Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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10.5話 : Cracker Girls_

◯リーサ・イアリ・シフ◯

 

あれは、2度目のハイヴ攻略作戦から2週間後の事だったか。気候の変動による影響か、日中だけ妙に暑くなる。その日がそうだった。その日はちょうど他の部隊がシミュレーターや演習場を使っていた。戦術機の訓練ができないというわけだ。必然的に基礎訓練のみとなる。ランニングに筋トレに、ナイフを使った近接格闘の模擬戦。その、最初のランニングが終わって、あまりの暑さに水浴びをしてから次の筋トレに挑もうとした時だ。何か、視線を感じた。見れば、男3人衆がこちらを凝視している。

 

「あー………」

 

自分の服装を見て原因が分かった。短パン、白のタンクトップで水をかぶれば、まあ――――とある部分が透けて見えるってこと。三人共、その姿に目を奪われているようだ。というか武はともかく、他の二人ちょっと待て。前線に性差はあまり関係ないので、こういったことは頻繁にあるはず。数年も前線にいれば、耐性もつき慣れるだろうに。

 

(いや、違うのか?)

 

慣れるものだが………まあ、こうしてみれば極端な反応を返してしまうのは男の悲しい性であるってことか。挙動不審になりつつも、主に一部をガン見する三人。それがどこかなど、言うまでもないだろう。かなり一生懸命に見ている。

 

―――そのせいか、背後の気配に気づいていない。

 

「何を、している?」

 

地を這うような声が入り込み、場の空気が変わる。正しく、天国から地獄。桃色から、黒色。その変化を促した人物が、一歩前に出た。声の主を知覚した三人は、全員がその顔を青くしていた。

 

「まーまー、落ち着いて副隊長殿」

 

軍人とはいえど男はこういうもんだ。そういえば故郷の男共も同じだった。武に関してはまだ子供でルーキーだから仕方ないかもしれない。それはおいといて、最前線の基地だし、暑いんだからこういったこともある。説明して赤鬼になった副隊長をクールダウンさせようとする。

 

だが、焼け石となっている副隊長に効果はなかった。

 

「そうか、そんなに元気があり余っているか………」

 

湯気が。湯気と角が見えるような。どうやらアタシの言葉なんか聞いちゃいねえ。見れば、みょーに顔が赤い。そういえば前に武から、「ターラー教官は不意打ちに弱いみたい」って聞いたか。あの時は戦術機のことだと思っていたが、どうやら別の意味だったようだ。初対面でアルフの馬鹿の言葉に顔を赤らめていたのはそのせいだろう。

 

で、そんな事を考えている内に、男3人が宙に舞った。

 

その拳速は、まるで閃光だった。合計五発の拳が一呼吸の間に放たれ、バカ男共の頭部に吸い込まれていった。一発は武とアルフ。残りの三発はラーマ隊長。

 

この一撃について後で武とアルフに感想を聞いたが、ちょっと星が見えたらしい。

 

ラーマ大尉は左右のテンプルと人中に惨劇(誤字にあらず)を入れられたと聞いた。曰く、あの空の向こう側が見えたらしい。そうやってあの世へと旅立とうとしている、もとい気を失って痙攣しているラーマ隊長に、真っ赤な顔をして説教しているターラーが実にシュールだった。

 

で、ようやく覚醒した隊長がターラー鬼副隊長に耳を引っ張られて去っていった後。まだ生きている男二人は仰向けに寝ころび、空を見上げていた。殴られた頭を無茶苦茶痛そうに抱えていたが、二人ともとても満足した顔を浮かべている。

 

「仕方ないな」

 

「ああ、仕方ないですね」

 

いつの間にか分かりあっている二人。最初はアルも距離を置いていたはずなのに、いつのまにかそんな関係になっている。

 

(これもこいつの魅力か)

 

普通の部隊の場合、同じ衛士でも打ち解けるのに時間がかかる。互いに距離を測りあい、軽口を交わしながら互いの本音や触れてはならないラインを見極め、付き合っていくもの。衛士となる年齢は18程度で、それぐらいの年数を生きていれば、だれだって大事な譲れないものの一つはこさえている。傷つけてはいけないものを持っていて、それを何となく把握するために言葉を重ねていく。あるいは少年兵だって同じなのかもしれない。若くして戦うようになった背景、その中に爆弾の2つや3つは抱えていてもおかしくない。いつかのあいつのように、蛮勇に逸って馬鹿な真似をする奴も多い。だけど、この白銀武という少年は違った。

 

素直で、ただまっすぐだ。迂遠という言葉を知らないからだろうか、あくまで単刀を直入するが如く会話する。無遠慮な言葉を発することもある。そのあまりの馬鹿正直さは眩しく、少々鬱陶しくなる部分も確かにある。この少年の同期と同じく、その稀有な才能を妬むこと――――1度や2度ではない。ブリテンを守ったかの七英雄にまで辿りつけるだろう、圧倒的な才能。衛士であれば、羨まないはずがない。

 

だけど、マイナスなイメージには繋がらない、なぜならば一緒に戦っていれば分かるのだ。訓練もそう、近くで見ていればこの少年の考えていることが、戦うための根幹が理解できる。この子は、必死だ。この小さな身体を精一杯いじめて、それでもと言う程の意志を持っている。

 

それは国ではない。軍ではない。とても明確なモノで、言い表せるようなものではないように見える。だけど、それを失いたくないのだ。だからこうして最前線に出てきて、歯を食いしばりながら顔面に気概を張っている。

 

そんな子供を、誰が嫌えよう。その容姿も相まってか、この短期間で白銀武という衛士を、いつのまにか戦友として、仲間として認識してしまっている。気取った壁など見えなかったなどというように、するりと内側に入り込んでこられた。それなのに不快感を感じないというのも、白銀武という少年が持つ特有の魅力だろう。アルも同じだ。こいつの場合は、スラム時代の経験もあるだろうが。

 

(何だかんだ言って構いたがるな、こいつも)

 

何かしら軽いが、年下の面倒見が良い。こいつの長年のツレ―――スワラージで戦死した男だが―――に聞いたが、どうにも年下を放っておけない性質らしい。年上の、特に同性に対する好き嫌いは激しい、特に気に入らない上司にはとことん食ってかかる馬鹿だが、年下にはガードが甘いようだ。

 

今はもう少し事情が違うだろうが。軽い馬鹿は仲間を欲しがる。だから、一緒に軽く馬鹿をやれる誰かを探しているのかもしれない。

 

「武………例えばそこに、胸があれば?」

 

「ただ、見る。それが男というものだって教えられたから」

 

アホな男の会話だ。でも、アホらしく微笑ましい。そんな調子で、二人は男らしく語りあって――――いるところに、怒り顔のサーシャが乱入した。

 

「ちょ、何でいきなり腕関節っ!?」

 

見るも鮮やかなコマンドサンボ。サーシャは無表情のまま、アームロックで武の肘関節を極めていた。見た目に反してアグレッシブなやつだ。あ、わずかに振動を加えて痛みを助長させている。相当に痛いぞあれは。無表情だが、あれはかなり怒っているな。

 

「っ、このままやられてたまるかぁっ!」

 

だが武も年少とはいえ衛士ということか。ただされるがままではない、何やら三下のセリフを叫びながら後ろ向きに回転し、腕がらみを外す。そしてすかさず立ち上がると、間合いをとった。うん、サーシャとの基礎訓練、近接格闘の模擬戦の時にさんざんやられた技だから、対処できたのだろう。

 

10才にしては上出来すぎる部類に入る。私やターラー中尉はおろか、アルの域にも達しないが、順調に成長しているようだ。だがサーシャは面白く無いらしい。立ち上がった武を追うように、ゆっくりと立ち上がる。2mの距離で対峙する二人。中腰になりながら、互いに間合いを計っている。

 

しかし、このサーシャという子もたいがいデタラメなスペックを持っている。今のコマンドサンボもそうだが、頭の回転の方は特に図抜けている。

 

いささか不自然に思えるように――――

 

「っ」

 

―――それと。ここで視線を送るのも加え、やはり異常だ。タイミングも、その視線の色も、今までに見たことのないもの。そんな様子は度々見えた。この少女のことに関しては―――順序立てて深くまで考えて抜けば、背景や事情などは分かってしまいそうだな。

 

(だけど、それはしない)

 

だって面倒くさいから。大きく分けては2つの意味で、面倒くさいことになるに違いない。それを無視しない程度には、この子も見てて好ましい。何より反応と所作が初々しく、見ていて本当に楽しいのだ。持っている秘密は、爆弾よりも危険なものなのだろう。武がいない場所では他人に上手く隠せているように見えるが、武を混じえた場にいればまるで違う。普通の秘密を持った少女のように、細かい所でボロを出してしまっている。

 

(されど少女、か)

 

たった13年程度しか生きていない子供に守れるはずがなかろうに。それでも現実の過酷さは見逃してはくれないということか。国連にアメリカ、ソ連に欧州。日本は誠実な者が多いと聞くが、政治屋がゼロとはとても言えないだろう。かくして煉獄の戦場の裏で大国は機密を生み出し、誰かに押し付け、我が意志を貫くために人をレールの下に敷く。武に関してはわからない。だけど、サーシャはきっと分かっているはずだ。

 

きっとそれほどに、この娘の持つ荷物は重くて、深い。それでも尚ここに居たいと願う少女がいる。

ずっと、雲の無い空よりもずっと眩しく見えた。だから、それを潰すような真似はしない。

 

バカをやればいい。進めばいい。出来るまで、決して悔いが残らないように。そんな感情を向けてやると、サーシャは驚き――――恥ずかしげに視線を逸らした。

 

うん、今のは見たことがない表情だった。素直に可愛いと思えるぐらいに。

 

で、もう一人の割りと乙女な副隊長について話を進めようか。

 

「いやー、何も殴ることはないんじゃないんすか?」

 

結構ヘビーな体重が乗ってましたよ、と言うがターラー中尉はただ一言。

 

「うるさい」

 

まだ顔が赤い。いや、これは怒っているというよりは―――恥ずかしがっている?

 

(って10年も軍に居りゃあ、慣れるだろうに。宗教上の問題? いや相手が問題なのか………どちらにしても初々しいにも程があるねえ)

 

処女だな、と内心で頷く。勘づいたのか「何だ」と問うてくるが、何でもないと答えておこう。アタシまで殴られたらたまらん。

 

「ラーマ大尉、痙攣してましたよ?可哀相に」

 

「………うるさい」

 

今度はちょっと落ち込んだ顔。これは殴っちまった事を後悔しているのかもなあ。

 

(うーん、この二人も見てて飽きないなあ)

 

サーシャに似た乙女っぷり。いやあんた今年2◯才だろうが、とは心の中だけの言葉。一人、心の中で笑っていると、ターラー中尉が目を背けながら言ってくる。

 

「お前も、無防備すぎだぞ。軍とはいえ、場の分別がつかない馬鹿な男もいるんだからな」

 

「まあ、そうでしょうけどね。慣れてますし、何とでもあしらえますよ」

 

肩をすくめて答えると、訝しげにターラー中尉が訊ねた。

 

「慣れている程に、繰り返しているのか?」

 

「ああ、誤解しないで下さい。昔、父の漁を手伝っていた事がありましてね。その時から、こういう男連中に囲まれているような環境でしたから………そういう時の対処の仕方は分かってますよ」

 

「………漁、か。お前の故郷は確か、ノルウェーだったか」

 

「ヤー。まあ、今は亡き、と頭につきますがね」

 

名を呼ぶと、自然と風景が思い浮かんだ。言葉にすると、普段は記憶の底に沈めている思い出が、浮かび上がってくる。今は亡き祖国。スカンディナヴィア半島の西岸にあった故郷。高緯度地帯に位置しているが、暖流のノルウェー海流の影響により、冬でも港が凍り付くことはない程には温暖でもある。それでも、凍てつくような寒さになる日もあった。時々、父と一緒に船に乗り海に出た日を思い出す。強風吹きすさぶ海上で、船上のみんな、時には他の船の漁師も、皆が力を合わせて漁をしていた。帰港した後、漁師の仲間連中と疲れた体で酒場に繰り出し、酒を飲みながら馬鹿みたいに騒いだものだ。下心ありありな目で声をかけてくる連中も大勢いたが、全て追い払ってやった。というか、父が右から左にちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍だった。まあ、居ないときは自分で対処していたのだが。

 

(今は遠き亡く、懐かしき喧騒の日々か)

 

―――目を瞑る。あの日々は、今でも思い出せる。思い浮かべて、漁に出る前にいつも歌っていたあの歌を口ずさめば、潮にまみれてた日々の喧噪が聞こえるんだ。みんなの笑い声が聞こえる。

 

(―――嘘だな。もう、ほとんど覚えていない)

 

それほどまでに、この戦争は過酷だった。BETAの臭いが含まれていない、戦闘の臭い――――硝煙や火薬の匂いもない、ただの潮と酒の香り。あれが貴重なものだったなんて、考えもしなかった。

 

暗い夜に映える、オレンジ色の酒場の灯り。辛さしか感じなかった肌を刺す寒風でさえ、きっと今でも懐かしいと思えるのに。

 

ただ、海の青は残っている。あの日々の残滓は僅かしかないけど、それでも深く魂の奥にまで刻み込まれている。

 

そうして、少し黙り込んだ私が何を思いだしていたのか察したのだろうか。ターラー中尉が「すまんな」と謝った。

 

「………いえ、いいですよ」

 

苦笑を返す。BETAに、あの糞以下の化物に多くのものが奪われたといえ、全部なくなった訳でもないし、私も忘れた訳でもない。

 

(感傷に浸りきるのも、柄じゃないし)

 

親友とは違う、夢に憧れる、浸ることを好むような、そんな乙女にもなれない。きまずくなった所でターラー中尉の方が話を変えた。

 

「そういえば、お前は私には敬語を使うのだな」

 

「ああ、まあ、そうですねえ」

 

私が同階級で敬語を使うのは、年上かつ尊敬に値する人物のみ。上官には、まあ敬語を使うが、アル曰く「お前の敬語は敬語じゃない」とのことだ。まあ、自覚はしているがどうにも直そうとも思えない。ターラー中尉は衛士としての腕は確かだ。これ程の腕を持っていて未だに中尉とは変だな、と思った。が、なんとなくこの不器用っぷりを見ていると納得もできる。一度ターラー中尉の昔話を聞いてみたいものだ。ラーマ大尉も交えて。昔一悶着あったと見える。

 

「………まあ、いい。所でまた話は変わるが、白銀をどう思う?」

 

「………教官。いくらなんでも白銀は犯罪ですよ?」

 

「っ、違う意味でだ!」

 

うん、良い反応だ。いや、話が進まないからこれぐらいにしておくか。

 

「体力が残念かつ可哀相な点は別として………衛士としての技量だが、どう思う?」

 

先ほどとは違って、少し真剣な顔。茶化すな、ということなので、正直な感想を言う。

 

「化け物ですね」

 

ターラー中尉のガンカメラに写っていた映像。白銀が咄嗟に見せた一連の機動を見たときは、驚いた。あの機動は、反復訓練の果てに生み出されたベテランの業だ。搭乗時間が100時間を超えていない衛士には、到底届かない域にある機動だ。

 

さっきも考えたが、あいつは才能がある。それで大半の説明はつくのかもしれない。だがこの機動に関していえばおかしい、とても才能の一言でかたづけられないほどに。ある意味人間離れしすぎた機動。本来ならば有り得ないそれは、ターラー中尉も分かっているのだろうが。

 

「まあ、でも本人を見てる限り、考えても仕方ないですよね」

 

「………そうだな」

 

見たら分かる。あのひたむきさは伊達じゃない。あいつは絶対に、嫌な嘘は付けないタイプに違いない。スパイにするには致命的に向かない性格をしている。そもそも、何かを企むような奴なら、あんな体力のまま最前線に出てこない。何よりリスクが大きすぎるからだ。あれは、後先考えていない馬鹿だけができる事。でも、技量が常人を逸しているのも確かで。そして危うい所もあるが、覚悟も持っている。何もかもがチグハグといえば、そうなのだろうが。

 

「………まあ、このまま鍛えていったら、空前絶後の天才衛士ができあがりますよ、きっと。そう考えると、ちょっといち衛士としては楽しみじゃないですか?」

 

常軌を逸した成長速度に、卓越した機動概念。今の時点でも相当な技量を持っているのに、この先どこまで行くのか。私も、突撃前衛を務める衛士の一人である。

確かに、負けたくないという気持ちはあるが、白銀を見ていると、そういう気持ちと同時に、沸き上がってくるものがあるのだ。こいつは一体、どこまでいくのか、いけるのか。そしてその先で何を成すのか。それは夢に似た感情だった。

 

「確かに」

 

ターラー中尉もそう思っているのだろう。頷くと、お互いに笑い合った。

 

――――そして。

 

(全部背負って。部隊の中までも変えちまう)

 

タケルは、死んだ衛士の事を引きずっている。そんなことは見れば分かる。隊の誰もが、その姿を見て同じ事を思った。そして、笑ったのだ。

 

(―――今更よ。顔を知ってるだけの仲間が数十人死のうが、すぐに忘れちまうってのに)

 

欧州では珍しくなかった。ここでも同じだろう。皆は経験して、慣れて、徐々に忘れていく。よほど印象に残る相手でもなければ。でも、こいつは背負っていくつもりだ。自分とも、今まで出逢った衛士とも、反応がまるで違う。

 

(ああ、まともだ。でも10才のガキがこんな戦場でまともな感性を残しているだって?)

 

それは、はっきりとした違和感であり、異様である。本人はきっと気づいていないだろう。幼さが残る顔立ちであの機動にこの意志力などと、欧州の誰に話しても信じないだろう。未知こそを恐怖の原材料とするが、この白銀武という生き物もまた未知の塊で。一部では、恐怖を覚えている衛士もいると聞いた。

 

それも分からない話でもない。こいつも、この中隊でなければきっと受け入れられなかっただろうし。

(………"壊し屋(クラッカー)"中隊。訳あり厄あり事情ありが集まる愚連隊、吹き溜まりの底辺。衛士にとっては最重要となる、チームワークを壊す"壊れモノ"部隊と言われてたらしいけれど)

 

アタシが入った頃には、ほとんどの隊員が正気に返っていた。いや、正気に戻らされたのか。アルも、あるいはアタシだってそうかもしれない。欧州で戦っていた頃はもっと殺伐としていた。こいつは気づいてないだろう。こいつはきっと日本に居た頃と同じようなマイペースで、空気をあっさりと変えてしまったのだ。

 

この容姿のせいもあり、サーシャの恩恵もあるだろうが。しかし、子供が居ると、こうも違うものか。混じって戦う様は異様だが、それでも言いようのない、問答無用の柔らかい"何か"が混ざっているように感じられる。

 

例えばむき出しな鉄のままではなく、表面に温かみを感じる青の塗装を塗られたような。

 

(それを無意識にでもやってのける………ああ、今なら自信を持って言える。ここが"人類の最前線"だよ)

 

何かが起きている。ここで、何かが起ころうとしている。それはきっと、素敵なことに違いない。例えば、あの腐れBETAを駆逐できるような。私は勝つのが好きだ。無駄な戦いは嫌いだ。だから、欧州には戻らなかった。きっとこれからも戻らないだろう。故郷を取り戻すために。

 

何より勝つために、残り続ける。

 

きっと今こいつのいるこの場所こそが、勝敗を決める戦線の最前――――人類軍の鋒なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯サーシャ・クヅネツォワ◯

 

食後。いつものポーカーが始まって終わった後。私の前には、屍が並んでいた。同じ隊の面々が机に突っ伏している。アルにリーサ、シャールにハリーシュ。そしてまだ残っているのは、シロガネタケル。

 

「こ、コール!」

 

「コール!」

 

挑まれた言葉に返し、告げながら手札をさらす。私の手札はフルハウス。対する武はワンペア。また、私の一人勝ちだ。というかそれでコールするなタケルよ。

 

「く………もう一回!」

 

「もう賭け金が無いけど」

 

「うえ!?」

 

マジで気づいていない様子。本当にタケルは、前を見だすと後ろの事を忘れる。感情のままに突っ走って、傷だらけになってしまう。

 

(でも、私には真似できない)

 

R-32。その名前で呼ばれていた頃を思い出す。何も疑わず、思わず、言われるがままにただ生きていた毎日。オルタネイティヴ3、と呼ばれていた計画。あくまで下っ端、というか被検体だった私なので、その全貌は知らない。リーディング、とかプロジェクション、とか意味不明な単語が飛び交っていたのは覚えているが、詳しい原理までは分からない。中途半端な実験体であった私に分かったのはその単語だけで、詳しい事は何も知らされていなかった。調整段階で放棄された役立たずに教えることはないということだ。

 

ただ、BETAから情報を収集する能力が必要だ、ということだけは理解できている。それ以上を知ることは無かった。私は要求された性能に至らなかった失敗作だったから。必要なのは、思考と感情を読み取る能力。でも私は思考を読み取る能力は乏しく、ただ感情を読む能力だけが優れている、と言われた。後天的な能力発露を促すため、投薬による実験は繰り返されたが、ついにその能力が発現することはなかった。

 

 

 

『失敗作』の烙印は、計画の為だけに生み出された私には死の宣告と同義だった。

 

―――人の感情は色鮮やかだ。まともな人間ほど、頭の中に様々な色を浮かべる。それを知ったのは、この基地に来てからだけど。

 

なぜなら、あの研究所で会った人物は誰もが同じ色をぶつけてきたから。どす黒い感情を浮かべ、隠すこともなくぶつけてくる。それは侮蔑で、憎悪で、嫌悪。色でしか分からないが、粘着質のどす黒い感情だけが私に叩きつけられているのは分かった。黒い奔流は私の胸の内を蹂躙し、言葉の刃は私の胸を抉った。何を言われたのかなど思い出したくもない。

 

不要になるにつれ、私の重要度は下がっていった。何もしない日が続いたことも。姉妹、と言うべきか、同じ被検体の中には、一日中拘束されていた者も少なくなかったから、彼女らに比べれば自由であったのだろう。とはいえ、私に本当の自由が得られる訳でもない。投薬による実験は相変わらず続けられたし、時にはその実験の一環として、衛士としての訓練も受けさせられた。

 

「………それは、幸いだったけど」

 

「ん、何か言ったか? もしかして負けてくれるとか」

 

「それは有り得ない」

 

「ちょ、なにも笑って言わなくても!?」

 

「だって楽しいから………あ、返済はいつでもいいよ」

 

 

慈悲なき返答の後、私は自室へと戻っていった。

 

 

 

 

「まだ、戻っていないか」

 

ラーマ大尉。今は義父と呼んでいる人が率いる隊の元、戦いの日々は過ぎていった。そんな中、特徴ある戦友と共に、私は色々な事を学んでいった。あの頃は分からなかった感情だ。

 

本当の私が何時の時に始まったのか、それは分からない。だけど覚えている始まりはメインである大きな研究棟から出され、別の研究棟へと入れられた時だろう。また黒い感情をぶつけられるのは嫌だったから、極力人と接しないようにした。話す必要があるときは、慎重に言葉を選んだ。余計な事を言わなければ良い。相手の望む通りの答えを返せばいい。それは、相手の感情に逆らわない事だと学んだ。

 

感情を模倣し、そのままの言葉を返す。それだけで会話は続いたし、相手の機嫌を損ねることもなくなった。単純な事だ、と思った。望む答えが私の口から帰ってくるたび、その胸の内にある、私への感情も悪いものにならない。それで良いはずだ。それが、最善の筈だ。

 

でも充足は得られなかった。考えはすれど感じず、ただ他人の感情の模倣をする。

私は何処にいたのだろうか。返答はなく、心は乾いていった。

 

そうして、しばらくして気づいた。自ら出る感情が薄れて―――消えて。なんにも、感じ取れなくなってしまったことを。

 

誰かと居るときは違うが、一人になるとそれが分かる。身の内から溢れ出るものがない。ただ、シベリアの凍土のように寒風が漂っているだけ。湧き上がるなにものもない。そして、それを悲しいとも思えない。心の中にあるのは、どこまでも広がる虚だけだった。

 

私は、緩慢に殺されていた。『私』は、私の中の何処にも居なくなってしまったのだ。それからしばらくしてだろうか。衛士の訓練という研究を行なっている時、私はとある男性衛士と出会った。私の境遇をいくらか知っていたのか、同情し、相談に乗ってくれたりもした。

でも、感情が読める私には分かっていた。その感情は私に向けられたものではなかった。

 

なるほど、表面上の感情を取り繕う術は上手と言える。だが、一皮向けば、何かを探るような灰色の感情が渦巻いていた。ソ連軍内部の、別勢力のスパイだったのだろう。色々と影で動いていたのは確かだ。それに気づかない振りをした。全てに何の感慨も持たず、疑問すら持たない人形だった当時の私には、彼が何を目的に動いているのかなど、どうでも良かったからだ。

 

彼は私を見ていないし、私も彼を見ていない。私は笑う。それは嘘だ。彼は笑う。それも嘘だ。

怒りも悲しみもなかった。繰り返される茶番に笑う事もできなかった。

 

ある日、私と彼の両方が複座型の戦術機で出撃を命じられた。インド方面国連軍と共同の作戦である、スワラージ作戦がそれだ。表向きはボパールハイヴ攻略作戦だったが、裏では違った。

 

実験体の中でも選りすぐられた成功体による、BETAに対するリーディングが最優先目的だった。私と彼は、予備として戦場に出された。配置は後衛だったので、危険は少なかった。数合わせが体面の問題か、と思っていたが、それは違った。

 

出撃させられた理由が分かったのは、作戦が失敗し帰投する途上で。

気づいた時は全てが、遅かった。

 

小さい爆発音、混乱、被弾、撃墜。動力部に仕掛けられた小規模の爆弾が作動したのだ。邪魔だったのだろう、用済みだったのだろう。

 

出撃の前に、今までに無い程の能力をもった実験体が完成しそうだ、とも聞いた。第六世代と呼ばれていた姉妹達だろうか。最早どうでもいいが、ああそういうことなのだ。私と彼、どちらも目障りで、不必要で、不穏分子だと判断されたのだ。整理の一環として、私はまるでゴミのように捨てられた。

 

動けない私たちの目の前に、要撃級の腕が振りかぶられる。時が来たと、受け入れた。生きていない人形がその動きを止めるだけだ。

 

 

――――ああ、やっと壊れられるのだ。

 

湧き上がったのは安堵感だった。

何も、悲しくはなかった。そのまま私は衝撃を感じ、世界は暗闇に閉ざされた。

 

そして気が付けば、国連軍の基地にいた。気を失ってから一週間は経過している。聞かされたことは色々あった。その中のひとつに聞かされたが………彼は、死んだらしい。

 

最後に、私を託したと言う。

 

 

それがどのような感情で取った行動なのか。死んだ彼に聞くことはできない。永遠に分からないことが増えた。仮初めの関係ではあったが、いくらか思うところはあったのか。それでも泣けない自分が惨めに思えた。

 

拾ってくれた人の名はラーマといった。初めてだった。一切の他意なく、私に接してくれた人間は。戦場で兵士の心は摩耗していくと言う。それは正しく、実戦を数年でも経験した軍人は感情の色が鈍くなっている。だが、この人は違った。ソ連で会ったことのある軍人とは、まるで毛色が違うのだ。

 

私を見て何か思う所はあるのだろうが、それでも、その暖かい感情の色は失われなかった。私は思いつくままに、彼と色々と話した。話の中で色めく感情。初めてしる、憎しみではない怒り。憎悪でない黒を、私に向けられない怒りがあるということを知った。

 

だから――――ぶっきらぼうな人だが、優しい人だという事はすぐに分かった。

 

そして、名前を付けてくれた。頭を撫でてくれた。優しく微笑んでくれた。初めての事だらけだった。

 

誰も、私に触れてくれなかった。私も、誰にも触れようともしなかった。

 

でも、その手のひらの温もりを感じた時に、かすかにだけど思い出せた。

 

忘れていた、私自信の体温を。

 

そして、私はとある少年に出会った。名前は白銀武。シロガネタケル。白銀、武。若干10才にして戦場に出て戦う、ひとりの少年衛士に。初めてあった時、彼は震えていた。訓練兵ではあったが、他の訓練兵と同じで、この車で逃げるのだろう。だけど、彼は葛藤していた。

 

そして驚いた、その感情はどうしても読めなかったからだ。薄いもやのようなものがあって、それがリーディングを邪魔しているように感じ取れた。

 

だから、聞いてみた。逃げるのか、と言葉で問いかけた。

 

―――その時の感情の移り変わりを、何と表していいのか。もやが晴れたかと思うと、その中から途方も無い何がか。

例えるなら恒星のような、極大の体積を持つ巨大な何かが、光と共に飛び出してきた。

 

 

 

次にあった時、私は驚愕した。彼の感情が完全に読めなくなっていたのだ。前に会った時にも、もやがかかっているような、霧がかかっているような、感覚があった。それが、今ではまるで別だ。全く読めない。幾度か確かめたが、それは間違いない。まるで、他人の意識で包まれているような。それが邪魔をして、感情がほとんど読めないのだ。でも、読めなくても、何を思っているのかは分かった。表情を、言動を聞いていれば分かるのだ。隠す事を知らない目の前の少年の感情は、見ていれば分かった。

 

一段落ついた後、私はラーマ大尉に戦う事を告げた。私にとっては、基地の外の方が怖かったからだ。嫌いな人に黒い感情をぶつけられるのは我慢できる。でも、嫌いで無い人からそれをぶつけられるのは恐怖でしかなかった。

 

それに、基地の外にいると、故国の諜報員に発見され、連れ戻される可能性が高かった。事実、この基地のどこかに諜報員が居るだろう。私にしか分からないだろうが、あのすえたドブのような匂いを感じる。確信はないが、この基地の近く居るようだ。見つかれば、戻されるかもしれない。

 

だから二度と戻りたくない私は、戦う事を選んだ。衛士になってしまえば、ソ連の諜報員も強硬策は取れまい。スワラージの失敗もあるし、何より極秘実験の成果が芳しくないことは知っている。感情は隠せない。権限も、かなり減じていることだろう。

 

ましてやこの情勢だ。油断ならない司令も居ると聞いたし、迂闊な真似はできないだろう。そうして、私は安堵の息をついた。どうしても、ここに残りたかったから。

 

それが何故なのか、と問われても納得のいく答えは返せないだろう。でも、色々なことがあったのは確かだ。一緒に訓練をした。武は体力方面では劣るものの、戦術機を操る技能は優れていた。挑発された私は、挑発を仕返した。ムキになる武も面白かった。何より、直球に含むもの無く感情の色をぶつけられる事が無いのが嬉しい。

 

武とのやりとりは、夢のようだった。目で見て感じ、考える。分からないけど、それで良い。本来の、人同士のやりとり、その真っ当な形。初めての体験に驚きながら、私は喜び、私は怒り、そして楽しんだ。前線には色々な人が居る。顔の表情など、その人の感情の一端でしかない。正気そうに見える人の奥では、狂気のような感情が隠れ潜んでいて。

 

わざとふざける態度を取る人の内面は、真摯なものに満ちてあふれていて。正気も狂気も同じように思えた。だって正気は最大割合を示すもので。だから、この戦場では、唯一共通する正しい正気や感情など、どこにも存在しないのである。混乱と恐怖を抱えたままに死んだ、前作戦での死者二人。あれはむしろよくある光景なのだ。

 

そんな混沌としたただ中を、確かめるように歩いてきた。武はやっぱり読めなくて、それが嬉しくて。でも、見せる動きはまっとうな感情に輝いていて。

 

作戦失敗の後のブリーフィングルームには、狂う程の悲哀が詰まっていて。疲れたけれど、心底嫌なものでもなかった。作戦の度に死んでいく人。悲しみと共に強くなっていく人。悲しみに壊される人。どれも人間であることを知った。

 

そうしながらも、絆は深まっていく。生死を共にする戦場は特別だ。背中を預け合い、互いの感情や呼吸を取り合って、戦場に帰る頃には一部が溶け合っている。死にそうな目にあって、フォローしあって。2度しかない作戦だが、語り切れないほどの連携があった。

 

作戦以外でも、一緒に行動することが増えた。影行の講義は楽しくて、今ではクラッカー中隊の半分が武にする授業を聞いている。ターラー中尉の訓練はきつい。きっと他のどの隊よりもきついだろうと、ラーマ大尉は言っていた。恐らくそうだろう。でも、そうさせる感情を知っている私には、それがとても尊いものに思えた。

 

地獄の前の喧騒の中で、私は私を思い出していく。

 

そして、気づけたのはいつだったろうか。私は感情が無くなった訳でもなかった、ということに。どうやら私は感情を読むことで、その読んだ他人の感情に引きずられていたようだ。私の感情だと思いこんでいたようだ。それが続き、慣れる事で本来の自分の感情を見失っていただけのようだった。

 

ラーマ大尉に出会わなければ、私は私が生きている事を忘れていたままだった。

 

武に出会わなければ、私は私の感情を見失ったまま。死なず、生き延びてこの二人に出会えた事は、どれだけの奇跡だったのだろう。

 

私は眼を閉じる。今日の日にあった出来事を、脳の深奥に刻むために。

 

忘れたくない想いを、墓まで持っていく。明日から、また戦いの日々は続くけれど。

それでも、死を覚悟に戦う価値を。私は彼が存在するこの戦場に見出しているのだから。

 

 

(………あるいは)

 

正体を知られるまでかもしれない。秘密とはもれるものだ。ソ連の諜報員がどう出るかも分からない。リーサあたりは直感で理解しているかもしれないが、彼女はきっと誰にも言わないだろう。短いつきあいだが、彼女が実は変なやつで、でも揺れない芯を持っていることは理解している。

 

でも、いずれその時が来るのは避けられないのではないか。

そして、この私の能力を知られれば―――――そうなれば、きっと私は自殺する。

 

武に、ラーマ大尉に。隊のみなに、あのような感情を向けられるのは、耐えられないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯ターラー・ホワイト◯

 

 

作戦が失敗した、その月の末に死んでいった軍人達の弔いが行われた。弔いの銃声が、空に響く。

また、多くの衛士が逝った。そしてその中には、かつての私の部下もいた。

 

「………大丈夫か?」

 

「………ええ」

 

戦友の死はこれが初めてという訳でもない。むしろ、よくある事だった。だが、部下の―――同じ隊で戦場を共にした、本当の戦友との別れは慣れることはない。いつもとは違い、大きな悲しみはある。でも、どうやら泣けないようだ。私の心が強くなったのか、あるいは壊れてしまったのか。

 

隣に居たラーマは、私の肩を叩くと、向こうに去っていった。ひとりになりたい私の気持ちを察してくれたのだろう。相変わらずこの人は、他人の心の機微に聡い。

 

「ターラー」

 

ひとりため息をついているとき、背後から呼びかけられたその声に、鼓動が一瞬止まった。昔は良く聞いた声。そして今は滅多に聞かない声。

 

「何でしょう、アルシンハ大佐」

 

アルシンハ・シェーカル。かつての同期。かつてのライバル。あの事件以降、あまり顔を合わせていなかったが、ここに来て何の用だろう。

 

「そう堅くならんでも良いだろうに………まあ、いい。今回はそんな話をしに来た訳じゃない」

 

辺りに人が居ない事を確認し、用件を切り出してくる。

 

「お前が教官を務めた訓練兵だが」

 

「泰村、アショーク達ですね」

 

「ああ。パルサ・キャンプの知人からもいくらか聞いてな。訓練兵にしてはよくやっているそうだ。周りの訓練兵への、良い刺激にもなっているらしい」

 

「つまり、何でしょうか」

 

「白銀少尉の事もある………まあ、率直に言おう。前線を引いて教官職に専念する気はないか」

 

その言葉を聞いて、私はため息をついた。結論を急ぐ性格は相変わらずらしい。訓練兵時代からそうだった。彼は頭の回転が早いせいか、結論を急ぎすぎるきらいがあった。軍内部で駆け上がるに、それは良い方に働いたようだが。それでも、今の私には関係ない事だ。もう、縁は切れたのだから。

 

「有り難いお話ですが、お断りします。私には、前線で戦う方が性にあっていますので」

 

きっぱりと、断りの言葉を伝える。

 

「そうだろうな。まあ、話が出ている、というだけで、言ってみただけだ」

 

「そうですか」

 

素っ気ない声だろう。自分でも自覚がある。話は終わりだ、と去ろうとする私に、すれ違い様、アルシンハは言葉を発する。

 

「………戻る気はないのか。前の作戦失敗で、現司令の………あの男の発言力は幾分か落ちた。今なら、お前をその能力に相応しい場所へと戻してやる事ができる」

 

その言葉に、私は足を止める。だが振り返らず、前を向いたまま答えを返した。

 

「今更、ですよ」

 

分かっているでしょうに、と言う私の言葉に、アルシンハは何も言わなかった。

 

 

 

今から9年前、私が15才の頃、BETAが本格的な南進を開始した。その先にある国々であるインド亜大陸の各国、東南アジアの国々は連合を組み、ヒマラヤ山脈を背にして、南進するBETAを阻むべく、徹底抗戦を選んだ。だがBETAの物量による攻勢は大きく、各国が全力をもって応戦しても、その侵攻を留めるので精一杯だった。

 

私は軍に志願した。軍人の父の影響もあったが、何よりこの国を守りたかった。父は白人で、アフリカよりやってきた移民であったが、この国のことを愛していたから。

 

何故白人の父が、アフリカに。そしてこの国に来たのか。それを聞いたが、母は色々あったとしか答えてくれなかった。でも父が愛し、死んだ国だ。そして、私の故郷でもあるこの国を守るために戦うと、父が死んだ翌日に決めた。

 

軍に入って、訓練の日々。衛士になるための訓練は一般人の頃に想像したものよりもはるかに越えて厳しかったが、途中で諦めることなどできない。

 

『やるからには最後まで、出来る限り徹底的に』が父の教えだったからだ。

 

アルシンハは、その衛士訓練学校時代の同期だ。私は訓練兵の中ではトップクラスだったが、彼も負けず優秀で、互いにライバルと認め合っていた。

 

2年の訓練期間を経て、初出撃。死の8分。一緒に出撃した同期の何人かは、戻らなかった。

戦場から帰還する毎に繰り返される、生き残った喜びと、仲間を失った悲しみ。それに耐えられず催眠暗示を受ける者もいた。

 

それから多くの戦いがあった。BETAは多く、その数は尽きることを知らない。時には、連日連夜戦い続けた事もあった。疲労が重なり、気絶しながら反吐を吐き、呼吸困難になって死にかけた事もあった。そんな戦いの日々の中、私の心を支えたのは故郷での記憶。諦めが思考を掠める時、故郷の風景が、家族が、友達が思い浮かんだ。誰にでもある、当たり前の光景。遊び、暮らし、笑い会ったあの日の光景が、戦いの中にあっては、これ以上なく尊く思えた。

 

女でありながら隊長であった私に、周りからの風当たりは強かった。この国の風潮がそうさせているのか。軍内における派閥の事もあった。失敗もできないし、油断もできない。誰かに頼る事もできない。日々の激務は私を蝕んでいったが、それでも守りたいモノ、失いたくないものが常に私の背後にあったから、私は戦い続ける事ができた。

 

そして、戦い初めてから1年が経った頃だった。故郷の街―――ナグプールまで、戦火が届いたのは。

 

もうすぐBETAが来るので避難して下さい、と呼びかけた。だが、頑なに―――この街から逃げようともとしない村の人々。必死の呼びかけに、何人かは避難してくれたが、残る事を選んだ者も居た。その中には、私の母も居た。父はBETA時の初会戦の時に戦死したので、今となっては、唯一の家族だ。

 

「夫との思い出が詰まったこの街を出るくらいなら、ここで死ぬ」、と言われては無理に避難させるわけにもいかなかった。そしてこちらの都合など関係なく、BETAはいつも通り、速かった。禄に母と会話もできずに私は前線へと戻った。必死に戦った。たった一人残った家族である母を、残った村の人たちを守ろうと抗戦した。無我夢中だった私は覚えていないが、その時の私の戦闘振りは今でも語りぐさになるほど凄かったそうだ。

 

が、如何せん敵の数が多すぎた。戦闘を終え、村に戻ってきた時、私が目にしたのは地獄になったかつての故郷の姿だった。大型BETAを防ぐ事はできたが、小型に関してはその限りではなかったのだ。全てではない。だけど一部の家は焼け、残っていた人は蹂躙され、其処にあった思い出も、いつかの風景も、何もかもが壊されていた。

 

 

――――そうして。唯一の家族であった、最愛の母も。

 

 

守れなかったという結果、母を失ったという事実に打ちのめされた。失意の底に沈みながら、基地に戻ると、上官から声をかけられた。

 

前々から、私の事を疎ましく思っていた上官だ。同じ派閥だが、私の事が気に入らないらしかった。優秀とはいえ、女の私が派閥内の有望株として扱われている事が気にくわなかったのだろう。上官は、表面上は私に同情の言葉をかけてくれた。私が昨日壊滅したあの村の出身だという事を、どこからか知ったのだろう。

 

残念だ、とか同情の言葉を並べていたので、今日は流石に何も言ってこないのか、と思った時だった。避難しなかった者達に、侮蔑の言葉を発したのは。

 

「避難民に手を割いているせいで、衛士や歩兵の動きが制限され、若干の遅れが出た。壊滅したのも、衛士に損害が多かったのも、ある意味自業自得かもな。まあ、故郷で死ねたのは幸せかもしれないがね」

 

事実で言えば、そうだ。

確かに、隊の行動に支障が出来たのも確かだ。動きに若干の遅れが出た事もある。

 

 

だけど。

 

 

今、ここで。

 

 

私に、それを言うのか。

 

 

 

浮かぶ表情から、挑発だとは頭では分かっていた。好機と見たのだろう。ここで乗れば、どうなるのかは理解していた。だが、関係なかった。心が、体が、一瞬にして怒りに染められた。

 

目の前が真っ白になり、気づいた時には、血みどろになった上官の姿があった。拳が痛かった。骨折する程に、殴ってしまったようだ。

 

すぐに、軍法会議にかけられた。上官への暴行は重罪だ。出世の道が閉ざされるには、十分だった。だが、それもどうでも良かった。しかし銃殺刑にはならなかった。上官の言動も不適切だったと、周りにいた者が証言してくれたからだ。直前に壊滅した故郷の事もあり、情状酌量の余地があるという事で、銃殺刑は免れたものの、少尉に降格する事になった。

 

独房に入れられた。家族も居なくなった。一人の独房は、どこか心地よく感じられた。思えば、あの時も私は後悔はしていなかった。でも、失意の塊が胸の中にあったのは確かだ。守りたいものも守れず、軍の上官からはその事で挑発されて。

 

何の為に戦っているのだろう。何の為に、私は銃を取ったのだろう。一人、繰り返すが答えは見つからなかった。

 

色々と考えた。そうして振り返ってみれば分かるが、人間とは何というおろかな生き物なんだろう。派閥とはいえ、互いに牽制しながら軍の動きにも支障を出す事も、多々あった。

 

みな、本当は何をしたいのだろう。何故此処にいるのか、糞重たい銃を持って駆けずり回っていた訓練時代なら持っていた志を。それがなぜ、わからなくなるのだろうか。

 

悶々としたものを抱えたまま。私は独房を出た後、基地近郊にあった自宅での謹慎を告げられた。ありがたいことだった。あの精神状態で前線に戻っても、足手まといになって死ぬだけだったろう。

 

そうして、謹慎初日だった。あのラーマが見舞いにやって来たのは。

 

ラーマは顔なじみだ、というか幼なじみだった。同じ地区の出身で、昔は兄のように思っていた人。同時期に軍に入ったが、軍に入ってからは疎遠になっていた。誰かに頼るという発想すら無かった私は、日々の激務の中でその存在すら忘れていたが(後になって言うと、怒られた)。

 

後で聞いた話だが、上官を殴った時、周囲にいた者の証言を集めて上層部に届けたのは、ラーマだったらしい。何の後ろ盾も無い衛士がそんな事をすれば、上層部に睨まれる事になるのは分かっていただろうに。

 

事実、アルシンハは動かなかった。失意は無かった。それが普通の対応だと思っていたからだ。毎日のように、見舞いに来てくれていた彼と、ぽつり、ぽつりと昔の事を話した。その少し後に本人から聞いた話だが、その時の私は何時首を吊るか分からない程に焦燥した様子だったらしい。

 

何でも無い事だが、毎日色々、彼と話した。いつもこれるわけではないので時には電話で、昔の話、前線であった笑い話、苦労した話。

 

思えば、出世を第一に考え、派閥の中ではお互いを牽制しあっていた時には、こんなにあけすけに誰かと話す事は無かった。二人というだけで、こんなにも違うのだな、と今更ながらに知った。

 

一ヶ月の謹慎の後、私は元の状態に戻っていた。そして、転属が言い渡された。軍でも問題児とされる者が集められた、現在の中隊に。それからの戦いの日々は、以前と比べ格段に充足していたように思う。

 

みな、根は真っ直ぐな奴らばかりだった。軍内での立ち回り方を知らず、理不尽な命令には真っ向から反対して、その結果上官から疎まれた者達ばかりだった。同様の境遇にあった私は、すぐに受け入れられた。やや精神を病んだ者もいたが、それも真面目に過ぎたからだ。真正面から戦争に挑み、だからこそ壊れてしまった。でも、そんな彼らを私は愛しく思えた。

 

そして、戦いは続く。だが、今度は少し違った。戦いの中で私は、心の底から信頼し、背中を預けられる仲間というものを知った。確かに、前に居た部隊より練度は落ちる。だが、互いにフォローしあい、BETAに立ち向かう事で全体の強さに差は無いように思えた。

 

ラーマの力による所も大きかった。面倒見が良く、根が優しい彼は隊の人間から支持されていたからだ。戦いながら、何か私に力になれることは無いか、できる事はないかと考えた。思いついたのは今までの戦闘経験を活かし、少しでも練度を上げるための強化訓練の発案だった。明確な目的がある訓練は、目的の無い訓練より遙かに身になる。

 

長所を伸ばし、欠点による隙を、二機の連携により埋める。最低限必要な技能を身につけ、死角を無くす。主に行ったのはこの2点だった。色々と思案し、考案し、ラーマと話し合い、実行に移した。彼ら彼女らの力になれたのだろう。それまでは距離を置いていた隊の仲間も、自分の所に相談にくるようになった。馬鹿にしてすまない、と謝ってくる者もいた。

 

色々と失った後、私は新たに多くのものを得た。上を目指す事はもう無いだろうが、それで良いと思えた。

 

好きな人もできた事だし。まあ、鈍い彼は気づいていないだろう。想いを打ち明けることも、きっと無い。色恋にうつつを抜かすほどには、この戦場は優しくない。

 

教官の話が出たのは、それから随分経ってからだ。少年兵を召集し、速成訓練を受けさせた後に衛士として登用する、と聞いたときは上層部の頭の中身を疑ったものだった。だが、スワラージ作戦失敗による損耗は大きく、このままでは押し切られかねないという事は確かであり。実験的に訓練兵が集められ、私がその教官を受け持った。最低限、使える所まで持っていくには、その衛士の才能を見極める必要がある。訓練が厳しくなるのは、必然だった。多くが脱落していく中、残った者は僅かに6人だった。

 

その中に、10才の少年が居た。大人びていて、それでいて子供っぽい思考も持つ、アンバランスな内面を持った少年。決意は並々ならぬものが有る。だが、どこか危うく思えた。衛士としての才能は―――本人には言わないが、恐らく空前にして絶後。特に、その機動概念と成長速度は人間のそれではない。発想が異なる、のではなく根本から違うのだ。

 

 

衛士の個々の機動概念の違いを木で例えるならば、枝の違いと言える。だが白銀は、木の種類からして違う。別の木、既存のものとは全く異なる系統樹だ。無茶なその機動に、初めはその頭の中身を疑ったものだったが、本人の説明を受け、それを検討して見ると、場合によっては使える、と分かった。だがこの機動概念を活かすには最低でもイーグルなど第2世代機クラスの機動力が必要だ。ファントムでは、それを活かしきれない。だが将来、第2世代機かあるいはその先の第3世代機が開発されて実戦に配備されれば、もっとこの概念を活かせるだろう。

 

(それを見るまでは、死ねないな)

 

一人、呟くかつての部下が、死んだ。その事は悲しいが、立ち止まる訳にもいかない。死んだ者の遺志を無駄にしないためには、前に進み続けるしかないのだ。まだ少年と言える年齢の衛士を、前線に送った。その業を背負っても、戦い続けるしかないのだ。

 

今日も決意を新たにして、私はハンガーへと向かった。

 

 


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