Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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22話 : 流火 ~ continual change ~

地下に秘められた執務室の中、香月夕呼は書類を処理していた。傍らには、銀色の髪を持つ少女が。ぱらり、ぱらりと紙がめくられる音が部屋を支配する中、小さな声が響いた。

「………もう、始まっている頃でしょうか」

 

怯えるような社霞の質問に、夕呼は書類から目を離さないまま即答した。

 

「アイツの予想が正しければね。多少のズレがあっても、始まってから数日で結果は出るわ。まさか既に終わってる、ってことはないでしょうけど」

 

どちらにせよ時間の問題である。夕呼の物言いに霞は無言のまま小さく頷いた。数秒が沈黙で満ちる。霞はまた何かを言おうとして顔を少し上げたが、すぐに下を向いた。視線を向けないまでも、霞の様子に気づいていた夕呼は小さく溜息をついた。

 

「聞きたいことがあるのなら言葉にしなさい。………それで、アンタが聞きたいのはアタシが反対したことについてかしら」

 

問いかけに、霞は頷いた。ずっと気になっていたのだ。事情を知った上でも、武がユーコン基地に行くことを反対したその真意を。物事には優先順位がある。夕呼にとって白銀武が持つ価値とは黄金などとは比べ物にならないぐらい高い。霞はそれでも、とたずねた。武は状況を有利に運べる情報を数多く持っている。その上で本人の衛士としての力量は図抜けているのに。

 

霞の主張に、夕呼は頷かなかった。

 

「社、覚えておきなさい。物事ってのはね。上手くいかないのが当たり前なのよ」

 

「え………」

 

「事象や思想、人種が折り重なっているユーコンなら尚更ね。関わる人間が自分ひとりならスムーズに目的を達成できるかもしれないわ。でも、あそこは策謀が渦巻いている、坩堝の底の底よ。何時誰が何の行動を起こすかなんて、ねえ」

 

必ずどこかで誰かの意図と衝突して、時間的なロスが生まれる。あるいは、もっと異なる厄介事も。誰がどんな時にどう動くのか。完全にシミュレーションできる人間など存在せず、命は一つきりしかない。そして、人の眼は後ろには付いていないのだ。

 

「………遠くから誘導することは可能ね。状況を支配している人間に限定すれば、やれない事はない。でも、現場レベルで全てを把握してコントロールすることなんて………そうね、人の心の機微や、発する言葉を一字一句間違えずに予想できる奴なら可能かもしれないけど」

 

霞は暗に『不可能である』という夕呼の回答を否定できなかった。自分に例えても、無理だと判断したからだ。映像と感情を読むことはできる。だが、その心の移り変わりを、誰が何を言われてどう感じるのかを全てシミュレートすることなど、できる筈がなかった。

夕呼は言う。

その上で、跳ねっ返りは何処にでも出てくる。

アクシデントは何時でも起こるものだと。

 

(承知の上で、アンタは行くことを選択した。やりようはあると言ったのに、頷かなかった)

 

捨てきれないから、と白銀武は言った。捨てたくないの間違いじゃないのか、という指摘に図星を突かれた顔になった。夕呼はその顔を覚えている。陰謀の中に飛び込んでいくにはそぐわないその危険な表情が、いやに脳裏にこびりついているからだ。

 

(………生きて帰ってこなかったら許さないわよ)

 

社霞の視線が不安に傾く中、夕呼が手に持っている紙、掴まれている部分が僅かにくしゃりと歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

厄介も極まる。ユウヤ・ブリッジスは状況を整理しながらも、状況の複雑さに気が遠くなりそうだった。

 

幸運な点もあった。読み通りに、警備部隊の拠点には弾薬と推進剤が残っていたからだ。警備部隊との小戦闘もあったが、難なく撃破できたので問題はない。

 

だが、ここから果たすべき事は容易ではない。大目的はテロリストの鎮圧と、研究施設から逃げ出したBETAの殲滅という2点。後者はレッド・シフトという最悪の事態を呼びこむことになるため、命に代えても阻止すべき重要なものだった。

 

反して、防ぐための手段は多くない。特に後者は難易度も条件も厳しいのだ。大陸間弾道弾を集中運用すればBETAの殲滅は可能だろうが、テロが発生し黒幕が居ると想定されているこの状況下において核攻撃を行うのは危険過ぎる。BETAと違う意味での世界崩壊の引き金になりかねない。

 

次に有効なのは戦術機甲部隊と爆撃機部隊を展開して殲滅すること。これも、ユーコン基地全体を覆っている強力な電子欺瞞(ジャミング)をどうにかする必要がある。

相手が旅団規模のBETAだからだ。3000~5000ばかりの敵を殲滅するには、正確な戦況データが必須となる。だが、外部の部隊はあてにならない。不透明にすぎる基地の状況を把握している内にタイムリミットが訪れるのは、十分に考えられる話だからだ。

 

(だから俺たちが歩兵部隊と協力して、司令部ビルと総合通信センターを急襲。データを把握し、外部の部隊と協力してBETAを一掃する………一定数の大型種がラインに到達した時点でアウトらしいが)

 

ユウヤは不安を覚えていた。そのセンサーらしきものの仕組みは公開されていないことに対してだ。可能性は低いだろうが、小型種が一定数を越えた時点で水爆が作動するかもしれない。そう考えれば、一匹残らず殲滅するのが最善である。

 

(だが………光線級が居るとなれば、空爆部隊も二の足を踏むだろう。消極的になる可能性もある。そうなれば、戦術機だけで5000ものBETAを全て………?)

 

ユウヤは実戦経験が少ない自分に対して舌打ちを重ねた。自軍の数と敵の規模から、状況的に可能かどうかの判断がついていないからだ。推測はできるが、実際の経験に基づくものではないため、信用性に欠ける。味方を頼ればいいのかもしれないが。ユウヤはちらりと揃っている戦力を見た。中には、先ほど合流したイーニァの姿もあった。

 

『………どうした、ユウヤ』

 

『いや………それより、良かったな。イーニァと合流できて』

 

『ああ』

 

『うん!』

 

クリスカとイーニァの言葉。今でさえ落ち着いているが、合流した時は怖かったと泣きながら、クリスカに抱きついていた。震えていた声は、彼女が感じた恐怖の深さを思わせるものだった。

 

『そ、それより………お前は元気がなさそうだが、何かあったのか?』

 

クリスカの言葉に、ユウヤは小さく首を横に振った。

何もないことはないが、口にするような事でもない。弱気と愚痴は表に出せば腐る。

そう信じているユウヤは、いつものように言葉を濁すだけでやり過ごそうとした。

そこに、別方向から声がかかった。

 

『どうした、ユウヤ。不機嫌そうな顔だな』

 

『………いきなりだな、唯依。それより、どうなった?』

 

ユウヤは作戦の詳細を問いかけた。大筋は階級が高い者だけで決めると、唯依、サンダーク、アーサー、ユーリンの4人と合流できた歩兵部隊と作戦会議をしていたのだ。

 

唯依は皆に聞かせるように説明をした。ひと通りを聞いていた中で、タリサが呟いた。

 

『………対テロ専門のデルタと一緒に、か』

 

二重の陽動による強襲。成功の確率は、高いように思えた。司令部の設計図もあり、中央作戦司令室を覆うシェルター構造の壁を抜ける当てもついているのだから。

 

『まあ………揃い過ぎてる感はあるがな。ここで怪しんで足を止める方が拙い』

 

違和感を覚えているが。それでも、と優先順位を間違わず、思考の切り替えの早い面子ばかりだった。そうして、燃料補給の段になった時だ。唯依が先ほどの続きだと、ユウヤに話しかけた。

 

『気負うことはない。貴様は優秀だ』

 

『嫌味で言ってんのか? なら俺も相応の態度を取るけどな』

 

『謙遜をしすぎるなと言いたいんだ。むしろ、貴様の方こそ嫌味にしか聞こえないぞ? 実戦経験もないのに、開発衛士まで駆け上がれる人材など、そう多くもないだろう』

 

それもこの場を動かす一手を考えつくことが出来た。

言われたユウヤは言葉に詰まり、唯依は更に重ねた。

 

『焦るな、とも言えないが………自負だけは捨ててくれるな』

 

『………なんの自負だよ』

 

『はあ………自分が信じられなければ、友人を信じるといい。腕の立つ整備兵に好かれるのは、良い衛士になるための必須要項だ』

 

ヴィンセントの事まで言われたユウヤは、更に言葉に詰まり。

小さく溜息を吐いて、言い返した。

 

『悪かった………そうかもな。しかし、ヴィンセントもやってくれたもんだぜ』

 

イーニァは、途中でヴィンセントに会ったという。そこで預かってきたデータは、撃墜したF-16Cから回収した貴重なものだった。これにより、ユウヤ達は欺瞞されていないある程度の戦域データを見ることが可能になった。

 

『それで………どう見る、唯依』

 

『司令部ビルの制圧は、ほぼ成功するだろう。それだけの要因が揃っている。BETAの方は――――』

 

唯依は武が居る方向を見て、頷いた。

 

『――――指揮官としては気を引き締めさせるべきなのだがな。どうしてか、成功する以外の結末が見えん』

 

小さく笑う。それまでの指揮官顔とは違う表情を見たユウヤは、思わず尋ねた。

 

『知り合い、だったらしいな。ひょっとして恋人だったとか?』

 

『なっ……ゆっ、ばっ、こっ、恋人!? 違うに決まってるだろう』

 

前半の言葉は、ユウヤ、馬鹿だろうか。唯依の表情はまた変化し、今度は歳相応かやや幼い印象を思わせるものになり、頬も赤く。ユウヤはそれを見て若干面白くない気分になりつつも、問いを重ねた。

 

『まあ、あの野郎が凄腕だってのは同意するぜ………おかしいぐらいに、な』

 

常軌を逸している、変人だと言っても間違いではない。ユウヤの主張に、唯依は深く頷いた。ユウヤは否定しないのかよ、と顔をひきつらせた。

 

だが、ユウヤは疑う気を薄めていた。考え方を変えたのだ。水爆の被害はユーコンにも及ぶ、ということはBETAを止められなければ諸共に死ぬのだ。少なくともそれを阻止するという方向性においては、貴重な戦力として数えることができる。

 

『ユイはしってるの?』

 

『………シェスチナ少尉か。それは、どういう意味だ?』

 

唯依は思わぬ人物からの言葉に戸惑いつつも質問の意図を聞き返した。

イーニァは、それでもと言葉を重ねた。

 

『タケルを知ってるの? どんなひとか、知ってる?』

 

『どんな、か………知っているといえば知っている。一面だけだがな』

 

共に過ごした時間は短い。それでも分かることがあると、唯依は断言した。

 

『馬鹿、だな』

 

『………バカ?』

 

『変人の類だ。容易くこちらの予想を突き抜けてくる上に、そもそもの予想ができない。接していると少し疲れる相手だ』

 

『よそうがい………』

 

『い、イーニァ? ダメよ、あの男に近づいては』

 

イーニァは呟きつつも少し表情を歪め、クリスカが何かを察して諌めるように告げた。

それを見ていたユウヤは、えらい言われようだなと思いつつも武の方を見た。

常軌を逸した戦闘をした後だというのに、変わらず。一歩間違えれば取り返しの付かない事態になるというのに、腕を組みながら難しい表情をしていた。

 

『………どうしたよ、シロガネ。でかいのでも出そうなのか』

 

『ああ、実は我慢していたんだー、ってちげーよ。糞は糞でもその糞じゃねえ、もっとクソッタレな奴らのことだ』

 

『BETAか? ひょっとして怖くなったとか言わねえよな』

 

『いや、想像以上に数が多いと思ってな………やっぱ、大陸のアレが関係してるのか』

 

最後の方は小さくて、ユウヤには聞き取れなかった。だがそれまでとは違う、歯に物が挟まったような物言いは気になった。

 

『想像って、どれぐらいだよ。せいぜい連隊規模、2000ぐらいだと思ってたのか?』

『そんな所だ。でも極秘施設でそれだけの数を捕獲しておくのはな………米国にしてもスケールがでかい』

 

『それは………俺も同感だ。そんなに必要なのか、ってぐらいだな』

 

『いや、問題は…………』

 

武は何かを言おうとしてやめた。ユウヤがその表情を見て、少し苛立ちを覚えた。

戦闘中に見た時のような有無をいわさない威圧感のようなものが見られなかったからだ

 

『何を心配しているのかは分からねーが、ここでブルってても何にもならねーだろ。歓楽街に近づいているBETAはガルムとガルーダで、司令部と付近のBETAは俺たちとバオフェンで。それぞれがやる事をやるしかねえ』

 

『分かってるさ。だが、嫌な予感がしてな。歓楽街も、流石にあれだけの数で全滅させるのは厳しいだろうし………』

 

『………言っちゃいけねーかもしれねえが、全滅は無理だろ。いくらなんでも時間が足りなさすぎる』

 

デッドラインまでの猶予は180分、あるかどうか。止めきれなければユーコンもリルフォートも関係無く、全てが木っ端微塵になる。そして、ユーコンはアサバスカと同じように生物が存在できない死の大地になるだろう。

 

『ったく、何時だって問題になるのはそいつだな。問題児にも程があるぜ』

 

武が軽く笑った。自嘲のようだが、そこに弱気なものは感じられない。徐々に調子を取り戻していくかのような様子に、ユウヤは内心で安堵を覚えながら同意し、同じ危惧を抱いていた唯依が告げた。

 

『そうだな………だが、その厄介な相手に負ける訳にはいかない。いや、誰を相手にしてもここで果てることは許されない』

 

だというのに、敵は戦術機とBETAの二種類。達成できなければ失うものが多すぎる、過酷な任務になる。

 

緊張感の中、それぞれが準備を進めていく。タリサも自機のチェックをしている中、ふと視線を感じたような気がして前を見た。そして、直後に網膜に投影された映像に驚きを見せた。

 

『………なんのようだよ、ソ連女』

 

『私ではないイーニァが、お前に聞きたいことがあると』

 

『なんだよ………まさか、さっきタカムラに聞いたのと同じじゃねーだろうな』

 

『っ………なんでわかったの?』

 

イーニァは驚き、目を見開く。その顔には若干の敵意が含まれているが、驚愕の色の方が強い。タリサはあー、と言いながら頭をがしがしとかきながら答えた。

 

『似てんだよ。いや、全く似てないけどな。でも、何となくその行動パターンっつーか、表情には見覚えがある』

 

誰とは言わない。互いの共通認識として、挙げられる名前は一人だ。イーニァは何かを言おうとしたが、すぐに黙り込んだ。タリサへの敵意は薄れ、困惑したような表情だけが残る。タリサはそれを見て、まるでガキのようだなと内心で呟いていた。

 

『じゃ、もういいかよ。ここで揉め事はゴメンだぜ。喧嘩なら終わってからいくらでも買ってやるからよ』

 

『お前は………何故、そんなに怒っている? いや、違うな。私達に向けてのものではない』

 

『ああ、今のコレはちげーよ………お前もあの場所に居たんなら分かるだろう。コレ以上はいいたくねえ』

 

『………感情をコントロールできていないようだ。その精神状態では、戦闘に影響が出るぞ』

 

『するつもりもねーよ。どうせ、完全に感情を制御するなんてアタシにできっこねーんだから』

 

タリサは自分の指揮官適性の低さを自覚していた。他ならぬ戦術機部隊のトップからはっきりと告げられた言葉だ。ただの一流になるのは難しいと。今になって改めて自覚させられていた。

 

(………収まり? つく筈ねーだろ、こんな)

 

思い出すだけで血圧が上がるような感覚に陥る。心臓は締め付けられ、喉元まで苦しく、何もかも忘れて大声で叫びたくなる。フラッシュバックするのは、妹の死体。今回は目の前で、手が伸ばされていたのに掴むことができなかった。結末は惨劇というにも生温い。死体さえ血煙になって消えた。もう、彼女の痕跡は誰かの記憶の中にしか存在しない。衛士でないにも関わらずだ。タリサは、それがどうしても許せなかった。

 

―――この怒りがどれほどのものなのか、他人などに分かるものか。

タリサは軋むほどに強く、歯を噛み合わせながら言った。

 

『言われなくても全力でやってやるよ。幸い、任務を果たすために倒すべき奴らも、殺したい奴らも同じだからな。これが、大人の喧嘩の仕方ってやつらしいぜ?』

 

2つの目的をすりあわせて、誤魔化すものをできるだけ減らし、殴るべき相手に感情を思い切りぶつける。タリサは“感情を戦闘能力に載せることができれば超一流だ”というターラーが謳ったその理合が好きだった。真実かどうかは分かるはずもないが、目指すべき場所があるのだとわかったからだ。

 

『お前は………』

 

『分かったら、邪魔すんな。今の敵はお前らじゃねえ。アタシだって不知火・弐型に乗ってんだ、その意味を忘れるつもりはねえよ』

 

そうして通信が切られた。クリスカは何かを言い返そうとして、やめた。既にタリサ・マナンダルの眼中はテロリストに向かっている。

 

(………白銀武のことを誤魔化されたような気もするが)

 

それでも、クリスカは“分かった”ことがあった。

イーニァも、きっとそうなのだろう。押し黙ったまま、その顔色は良いとはとてもいえない色になっている。

 

周囲の人間とは、はっきりと異なっていた。流れこんでくるものを感じ取れば、その差がはっきりと分かる。そうして、信頼が集まる先には大きな輝きがあることも。

 

クリスカとイーニァの視線の先。そこにはユウヤ・ブリッジスを含めた、信頼の感情の糸がしっかりと結びついている斯衛の山吹色があった。

 

『時間だ。全機、傾聴――――全力を賭せ。目の前の敵を倒す。ただ、それだけに専念しろ』

 

XFJ計画を担う人間としては、認められない最悪を阻止し、その先にたどり着かなければならない。唯依はユウヤとタリサ、クリスカとイーニァの眼を見据えながら、告げた。

『さっさと止めて、本懐を遂げるぞ。死ぬことは許さん………全員で生きて、ここに帰ってこい!』

 

誰一人として死ぬことは認めないと、優しくも厳しい声。

凛々しい少女の発破に対して了解の唱和が鳴り響き、通信に乗って全員の耳に届いた。

 

――――山吹の中に見える光が眩しすぎると思った、クリスカ・ビャーチェノワの耳にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メリエム・ザーナーは動き始めた事態を前に、口を固く引き締めた。

司令部ビルの地下、レーダーに映る敵影は想像していた最悪を更に上回る数だった。

開発衛士の力量は高く、こちらとしては数に頼まなければ勝てないのに。

 

メリエムは不測ばかりが続く今を睨みながら、言った。

 

「これも………審判の時、か………“汝、平和を欲さば戦への備えをせよ”、とは聞かされたが」

 

メリエムが訓練を受けた時、クリストファーが告げた言葉だ。

開発衛士の逆襲は、彼らが常に戦場を忘れなかった証拠なのだろう。それは、敵手にも欲する平和があったことの証明になる。

 

(ウーズレム………貴方の死に顔は、どういうものだったの?)

 

戦死者の中に妹、メリエムの名前が記されるのは覚悟の上だった。

危険な任務で、生還できる筈もない。妹も承知はしていたが、それが現実のものになるとまた違った感情が浮かぶ。

 

――――今更、だ。

メリエムは葛藤を断ち切り、オペレーターからの報告を聞いた。

 

歓楽街に展開している部隊からのものだ。そこには、BETAに壊される全てがあった。

建物、人、悲鳴、銃声、断末魔、雄叫び。それを前に、メリエムは告げた。

 

「………同罪だ。守ってやる義務などない」

 

是正されるべきは何か。人間が生きながら天国と地獄に分別される、そのような事があってはならない。それは人としての正常であり、そうでありながらも難民に地獄を強いた政府が存在する。国とは人の集まりだ。ならば地獄を生み出す悪魔どもを前にしながら何もしなかった歓楽街の住人も、敵である国と同質の存在である。

 

「傲慢は正されなければならない。怠けて人に死を強いるのであれば、いずれ罪は自分に還ってくる。レッド・シフトはその原則を人々の記憶に刻みつける、最良の証拠になるだろう」

 

生還は絶望的であろうとも、殺されても、想いまでは消させない。

 

メリエムからヴァレンタインになった者の言葉は重く、解放戦線の戦士達の耳に届いた。喝采で部屋が埋まる。その直後、オペレーターからの報告が差し込んだ。

 

敵の陸戦部隊の展開。そして続けざまに入ってくる報告は、また予想外のものだった。

最も致命的だったのは、対テロ専門の訓練を受けた部隊に建物への侵入を許したことだ。

「………戦術機部隊は囮か! だが、どうやって陸戦部隊と………っ!」

 

メリエムは敵の申し合わせた展開を前に、ひょっとすれば通信が回復でもしたのか、と考えたが首を横に振った。攻撃されている場所を考えれば、敵の目的は推察できる。ならば、別の手段で解決したと見た方が正しい。

 

(く………分かってはいたが、不利も極まる。だけど目的を達成するまでは………っ!)

何人が死んだのか。死んでいったのは何のためか。目的を共にした同志が、命を賭けてまで訴えようとしたことがある。

 

「―――通信センターに援軍を出せ。何としてでも守りきるんだ!」

 

「しかし、こちらにも、司令部の防衛にも数が要ります!」

 

「キャンプの時のように………何かを言う前に、口を塞がれる訳にはいかないのだ!」

 

最悪は耐爆区画にでも逃げ込めば立て篭もることが可能な司令部ビルとは違う。

ヴァレンタインの一喝に、止まっていた場が再動し始める。

 

「クリストファー少佐に連絡を………くそっ、何故応答しない?!」

 

同兵種ではこちらが不利。ならばと敵の陸戦部隊、あるいはその後続を戦術機で殲滅しようと考えたヴァレンタインだが、肝心のクリストファーが通信を途絶しているのではどうしようもない。メリエムは隣に居るクリストファーの副官だという男に対し、殺意を篭めた視線で見据えた。

 

対する副官の男は、苦虫を噛み潰したような表情でクリストファーへ連絡を取るように、オペレーターへ繰り返し指示を出していた。

 

そうしている内に、時間にして120秒。経過している間に、事態は次の段階へと移り変わっていた。

 

「ヴぁ、ヴァレンタイン………味方が、あの悪魔どもに………!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撃てば当たる、とまではいかない。だが圧倒的有利な状況に、ユウヤは不可解な思いと同時に手応えを感じていた。自動操縦のF-16Cも、白銀武と一緒に戦った時とは異なり精彩を欠いている。そして、こちらの陣営は先ほどとは異なり、数も揃っていた。

 

『へっ、口ほどにもねえ………ケルプ、右だ!』

 

『誰よ昆布(ケルプ)って! ―――っ、チワワ、アンタこそ上よ!』

 

高機動下の戦闘は得意なのだろう、亦菲とタリサの二人は縦横無尽に宙域を駆けながら誘導兵器を持っている敵を優先して狙っていた。

 

数分が過ぎた頃にはBETAも混ざり始めた。テロリストも含めた二正面作戦になっていく。どちらか片方であれば、対処は簡単だ。だが武器や行動パターンが全く違う二種類の敵を相手にし続けると、状況判断も難しくなっていく。戦場においては最善の行動を最速で選び続けられることが要求されるが、状況が複雑化しすぎると途端に難易度が高くなってしまうのだ。小さなミスが死に直結するような状況にはまだなっていないが、それでもユウヤ達にのしかかる負担はBETAの増援と共に急激に高まっていった。

 

『っ、予め覚悟はしてたけど………!』

 

ユーリンの表情が僅かに歪む。他の衛士も同様だった。BETAを相手にするケースには慣れているが、戦術機を交えての巴戦など経験したことがない。ただでさえ攻撃を受けると死が同義なBETAを相手にしているのに、そこに加えて精密な誘導性を持つ自律機が相手なのだ。

 

『まるで新種のBETAだな………それも、予想より数が多い』

 

旅団規模では済まないかもしれない。

呟いたユーリンに、李が悲鳴を上げた。

 

『嘘だろ、冗談って言ってくれよ! 旅団規模ってだけでも驚きなのによぉ! 研究した奴らは何考えてたんだよ!』

 

『叫ぶな、李! 今は前に集中しろ! 愚痴を吐くのは勝利後の酒宴後までにとっておきなさい!』

 

『姐さんが良いことを言ったアル! ということで、勝利後の酒代は頼んだネ!』

 

『ちょっ!?』

 

『へっ、たまにはいいとこあんじゃねーか!』

 

『…………ありがとう』

 

『ってあんたもなの隊長?!』

 

いつも通りのやり取り、いつも通りの連携。それを取り戻した統一中華戦線の殲撃10型の長刀が煌めく。対BETA用として作られたそれは、要撃級の活動をたった一撃で停止させた。反面、隙が大きく動作の直後には色々と動きが鈍る。

動かない戦術機など、図体の大きいだけの的だ。そこにF-16Cが突撃砲で狙いを定めたが、引き金が引かれる直前に爆散した。

 

放ったのは不知火・弐型の二番機。操縦者であるタリサは、大きな声で叫んだ。

 

『へん、敵として研究した甲斐があったね。気をつけろよ、大雑把な機体なんだし』

 

『いらないお世話よ………って言いたいけど、一応礼を言っておくわ。何ならアタシに酒を奢らせてやってもいいのよ?』

 

『折半はごめんだっつーの! にしても………なんだよ、アレ』

 

タリサは少し離れた場所でエレメントを組んでいる二機を見た。不知火に、不知火・弐型――――武とユウヤだ。武が囮かつ遊撃に、かき乱した所をユウヤが絶妙なタイミングで仕留めていく。その連携戦術はまるで熟練のコンビのように淀みなくで、ケチをつけようと粗を探しても見つからないほどに精錬されていた。

 

『ずっと模擬戦を見ていた………ということではなさそうだな』

 

観察するだけで連携が取れるなら苦労はない。あれだけの連携を取るには、戦場の時間を共有し、その中で互いの戦術志向や癖に対する理解を深めていく必要があるからだ。

 

『いや、注視すべきはそこではない。ブリッジス少尉、白銀少尉!』

 

『なんだ、唯依!』

 

『戦術機の相手を優先しろ! BETAはこちらで受け持つ、F-16Cを叩きのめすことに力を注げ!』

 

『………了解! そっちもやられるんじゃねーぞ、タリサ!』

 

『誰に言ってんだ! さっさと片付けて援護に行ってやるよ!』

 

親指を立てながら、アルゴス小隊とバオフェン小隊は二手に別れた。

ユウヤと武は戦術機が固まっている所へ、突撃砲を向けながらも誘導を始める。

敵味方とBETAの位置を把握しながらコントロールするのは武の役目だった。

 

戦場では相手にしたいことをさせず、自分のしたいようにする事が定石。

かといって、複雑な情報を全て掌握した上でそれを転がすのは容易いことではない。

 

ベテランの衛士でも、通常なら経験する事のないこの状況を活用するのは無理だろう。いくら隔絶した機動力と卓越した瞬間的状況判断能力を持つ白銀武でも、不可能であった。

――――過去にこの状況を経験した事が無ければ、の話だが。

 

『不安は残るが――――』

 

ここまで来た限りは、全力でやるしかない。見た限りは、この戦いの重さを知っているが故に、動きがやや硬くなっている。

 

期待はすれども、過剰な信頼は危険か。そう判断した武は、ギアを上げることにした。

 

同時に、気づいた者が居た。本人は何も言葉にはしていないのに、察知していた。

一番近くで見ていた彼は、後ろから追いかけているユウヤは、濃密になった気配のようなものを前に、自分の肌に寒気のような感覚が走ることを止められないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、歓楽街では既に人の生死が入り乱れる修羅場になっていた。一番先に推進剤と弾薬を補給したガルムは先遣隊に、続いて合流したガルーダとの共同戦線。陣形は既に整っていたが、間断なく押し寄せてくるBETAの全てを止めきれる筈がなかった。

 

どこかで誰かが発した銃声が聞こえる。いつか聞いたような、人の絶望と悲鳴で支配される街の中。それでも、その光景を知っている人間は立ち止まらなかった。

 

『――――アルフ、クリスは陽動だ。惹きつけて、被害を減らせ』

 

『了解』

 

『分かった。マハディオはここに。残りは………前線へ浸透する。左右へ………いや、分断はするな。敵の鼻っ柱を折り続けろ』

 

グエンは分断させようとしたが、それが何を意味するのかを察して方針を変更した。

街の人間の安全を確保するためには、敵の先頭に食らいついてその進路を左右に分かつのが最善となる。だが、それでは一定時間内に撃破できる数が限られてしまう。一箇所に集中しているのであれば立ち止まっての迎撃でなんとかなるが、離れた位置に行かれると迎撃するための移動だけで時間が取られてしまう。

 

(………とはいえ、民間人の全てを守りきれる筈もない。いくらかは死ぬだろうな)

 

また、血だらけだ。呟きにはその苦渋が既知であるという、実感があった。

タンガイルの時に味あわされたものに似ている。だというのに、覆す一手が存在しない。

(繰り返さないために戦ってきたというのにな。もっと大きなものが天秤にかけられるとは)

 

全体の最善と個人の感情に折り合いがつかないどころか、相反するものになってしまう。グエン・ヴァン・カーンはそれでも、と思考を停止させず指示を飛ばし続けた。

 

『―――命と腕と誇り、全てを懸けろ。細かい注文はつけん、可能な限り多く殺せ』

 

相手が人間であれば、物騒という話ではない。だが、根底にあるのは例えBETAが相手であっても殺意そのものではなかった。事象としての打倒に固執するのではない、必要であるからと貫く決意がこめられた言葉。それを間違わなく勘違いもしない部下達は、腹の底からの声で了解と返した。

 

遠ざかっていく頼もしい背中を見届けたリーサ達は嬉しそうに口笛を吹いた。

あの時から、全く変わっていない。見た目は怖かろうが、部隊内でも1、2を争う程に優しい男。それはかつての自分たちにとっては共通認識で。戦意さえも同じか、それ以上のものを抱き続けている。

 

短くない年月が過ぎたというのにいつかの誓いを忘れていない。そんな家族のような存在に対して、全員が抑えきれない笑みを向けずにはいられなかった。

 

『そう思うよな、遅刻野郎』

 

『いや、否定はできんけど………いきなりなんだ、アーサー』

 

『分かってるだろ遅刻大将』

 

『わ、悪いとは思ってるぜリーサ。でも手加減とかないかなー、と』

 

『責めてるつもりはねーしこれでも手加減してるよ遅刻八等兵』

 

『降格し過ぎだろアルフ?!』

 

『ガネーシャちゃん泣かした野郎にゃ当然だ。お節介だろうけどよ』

 

責めるべきは一番に心配していた、かつての整備班長の片腕だ。

リーサを筆頭に、全員が色々と相談に乗った記憶がある。それを聞かされているマハディオは、当然の報いだろうなと弱い表情になりながら答えた。

 

『欠片も言い訳できねえよ。だけどそれに関しちゃ、お前らには謝らねえ』

 

『筋違いなのは分かってるが………本人に会って、泣かれたか?』

 

『―――ああ。もう二度と約束は破らねえ、って思わされるぐらいには』

 

苦笑が混じっても、後悔の念が滲み出ている声色。

それを聞いたリーサは、へんっと笑った。

 

『あと殴られて星が見えた。そういう意味でも、破らねえっていうか破れねえ。後が怖いしよ』

 

それを聞いた、クリスを含む全員が納得したように頷いた。流石はターラーの姐さんに筋が良いと褒められた逸材だと。

 

『まあ………それなら、コレ以上言うことはねーな。あとは腕の方が鈍ってないかが心配だけど――――』

 

『衛士の流儀の通りだ、機動を見て判断してくれ。だけど、伊達であの宇宙人の僚機を務め上げた訳じゃねえぜ?』

 

『言われるまでもねえ、っておちおち会話をしている暇もないな』

 

分かっていた事だけど。それを戦闘開始の合図とした5人は、既に動いていた。

気負いは皆無。さんざんに経験した戦いを前に、特別な決意など必要はなかった。

 

――――我こそは最後。最終的には2つに集約した、クラッカー中隊の隊則の一つだ。

負けた時に横たわるであろう、腸を食い散らかされた誰かの姿。それを現実のものとして知る全員が、全力を出さない理由を盾にするはずもなかった。

 

直後に現れたのは、凶猛な肉食獣。障害物の多い市街地を駆ける彼らは、BETAを屠る風として動いた。

 

最低限の備えとして、何よりも怖い電線は既に切断されている。何もかも守れるなどと、思い上がった傲慢はない。ただ今できる最善を以って、最速で人類の敵を“動かなくするため”に連携を取っていた。

 

多勢の迎撃戦には慣れていようとも、障害物の多い市街地を戦場としながらBETAを殲滅することはできるのか。ガルムとガルーダの全員が、即答できないアルゴス小隊とバオフェン小隊の二人を前に言ってのけた。

 

自分達より上手くやれる衛士は思い当たらない。そう宣言したが故に任された、もぎ取ったとも言える戦場を、自己の経験をこの上なく活用できる戦場を前にして控えめに在る理由もなかった。

 

それでも好き勝手に暴れれば街への被害が増える。5人は慎重かつ丁寧に、BETAへ致命の鉄を叩き込んでいく。遅すぎれば逃げられ、焦り過ぎれば守るべき民間人をこの手で殺すことになってしまう。

 

それだけは御免だった。外は暗く、僅かに残る街の灯火は明るい。命を表しているかのようなそれを摘み取ることは、最大の愚行である。誰とも言わない、クラッカー中隊の全員はそれが失われることの意味を深く理解していた。

 

続ければ精神に重圧がかかり、機動にも影響が出てくる。だが、基地内でも有数のベテラン達である。そんな中でも、好んで軽口を飛ばしあった。

 

『思ったよりやるじゃねえか、クラッカー8』

 

『伊達にアホと地獄でランデブーしてねえって!』

 

『へっ、ご愁傷様だ! ………いや、ほんとに』

 

『戦地でデートか、洒落てるね! でも後でユーリンに折られるなよ!』

 

『どこを!?』

 

当然のように、敗戦と殿役に慣れている5人は順調すぎる速度でBETAというBETAをレーダーの上から消去していった。

目的はBETAの殲滅。だが、それだけに集中しすぎることは危険だということも理解していた。そういった意味でも、会話は有効な戦術の一つである。

同時に、互いの状態を把握する意味もある。そうして、会話の途中でもう黙っていられないと、アーサーがただ一人顔色の冴えない者に話しかけた。

 

『リーサ………聞きたくね―けど、聞くぜ。なにか感じんのか?』

 

『何か、拙いな。それだけしか分からないが………』

 

戦況は悪くないどころか、上々と言えた。このまま行けば、歓楽街側に展開していると思われるBETAの全ては余裕をもって倒せるだろう。マハディオの腕も想定以上だった。新型の機体に関してもかなりのもので、グエンの方の戦力も期待できる。陸戦部隊が突入し、通信を回復させてまともな作戦行動が取れるようになれば、レッド・ラインの発動を防ぐことができる。状況は厳しいが、それを可能とする戦力は揃っている。

 

なのに、嫌な予感が消えないのはどういうことだろうか。リーサの勘の鋭さを知っている4人はそれぞれの反応を見せた。

 

アーサーは上空を見上げ、アルフレードは周囲を警戒し、クリスティーネは自分の装備を確認して、マハディオは跳躍ユニットに問題が無いかをチェックした。

 

――――問題は、そのどれも違う場所からやってきた。

 

リーサは武達が居る部隊に連絡を取ろうとした時だ。広範囲に散らばっているBETAの赤い点が、味方を示すマーカーが、レーダーから完全に消えたのだ。

 

同時に、通信が使えなくなった。

 

 

『………基地内データリンクが、死んだ?』

 

 

完全に近接(ローカル)しか使えなくなった現状に、マハディオは呆然と通信センターがある方角を見ることしかできなく。それ以外の3人は、小さく溜息をついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『サンダーク中尉ッ、どうなっている………!?』

 

『突入部隊も応答しねえ! まさか、失敗したのかよ………っ!』

 

テロリストとはいえ、素人に毛が生えた程度のもの。戦術機の陽動も成功どころか周囲の戦術機部隊とBETAを一掃できる所までいった。あとは通信の回復を待つだけだというのに、訪れたのは更なる通信障害という最悪の結果だった。

 

『………タリサ、レーダーの最終更新は覚えてるか?』

 

『見たよ。くそっ、こうしている間にも広がってるだろうな………100キロ以上になっている可能性も………!』

 

『制限時間も………最短なら、30分だ』

 

タリサと唯依の表情が徐々に蒼白になっていく。ユウヤは、二人よりも更に顔色が悪くなっていた。武はそれを見て、自分の見たものが間違いではないと確信した。

 

『ユウヤ―――レーダーが消える瞬間、見てたよな?』

 

『………ああ。群れの更に後方に………後続が………』

 

規模にして、約500程度。それでもこの状況にトドメを刺すには十分な数だった。

常識的に考えると、詰みだ。500を含む位置不明のBETAを制限時間内に、小型種まで掃討するというのは万が一にも起き得ない。

 

『いや、まだだ………まだ、移動して殲滅して回れば間に合うかもしれない!』

 

『無理だ、ユウヤ。広範囲に散らばり過ぎている。移動している間に、タイムオーバーになる』

 

『何言ってんだよ! 諦めるのか、唯依!』

 

『そんな訳があるか! 自棄になってどうにかなるなら………っ、冷静に戦況を見極める必要がある………何か、何か手が………!』

 

あくまで可能性を模索する唯依。

 

『ちくしょう、諦められるかよ………こんな、所で…………ナタリーの仇も討てずに………っ!』

 

タリサは俯きながら、拳を強く握りしめた。血が出る程に、唇を噛み締める。悲痛な声が通信に乗って、全員へと届く。

 

『自分は………また、何もできないのか………』

 

『唯依………俺だって同じだ』

 

中途半端なまま。ユウヤは自分を包む不知火・弐型を、未完成の機体を思うと情けなさに涙が出そうになった。もっと早く、機体を完成させられていれば。未熟な自分を殴り殺したくなる衝動に駆られ、同時に何の意味もないことを知った。

 

『みんな、死んじゃうの?』

 

『大丈夫よ、イーニァ………』

 

安心させようという声にも、いつものような張りが無い。偽りの励ましさえ、意味が無くなる状況だった。誤魔化すだけの屁理屈さえも無い、完全な行き止まりなのだ。

待っているのは、死。水爆か米軍によるものか、いずれにしても核攻撃が行われればいかなる力を使おうとも、ユーコン基地諸共に焼かれ落ちるだけなのだから。

 

絶望の深さが声に反映される。破壊が米国の中だけに収まらないと聞かされていた影響もあった。失われる人の数は何億になるだろうか、見当もつかない。それどころか、BETAにその絶望的な隙を突かれて、この星までもが。

 

『ち、くしょう…………』

 

動悸、発汗に息切れ。鼓動の音が気持ち悪く、煩く。外は既に暗く、まるで絶望の帳が降りてきたかのようだった。ユウヤも例外ではなかった。足掻こうとする気持ちは、確かに存在する。だが、絶望的な戦況がその奮起しようとする気持ちにのしかかってくるのだ。

 

(いや、まだだ………何か手がある筈だ)

 

このまま俯いてたら、それさえも見逃してしまう。ユウヤは顔を上げ、そして見た。

異常事態に、取り敢えず合流することを選択したのだろう、殲撃10型を。その中の隊長機が、不知火の正面に立っている光景を。その直後に、葉玉玲の機体が残弾を確認し始めた。

 

『何を………何をするつもりだ、シロガネ』

 

『決まってるだろ。勝ちに行くのさ』

 

何でもないように返ってきたのは、自信に満ち溢れた言葉だった。ユウヤはその姿を見て瞠目した。

 

―――シロガネタケル、18歳の少年、自分よりも年下で、凄腕の衛士。今までで一番に異常だと思った。その顔は先ほどまでと全く同じなのだ。基地で馬鹿をやっている時から一切変わっていない。夜の底の底だというのに毛ほども揺らいでいないその姿は、寒気すら感じさせるものだった。

 

『お前は………』

 

しくじれば世界の危機である。なのに、微塵も気負いがない。まるで長年の間そうした覚悟で戦ってきたように、その姿は堂に入っていた。ユウヤの中で、それは希望の光となった。胸中にある黒い絶望の中に、信じたいという気持ちが灯る。だが、信じられないという自分もまた存在していた。

 

『だけど………いや、普通に考えたら無理だろ。予めこの事態を予測できてた奴が居ない限りは………っ!』

 

至極真っ当な意見。武はそれを、蹴飛ばすように笑った。何を馬鹿いってんだ、と言いたげな。恐る恐る尋ねたのは、同じく武を見ていたタリサだった。

 

『タケル………手ぇ、あるのか』

 

『ある。けど、辛気臭い顔は止めてくれよ。それに、こっからやろうって事の危険度はさっきまでの比じゃねえぜ? 間違わなくても死んじまう。降りるならここいらが潮時だ。そっちの部隊も、ヤバいと感じたら逃げてもいいぜ』

 

挑発するような武の言葉に、真っ先に反応したのは亦菲だった。

BETAの血に染まった長刀を肩にかつぎながら、言う。

 

『ここで逃げるようなら衛士やってないわよ。いいからさっさと聞かせなさい。もっとも、臆病なチワワは違うかもしれないけどね』

 

『誰が逃げるかクソ女!! タケル、いいからさっさとその策ってやつを聞かせてくれよ!』

 

『もうちょっと待て………っと、出た』

 

そうして、少年は―――男は、雑音だらけの戦場の中で、それだけが最も正しき道標であると言いたげに告げた。

 

『ようは、散らばってるから問題なんだ。移動の時間がネックになる。ならそれを消せばいい、簡単だろ?』

 

要は、一箇所にまとめて叩けば事は済む。武の主張に、当然の如く反論が集中した。

 

『それはアタシも考えたけどよ………』

 

『マナンダル少尉と同意見だ………白銀少尉。私が知る限り、人の手でBETAの動向をコントロールできた事案はない筈だが』

 

それができればもっと楽に勝てている。人類が不利な戦況に追い込まれている要因の一つだ。武は、そうだなと頷きながら指を立てた。

 

『普通に考えれば、そうだな。でも………例えばだ。最近の話だが、BETAがある場所に殺到するような動きを見せたことがなかったか? それで誰かさんは酷い目にあいそうになった』

 

『最近………酷い目………』

 

唯依は武の視線がこちらに向けられている事を悟り。

――――まさか、と呟いた。

 

『カムチャツキー、基地の………?』

 

忘れもしない、京都以来の死地となった。開発衛士の実戦試験ということで出向いた先、その最後に起こったことは何か。気づいた面々は、一斉に目を見開いた。

 

 

『――――最後に見たBETA分布範囲、そこから最適と思われる迎撃ポイントを送る』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――最後に見たBETA分布範囲から割り出した、最適な迎撃ポイントを送る』

 

武はデータを転送しながら、高まる鼓動音を抑えこもうと必死だった。

表向きは平常。だが、武もユウヤ達ほどではないが動揺していた。一番星と名付けられた自分が、どうしてここで無様を晒せようかという意地もあった。

 

予め想定できていたということもある。電波障害が起きることは、予想されていた事態の一つだった。あちらの世界では、BETAの数はせいぜい連隊規模だったが、こちらの世界ではそれより多くなることも。

 

(でも、これは多すぎる………)

 

聞かされた紅の姉妹の切り札、それをもってしても対処できない危険性がある。長時間使えるものではなく、限度を越えれば武にとっては本末転倒な結末になってしまう。あるいは、自分が居ることによって切り札を発動しないという可能性もある。

 

そのために用意していたのだ。電磁投射砲の中にあるブラックボックスを。特殊材質の容器の中に入れておけば、電磁投射砲の時と同じようにBETAの眼を欺くことができる。国連軍の調査は、開発中の機体ではない国外の機体に関しては特に厳しい。機密の塊とも言えるものだからだ。その中に紛れ込ませることは容易だった。後は知り合いの、話が分かる整備員と協力すればこの瞬間まで発覚することは避けられる。

 

万が一の時のために、リーサ達には伝えていた。これから移動するポイントは、リーサ達が群れの側面か後背をつける位置でもある。

 

(それでも………正直、ぎりぎりだな。ていうか、いつもこんなんだな)

 

備えに備えても余裕がないという、愚痴りたくなる状況だった。悪く見積もれば、許容範囲を過ぎているかもしれない。武は内心の冷や汗をひた隠しながら、呼吸を整えていく。動揺は嫌という程に伝搬する。この厳しい戦況の最中、勝率を自分の手で下げる訳にはいかなかった。

失敗すれば自分だけではない、世界の滅亡だ。それを誰よりも深く知っている武は、ここで自分が死ぬことによって失われるものがあまりにも大きいことを認識せざるをえない。

(絶対、負けられないな。いつもの通りだけど)

 

武は苦笑しながら、8年も前に決断したことを思った。世界とは、自分を取り巻くもの。親しい人も当然含まれる。そしてあの悪夢は、武にとっての全てを奪うものだった。

 

その世界の崩壊を――――親しい家族を失う光景をまざまざと夢想させられてからは、ずっとそれに抗ってきたのだ。胃壁を削る重圧も、慣れれば順応する。極寒の地、灼熱の土地でも住めば都になるのだ。そうして、鉄火場に浸り続けてきた武はここが勝負の分かれ目だと強く確信していた。

 

出し惜しみしている場合ではなく、温存したまま死ねば笑い話にもならない。そう思った武は迷わず決断し、OSを切り替えるスイッチを入れた。

 

(―――"Cross Rabbits Operating System”、か)

 

虎の子の切り札。この開発に携わった人間は、香月夕呼以外に3人居る。

 

あちらの世界の社霞。

こちらの世界の社霞。

そして、あちらの世界のイーニァ・シェスチナだ。

 

(イーニァは、最後までクマにしてくれって主張してたけど)

 

ウサギ派の霞と無言のにらみ合いになったのは懐かしい記憶だった。先任者だからとウサギに決定した後はかなり不機嫌になり、そのとばっちりを受けたユウヤに苦労をかけたのは笑い話だ。

 

そして武は、その後に夕呼がぽつりと零した言葉も忘れてはいなかった。

 

寂しければ死んでしまう。常に特定の誰かが居なければ狂い死にしてしまうイーニァこそ、ウサギなのだけれどね、と。少女にしか見えないのに、その首にはあまりにも重い枷をつけられていた事を知った。

 

(――――ぶっ壊す)

 

クソッタレな枷を、運命を、陰謀を、何もかも。

武は改めて決意すると共に高めた戦意を形にするよう、言葉にして現した。

 

 

「XM3、起動」

 

 

そうして武は、“日本を発ってから出したことのない全力”を。

 

カムチャツキーでの試験運転ではない、本当の意味での全力を賭せる状況を前に、白銀武という名前を持つ一人の少年は、倒すべき相手の強大さに押し潰されないよう、声ならぬ咆哮を上げながら決意に意識を燃やし始めた。

 

 


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