Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
2001年9月20日、ユーコン陸軍基地の近傍にあるリルフォート。
空気もさわやかな朝の空気の中、ナタリー・デュクレールは自分がバイトしている店にやって来ていた配達員の運転手と会話を交わしていた。
「おはようございます。今日は、オーロラが見られそうですね」
「………そうね。何色になるのかしら」
「赤だと思いますよ」
「―――そう」
その言葉を噛みしめるように、ナタリーは目を閉じた。腰に当てた手が震えている。
運転手はそれを見逃さず。さりとて何のアクションもせずに、車に乗って走り去っていった。
同日、ユーコン基地の統合司令部の中。
プロミネンス計画の中心人物であるクラウス・ハルトウィック中佐は大きな溜息をついていた。
「………お疲れのようですね」
「ああ、リント君か。ありがとう」
クラウスはコーヒーが入ったカップを受け取り、ゆっくりと一口だけを飲んだ。
合成された紛い物ではない、天然物である豆から抽出されたそれは豊かな香りをもってクラウスの心中を少しだが穏やかにすることに成功した。
そうして、一息ついたクラウスに、秘書官であるレベッカ・リントが尋ねた。
先程の会議の件ですか、と。
「ああ、そうだ。面白い、と言えば面白い見世物だったのだがね」
会議が終わり、部屋に戻ってしばらくしてからクラウスが出した結論だった。
内容の高度さはさておくとしても、予算の問題から、相互評価試験であるブルーフラッグの意義を問う所まで、全てが正反対であったのだ。
クラウスは、過去に開発に携わった、その時の先任の言葉を思い出していた。
設計者の負担が大きいのではないか、という疑問に対しての回答だったのだ。
脚部と上半身を設計する者の意思疎通がとれていなければ、開発など上手くいく筈がないと。
「それは………現実的にBETAの危機に晒されている国と、そうではない方々の事でしょうか」
クラウスは頷き、口には出さないが内心で捕捉していた。米国の犬を気取る者達にとっては、ケチをつけるのが仕事なのかもしれんがね。と。
レベッカも、敬愛する上官が考えている事を察していた。
先の会議に出席した人物の中で、米国寄りである者は南米に、カナダに、オーストラリアと少なくない。
彼らの立場も理解しているが故に、予想出来ていたことだ。だが、その意見を封殺するというのも現実的ではなかった。
プロミネンス計画は大きなプロジェクトで、その全てが上手くいくことなどあり得ないのだ。
ブルーフラッグにしても、成功の目算は高いであろうが、逆効果になる可能性も無いとは言い切れない。
故にケチをつけようという意志を持っている者達からすれば、様々な反対意見を出すことができるのだった。
「そうだな。その米国を祖国に持つプレンストン准将は、体調が優れない様子だったが」
「………先の模擬戦の結果ですか。正直、今でも信じられません」
「私もだよ。だが………やってくれた。本人たちは二度とやりたくない、とも言っていたがね。同じ条件で2回めをやれば、一方的に蹂躙されるとも」
フランツ・シャルヴェの言葉を思い出していた。あの模擬戦だけがチャンスだったと。
クラウスは、その時の彼の顔が10は老けて見えたことを思い出し、苦笑した。
可能であれば、と思いながらも半ば諦めていたのだ。ブルーフラッグをやる以上は、F-22の模擬戦結果次第で各国の将校から問題の指摘が飛んでくることは覚悟していた。
膨大な予算を元に作り上げた機体が、ラプターに触れることもできない。ならば、この計画の意味はなんであるのかと。
そういった方向での反対意見は、第一世代機の改修機であるトーネードADVによるラプターの二機撃破という結果で封殺された。
「副次効果もあるようです。特に東欧社会主義同盟のグラーブスの士気が向上しているようです。また、米国側と思われる各国の開発部隊も………」
クラウスは報告を受けながらも、驚いてはいなかった。
開発の経緯に関しては国家の政治的な意見が反映されようが、開発に直接携わる者達の中には、そのような意図を無視する者が多い。
実戦とはまた異なるが、彼らも命がけなのだ。開発衛士としては、失敗すれば名誉と、最悪の場合は命をも失う。
設計、整備に携わる者達も同様だ。物を作るという事に誇りを持っている人間からすれば、プロミネンス計画といった世界規模の一大プロジェクトなど、夢の舞台と表しても過言ではなかった。
「将官達の中には、あのような邪道をと扱き下ろす意見も多かったがね」
「それは………正しくはありませんが、間違ってもいないと思われます」
「手厳しいな、リント君。全面的に否定はできないが」
指摘されたのは、あの突拍子もない機動のことだった。
戦術機の性能ではなく、衛士の腕によるもの――――それも並の衛士では出来ないであろうアクロバティックな機動を用いるなど、戦術機の性能を相互評価するこの試験の主旨を忘れているのではないか、という意見だ。
表に飾り付けられたお題目を考えれば、的外れでもない意見だろう。だが、裏の意図を考えれば間違っていると答えざるをえない。
勝敗が影響するものの大きさもそうだが、他者と競い合うことによって生まれるモチベーションの向上や、開発における視野を広げることなど。
そういった面で言えば、先の一戦は実入りが大きいものだったと、クラウスは満足気な表情を浮かべていた。
だが、気にかかる発言もあった。ソビエト連邦軍のバジリィ・アターエフ大佐が言った内容に関してだ。
無敵と呼ばれるラプターと言えど人間の操るもの。そして今回のような辛勝ではなく完全に敗北する事もある、と。
まるでイーダル試験小隊がそれを成すと、そう言ってのけるだけの自信がある事を思わせる言葉だった。
アメリカも、今回の件で完全にではないが面子を潰された形になる。プレンストン准将がどういった動向を示すのかは、注意すべきだろう。
そうクラウスが悩んでいる時だった。
秘書官の叫び声。同時に現れたのは、武装した軍警察だった。
告げられた内容は2つ。
10分前に司令部棟正門でジョージ・プレンストン准将が狙撃されたこと。
そして、指揮を取れなくなったプレンストン准将からクラウスに指揮権が譲渡されたその後だった。
―――クラウス・ハルトウィックこそが今回の狙撃事件の黒幕である可能性が上がっていると。
拘束の意志が固い憲兵軍の、名前をマイク・フォードという少佐の言葉に、クラウスは額に青筋が立つ程の憤怒を感じていたが、掌の中に爪を立てて耐えた。
そして、謂れのない嫌疑をかけられたことに憤りを見せるも、屈強な軍警察に囲まれ不安になっているレベッカを横目に、マイクに告げた。
「女性を手荒に扱うのは感心しない。そう思っているのだが?」
「同感であります。犯罪者ではなく、何の反抗もしなければ、と言葉の頭に付く女性であれば」
クラウスはマイクの言葉に頷くと、リントの方を見た。
不安に震える華奢な体躯、その肩にそっと手を起き、言う。
「心配は不要だ………後のことは頼む」
――――ハルトウィックが拘束される20分前。
ユーコン基地の警備を任ぜられている部隊の、哨戒待機格納庫内にある衛士待機室は血の海に染まっていた。
歓楽街での夜の盛りを笑いながら話し合っていた者達は、今は物言わぬ肉塊になっていた。
新任の衛士に、北米でBETAを気にするな、肩の力を抜けと告げた衛士は、全身を脱力させて床に横たわっている。
緊張感という言葉が不在の一室に入ってきた、彼らが本来相手すべき敵――――人間に撃ち殺されたからだ。
作業ツナギを着て、基地の人間に偽装した上での襲撃に、警備衛士達は成すすべなく皆殺しにされていた。
生き残っているのは下手人と、新任衛士の二人だけ。その片割れである女性衛士は、下手人から受け取った銃を手に、もう一方の男性衛士に向かい合っていた。
「さっき、面白い事を言っていたわね。それに………改めて聞かせてもらおうか。少尉は何故、
面白いこと、とは男性少尉が警備の衛士達に漏らしていた悪態のことだ。
彼は衣食住が完全に保障されている上にBETAが居る大陸と地続きではないここはぬるま湯で天国だ、と忌々しげに吐き捨てていた。
「言った、だろうが………家族はみんな死んだ。キャンプで餓死した………暴動に巻き込まれて………踏まれて………徴兵されて………BETAに………」
男性衛士は、穴が開いた自分の腹を押さえながら、息絶え絶えに答えた。
「物資供給を近くの部隊が掠め取っていたから、とも言っていたな。前線の部隊でもその被害が出ているのに、難民キャンプなんて推して知るべしとも」
まるでRLFの言葉のようであり、だが彼は警備兵としてこの基地に配属された。
その理由を問う女性衛士に、男性衛士は嘲笑とともに答えた。
「解放………どこに………? 考えれば、分かるだろうが………」
――――RLFの糞ったれどもが。
吐き捨てた男は、更に罵倒を重ねた。
「壊す、しか、できない………そんなお前たち、なんぞに…………」
最後の言葉は銃弾に遮られた。
そうして、女性衛士――――ジゼル・アジャーニは、警備衛士の眉間に穴を開けた者達に向かって告げた。
「全て眉間を一発………見事なものね。そして、この次は?」
問われた男は、新しい指示書だとジゼルに封筒を手渡した。
ジゼルは監視カメラがある事を気にかけていたが、そのシステムでさえ潜入工作員によって処置されていることを知ると、指示書を読んだ。
「………了解した。敵が我々の動きに気づいた時には、もう手遅れになっている、か。流石はあのお方が立てた作戦だ。それで、リーダーは?」
「戦術機の手筈も整っている。実弾を持っている国連警備部隊の始末は終わったが、米ソ哨戒部隊の方は手を出せない。奴らが動く前にやるべき事をやらなければな」
リーダーと呼ばれた男は作業ツナギから手早く着替えながら、作戦を説明していった。
「こいつらが使っていたF-16だが、自立随伴モードで全機連れて行くぞ。一部は別働隊と合流させる」
「了解。それで………"あちら"の方は?」
「ナタリー・デュクレールか。詳細は聞いていないが、少佐が言っていたよ――――心配はないと。あるいはそれすらも利用するか」
「それを聞いて安心した。不安要素はこれで全て消えた、か………いや例え不測の事態があったとしても問題はない。反抗の芽となる各部隊へも、仕込みは済んでいるからな」
その場に居る全員の視線が交錯する。その瞳の中には、炎のように立ち上った熱い決意が煮えたぎっていた。
不純物など無いと自負するような、一方的な炎熱を胸に、リーダーの男が告げた。
「生死は問わん。主の御名の元に、それぞれに課せられた役割を果たせ。命を惜しんでは、現し世は正せんぞ。今、我等が進む場所こそが、苦しめられている子等を救う唯一の道である」
「――――神の御加護を」
更に遡ること、10分前。アルゴス小隊とバオフェン小隊の面々は、XFJ計画のハンガーの中に居た。
ブルーフラッグではない、ただの模擬戦が終わった後に、強化服のまま話し込んでいた。
「と、いうわけで今晩はアルゴスの奢りね。店選びは任せるわ、あんた達のセンスに期待してる」
「と、いうことで頼んだぞユウヤ」
「ちょっと待てシロー! つーか、なんで俺なんだよ!?」
「適材適所だって。俺はリルフォートにはあまり行ってねえし」
「ちなみに私は和食のある店に行ってみたい」
「葉大尉は相変わらずマイペースっていうか空気読まないアルな………」
「だがそれがいい」
「胸を見ながら言ってんじゃないわよ、下劣リー」
「誰がだ。ていうか語呂いいなおい。だが、胸なし昆布に言われてもなんとも思わないな」
「………久々に躾が必要かしら、ヘタレ男?」
ぎゃーぎゃーと言い合う、一部を除いてだが20歳前後の軍人達。
それを見ていた唯依は、疲労の色が濃い声で小さく呟いた。
「はあ………少し、はしゃぎ過ぎでは?」
「あー確かに見てらんないけど、大丈夫だって。疲れた後なら力を抜くことも必要だし」
むしろタカムラの方も休憩が必要だ、とのタリサの言葉に横で聞いていたステラも同意し、ヴィンセントも頷いた。
「一理ある。だが、私は充分に休んでいるぞ?」
「今にも立ちながら居眠りしそうな顔で何言ってんだよ」
ちょっと無防備になってんだよ、とはタリサも言わなかった。
いつもの硬い態度とは異なり、隙が見えるのも悪影響を及ぼしていた。
同性から見てもスタイルが良いと言える18歳の、無防備な表情。仕事に精力を全て費やしている男ならばともかく、やや余裕のある若い整備兵には目の毒であった。
「タカムラは無理し過ぎだって。ユウヤもそう思うだろ?」
急に話を振られたユウヤだが、その言葉と唯依の顔色を見て察し、即座に答えた。
「そうだな。ていうか、そんな表情されると毒気抜かれんだよ………それだけ全力を注ぎ込んもらえるって分かるから有り難いけどよ。身体壊したら元も子もないぜ?」
「ユウヤの言う通り、休息も仕事ですよ中尉。俺的にはぶっ倒れるまでオーバーワークに気付かなかった昔の誰かさんを思い出しますけどねー」
「てめっ、ヴィンセント!」
「相っ変わらず相思相愛だねー、お二人サン。それに………悪い提案じゃないでしょ、篁中尉。インフィニティーズ戦に向けての
「借りは早めに返しとくに限るよねー。VGはただサボりたいだけかもしんねーけど」
「言ってろ、チョビ。でも、あちらさんも借りだと思ってるかもしれねーしよ?」
「ああ、リベンジを受けてくれた、って解釈か。でも決着はつかなかったけどな」
「仕留め損ねたわ………ほんっと、嫌になるぐらいしぶといわね」
亦菲が悪態を零した。
アルゴスとバオフェンは小隊指揮官である呉大尉が居ない内に、対インフィニティーズを想定しての模擬戦を行っていた。
結果は、引き分け。互いに小破はあれども、撃墜は無しという無難な終わり方をしていた。
発端は、簡単だった。ガルムとインフィニティーズの模擬戦を見た開発衛士達が、じっとしていられなくなったのだ。
ラプターの撃墜という結果も影響しているが、それ以上にあの模擬戦のさなかに両者が見せた技量に対し、思う所があったからである。
虚飾を取り払えば、"負けていられるか"という言葉だけに要約されるのだが。
その中で唯依だけは、ガルム小隊の衛士ではなく、彼らが改良中という機体の方に着目していた。
(ドゥーマの時とは違ったな。目に見える程ではないが、改良されている。無理な機動をしても、運動能力のロスが少ないように見えた………あの短時間で仕上げてきたのか)
劇的な変化はない。だがトーネードADVの総合性能は、少しだが上がっているように見えた。
ガルム小隊が任せられているのは再評価試験なので、本来ならば機体を改造するのは許可されていないはずだが。
唯依はそう思うと同時に、反対の意見もあると思っていた。改良できる余地があるのにしないのは、技術者としてはあり得ないだろうと。
(相応の結果は見せたこともある………まさかの
ガルム小隊の面々、彼らの派閥は知らないが、これで相当に発言力を稼げたはずであった。東南アジアでの活躍とは異なる、別の形での信頼を得たことは推測できた。
欧州は日本とはまた違った方向で米国嫌いが多い。ガルムはあの一戦でその武威を示したことで、米国嫌いか、あるいはそれ寄りの派閥の人間が擁する価値のある存在になったのだ。
負けていられない。改めて気合を入れた唯依は、顔を上げた。
きっとユウヤや、触発された他の皆も同じだろうと。だが、待っていたのは現実だった。
「つーかちょくちょくこっち来るよなお前」
「一応交流はあるしね。そっちの怪しいグラサン野郎も、アドバイスだけは的確だし。それに、見たところ生身での白兵戦の心得もあるみたいだけど?」
「修めたなんて間違っても言えないけど、教わった技術はあるぞ。近接格闘戦をやるなら必須の技能だしな」
武の指摘したことは単純だった。対BETAならともかく、対応力の高い人間を相手にするならば、近接格闘戦でも戦術に幅と決め手を持たせろということだ。
武の持論で、クラッカー中隊の皆が同意し、記憶の中にある斯衛軍衛士も同意を示していた戦術方針である。
衛士が強くなるのに訓練と経験は前提条件として必要なものではあるが、更に高みを目指すのならば自分なりの
「ふうん………そういうアンタはそれ持ってるわけ? 白兵戦の心得もそれに繋がるのかしら」
「黙秘だ。白兵戦の心得に関しては、一応だがある。特定の流派は修めてないけどな」
「相当やる、ってのがウチの隊長の意見だけど?」
「光栄だな。でも………単純な白兵なら俺より上の奴なんていくらでもいる。特定の訓練を受けた奴とか、幼少の頃から見込まれて育て上げられた人間とかな」
例えば、と武は言おうとしてやめた。そこに亦菲が食い下がるように言う。
「なによ、中途半端ね。ていうかあんた、いつまでその格好やってるの? すっっっっっっごく胡散臭いんだけど」
「煩い黙れ。一週間、語尾に『ヤンス』をつける罰ゲームから救ってやった恩を忘れたか」
ちなみに葉大尉の提案だった。英語の後にヤンスはシュールだ、というのが武の正直な感想だった。
亦菲はその時の事を思い出し、一瞬硬直したが、気を取り直すといつもの調子で言った。
「………私、いい女だから。過去には縛られないのが自慢なの」
「過去には縛られないでヤンスってか? その割にはユウヤに負けたこと根に持ってるようだけどな」
「だまりなさい、チワワ。リーと一緒に躾られたいの? いい声で鳴かせて上げるわよ」
「うっせーよ怪力女。そっちこそその昆布巻きを噛みちぎられないように気をつけるんだね」
「………お父様、叔父様、これが少尉と中尉の会話なのでしょうか」
やる気はあるような、無いような。
それでも唯依は階級という単語がどこかに蒸発してしまった会話に、盛大な溜息をついた、そして。
「………ん?」
微かに物音が。一人だけやや離れた位置で騒ぎに参加していなかった唯依は、ふとハンガーの入り口に振り返り、そこで見た。
身体を隠し、覗きこむようにこちらを見ているクリスカの姿を。
まさかそこに居るとは思わなかった唯依は、ひうっ、という可愛い悲鳴を零した。
その声に騒いでいた全員が振り返り、唯依とクリスカの姿を見た。
「………ソ連の座敷わらしは銀髪なんだなぁ」
「そのザシキワラシってのが何かは知らねえが、多分間違ってるだろ。ったく、何のようだよクリスカ」
そう言いながら歩み寄っていくユウヤ。だが、亦菲がユウヤを呼び止めた。
「ちょっと待ちなさい。アンタ達はまだブルーフラッグでの対戦が終わってないから拙いでしょ」
「そうだよなあ。第一、東側の人間がなんで西側の格納庫に居るんだよ。軍偵か?」
統一中華戦線のリーの言葉に、クリスカは私を侮辱するつもりかと怒りの感情を見せた。
だが、亦菲の言葉は正論であり、間違ってはいないので、それ以上の反論が出来なかった。
見かねた武が何かを言おうと一歩踏み出すが、それを見たクリスカが急いで後ずさる。
それなりに接してきた相手が初めて見せた、怯えるような反応。
女性陣の目が一斉に冷えたものになった。
「………なにしでかしたのかしら、このグラサン野郎は」
「不潔です、かざ………いや、小碓少尉」
「手が早いわねえ」
「あいやー、やるアルね。黒いグラサンの裏でまさかそんな事をしていたとは、流石の私も見抜けなかったアルよ」
「ていうか、ちょっと、おい………まさか、お前………」
「うん………銀髪だし、まさか………違うとは思うけど………」
「ば、馬鹿、違うっての。いや違うんです、タリサ、葉大尉」
ていうかはっきり言葉にしてないのに何で意思疎通ができてんだ、と武は焦る。
それを見たユウヤは、女性陣が一瞬で敵性体に対しての認識を共有し、一斉に口撃を仕掛けてきたことに恐怖を抱いていた。初めて見る光景だが、集まった女はおっかねえ、と。
だが、そうもしていられないとクリスカに向き直る。だが、亦菲に指摘された通り、今はこうして会話をすることはあまりよろしくない事である。
どうすべきか迷っていた所に、唯依が言葉を割りこませた。
「構わないぞ、ブリッジス。ビャーチェノワ少尉には聞きたいことがあったしな」
「聞きたいこと………ってもしかして」
「ブルーフラッグの件だ。ステルスへの対策をどうするか………意見が多いに越したことはない。インフィニティーズに負けないためには、多少はな」
――――レオン・クゼに勝ちたいのだろう、とは言葉の裏に含める程度。
ユウヤは唯依の気遣いを察し、内心で頭を下げた。
喧嘩の現場に居た亦菲もそれを察して、仕方ないわね、と言葉を付け足した。
「ていうか、やっぱり容赦はしないのね。今はあちらさんは落ち込んでると思うけど、慰めに行かなくていいのかしら」
「………今の俺は不知火・弐型のテスト・パイロットだ。それに、シャロンも今は俺の顔を見たくない筈だ」
ユウヤは思う。亦菲のようにキツくもないが、弱音を吐くのが嫌いな女だった。
少ない時間であるが、付き合った時間で分かることもある。ユウヤは、今の自分が顔を見せても逆効果になると考えていた。
「レオンの野郎は、なんだかんだ言って撃墜されなかったからな………まあ、感謝してるぜ。野郎を墜とすのは俺だって思ってたからよ」
「まあ、ハードルが上がったよなー。第二世代機相当で2機撃墜なら、3.5世代機を自負する弐型じゃ完勝する以外に目立てる芽はないし?」
「ふん、言うわね………って、そうか」
亦菲は納得したようにクリスカを見た。
「………私も、紅の姉妹がどういった対策を立てているのかも気になるしね。それに、リー。こんな堂々とした密偵が居るわけないでしょ? かなり目立つし。それで、イーダル小隊はどんな対策を立てているのかしら」
「特にはない。強いて言えば、シフ中尉と同じだ。先に発見されて死角から襲われようが、回避して反撃するだけだ」
「成程、それは名案ね――――って納得するとでも思ってんのかしら!?」
「昆布の言う通りだね。っていうか、実戦経験はあんま無いんだろ? 勘頼りもなにも、経験薄いアンタ達がアレできる訳ないじゃん」
「いや、経験積んでもアレはちょっと………」
ヴァレリオの突っ込みに、一同は深く納得した。
「ああ、最初の撃墜の後のも、なあ」
「インフィニティーズは、見事だった………完全に不意を打ってた。なのに、まるで完全に予測していたみたいに………2機目もだ。相手の動揺につけ込むってのはセオリーだけど」
ガルムが2機目を撃墜した時の話だ。フランツが逆立ちでの曲芸射撃で死角から強襲をかけようとしたシャロン機と相討ちになった後のこと。
直後に模擬戦場内に駆け巡った情報に、インフィニティーズの残りの一人が僅かに意識を取られた時に、それを読んでいたリーサが仕掛けたのだ。
リーサの能力というか特技、その詳細を知る二人は内心で頷いていた。
(相っ変わらず呼吸を盗むの上手いよなぁ。本人曰く、経験に裏付けられた勘らしいけど。まあ、前衛組の呼吸を読んで、やばい時は的確にフォロー入れてくれてたから俺たちも今生きてるんだけど)
(変わってない、突撃前衛の片割れ………敵全体の動きを眺めて、意識しているポイントを観察して。拙いと判断したら迷わず。そして、僅かな動揺があればそこに全力を注ぎ込む。本人は漁生活で鍛えた、って言ってたけど)
撃墜されたのはガイロス機だった。その後リーサは、すかさず仕掛けてきたキース機に撃墜された。
その時に苦し紛れの反撃を繰り出し、隊長機の片腕を持っていったのだが。
(………というか、ユーリン)
(うん、空気が変わってるね。きな臭い。気づいてるのは………ブレーメル少尉ぐらい? はっきりは分かってないようだけど、ハンガーの外を見てる)
視線だけで会話を交わす二人。それを余所に、クリスカの話は続いていた。
「それで、アンタはアレと同じことが出来るって?」
「そうだ」
「………ビャーチェノワ少尉。疑うわけではないが、ソ連はステルス対策をしていないのか?」
「ああ、特にはしていない。演習の記録は見ているがな」
ブルーフラッグに挑む衛士には当たり前のことで、最低限のレベルでしかないことを、クリスカは迷いなく答えた。
それを見た面々は、嘘を言っているようには見えず、ソ連嫌いのステラでさえ呆れを見せていた。
――――その時だった。
ヴィンセントが皆に背中を見せながら、通信があったインカムを手に持ち、話し始めたのは。
「ローウェル軍曹です………ドゥール中尉? すみません、雑音が酷くて」
ドゥールからの、格納庫への内線ではない、ヴィンセントに向けての直接通信。
そんな事は今までになく、通常の内容ではあり得ない。事情を察したユウヤが緊張感に構え、それを見た亦菲も何事かとヴィンセントの方を見た。
唯依はすでにインカムを装着していた。
「はあ、本当ですか!? ………くそっ、雑音が酷い………駄目だ、切れた!」
「こちらもだ。ローウェル軍曹、中尉はなんと?」
ヴィンセントに視線が集まる。その中で、ヴィンセントは唯依の方を見ながら告げた。
「―――全機、臨戦待機。以降、アルゴス小隊は篁中尉の指揮に従えとのことです」
「なんだって!?」
臨戦、とはどう考えても穏やかではない。そしてユウヤは、通信が切れた事と、その裏にある背景に気づいた。
BETAではあり得ない、素人でも出来ない可能性を。
「通信、妨害………組織だった行動かよ!?」
「………いつぞやのカムチャッカを思い出すな、だが」
ユーリンはクリスカの方を見て、違うか、と考えた。
その理由は2つ。どう見ても嘘をつけなさそうな性格をしているのと、その顔が不安な気持ちに塗れていたからだ。
「テロ………か? いや、だがこのユーコン基地にか――――っ、誰だ!」
物音に気づいたヴィンセントがハンガーの入り口を見る。
そこには基地内で作業をする民間人だけに配られている、作業着のツナギを身に纏った女性が居た。
そして、ヴィンセント達はその女性の顔をよく知っていた。
「………ナタリー!?」
「………タリサ」
ナタリー・デュクレールの半生はどうであったか。自問自答をしてもどうであろうか。取り立てて珍しいものはなかったと、彼女は解答を得ていた。
どうしたって当たり前のことだ。両親を失うことも、決して幸せではない世界を生きてきたことも、よくある話だった。
この時世に生まれた人間の8割が、口の中に広がる苦味を噛み締めながらも我慢して生きている。
だが、優しくないこの世界の中で。諦め、目を逸らしながら自分なりの妥協点を見つけなければ早死にする以外ない世の中でも、ナタリーはどうしても納得がいかないことがあって、その思いを捨てきれてはいなかった。
難民解放戦線の人間に出会ったのは、ちょうどそんな時であった。
(欲しかったのかもしれない。このどうしようもない感情をぶつけられる標的が)
にくかった。妹を失ったこと。よくある話だ。運が悪かったね。慰めの言葉、的外れではない。
それでもただ、憎かった。何が悪いのか、自分が悪かったのか、あるいは。
その答えが欲しかったのかもしれない。それは、冷静になってから気づいたことだったが。
気付かされたのは、年下の青年衛士から最前線の嘘偽りのない状況を聞いた時か。
あるいは、その前か。酔っていたのだろう、零れ出た本音。姉を失い、妹を失い、たったひとり残った弟の未来を失わせなくないと。
(………生きていた。戦っていた。言葉にすれば単純なことだった、けど)
死にたくないのは当たり前だ。ならば、その具現である死神を前に人は何を思うのか。
惨たらしく、あってはならないような死に方で顔を消していく同僚達。それを目の当たりにしながら、立ち向かう者達はなんなのだろうか。
綺麗事ばかりではないのだろう。難民解放戦線の人間から聞かされたとおりに、食料をちょろまかす部隊もあるのだろう。
だが、それは何のためにだろうか。夢見がちな乙女でもないナタリーは、その全てが良い方向に活かされているなど信じていなかった。
だが、だけど、それでも。難民を守ることのできる盾は、それを可能とする戦力は。
全ては恣意的に。聞かされた話は、誘導されていたのではないか。
疑問を抱いてから、理解するまでは早かった。情報は散りばめられたいた。ただ、都合のいいように考えなかっただけで。
それに、何よりも――――地獄のような瞳を。
その奥に何人もの死人を幻視させるような、アルフレードという男の顔をみた後は。
自分と同じように、苦境にありながらもそれから目を背けていない衛士達を姿を見て、聞かされてからは。
(………分からなかった。どうしたらいいのか、なんて分からなかった。でも、このままじゃ駄目なのは分かってる)
ナタリーは明確な答えを持っていなかった。未だに正答は得ていないことを自覚していた。
ただ、このままでは妹が笑ってくれない気がしていた。不甲斐ない姉でも、日々元気に励ましてくれた、あの妹が笑ってくれない。
決行に至るのは、それで充分だった。
故に、ナタリーは一歩を踏み出した。
辿々しくも、迫り来る脅威をタリサに伝えて――――
「それは、本当か?」
リルフォートでも見たことがない、銀色の髪。視認したと同時に、ナタリー・デュクレールは死んだ。
ガチン、という音。それは雑音の多いハンガーの中にあっても、よく通る音であった。
上下の歯が噛み合わさる音。直視した途端に、走りだす影があった。
――――犠牲になった奴が居るんだ、と。武は、今横に居るユウヤとは違う、別のユウヤが零したその言葉をずっと覚えていた。命をかけて何かを伝えようとしたが、テロリストに後頭部を撃たれて死んだ、リルフォートでの苦い思い出の顔の一つであったと。
武から見たユウヤは、悔やんでいたように思う。人間がこぼれ出るその全てを拾えるはずもない。
だけど、と武は種を蒔いていた。可能な限り、許される範囲でその彼女が助かる術を考えていた。
本末転倒になるが故に、最低限ではあるが、忘れてはいなかった。故に彼女が武器を帯びずに、単独でハンガーを訪れた時は喜んでいたのだ。
数瞬前、彼女の口が、歯が閉じ降ろされる直前までは。
武は、その様子を知っていた。遠い記憶の中で、同じ動作をした者を見ていた。
それは、撃鉄の音だ。仕掛けられた、作為的な、冒涜という単語が似合うこれ以上ない起爆剤だった。
――――武の脳裏によぎったのは、岡山での男性衛士。丸亀が故郷だと語った、その後に豹変した。
故に、武は最期の一歩は躊躇わなかった。鋭く早い短距離の前方跳躍、その反作用を活かしながら軸足を媒介に回転し、もう片方の足に全ての応力を集中させた。
お手本のような横やや下方からの後ろ回し蹴りが、ナタリーの腹に突き刺さる。
休む暇があればこそ、徹底的に鍛えあげられた武の肉体から繰り出されたそれは、ただでさえ致死量の威力を含めている。
軍人でもない彼女に耐えられるはずもなく、長身ながらも筋肉の無い女性の体躯が後ろに飛んだ。
その衝撃は容赦なく、ナタリーの身体はまるで冗談のように宙を舞い、地面に落ちた後も勢いは止まらず、ハンガーの外にまで転がっていった。
どうして、何故、といった非難と、怒りの視線が集中する。
それを聞いている暇も、余裕もない。
目の前には、立ち上がり――――その両目を、真っ赤に染めた女性の姿があった。
武はそれを視認すると同時、出来る限りの大声で叫んだ。
「っ、全員伏せろぉぉぉおおおっっっっっ!!!」
――――直後に武は、助けてという泣き声が聞こえたような気がして。
二秒の後、ナタリー・デュクレールは炎と共に身体の内側よりその全身を爆散させ、血煙の中に骨肉を散らせていった。