Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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24話 : 始末 ~ fulfil ~

2001年9月22日。一連のテロ事件が終わったユーコン基地では、後始末の作業に入ろうとしていた。ひとまずの危機は脱したが、被害は小さいものではない。

 

そのような状況の中での、ユーコン基地にある研究室。ソ連の開発部隊の責任者であるサンダークは、ベリャーエフを正面に諭すような口調で会話をしていた。

 

「貴君の手柄を否定している訳ではありません。事実、主任が計画を放棄しなかったからこそ今回のテロは鎮圧できたのですから」

 

ですが、とサンダークは言う。

 

「研究の成果も、否定はしません。ですが、その成果が正しく運用されたからこその話です………ベリャーエフ主任。現場の全てを放棄し、研究資料を持ちだし逃走しようとした貴方だけでは成し得なかったことだ」

 

サンダークは間接的に責め立てていた。他国に亡命しようとしたベリャーエフの罪科の重さについて。露見すれば、今の立場から失墜することは間違いがなかった。

ベリャーエフの顔が蒼白になる。それが土気色になる前に、サンダークは救いの手を差し伸べた。

 

「ですが………運がいい。貴君を保護したのが“私の配下の者であった”のですからね」

 

貴様の愚行を知る者は、私以外に居ない。言外に言い含めたサンダークに、ベリャーエフは恐怖に震えながらも頷いた。

 

「勘違いはしないで頂きたい。私は貴君の研究の成果の素晴らしさを知っている。いえ、私以上に評価している者は居ないでしょう。ですが、それはあの二人が生きている事が前提だ」

 

「ぶ、無事だ………こっ、これが報告書だ」

 

「ふむ………」

 

サンダークは手渡された書類を読んだ。そして一区切りがついた所で、告げた。

 

「ロゴフスキー“大佐”への報告は私からしておきます。より詳細な報告書も、急ぎ作成する必要があるでしょうが――――」

 

「し、至急作成しておく! だから………っ!」

 

「分かりました。主任の今後に期待しておきましょう」

 

これは独り言ですが、とサンダークは告げた。

 

「――――死刑台か研究室か、どちらを選ぶのかは貴君次第と言っておきましょう。同志、ベリャーエフ」

 

告げるべきことを告げたサンダークは、ベリャーエフを退室させた。そして予め呼び寄せていた部下を招くと、ひとまずの祝いの言葉を向けた。

 

「ゼレノフ“曹長”………昇進、おめでとう」

 

「大尉こそご昇進おめでとうございます。ジェブロフスキー少尉の件に関しても」

 

ソ連特殊部隊(スペツナズ)の幹部が協力的だったことが幸いした。今や立場は違えど、無能な者は上に立つべきではないという見解は一致したようだ」

 

「ははは………今頃はどこか遠くに、ですかね。ところで、来る途中に見たあれは噂の新型機ですか?」

 

「その通りだ。だが、その件を話す前に確認しておかなければならない。例の仕上げに関することだが………」

 

「………万事、問題なく。狙撃銃も手配済みです」

 

「結構。では………頼むぞ」

 

「確実を期して頭を狙います。焦りませんよ、“少佐”」

 

ゼレノフは敬礼をして退室した。

サンダークは一人だけになった部屋の中、淡々と言葉を零した。

 

「“貴官”に責はない。だが、貴官だけが危険だ」

 

最優先の標的は“3人”。だが、全てを闇に葬り去るのは危険過ぎる。機密を知られた者は全て処理するのが鉄則だが、そうできない状況もある。

 

そして、立場と国力と横浜の計画を考えれば。

サンダークは、結論を下していた。

 

 

「悪く思うな………帰国する前の今を置いて、機はないのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、司令部が開放されてから10時間あとの事。ユウヤは統合司令部ビルの中、夕焼けの黄昏に染まる休憩室でベンチに座っていた。

 

「クリスカ………イーニァ………」

 

ユウヤは二人の暴走を止めてから、コックピットを強制開放させた後に見た光景を思い出していた。

 

頭から血を流して昏倒しているイーニァ。それを見て、見たことが無いほどに取り乱しているクリスカ。いずれも尋常な様相ではなく、しっかりしろと怒鳴りつけなければ、ずっとああなっていたかもしれない。ユウヤはそう思いながらも、違和感を覚えていた。

 

クリスカが言ったのだ。ユウヤのために私達はあの状態になったのだと。

守るために、暴走をした。ユウヤはその想いに対し、素直に嬉しく感じていたが、それだけで終わらせてはいけないとも考えていた。

 

(後催眠暗示と薬物による暴走………じゃあ、ないよな。錯乱していたとはいえ、直後のクリスカの身体状況と周囲の認識能力。どう見ても、通常の状態だった)

 

話に聞いていた程度だが、おおよそまともな状態ではいられない筈だった。説明がつかない事が起きている。ユウヤは背景に何かあるのではないか、という疑念を抱いていた。

 

だが、頭の中にあるのは二人のことだけだった。背景よりも、容態の方が心配になっていた。クリスカは救護班が到着する以前に気絶。イーニァはずっと目を覚まさなかった。病院に到着する間も到着後も、意識は戻らなかったのだ。俯き、自分の手のひらを強く握りこんだ。

 

(開発衛士にも犠牲者は多かった………敵味方も大勢死んだ中で、贅沢な悩みなのかもしれねえが)

 

希望がある、という言葉では片付けられない。落ち込んでいるユウヤは溜息をつき、そこに声がかけられた。

 

「一人で黄昏れてんなよ。自分のためにしか時間は使えねえってか? ………良いご身分なこった」

 

「………レオンか」

 

「見たら分かんだろ。どこかしこも大変だってのによ」

 

通信統制は回復しておらず、各国の開発部隊は未だ混乱から回復しきれていない。テロリストの新手による“もう一度”が早々起きないことは大方の予想だが、それでも備えがなければ必死に駆けずり回るのが軍人の性質だった。

 

そこを突いての嫌味だが、ユウヤは一瞥するだけで終えた。

レオンの声に、苛立ちの色が混じった。

 

「あいっかわらず無愛想な野郎だな。随分とご活躍だったそうだが、もう英雄気分かよ」

「…………英雄? 俺が? 何の冗談だよ、それは」

 

ユウヤは今回のテロ事件の中で改めて、自分の未熟さ加減を思い知っていた。英雄と呼ばれるよりは、むしろ脇役と言った方が正しいと自虐するほどに。

黙り込んだユウヤに、レオンは先程とは打って変わった真剣な声色で告げた。

 

「俺はテロを許さない。米国民は当然だが、何の武器も持たない民間人を脅かすような糞野郎どもを潰すのが俺の仕事だ。それを誇りに思っている、だから――――」

 

「俺のような独善的で、協調性の欠片も無い奴は許せない、か」

 

「………てめえ」

 

「分かる………なんてどの口で言うのか、ってな。でも、思い知った。俺は弱え。一人よがりで、多少の腕が立った所で………何の意味もない」

 

戦場は多くの人間が入り乱れる。その中での最優先を求めた筈なのに、途中でブレにブレた。ユウヤは重い声で自嘲した。

 

「いざって時に誰も救えない。戦場は大きくて広すぎる………一人じゃ、何もできねえんだ。それさえ認めずに、たった一人でいきがってた」

 

ユウヤはずっと、困難過ぎる状況でも自分一人で諦めずに命を賭ければどうとでもなると思っていた。だが、今回の事件でその考え自体が思い上がりであることを知った。

 

結末があの光景だ。倒れるイーニァに、悲壮なクリスカの顔。ユウヤは頭に焼きついた光景を反芻し、もう忘れることはないだろうという感覚を抱いていた。

 

「シャロンは無事なのか? そうそうやられるとは思ってねえけど」

 

「………怪我一つねえよ。てめえに心配されなくてもな。あいつは俺よりタフだからよ」

「はっ、そりゃそうだな」

 

ユウヤは昔のシャロンの事を思い出し、安堵した。大きな怪我をしたのでもないのなら、心配するだけ杞憂だと。そのユウヤの顔を見たレオンは、面白くないという感情を隠そうともせず、不機嫌な顔で告げた。

 

「何を吹っ切ったつもりになってるかはわからねーけどな。一人で納得したって、過去の罪が精算できたとか思ってるんじゃねえぞ」

 

「………大尉のことか」

 

「てめえがその名前を口にするな」

 

怒鳴りつけず、ただ冷静に。告げたレオンは、そのまま去っていった。

残されたユウヤは一人、その背中を見送りながら一人内心でこの基地に来てからの事を思い出していた。

 

(考えもしなかったぜ。あのレオンとこうして話すなんてよ)

 

いつも顔を合わせる度に、罵り合い。十に八九は、殴り合いの喧嘩に発展していた。あの激情はなんだったのだろうか。ユウヤは、目を逸らしたいという衝動を捻じ伏せながら、自分の弱い部分を直視した。

 

(俺は………羨ましかった。自分の家族に、いや、自分の進んでいる道を堂々と歩けているあいつの事が)

 

レオン・クゼは家族に肯定されるに足る努力を重ねていたのだろう。まっすぐに、日系人である事を誇りにして、それを自らの芯として、不利である筈の日系人の立場から今の階級と部隊にまで登り切った。真っ直ぐな想いを持っている者は強い。ユウヤは同時に、白銀武の事を思い出していた。基地に帰投するなり、気絶したのだ。だが飛行中の様子を見ると、もっと前に気を失っていた可能性が高いと思われた。

 

(気絶しながらでも、自力で帰投したのは………多分、万が一にも“中身”を他国に回収されたくなかったんだろう)

 

身体が限界だというのに、無意識は自らの責任を全うするために動いたのだ。自分に真似ができるか。ユウヤは自問自答をするが、自分を慰める言葉さえも浮かんでこなかった。

 

(唯依達も、そうだ。一人で酔ってた俺とは、あまりにも違いすぎる)

 

米国でも有数と呼ばれていた、過去の事。血の滲むような努力を重ねた事に、偽りはない。だがユウヤは、アレは自己満足の類だったと思っていた。目に見える成果はあったのだろう。だが、次には続かない。奇特な人間でなければ、こんな自己陶酔に浸り協調性の欠片もない男とは、二度と同じ仕事をしたくないと考える方が自然だ。一時は拮抗するかもしれない。だが、先を考えれば自分が追いつけなくなるのは明らかだ。人と人の繋がりを強め、広め、更なる関係を構築している人間には敵わない。今までどれだけの人間に迷惑をかけたのだろう。ユウヤは、自分の頭を右手で押さえながら小さな声で呟いた。

 

「これから………返していくしかねえよな」

 

遅い、間に合わないというのは言い訳になる。停滞こそが最大の罪であるとユウヤは考えていた。今自分がすべきこと、その最優先は不知火・弐型の開発である。

 

ユウヤは迷惑をかけた篁唯依に、今までの借りを返していこうと考えた。

 

種はある。実戦の最中にいくつか思いついた改修案が存在する。

ならば、とユウヤはそれを説明できる資料にまとめるべく、立ちあがった。

 

機体に加わる要素が、良い方向に加えられたのだ。

 

例の不知火が見せた規格外の機動。それを活用できる機体づくりを。概念を支える機体の反応から、ユウヤはある確信を得ていた。

 

(回収されたくなかった“中身”は――――OSだろう)

 

一点ものであるはずがない。普及するなら、それを活用できる機体に。ユウヤはその案を紙に書き出しつつも煮詰め、一刻でも早くまとめて唯依に提案しなければならないと、自室へ向けて歩む速度を早めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、司令部にある高級士官用の医務室の中、二人の男は互いの視線と言葉を交わし合っていた。

 

「改めて………久しぶりだな、むっつりスケベ。いや間違った、シルヴィオ・オルランディだったっけか? ここに居るってことは900万ユーロの男に昇進したか」

 

「俺としては、こうして再会するとは思わなかったがな、根暗な化け物。いや、クロガネ・ヤマトだったか? クサイ偽名だ」

 

軽い嫌味をジャブとして牽制に。武を観察していたシルヴィオは、サングラスを指で押し上げてながら言葉を続けた。

 

「………ここに“耳”はない。個室をあてがわれたのも、ハルトウィック大佐の感謝の証だろう」

 

「つまりそっちは成功した、と。それで………本命の方は?」

 

武は自分の目を指さしながら問いかけ、シルヴィオは僅かに唇を緩めながら頷いた。

 

「いい“絵”が撮れた。札の一つにするには十分だ」

 

万に一つでも米国に気取られる訳にはいかないので、シルヴィオは言葉をぼかした。だが意味が分かる者にはそれだけで分かる。

それを知る武は安堵の溜息をつき、シルヴィオは肩をすくめた。

 

「それにしても………拍子抜けだな。オレはてっきり、ユーコンのテロリストを皆殺しにしろ、とでも言われるのかと思っていたが」

 

 

「それ諜報員の仕事じゃねーから。適材適所ってことだろ。足速い、レーダーに引っかからない、“録画できる”。あとは仕上げだけど、そっちの方も頼むぜ」

 

オリジナル・ハイヴを攻略するために。武の言葉に、シルヴィオは頷きながらも現状を説明した。

 

「ブラックボックスは大東亜連合の機体が回収した。先程、日本への即時返却が行われた所だ」

 

予め決められていたことだった。武が回収するより意味がある。即時返却ということを見せて日本と大東亜連合の結びつきが強いと、基地に居る各国の要人や現場の人間にしらしめるのだ。両国の蜜月関係は各国も周知の所だが、こういう細かい所でアピールすることで、後に起きる様々な()に関する不自然さを小さくすることができる。

 

「あとは“紅の姉妹”か………色々と信じ難い事が、真実のようだ。いや、外道が手段を選ばない先に得た、執念の結晶というべきか」

 

最低限の倫理観という、切り捨ててはいけないものを大義というナイフで削ぎ落した結果に産まれたもの。シルヴィオはその全容を聞いた時に、それを考えついた者を許せなくなった。

そして、怒りとは別の畏怖も生まれていた。

 

「その妄念の集大成を正面から圧倒したお前も大概だがな………」

 

シルヴィオの呆れるような言葉に、武はいつになく落ち込んだ表情になった。

 

「今は………今だけでいいから、その部分に触れてくれるなよ。頼むから」

 

武は終わってからも自己嫌悪を感じていた。抑えきれずに殺しかけた事は、本末転倒という言葉では済まない失態だった。自分の脆さを再認識させられた事に関しても。武は自分が落ち込んでいる暇などないという事は分かっていたが、気を取り直すには一日程度は必要だと思っていた。

 

一方でシルヴィオは美冴から聞いた衛士が、武であることを確信していた。というか、精鋭揃いだという一個中隊をたった1機で殲滅するような規格外が、そこら中に転がっていると思いたくなかった。

 

「しかし………本当に、変わったな。随分と人間臭くなった。いや、クラッカー中隊から聞いたお前の人柄を考えるに、根の方は全く変わっていないのか」

 

「いやあの頃は絶賛落ち込み中だったし。つーか失礼だな、何年も経ってんだから少しは成長して………って待て。なんであいつらが出てくる。ていうか、俺の何を聞いたんだよ」

 

「色々な真偽と、お前の事について尋ねた。ほぼ悪口というか罵倒の言葉が返ってきたぞ。“変態”、“宇宙人”、“鈍感”、“女たらし”、“嘘つき”、“悪い男”、“罪な男”、“というか変な子供”、“身長縮め”、“お母さんって呼んでいいのよ”だったか」

 

「誰だか分かりやすいな、おい。特に最後の二人」

 

武は名誉というか疲労のため、誰が誰かは追求しなかった。

 

「それでも………俺として、得るものは得られた。ドクターとお前に協力するにあたってのだ。全てではないが、いくつかの納得はできた」

 

「俺の方は色々と失った気がするんだけど」

 

武は憮然とした表情で答え、その顔を見たシルヴィオは小さく笑った。

だがその直後、一転して表情を変えた。纏う空気までも変わり、それを察した武が訝しげな表情になった。

 

「何か、問題が?」

 

「いや………何もないさ。それより客のようだぞ」

 

シルヴィオはそう告げると、武を訪ねてきた者と入れ違いに出て行った。

新たな入室者である女性は、サングラスに金髪というどこかで見たような風貌を持つ男を横目にしながらも、部屋に入るなりベッドの上で座っている武へ詰め寄った。

 

「アンタ、怪我は!?」

 

「い、亦菲? 怪我って………一応は大丈夫だけど。筋は切れてないから」

 

「そう………」

 

亦菲はホッと安堵の溜息をついた。沈黙に、数秒が経過する。

窓の外から聞こえる僅かな音、戦術機の駆動音だけが部屋の空気を支配していたが、亦菲の声によってそれは破られた。

 

「色々と聞きたいことがあるけれど………特にうちの隊長との関係とかね」

 

亦菲はジロリと睨みつけた。だが、深く追求しようとは考えていなかった。色々と二人の口から零れ出た言葉が材料となったお陰で、完全とは言えないが9割程は予想できていたのだ。白銀武がどの部隊で戦っていたのか、葉玉玲は誰から戦術機動のイロハを学んだのか。

 

「俄に信じ難い話ではあるけれど………あの機動を見せられた後じゃ、嘘だなんて断言できないわね」

 

亦菲は苦虫を噛み潰したかのような顔になった。それだけに武の機動は、自身の衛士としての自負を根本から折られそうな暴風だった。

 

そうして、深呼吸を一つ。改めて武に向き直った亦菲は、柔らかい声で武に告げた。

 

「取り敢えずは………礼を言っとくわ。昨日と、5年前のこと。助けられたわね」

 

命を助けられた礼を。茶化すような色の無い真摯な感謝の言葉に、武は生返事しか返せなかった。

 

その後武は、テロが始まる少し前に約束していた通り、自分がユーコンに来た目的を説明した。オルタネイティヴ計画以外の、テロに関することを。ひと通りの話を聞いた亦菲は、神妙な顔で武に問いかけた。

 

「紅の姉妹の話をしない、ってことは………それだけ機密レベルが高いってことね。あるいは、深入りすれば身が危うくなるどころか――――殺される?」

 

亦菲は、紅の姉妹の能力と、それが開発される経緯についてもある程度の当たりをつけていた。対BETAなら相手との交信を。対人戦でも、用途は色々とあるからだ。

 

「これだけなら言ってもいいか………対BETAの計画だ。成果なしだったから次に。ああ、予備案になってる米国主導のクソッタレな計画なら話してもいいぜ」

 

そうして武はオルタネイティヴ5の事を話した。俄には信じ難い話で、亦菲は疑いの視線を向けた。

 

「それは………本当に? 嘘をつくと承知しないわよ」

 

「嘘をついて騙すならもっと相手を選ぶって」

 

亦菲は尤もな理屈だと頷いた。たかが一人の衛士に虚言を弄した所で、何の意味もない。加えて、白銀武が嘘をつくのが下手だということも覚えていた。オルタネイティヴ5とやらについて、おおよそ正しいのであろうと理解した瞬間、亦菲は背後にある壁を思い切り手のひらで叩いた。

 

「………痛いだろうに」

 

「っ、ええ、痛いわよ! でも、何かに当たらなきゃやってられないわよ!」

 

嘘であっても憤る他ない話だった。亦菲が嫌悪感と憤怒を抱いたのは、G弾での一斉爆破という点ではなく、宇宙船の建造が進められているという点だ。いったい、最前線で戦ってる兵士をなんだと思っているのか。戦場を経験したことがある衛士なら、誰もが持つ想いだった。

 

「それで、アンタは………それを阻止するために動いているって訳ね」

 

「ああ。取り敢えずは佐渡ヶ島、最終的にはオリジナル・ハイヴを落とす。遅くても半年以内には片付けるつもりだ」

 

何でもないように告げた内容は、普通の人間から聞けば一笑に付すだけの戯言だった。

白銀武以外の人間が言えば、亦菲は鼻で笑ってこき下ろした上に後催眠暗示を受けてくるように薦めただろう。あるいは、このテロが始まる前であれば同じだったかもしれない。

 

今は違う。亦菲は()()のだ。感じた、と言ったほうが正しいかもしれない。白銀武という男が抱えている、途方も無い重圧を。聞いてもいいかしら。そう前置きして、亦菲は尋ねた。

 

「その言葉を信じるとして………アンタが戦う理由って何?」

 

一端に触れただけで吐き気を覚えるような、凶悪な記憶群。BETAだけではない、人間に対する想いも含まれていただろう。なのに、何故。問いかける亦菲は心底分からないという表情をして、武はそれに苦笑で返した。

 

「BETAに殺される人を見たくない。死なせたくない、守りたい奴らが居るんだ。だから俺は戦う」

 

「それは………アンタの恋人?」

 

「いねーって。ただ、知ってる顔が死んでいくのはもう御免なんだよ」

 

武は亦菲の顔を見ながら告げた。冗談などではない。混じりっ気なしの本気の言葉。その視線には強い光がこめられていた。亦菲は内心で激しく動揺しながらも、問いかけた。

 

「あの二人を殺さなかったのも、そういった理由?」

 

「………そうだ。我を失って殺しちまう所だったけどな」

 

「あれ、無意識だったの? でも………手加減してたように見えるけどね」

 

亦菲は何となくだが、武が本気でクリスカとイーニァを殺すつもりはなかったと感じていた。なぜなら、最後の反転の際に位置エネルギーを、落下を利用した斬撃を繰り出さなかったからだ。落下に合わせて頭部から中刀を斬り落とせばそれで済んだ。そうしなかったのは、例え無意識で、殺すつもりがなかったからだろう。

 

武はそう告げられても、自分のしでかした事を悔いていた。亦菲は武の暗い顔を見ると、溜息をつきながら立ち上がり、武の頭を撫で始めた。よしよし、とからかう口調で慰め。武はジト目になるだけだった。それを見た亦菲が、ふふんと笑った。

 

「不貞腐れて暗い顔した子供にはコレが一番ってね」

 

正確には、イジケてばかり居る泣き虫にはこうするのよ、と。亦菲が小さい頃に母親から教わったことだった。父に対して、良く行っていたとも。父も自分と同じく同国人から謂れのない中傷を受けていると、亦菲が初めて気づくきっかけにもなった出来事だった。

「アンタが悪い訳じゃない………なんて言わないわよ。実際、トチ狂ってたしね。このアタシが寒気を覚えるぐらいに」

 

敵として相対する事など、考えたくもない。下手をすればバオフェンとアルゴスが組んだ上でも捻じ伏せられる。

 

「でも、アンタはあの場で何とかしようとした。それだけは嘘じゃない。アタシと、あの二人だけはそれを知ってる」

 

後で上官か、命令を下した奴らからはボロクソに言われるだろうけど、アタシ達だけはきっと怒らない。亦菲は自分らしくないと思いながらも、目の前に居る年下の男をこれ以上責めるつもりはなかった。

 

――――欠片だけでも、味わえば全身が硬直する重圧を知ったから。それに負けず、ボロボロになりながら上を向こうとしている男が居るから。

 

「………ありがとよ。でも、なんか亦菲らしくないな」

 

「自覚してるわよ」

 

亦菲はそう告げると武にデコピンをかました。照れ隠しが混じった手加減抜きの一撃に、武は痛っ、と声を上げた。亦菲は額を押さえる武を見ると、いつもの自分を取り戻した上での、冗談混じりの一言を告げた。

 

「美人のお姉さんからの気付けよ。ありがたく頂いときなさい」

 

「っつ~…………相変わらずの馬鹿力だな。つーかお前、耳赤いんだけど………熱でもあんのか?」

 

「はっ、誰がよ。ちょっとこの部屋が暑いだけよ。今日は良い天気だしね」

 

亦菲は言い返しながらも、自分の耳たぶに熱がこもっている事を自覚していた。

その源にある感情の名前はなんというのか。自分でも分からなかったが、これ以上ここに居るとなにか拙いことになると思い、立ち上がった。忙しいと、部屋の出入口に向かう。ドアノブに手をかけて、ふと気づいたように顔だけ振り返って武に質問をした。戦術機動の教えを受けていた時に思い出したのだ。武は自分の事を友達といった、ならばと。

 

「大切な人、って言ったわよね…………なら、友達のアタシも守ってくれる?」

 

半分は冗談の、半分は本気の。その言葉に、武は間髪入れずに答えた。

 

「当たり前だろ。いざって時には俺が守るさ――――絶対に死なせねえ」

 

昔とは違う、一人の男としての瞳を携えての一言。大声でも小さな声でもない、相手に伝えることを優先した量の声。真っ直ぐにも程がある言葉とその視線に、亦菲は自分の顔が一気に熱を持っていくことを感じていた。

 

「ちょ、大丈夫か!? やっぱり熱が――――」

 

「何でもないわよ! お大事に!」

 

亦菲は部屋を出ると、勢い良く扉を閉めた。そのまま早歩きで自分の機体があるハンガーへ早足で歩き始めた。

 

(なんなのよ、アレは…………反則でしょうが)

 

亦菲は自分の顔が赤くなっているのが分かった。この顔を李などに見られたら思わず殴り飛ばしてしまうぐらいには。かつ、かつ、かつと歩き、音が止む。立ち止まった亦菲は、武の言葉を反芻していた。

 

(李とかには、冗談混じりに言われた事はあるけどね………)

 

その時は“自分よりも弱いアンタがどうやって守るのよ”と返し、李はぐぅと唸りながら凹むだけだった。武を相手に、その言葉は適当ではない。亦菲としても衛士としてのプライドがあり、その誇り故に自分を圧倒的に上回っている相手を貶めることは恥だと考えていた。言葉に、視線は嘘はなかった。それだけではない。亦菲は胸中にある、言いようのない感覚に戸惑っていた。

 

その名前を、安堵という。

 

(私は………嬉しかった? 守る、って言われたのが)

 

亦菲は考えたが、答えが出なかった。未知の体験だった。敵ばかりだった今までに、自分より経験も能力も上であろう男から、そんな言葉をかけられた事はなかったから。

それを嬉しく思うということは、どうなのだろうか。

 

(もしかして………守ってもらいたかった? 誰でもいいから、“私”を見てくれる誰かに。境遇だけで罵らない、自分よりも力を持っている誰かに)

 

敵ばかりで、頼れる相手を探していたのか。敵が多いのは分かっている。自分より弱ければ、守らなければいけない。だから自分よりも強い男に、“大丈夫だ”とか、“俺が守る”とか言って貰いたかったのか。想像してみて、悪くないと思える自分がいるどころか、顔がニヤけてしまうような。更に顔が熱くなるような。

 

亦菲は自覚すると、その思いを振り払おうと首を左右に振った。ツインテールが遠心力で振りまわされて顔にもあたったが、亦菲の胸中はそれどころではなかった。軍人としては似合わない、というか自分の性格としてあり得ない、ロマンチスト全開の願いを持っていた事を自覚してしまったのだ。亦菲はその場で転がり、顔を押さえながら床をゴロゴロと転がりたい衝動に駆られた。

 

それでもここは基地の人間が通る廊下でもある。知り合いにでも見られれば、殴りかからない自信はない。そう思ったが、間が悪かったようだった。

 

亦菲は廊下の向こうから、見覚えのある小さな衛士が走ってくるのを見た。

 

(これはもう()()しかないわ、ね………?)

 

タリサ・マナンダル。一応は戦友で、知り合い。亦菲はその姿ではなく、形相と表す方が正しい顔を見ると意識を切り替えた。

 

同時にこちらを見て“安堵”したタリサを見た亦菲は、呼び止めずとも何が起こったのかを理解してしまった。

 

 

(あの場に居たのは3人。私、チワワ、残りの一人は――――)

 

 

間もなく聞かされた言葉は、亦菲の予想していた通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を少し遡る。司令部にある廊下で、篁唯依とイブラヒム・ドーゥルは今後の計画について話し合っていた。テロの影響は大きく、10日から14日の遅延が見込まれる。不幸中の幸いか、他国とは異なり人員の欠損はゼロであったが、機体の損傷や基地機能の回復のために時間が費やされることは避けられなかった。

突撃砲の攻撃を受けたタリサにも、身体の怪我は無かった。普段の鍛錬と不知火・弐型の強化された耐G性能と強化装備のお陰だった。

 

唯依はその報告を受けながらも、タリサが微妙な表情になっていたのを思い出した。

 

(本人は納得いっていなかったようだがな………気持ちはわかるが)

 

結局は守られてしまったのだ。拮抗もない、為す術もなく倒されてしまった。

そして、今も唯依は気分が優れなかった。突然に叩きつけられた難題、光景、重圧。一応は吹っ切れたとはいえ、黒い泥の残滓はまだ胸中に残っている。時間が経てば薄れるだろうが、それでもあのイメージは強烈に過ぎた。

 

「……どうした、タカムラ中尉」

 

「あ、いえ………Su-37UBと不知火の戦闘を思い出して、少し」

 

「考える事があったか。報告は受けたが、やはりあの男は相当のベテランだったようだな」

 

「………ドーゥル中尉は感づいていたのですか? その、白銀少尉の衛士としての力量について」

 

「全てではない。ただあの男がベテランで、飽きるほどに敗北を重ねてきたという事だけは分かっていた」

 

戦場の中で驕りもなく、後方の基地に居た時と同じような調子で、自らのスタンスを崩さない。それは負けに負けた上で強くあろうとした者だけが持てるものだった。

 

イブラヒムの言葉に、唯依は無言で頷いた。加えて言えば、彼の戦歴についてもいくらか推測できるパーツは揃っていた。

 

タンガイル、と言った。葉玉玲大尉をユーリンと呼び捨てにして、葉大尉も責め立てるどころか、顔見知りとしか思えない言葉で答えた。カムチャツカでの元クラッカー中隊とのやり取り。元は中隊所属だったマハディオ・バドルとの関係。

 

恐らくは、日本の亜大陸方面派遣軍に混じり、同じような戦場を経験したのだ。当時小学生だった彼がどのような戦いを見せたのかは分からないが、そうとしか思えなかった。

 

(敬語ではなく、まるで対等の関係に見えたというのが気になるが………)

 

中隊に所属していた衛士の数は11人だ、というのが大東亜連合の公式発表であり、それ以外に考えられない。あるいは、白銀影行についていったのかもしれない。謎は深まるばかりではあるが、今の唯依はそれだけに専念する訳にもいかなかった。

 

Su-37UBとの交戦が問題になっているのだ。急ぎ、唯依とユーリンが現場検証に駆り出される予定となっていた。リルフォートにも被害が出て、民間人にも死傷者が出た事が原因である。査問の一つとして、作戦中に防衛行動を取らず私闘を行った疑惑が出ていた。

 

言いがかりではない、当たり前の疑念である。だが時間が取られてしまうと歯痒い思いをしていた唯依だが、隣に居るイブラヒムから視線を感じ、顔を上げた。何か、という問いかけにイブラヒムは躊躇いながらも質問を投げかけた。

 

「民間人を守る。それは軍人としての義務だ。だが、そのために部下の命を賭けなければ………違うな。部下に“死ね”と命令を下さなければならない局面が訪れた場合、君であればどうする?」

 

死守命令、死んでもここを守れという、文字通りの死の宣告。厳しい戦況の最中、上官として行わなければならない責任の話だった。君、という言葉から篁中尉としての建前を語れというのではない。そう感じた唯依は、辿々しくも語り始めた。

 

「私は………まずは、そうならないように備えます。防衛戦であれば情報を収集し、防衛にあたる戦力を理解し、互いにフォローをしあえるような環境を作ります」

 

個の力は小さい。今回も、BETAの数が少なかったから何とか対応できたのだ。

物量に対抗できるのは、物量。連携を行えば数以上の力を発揮できる人間の能力を、思考し模索し続けることができる人間の能力を活用する。

 

「死んで当たり前、といった状況に陥らないように機体を開発するでしょう。それが私の特性でもあります。協力し、戦術機の戦術的価値を発展させましょう」

 

唯依はそう告げて、言った。やれることは全てやった上で、それでも死ねという必要があるのならば。

 

「民間人を守るために、私達は死にましょう。生命を賭けて、向かい来る死に抗います」

 

死んで良いなどとは考えない。なぜなら、戦いはそこで終わりではないからだ。

いつまで続くのか、と考えれば気が遠くなってしまう。それほどまでに対BETA戦争は厳しく、その後の復興や対人類の戦争の事まで考えると、頭を抱えたくなってしまう。

 

唯依も、心のどこかで自分に“諦めたい”という言葉が巣食っているのを知った。同時に、その道を歩いている先人が居ると知った。理屈ではなく、光景で見せられたのだ。

 

宣告するような、自分に確認するような言葉。それを聞いたイブラヒムは、そうか、と答えた。

 

「自分に言い訳の余地は残さない………悔いのない選択をする。それが、君の出した答えか」

 

「はい」

 

「軍人が死ぬのは当たり前。その理屈を否定せず、甘んじることなく最善に努めると」

 

「選択する者が負う義務です。先任として、後に続く者達に誇れる背中を見せる。山吹ではない、一人の衛士として導となる人間になる。それが自分を高めることにも繋がっていくと気づいたんです」

 

「………全身全霊で責務を全うし、誰もが納得できる存在になる」

 

「はい。幸い、それを体現している人は身近に居ましたから」

 

唯依は武の事を思い出していた。正しいとかじゃない、黒い汚泥に塗れながらも強がり、笑って前に進もうとする男が居る。京都でもそうだった。守れなかった事実を誰のせいにもせず、辛いと思っていながらも生きている誰かのために戦う。一所に懸命で、我武者羅に、格好を気にせずただ前のめりに。だけど、その姿のなんと胸を撃つことだろう。

 

遠い昔に家格など関係がなかった時代、武士というものはああではなかったか。

全てではないが、唯依はその姿を理想の一つと思っていた。その覚悟を見たイブラヒムが、言う。

 

「言い訳を許さない。その道は厳しく、辛いものになるだろう。能力が足りず、不甲斐なさに押し潰されそうになるかもしれない」

 

「ありがとうございます。ですが、百も承知です。未知に挑むことこそが、古来よりの篁の責務ですので」

 

時代と共に武器は進化していく。それを見極めるのが御用兵器の開発と生産に携わる篁家としての役割だ。そう告げた唯依に、イブラヒムは苦笑を返した。

 

「余計なお世話だったな。中尉はもう答えを見つけていたようだ」

 

イブラヒムは敬礼をした。後ほどまた、とひとまずの別れの言葉を告げる。

 

「いえ。助かりました。言葉にすることで、考えがまとまりましたので。それに、私は一人ではありません」

 

仲間が、ユウヤが居る。唯依はそう答えながら敬礼を返すと、感謝の意を示した。そのまま、廊下の向こうにある司令部の外へと歩いて行った。

 

間もなく、唯依の視界には夕焼けに照らされた司令部前の道路が見えた。復旧に追われているのだろう、出口付近にあるホールにはいつもより混雑していた。復旧に追われているのか、自国の開発中の戦術機を確認しているのか。唯依はその喧騒の隙間を縫うように歩き、やがて外に出た。

 

遠くには、陽が沈もうとしている空が見える。まるで血のような鮮やかな夕暮れを見た唯依は、小さく溜息をついた。

 

(色々あった………本当に)

 

予想外に過ぎる出来事が、多種多様な姿で襲ってきた。きわめつけは鉄大和こと、白銀武の存在だ。あれだけのものを背負いながら、笑える男が居るのか。唯依はその姿を思い出す度に、目頭が熱くなるような感覚を抱いていた。

 

(ようやく分かった。この世界は尋常ではない)

 

唯依も世界のどこかには、人としての倫理観を越えて勝利を求める者の存在があるとは思っていた。だがその空想を突っ切って、外道を越えた外道の域にまで達しているとは思わなかった。クリスカとイーニァが見せたのかは不明だが、あの時に見えた奇妙な光景。研究所と、歌。そして物のように扱われる生命の存在。唯依は一刻でも早く帰国し、父と叔父に報告すべきだと考えていた。

 

人としての倫理を越えてでもBETAを打倒するという狂気的な熱気。成程効果的だが、あれはBETAだけに向けられるものではない筈だ。ありがたくも苦々しい体験がそれを裏付けている。

 

同時に、気づいたことがあった。世界に平穏を取り戻すためには、あの狂気を越えていかなければならないのだ。白銀武のように、狂気を知りながらもそれに負けず這いつくばっても前に進まなければならない。ユウヤ・ブリッジスのように、窮地にあっても自分の弱さを言い訳にせず、自らの生命を賭けられるほどの覚悟を持たなければならない。

 

(ひとまずは、不知火・弐型か。ユウヤも改修案を持ってくるだろう)

 

ユウヤ・ブリッジスとは転んでもただでは起きない男である。カムチャツカの時と同様、今回の経験をフィードバックした上での更なる改良を加えようと努めるだろう。

 

 

全てはこれからだ。目的地は遠い。だが、進み続ければいずれはたどり着けるのだ。

唯依はそう考えて歩き続けた。その途中、地面にぬいぐるみが転がっているのを見つけた。

 

唯依は立ち止まり、ぬいぐるみを拾った。それはイーニァ・シェスチナが持っていた熊のぬいぐるみとは違う、赤ん坊のぬいぐるみだった。

 

「………イーニァ、クリスカ、か」

 

死なせたくなかった理由とはなんだろうか。唯依はそう考えながらも立ち上がった。

そして横目に、見知った姿の者が夕日に黄昏れているのが見えた。

 

小さな体躯に肌の色を見るに、タリサ・マナンダルだ。頬に絆創膏を張っているが、生命に別状はないという。

 

唯依は声をかけようと片手を上げた。陽が逆光になり、眩しいと感じた唯依は片手で視界を隠し。

 

 

(―――――ぁ)

 

 

声を上げる間もなく。唯依の視界は、暗闇に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年9月23日。その早朝、アルゴス小隊に事実が告げられた。

XFJ計画の責任者である篁唯依中尉がテロリストの残党らしき者に狙撃されたということ。そして明らかに個人を狙った犯行であるとして、ユーコンでは危険だと判断され、篁唯依がユーコンからフェアバンクス基地に移送されたということ。

 

それを聞いたアルゴス小隊に関連する面々は、特にユウヤ・ブリッジスと白銀武の顔は蒼白になり。

 

 

 

――――2001年9月24日。

 

篁唯依中尉がフェアバンクス基地での緊急手術中に死亡したと、公のルートからの発表が行われた。

 

 

 

 

 


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