Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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お久しぶりの短編です。



16・5話 : 幕間

ユーコン基地の原生林の中、衛士達の基礎訓練用に作られたトライアルコースの中で、早朝からトレーニングをしている部隊が居た。

米国が誇る精鋭、"教導隊を教導する"部隊、インフィニティーズ。それに所属する、レオン・クゼとシャロン・エイム、ガイロス・マクラウドだ。

 

課せられた内容をクリアした3人は、肩で息をしながらも、アラスカの爽やかな空気を楽しんでいた。

 

「………明日はいよいよ、か」

 

「なんだ。怖じ気ついたのか、レオン」

 

「まさか。というか、負けるわけにはいかねえだろ。相手は二世代下の改修機だぜ?」

 

インフィニティーズの明日の対戦相手は、欧州連合のガルム実験小隊。

欧州で最も支持を得ていた第一世代機、F-5の改修機であるF-5E・ADVという、第二世代機に分類されている機体を扱っている開発部隊だった。

世界最強の第三世代機を自負するF-22に乗った自分達ならば、完勝して当たり前と言われる程の機体の性能差がある。

 

「そうだな。だが、それに乗る衛士の技量は侮れない」

 

「かつての大東亜連合の勇、世界初のハイヴ攻略を成し遂げた英雄中隊、ね。それでも対人戦の技量は、それほどでもないみたいだけど」

 

技量は並ではないが、隔絶した差がある訳ではない。対BETA戦闘であれば相手に一日の長があるだろうが、対人戦闘においてはさほどの脅威を感じるほどではない。

それが、ガルム小隊とドゥーマ小隊の模擬戦闘を見たレオン達の正直な感想だった。

要所要所では鋭い機動や的確な判断力による戦術運用をしていた。

レオン達をして目を見張るものがあった。だが、自分達ほどではない。

インフィニティーズに匹敵すると言われれば冷静に首を横に振れる程度のものでしかないというのが、隊長であるキース・ブレイザーが出した結論であった。

 

「開発も揉めてるようだしな。バーの奴らに聞いたんだが、目の下に隈作ってるどころか、殴り合いをした跡まであったようだぜ」

 

疲労困憊にしか見えず、あれではベスト・コンディションとは言えないだろう。

所詮はチンピラ上がりの成り上がり者か。そうした陰口を、レオンとシャロンはバーの中で聞いていた。

 

「だが………油断はできない。レオン。特に、お前は注意してくれ」

 

「はあ? 何が言いたいんだよ、ガイロス」

 

「………不知火・弐型の衛士だ。ここに来てからのお前はおかしい。模擬戦を控えた開発衛士に喧嘩を売るなど、ネリスに居た頃なら考えられなかった」

 

ガイロスは指摘した。アルゴスとバオフェンの模擬戦を見た後の戦術評価で、レオンの出したバオフェン小隊に対しての考察のことだ。

 

「バオフェンとアルゴス小隊。両小隊に対して述べた考察は、明らかな差があった」

 

バオフェンは浅く、アルゴスは深く。それは私情により、仮想敵の戦力評価を改めた結果以外のなにものでもない。

 

「不知火・弐型の開発衛士は、米国陸軍の衛士だ。その彼とお前が、どういった関係にあるのか、興味はない。だが………」

 

ガイロスはそこで言葉を切り、視線だけでレオンを責めた。

レオンは、その視線を受け取りながらも居心地が悪い気分に襲われていた。

それは、図星を突かれた証拠でもある。

 

同時に、吐き気しか覚えない記憶が脳裏を過るのを感じていた。

 

――――爆散する機体。

――――同僚たちの悲痛な声。

――――帰投した、無責任で我儘でガキのようでいて、いつも自分の一歩上を行っていたライバル。

――――下された処分は、到底納得できるものではなかった。

 

思い出す度に、拳に力が入る。最早、理屈ではないのだ。

それでもまだレオンは、衛士である自分を客観的に見ることができていた。

 

「………分かってる。すまないな。俺たちの任務に失敗は許されないってのに」

 

「冷静なお前ならやれるさ。それにアルゴス小隊はユウヤ・ブリッジスだけではない」

 

ガイロスはタリサ・マナンダルこそ、警戒すべき相手だと思っていた。

見た目は10代の少女で、隊でも随一の体躯を持つ自分より遥かに小さい。

だが戦術機に乗り、ひとたび真剣勝負の場に在ればまるで野生動物のような気迫と、人間でしか出せない技量を見せつけてくる。

 

「他の二人も、ね。互いの信頼度は相当なものよ。舐めてかかれば火傷じゃすまないわ」

 

「………ユウヤの野郎が、ね………いや」

 

レオンは反射的に吐き捨ててしまった自分の言葉に気づき、首を横に振った。

 

「私情は挟まない。決して侮らないさ。それで負ける方が心底御免だしな」

 

「あら、本当?」

 

シャロンは軽く疑問を投げかけた。茶化すようでいて、その声の底は真剣さが混じっていた。

それは、あの一戦を見たレオンが目に見えて分かるぐらいの苛立ちを表に出していたからだ。

想像以上にライバルが強くなっていたことに対する焦燥。真意を問う言葉に、レオンも誤魔化さずに答えた。

 

「やるべき事を見失ったつもりはねえ。正直、油断ならない相手なのは分かってるよ………ヴィンセントからも、あの機体の仕上がり具合は聞いてるからな」

 

一緒にバーで飲んだ時に聞いた話だ。帝国の整備兵は優秀で、経験則から時には機械以上の精度を見せるという。

そしてレオンは、インフィニティーズの整備兵からも聞いていた。

不知火・弐型が見せた動きは整備を担当する者に対しての信頼がなければ、ああは振り回せないと。

 

「でも、珍しいわね。複数の国が絡んだ共同開発が上手くいった例なんて、聞いたことがないわよ」

 

「国民性があるのかもしれないな。衛士はしらないが、帝国の技術者は排他的ではなく、より良いものを目指したいというショクニン魂を持っていると聞く………ちなみにレオンはどう思ってるんだ」

 

日系米国人ならば、とのガイロスの言葉にレオンは少し笑いながら頷いた。

 

「日本の技術屋の凄さに関しちゃ、ガキの頃から何度も聞いてるぜ。それでも、計画が上手くいってるのはあちらさんの開発担当が優秀だからじゃねえか? 聞く所によると、帝国斯衛軍に所属する武家の人間らしいからな」

 

「ユイヒメ、とヴィンセントは言っていたわね。あとは………昨夜の、サングラスの少年の尽力があったからって」

 

「小碓四郎、だったか。まだ18らしいがな………っと、そういえば整備の腕も持ってるんだっけか?」

 

「実戦経験もあるんでしょうね。あとは………なんだか、雰囲気がある子だったわね。その上で機体の整備が出来る程の知識と実務経験がある、か」

 

整備兵が負傷したか、そのような環境になかったが故にそうせざるを得なかったのだろう。

修羅場を越えるために必要だったのだ。それ以外に、衛士が整備に携わる機会などない。

シャロンはその話を聞いて、BETAに侵攻された国と、そうでない国との差を感じた。

レオンも同様だ。そしてレオンは、ユウヤの腕を、かつてのライバルの技量を、この場にいる誰よりも知っていた。

 

(それでも、負ける訳にはいかないんだよ)

 

レオンは自分が背負っているものを自覚している。クゼ提督の息子という立場。日系米国人として、模範的であれなければならない。

そしてインフィニティーズに敗北は許されないのだ。その重責がある以上、油断など出来るはずがない。

 

「私情は挟まない――――いつも通り、米国軍人としての責務を果たすさ」

 

レオンの声に、ガイロスは心配なさそうだ、と頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、ユーコン基地に配属されている軍人や開発衛士、基地の運営に携わる人間が集まる場所、リルフォート。

その歓楽街でも人気のバーの中、タリサは1人カウンターで酒を飲んでいた。

 

「ナタリ、おかわり~」

 

「ちょっと待ってねー………はい、どうぞ」

 

ナタリーと呼ばれたバーテンダーが、タリサにカクテルを渡す。

タリサはスカイ・ダイビングと言われるこのカクテルが、もう一つの故郷を――――アンダマン島の青い海と空を思い出せるようで、好んで飲んでいた。

 

ちびちびと、ついばむように飲む。その様子を見たナタリーは、小さく笑いながらどうしたのと尋ねた。

いつものタリサの飲み方ではない。というより、1人で飲みに来たことなどないのだ。

それがどういった風の吹き回しなのか、ナタリーは知りたかった。

 

「な~んでもな~い…………ことも、無いけど」

 

「ふふ、よかったらお姉さんに聞かせてもらえないかしら」

 

「ん~と、そうだなぁ」

 

タリサはそこで考え込んだ。

肌の色も違うし、出身もまるで違うが、タリサはナタリーに対してどうしてか姉という印象を抱かせる何かを感じていた。

過去に、ナタリーも妹を失っているからかもしれない。見えない何かの縁を感じたタリサは、いつものように相談しようとしたが、そこで考えなおした。

 

何というか、状況が見えなさすぎるのだ。ここユーコンは、世界各国の人間が集まっている。

タリサはその中で、『太陽を守る』という言葉が何を意味するのか、まだ結論を出せないでいた。

 

(大東亜連合………日本との関係を崩す訳にはいかない。そして、あの二人は"知ってる"ようだった)

 

タリサは先日に再会した、かつての上官二人の言葉を反芻した。

どちらも軍人としてではない、プライベートでも関わりがあり、かつ信頼のおける人物だ。

そんな彼らから告げられた言葉があった。

 

――――馬鹿は馬鹿で馬鹿だけど、馬鹿にしないでやってくれよな、と。

 

(それでも………あの模擬戦で馬鹿が馬鹿の言葉を吐いたまでは思い出せなかった。何か理由があるのか)

 

 

 

 

ひょっとしたら亡霊か何か、あるいは工作員か。タリサは件の人物の真偽を疑いながら開発の日々の中で確かめるように探るように話していた。

が、時間が経つに連れてどう見ても本人そのものとしか思えなくなっていたのだ。

カムチャツカでの騒動の中でのガルム小隊とのやり取りと、隠れ見た機動。そして横浜出身だという話で確信するに至った。

 

そうして、思わず吐露してしまった自分の本音が。タリサは少し顔を赤くしながら、ぼやくよう呟いた。

 

「………馬鹿、だよなぁ」

 

「なに、タリサ。何か嫌なことでもあったの?」

 

「んー、いや。どっちかっていうと、良いことかな」

 

拳を握りしめて、あいつの顔面に叩き込みたくなるぐらいには良いことだ。

口にせず、タリサは少女のようにふふっと笑う。それを見たナタリーが、珍しいという表情になった。

 

「女の子の顔してるわねー、ってちょっ!?」

 

ナタリーは飲み物を吹き出したタリサに、焦った声を出す。

幸いにして少量だったので大惨事にはならなかったが、カウンターが青い液体で汚れた。

 

「ご、ごめん………ってーかそんな顔してないよ! お、おんなのこってガラじゃねーし、衛士だし」

 

「衛士が女の子しちゃいけないって話なんて――――」

 

ナタリはそこで言葉を止めた。それを見たタリサが、首を傾げた。

そしてどうしたの、尋ねるもナタリーは首を小さく横に振るだけで、話を続けた。

 

「もしかしてあのユウヤって子?」

 

「はあ? なんでアイツが出てくるんだよ」

 

「なんでって………将来有望っぽいし、見た目もかなりイケてるしね。衛士としての腕も確かなんでしょ? それに言ってたじゃない。口だけの男なんて御免だって」

 

ナタリーは以前にタリサと異性の話になった時、タリサを酔わせた上で聞き出したことがあった。

自分より弱い男は願い下げで、頼っても倒れないような男が良いと。

 

「あー、まあな。ユウヤも弱いって訳じゃねーんだけど………クマールと一緒で、真っ直ぐな馬鹿だし」

 

「ああ、あのパルサ・キャンプでスカウトの真似事をしたっていう?」

 

ナタリーが言っているのは、タリサがパルサ・キャンプの出であり、グルカでもある故にくだされた任務のことだった。

伝統に倣い、素質のある子どもを見出し衛士訓練過程へ推薦するというもの。

タリサはそこで、クマール・ラム・グルンという少年に出会ったのだ。

意地っ張りで、負けず嫌いで、ひねくれているようで真っ直ぐだった衛士の卵。タリサは思い出しながら、確かにユウヤにそっくりだったと頷いた。

 

「あの性分だからなあ………きっとあっちこっちぶつかってんだろうなあ」

 

「あら、心配そうね。でも、訓練生になってんでしょ? 流石に衛士訓練過程に入るほどのエリートなら大丈夫だと思うけど」

 

あとは軍が守ってくれる。ナタリーの言葉に、タリサは反論した。

 

「いや、わかんねー。訓練校の中ならマシだけど、キャンプの中はお世辞にも治安が良いなんて言える場所じゃねーから」

 

タリサはクマール達少年兵にせがまれて、ククリナイフを見せたことがあった。

そして、冗談で言ったのだ――――『一度抜いたククリは血を吸わせるまで納刀するな』という教えがあると。

少年たちは、そこで危機感を抱いたのか、身構えた。タリサはその動作を見て、理解したことがあった。

血を吸わせるまでは、というのはグルカが使う有名な脅し文句でネパールを知る者ならばまず冗談とわかるものだからだ。

 

「でも、すぐに身構えた。それも手慣れた感じで、縮こまるように構えた」

 

「それは………実際に見たことがあるから?」

 

「うん。ククリナイフじゃないナイフでも、実際にその威力を見たことがあった。あとは、故郷での話をするような余裕がないってことも」

 

あるいは、保護者そのものが存在しないのか。

タリサの言葉に、ナタリーは小さく溜息をついた。

 

「どのキャンプも似たようなものね。パルサ・キャンプは待遇が良い方だって聞いたけど」

 

「人手不足だからだと思うよ。警備兵にするか、軍人にするか。どっちも足りてるとは言い難い状況だから」

 

「かくして少年たちは当たり前のように銃を取る、か………出世欲とかも手伝ってるんでしょうけど」

 

「ああ、それは………確かに、色んな奴らが居るねー。キャンプの家族のためだとか、自分の出世のためだとか」

 

「衛士になりたいって子も多いわね。給料が良いからかしら」

 

最前線において自分だけで機体を操り、時にはBETAの群れの中での立ち回りも求められる兵種、衛士。

求められる能力は多いが、その分給料も他の兵種よりも高く支払われている。

 

「それもあるねー………でも一番は、この状況を自分で何とかしたい、って考えてるからだと思う」

 

「この状況って………キャンプの治安とか?」

 

「あー、具体的なものは考えてないかな。アタシもそうだったし」

 

キャンプの訓練生などそんなものだ。治安の仕組みや打開策といった小難しい事まで頭が回るはずがない。

タリサは過去の自分を思い返し、そういうものだと認識していた。

自分の置かれている状況に対する不満と、なんでもいいからここから抜け出したいという気持ちが前に出てくるが、その根本までに考えが及ぶことはない。

 

「衛士になったらなったで、目の前のことをこなしていくしかないしな」

 

「少尉から始まるんだっけ? 流石に士官となると、仕事も多いんだ」

 

「そうそう。あとは、強くなるのも仕事の内ってね。基礎訓練に機動戦術の応用概念の勉強だったり………それやってる内に一日の大半が終わるし」

 

汗をかいて、脳を酷使し、気がついたら夕焼け空に風が吹いている。

休息も仕事だ。疲労回復を怠れば、次の日の作業の効率が落ちてしまい、元も子もなくなる。

 

「最前線は過酷だってよく聞くわね………辞めたい、って思ったことない?」

 

「無いなぁ。まあ、今の東南アジアの戦線は割りかしマシだからそう言えてるだけなのかもしんねーけど。なにせ、出撃しても撃墜された機体が無い時もあるし」

 

「………墜とされるのが普通なのね」

 

「同期も3割ぐらい死んだしなあ。それでもビルマ作戦以前はもっと洒落にならんぐらいだっていうから、負けてらんねーよ」

 

あっさりと、3割が死んだという言葉。ナタリーはそれを聞きつつも、それ以外に気になることがあった。

 

「ビルマ………マンダレーハイヴが落とされたから少なくなったらしいわね。そういえばタリサはその立役者と知り合いなんだって? ガルム小隊の衛士と会ったことがあるー、ってヴァレリオから聞かされたわよ」

 

タリサはそれを聞いて舌打ちをした。隠しはしないが、吹聴して回るのは何となく嫌だったからだ。

それでもナタリーなら妙な冷やかしはしないか、と判断したタリサは事実だけを告げた。

パルサ・キャンプの訓練校に居た頃に会ったこと。そして自分の教官も、ターラー・ホワイトその人であったことも。

ナタリーはそれを聞いて驚いた。そして、聞きたいことがあった。

 

「タリサは、その、彼らが解散した理由って聞いたことがあるのかしら?」

 

「ん~………聞いてる、けどな」

 

正確には、聞き出したことだ。タリサはどうしても気になって、ターラーに直に尋ねたことがあった。

クラッカー中隊がマンダレーハイヴ攻略後に、どうして解散したのか。

東南アジア諸国を救った英雄と呼ばれ、留まれば相応の見返りを受けとることができたのに、どうして散り散りに、祖国に帰ってしまったのか。

 

別に機密でもなんでもない、話しても問題ない内容だ。タリサはそれでも躊躇っていた。

自分の口からでは、信じられないと思われるかもしれなかったからだ。

 

そうして困った顔をしている時だった。

 

 

「―――よう、美しいお嬢さん方。俺も混ぜちゃくれないかね」

 

 

噂をすれば影。クラッカー中隊の一員であったイタリア人、ガルム小隊のアルフレード・ヴァレンティーノがグラスを片手に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――歓楽街にある、とある建物の一室。

二人は、そこで話し込んでいた。

 

「それでは………作戦は、予定どおりに?」

 

バーテンダーの服を身にまとった女性が口を開く。

その正面に立つ、軍服を身にまとった巨躯の男は鼻を鳴らしながら答えた。

 

「ああ。かわりなく、作戦は遂行される。この大演習は予想外だったが、逆にやりやすくなったって事も確かだ。警戒レベルは跳ね上がっているが、工作員の潜入には成功している」

 

全ての人員が疑われずに内部に入り込むことに成功した。

それは、それだけ綻びが生じているという証拠でもあった。

 

「………楽観的過ぎる、と思っているのは私だけでしょうか」

 

「度を越した慎重策は停滞しか生まん。それとも、なんだ。貴様は敗北主義者なのか? それとも、何の誓いを立てて"ここ"に所属しているのかも忘れたか」

 

「いえ………申し訳ありません。口が過ぎました」

 

そうして、女性は――――ナタリー・デュクレールは軍人口調の男に向き直った。

 

「責めるばかりではない。この基地全体に漂う、緩みきった空気………お前たちはよくやっているさ」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、スケジュールはどうだ」

 

「はっ。イレギュラーのせいで遅れはありましたが、昨日その挽回はできました」

 

ナタリーはそう言いながら、インスタントのコーヒーを出した。

男はそれを一口飲むと、感心の声を上げた。

 

 

 

「泥水に硝煙を混ぜたような味とは違うな。インスタントとはいえ、まだ飲める範疇だ」

 

言うまでもなく高級品である。だが、リルフォートでは少々高めの金を払えば買える程度のものでしかない。

 

「このアメリカ大陸では、BETAとの戦争が起こっていない………その意味を理解させられました。いえ、それだけではありません」

 

バーで扱っている酒。そのどれもが、ユーラシアでは庶民の手には届かない高級品として扱われている。

南北アメリカとアフリカ大陸とは、比較にならないほどの格差が広がっている証拠だ。

 

「それでも………最前線の衛士達は無理をしてでも飲みたがるそうですが」

 

「ほう。それは誰から聞いた話だ?」

 

「開発衛士達が集まっている、あの店です。流石に高給取りのようで、何度か呑んだことがあると聞きました」

 

「――――聞いた話は、それだけではないようだが?」

 

少佐と呼ばれた男が、弾圧するように問いかけた。

ナタリーは威圧感を感じる少佐の顔を見返しながら、言葉に出来ない思いを抱いていた。

 

「どうした。言いたいことがあったら声にしろ」

 

「いえ………なんでもありません。誓いも忘れてはいません。この大陸の連中に、"戦争"を教えてやるつもりです」

 

迷いが無いように聞こえる口調での宣言。少佐と呼ばれた男はナタリーの言葉に、小さく頷いた。

 

「ならばいい。ヘマだけはするなよ。決行の日は近い」

 

男はそれだけを告げて、インスタントコーヒーを一気に飲み干すと、すぐに部屋を後にした。

ナタリーはそれを敬礼で見送った。正規の軍人とは程遠い、角度も姿勢も甘い敬礼だった。

 

「………後片付け、しなくちゃね」

 

そうしてナタリーはコーヒーのカップを取ろうとしたが、目測を誤って手をぶつけてしまった。

しまった、と思った時には遅く、カップは床に落ちて割れてしまった。白い陶器の欠片が床に散乱する。

 

ナタリーは焦ってそれを拾おうとしたが、途端に指に痛みを覚えた。

破片の一つで指を切ってしまったのだ。僅かではあるが、指先に出来た傷口より赤い血が溢れる。

 

「………血、か」

 

血液は人間を動かすガソリンである。だけど、それだけでは人間は動かない。

そして色は同じでも、全人類の身体に流れているものが同じとは限らない。

 

ナタリーは、そう言ったイタリア人の男の言葉を思い出していた。

 

『思うに、人間ってのは格差の酷い生物なんだよな。そこいらの虫とか獣とかとは違う。ラーマの旦那の受け売りだがね』

 

そして、と男は言った。

 

『環境が異なれば考えも異なる。信じるものが違えば、殴り合いだって起こる。この傷がその証拠だ。え、自慢できるもんじゃないって? タリサ、男でも女でも譲れない時ってのがあるんだよ。なに、ターラー中佐から聞いたし、分かってる? それはすごい説得力だな』

 

笑いながら、言った。怪我の、喧嘩の原因の話も苦虫を噛み潰したかのような顔で。

なんでもリーサ・イアリ・シフから出た一部改修案が結構なレベルのもので、開発主査に収まっているクリスティーネ・フォルトナーがその理由を聞いた時に出た答えが切っ掛けになったらしい。

ナタリーは聞かなかったことにした。勘だ、などという冗談地味た妄言は。

 

『それでも、だ。"同じモンが流れてる"って思う時がある。血縁なんかはその一つだな。ちなみにゲイの男同士では、運命の出会いのことをケツ縁というらしいが………おっと、お子様にはまだ早かったかな、って傷が痛え!?』

 

タリサは誰かの事を思い出したのか、ちょっと怒りながらアルフレードの腕の肉を抓っていた。

なんでも、少年趣味がある衛士の犠牲がどうたらこうたら。冗談を挟んで、会話は続いた。

 

『話が逸れたな。血縁………家族ってのは、何より自分に近しい存在だ。例外はあるけど、大抵の人間がそうだ。なにせ生まれたままの姿を見られてるんだからな。子供の頃からの裸のつきあいだ。今はそうでない所も多いと聞くが………それでも、繋がりはある』

 

だけど、その例外は。血が繋がっている家族でも、不倶戴天の敵となる事がある。

そして、逆もまた存在すると。

 

『俺たちの中隊がそうだった。直接確認なんかとっちゃいない。でも、全員がそうであって欲しいと願っていたように思えるんだよ――――こいつらだけは裏切らない、ってさ』

 

信頼なんてもってのほかで、信用するにも相手を選ばなければ命の危機に関わってくる。

その最前線で、背中を預けてもいいと思える相手が居たという。

 

『遺伝子で、血液で結ばれた相手が血縁だ。でも、家族ってのは血縁だけがなれるもんじゃない』

 

スラム育ちの男は、断言した。血縁だけで家族になれるものでもなく、無条件で信頼が育まれることなどあり得なかったと、寂しそうな目だった。

ナタリーは、反論したかった。だが、それよりも聞きたいことを優先した。

 

あなた達は信頼しあっているという。家族だという。ならば、どういった繋がりでそれが形成されると盲信しているのか。

アルフレード・ヴァレンティーノは、盲信という言葉に、面白い表現だと頷いて笑った。

 

『――――"あの日の誓い"。それが、俺たちを繋ぐものの名前だ』

 

解散した理由もそこにあるという。

クラッカーズの全員が、同じ方向を見ているのだといった。

 

達成すべきものの名前は、全世界に存在する人類の大敵、BETAの打倒。

 

『お山の大将を気取ったって意味が無い。あのまま留まっても先は見えてた。上り詰めた感はあるが、そうなれば後は落ちるだけだ。全員が故郷に近しい人間じゃなかった、ってのも理由の一つだな。だから、それぞれの国に帰った』

 

人が反発する理由は多くある。その中でも、祖国に関するものが最も多く苛烈である。

他国の衛士を重用し続ければどうなるのか、目に見えた火事を避けるのは妥当だから、と苦笑した。

 

『忘れちゃいない。同じ戦場で散った戦友を覚えている。だからこそとも言える。侵攻の緩まった安全圏でお茶を片手に一休み、なんてしてたら非難轟々だ。何より、俺たちがそれを許せねえ』

 

大切な仲間を失ったと言った。タリサもそれに反応したのが意外で。

綺麗事のオンパレード。臭すぎるし、建前にしても清浄に過ぎる。我欲の欠片もない、まるで大衆紙に書かれる模範的な解答だ。

それでも、ナタリーはその声に嘘はないと思えた。

 

だから、真正面から尋ねた。その誓いに疲れてしまったことはないかと。離れてしまった恋人の熱気が冷めるのは早い。

人は手近な熱で暖を取るのが普通である。生物学的な本能でもあるからだ。

 

『あー、それはあるね。でもまあ、忘れられねえよ。なにせ楽しんでやってるからな。一つ越す度に得られるものがある。それに………似たような熱はそこいらに転がってるからな』

 

誓いという炎を守る壁。あるいは、追加して注がれる燃料。

それはどこにでもあるものだと言った。何かしらの決意や覚悟を持って軍の門を叩く。

徴兵されただけという者も多いが、ほとんどの人間が苦しい訓練の中で何かを誓う。

 

だからこそ、重なるのだと。どこの戦場にでも、戦う人間は居る。それと過去の夢のような、共闘の日々の思い出が色をつける。

懐郷の念を抱くような、記憶がセピア色に染まることなどあり得なくなるからと、アルフレードはそう言いながらもわざとらしく自分の頭を押さえた。

 

『あー、でも辛くなるときはあるなあ………だからお嬢さん、貴女の胸の中で安らぎたいのです。男はそこから生まれ、そこに帰る………ってタリサ嬢ちゃん? いやその胸はちょっと無理かなー、クッションというよりはむしろコンクリートだから摩擦されて熱くな………って待て、ビンは止めろ! 大丈夫だ、まだ十代前半の嬢ちゃんなら未来に希望は、ってたわばっ?!』

 

フェイントが織り交ぜられた綺麗な右フックだったと、ナタリーは思った。

そうして、怒って帰ったタリサを見送りながらアルフレードは告げた。

 

『とまあ、俺なんて所詮はこんなもんだ。貧乳よりは巨乳が好みな、ダンディーな男さ。似たような嗜好の奴は多いさ。誓いだ信用できる仲間だなんて、そこいらの奴らが持ってる。俺たちが讃えられてるのはちょっとした偶然と、上の思惑が重なっただけだ。利用されてるって面もある。こっちも利用してるけどな』

 

同じとはどういう意味か。問いかけに、アルフレードは答えた。

 

『死にたくないから頑張ってる。喰われて死ぬの超怖いし。でも、家族が喰われるのも怖い。奴らは何処にでも居る。逃げようにも、生身で空なんて飛べない。だから戦術機って鎧を身に纏っておっかない化物共を蹴散らしてる。ちょっと挫けそうになる時もあるけど、仲間に肩借りながら、貸しながら』

 

失った者は笑える程に多い。悲劇や辛い過去なんて人の数だけ転がってる。

ならば、誰もが悲劇の英雄だ。特別なものなんて、何も無い。

 

『幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってな。日本のことわざだ。まあ、そう見せてるのは周囲の噂とか話自体を成立させる背景とかかね。ただ、やらなきゃならん事が多いだけで』

 

普通に女の子とイチャイチャするのにも役に立つ、だからと言ってきた。

 

『なんだ、まあ………あの糞ったれな機体相手の模擬戦でも見ててくれよ。その時はその胸で休ませてくれると嬉しいね』

 

F-22A、BETAではなく戦術機を殺傷するために作られた最新鋭の機体。

圧倒的に不利であることを、ナタリーは認識していた。バーに来た誰もがその話をしていたからだ。

 

一機落とせば奇跡。勝つのは、物理的に不可能であると。

アルフレードも、分かっているというように頷いた。

 

そうしてナタリは、血が滲んでいる指をぎゅっと握りしめながら伝えられた言葉を反芻した。

 

 

「―――戦力差なんて俺たちの足を止める壁にすらならない、か」

 

 

若いものには負けんよ、と後に付けられた冗談など耳に入らなかった。

 

 

(諦める………諦めても"いい"理由は…………っ)

 

 

ならば、自分は。妹は。フランスからカナダに辿り着いた私達は、そこで見たものは。

こうして此処に居る自分は、何を言い返すべきだったのか。

 

ナタリーは降って湧いた疑問を前に、無言のまま立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総合司令部、地下一階にあるフードコート。バイキング方式になっている、士官ではない一般兵の方が多い食堂だ。

ユウヤはそこで唯依と一緒に食事を取っていた。

 

否、正確には取ろうとしていた。目の前には各国の料理が集められたトレイがあるが、それを前にして食事の態勢に入っているのはユウヤだけだった。

 

「お、おい………唯依?」

 

誰がどう見ても徹夜した整備兵並に疲れている。いつもはぱちくりと開いている目が淀みきっているのを見て、調子が良いなどと断言する輩はいないだろう。

注意深く観察すれば、目の下に隈のようなものができているのがわかる。ユウヤは恐る恐ると心配の声をかけた。

 

「ったく、体調管理も衛士の仕事だーって口うるさく言っていたじゃねえかよ………大丈夫か?」

 

「だい、じょうぶ………なにがだ? 何も問題はないぞ、ユウヤ」

 

「いや誰がどう見てもやばいだろ。なんか何時にもまして目がキツくなってるし」

 

「む………いつもより、増して? それは私がいつもいつもキツイ目をしてばかりいると言っているも………」

 

そこで唯依は自分の言葉に気づき、目を瞬かせた。それでも効果は薄く、唯依の目は元に戻ってしまう。

ユウヤは目が特に疲れてるのか、と思い日本の食堂コーナーにあったとあるものを唯依に差し出した。

 

「これは………おしぼり?」

 

「目に当てろって。疲れた目には最適だからな」

 

ユウヤが過去にシャロンに教わった方法だった。

目の周囲が暖められると血行が促進し、疲れ目の回復が早くなるという。

 

「ありがとう………でも、日本国軍人たる私が公衆の面前でこのようなことは………」

 

「あー、なら食べ終わった後にやってみろって。ブリーフィングルームなら誰にも見つからねえだろ」

 

「うむ………いただきます」

 

そう言いながら、唯依はしょぼしょぼとトレイにあるものを食べ始める。

ユウヤは珍しい唯依の様子に戸惑いつつも、喜びを抱いていた。

 

(規律と振る舞いを重視するこいつがここまで………かなり、って言葉じゃ足りないほど無茶させちまったらしいな)

 

ただの徹夜であればここまでにはならなかっただろう。経験のあるユウヤには理解できた。

基礎訓練が終わり実機訓練に移った頃、戦術機に関する理解を深めながら演習の事を思い出し、徹夜した事があったからだ。

周囲の時間も忘れるほど、何事かに熱中しながら夜を明かすことはただの徹夜とは全く異なる。

 

(裏を返せば、俺が提案した改修案をそれだけ見てくれたってことだよな)

 

祖国でも見たことがある――――とはいえ回数は少ないが――――18歳の年頃の少女のようになっている唯依。

それを前に、ユウヤは申し訳のなさと満足感を得ていた。

 

それでも、唯依とこうして一緒に食事を取っているのは別の理由がある。

ユウヤはこのままではその話も出来無さそうだと、何か方法はないかと考えた。

 

取り敢えずはテーブルの上に置かれている物を見回し、そこである物を見つけた。

 

「そうだ、唯依。目覚ましにこの氷水を使えばどうだ?」

 

「ああ………冷やすのか。そうだな、そうすれば目が覚めると父様から聞いたような………」

 

唯依は寝ぼけ眼ながら、父から聞いた昔話を思い出した。

短時間で睡魔を吹き飛ばす方法だと。

 

唯依は良い案だ、とグラスを手に取った。

そこにユウヤは迷惑をかけたから俺がやってやるよ、と手を伸ばし。

 

――――数秒後。そこにはグラスにあった氷の一つを頭の上に器用に乗せた、水も滴る大和撫子の姿があった。

 

その後、食堂の中。服を着替えた唯依はジト目でユウヤを睨んでいた。

 

「まったく………公衆の面前でこんな目にあわされたのは生まれて初めてたぞ」

 

「すまん。いや、まったく、この通りだ」

 

流石にやらかしてしまった事の大きさを意識したユウヤが、素直に頭を下げる。

唯依はそれを見て、小さく笑った。

 

「ふふ、冗談だ。それより話があったのだろう?」

 

「あ、ああ。つーか唯依でも冗談なんて言うんだな」

 

「………反省の色が足りないな? それに私はこう見えても貴様より年下なんだ。同世代の女子と冗談を混じえて話すことなどいくらでも………」

 

唯依はそこで言葉を切った。しばらくやや俯いて考えこみ、やがて顔を上げて言った。

 

「本題に移ろう。ユウヤの聞きたいこととは何なんだ?」

 

「そうだな………というか唯依、お前もしかして同年代の友達が」

 

居ないとか言うんじゃ、と言葉にしそうになってやめた。

ユウヤは小碓四郎から、達人は視線で人を斬るという馬鹿げた迷信話を聞いたことがあったが、それが何なのかを理屈ではなく理解させられた気分になっていた。

 

「………開発部には年上の部下は居た。が、同年代は全く居なかった。これで満足か? 理解できたなら、本題に入れ」

 

「あ、ああ。分かった」

 

これ以上聞けばヤる。無言の言葉が聞こえたような気がしたユウヤは、本題である戦術機開発に関すること――――日本の剣術についての事を尋ねた。

 

日本の流派にある示現流では、鍔という手を守る部位が全体のバランスを取る役割にもなっているという。

74式長刀もそれは同じで、刀身全体がその役割を果たしていると。戦術機のつま先から腕まで、全てが一体となって動くような調整がされているが故に、ある利点が生まれることを指摘した。

 

「"剣は全身で振る"っていうシローの言葉の意味が分かったぜ。そうすることで、剣は自分の身体と一体になるんだよな」

 

それは、ユウヤが素振りをしている中で気づいたことであった。

見本として見せてもらった唯依や四郎の素振りだが、力を入れている素振りはないのに妙に鋭く感じる時があったのだ。

 

腕にガチガチに力を入れて棒きれを振るのとはまた違う。正面に立って見れば際立って見えた。

 

「中華式長刀は刀の運動に身体が引き摺られる感じだけど、日本式長刀は違う。人馬一体とはよく言ったもんだな。いや、こいつの場合は刀身一体か? 刀と一緒になって動くことで、様々な状況にも的確な攻撃を繰り出すようになれるんだよな」

 

青龍刀を思わせる中華式長刀は、一撃の下に敵を葬り去ることが出来るが、その斬撃は単調なものだ。

すなわち、振り下ろすが、薙ぎ払うか。日本式長刀はまた異なる。振り下ろす時の軌道もそうだが、腰と脚部のモーメントを刀身に伝わるようにすれば、斜め下からの斬り上げでも連続して行うことが可能となる。

 

「日本の剣術じゃあ当たり前なんだろうが………それを戦術機で可能にしたってのが凄えよ。こいつを開発したのは天才だな」

 

「そ………そうか。だがユウヤ」

 

なぜ今まではそれを黙っていた、と問おうとした時だった。

近づいてくる足音に、二人は何事かと振り向き、そして見たのだ。

 

すごい形相でこちらに向けて走ってくる小碓四郎と、崔亦菲の姿を。

 

 

「なんかユウヤ・ブリッジスが日本のヤマトナデシコに公衆の面前でいろいろとぶっかけたとか聞いたんですが――――?!」

 

「あんた私のライバルなんだから品性のない事は謹みなさ――――って?」

 

全速で駆けつけた二人は、そこで立ち止まりユウヤと唯依を見た。

何事もないように会話をしている。そこで、気がついた。

 

あれ、ひょっとして勘違いと。そう思った時には、もう手遅れとなっていた。

 

 

「二人共………取り敢えず、ここに座れ」

 

 

 

 

 

 

「全く、何を考えているのです………何を考えているのだ」

 

「正直すんません」

 

「中尉も同じです。仮にも士官なら、無責任な噂などに踊らされないで欲しい」

 

「いやでもぶっかけられたってのは本当………ふん、これぐらいで許してあげるわ」

 

「つーか騒がしいんだよお前ら。話の腰を盛大に折りやがって」

 

「それより、何の話してたの? もしかして次の休暇に何処行こうかって相談かしら」

 

「いや、生真面目な仕事バカ二人がそういった発想に至るとは思えん………思わないですよね、ね?」

 

小碓四郎こと白銀武は、何かしらの必死な感情をこめて問いかけた。

そうすると、当たり前だと言わんばかりに二人は答えた。

 

「開発に関する話だ。ユウヤが日本の剣術について私に聞きたいことがあると言ってな」

 

「ああ、成程」

 

武は安堵の溜息をついて、尋ねた。

 

「もしかしてこの中華中尉の胴体を逆袈裟一閃で切り裂いた時の話?」

 

「ぐっ………あんたねえ!」

 

「なんでしょうか中尉殿。きっと間違いではないと思う次第でございますが」

 

どこかおかしい敬語で、武。対する亦菲といえば、それきり反論の口を閉ざしきった。

てっきり罵詈雑言の雨でも降らせると思った二人は、あまりに予想外な行動に面食らい、それを察知した武が説明をした。

 

「中尉は今、罰ゲームを受けてる最中なんですよ。先の模擬戦で、大口をたたいたのに一対一で敗北した責任を取って」

 

「ふむ、その内容は?」

 

「それ関連の話を振られた時は、反論せずに大人しく言われるがままにすること。これでも譲歩した、って葉大尉は言っていたそうで」

 

「………本当よ。これで済むなら恩の字だわ」

 

語るにも恐ろしいといわんばかりの、もっと酷い罰を想像した亦菲の顔は青かった。

初めて見る意外な表情を見たユウヤが、尋ねる。

 

「参考までに、どんな罰なんだ?」

 

「あー、五分刈りとか」

 

唯依は反射的に自分の髪を押さえた。

武は首を傾げながら、罰ゲームの例の話を続けた。

 

「あとは、そうだな。ぐるぐるほっぺとか」

 

「ぐるぐ………なんだ、それは」

 

問われた武は、持っていた紙に簡単に書いてみせた。それを亦菲を比べ見たユウヤは、思わず笑ってしまった。

 

「っ、ちょっとあんた達ねえ!!」

 

「いやー、めんごめんご。でも下された罰は素直に受け入れなきゃあね」

 

「ぐっ………」

 

身に覚えがある亦菲は怒りに顔を赤くしながらも黙り込んだ。

一方で、それを傍目に見ていた唯依が、思い出したかのようにつぶやいた。

 

「………罰ゲームという単語には覚えがあるな。昔、戦場に出たての頃には私も受けたことがある。いや、正確には罰などではなかったが」

 

「唯依が、ねえ。いや、未熟だった頃ならそういうのもあるのか?」

 

「そうでもない。今でもそうだ。成熟したなどという言葉は、口が裂けても言えないだろう」

 

「そうか………それで、どんな罰だったんだ?」

 

「………罵詈雑言をな。模擬戦で負けた時の欠点を、口汚い文章でもって………思い出しても腹が立つ」

 

「さ、参考までに聞きたいんだが」

 

「"剣術馬鹿"、"猪突猛進娘"………"梅干しな脳味噌を1割程度は戦術機動に活用してみせろよ"、"せめて人並み程度の視野は持ってくれ"、"テレフォンブレードの対応にはもう飽きすぎてあくびが出るようになりました"、あとは何があったか………」

 

テレフォンブレードとはテレフォンパンチと同じ意味である。つまりは読みやすい刀の相手をするのは時間の無駄だ、ということだ。

 

「あー………俗にいう、クラッカー式ね。心をガチで殺しに来る訓練方法」

 

何事かを思い出した亦菲も、遠い目をしながら拳をぎりっと握りしめた。

上官はクラッカー式に詳しいであろう、葉玉玲。昔にあったことを思い出しているのだろうと察した男二人は、つつと目を逸らすことでやり過ごした。

 

「つーか、よくそれだけの悪口並べられるよな………」

 

呆れたユウヤに、武は震え声で反論した。

 

「え、衛士は負けず嫌いが多いから、有効な方法だし。タリサにも通じたし」

 

別の意味でも効果が出ていたのだが、気付かずに武は続けた。

 

「それに対人戦じゃあ必要な要素だろ? ていうかユウヤってその手の搦手に対する耐性低そうだよな」

 

「はあ? バカにすんなって、たかが罵詈雑言程度で平常心を失うわけねえだろ」

 

「そう思ってる奴に限って引っかかるんだよな………本気で挑発してくる相手に、下手な虚栄心は逆効果にしかならないぜ?」

 

「それこそバカにしてんだろ。なんなら試してみるか? もし俺の平常心を奪えたら、何でも奢ってやるよ」

 

「ん~、そうだなあ………じゃあ、戦術機バカ」

 

「褒め言葉だな」

 

「日系米国人」

 

「あー………悪意をもって呼ばれた時のか? 今なら別にどうも思わないけどよ」

 

「最近、女性の整備兵の間でヴィンセントとユウヤに対するホットな噂が絶えないらしいんだけど」

 

「ええ、ちょっと………本気なのアンタ」

 

「根も葉もないことを面白おかしく話してんなよ、つーかお前も加わんな凶暴ケルプ。シロー、次だ」

 

「ロリコン」

 

「………イーニァのこと言ってるんなら、違うぜ」

 

「じゃあ――――マザコン」

 

ユウヤは反射的にぐわし、と武の頭を掴もうとした。

だがそれは片手で阻まれ、代わりに腹に手が当てられる感触に下を向いた。

 

「とまあ、ね。何が起爆剤になるのか分からんけど、こうした言葉は定番らしいぜ。だからその怖い顔を止めてくれたら嬉しいんだが」

 

「っ…………分かった。言い出したのは俺だしな」

 

ユウヤは衝動的に抱いた怒りを抑えながら、座った。

正直を言って腹が立つ類の忠告だが、正しいと思えるものが多くあったからだ。

これからの模擬戦でも、相手が通信を繋げてこちらを挑発してこないとも限らないのだから。

 

(それにしても………銃弾じゃなく、言葉だけで相手を弱らせる戦術か)

 

特殊な兵器でもない、ただの人間の言葉だけで敵戦力を削る戦術。

BETA相手なら意味のない技術だが、人間が相手ならいくらでも活用できる。

例えば、相手エースに関する過去の情報を洗い出せばどうか。それを元にした挑発なら、非常に効果的に運用できるだろう。

 

「あー………正直すまん。でも、まあこれは諸刃の剣なんだけどな。相手が我を失わない場合、逆効果になる可能性が高いし」

 

怒りによって切れるのではなく、その怒りを戦闘力や執念に活用してくる場合の話だ。

そうなると、地力では上回る筈の相手に一方的に押されることもある。

そうでなくても、非人道的な行為をしたとして相手側の士気を逆に高めてしまうこともあるのだ。

 

「それを活かすのがクラッカー式ってことか」

 

「そうそう。闘争心を活用する、最も冴えたやり方ってやつだ。って話の腰を折りまくってなんだけど、剣術の話って?」

 

「不知火・弐型のウェイトバランスのことだ。吹雪を欠陥機だって言っちまったが、ありゃ間違いだったぜ」

 

そこから、ユウヤは唯依と武に頼みたいことがあると言った。

自分にもっと本格的な剣術を教えてもらえないか、ということだ。

 

「あれに乗る大半の衛士が、剣術を修めてるってんだろ? 間接思考制御には、本人の経験が色濃く反映する………先の戦闘でもそうだ。脚部の連結張力を活かしきれてないのを痛感させられたんだよ」

 

「とはいっても、なあ」

 

「っ、頼む! 俺は、半端な戦術機に満足して、これに乗る奴らを死地に向かわせたくないんだよ!」

 

懇願するように頭を下げるユウヤ。対する唯依と武は戸惑いながらも答えた。

 

「それは………今以上のことは出来ない」

 

「な………理由は! 俺が日系米国人だからか!?」

 

「違うさ。その程度のことで、開発に血眼になってくれているお前を否定することはない。段階があると言ったんだ。それに正規の剣術が、BETAを相手に通用するかと言ったらまた別の話になる」

 

剣術とは心得を別とすれば、人を相手にすることを前提とした技術だ。

そういった意味では、対BETAとして開発される不知火・弐型に人間相手の剣術に適応できるように変える、などという行為は逆効果しかならなくなる。

 

「対BETAの剣術とは、すなわち素人にも剣が思ったように振れるかどうかだ。それに戦術機に乗った上での剣の技量と、生身で剣を持った時の技量はまた異なってくる」

 

最低限の剣の心得、そして覚悟を持った人間であれば長刀は実戦で十二分に運用できるのだ。

斯衛が優れているのは、剣の基礎知識ということもあるが、それだけではなく心得や覚悟によるものが大きい。

 

「実際の戦術機で活かせるかどうかは、また違った資質が必要になってくる。そういった意味じゃあ、ユウヤは天才の領域に入ると思うぜ?」

 

なにしろ、と武は亦菲を指さした。

 

「油断、っつーか相手をやや甘くみて攻撃が単調になってたのは確かだ。たまのユウヤの反撃に対しても、雑な受け太刀しかしなかった。そもそも対戦術機には不利な中華式長刀で挑んだって時点でおかしい。それでも、中尉は並の衛士なら蹴散らせるだけの技量は持ってるんだよ」

 

辛勝とはいえ、本気の実戦を知らない身でそれに勝てたことがおかしい。

戸惑う亦菲を置いて、武は確信していた。

口には出さないが、ユウヤは自分の知る限りで最も戦術機での長刀戦闘の才能がある女性――――御剣冥夜に匹敵するかもしれないと考えていた。

 

「それに、素振りは………基礎の技術は重要だぜ? つきつめれば刀身振って相手より先に斬る、ってのが剣術なんだ。そこに至るには、自分の身体と剣が一体だとそう思えるようになる必要がある。だから素振りってのは基本にして奥義までの最短距離を走る事になるんだよ」

 

「………そういう、ものなのか?」

 

「ああ。それに、不知火・弐型に特定の流派の癖をつける訳にはいかない」

 

「っ、そうか。そうだよな………確かに」

 

唯依の指摘に気づいたユウヤは、成程と呟き納得した。使い手を選ぶ戦術機など、欠陥兵器も良いところだからだ。

 

「ふ、ん…………成程、ねえ?」

 

「何がだよ。言っとくけど、さっきのはお世辞でも何でもないぜ」

 

武は心の底からそう思っていた。実際、崔亦菲の近接戦闘力は高いのだ。対BETA戦においては、ユウヤより確実に上である。

対人戦でも、長刀での一騎打ちにこだわらなければ、ユウヤが不利であったと分析していた。

 

(マジになったタリサはそれ以上だけどよ………執念の違いか)

 

そして、もう一つ頭の痛い問題があった。タリサは間違いなく、自分のことを思い出しているのだ。

詳しく聞けるような状況でもないし、最低限の暗号めいた言葉だけを残すことしかできなかった武は、少し不安を覚えていた。

 

どうしたものかと、やや暗い顔でため息をつく武は、ふと視線を感じて顔を上げた。

 

 

「………なんでしょうか、崔中尉」

 

不穏な感触を抱いた武は、敬語で尋ねる。だが、それは逆効果だった。

 

「さっきまでは言わなかったけど………なーんか、あんたに敬語使われると寒気がするのよね。その暗そうに溜息吐く姿も、どっかで見たような………」

 

「気のせいだろ」

 

武はすっぱりと切って捨てた。が、亦菲は訝しげな表情でじっと武を下から覗きこんでいた。

 

「ん~………やっぱり、ねえ………あんた、昔に会ったことない?」

 

「おいおい、ナンパかよ。二人きりの時にやってくれよな、そういうのは」

 

「なっ、違うわよ! アンタも年下の上官にいろいろぶっかけるとか、狙ってやってるんじゃないのって痛っ!?」

 

「ばばばばば馬鹿いうんじゃねーよ! あと怖いから止めろ、そんなことになったらおっかないオジサンが黙ってねえぞ!?」

 

主に俺に、とは言葉には出来ずに。

 

「はあ? ていうかなんでアンタが怒って………もしかしてそっち狙いなのアンタ!?」

 

「痛え、ってなんでお前が怒るんだよ!」

 

「おい、お前ら………って聞いてねえよ」

 

 

何故か口論に発展した二人。ユウヤと唯依は付き合いきれない、と二人を置いて食堂を後にした。

食後の運動がてらに、と基地の外に。

9月の上旬であり、時間が遅くても涼しいとは言い難い気候。

 

それでも、アメリカに居た頃とは違う。深呼吸をしても、喉と鼻に入ってくるのは砂まじりのそれではない、清浄な空気だ。

 

「………空気が綺麗だな」

 

「そう、だな………」

 

何気ない会話。二人は、その中で同じ考えを抱いていた。

決意と諦観と苛立ちが混ざり合っての、ユーコン基地への配属。

そのせいもあってか、今までは当たり前とも言える空気の美味しさでさえ感じ取れていなかったのだ。

 

「まあ………色々とあったしな」

 

「そう、だな」

 

二人は言葉も少なく、それでも会話を成立させていた。

無言ではあるが、何となく心地よい空間。ユウヤらしくないとどうしてか焦躁感を感じ、辺りを見回した。

 

「どうした、ユウヤ」

 

「いや………そうだな。いつだったかな。イーニァを探してたクリスカがあそこに居た事があって――――」

 

言葉の途中で、それは現実のものとなった。

建物の影から、周囲をきょろきょろと見回しながら歩くクリスカの姿が現れたからだ。

 

ユウヤはまたか、と呆れた声を出しながらフェンス越しにいるクリスカに近づき、声をかけた。

 

「よう、クリスカ。またイーニァを探してるのか?」

 

「ゆ………ウヤ」

 

「おう。つーか、見りゃわかるだろ」

 

「あ、ああ………」

 

クリスカは小さく頷き、そして視線を唯依に移した。

 

「ビャーチェノワ少尉か。シェスチナ少尉を探しているそうだが、この周辺に居るのか?」

 

唯依は西側の施設に居るのは問題があるが、と続けようとしたが、そこで黙り込んだ。

クリスカは、唯依とユウヤを幾度か交互に見た後に、尋ねた。

 

「随分と近しい間柄になったようだな」

 

「………え?」

 

「………はあ?」

 

唯依とユウヤは、予想外の言葉に戸惑ったせいで返答に数秒遅れてしまった。

他人には無関心でイーニァの事しか頭がないように見えるクリスカが、まさか自分達のことを観察した上に関係のことで何かしらの指摘をしてくるとは思っていなかったのだ。

そしてまた、数秒遅れてクリスカの放った言葉を認識した二人は互いに顔を見合った。

 

「それは………まあ、な。なんだかんだ言ってパートナーだし」

 

「そうだな。ユウヤは優秀な衛士として、不知火・弐型の開発に尽力してくれていると思っている」

 

「………素直な言葉なんて始めて聞いたぜ。でも、もう少し具体的に聞きたいんだけど、それはどういう風にだ?」

 

「こちらの要求に真摯に答えてくれている。吹雪を欠陥機と言ったことは忘れていないが、先ほど撤回は受けたしな」

 

「根に持ってたのかよ………」

 

「冗談だ。というより、私は捻くれていない相手には素直な方だ………ん、ビャーチェノワ少尉、どうした?」

 

「いや………中尉はユウヤと呼ぶのだな」

 

「あ、ああ」

 

じっとこちらを見つめてくる瞳に、唯依は戸惑いながらも頷いた。

 

「それは、どういった経緯でだ?」

 

「いや………話すと長いのだが」

 

「そうだな。ここで立ち話ってのもなんだし、良かったらリルフォートにでも行ってみるか?」

 

酒でも飲みながら話そうか、とユウヤは冗談交じりに言った。

以前は断られた提案で、しかし今回は違った。

 

 

「――――ああ、聞いてみたいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼の時間が短くなったアラスカの空の下、夜闇を照らす照明の光彩が煩いぐらいに輝いている歓楽街、リルフォート。

そのバーの中で、3人はテーブルを間に挟んで向かい合っていた。

 

「それで、何を注文する? 早めにしようぜ」

 

秘密主義で知られるソ連の軍人が歓楽街に居るということがよほど珍しいのだろう。

ユウヤは周囲から無遠慮に向けられる視線に気付き、それが好奇心であることも理解していた。

見世物になる気はないし、正直うっとうしい。そう思ったユウヤはロシアっぽい料理を頼もうとしたが、クリスカに止められた。

 

「食事はいい。それより、中尉の話が聞きたい」

 

「いや、遠慮すんなって。言い出したからにはこっちが奢るぜ?」

 

ユウヤは軽く笑いながら注文をしようとした。

が、そこでクリスカは狼狽えたように制止の言葉を向けた。

 

「わ、私のことはいい。それより、話の方を頼む」

 

「あー………機密の問題とかあるから、ざっくりになるけど」

 

ユウヤと唯依は互いに名前で呼び合うようになった経緯を端的にまとめて話した。

改めて口にするとなるとかなり気恥ずかしさを覚えていたが、まるで別人のようになったクリスカに対して嘘を教えるということは出来ないとは、共通の意見だった。

クリスカはひと通り聞いた後、運ばれてきた料理を軽く食べる二人をじっと眺めながら、言った。

 

「そうか………やはり」

 

「何だ、やはりって? 体調悪い、ってか寝不足っぽいけど調子でも悪いのか。あ、ひょっとして開発が上手くいっていないとか」

 

「私個人の問題だ。そして、その原因が判明した――――貴様のせいだ、ブリッジス」

 

「………はあ? ってオレのせいかよ!」

 

「ああ。今の話を聞いて、ようやく分かった。どうしてか私は、貴様達の話を聞いていると集中力が乱れてしまう」

 

昨日は夢の中にまで出てきて私の睡眠を阻害してくれた、とクリスカは大真面目な表情で告げた。

それを聞いた唯依が、ユウヤを胡乱な瞳で見た。

 

「ブリッジス少尉………そういえば貴様達はグアドループで遭難した時、二人っきりになった時間があったな」

 

「いや、なんにも無かったって。つーかそっち方面の話じゃないだろ、どう考えても」

 

色恋沙汰に繋がるような事は何もなかった。そう認識しているユウヤは、閃いたというようにクリスカに告げた。

 

「クリスカ、その気持ちはタリサを見た時にも抱いていないか?」

 

「マナンダル少尉か………そういえば、そうだな。質は少し違うが、少尉の発言を思い出すと集中力が乱される時がある」

 

「なら分かったぜ。それはライバルに対する対抗心ってやつだ――――ん、何だ今の音は」

 

誰かがテーブルに頭をぶつけたような音を聞いたユウヤは、周囲を見回す。

だが、見える限りの席にはそのような奇行に及んだ人物は居なかった。

 

「で、だ。話を続けるぞ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、ユウヤ達からは死角になる席では二人の男女が溜息をついていた。

 

「いやいや、それはないだろユウヤ………つーか篁中尉も頷いてるし」

 

「本当に天然って怖いわー。それで、何でこの私がストーカー紛いのことしなきゃなんないのよ」

 

「奢るからいいじゃねえか。おう、ビーフンが来たぜ亦菲」

 

「気安く呼ぶんじゃないわよ………って、アンタ、これは」

 

「具材とのバランスは7:3が真実、だろ? ………まあ、葉大尉から聞き出したんだけどよ。詫びの一つだ、食べてくれ」

 

誤魔化すような口調に、亦菲は嫌な顔をしながら言った。

 

「成程。アンタ、真性のストーカーだった訳ね」

 

「違うっての。まあ、そっちも正直気になるだろ? ユウヤの事とか」

 

「………否定はしないけど、なんかアンタに言い当てられると嫌な気分になるわね。それより、あの鈍感はちょっと度し難いわ」

 

「ああ、本当になぁ。いくら俺でもアレは正直ないわー、って突っ込みたくなるぜ」

 

「――――どうしてか今、"アンタが言うな"って大声で叫びたくなったわ」

 

「は、なんでだ?」

 

「なんでかしらね………まあ、いいわ。それで、なんであんたみたいなのがこんな所に居るのかしら」

 

「あー…………」

 

武は言葉を選ぼうとした。ここで素性を明かすなど、百害あって一利もない。

だが、目の前の人物はそれで済ませてくれるような性格ではなかった。

 

深い溜息を一つ。それで色々なしがらみを誤魔化した武は、周囲に聞こえないよう呟くように囁いた。

 

「明後日ぐらいには分かると思う。具体的には、ガルムとインフィニティーズの模擬戦が終わってから間もなく」

 

「………ばかにいい加減な釈明ね。信憑性が皆無ってことは分かってると思っているのだけど」

 

そして、一息をついて亦菲は告げた。

 

「カムチャツカでのあんたの機動は見せてもらった」

 

「………それは、嘘だな。葉玉玲とあろうものが、そんなヘマをする筈がない」

 

「と、迷いなく断言できるぐらいには、うちの隊長とは知己の仲だってことね。理解したわ」

 

「ぐ………」

 

武は失言に、口を噤んだ。反論は逆効果。肯定するのも、また自分の戦闘力を肯定することになる。

 

「あらかじめ分かってたことだが………一筋縄ではいかないな、崔亦菲」

 

「安い女じゃないのよ。誰がどんな評価をつけようともね」

 

安売りするつもりはない。武はその物言いに、いっそ爽快感を覚えていた。

いい女の条件は、義理を果たす任侠人のような潔さがある。過去に聞いた訓示だが、偽りなく目の前の人物が当てはまることを感じ取っていた。

 

「いずれ分かるさ。分かりたくなくたって、思い知らされる」

 

「へえ………それは、あんたも含めてかしら」

 

「一個人が出来ることなんてたかが知れてる。陸海空の軍隊を動員できる人間なんて、世界に十指に満たない」

 

この戦争の最終地点は、いかにハイヴを攻略するかということ。

それには陸軍、海軍、空軍、果ては宇宙軍の戦力も必要になる。そして、その戦力を動員できる立場にある人物など、劣勢の色が濃い現状の地球勢力では数えられるほどにしか存在しない。

 

「それでも、出来ることがある。でなければユーコンに来ていないさ」

 

「ふうん………まるで此処が世界の中心じゃない、って言ってるように聞こえるけど」

 

「ああ、そういう意味なら間違ってないな。数年前からは、日本かアメリカが世界の中心だ。このBETA戦争の行く末を担っているから」

 

ほんの少し、世界の裏側を知っている者であれば常識だ。

表向きでも、裏向きでも。亦菲はその言葉に言いようのない説得力があると感じ、それ以上は問いたださなかった。

 

「………行くわ。茶番に興じている暇はなさそうだし」

 

「そう急くなって。始まる時はヨーイドンだ。個人の意志に関係なくな」

 

「訳知り顔で言われると余計に腹が立つわよ。なんでも見透かされているようで」

 

「でも、本当だ」

 

武は思う。人の強さとは、武力だけではない。

例えばそう、異世界で見たツェルベルスの勇猛果敢な攻勢は、単純な才能だけでは成せない類のものであると。

 

「………武運を。今は、これ以上は言えないけどな」

 

「ふん。アンタも、せいぜい死ぬんじゃないわよ。ユウヤもね。勝ち逃げするなんて許さないんだから」

 

「そう努めるさ。俺はここでは端役だからな。全ては、明日の模擬戦次第だと思うけど………いや、それさえもか」

 

「楽しみなのは変わらないってことね。確かに………あの人が化物といった、突撃前衛の片割れ。その実力を直に見れるのは幸運だと思ってる」

 

「いずれ越える壁として?」

 

「踏み台としてもね。もっとも、本当の実力次第では生涯のライバルになるかもしれないけど」

 

言い放った亦菲の顔には、分子ほどの迷いも含まれていなかった。

欠片も迷わず、ただ自分の進むべき道を疑わない。その意志力は、並大抵の者が抱えることはできないもので。

 

「全ては明日の模擬戦の内容次第、ってことだ」

 

「そうね。正直、私はワクワクしてるけど」

 

「模擬戦が終わった頃には、敵愾心に変わるさ。目の上のたんこぶ的な意味でな」

 

虚飾であろうとも、実力が足りない衛士など英雄扱いされることはない。

ならば、果たしてガルム小隊の真なる実力はいかほどのものであろうか。

 

「そうね………その時は、より一層楽しめそうだわ。越えるべきハードルは高いほど、爽快感が増すって言うじゃない?」

 

「そうとも言うな」

 

根拠がない自信とも言い切れない。

 

武は言い放った亦菲を見送りながら、マリアナ海溝のように深い溜息をついていた。

 

 

 

 

「………頼むぜ、クリス、フランツ。アーサー、アルフレード………リーサ」

 

 

 

 

 

 

 

 




ありがとうございました。

次はいよいよ、3.5章の山の一つであります。

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