Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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特別短編の最終話です。


特別短編 『Resurrection』 3話

 

 

 

人の脳がその機能を失うのは、心臓が止まり血液が回らず細胞が壊死した時だけ。

故に生きているシルヴィオ・オルランディの脳は、非常時でも活発に働いていた。

 

諜報員が考えることを止めるのは任務を放棄する行為以外の何物でもない。

そして軍人として、シルヴィオは自分の中に浮かんだ問いに対し自問自答を繰り返していた。

狙われている少女は、社霞。その彼女の殺害計画を阻止したとして、自分に何のメリットがあるのだろうか。

 

現在の状況と与えられている情報を元に、冷静な自分が答える。

今現在の自分に与えられた任務は2つだけ。表向きは香月夕呼の護衛を、そして裏では、βブリッド研究の実態を突き止めること。

 

結論はすぐに出た。その任務の達成と、少女の心の臓が止まることと直接的な関係はない。

研究所に潜り込みレンツォの生死を確かめるという、新たに出来た私的な任務も満たすことはない。

 

(なのに、何故………)

 

シルヴィオは気づけば走りだしていた。問答は続いている。明確な方針を決めきれてはいない。

刺客という脅威が存在する以上、このまま進めば間違いなく生命のやり取りになる。

 

デメリットしか無い筈で、なのにもう一人の冷静な自分が言うのだ。

どれだけ早くても、あと一時間はかかるだろう――――ならば、間に合う可能性は充分にある。

 

そのまま、足は止まらなかった。基地に到着したシルヴィオは急ぎ、美冴が居る部屋へと駆けた。

 

「起きてくれ、美冴! 起きないのなら――――」

 

「っ、一体何事?!」

 

蹴破ろうとしたシルヴィオだが、その数秒前に扉が開いた。

そこにはC型軍装に身をつつむ美冴の姿が。だがシルヴィオは、望む人物を前にして、言葉を詰まらせた。

社霞は機密の塊だ。美冴がどこまで情報を掴んでいるのかは分からないが、余計な部分まで話してしまえば口封じにあう可能性が高まる。

 

「というより、そんな格好で何処へ…………もしかしてまた潜入してきたの? そこで何か情報を………」

 

美冴はそこでシルヴィオの表情に気づいた。痛みに耐えているような、恐れているような。

その焦燥感は、戦場で見たことがあった。

 

「もしかして………誰かが危険な目に?」

 

「っ、そうだ! 理由は話せないが、社霞の生命が狙われているんだ。信じられないかもしれないが………」

 

霞は地下19階に居る。陸の孤島で、セキュリティーレベルも世界トップクラスである。

なのに、敵は潜入可能だと断言していたのだ。人の作ったものに完璧などあり得ない。

シルヴィオは万が一を考え、急いで護衛に行くべきだと主張する。

 

対する美冴は、考えこむ様子で数秒。その後すぐに、基地内の歩哨をしている機械化歩兵の所に向かった。

無線を借りて、副司令の執務室へ緊急の連絡を取ろうと言うのだ。

 

とはいえ、執務室へは直接繋がらないため司令室を通してになる。

それでも間に合えば、とシルヴィオは思っていたが、その期待は裏切られた。

 

副司令が居る執務室への回線が切られているというのだ。

シルヴィオは先手を取られたか、と舌打ちをしながらも、即座に次の対処へと移った。

 

「緊急事態だ! 執務室へ機械化歩兵を向かわせろ」

 

「しかし、許可を取る必要が」

 

「問題ない。ドクター香月までの執務室なら、俺のIDでどうにかなる」

 

「了解しました」

 

歩哨はそのまま、基地内の歩哨へ通信を飛ばす。

シルヴィオはそれを確認すると頷き、走りだした。

 

美冴と、そして緊急事態であるからと歩哨も同行を申し出てくる。

シルヴィオはもしも相手方が機械化歩兵であれば、自分単独で対処するのは難しいと判断し、同行を許可した。

 

エレベーターに乗り、地下19階へ。そして風のような速度で美冴と機械化歩兵に廊下を任せ、自分は執務室へ入っていった。

 

「ドクター香月っ!」

 

「――――なによ、騒がしいわね。どうしたのよ、血相変えてそんな格好で」

 

もしかして夜這いか、と平時そのものの声で応える。

シルヴィオはその姿を見て、首を傾げた。

 

「もしかして夜這い? 宗像の声も聞こえたけど………3P狙いの夜襲とか大胆ね~。でもお断りするわ。年下は性別認識圏外なの」

 

「それは良かっ………違う。ご無事か、ドクター。不審人物を見ていないか?」

 

「特殊性癖を持つイタリア人は見たわ。見ている途中、と言った方が的確かもしれないけどね」

 

シルヴィオはそれを聞いてひとまず安堵したものの、すぐに詰め寄った。

研究の核、人間ではない、不幸な。そうした内容の密談をしていた諜報員が、その女狐の娘を狙っているというのだ。

 

「――――訂正してくれる?」

 

「は………?」

 

「社は人間よ。誰が何と言おうと、人間――――そこの所を間違えてもらっちゃあ、ね」

 

シルヴィオはそこで初めて聞いたようなした。

得体のしれない女性、人類最高峰の頭脳と呼ばれる香月夕呼。その人物の、推測ではあるが外部向けの作り物ではない声を。

そして、背筋に氷を差し込まれたような錯覚を。同時にシルヴィオは自分を恥じて、言い直した。

 

「――――すまない。訂正する。だが、女狐の娘が狙われていると聞いたのは事実だ」

 

こちらが何と思っていようと、敵方は社の事をそう思っている可能性がある。

シルヴィオの言葉に、夕呼は首を横に振った。

 

「だから社じゃないの。別に居るのよ。"そう"呼ばれる対象がね。でも、それはオルタネイティヴ4の最高機密なのよねえ」

 

「………何が言いたい?」

 

「あんたが横浜に来た理由。もしかして、そっちが本命だったのかしら」

 

「それは………いや、違う。理由はどうでもいい。だが、暗殺計画があるのは本当だ!」

 

こうしている内にも、時間が。シルヴィオが焦りと共に主張すると、夕呼は「ここからかしらね」と呟き、立ち上がった。

あまりにもゆったりとした動作に、シルヴィオは苛立ちの声を放つ。

事態は一刻を争うかもしれないのだ。対する夕呼は、肩をすくめながら答えた。

 

「大丈夫よ。このフロア、指紋とペアで登録されていないと銃器は使えないから。隔壁もドアも耐爆仕様だし、下手な要塞や核シェルターに負けないぐらいの強度は持ってるわ」

 

「だが、万が一という事もある。応援部隊が来るまでは、一箇所に集まっていた方が安全なんだ!」

 

「分かってるわよ………ついてきなさい。向かう先に社も居るわ」

 

シルヴィオは歩き出した夕呼を守りながら外に出て、美冴と機械化歩兵と合流する。

そして、間もなくして一つの部屋へと入った。

 

執務室とは違って蛍光灯もついていない、薄暗い部屋。中央にある青い光だけが光源となっている。

社霞は、そこで1人で佇んでいた。

 

「ここは………」

 

「さっき言ったでしょ。最高機密だって」

 

シルヴィオはそれを聞いて、部屋の中を見回した。見えるのは霞と、部屋の中央にある蒼く輝く水槽――――中には人間の脳髄の標本らしきものが入っている。

 

「………ドクター香月。これが………いや、彼女がそうだと?」

 

「ちょっとは自分で考えなさいよね。BETAという正体不明の敵が居る。なら諜報員として、何が貴重で何が有用になるのかしら」

 

「諜報………それはBETAの情報、習性や内実を知る――――まさか」

 

シルヴィオは弾かれるように、夕呼の方を見た。

脳裏に過るのは、暗殺計画を実行しようとしている諜報員の言葉だ。

 

(標本そのものなら、標本と言うだろう。"もはや人間ではない"………それは逆に言えば、人間と言えるだけの何かがあるということ)

 

ならば、とシルヴィオは目を閉じて歯を食いしばりながら震える声を零した。

 

「横浜ハイヴの…………BETAに捕らえられた捕虜。その、生還者か」

 

脳髄だけの状態でどう生かされているのかは分からない。どのような処置を施そうと、この状態で延命を続けるのは不可能だろう。

下手人は言うまでもない。BETAは生きたまま"彼女"を解体したのだ。手足を貪り食われた自分の比ではない。

その目的や理由などは分からない。ただシルヴィオは、想像を絶する程の悲劇が目の前の彼女を襲ったことだけは理解できた。

 

「社………霞………そういうことか」

 

「核、と言えば社もそうね。一緒に掬い上げるのよ。人類の希望を、破滅以外の未来をもたらす彼女を」

 

それが、あたしとこの子とあいつの復讐。夕呼の言葉に、シルヴィオは耳を疑った。

このような状態にさせられてしまった彼女をどうすれば、人類の希望だと言えるのか。

 

「――――言い直しましょうか。利用し、鍵にする。例え悪魔と罵られようが関係ないわ………もう形振り構っちゃらんないのよ」

 

「………ドクター香月、貴方は」

 

反論も同意の声も出てこない、出来たのは名前を呼ぶことだけ。シルヴィオは、ただ圧倒されていた。

銃器や武芸を欠片たりとも帯びない目の前の女性に、思ったのだ。

 

――――勝てない、と。

 

同時にフラッシュバックした言葉があった。アルジェリアの前夜でも聞いた、レンツォが告げたのだ。

 

――――形振りかまってるようじゃ、何も出来ない。誰かの目を気にしながら綺麗事を飾ってるだけじゃ、何にも届かない。

 

「俺………は」

 

掠れた声。同時に、声が蘇った。記憶の中にしかない言葉が、反芻された。

 

――――主の裁きなんか知るかっ! 俺ぁ、信仰は欧州に置いてきちまってな、品切れだよ。なあ、相棒。俺たちがこんな汚い所で足掻いてるのは何のためだ? あの船の上での光景を忘れちまったのかよ。

 

「俺は………っ!」

 

何も答えることができない。経緯はどうであれ、形として人類の希望を背負うという覚悟を持つ人間を前にして。

どのような言葉も滑稽になってしまうと、そう感じたからだ。

 

そうして、シルヴィオが拳を握りしめた時だった。

 

「っ、危ない!」

 

初めて聞く大声。シルヴィオがそれを認識するのと、身体に物理的な衝撃を感じたのは同時だった。

そして風景が流れていき、次には背中に大きな衝撃を感じた。

 

(っ、何が――――)

 

視界の歪み、美冴の悲鳴のような叫び、緊張に息を呑む声。

そしてシルヴィオは、下手人が誰かを知った。

 

「強化外骨格………いや、その出力は………っ」

 

不意打ちとはいえ全く反応できず、挙句の果てにこの衝撃。

シルヴィオは自分の負ったダメージを元に、相手の戦力を測り、理解した。

相手の出力は、正規軍のゆうに数倍。それだけの力を持って、あの鉄塊のような拳が繰り出されている。

 

「ご案内感謝しましょう、オルランディ中尉。此処での貴方の役割はもう終わりです。しばらく、そこで寝ていなさい」

 

「そう………言われて………おとな、しく………」

 

「していないでしょうね。ですが、ご安心なさい。ご婦人方には手を出しませんよ。そのつもりなら、初撃で貴方を狙いはしません」

 

シルヴィオはその言葉に対し、一定の正しさがあることを理解した。

テロリストは生命を惜しまない。ならば、疑われていない状況であれば仕留めるべき対象を一撃で抹殺するのが定石だ。

護衛は自分だけではない。美冴が壁になれば、あるいは援軍が到着すれば事態はいくらでも急転するのだから。

 

「お優しいわねえ。それと、補足してあげようかしら。第四計画の進捗発表期間中に、当の計画の中心人物の暗殺………国連のお偉方への心証? 誰だって面子は大事だし、責任は負いたくないものね」

 

今回のレセプションには国連の重要人物も出席している。その中での暗殺騒動、しかも下手人が見え見えだというのは拙いのだ。

それは国連の面子に泥を擦り付けて糞を塗りたくる行為になる。

"お前たちの誰の都合など関係ないし、何処にいて何を考えていようが関係ない、俺たちはやりたいようにやる"――――そう喧伝して回るに等しいのだから。

 

「勘違いしてもらっては困りますね、香月博士。私は神の使徒です。そして、"彼女"がそうであると確信した以上、やることは一つです」

 

「救済………ですか?」

 

「………ええ、そうですよミス・社。哀れな魂は救われるべきなのです。貴方も同じことを考えたことが――――」

 

強化外骨格を纏った機械化歩兵はそこで霞から視線を逸らし、防御態勢に入った。

同時に生身の人間が起こしたものとは思え得ない、轟音が部屋に鳴り響く。

 

「しぶとい、ですね………っ!」

 

「美冴っ、二人を連れて逃げろ! 警備部隊がもうすぐ――――」

 

「来ませんよ、邪魔者は!」

 

機械化歩兵が腕を振り、シルヴィオの腕を掠めた。直撃ではないものの、シルヴィオは相当な衝撃を受けて地面に転がされる。

 

(通信が………応援を呼んだのは、フリか!)

 

司令室への通信もそうだったのだろう。シルヴィオは初歩的な手に引っかかった数分前の自分を間抜けと叫びながらも、立ち上がった。

そして、即座に機械化歩兵へと挑んでいく。

 

「そう来ると思っていました、よ!」

 

「く―――っ!」

 

シルヴィオは舌打ちをしながら、フットワークを活かして相手を翻弄し始めた。

徒労に終わったのは10秒後。機械化歩兵は並以上に鋭く、何より速かった。

 

シルヴィオも欧州にて強化外骨格を纏った機械化歩兵相手の装甲CQCを行ったことがある。厳しい訓練も積んできた。

だが目の前の相手は、その積み上げてきたものがまるで無意味だったのではないかと疑う程の反応速度と出力を誇っていた。

 

素人目にも優劣は明らかで、シルヴィオは次第に壁に追い込まれていった。

そして動く場所が無くなったシルヴィオは、鉄塊の拳を受けて、壁に叩きつけられる――――

 

「この、ままで―――」

 

「なっ!?」

 

―――その直前に足を後ろにして壁を蹴った。その勢いを活かし、態勢を整えきれていない機械化歩兵の懐に入った。

 

「―――終われるかよっ!」

 

言葉が形になったかのような、裂帛の気合がこめられた拳が機械化歩兵に直撃する。

その強化された拳は装甲を貫く所まではいかずとも、強化外骨格のコックピット部の蓋を弾き飛ばすことに成功した。

 

シルヴィオは更に踏み込んだ。あとは、そのがら空きの頭部に拳を叩き込むだけ。

この機を逃せば勝ち目はないと、最後の力を振り絞って踏み出す。

 

あとは力一杯に拳を握り、手が届けば勝利を。

 

――――そこで、呼吸を忘れた。

 

「レ、ンつ………!?」

 

声に出来たのはそこまで。硬直して隙だらけになったシルヴィオへ、機械化歩兵の一撃が直撃する。

吹き飛ばされ、強化された壁を歪ませるほどの衝撃を背中に受けたシルヴィオは、たまらず膝をついた。

 

常人よりクリアである筈の視界が歪みに歪む。それでも、意識は失わなかった。

身体のダメージより、なお勝る驚愕があったからだ。

 

「旧式とは思えない健闘、お見事ですが………ここまでです、オルランディ中尉」

 

生身の肉声そのものである言葉。それを聞いたシルヴィオは、身体に走る痛覚を引きずりながら掠れた声を出した。

 

「レン………ツォ………生きていた、のか――――レンツォ!」

 

「ほう――――私をご存知でしたか、オルランディ中尉」

 

「なっ………シルヴィオ、あれが…………?!」

 

美冴の驚く声。シルヴィオはダメージに呼吸を乱しながらも、はっきりと答えた。

 

「そう、だ………レンツォ、俺の友だ。だが、何故お前が………っ!」

 

「ふむ、貴方と私は過去にそういう関係でしたか」

 

まるで他人事のような言葉。シルヴィオはその意味を問いただしたが、返ってきた言葉は予想外のものだった。

思い出せない、記憶喪失ではない。自ら過去を棄てた存在になったのだと。

その言葉を聞いたシルヴィオが、歯をむき出しにしながら立ち上がった。

ダメージは大きく、先ほどのような動きが出来ないことは理解していた。それでも立ち上がらざるを得ない単語が聞こえたから、軋む音と共に拳を握り、手を伸ばした。

 

「何もかも………俺たちの思い出も、棄てたのか」

 

「そうです」

 

「両親が眠る故郷を、イタリアを………無念を晴らすって約束も忘れたのか!」

 

「その通りです。祝福された未来に進むために、過去は枷にしかならない。神の国に至る者にとって、思い出や感傷など自らを束縛する檻にしかならない」

 

「なん、だと…………っ?!」

 

シルヴィオは一歩、踏みだそうとして出来なかった。バランサーも損傷しているのか、足に力が篭められなかったからだ。

 

「今の貴方がその証拠だ。過去の私の姿に執着し、動揺した結果が………そのザマだ」

 

「く………!」

 

シルヴィオは反論出来なかった。そもそもの、機械化歩兵をここまで連れてきてしまったのも自分がレンツォを探そうと誘導されてしまった結果だった。

まともに立てない状況も同様に。そんなシルヴィオに、声は降り続けた。

 

「貴方は何も見えていない。戯れに問うても同じでしょう。貴方は、神に祝福された未来があると………希望があると思っていますか?」

 

「何を………っ!」

 

シルヴィオはぎり、と食いしばった歯を鳴らした。言葉の意味ではない。

信仰は欧州に捨ててきたと言うレンツォが、神うんぬんの言葉を出すことに違和感を覚えたからだ。

記憶も失っているとなれば、過激派か原理主義者がレンツォの脳に何か細工をしたという以外の結論には至れない。

 

(いや……今は私事に気を取られている場合じゃない)

 

これ以上の失態は許されない。何より自分が許さないと、シルヴィオは美冴達が居る場所を見た。

その横に居る面々と背後に居る“彼女”こそ、今の自分が守るべきものだ。

 

(だが………拙いな。あいつの攻撃、あと一度受けたらもう………)

 

刺し違えるだけの力もない。基地の警備が異常を察知し、駆けつけてくれるまでは耐えなければいけないのだが、それを達成するのは非常に困難な状況だ。

 

「ふむ………やはり、答えられませんか。否、当たり前というべきですかね。未来どころか、過去――――あまつさえは現在という今、その真の姿さえ見えていないのですから」

 

「何を………っ、美冴!?」

 

シルヴィオは、驚きに声を上げた。美冴が気づかない内に銃を手に、レンツォに向けて照準を合わせていたからだ。

 

「動くな――――気を抜きすぎたな、テロリスト」

 

「ふむ………奇妙なことですねえ、宗像美冴中尉」

 

「フルネームを………いや、奇妙な事とはなんだ」

 

「このフロアのセキュリティレベルを持っていない人物が、使えない筈の銃を手に私を脅している。これが異常事態ではなく、何なのです? 初めてここに来た貴方が、上から持ってきた銃を――――やめておいた方がいい。私の俊敏性は先ほど見たとおりです」

 

「――――黙れ」

 

レンツォは向けられる銃口にも構わず、強化外骨格に備えられている機関銃の引き金を引く動きを見せた。

指紋と同時に認証を受けていない銃は、当然のように動かない。

 

「ご覧のとおり。ですが、宗像中尉は“事前に”認証を受けていたのですねえ。そんな彼女が、“偶然”にも都合よくこの場所に居る」

 

「なにが言いたい………いや、それより現在の、真の姿とはなんだ!」

 

「それは―――――」

 

続けようとしたレンツォの言葉は、一発の銃声により途切れることになった。

弾痕は、剥き出しになった頭部の額の中央に。だが、それだけに終わった。

 

驚くシルヴィオだが、冷静な夕呼は落ち着いた様子で指摘する。

そいつはアンタと同じ、サイブリッドであると。

 

「完全体、かしらね。それも、新型」

 

「その通りです。醜い部分が排除された、完全なる神の使徒こそが未来を掴むことを可能とする。中尉のような旧式では、不可能でしょうが」

 

「そんなに優位性があるようには見えなかったけどね………そんな事より、その構造材は気になるわ」

 

「旧式では不可能なのです! 肉体、記憶という余計な枷から解き放たれ、神から祝福された私であるからこそ、無菌室と謳われたこの基地のセキュリティを突破することが出来た」

 

レンツォは夕呼の言葉を無視し、陶酔するように言葉を続けた。

 

「ふ~ん、無反応ね。それ、あんたのお仲間が“聖骸”とか“聖遺物”とか言ってるアレを利用したものかしら? それに特別な力、ねえ」

 

「それは、オルランディ中尉をこの地に呼び寄せた貴方も詳しいのでは?」

 

「っ、貴様!?」

 

レンツォの言葉に、美冴がまた引き金を引いた。

だが銃弾は強化外骨格の腕に阻まれ、レンツォには届かない。

 

「やめなさい、宗像。いいのよ、ここまで来た時点で隠し通せるなんて思ってないから………停滞工作員のことも」

 

そして、夕呼の言葉を補足するようにレンツォから語られた真実の数々。

それを聞いたシルヴィオは、震える我が身を抑えきれなかった。

 

――――指向性蛋白という人工的な化学物質(ABS)が及ぼす作用と、その効果。

――――投与されたとして本人に自覚がないから社霞による能力でも対処できない、悪魔の物質のこと。

――――そしてそれは、原因は分からないがシルヴィオの“劣情に起因する能力”によって炙り出せることを。

 

「ドクター香月はそのために貴方を呼んだのですよ」

 

「そんな能力、俺にはない! そもそも原因不明などと非科学的なことを、信じられる筈がないだろう!」

 

「………あのね。仮説しかない現象なんて、それこそ掃いて捨てる程あるのよ? どっかの行動力満載な馬鹿のことなんか、その筆頭ね」

 

「違う。いや、待ってくれ。俺はそんな事をした覚えはない。何かの間違いじゃないのか」

 

「間違っているのは貴方の方ですよ、中尉。彼女は真実を語っています。聞きたくない言葉を無視しているだけでしょう――――いい加減に目を覚ましなさい」

 

「な………」

 

シルヴィオは反論しようとして、出来なかった。

いい加減に目を覚ませという言葉。それはアルジェリアの礼拝堂で聞いた、かつてのレンツォが発した内容そのままだったからだ。

 

それは、事態を冷静に観察する切っ掛けとなった。シルヴィオはこの基地に来てからの事を思い出していく。

軍らしからぬ、女性的な軍装に身を包んだ衛士中隊。その後の不自然とも思える女性的なセックスアピール。

案内される場所で聞いた、誰かの狂ったような笑い声。そして、事前登録もなしに発射された美冴の銃。

 

「それだけではありません。中尉のこれまでの活動も同じです」

 

「………俺は………お前の、仇を………βブリッドを………っ!」

 

「世界中を駆けまわったそうですね。その場所での対応は、どうでしたか?」

 

シルヴィオはそれを聞いて、身体中に静電気が奔ったかのような感覚に陥った。

 

「この基地と同じだったでしょう? 貴方は踊らされていたのですよ。各地で壊滅させた組織や施設に関しても同様です――――あれは、全て欧州連合が用意した餌だったのですよ。事実、私達の組織は何の痛手も受けていません」

 

「っ、嘘だ! ………いや、大東亜連合の協力を受けたあの研究所での事はどうなんだ!」

 

「………アレだけが例外です。全く、よくあれだけの予想外が重なったものです。あのような化物が現れたこともそうですが………まあ、いいでしょう。“凶手”の脅威は既に排除されています」

 

「鉄大和――――まさか、貴様達が」

 

「正確には異なりますがね。貴方もそうなるでしょう。世界中で多くの停滞工作員を炙り出している、厄介な存在なのですから。だが、これは救いにもなります」

 

「………め、ろ………」

 

「どこの任地でも女性に囲まれ。達成した任務に意味はない。望まれていたのは、無自覚かつ罪のない者を炙り出し、処理場に送ることだけなのですから」

 

「や、めろ………っ」

 

「真実も、何も掴めない。誰も助けることなどできない。そして劣情を催すことを助長され、そしてその度に誰かが…………死んだ」

 

それが、シルヴィオの我慢の限界だった。

雄叫びと共に踏み出し、一直線に前に。美冴の制止の言葉も届かない、忘我の獣が走りだした。

通常の人間であれば、万が一があったのかもしれない。

 

だが、シルヴィオの前に居るのは自分より性能が上で、冷静な判断力を持つようにされた機械の如き兵士だ。

何の工夫もない突進、その結果の果てに訪れるものは明白だった。

 

 

「があああああああああっっ!?」

 

 

衝撃に、激痛。それを最後に、シルヴィオは自分の視界が暗くなっていく感触に包まれていった。

 

 

 

それは、数秒だったのか数分だったのか。動かせない身体の中、シルヴィオは夢心地で過去の事を思い出していた。

レンツォの仇だと奮闘し、その実は道化扱い。女にかまけた数だけ、誰かが処理されて。

原因は非人道的な組織だろうが、それは自分も同じだ。

美冴の謝罪する言葉が聞こえてきたような気がしたが、シルヴィオは内心で首を横に振った。

騙していたのは自分も同じであるからだ。レンツォという仮面で接し、形だけの言葉で口説くフリをするだけ。

 

そんな事をしているから、誰も受け取らず。そして自分も、偽りの真実に辿りつけなかったのだ。

 

――――貴方も被害者である。

シルヴィオは遠く、壁の向こうで発せられたかのような声を聞いた。

国連や欧州連合は、本気でレンツォ達の組織を潰すつもりはないのだ。

恭順派の力は、無視できない程に大きくなっている。

そんな彼らに睨まれたくない国連や欧州連合の情報部は、既得権と給与査定を守るため、来季の予算確保のために末端である停滞工作員だけをターゲットにしている。

 

(そうか………情報軍司令部に、俺の上申が通ったことがないのは………)

 

本気で大元を攻撃するつもりがなかったからだ。

つまりは、金と保身のためだけにそういったシステムを組み、BETAをある意味でのビジネスパートナーとして、難民達を材料にした遊戯を繰り返しているだけ。

 

――――この世こそが地獄だと、誰かが言った。その言葉は真実だったのだ。欲望と怠惰で構成されている鬼が、人間が多く生存する世界。これを、地獄と呼ばずに何と呼ぶのか。

 

そうして、シルヴィオは意識を取り戻した。

くぐもっていたように聞こえていた声も、はっきりと聞き取れる状態に戻ったのだ。

 

立つことさえも苦労する。そんなシルヴィオに、声がかけられた。

 

「―――故に、オルランディ中尉。貴方の力を貸していただけませんか? 何もかも許します。そして過去や感傷を棄て、共に神の国へ行きましょう………救いは、そこにしかないのですから」

 

それは、信頼がおける言葉だった。シルヴィオは自分の中に居る、冷静な自分がそう判断を下すことを止めなかった。

この地獄において、隠されていた真実を告げたのは、告げてくれたのは目の前のレンツォだけなのだから。

 

道化だった自分を救い出し、許してくれるという。レンツォはそう言いながら、歩き出した。

 

「レン………ツォ、何を」

 

「安心しなさい。私が行うのは彼女を地獄から救い出すことです」

 

視線の先には、脳髄だけになった彼女の姿が。その地獄を長引かせてはいけないと、レンツォは歩を進める。

 

「念のために言っておきますが、貴方には止められませんよ。貴方が敗れたのは性能の差だけではありません。信念の有無です」

 

そのためならば、形振り構わない。悪魔と取引しようとも、悪魔そのものと罵られようとも。

そういった覚悟の無い人間が、自分に勝てるはずがない。シルヴィオはレンツォの言葉に、かつての彼の姿を重ねていた。

アルジェリアのレンツォも、そうだったのだ。制止する声も聞かず、俺の戦いだと研究所のエネルギープラントにウラン弾を撃ちこみ、犠牲はあろうとも多くの人々を救った。

 

敵わない。そうした思いは、ずっと持っていた。そうして、歩を進めるレンツォが足を止めた。

 

「退きなさい………社霞。貴方に危害を加えるつもりはありません」

 

「お断りします」

 

「哀れな少女よ………貴方こそ、救われたいと願っているのでしょう。同じような苦しみの中にある彼女を、そのままにしておくつもりですか」

 

「退くのは、もっと嫌です………それに、貴方に憐れまれる覚えはありません」

 

「困りましたね………言葉だけで止められるとも思っていないのでしょう。そして、この私には貴方の能力も通じない」

 

「………教わったことがあります。いつも泣いている人が、言っていました」

 

「ほう、何をですか」

 

「やりたい事と、出来ることはいつも一致しないと」

 

「それは………その者の力量が不足しているからでしょう。あるいは、已の無能を棚に上げた言い訳にしか過ぎないのでは? 涙を盾にして、自己の憐憫だけに浸っているのでしょう」

 

「いいえ。その人は、強いです………それでも、弱いと言っていました。そして、先ほどの言葉には続きがあります――――でも、出来るから戦うんじゃない。やりたいから、戦うのだと」

 

「――――そう、ですか」

 

シルヴィオの位置からは見えない社霞を、レンツォはどう見たのだろうか。

シルヴィオは分からなかったが、その声に全て含まれているように感じていた。

 

仕方ない、との言葉。それは言葉による説得を諦めたことを示していた。

 

「副司令も同じなようだ………ですが、申し上げた筈です。邪魔する者にかける情けはありません」

 

「ええ、聞いたわ―――だからなに?」

 

戦力差など、語るまでもない。勝ち目などゼロだ。都合のいい奇跡など起こらない。

副司令という立場に居る以上、そうした現実など嫌ほど見てきた筈だ。なのにその言葉には、一切の迷いがなかった。

 

(泣いている…………それでも)

 

佇んでいる姿。シルヴィオはそこに、あるものの姿を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い警報音。ダメージは甚大で、サイブリッド化された網膜に機能停止の赤文字が点滅する。

それはあの燃える研究所に似ていた。煉獄の劫火の中で、鬼のように戦う衛士を思いだす。

 

――――少年は言ったのだ。機動から読み取れるようだった。この世は地獄で――――そんなものは知っていると。

βブリッドの研究施設。その中から垣間見えた人の業を。

 

踏み出す前に見た筈だ。人の中身が零れ出ていた。悲痛というにも生温い断末魔の不協和音が世界を支配していた。

かつてのアルジェリアと同じ光景。それを直視しながら、あの時の陽炎は前を向いて立っていた。

 

敵の脅威が消えた訳ではない。機体の性能差はあろうとも、戦力差は洒落にもならないぐらいに開いていた。

それを前に、迷うこと無く長刀を差し向けた。

 

――――それを合図に、始まった戦闘。その中で、あの少年は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………神が与えし隣人の生命。それを弄ぶ者の辿る末路は同じもの」

 

「副司令っ!」

 

「退いてなさい、宗像!」

 

これはあんたの戦いじゃない。美冴はその声に圧され、その場から動けなかった。

機械化歩兵の、凶器そのものの鉄の腕が振り上げられる。

 

「主よ――――罪深きこの者達を許し給え!」

 

単純な、それで居て速い一撃が立ちふさがった二人の頭部に向けて振り下ろされる。

 

だが、次の瞬間に部屋に響き渡ったのは、肉が潰れる音とは明らかに異なる、轟音だった。

 

「お―――オルランディ中尉!? なぜです、なぜ貴方が………っ!」

 

驚愕は、二人を守るように飛び込んだその事実だけではない。

シルヴィオは性能が勝る筈の一撃を、片手で止めていたからだ。

それどころかシルヴィオに力づくで押しのけられたレンツォは、強化外骨格の損害を前に、困惑の極みに達していた。

 

「右腕出力、50%の低下だと………?! 何が………何をしたのです、シルヴィオ!」

 

「………当たり前の事をしただけだ」

 

シルヴィオは青い光を背に、サングラスの位置を整えた。

 

「ドクター達を連れて下がっていてくれ、美冴」

 

「シル、ヴィオ………」

 

「後で話したいことがある。謝罪と、昨夜の答えをな」

 

そうして、シルヴィオはファイティングポーズを取り、レンツォの前に立ちはだかった。

先ほどまでとは明らかに違う、滑らかかつ強靭なステップワーク。レンツォはそれを見て、問いかけた。

 

「それが貴方の答え、という訳ですか。神の赦しも必要ないと?」

 

「………」

 

「世界でも類を見ない、貴方の特殊な能力。できることならば神の国で役立って欲しかったのですがね」

 

「悪いが、俺は無神論でな。それに、神の国など何処にもないさ」

 

「――――ならば、我が神の裁きを受けなさい!」

 

レンツォは叫びと共に、巨躯とは思えない速度でシルヴィオに肉薄する。

単純だが、制圧力と威力に優れる鉄塊の拳。シルヴィオは素早い動作で斜め前に踏み出し、鉄塊を外に弾き出すように側面へ左の拳を叩き込んだ。

横に逸れていくレンツォの腕。シルヴィオはその内側に滑りこむように踏み込み、右のストレートを叩き込んだ。

 

「く………っ、信念を持たぬ道化如きが、私に!」

 

「ああ、そうだよ――――いや、そう“だった”な!」

 

シルヴィオは怯まず、接近戦でのインファイトを選んだ。

リーチの優劣は明らかだが、一度懐に飛び込んでしまえば小回りが利くこちらの方が有利だと判断したからだ。

 

それでも、レンツォの反応速度が衰えた訳ではない。サイブリッドと強化外骨格による接近戦、重機でしか出せないような轟音が連続で部屋の空気と外壁を響かせた。

 

「っ、中身を持たない案山子風情が! だから貴方は何も成せない、誰も助けられない!」

 

「その男はここに居るっ! お前の眼前にな、レンツォ! だが、さっきまでと同じと思ってくれるな!」

 

「く――っ、ならば!」

 

レンツォは劣勢と見るや、機体出力を全開に後ろに飛び退った。

そして強化外骨格の腕部をパージしながら、夕呼達が居る場所に向けて投げ放った。

 

まともに当たれば、轢死体が3体出来上がりだ。だが、それを逃すシルヴィオではなかった。

気合の声と共に、渾身の右拳を。人間では持ち上げることもできない、鉄の塊はシルヴィオの一撃により、壁に叩きつけられる。

 

「全員大丈夫か――――っ、しまった!?」

 

「同じですよ、シルヴィオ………クックックっ、ここまで単純だとは」

 

レンツォは先ほどの一撃を囮に、脳髄がある水槽の前に移動したのだ。

この距離からでは。シルヴィオは手を伸ばし制止の声を叫ぶも、間に合わなかった。

 

かくあれかし、という言葉。

 

共に放たれた一撃の後に、水槽が砕ける音が部屋に響き渡った。

そして、脳髄が水と共に床へと落とされ――――

 

「っ、やめろぉぉぉぉぉっっっ!」

 

「主の御許に召されんことを…………!」

 

強化外骨格の足が、それを踏みつぶした。砕ける音は、希望となる少女の可能性が絶たれたことを意味する。

シルヴィオはそれを聞きながら、自分の無力を呪った。

 

「悔しいですか? でも、救えたでしょう。選択したことにより、そちらの三人の生命はここにある。その意味で、確かに今までの貴方とは違うのでしょう」

 

「………」

 

「見直しましたよ。ですが、現実はこうです………先ほどの社霞の言葉にもありましたでしょう」

 

「………そうだな」

 

答えながら、シルヴィオはまたファイティングポーズを取った。その構えに戦意の衰えは見られなかった。

 

「過去は………過去にすぎない。でも、大事なことなんだ」

 

何もかもを捨て去った実例が目の前に居る。シルヴィオはそれが正しい姿だとは思えなかった。

 

「忘れてはいけない過去はあるんだ………だけど、それを言い訳に利用するのは、救いようのない馬鹿のやる事だ。気づけば、都合の良いように考えていた」

 

シルヴィオは恥じた。アルジェリアより、ずっと抱いていた願い。

あの時に自分が死に、レンツォが生きていれば。あれは、過去の都合の言い部分しか見てこなかったからだ。

 

――――兄貴分、父親的な存在であり憧れだったレンツォになりたかった。傍に居て欲しいと甘えた結果が、レンツォを演じることだった。

 

「そうして虚飾に塗れた存在だからこそ、真実を見通すことができなかった。てめえ自身で背負って、何かを掴みとろうともしなかった。状況に、ただ流されてた」

 

必死の思いで諜報員として、決死の覚悟で真実を暴こうとしていたか。

地獄しかないこの世界で。格好悪く、泣きながらも、認めないと叫び続けることはできていたか。

 

「………過去の自分の、見たくもない無様の姿を直視しようともしない。そんな楽な方に逃げていた愚かなピエロは、今日で廃業だ」

 

何もかもを振り払う。飲み込み、忘れないと。

何より、誇るべき友のため。自分がなりたかった、憧れの存在を――――レンツォを汚さないために。

望むべき、明日を掴むために。

 

「――――欧州連合情報軍本部第六局・特殊任務部隊所属、シルヴィオ・オルランディはここに誓う」

 

綺麗事に浸ることはせず、都合のいい過去に耽溺するのではない。

過ぎたものは戻らない。亡くなったものは悲しい。だが、それを言い訳にして立ち止まるのは今を生きる全てに対しての冒涜であるが故に。

無力であるかもしれない。だが、それを言い訳にはしてはならないから。

 

 

「失われた彼女の代わりになろう………地獄の闇を照らす希望の光、それを支える燭台であり続けることを」

 

 

踏み出した一歩。それは、今までになく単調であるがために風のように。

 

――――そうして激突の果てに立っていたのは、未来を見ようと決めた者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青い空の下。シルヴィオは横浜基地でも一等に見晴らしのいい高台で、空を見上げていた。

 

「………もう、行くんだな」

 

背後よりかかる声。シルヴィオは振り返り、答えた。

 

「ああ。横浜での任務は完了した。これ以上、ここに居ても出来ることはないからな………ケリをつけなければいけない事が残っているが」

 

「それは………わかってる。私達が………いや、私が君を騙していたことだな」

 

「違うさ。あれは、騙された方が間抜けだったと、それでいいじゃないか」

 

シルヴィオは諜報員失格だ、と自分を笑った。

そして、戸惑っている美冴に顔を近づけた。

 

「ちかい………近いぞ、シルヴィオ」

 

「それが本当の君か」

 

不自然な女言葉ではない、やや軍人の口調が混じった硬いもの。

シルヴィオはそっちの方が自然体で、好ましいと思っていた。

 

「ああ、そうだ。女性的な君も良かったが、今の君の方が素敵だ」

 

「シルヴィオも、先日とは違って軽薄な部分に磨きがかかっているなっ」

 

美冴はその場から一歩、飛び退った。その頬は僅かに赤く染まっているが、シルヴィオはそれに気づかず、肩をすくめた。

 

「まだまだ。レンツォには遠く及ばないさ………社霞にも、香月副司令にも、死んだっていうあいつにも」

 

シルヴィオは生命をかけるということの重さを、痛感させられていた。

並大抵の覚悟では出来ないのだ。勝機が極小であるなど、言い訳にも出来ない。

中途半端な者であればすぐにでも手放してしまうほど、過酷なこと。

それは、レンツォの言葉に重なる部分が多い。譲れない信念を持っている、形振り構わない者の強さ。

 

「だが、それを直接的に気づかせてくれたのは君のおかげだ。不幸な母娘の話………あれは、君自身の過去だろう?」

 

「…………」

 

「答えは聞いていない。だけど………感謝する。あれが、都合の良い世界に浸っていた自分を起こしてくれた。直視したくない過去を………過去に囚われた自身を、客観的に見直す切っ掛けになった」

 

不自然なセックスアピールではない、何より真摯な感情がこめられた、現実の話。

それを聞いたからこそ、何が嘘で何が真実であるかを見極める礎を築けた。

 

「誰が欠けても駄目だった。その意味では、この基地の全てに感謝しているよ………美冴?」

 

「いえ………まいったわね。所詮は、素人の付け焼き刃。本職を最後まで騙し通せるほどのものではなかったと」

 

「その素人に欺かれ続けていた自分にとっては、耳が痛い言葉だな。だが………事実だ。ああくそ、あの少女の言う通りだ。現実は………いつだって厳しい」

 

「そうだな………だが、足掻いている君を。立ち上がる姿を見て、思い知らされたよ。未熟を痛感させられたが、こんな所で蹲っている場合じゃないとな」

 

「立ち止まる………いや、A-01は精鋭ぞろい、国内でも有数の能力を持つと聞いているが」

 

「井の中の蛙大海を知らず。機動戦術と短刀だけでそう語ってくれた衛士が居るのさ………中隊ごと、その自信を吹き飛ばしてくれた化物が」

 

「………は?」

 

「隊長は居なかったが………1対12で、触れる事さえできなかった。衛士として築きあげてきた全てを否定されたかのような気持ちになったよ」

 

信じられないだろうが、との美冴の言葉。

シルヴィオは、それを否定しようとして――――ある事に気づいた。

 

「どうした、シルヴィオ?」

 

「いや………ケリをつけなければいけない案件が増えたと思ってな。立ち止まることはできない、か」

 

「母のことも………君のようにドラスティックには変われない。でも、一歩一歩、逃げないで前に進むことにするよ」

 

「俺もだ。そして、いつか同じ道で会えるといいな――――いや、会いに来たい、と言った方が正しいか。その時は、君に相応しい男になっておくよ」

 

そしていつの日か、君の心に居座り続ける男を叩き出して、その場所に。

ストレート過ぎる言葉に、美冴の頬が更に赤く染まった。

 

「ふ、ふふふ………ち、ちなみに今まで何人の女にその口説き文句を伝えたんだ?」

 

「君が初めてだ、美冴。道化ではない、シルヴィオ・オルランディとしては。そして、これが最初で最後になるだろう」

 

「………え」

 

「レンツォに負けそうになった時。君の叫びは、何度も耳に届いたよ………だから、自惚れてもいいと勝手に思ってる」

 

「…………シル、ヴィオ」

 

美冴は、今度は飛び退らずその場に留まり、シルヴィオはその隙を逃さなかった。

美冴の手を取り、その甲にキスをする。

 

「今日は、これが精一杯。続きはまた会ってからにしよう」

 

「………出発の時間には余裕があると思うのだが」

 

「別件だ。言っただろう? ――――まだ、ケリをつけなければいけない事があるからな」

 

 

そうして、二人は離れた。互いに背筋を伸ばし、視線が交錯する。

 

 

「――――またな、シルヴィオ」

 

「――――ああ。また会おう、美冴」

 

 

死ぬなよ、とは最後まで互いに言葉にせず。

装飾のない別れの言葉を最後に、シルヴィオはその場から離れていった。

 

美冴はそれを見送り、背中が見えなくなった後に、ふと空を見上げた。

 

 

 

「私も………ケリをつけに行くかな」

 

 

差し当たっては、隠れて見ている祷子に意思表明をすることか。

 

内心でそう呟く宗像美冴の顔は、今の空のように晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そして、数分後のこと。ケリをつけに行くと基地に入ったシルヴィオは、地下に存在する隠された一室に居た。

 

地下“20”階のフロアー。19階と全く同じ構造をした階、その中の執務室で、シルヴィオは待ち構えていた。

そして夕呼が部屋に入ってくるなり、言葉を投げかけた。

 

「待っていた………してやられたよ、ドクター。ここからが本番だということでいいかな?」

 

「へえ………ここを突き止めるとはね」

 

意外にやるじゃない、という夕呼の言葉。

シルヴィオはそれを聞いて、肩をすくめた。

 

「罠の可能性も考えたがな。それより、答えを聞きたいという好奇心が勝った訳だ」

 

「答え………ねえ。好奇心だけってのも嘘臭いわ。ああ、お友達の件を聞きたい訳じゃないのよね」

 

「………気になる事ではあるが、違う」

 

レンツォは生きている。そして、元に戻せる可能性があると夕呼はシルヴィオに教えた。

100%ではないが、元の記憶を蘇らせることができるかもしれないと。

 

「その事については約束してくれた。だから、貴方を疑ってはいない。貴方は必要であれば人を騙すが、筋は通す人間だと思っているからな。俺が聞きたいのは、先の事件の真実だ―――貴方が仕組んだ“劇”の裏側を」

 

シルヴィオは告げた。

それこそが、茶番で塗り固められた外向きの事実はない、真実――――この件の本質であると。

 

「ふ、ん………買いかぶってくれるじゃない。流石は欧州連合情報軍の至宝、通り名は伊達で付けられたもんじゃないってことは分かったわ」

 

「横浜の女狐――――貴方は通り名の方が半分だな。まさか、今回の件の一から十まで仕込まれていたとは、思わなかった」

 

―――レンツォの事も含めて。そう告げる言葉には、静かな確信が篭められていた。

 

「停滞工作員を炙り出すことだけが目的じゃない。レンツォを………第五計画の息がかかっている者をおびき寄せ、ダミーの脳髄を破壊させ、ディスインフォメーションを仕掛ける」

 

「………続けなさい」

 

「レンツォの拘束もそうだ。倫理制限のない連中の研究成果を調査、吸収して自らの計画に役立てる………プレゼンテーション自体が罠だった訳だ」

 

「大掛かりな計画ねー。でも、そんな面倒で迂遠なことをあたしが企んだっていう根拠は?」

 

「………ピースは各所に散りばめられていたからな」

 

第四計画は行き詰まっているという事前情報。βブリッド。シリンダーにあった脳髄。この計画の本拠地が横浜であるということ。

生体遠隔認識能力を持つ社霞。第一から第四までのオルタネイティヴ計画の本懐――――BETAに対する諜報。

 

「思えば、不自然過ぎたんだ。レンツォの侵入を許したことは。そして、無菌室とも呼ばれたこの基地のセキュリティ………」

 

サイブリッド化されたレンツォの構造材質への興味。決着がついた直後に、警備兵が雪崩れ込んできたのもタイミングが良すぎた。

 

「全ての情報から組み立てられる答えは一つ………あなたがあのダミーの水槽の前で語った事は真実だった」

 

オルタネイティヴ4の最終的な形は分からない。

だがその最重要項目である脳髄を利用することは間違いない。そのために、“彼女”の容れ物となる擬似生体が必要なことも。

 

「明確な根拠はない。だが、貴方を見れば見る程に確信出来ることがある」

 

「へえ………それは?」

 

「あなたはこの世界を愛している。いや、BETAが来る前の世界を」

 

筋を通すというのは、証拠の一つである。それは他人の価値を認めているからだ。

自分以外の存在、その者が持つ信念の存在を貶めていない。自らも、落ちようとも思っていない。

悪魔と呼ばれようとも、揺るがない意志を持ち続けている。

 

「何より、貴方は怒った。社霞を人間ではないと言った俺に対して」

 

「………なるほどねえ。でも、分かるわよね?」

 

推論の根幹にあるのは、あの水槽――――青いシリンダーだ。

だが、そのような最重要機密を潜在的敵対組織に所属するシルヴィオに、一介の衛士でしかない宗像美冴に見せるだろうか。

 

「その件に関しても………既に調査済みだ」

 

私情に囚われる道化は死んだ。シルヴィオはそうして、調べた結果を言葉にした。

 

「社霞の能力を、冗談交じりに説明したらしいな………それが鍵になる訳だ」

 

夕呼はA-01の衛士に対し、社霞に人の心を読む能力があるという真実を、まるでシルヴィオを欺く設定であるかのように話した。

そこから、美冴を含む衛士達は錯覚する訳だ。

 

「人は、見たいものを見る…………非人道的な研究に自分が関わっている。そうした自己防衛の意識が働くのは、人として当然のことだ」

 

それを利用して、横浜基地という盤に配置された人間を自らの都合のいいように誘導したのだ。

シルヴィオはその事実を悟った時に、鳥肌が立つのを止められなかった。女狐という範疇などに収まらない。

この眼の前の傑物はもっと恐ろしい存在であると。

 

「答え合わせは必要ない………ただ、“彼女”に礼を言わせてくれればいい」

 

「………驚いたわね。話半分に聞いていたけど………寝ぼけてないアンタは、確かに有用だわ」

 

「なに?」

 

「相当な実力があるって言ったのよ。気に入ったわ。あたしのものになる気はない?」

 

「褒め言葉は受け取っておくが、提案に関しては断る」

 

「即答、か………本物ね。ただ、一つだけ訂正しておかなければいけない点があるわね」

 

「なに?」

 

「ついてらっしゃい――――ここからが、今回の騒動の“本題”よ」

 

促されるまま、シルヴィオはある部屋に入った。

それは自分でも突破できなかった、最高峰のセキュリティが敷かれている一室だ。

その中には、19階で見たものと同じく、青のシリンダーと傍に佇む社霞の姿があった。

先日と異なるのは、霞が紙の束を手にしていることだけ。

 

シルヴィオはそれが気になったが、先に夕呼に告げたように挨拶をすることにした。

促されたシルヴィオは、脳髄の彼女に向けて感謝の言葉を向ける。

 

(一方的かもしれないが………君に会えて良かったと思っている)

 

シルヴィオは、BETAに手足を喰われたことがある。だから、彼女を他人事とは思えないでいた。

生きながらに解体されたのだ。だからこそ、最初に抱いたのは同情だった。

境遇を重ね、自己憐憫というものを押し付けた。だが、それだけで済むほど彼女の姿は幻想的ではなかった。

 

見たくもない真実を。この世の地獄そのものを象徴する存在を前に、偽りの心は裸にされる。

 

(………勝手と言われるかもしれない。だが、君には感謝している。おかげで空っぽだった自分に気づくことができた)

 

香月夕呼の言葉、そして社霞の決意。その裏にあるのは、悲しみの結晶である彼女の姿だった。

何より、思うのだ。彼女は生きている――――生かされているのか、生きようとしているのかは分からない。

 

そんな彼女の代わりになるという誓いは、こうして生きている彼女を前にしても変わることはない。

手も足も出ない彼女の代わりに、BETAを排除する計画の一助になるという信念。それを、違えるつもりはないと。

 

そうして誓いを新たにしたシルヴィオは、二人の方を向いた。

 

「どう? 気は済んだ?」

 

「ああ、自己満足だろうがな。しかし………ここからが本題というのはどういう事だ」

 

「そうねえ………一つ、本番に入る前の枕として伝えておきましょうか。あなたのお友達のことよ」

 

夕呼はレンツォの容態を説明した。

ここ数日で、レンツォの記憶が消えたこと。どうやら指向性蛋白を投与されていたらしい。

脳髄の破壊が発動キーとなって記憶が消され、尋問も出来なくなったこと。

 

「それ以前の記憶があったかどうかも疑わしいけどね」

 

「………どういう意味だ?」

 

「あたしなら、任務の度に記憶を消しておくわよ………社の存在がある以上、ね」

 

「何を………いや、そうか」

 

シルヴィオはそこで気がついた。頭蓋骨の代わりとなっているハイパーセラミックによりリーディングをブロックすることは可能だ。

だが逆に、“それが物理的に分解されてしまったら”話は異なってくる。そして、その危険性を非人道的な研究に手を染めている者達が気づかない筈がない。

 

「安心なさい。それでも、人格再生の成功確率は変わらないから………何より、ね」

 

シルヴィオはそこで、夕呼が霞に向けて何かしらの感情がこめられた視線を向けている事に気がづいた。

それは、どこかで見たことがあるような、無いような。聞いてみようか迷っている内に、話題は次のものに移った。

 

「ああ、聞いておきたいことがまたあったわ。身体の調子はどんな感じ? 結構なダメージを負っていたようだけど」

 

「どうとは………気のせいかもしれんが、ダメージ回復はいつもより早かったような気がするが」

 

「そう。上手くいってよかったわ」

 

「は? ちょっと待て、ドクター。何がうまく………いや、まさか」

 

「そこは自分で気づいて欲しかったわね~。物理的な原因や理由もなしに、気合だけで機体の性能が上がるならプロミネンス計画なんてものも認可されないわよ――――お寝坊さん?」

 

「………まさか、寝ている間に………俺を、彼女のテストベッドに使ったのか………!?」

 

寝過ごした日があったが、それが原因か。恐る恐る尋ねるシルヴィオに、夕呼は笑って答えた。

 

「ご名答~。どうやっても、あそこで殴り倒される流れになっていたからね。ああでも、予想外に奮闘したから良い実戦テストになったわ」

 

あっけらかんと言ってのける香月夕呼。

シルヴィオはそんな彼女を張り倒したい気持ちになったが、その後の方が怖いので我慢した。

 

「一度気絶しかけたのが、いい具合に作用したようね。再起動した時に換装した電磁伸縮炭素帯の張圧出力が調整されたようだから。まあ、本命は“それ”じゃないんだけどね」

 

「よくも、まあ………そこまで読めるものだ」

 

恐ろしいとしか形容できない。気がつけば術中に嵌っている。魔女の異名さえも足りないのではないかと、シルヴィオは再度戦慄した。

 

「情報を元に状況を操り、利益だけを手繰り寄せる。貴方のような人物こそ、情報軍に居るべきなんだろうな」

 

「やあよ、そんな堅っ苦しいの。只でさえお固い軍人から副司令~とか言われてウンザリしてるのに。これ以上譲歩するつもりはないわ」

 

「何の譲歩なんだか………手腕には感服するが、俺は貴方の手駒になるつもりはないぞ。だが、彼女の力になれるのならば」

 

そしてBETA大戦を食い物にする者達―――国連や恭順右派、第五計画推進派や原理主義者を叩き潰すためならば、命も惜しまない。

決意の言葉と共に、シルヴィオは提案した。

 

「提案だ、ドクター香月。あくまで対等な関係として、俺と組んでくれないか」

 

「――――分かったわ。ただ、本題に入る前にこれだけは守ること」

 

1つ目は、どれだけ地獄を見てきたのかは知らないが、世の中の全てを知った気にならないこと。

2つ目は、反動で極端にならないこと。機械やBETAのような感情のない存在に出来ることなんて、たかがしれているというのが理由だと。

 

「………まるで戦災孤児救済センターの先生のような言葉だな」

 

「なによ、文句でもある? あと、あんたにまで先生呼ばわりされる覚えはないわ。それと………あんたが言う地獄なんて、普通の人間は分からないし、見えないものよ」

 

「それは………理解している」

 

戦場の地獄とはまた異なる、人間の欲望と汚さだけに絶望する世界。

それは、諜報という世界、それに抗おうとする者達の周りこそがそうなるのだ。

今は絶望的な戦争下で、それが広範囲に流出してしまっているだけ。

あるいは、真実に挑もうとする者こそ、そういった世界を突っ切らなければならないのかもしれない。

 

「それで、返答は? 文句でもあるのかしら」

 

「いや、無い。分かった、肝に銘じておこう」

 

「じゃあ、商談成立――――本題に入るわよ。大きく分けて、3つ」

 

夕呼は何気ないように告げた。

 

「1つ目は………アラスカの国連軍基地を標的とした恭順派のテロが、2~3日中に発生するわ。難民解放戦線も巻き込んだ、今までにない大規模なものになる」

 

「アラスカの………ユーコン基地、プロミネンス計画か!? それより、恭順右派………いや、第五計画の後ろ盾が………っ」

 

国連軍基地とはいえ、ユーコンは実質的にはアメリカの縄張りである。そこでテロが起きる以上、国防に煩い米国が把握していないという方があり得ない。

故に、第五計画派の差金が。それも欧州連合が推進しているプロミネンス計画に向けてのものなら、第五計画派が絡んでいない筈がない。

 

「複数の狙いがあるでしょうけどね。プロミネンス計画を潰す、あるいは停滞させたいって意図はあるでしょう。だけどこの情報、あんたの上は知ってるはずだけど?」

 

「な………いや、ドクターも事前に知って………っ、成程、急遽ドクターがプレゼンを発表したのはそのためか!」

 

シルヴィオは横浜基地の騒動、そしてユーコンで起きるというテロが真実であるという前提で、夕呼の目的を推測した。

 

(恭順派を本気で潰そうとしている俺は邪魔だった。ドクターはそれを利用した。欧州連合としては、好都合だったんだろう。ドクターはそれを更に活かした………第五計画派とはいえ、戦力には限りがある)

 

ユーコンの方に戦力の大半を割かれる以上、横浜の妨害に配置できる戦力は必然的に少なくなる。

そして欧州のプロミネンス計画へのテロと同時に、日本の第四計画へのテロが発覚すればどうか。

いかな米国とはいえ、関与を疑われる事態になるのは避けられないだろう。それどころか、国際的な世論を全て敵に回すという事態にまで発展しかねない。

 

「それで、2つ目とは?」

 

「その前に、問わなければいけない事があるわ………社」

 

「はい」

 

言われた霞は、手に持っていた書類をシルヴィオに渡した。

タイトルには、第五計画、G弾の集中運用における災害についてと書かれていた。

 

「ドクター、これは………」

 

「まりもに頼まれて作ったのよ。いいから書類にしてまとめておいてちょうだい、ってね………忙しいのに、苦労したわ」

 

「4枚程度しかないが、これだけか?」

 

「ある程度端折ってまとめてあるのよ。でも、それだけ読めば内容の把握は出来る筈よ」

 

シルヴィオは促されるまま、4枚にまとめられたレポートを読み始めた。

そして、一枚進むごとにシルヴィオの顔色が目に見えて悪くなっていった。

 

そこには控えめに言って、世界の終わりが示されていた。

バビロン災害に、宇宙に存在するBETAの総数に関しての話。

 

全てを読み終わった後、シルヴィオは祈るような気持ちで夕呼の方を見た。

 

「………置いてきた信仰心に縋りたい気分だ。ドクター、このレポートに書かれた情報の確度は」

 

「生き証人が居るわ。とはいっても、今はユーコンに潜入しているんだけどね」

 

夕呼はそこで、一枚の写真を投げつけた。受け取ったシルヴィオは、そこに写っている人物を視認するやいなや、目を見開いた。情報局で見せられた、ハイヴ攻略の英雄達。その中に混じって、見知った顔があったのだ。

 

「――――鉄大和、あいつが?! いや、それよりどうしてあの中隊と!」

 

「本名は白銀武よ。それ以上は現地で本人から確認しなさい。滑走路に再突入型駆逐艦(HSST)を用意させてあるわ。その後はあんた次第………先の話についての証拠もね」

 

「生きているのか………いや、そういえば美冴が………!」

 

シルヴィオは美冴に聞いた話を思い出した。精鋭12人を前にして、無傷で完勝する常識外の存在を。それが何よりの証拠だった。というより、そんな規格外の存在がそこいらにゴロゴロ居てたまるか、というのが正直な感想だった。

 

「中尉………タケルさんを、頼みます」

 

「君は………いや………そう、か」

 

「そうだ、可能な限り急いだ方がいい」

 

「――――っ?!」 

 

シルヴィオは背後から聞こえた声に驚愕し、振り返った。

そこには基地に来た初日に出会った、レンツォとの一戦があった後の事態の収集を務めた男の姿があった。

 

「帝国情報省の………いつの間に!?」

 

「ユーコン一帯はかなりきな臭い状況になっているとの情報が入った。偽造IDや通信機など、必要なものは全て用意してある。HSSTに急ぎ給え」

 

「帝都の怪人――――いや、違うか。お膳立て感謝する」

 

お言葉に甘えさせてもらおうか。

シルヴィオはそう頷くと、夕呼と霞の方に向き直った。

 

「霞。いつも泣いている男とは、鉄大和………白銀武のことだな?」

 

「はい。タケルさんは言っていました。オルランディ中尉はムッツリスケベで踏ん切りがつかない根暗な男だけど、やる時はやってくれるパスタ野郎だと」

 

「………言いたいことが8倍になったな。だが、まあ良いだろう―――あっちで本人に叩きつけてやるさ」

 

何より、お前に根暗呼ばわりされる覚えはない。

シルヴィオは内心で呟き、夕呼の方を見た。

 

「中央滑走路の14番ゲートよ。あっちでの役割を書いた書類も、機体の中に置いてあるから。それが最後の3つ目。言っておくけど、ここでの騒動がお遊戯に思えるぐらいに厄介な任務だから」

 

本番というのは嘘ではない。そして、夕呼の力も横浜ほどではない。

 

「ここは地獄の一丁目。今なら引き返すことも可能だけど………と、問うのは無粋ね」

 

「退くつもりはない――――この内容が真実であれば、余計にだ」

 

「それはあっちで確認しなさい。とはいっても、成否の鍵は不透明。上手くいくかは、アンタとあいつの動きにかかってる」

 

 

横浜の女狐、第四計画の魔女をして先が見えないというユーコンの情勢。

シルヴィオは託されたという事実を前に、応えるように大声で返した。

 

 

「分かった――――任せておけ!」

 

 

シルヴィオは託された言葉と想いを胸に。

 

そして覚悟を踏み出す力として、以前より速くなった足で走りだした。

 

 

 

 

――――そうして、一つの騒動が終わった後の部屋に残されたのは、夕呼達3人。

最初に口を開いたのは、帝都の怪人こと日本帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近だった。

 

「いやいや、行ってしまいましたねえ」

 

「ちょっと………あんたねえ」

 

いつから来てたのよ、と問おうとして夕呼は黙り込んだ。

まともな答えなど、返ってくる筈がないからだ。徒労よりはと、建設的な話をすることにした。

 

「何か聞きたいことがあるようね」

 

「いえいえ、よほどあの若者が気に入ったようですので。香月博士がまさか、確約できない約束などを交わすとは夢にも思っておりませんでした」

 

「そういう意味じゃないわ。あの時、あんたもモニターしてたんでしょ? 勧誘という目的があったにせよ、あのテロリストの執着心と話の長さは異常よ」

 

それはレンツォという男の潜在自我がまだ残っている証拠だった。シルヴィオに見せた執着と、テロリストに相応しくない、口上の長さ。

あれは時間稼ぎか、自殺願望か、あるいは表面的自我との葛藤か、友の手で殺して欲しいと思っていたのか。

 

「その話を彼にはしませんでしたね。何かの理由があってのことだと愚考しますが………」

 

 

「ふん、言ったでしょ。ここでの騒動は終わり。本気で事に当ってもなお不足するかもしれない本番を前にした男よ?」

 

 

そして、と夕呼は言った。

 

 

「そんな白銀と同じ馬鹿に――――全てを背負うと覚悟した男に過ぎ去ったifの話を聞かせて脚を止めさせるほど、野暮じゃないわ」

 

 

 

 

 

――――その数分後のこと。

 

生まれ変わった1人の男を載せたHSSTが一機、陰謀が渦巻く混沌の舞台であるユーコン基地に繋がる空へ向けて飛び立っていった。

 

 





特別短編  : Resurrection ---- 『再誕』 end

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