上を行かれている。自分は実機に搭乗することで試行錯誤を繰り返してネガを排除していったのに、ハイネマンはそうするまでもなく、ここまでの機体を作り上げられるのだ。天才、と言う他に相応しい表現が見当たらない。それでもユウヤは自分が負けていることに対し、悔しさを覚えていた。

 

「でも、部分的だが上を行っている所はある………」

 

次の模擬戦までに間に合うとは思えないが、とユウヤはフェイズ3を軸にした改修案を色々と考えていった。改修案が増えることで不利益が出ることはないと考えたからだ。

 

その日は案を挙げられるだけ書き記して、睡眠をたっぷりと取り。次の日の搭乗において、操縦しながら色々と試行錯誤を繰り返した。

 

その後は再び自室に戻ると、昨日の夜に書いた案の中で、実現可能な案だけに絞り込み、その上で採用した案を高度な部分まで練り上げていった。ハイネマンその他の責任者から許可は取っている。ユウヤは遠慮なく集中することができたが、途中で頭の動きが鈍くなっているように感じた。

 

「って、腹の音が………そういえば何も食ってなかったな」

 

脳に栄養が回らなければ働きも悪くなるというもの。集中力が落ちているのを感じたユウヤは、食堂に向かった。少し食べて珈琲を飲んで、外を軽く歩いて自室に戻る。改修を進めることだけを考えていたが、食堂の中である人物の予想外の姿を見ると、思わず立ち止まっていた。

 

「………唯依?」

 

疑問符を浮かべたのは、いつもの様子とあまりに異なっているから。ユウヤは自分の声に反応した唯依がびくりと肩を跳ね上げるのを見ると、更に訝しんだ。

 

「どうした。なにかあったのか」

 

「いや………何もないんだ」

 

「いやいや、今更気遣うなって。どう見ても何もねえって顔じゃねえだろうに」

 

「………ユウヤ」

 

「なんだよ。って、ひょっとして俺がなんかしちまったか」

 

改修だけに気を取られすぎたからか、とユウヤが少し焦るが、唯依は小さく首を横に振った。

 

「ユウヤのせいじゃない………そう、違うんだ。悪いのは、ユウヤじゃなくて………」

 

それきり唯依は俯き、言葉を濁す。ユウヤは初めて見る弱々しいその姿に驚き、焦った。なんというか、年下の少女にしか見えないのだ。再着任した時とはあまりに違うその様子に戸惑うが、じっくりと話を聞くことにした。

 

悪いのは自分ではないというが、その周囲に何がしかの原因があるようだ。そう察したユウヤは遠回しに問いかけるが、唯依は言葉を濁すだけ。そのまま数分が過ぎた後、唯依は徐ろに顔を上げると、ユウヤに問いかけた。

 

「ユウヤは………ユウヤの故郷はアメリカの南部だと言ったな。以前にも聞いたが、その地方では外の者に厳しいのか?」

 

ユウヤはまさかアメリカの地方の話になると思っておらず、戸惑ったが、以前に話した通りだと答えた。保守的で、有色人種への差別の度合いは北部とは比べ物にならないほどに高く、よそ者が住みにくい街だと。

 

「そう、か………ユウヤの母も、そうだったのか?」

 

「お袋? ………いや、そういった事はなかったな。そもそも、父親が日本人だぜ」

 

そういった言葉を聞いた覚えはない。そう告げるユウヤに、唯依は辿々しくも問いを重ねた。

 

「恨んでいるとか、そういった言葉も聞いたことはないのか」

 

「それに関してははっきりと断言できるぜ―――お袋が親父を恨んだ事はねえよ」

 

逆に、とユウヤは続けた。

 

「あの人のように誇り高く礼儀正しい人物になりなさいって、耳にタコができるぐらいに言い聞かされたよ。そうだな………お袋は、お前のような日本人になって欲しいって思ってたんじゃねえかな。でも、祖父さんから聞かされた内容が邪魔してな。ここに来る前はイマイチ分からなかったが、お前を見てピンと来たぜ」

 

ミラの語る日本人の姿を見た、とユウヤは言う。

 

「色々居るんだなってわかったよ。大きな声じゃ言えねえけど、計画の邪魔をしようとしてる帝国の上層部のような奴らもいる。でも、整備班のように熱くてバカな―――良い意味だぜ? 尊敬すべき上官の遺志を汚させねえって、倒れるまで無茶するやつらもいる。お袋が見た日本人も、一部だったんだろうけど………成って欲しいって願う程に思ってたのは分かったよ」

 

「それは………ユウヤの母君から聞いたのか?」

 

「いや、違う。俺は、お袋に反抗してばっかりだったからな。何より………お袋は、祖父さんの事を嫌っちゃいなかった。大切に育てられた、って事は何度も聞かされたからな。だからこそ、家族の全員から罵倒されるお袋が可哀想で………その原因である親父が、誰よりも許せなかった」

 

祖父から聞かされた卑劣な日本人と、母親を悲しませる悪い父親の像が重なったとユウヤは言う。

 

「だから、そんな父親の血が流れてる自分が嫌いだった。それを誇る誰かさんも目の敵にした………羨ましかったんだろうな。俺は、血が原因で全てから嫌われてるって思った。でもあいつは、家族に誇りを持ってた。認められてた………だから嫉妬してた」

 

「ユウ、ヤ………」

 

「いや、悪い。こんな事まで聞かせるつもりじゃなかったんだけどな。どうにも脳が興奮状態にあるらしい」

 

先ほどまで全力で頭を使ってた弊害だ、とユウヤは苦笑するが、唯依はありがたい事だと小さく頷く。そして、ユウヤの眼を真っ直ぐ見返しながら問いかけた。

 

「ユウヤがよかったら、なんだが………明日、少しリルフォートに出かけないか?」

 

ある決意がこめられているような、迫力のある声。ユウヤは戸惑いながらも、少しだけならと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。ユウヤは唯依と一緒にリルフォートに出ていた。夜遅くまで改修案をまとめていたユウヤの口から、小さなあくびが溢れる。

 

「っと、悪い」

 

「いや、いいんだ。それも、ユウヤが弐型の開発に真摯に取り組んでくれているという証拠だからな」

 

「ありがとよ。でも、“くれている”って言い方は違うだろ?」

 

「そう、だな。ならば女性の前であくびをした事を叱責するべきか」

 

「お手柔らかに頼むぜ。それで、これから行く所とかもう決めてるのか?」

 

「ああ………決めている。この後の事もな」

 

唯依は頷くと、食料が売っているエリアに足を進めた。ユウヤを伴って食材を買い集めていく。その材料を見たユウヤは、唯依が何をするつもりなのかを察した。

 

(しっかし、値段交渉とかするんだな………一応こいつ、武家だよな? まるで普通の主婦みたいなんだが)

 

ユウヤは野菜を買う際に若夫婦と間違われたことを思い出して、苦笑した。そして、夫の役割とすれば何をすればいいのかを考えると、行動に移した。唯依に少し買うものがあると言って離れ、目的のものを買うとすぐに合流する。

 

その後二人は、リルフォートにある空き家に足を運んでいた。元は民間人が住んでいたが、テロ発生から不安に感じたのだろう、米国の内地へと引っ越したという。

 

唯依はそこでユウヤに少し待っていて欲しいと告げて、調理にとりかかった。予想していたユウヤは頷くと、リビングに残っている椅子に座った。食卓も残っているのは、運び出す時間も惜しむほど、この街に不安を感じていたのか。内地に移れたということは米国籍を持っているということだから、何らかの事情があって住んでいたのかもしれない。今もリルフォートに残っている民間人の大半は、ユーラシア大陸からの避難民だ。ユウヤはその事にモヤっとしたものを感じながらも、椅子に体重を預けた。そのまま眼を閉じるのだが、暗闇の中に浮かんでくるのは弐型の図面ばかりだ。職業病か、と苦笑しながらも思考は止まらない。

 

それでも連日の疲れからか、ユウヤはうとうととし始めた。

 

「………はっ?!」

 

気がついたようにユウヤは顔を上げた。よだれの跡、そして外の空の色が赤に傾き初めていることから、自分が眠ってしまっていたようだと気づく。

 

その時、ユウヤはキッチンからある声を聞いた。緊張しているのだろう、それでも自信があるのが分かる“よし”と呟く声を。間もなくして、料理が運ばれてきた。

 

「あっ、起きたようだなユウヤ」

 

「お、おう。つーか気づいたんなら起こしてくれても良かったんだが」

 

「ふふ、気持よさそうに船を漕いでいたからな。起こすのは悪いと思って。それに………時間をかけたかったから」

 

唯依は少し底の深い皿に盛っている肉じゃがを見た。表面からは白い湯気が立ち上っている。そこから運ばれてくる匂いは以前とは少し違う。あまり手の込んだ料理を食べたことがなかったユウヤだが、それでも美味しさを期待させてくれる香りに内心で興奮していた。

 

「これは………ニクジャガ、だよな?」

 

「そうだ。でも、今回は一味ちがうぞ」

 

「へえ、お前がそこまで言うなんてな」

 

見た目は変わらない。買っている所を見たから材料も同じはずだ。なのにどうした工夫がされているのか、ユウヤは期待に満ちながらじゃがいもを一つ口に運んだ。

 

「………っ、旨い!」

 

感激に声を大きくするユウヤ。唯依は、そうかと安堵の笑みを浮かべた。

 

「今回は上手く味がなじんでくれたようだ。それでも、いつもよりは時間が足りないから不安だったけど………」

 

「いや、そうは思わねえ。冗談抜きに美味しい。つーか、前より味に深みが増しているように感じるんだけど、何をやったんだ?」

 

隠し味の調味料とか、と尋ねるユウヤに対し、唯依は自慢げに答えた。

 

「何も加えていない。ただ、長く時間をかけて煮込んだ後に、蓋を開けて冷ましたんだ」

「え………それだけか?」

 

「ああ。煮物に言えることだが、煮込んだ後に冷やすと具材に味が染みこむんだ。この肉じゃがには必須でな。味を染み込ませ落ち着かせることで、浮いていた胡椒の風味が良い具合に香りをつけてくれるんだ」

 

唯依の自慢気な解説。ユウヤは、以前にも唯依が同じような事を言って、これはまだ未完成だと悔やんでいた事を思い出した。

 

「奥が深いな………それにしても、料理って調理方法一つでこうも変わるものなのか」

 

「私も最初は驚かされた。古くから伝わるものが多いのだが、どの手順のにも意味が含められている。その意味を知る度に、先人たちの知恵には驚かされたものだ」

 

「急くだけが方法じゃない、か………これを味わったんなら反論もできねえよ」

 

満足そうに頷くユウヤに、唯依は優しく微笑んだ。

 

「ふふ、そうか。お粗末さまだ」

 

「ん、オソマツ?」

 

「ああ、様式美みたいなものだ………しかし、本当に全部食べたんだな。料理人の冥利に尽きるというか………とにかく、ありがとう」

 

ユウヤは頭を下げる唯依を見て、礼を言うのはこっちの方だと呆れた声を上げた。そうして食器を片付けた後、ユウヤは肉じゃがを食べた時の思い出をなんとはなしに語った。

 

「そういや、お袋もちょくちょく味を変えてたな。あれは思った通りの味が出なかったからか?」

 

「………その可能性はあるな。普通は肉じゃがには胡椒を入れないから」

 

「それでも、作り続けたのは………いつか親父に食わせるため、とか」

 

ぽつりと呟いたのはユウヤだった。少し、暗い調子を思わせる声。それを聞いた唯依は、躊躇いつつも話しかけた。昨日の話だが、と前置いてユウヤに向き直った。

 

「ユウヤは、自分の血を誇れないと言った。なら………ユウヤは、今も父親を恨んでいるのか? っ、いや………それは、当たり前の事か」

 

今までに味わった苦渋を思えば当然のことだ。考えれば分かる事だと唯依は沈痛な面持ちになった、が。

 

「いや、それは違うぜ」

 

はっきりとした否定。あまりにも予想外な返答に目を丸くした唯依に対し、ユウヤは頭をがしがしとかきながら答えた。

 

「今更の話だ。でも、確証はないけどよ………最近になって、こう思うようになったんだよ」

 

「そ、それは?」

 

「俺の親父はな。お袋が俺を産んだ事さえ、知らされていなかったんじゃないのかって」

「――――それは。い、いや、どうしてそう考えたんだ」

 

動揺する唯依に、ユウヤは悩みながらも言葉を続けた。

 

「いや、そんな変な顔するなよ………でも、まあな。親父がお前のように責任感が強くて誇り高い日本人だって考えたらって話だ。そんな野郎が、自分の子供に何の接触も取らなかったってのがな。どうにも違和感を覚えるんだよ。色々と整合性が取れない」

 

それに、とユウヤは当時の事を思い出しながら話した。

 

「お袋は祖父さんやその他の家族に対して、“私は騙されたわけじゃない”“好きになった相手だから”って繰り返し反論してた。それだけ好きになった相手なのに、息子である俺に名前さえ教えてくれなかった、ってのがな。知られたくなかった理由………つまり、相手に知らせたくなかった。俺のことを知らせていなかった、って考えれば辻褄が合うんだよ」

 

どうだ、とユウヤは視線で唯依に同意を取る。唯依は、どうにもリアクションを取ることができず。ユウヤは苦笑しながら、話を続けた。

 

「だから、恨んじゃいねえよ。そもそも、親父が居なかったら俺はこうして生まれることも無かったんだからな」

 

「そうか………ユウヤは、強いな」

 

「違う、気づいただけだ。お袋の心の内を、想像できるぐらいには余裕が出来た」

 

一端時間を置いて、環境が変わり、冷静に考えることができるようになったからこそ。

 

この肉じゃがのようだな、とユウヤは笑った。

 

「あとは、意地だな。過ぎた事にグチグチ言うのは止めたんだ。啖呵切っちまったからな、あの―――自称小学校中退のバカ野郎に」

 

それが誰を指しているのか。何となく察した唯依だが、その呼称のあまりの響きの悪さに顔を少しひきつらせた。

 

「過去の事も、全部肯定する訳じゃねえけど、あの時の苦しみが今の糧になってるって考えたら悪くない。煮詰められた内に染み込んだものでも、味になることがあるんだ」

 

血肉に染みわたるように浸された憎悪。それにもまた意味があったとユウヤは苦笑した。

「あの逆境が、オレに夢を叶えるための力をつけてくれたんだ。それに、言うだろ? 家庭にしろ戦場にしろ、状況を選り好みすることなんて不可能なんだって」

 

過ぎた事は変えられない。だから過去の経験を少しでも多く糧にして、力を蓄えること。そうして初めて自分で状況を選ぶか、掴み取っていくことが出来る。それがユーコンで多くの人間の過去を聞かされた上で、ユウヤが学び取ったことの一つだった。

 

「あいつも、そうだったんだろうな………過去に関しちゃ、何も語らなかったけど。そういえば唯依は知ってるのか?」

 

「いや………そうだな。父子家庭で母親が居なかった、という事は聞かされたが」

 

「俺の逆か………あいつも、色々あるんだな」

 

負けていられねえけど、と少しニヒルな表情でユウヤは笑い。それを見た唯依は同じように笑うと、立ち上がった。そして出かける前から持っていた、壁に立てかけていた棒状の物を取ると、それを袋から取り出した。

 

「それは………刀か?」

 

「そうだ。丁度良い機会だと思ってな」

 

唯依は鞘の拵えも見事な日本刀をユウヤに手渡した。両手でそれを受け取ったユウヤが、予想以上の重さに驚きを見せる。

 

「貸すだけになるが………次の模擬戦が終わるまで、持っていて欲しい。お守りのようなものだ」

 

「ああ、分かった。しかし、これが本物の日本刀か………」

 

切れ味に関しては世界でも有数だという噂である。装飾品としても価値が高く、名が高い一振りならとんでもない値段がつくという。レオンから得た知識で当時は興味もなかったユウヤだが、武御雷を筆頭とした高性能の機体を作る日本人が作り上げた逸品を眼にしたいという衝動が湧いてきた。それを察した唯依が、小さく笑った。

 

「完全に抜き放つことは駄目だが………刀身を見るぐらいならな」

 

古来より鍛えられた鉄は魔を払うという。戦時でもない時に鯉口を切る行為など本来であれば認められないものではあるが、唯依はそういった意味をこめてユウヤに頷いた。

ユウヤは顔をほころばせると、鞘から覗くようにしてその刀身を顕にした。

 

まず眼にしたのは刃紋。焼かれた鉄の痕跡を示すそれは幾何学的で美しく。何よりユウヤは、その重厚な玉鋼の色合いに心を奪われた。刃の部分は、触れただけで指が落ちてしまいそうな鋭さがある。それでいて脆さを感じさせない質感は、言いようのない魔力がこもっているようだった。それこそ、抜き放って柄を握りしめれば何かを切りたくなるような魅力がこめられていたのだ。

 

「丁寧で、丹念に鍛えられた………それだけじゃない。作った奴の経験則かどうかは知らないけど、なにかこう………明確な意志を元に作られたような感じがする」

 

機能的で新しいものには感じられない、時間の積み重ねが形になったような。感嘆するユウヤだが、ハッとなって唯依に向き直った。

 

「って、これかなり大事なものなんじゃないのか? 現存してるニホントウは少ないって聞いたぜ」

 

「だからこそだ。次の模擬戦は、帝国の国産戦術機の運命が左右される一戦になる。ユウヤは気を悪くするかもしれないが………」

 

「いや、分かるぜ。そんな戦場に刀の一本もないのは、締りが悪いって話だろ?」

 

見透かしたかのようなユウヤの問いかけ。だが少し異なるような、言いよどむ唯依の様子を前に、少し外したかとユウヤは思ったが、気を取り直すように隠していた物を取り出した。あっけにとられる唯依を無視して、強引に先程買ったプレゼントを手渡す。

 

唯依は驚きつつも、開けてくれと促されるままに包装紙を丁寧に外していく。そうして現れた箱の中には、見事な橙色の花細工に彩られた簪が入っていた。

 

唯依はそれを見て口をパクパクさせると、頬を僅かに赤く染めながらユウヤを見た。

 

「ユ、ユウヤ………その、これは?」

 

「復帰祝いだ。あとは快気祝いだな。以前にイーニァの快気祝いに連れられた時に、あの簪を見たんだ………って、なんで泣くんだよ?!」

 

見れば、唯依は両の目からぽろぽろと大量の涙を零しているではないか。ユウヤは何か盛大にしくじったか、と焦りながら見ている者が気の毒になるぐらいに狼狽え、必死に唯依に話しかけた。

 

「泣くなって! もしかし習慣か風習的な意味でやっちまったか?!」

 

「い、いや………ち、ちがうんだ」

 

唯依はくぐもった声になりながらも、答える。

 

「い、一説には………女性に、ゆ、指輪を送るのと同じ意味に」

 

「はあ?!」

 

「そんな声を出さなくても………でも、違うのは分かっている。ユウヤは、私に恋愛感情など抱いていないだろう」

 

「そ、そうだな。強いて言えばライバルというか、好敵手というか………友達、というのは遠いような感じがするな」

 

「友達では遠い、か………家族に例えれば、どうなる?」

 

「そりゃあ、妹だろ。年下だしな。でもこんな出来が良い妹を持ったら、兄貴としちゃ滅茶苦茶苦労するだろうけど」

 

「………そんな事はないですよ―――兄様」

 

笑顔での一言。ユウヤはそれを聞いた途端、言葉にならない恥ずかしさを感じて、思わず椅子から立ち上がった。それを見た唯依が、畳み掛けるように告げた。

 

「ふふ、大丈夫ですか? 顔が赤くなってますよ。大事な時期なのですから、お身体には気を付けてくださいね、兄様?」

 

「ちょっ、新手の意趣返しか? ってお前の方も顔が赤くなってんじゃねえか! 柄にもないことやってるんじゃねえよ!」

 

反論するユウヤに、あくまで優しく微笑みかける唯依。そうしている内に日は沈んでいく。ユウヤは改修案を仕上げると去り、一人残された唯依は食器を片付けると、椅子に座って窓の外を見た。

 

そこには父と母と息子と娘が仲良く歩いている姿があった。歓楽街も復旧が進み、一時閉店していた飲食店も営業が再開されていると聞いた。恐らくはそこに向かう途中であろう。

それは、平和の世の中では当たり前の、今の時代では貴重な家族の一コマ。

 

唯依は無言のままそれを見送った後、プレゼントされた簪を髪につけると、残っていた鏡の前に立った。

 

 

「篁家当主の証、緋焔白霊………渡すことはできませんが………これで良かったんでしょうか、父様」

 

 

呟いた声は誰に聞かれることもなく、主の居なくなった家屋の中だけに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。ユウヤは気分転換に外に出ていた。改修案のほとんどはまとまっているが、発想的に抜けている部分があるかもしれない。歩きながらの方がそうした事に気づきやすいかと、目的地もなく基地の中を歩いていた。

 

足は自然と、いつも通っている道の方に向く。そこでユウヤは、小さな人影を見かけた

 

「………イーニァ、か?」

 

「ユウヤ!」

 

いつもの通りの大声。だが、その声色には先日の唯依と同じものを感じさせられる。焦っている、逼迫感があるような。ユウヤは落ちついて、何があったのかを問いかけた。

 

「クリスカが………ユウヤ、クリスカがこのままじゃ………」

 

「どうした、何かあったのか? もしかして機体の事故とか………!」

 

「違うの。でも、このままじゃクリスカは居なくなっちゃうの!」

 

「居なく………それは、開発衛士をクビになるってことか?」

 

実績を残せなくなった衛士か、調子を崩した者が別の部隊に回されることは珍しくもない話だ。だがユウヤはイーニァの様子を見て、それだけじゃないように感じていた。更に問いただそうとするが、横合いから妨害する声が差し込まれた。

 

「そこまでだ。イーニァから離れろ、ユウヤ・ブリッジス」

 

忠告ではない、命令のような口調。ユウヤは驚き、声がした方向を見た。

 

「クリスカ、じゃない………誰だ、お前は」

 

「マーティカ………!」

 

イーニァが呟く。ユウヤは聞いたことのない名前だと思いながらも、どこかで見た事があるような感覚に陥っていた。その戸惑いを無視し、マーティカと呼ばれた、クリスカと同じ背格好の女性はイーニァを隠すようにユウヤの前に立った。

 

「これ以上は機密漏洩になる。立ち去ってもらおうか、ブリッジス少尉」

 

「漏洩………それは、クリスカに関することか?」

 

「答える必要性を感じない」

 

「お前………」

 

まるで出会った当初のクリスカのような。言いようのない違和感を覚えたユウヤだが、状況と場所が悪いと一歩退いた。模擬戦を控える身で、必要以上に接触をすればどのような悪影響が出るか予想もできない。マーティカは強引に聞き出してこないユウヤを見ると、無表情のままイーニァの手を取った。

 

「行きましょう、イーニァ。サンダーク少佐が待っている。そこにはクリスカも居る」

 

「………うん」

 

逃げるように去っていく二人。ユウヤは追うこともできず、呆然と立ち尽くしていた。何が起きているのか。考えようとしたユウヤに、背後から声が飛んだ。

 

 

「意中の女の子に告白して振られでもしたの、アメリカ人?」

 

「っ?!」

 

 

驚き、振り返る。その顔を視認したユウヤは、訝しげに口を開いた。

 

 

「………アンタ、ガルム小隊の?」

 

「そう、クリスティーネ・フォルトナー。以降はクリスでよろしく、天才開発衛士」

 

無感動な言葉。ユウヤは天才と呼ばれたことからもおちょくられていると感じ、少し声を荒らげながら問いかけた。

 

「そんな色のある話じゃねえよ。つーか、アンタには関係ないだろ」

 

「………そうね。究極的には関係がないわね」

 

「また、えらいスケールがでかいな」

 

ユウヤは皮肉げに、アンタこそこんな時間に何なんだよと問いかける。だが、その返答は予想外のものだった。

 

「弐型をあそこまで仕上げた天才衛士。その顔を拝んでおこうと思ってね」

 

「天才って………それは、皮肉かよ?」

 

「そっちの方が。あれだけの機体を作り上げたのに謙遜とか、それこそ強烈な皮肉に他ならない」

 

流石は、と言いかけた所でやめる。ユウヤはその様子に不可思議なものを感じつつも、苛立ちを顕に答えた。

 

「随分とタイミングが良かったが………ひょっとして、あの二人を見張ってたとか?」

 

「そっち方面は私の管轄外。というか、別に会いに来た訳じゃない。貴方と同じかもね………ただの気分転換だから」

 

小さく溜息をついての言葉。ユウヤはそこに嘘がないように感じたが、警戒しながら問いかけた。

 

「トーネードの再評価試験と改修案だったか。そっちの方もかなりスケジュールが進んでいるって聞いたぜ」

 

「ありがとう。でも、時間と手間をかければどうにでもなる範囲だからね。技術者としては誇れることじゃない」

 

「………かなり腕の良い衛士が揃っているように思えたけどな」

 

「実戦での総合能力の高さは疑ってない。でも、どうしてもフィーリングに頼る部分が多いから」

 

機体性能のネガを潰すにしても、個人的な主観によるものか、知識を元に客観的に語られるかでかなり異なってくる。そして何より、開発に専念するつもりが無いものが大半だとクリスは愚痴をこぼした。

 

「それぞれに目的があるから、無理強いはできないんだけどな………もうちょっとこう、笑顔で優しくて協力的だったら」

 

やさぐれた物言いに、ユウヤは警戒しながらも少し同情心を覚えた。同時に、引っかかった部分を口に出す。

 

「別の目的って………開発するためにユーコンに来た訳じゃないってことか?」

 

「まさか。でも、色々と政治的な………まあ、開発畑の人間が政治とは無関係じゃいられないって事は当然のことなんだけど」

 

ユウヤはその意見を否定できなかった。積み重ねられた苦労の轍が言葉を挟むことを許さなかったとも表現できる。そこでふと、なんとはなしに言葉がこぼれた。

 

「あんたらは、ハイヴを知ってるんだよな? フェイズ1だったらしいけど、反応炉の破壊に成功した唯一の部隊だって」

 

戦術機の運用目標は数あれど、究極的にはハイヴの攻略こそが求められている。ユウヤは実体験した部隊の意見を聞けば多少なりとも改修の方向性を見いだせるかもしれないと、クリスに尋ねた。あの場所はどんな所だったのかと。

 

「ハイヴ、ねえ………一言でいえば、時限発火式の不定形迷路ね。それも一定時間内に赤か青かの導線を切ることを強要されるっていう」

 

道に迷ったら死ぬ。弾薬と燃料が切れて死ぬ。壁から不意打ちされたら死ぬ。天井から降ってきたBETAに潰されたら死ぬ。どれも時間の経過ごとに危険度が跳ね上がっていく、理不尽過ぎる様式だと語った。

 

「フェイズ2はまだしも、フェイズ3以上は考えたくもない。それでもヤる時はヤるしかないんだろうけど」

 

当時の事を思い出したか、遠い眼をするクリス。ユウヤは何を答えたらいいのか分からなくなり、思わず顔を背けてしまった。気を取り直して、新たな問いを投げる。

 

それぞれの目的、というのが気にかかったからだ。クリスティーネは、ああと言いながら答えた。

 

「成すべきはBETAの排除。突き詰めれば一緒なんだけど………それでも、優先順位は各々で違うから。それでも折り合いをつけて、この場所に立っている。必要性に駆られてね?」

 

「………それは」

 

テロのことか、とユウヤは言いそうになったが止めた。米国の陰謀が囁かれている状況で、それを問いただすことなどできない。代わりにと、ある男から聞かされた言葉を反芻した。

 

「必然性があったから、この基地に呼ばれたって訳か。それぞれの役割を求められたからこそ、ユーコンに呼び出された」

 

政治的な背景であり、能力であり、立場であり。ユウヤはそう告げたが、クリスティーネの反応は否定的だった。言葉に対してではない、それを語るユウヤの調子に関してだ。

 

「他人事みたいに言うけど………その筆頭が貴方だってことに対して、自覚は?」

 

「………なに?」

 

「えっ?」

 

「いや、えっ、じゃなくて………戦術機開発の業界におけるミラ・ブリッジスの名前を、まさか知らない訳じゃ―――ってその様子じゃ本当に知らなさそうね」

 

その時のユウヤの反応は、寝耳に水に収まらない。現実の世界で空中浮遊をする人間を見れば同じ反応をするのではないか、と思わせる程に劇的だった。

 

それを見たクリスティーネが、拙ったかも、と思わず口に掌を当てる。対するユウヤは、硬直したままだ。その隙をついて、急いでその場から立ち去っていく。

 

 

残されたユウヤは、呆然としたまま一人呟きを零していた。

 

 

 

「………お袋が、戦術機開発を?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月のない夜。人工の光が僅かに煌めく闇の中で、クリスカは告げられた事を反芻していた。

 

―――次の試験で僅かなりとも不知火・弐型に遅れを取れば、機密保護プログラムの対象になるという。それがどういう意味であるのかを、クリスカは知っていた。

 

ポールネィ・ザトミィニァ計画の実験体は、国外及び国内の別勢力に計画の機密が漏れないように、とある処置が施されている。一定の時間内に特定の指向性蛋白を投与されなければ、全身の細胞が崩壊するように身体を調整されているのだ。プログラムとは、実際にその細胞の崩壊が調整通りに作動するかを確かめること。

 

実験体は貴重であり、今までは試す機会がなかったという。どうせ廃棄する予定ならば、といういかにも合理的思考はクリスカも理解できる話ではあった。

 

(だが、乗り切った所で………昨日に会ったマーティカの言う通り、濁った色を持つ私ではイーニァのパートナーには成れない)

 

プラーフカによるフェインベルク現象の再現には、高精度での精神同調が必要不可欠だ。両者が“(わたくし)”を捨てて、二者にして同一の思考制御が求められる。クリスカは、それを成す自信がなかった。

 

「私は………どうしてしまったんだ。どうして、私は………」

 

クリスカは自分の掌を見ながら呟くが、何も掴める気がしなかった。考えれば考えるほど分からないし、自分に問いかけても答えが出てこないのだ。

 

「どうすればいいの………どうすれば………」

 

縋るような声。不安に声を震わせながら、ユウヤならばどうしただろうかとクリスカは考えた。

 

「ユウヤなら………一人で答えを見つける、かな」

 

クリスカは無人島の洞窟で聞いた言葉を思い出していた。周囲は全て敵、頼れる者などなにもない中で、それでも負けてやるものかという気概で生きてきたと聞いている。似た例は、ユウヤの周囲にもあった。

 

篁唯依。不安に押し潰されそうな心を持ちながらも姿勢を正し、自分を曲げないで生きている。

 

タリサ・マナンダル。犯した過ちに向き合い、それでも私はグルカなんだと、弟と妹の姉なんだと歯を食いしばって生きている。

 

その一方で、自分はどうか。クリスカは今になって自分を顧みた所で愕然となった。

―――忠誠を誓っていた国に不要だと言われた自分に、残るものなど何も無いのだと。

 

地面が消失したかのような感覚。クリスカは自分の手が震え始めるのを見て、それを隠そうと必死に逆の掌で押し包むと、胸に引き寄せて俯いた。星さえ、見上げるのが怖い。しばらくしていると、こちらに近づいてくる足音を聞いた。ひょっとしてユウヤだろうか。クリスカは考えたが、理由もなくすぐに違うと気づき。

 

そうして現れた長身の男は、苦虫を噛み潰したかのような表情でクリスカに告げた。

 

「本当は、放っておくつもりだったんだけどな………」

 

そんな、どっかのお嬢さんと一緒の顔されたら放っておけないじゃないか。男は頭をがりがりとかきむしりながら、取り敢えずと腰を降ろした。クリスカは突然現れると意味が分からない言葉を告げた男を警戒しながらも、階級を確認した上で問いかけた。

 

「大尉は………欧州連合の。確か、アルフレード・ヴァレンティーノ大尉だったか」

 

「その通り。で、こんな夜中に一人でなにしてたんだ、美しいお人形さん。こんな所で潰れられたら非常に困るんだけどな」

 

周りくどい言い回し。その中でもお人形という単語を聞いたクリスカが、警戒心を顕にする。何を目的に自分に近づいたのか、どのようなアクションを起こすのか。調整のため一時的にリーディングの使用を禁止されているクリスカは、能力に頼らず相手の狙いを看破することになった。そうして思考を巡らせる内に、相手が特に気になる言葉をもう一つ吐いた事に気がついた。

 

「今、同じ顔と言ったな。それはどういう意味だ。いや、誰に似ているという」

 

「サーシャ・クズネツォワだ。名前だけなら聞いた事があるだろ? 前に所属していた隊のお姫様だった」

 

クリスカは頷かないまでも、内心では肯定していた。その名前を聞いた事が確かにあったからだ。ベリャーエフ主任は失敗作と言い、サンダーク少佐は気にも留めなかった。タリサ・マナンダルにとっては友達だったという。その言葉には尊敬と後悔の念がこめられていたが。

 

「何を………その人物が、私と似ているだと? どういった意味で言っている」

 

「どういったも何も、言った通りの意味さ。尤も、似ていると言ったのは………タンガイルのアレが終わってからしばらくしてからのアイツだけどな」

 

アルフレードは言う。

 

「子供で、弱い自分に。何も無い自分に気がついて不安になっていた、って所かな?」

 

「なっ、貴様………っ?!」

 

心を読み取っているかのような、鋭い指摘。胸を図星で貫かれて動揺するクリスカに、アルフレードは小さく笑った。

 

「少し考えれば分かるさ。情報と表情と仕草から相手の内心を読み取って、言い当てる。または欲しい物をプレゼントする。イタリア男の嗜みってやつだ」

 

「………貴様が真実を言っているという保証はない。そもそも、信用ができない」

 

「それをお前が言うのかよ」

 

アルフレードは呆れながらも、テロの時に何をしたのか覚えていないのかと質問したが、クリスカは分からないという表情を。それを見たアルフレードの表情が、哀れみの色に変化した。

 

戦場で最も信用がならない人間。それは味方を背後から撃つ奴だ。パニック状態でのことか、混乱した上での誤射か、後催眠暗示の悪影響ならばいくらか同情する余地はある。反省をしている様を見せられれば、納得はできないが印象を変える余地も生まれる。

だが、自棄を起こした結果か、反省の色が見えないのならばその衛士の信用は地の底にまで落ちる。

 

「反省さえ、させてもらえない。成長する機会さえも………与えられてばっかりだったんだなぁ」

 

「何を………どういう意味だ?」

 

「失敗に向き合わせて貰えないってこと。可愛い子には旅をさせろって言うのにな」

 

一人になって困難や失敗と向き合うからこそ人は成長できるというのに。言葉の裏には、子供そのものだという意図が含められていた。それに気づいたクリスカは、かっとなって反論した。

 

「私が、子供だというのか!」

 

「なんか話が変な方向にズレちまってるけど―――そうかもな。でも、お前が自分を子供じゃないと断言できるなら、別に否定はしない」

 

「っ、それは!」

 

胸中に溢れる無力感に、先程まで抱いていた感情。ここで強がりを言うこともできるが、生真面目なクリスカは黙り込んだ。周囲が虫の鳴く音だけになる。

 

ふと気づいたクリスカは、顔を上げ。アルフレードの顔を見た途端に、叫んだ。

 

「私を! っ、マナンダルと同じように――――私を、私達を憐れむな!」

 

装置によりいくらか防護されている。それでもクリスカは先の模擬戦の時に、タリサ・マナンダルが抱いていた感情を僅かに読み取っていた。怒っている。だがその対象は自分にではない、背後に居る人物に対してだ。今までとは異なる、まるで相手にされていないような。

 

途端、クリスカの気勢が削がれていった。怒るのは自分の存在価値を否定されたからだろうか。そうであっても、価値がないと判断されている今の自分が何を支えに怒りをぶつけるのか。そもそも、本当に怒るだけの価値はあったのだろうか。

 

また一つ、何かを喪失していく感覚。クリスカは立っていることにさえ耐え切れなくなり、耳を塞いで座り込んだ。

 

(分からない………何も………っ!)

 

自問しながらも、明晰な思考回路は答えを算出する。イーニァの隣に相応しくないと判断された自分に、向かうべき場所も帰る場所もない。それ以外にできることはない。望まれた通りに、死ぬことが最善である。命令の通りに進んできた自分の、そこが終点となる。

上官の、主任の、少佐の命令は絶対。ならばそれこそが唯一無二の正しき道である。

私が失くなることこそが、求められているのだ。自分の代わりは存在する。マーティカさえ居れば、イーニァが死ぬことはないだろう。計画の実験体である自分の役目はそれで終わりになる。

 

(本当の、終わりだ………それは私に価値がなかったから? それはどうしてなんだ)

 

振り返って考える。そうすると、比較して初めて気づくことができた。今までの人生の中で、困難に立ち向かう機会が無かったはずはない。だが、いずれも気を抜かなければクリアできるレベルだった。失敗は、なかった。

 

だが、と疑問が浮かぶ。それは本当の困難に立ち向かった結果なのかと。

 

実験体は貴重である。故に与えられる試練には、かなりの安全が考えられている。論理的な思考を元に考察を重ねると、他者との格差が浮き彫りになる。

 

ユウヤ・ブリッジスは理不尽過ぎる環境に身を置かれていたというのに。それは崔亦菲も同様で。タリサ・マナンダルは頼れる者が居ない中を、身一つで乗り越えようとしているのに。篁唯依は戦友であり友達を失ってなお、強くあろうと。前線で戦う同胞を少しでも助けようと、異国の地で一人立っているというのに。

 

自分は違う。価値が、ない。本当の意味で、私には価値がなく。

死ぬことが当然で、定められた結末なのだと。クリスカは呆然としたまま、倒れそうになった。

 

そんな時だった。自分の胸ポケットから何かが落ちる音を聞いたのは。

 

「………これは」

 

クリスカは震える手でそれを拾った。落ちたもの。それは先日、イーニァの快気祝いに街へ出た時にユウヤからプレゼントされた手鏡だった。

 

「―――っ!」

 

同時に、初めて会った時のことから、全てを思い出した。思い出せなかった記憶までも、まるで血液中に溢れるように全身を駆け巡った。

 

初めて会った日、銃口を突きつけた事。イーニァが、彼に惹かれていることを知ったからかもしれない。

 

グアドループの無人島でのこと。日本人じゃないと激昂する姿、その感情は読まなくても分かるぐらいに憎しみに満ち満ちていた。恐れていることを悟られた。初めて見た海。超えられる気がしなかった。あるいは、指向性蛋白の投与時間が過ぎてしまう事こそを恐れたのかもしれないけど。その中で特に印象に残ったのは、彼と篁中尉のこと。

 

本音を言葉にして意見を交わし合う。思考を読めばその必要はない。そちらの方が正確な筈だ。なのに、このプロセスは不可欠なものだと知った。同時に疑った。言葉を交わす内に憎しみの感情が逸れていくように思えたからだ。一方的ではなく、言葉にして伝え合えば、心の内は変わる事もあるのだと知った。

 

カムチャツカ基地。初めての実戦に不安を覚えていたが、努めて強がった。失敗を重ねていたように思う。だけど、と。そう考える姿勢は変えなかった。

 

ユーコンに戻って、ブルーフラッグが始まってからも同じだ。様々な強敵を前に、絶対に負けてやるものかと必死になっていた。周囲の衛士達とよく言葉を交わし合うようになったのはこの時か。カムチャツカで何かを学んだからかもしれない。

 

この頃から、疎外感を感じていた。イーニァも同じようだった。まるで自分たちだけ置いて行かれるような感覚。性能としては勝っているのに、どうしてかそのように思えて仕方がなかった。それでも、ユウヤの感心はこちらに残っていた。いつかの勝負の時に負けた事を覚えているのだ。同時に、どうしてか気遣う心があって。知らない内に嬉しく思っていたのかもしれない。

 

だから、失うかもしれないという時に、身体と心は正直な反応を示した。プラーフカの全力解放。私達は戻れないだろうけど、ユウヤが死ぬよりは良いことだと思えた。

 

まるで理屈に合わない行動だ。解放してからは、悪夢のようだった。何か自分を覆っている決定的な殻がひび割れ続けていくような。

 

奈落の底に落ちていく時のような、絶望にまとわりつかれながらの浮遊感。

 

その中で、聞こえた声があった。特に覚えている部分があった。

 

『―――死なせねえ』

 

はっきりとは思い出せないが、とてつもなく黒い何かを見て。途方もない質量の絶望を持つ、人間外のナニか。それに二人で怯えながらも戦っている最中だった。

 

『―――まだお前に勝ってねえんだ』

 

一刻も早く黒いもの達を消すつもりだった。そう望んだからこそ全力を解放して。

 

『―――もう、二度と。お袋の時のように』

 

すり抜けられた時は死ぬかと思った。殺そうとする者は殺される。

それは当然のことで、摂理であり、軍人としての義務でもあった。

 

なのに、ユウヤ・ブリッジスは。

 

『止めて見せる………っ!』

 

クリスカは、最後の叫びだけは音程そのままに反芻できる。それほどまでにユウヤ・ブリッジスが望んだ想い。掛け値なしに強く、その全身でぶつかってきた。

 

他の誰でもない、クリスカ・ビャーチェノワとイーニァ・シェスチナを、死なせたくないと考えたが故に。

 

「ユウ、ヤ………っ」

 

気づけば呟いていた。どうしてか、目の前が歪んでいく。そうして身体は自己防衛のために、身を縮めることを選択した。クリスカは両腕で顔ごと抱え込むように頭を抱えると、丸まった。

 

 

――――死にたくない。

 

 

クリスカは小刻みに震える身体の中、生まれて初めてそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その場を去っていく男は。アルフレード・ヴァレンティーノは、また苦虫を噛み潰した顔をしながら頭をかきむしっていた。

 

因縁のある相手ではある。欧州に居た頃の戦友を失った要因の一つでもあるからだ。アルフレードは一時期だけ、スワラージの裏に仕組まれたソ連のある計画を探るために躍起になっていた事もあった。それでも、とアルフレードは視線を空に移しながら呟いた。

 

「意趣返しをするつもりじゃ、なかったんだがな」

 

その筋合いではない事は、アルフレードにも理解できていた。ゆえに口を出すつもりもなかったが、可愛がっていた同僚であり戦友と同じ顔をされて、放っておける性質でもなかった。メリットもある。あのままではユウヤ・ブリッジスとの模擬戦が始まる前に、本人が潰れてしまいかねなかった。それだけは阻止すべき事態だった。

 

そうした理屈と必要性を感情的に装飾したから、アルフレードは直接言葉を投げかけた。だが口を出して得られた結果は、満足できるものではなかった。いつもこうだと、アルフレードは自嘲する他なかった。強引に作り物の不調法な“殻”を砕いただけ。剥き出しになった子供の心のままに、本心を口に出来るよう誘導したことだけしかできない。

 

アルフレードは、それさえも良かったのかどうかと迷っていた。成長しきっていない子供を戦場に引き出すことを、良しとはできないからだ。戦力的な観点から言っても、情緒不安定な衛士に戦陣の一角を担ってもらいたくはない。この後に待ち構えていることに関してもそうだ。白銀武の話は衝撃的で、絶望的だった。少しでもできる事があればやっておくべきだと思わされるぐらいに。

 

だからこそ、クリスカ・ビャーチェノワにここで倒れられると困るのだ。少し他人に言葉を投げかけられただけで内心が激しく揺れ動くような精神の発達していない子供など、危なっかしくて見ていられない。

 

かといって、深入りすることはできない。比喩ではなく、鉛色をした死出の旅路の特別チケットをプレゼントされるだろうから。また、与えてやれる答えなどどこにもなかった

 

「ほんっと、どうにもならない話だよな………死にたくなければ愛しい男の夢を力づくで叩き潰せってか?」

 

人の因果の巡り合わせは、時に悲劇的な舞台を作り上げることもあるが、これはとびきりの皮肉が効いている。

 

そして、クリスカだ。以前に見た時とはまるで違う人間臭さを感じる言葉に仕草をしていた。まるで誰かに、強引に大量の何かを流入させられたように。

 

心当たりのあるアルフレードは、黙って目元を掌で押さえた。そうして虫の音も小さくなった深い夜の闇の中、疲れた男の呟きが、遠くまで透き通るように響き渡った。

 

 

「ガキだからって………大人が都合のいいように扱って良い筈がないだろうによ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明後日、不知火・弐型とSu-47の比較試験が再開された。

 

その展開は、予想外の一言に尽きた。Su-47は序盤からひと目で不調が分かるといった具合で、対する不知火・弐型は―――フェイズ3に換装されたユウヤ機は少し調子を崩しながら、数分経過した後では先日の調子を取り戻した。

 

早く、鋭く、大胆かつ的確な機動を難なくこなす弐型の動きに、アルゴス小隊だけではない、その模擬戦を観戦していた全ての衛士の眼を奪った。そこには確かに、世界を代表できるレベルの機体の動きがあったからだ。

 

そうして、弐型が圧倒するようになった戦況の最中に事件は起きた。Su-47が突然失速したかと思うと、地面に墜落したのだ。低速飛行中だったので最悪の事態にはならなかったが、衝撃は小さくなく、中にいる衛士の安否が気遣われる状況である。

 

最も近くに居たユウヤは弐型でクリスカ達の救助作業を手伝おうとしたが、ソ連側の申し出により止められた。

 

そうして、ハンガーに戻ったユウヤが、機体から降り立って初めて見たのは黒い服を着たアメリカ人と名乗る男だった。名前と階級と所属を聞かれたユウヤは、頷き。その後に確保しろ、という声が上がった。ユウヤは身構えながら、問いかける。

 

「確保? お前等………何ものだ」

 

整備員が遠巻きにこちらを伺っている以上は、テロリストではない。むしろ、と思ったユウヤに黒服の男から答えが出た。

 

「米国人ですよ。今日は国防に関して話がありまして」

 

「っ、なんだと!?」

 

「いえ、ねえ………不知火・弐型のフェイズ3なんですがね―――YF-23(ブラック・ウィドウ)に使われた技術が流出しているという情報があったんですよ」

 

「そ………バカなっ!?」

 

ユウヤは言葉を失った。YF-23(ブラック・ウィドウ)と言えば、米国の先進戦術機開発計画「ATSF計画」においてF-22(ラプター)に敗れ採用が見送られたものの、生産性を度外視した純粋な性能で言えばF-22を上回っていたという、米国においても最新鋭かつ最強の機体でもある。

 

その機密が漏れるという情報。それを前にして、米国が出す結論は一つだった。

 

「自分としては、優秀な米国軍人である貴方を疑いたくはないんですがね」

 

男は隣に居るMPらしき者達に目配せをする。その間に、ユウヤはある事を悟っていた。国防に関しては一切の妥協を許さない米国が、こうまで出張ってきたということ。

 

それは、機密流出を見逃さないという意志の顕れだけでは済まなかった。

 

 

「お察しの通り、疑惑を抱かれた時点で計画の再開はあり得ない―――XFJ計画はここで終わりということになりますね、少尉殿」

 

 

間もなくして男が放った「ご同行を願えますか」という声が、茫然自失となったユウヤの心の奥に虚しく響き渡った。

 

 


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