Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「なんというか、何だね………これは、凄まじいというのか」
「凄いというのも生温いと思います。放置されている大佐殿のコーヒーと同じぐらいには」
報告書に映像、文と絵、両方から証明された日本産の非常識なものに対して、欧州に名が知られている二人は溜息をついた。
実質はチンピラ共のまとめ役である苦労人、フランツ・シャルヴェ。
プロミネンス計画の責任者であり、それを疎ましく思う者達との戦いの日々を送っているクラウス・ハルトウィック。
二人は肉体的かつ精神的疲労を訴える自身の脳髄を無視しながら、建設的な意見を見出そうとしていた。
「………トーネードADVの改修案にも影響が出そうだな。フォルトナー少尉は何と言っているのかね」
「はい、あれを前提とした作りにするのが賢い選択だろうと。まあこの土壇場であんな爆弾のような新技術を持ち込んでくるとかふざけるな、という話ですが」
おかげでこの隈です。フランツの言葉を、しかしハルトウィックは一蹴した。
「贅沢な悩みだ。見えている林檎があればかぶりつくべきだと私は思うのだが、君はどうかね」
「迅速に回収するべきでしょう。その林檎の周囲に怖い猟師が潜んでいなければ、の話ですが」
「君達は無頼者揃いと聞いていたが………いや、君が慎重なだけなのか」
「適材適所と自負しております。駄々っ子ばかりで指揮する者が居なければお遊戯さえできませんよ。最低限の抑え役があってこその私達です」
自負する男は、笑いながら言った。疲れるけどいい仕事だと。そのまま敬礼をして、退室をしようとするフランツをハルトウィックは呼び止めた。フランツは険しい顔をする。この後はパーティーがあり、久しぶりに再会した旧友と飲み明かすつもりなのだ。それを聞いているはずのハルトウィックだが、一言だけだと前置いて尋ねた。
「有史以来、人間にとって最大の敵は同じ人間だった。それは君も知る所だろう」
「特に欧州の戦争事情は複雑にして怪奇ですからね。血筋だのなんだのは大方吹き飛びましたが………それで、なんですか」
「聞いたことがない話なのだよ。多国籍の部隊が上手くまとまるというお伽話のような戯言は」
フランツは、驚かなかった。自身も、亜大陸に行くまでは信じなかった口だからだ。人は人を大勢殺して英雄たる。
敢然たる知識として、その人類の歴史を頭の中におさめている。
「家族、と言った。だから、教えてもらえないか」
「俺に出来ることならいくらでも」
「そうか。なら――――君は、BETA大戦が終わった後のことを考えたことがあるかね?」
一拍、間が開いた。そしてフランツは、次に来るであろう質問が予想できていた。
過去の自分と重なる。
1995年。マンダレーに挑む一年前、ミャンマーでの言葉、記憶がフランツの頭の中で浮かび上がった。
敗戦につぐ敗戦。人類の防衛線は、日の落ちる方向から襲来するBETAの猛攻に、徐々に東の方へと追いやられていた。
大規模な侵攻がある度に悲劇と死体が増えて、軍や民間問わずに心の中で焦燥感が交響曲を奏でる。
湿気の多い気候がそれを倍加させていた。あれは、そんな時分の頃。
季節はずれの虫の鳴き声が煩い、夜のことだった。
いつものデブリーフィングに死亡報告。
先週に出会った妙にジョークの切れが鋭かった男は神様に気に入られたのか、天国の階段を二弾飛ばしで駆け上がっていったという。
いつか、あんた達のように民間人を安心させられる衛士になる。真面目な顔で言ったそれが、最後に交わした言葉になった。
フランツはその時、ターラーとアルフレード、インファンと打ち合わせをしていた。
戦術機の部隊は単独では動かない。近隣の中隊との連携は最低限でも必要である。
だが先日の戦闘でその辺りを分かっている奴らが大勢逝ってしまった。
そして嘆くより先に、やらなければならないことがあった。
二時間後、どうにかして打開策が見えたフランツは、残されたターラーとふたりきりになった。
整った顔立ちに見えるのは、疲労感が濃い表情。泥水のようなコーヒーを眠気覚ましに飲んでいる彼女に、フランツはふと悪戯心を持ちだして尋ねた。
「………新しい部隊になって、ようやく形がまとまってきましたね」
「ああ。当初はどうなることかと思ったがな。やはり、第二世代機の恩恵は大きかった」
「それだけではないでしょうに。わかってるんでしょう?」
はぐらかし、逸し。フランツも理解できている。
新しい12人は、凄いという以外の形容をできない。それだけに各ポジションでの適性と動きがハマり、連携も嘘みたいな精度でとれている。
まるで隊員が何を考えているのかが分かるように。中隊という名前の一つの大きな生き物として、無数の化物と対峙できている。
それでも、だ。以前よりずっと聞きたかったことを、フランツは問うた。
『戦争が終わったら――――――俺たちは敵でしょう。その時に、国同士の戦争になったら、どうします?』
その時の空気を、フランツは忘れていない。未来永劫忘れないだろう。
緩まってもおらず、引き締まってもおらず。ターラーは、迷いの表情を見せなかった。
フランツはその時点でどういった答えが返ってくるのかを予想していた。
軍人は国を守るために戦うのが本分。本人も、教官役を請け負った時の生徒に教えている。
何度も誰かに言い聞かせている言葉だ。
だが、返答はなかった。その時にフランツが見たのは、金魚だった。
エラ呼吸も出来ず、酸素を欲して口をパクパクさせている。何かを言おうとしているのだろう、だが言葉が出てこない。
肌の黒い金魚は、最後には諦めたように動きを止めた。
そして、笑った。正確には、笑ったような気がした。笑おうと、したのだろう。
フランツの中に思い浮かぶ映像が、今ならば克明になる。
同じ釜の飯を、くだらない性癖さえも知られ、飲み屋で何を頼むのか熟知されている。
意見を手に全力で殴りあった相手。成長していく技量に驚かされ、負けられないと奮起する。
幾度と無く繰り返せば、何を目指しているのか分かる。全員が、大義とかそういうものではなくてちっぽけな夢のために戦っていることが理解できる。
そんな相手と、殺しあう。
銃口を向け合う敵同士。間違いなく強敵だ。だからこそ36mmを叩き込んで、相手を挽き肉にしたら皆に喜ばれる。
軍人としての在り方を考えれば、それは正しいことだ。
自信満々に説くべきもの。戦うものにとっては、たった一つの賢い選択である。
手の内が知れている者どうし、何よりその優秀さを知る自分がいの一番に殺すのが最善と。
――――そう、断言する方が正しいのに。
「…………シャルヴェ大尉?」
「は………いや、すみません」
フランツは白昼夢より覚めてまず、謝罪を示した。そして、目の前に見える顔に溜息をついた。
あの時の自分も、こんな顔をしていたんだろうなと。
「意地の悪い質問だったな………だが、時はいずれ来るだろう。ゆめゆめ忘れないことだ」
「はい――――ありがとうございます」
とたん、と扉の閉まる音。
残されたハルトウィックは、背もたれに体重を預けながらコーヒーカップを手にとった。
せめてもの小さい贅沢として取り寄せた、冷めても味わい深いという南米の農場より届いた天然のコーヒーを口に含む。
「………苦いな」
祭りの賑わい、祝いの夜。公の場での挨拶が終わったガルム小隊一行は、静かなBARで二次会をやることにした。
そこには、数年ぶりに再会するユーリンの姿もあった。
挨拶代わりに酒の入ったグラスを重ねる。鉄のそれとはまた違う、細く甲高い音が6人を取り巻く大気を響かせた。
「………久しぶり」
「おう」
飲み干した後で、一言と微笑を交わし合う。ユーリンはそれだけで、場の空気が一気に緩んだような気がしていた。
「ということで飲むぜひゃっはー!!」
「ちょっとは余韻に浸らせろこの女ヴァイキングが」
「知らん! 店長おかわり!」
「相変わらずはええなおい!?」
再会の一杯、景気付けの挨拶は終わったとばかりにはっちゃける女がいた。いわずもがな、リーサである。
それを見たユーリンは、あまりの変わらなさに苦笑した。
「カムチャツカでもそうだったけど………本当、リーサはいつまでもリーサだね」
「ふっ、流石だろ?」
「うん、流石だね」
快活豪快とちょっと言葉足らずな天然風味。いつかは"いつも"だったやり取りに、フランツ達は小さく笑った。
それを肴に、手にとったアルコールを喉に流し込む。人類共通の霊薬、それが持つ焦げ付くような心地良い香りがそれぞれの口内から鼻に通り抜けた。
その感覚を特に好むリーサが、明るい声で笑った。
「旨いっ!」
「うん、たしかに」
ユーリンもこうしてイケル口であった。顔が赤くなるまでは早いが、そこからが長いのだ。
実の所は、リーサといい勝負だった。
「でも、飲み過ぎたら太るよ」
「ずばっと来るのは相変わらずだな………でもユーリンはちょっと痩せたようだ。悩み事か? でもこいつがあれば一発解決だ!」
「あー、うん。まあ悩み事があると言えばあるかな………」
ずばり恋の悩みであろう。そう知りつつも、言葉にしない優しさがリーサを含む全員にはあった。
それ以上に嬉しさを感じていたのだが。
誤魔化すように視線を交わし合う。そして誰に聞かれても構わない風を装い、死んだと思われていた少年との再会を思った。
「よく…………生きてたよねえ…………」
「ああ、夢じゃないよな」
「寝るにはまだ早いよ、アルフ。つか幻覚にしてはリアル過ぎる。無茶ぶりを平然と要求してくる所とか」
全員が深く頷いた。我等が突撃前衛長はそういった所があった。
「でも、ほんとにね。まさかこうして顔を合わせられるなんて――――良かったね、ユーリン」
「うん」
花咲くようなユーリンの笑み。野郎の胸を撃ち抜く破壊力があるそれが、どこに向けられているのか。
それを知っている男衆がしみじみと呟いた。
「合縁奇縁って奴かな………ま、俺は信じてたけどよ」
「影で泣いてた奴がよく言うぜ」
「お前もだろ、フランツ。まあ俺は確信してたんで泣かなかったけどよ」
「あー、インファンと情報交換してたみたいだし? その御蔭もあるから責めらんないんだけど」
「"お袋さん"は知ってんのかな? いや、インファンが知ってたから知ってるんだろうけど」
お袋さんとは、ターラーを示す言葉だ。仲間内だけで通じる暗号のような単語である。
「あれからもう5年か………時間が経つのは早いもんだな」
呟きに、全員が黙りこむ。グラスの外側にあった水滴がつたってテーブルに落ちた。
――――1996年、東南アジア、シンガポール。その時に起きた最後の戦いを覚えている。
忘れる者が居るはずがなかった。大勢が戦って、死んだ。大勝の興奮も、その後の絶望も記憶に新しい。
「そうだなあ。こーんな餓鬼でもアーサーの身長を抜くほどに成長するぐらいだからな」
「ちょっ、アルフてめえ!」
アーサー・カルヴァート。成人男子にしては短躯な、というかはっきりとチビと言われても否定できない身長を持つ男。
その彼と関連し、思い出した人物の身長はいくつだったのか。脳内で行われた比較の結果、アーサーに同情の視線が集められた。
「なんだよてめえら………いいたいことがあったらはっきりと言えよ」
「いや、流石の俺も言えねえよ………お前がチビだってのはわかってるけど、男としちゃあなあ」
「最後の方はサーシャとも僅差だったからねえ。結果は必然だとしても………うん」
「でも、希望はある。私は、そう思ってるから」
「だが、希望は容易く絶望に変わる」
「つまりはお前がナンバーワンだ、アーサー。いやこの場合はワーストか、身長の」
「てめえらぁっっ!!」
弱みを見せた方が悪いと言うように、連携も見事な流れる言葉のラッシュに、アーサーは顔を真っ赤にして怒った。
その騒ぎを、ちびちびと酒を飲みながら盗み聞きしている男がいた。
グラーフ試験小隊の開発衛士でもある彼の名前は、ウラジミール・ストレルコフという。
(………何か、予想していたのと違うな)
聞こえてくる会話の内容は、先ほどと同じくだらないものばかり。
旧友と再会するというのだから最初の内は仕方ないのだろうが、もっと衛士的な会話をするものと思っていたウラジミールは内心で不満を抱いていた。
一応だが、彼はガルム小隊の5人とは顔を合わせたことがある。
1998年、東欧州社会主義同盟に所属する自分の戦術機甲部隊と模擬演習を行ったのだが、演習が始まる前に挨拶代わりにといくつか言葉を交わしたのだ。
(軍人とは思えない軽い調子で………だが、強さは本物だった)
規律を重んじているようにも思えなかったし、厳格さなど欠片も感じ取れなかった。
それでも自分を含めた中隊が散々に蹴散らされたことは覚えている。ウラジミールはその強さについてのメカニズムを解き明かしたいと思っていた。
才能か、経験か、あるいは。ウラジミールはクラッカー中隊の面々が素直に技能を公開しているとは考えていない。
操縦技術にしてもノウハウは個人の資産に等しい。活かせば一財産でも築けるぐらいのもの。
無料に近い値段で渡すのはあり得ない、故に探る必要がある。
それを得て、自分はもっと上に行くのだ。息を巻いて、度数の低い酒を飲みながら盗み聞きを続けた。
(少しでも力をつけて、上に行くために――――とか思ってんだろうなぁ)
アルフレード・ヴァレンティーノはリーサの冗談に応じながら、ウラジミールをそれとなく観察していた。
いかにも分かりやすく肩を張らせた様子で1人飲んでいる見知った男に、見えないように苦笑を浴びせた―――――骨折り損のくたびれ儲け、という一文を添えて。
(べっつに、そんなに大した連中じゃないんだよなぁ。ただ負けたくないってだけで。負けず嫌いが多いだけで)
あるいはくだらないプライドを引きずっているだけで、他は別に見るような所はない。
今も昔も同じだ。今だって、こうして馬鹿を言い合いながらそれだけを楽しんでいる。
アルフレードは、それでもひとりごちる。犠牲になったものを忘れたつもりもないと。
そういった意味では、“定まっている”。それが強さに直結しているのかどうかを調べるのは、哲学屋の仕事だろうが。
(………ガキの命を捧げて、ハイヴがようやく一つか)
1人では無理だった。二人では尚更だ。だから数百の。だが、その犠牲のほとんどが20にも満たない者達だった。
酒の美味さも知らない、ガキだった。
それを把握し、全てを分かった上で運用した奴らがいるのか。正否問わず、それはとても重大なことである。
知って見逃したのか。
知らずに用いたのか。
答えは出ない。出てほしくない。でも理解はしている。自分達の命が何の上に成り立っているのかを。
愚かだと何だと言われようが、知るものか。俺たちは戦っている。思い込みでもいいだろう。それでも、銃弾と刀身には宿っているのだ。
BETA憎しと剣を上げた戦友たちの意志、敵と戦う鋼たらんという尊い遺志、その全てを余さず受け入れようと。
馬鹿の所業だ。この糞ったれな世界は人間にとても優しくない。
油断をしなくても死ぬのが普通だ。精一杯戦った所で何の未来が見えてこようか。
かつての欧州の栄華さえ今は亡き過去の話となってしまった。その中で戦う者達が居るとしても、その内の何割がこの先の勝利と栄光を信じているのだろうか。
解答は出ない。だが、アルフレードは知っていた。昔も、きっと今も。
白痴のような夢を心の底から信じ、そのために命を賭け続けている愚者を。
(俺たちは無敵だ)
そう、敵はいない。自分達が倒すべきはただBETA。そのためだけに戦い、そのためだけに生きている。
過去の何もかもが自分達に微笑んでくれるその瞬間を信じて。
失意の果て、絶望の間際であったなどと誰にも言わせない。
――――スワラージでのあいつらの死は無駄ではなかったのだと。ただその時が来る時を想い、戦っている。
「なんてな」
「………いきなりなんだ、アルフ。もう酔ったのかよ」
「そんな所だ」
アルフレードは笑い、自嘲した。強い度数の酒を頼んで、多少強引に飲み干す。
そうして、らしくない自分を扱き下ろした。
酒は飲み過ぎれば毒になる。だが、そうと知っていても止められないものは多い。
何故かというと、酒を飲むのが好きだからだ。味か、酒を飲み言葉を酌み交わすときの高揚感か。
各々の理由はあろうが、それでも飲みたいから飲むのだ。
同じく、アルフレードが戦っているのは自分のためであった。やりたいからやるのだ。逃げたくないから逃げないのだ。
勝って、認められるのが好きだという気持ちもゼロではない。俗物っぽい考えも多分に持っている。
恐らくは同様の理由を持ち寄り添い集まったあの中隊は、馴れ合いで成り立ったものではなかった。
結局は任せきりにするのが嫌なのだ。今も最前線に出続けていることからも分かる。自分がいなくても、という安易な逃げ道を選択していない。
あの時の誓いを形にするために、現実の問題として捉えて、もがき続けている。
自分が居なければ誰がやると。他の12人がどうかだなんて知らない。知る由もないから。
誰もが自分自身に課した悲願に殉じている。糞溜めのような世界で、本当に自分だけが望んだことを果たすために。
(以前は………知らない内にでも、何となく感じ取れた。それも、サーシャの能力だったのかもしれないが)
誰が何を考えているかなんて分からない。だが、戦闘の最中に琴線に触れるものがあった。
自分だけだと思いあがっていた決意。それを他の誰かが持っていると、無意識にだがそう信じることができた。
あのチンピラばかりが集まる中隊がクラッカーズとまで呼ばれるようになった原因の一つだと思う。
そして、それだけだ。自分達は別に特別なんかじゃないという証拠とも言える。
切っ掛けがあっただけだ。今はもう、サーシャも遠い。それでも自分達は、あの頃と全く変わらずに戦果を挙げ続けることができている。
ただの人間が、他人よりほんのすこしだけ多く相互理解を進めることができただけ。
(普通の人間だ。紅の姉妹は違うようだけどな………今回の事件といい、ソ連さんはそういうのが好きだねえ)
だからこそサーシャの能力を明確にではないが知っている6人は、イーダル試験小隊には近づかなかった。
好き好んで地雷を踏みに行くような趣味は持ってない。ソ連製の地雷が持つ質の悪さも忘れていない。
能力的には大したものだと思うが、それだけだ。特に感慨を抱くような対象ではなかった。
無表情ながらにも感情豊かだったあの少女とは違うと、そう思うだけで。
何がしかの事情はあるが、救おうなどとは考えていない。多少の功績はあろうとも、そこまで自分達が特別な存在などとは思い込んでいない。
根っこはこのユーコンに居る衛士達となんら変わりはない。隔絶した技量がある訳でもない。
ただ各々の目的でもって、プロミネンス計画に参加しているだけ。BETAに対する感情、故郷を取り戻したいという気持ちで勝っているとは思えない。
開発衛士になれる程に優秀であるからこそ、多分に特徴のある奴が混じっているような傾向はあるが。
アルフレードはそこまで考えた時に、1人の衛士を思い出した。
「そういえば、あのアメリカ人らしくないアメリカ人だが………ユーリンはどう思った?」
アルフレードもユーリンがユウヤ・ブリッジスに接触したことは知っていた。
その上で今はどうなのかを問う。ユーリンは、悩むような表情をした。
「………憎むの、難しい。だって、私の知る日本人そのものだから。変に真面目で、不器用で、背負いたがりで、頑固で」
「あー、アタシも同感。笑顔でお国自慢とかしてきたら太平洋に沈めたい衝動と戦う羽目になったけど、余計な心配だったなー」
「ぱっと見だが、篁中尉と似てたしな。だからユーリンも………アメリカがどうとかいう理由で、変に憎むのはやめたらいいと思う。何か変に迷って頭がショートしてそうだし」
ユーリンはクリスの言葉に口を尖らせながらも、黙り込んだ。
渋々ながらでも了承した時にする仕草で、それを知っているクリスたちは小さく笑った。
「そうだな。少々、初々しさが過ぎる所があったが、しかし………いや、そもそもユウヤ・ブリッジスが“そんな”奴ならあの二人も裏でお前たちに一言添えたりはしないか」
ヴァレリオ・ジアコーザはアルフレード・ヴァレンティーノに、冗談交じりに言った。
ステラ・ブレーメルは、リーサ・イアリ・シフに出来るならばと頼んできた。
どちらも、本心ではユウヤの身を案じていることが見て取れた。それがあの戦場でアルゴス小隊の援護に入ると決めた理由の一つだった。
そして、彼がアメリカ人らしく振る舞うのならば、この場では口に出せないあいつがどういった態度に出ているのか。
故郷にG弾を叩きこまれた人間を見たことはないが、もっと刺々しさがあってもおかしくはなかっただろう。
「それにしても………分かったつもりでもわからないことが多すぎるな。情勢も人間も、こっちの予想の範疇を軽々と越えてくれる」
フランツの言葉は、日本とアメリカに向けてのことだった。XFJ計画のコンセプトを聞いた時は耳を疑ったものだ。
担当者が斯衛の人間と聞いた時には、情報を伝えた者――――アルフレードの正気をも疑った。
武家のような国独自の文化において立場を持つ者達の愛国心は相当なものだ。
だからこそフランツは、その武家の人間が今回の計画の中枢に関わってただで済むとは思わなかった。
実際は違った。不知火・弐型は間もなくフェイズ2を無事迎えるという。
そこには、あの国境なにそれ食べれるの的な思考を持つ馬鹿者の姿が見え隠れするが、それだけだ。
第三者が1人関わっただけで、戦術機開発という複雑な計画が潤滑に回るなどとはフランツも考えていない。
篁唯依と、ユウヤ・ブリッジス。この二人が、フランツ達の予想を越えてきたのだ。
推測を越える事態など、隙間風が舞い込むような頻度で容易く訪れてしまう。
それは、先日に白銀武からこの先のユーコン基地に起きる事件を聞かされた時にも感じたことだった。
そして、フランツは先ほどハルトウィック大佐に問われたことを思い出した。
質問の内容、それをそのまま投げかけることはしない。ただ、ある程度の香辛料を混ぜた言葉で問いかけた。
“今現在で最も脅威的な人間が居るとして、そいつと戦場で対峙する時はどうするか”。
ハルトウィックやかつてのフランツとは異なる、あくまで冗談交じりに、あくまで参考意見としての軽い問いである。
だがその瞬間、その場に居る6人の心がひとつになった。
例えこの場に居る全員でかかったとして―――――S-11を使わずして勝ち目などないと。
「やべえだろ。何がやべえって役割的に真っ先にぶつからなきゃならん俺の命がやべえ」
「アタシも同感だ。ていうか、更に訳分かんなくなってたよな………くっそ思い出したせいで震えてきやがったぜ………」
「奇遇だな。というか、突撃砲が当たるイメージが思い浮かばん。弾どころか砲列持ってこいと言わざるをえない」
「絨毯爆撃してもなんか生き残ってそうだよね………」
「ああ、正面からは無理だろうな。うん、気づけば視界から消えて、次の瞬間にはレッドアラームが鳴るんだよな………」
「おい馬鹿、シンガポールについてからめっきり力をつけた馬鹿が量産したトラウマの話はやめろ。というかユーリン、お前とターラーの姐さんとリーサのチームは反則だからな」
アーサー、リーサ、アルフレード、ユーリン、クリス、フランツの言葉である。名前は出さずとも、6人が思い浮かんだ人物は1人だった。
特にXM3の威力を生で目の当たりにさせられた3人は、その時を想像した途端に冷や汗が止まらなくなっていた。
現実から逃避するように度数の強い酒を頼む。歴史の深い嗜好品である酒は、現実から逃げる足を加速させる効果を持っている。
それでも、深い所に刻まれた記憶は消えない。トラウマなどはそれに該当する。
噂の人物が生み出したエピソードは数多いが、その一つに隊内での模擬戦の話がある。
その彼とターラーとユーリン、リーサと一緒のチームになった時だ。
隊内の一部では今も忌まわしき記憶として語られている、巴戦の悪夢である。
模擬戦でのチーム分けで、全状況に対応できる二人を軸に、勘で理不尽にこちらの動きを把握してくるリーサと、撹乱機動かつ攻撃力にも優れる変態が同じ隊になった時のことだった。
その日、敵対したチーム全員が遣る瀬無さに神を呪うことしかできなかった。それほどまでに、4人の連携は隙がなかったのだ。
搦手はリーサに何となくといった納得のいかない理由で看破される。弱点をついた戦術はそもそも弱点などねえと言わんばかりのターラーとユーリンに対応される。
無理を押しての機動力勝負を仕掛けてイニシアチブを取ろうとするとそれ以上の訳が分からないレベルで素早い宇宙人に封殺される。
お前らマジやめろ下さい、というのは前衛組であるフランツとアーサーの言葉である。
ポジション的に突破役である二人は、そのあまりの難攻不落さに対して叫び声を上げた。
アーサーなどは、新OSを見た時に感激と共にトラウマを刺激されて戦慄を覚えた程だった。
酒が美味え。やや自棄になりながら、アーサーは言葉を続けた。
「いやでもほんっと焦った。でもここに来てからは、予想外なことばかり起こるよなー。タカムラ中尉から聞いたマハディオの野郎のこともそうだけど」
欧州に居た頃とはまた違う、予想外のアクシデント的なことが多く起こっているような。
その原因は何なのかと、沈黙のまま6人が脳裏に描いたのは、歯を煌めかせて親指を立てる鈍感少年のことだった。
――――殴りたい。ユーリンを除く5人全員が、そう思った。
誤魔化すように、咳をする音が唱和される。
「それにしても、だ。マハディオで思い出したが、聞く所によるとプルティウィも無事だったようだなー………あの腹黒元帥閣下殿め。まあ、いいニュースだと思ったが」
「ちょーっと腹が立つけどな………聞く所によると、アルフの野郎は知ってたみたいだったようだが」
「そ、それは置いといて! いやー。あいつもちょっと所じゃない遅刻だよな………でもまあ、また戻って来たんなら許してやろうぜ。慰謝料として高い酒の2、3本は必要だけどよ」
「いいねえ。ガネーシャも愚痴りたいこと一杯あるだろうし、一杯ひっかけながら聞いてやるか。ヤエも居ればサイコーなんだけど」
「いつぞやの酒乱騒動をまた起こす気かよ。今度こそ死ぬぞ、オバナの旦那とフランツの肝臓が」
懐かしい名前と共に思い出されるのは、アジアでの戦場の隙間。楽しいこともあった、戦場の合間に存在した木漏れ日のような記憶。
インファンから送られてきた写真を思い出す度に、色彩豊かで音響溢れる思い出となって脳内に再生される、それは尊い思い出だった。
あの少年がいつも中心に居た。
隊が隊となる切っ掛けであるのを考えれば、中核と言っていいかもしれない。
何よりの士気の支えであった我等が突撃前衛長、彼と共に砲声溢れる戦場を駆けていた日々。
その時以上に、あの少年は力を上げた。夢の様なOSを引っさげてはいるが、それでも長い付き合いである。
素の実力もかつてより格段に上がっていることが分からない6人ではなかった。
強くなること、それは称賛されるべき結果だ。
対する6人も、例外ではない。同時に、言いようのない複雑な感情も渦巻いていた。
衛士の成長には人間の身体と同様、時間と栄養分が必要だ。白銀武は少年より青年になった。時間と共に何かを食べて、大きくなったのだろう。
タリサ・マナンダルも成長していた。一部の成長が足りないな、とはアルフレードも言葉にはしなかったが、それでも矜持ある立派な衛士になっていたように見えた。
何が彼女をそうさせたのかは、多少察することができる。失って、人は強くあろうという熱を抱くのだから。
同様に、衛士としての成長に必須な栄養分は実戦経験である。
白銀武は、あの必死だった少年は何をどう味わった上で、あそこまでの技量を得るに至ったのか。
武の気性をよく知る6人は、その背景にまで考えが至ってしまい、素直に喜ぶばかりではいられなかった。
「………負けてらんねーな」
何に対してなのか、というのは言語にはしなかった。
今は2001年、1996年より5年が経過した。小さかった少年は苦労というにも生温い環境を弛まぬ努力で潜り抜けてきたのだろう。
ならば、自分達が負けてどうするのか。何に対して、負けることが許されるというのか。
性格も思想も違う6人だが、その想いは非常に似通っていた。
この世界に居る誰もがBETAと戦っている訳ではない。上層部は自分の身が危うくならない限りは、BETAの脅威をどこか他人事として捉えている節がある。
多少の家柄や資産を持つ。自分だけが生き残りたいとでも考えているような者達も同じだ。多少の幸福の有利を取るためならば、前線の死を数字としてしか扱わない人間も居る。
不明瞭な未来を、BETA大戦後とかいう訪れてもない幻想を前提として動いている早とちりな自称賢人も同じだ。
――――同じにはならない。同じだなんて思えない。
その気になれば容易く自分達を葬り去ることができる、そんな権限を持つ立場ある人間が敵であったとしても、その傲慢を認めることはできない。
ましてや迎合して保身に走るなど。
反抗心に付随する、くだらないと評されるかもしれないプライドがその想いに拍車をかけていた。
大人としての矜持。それは生まれ育った環境が異なり過ぎる6人にあって、決して同じではないが、結論は同じようなものだった。
すなわち、あいつが頑張っているのに自分達が情けない姿を見せられないと。
年を食っているのに負けたくないという、大人げない俗っぽい理由も合わさっている。
そのために必要なものは、全員が分かっていた。目の下に隈を作っているのはXM3を使った時に起こるであろう関節部の負荷と損耗への対処方法を練るためでもあるのだ。
近い将来、必ずあのOSが世界中の戦術機に搭載される。ならば、自分達がやることは一つだ。
元より彼らの誓いはBETAに負けないためのもの。そのためならば、多少の苦難など在ってないようなものだ。
気に入らない、納得できない、許せない、見たくない。各々の言葉の表現の違いはあろうが、目指す場所は同じである。
知らず、それぞれのグラスに入っているのは各々の故郷のものに。
合成であり味はそのものではなかろうが、メニューに示された名前は各国の歴史の中で生まれた酒である。
度数も、味も、色も違う。原料だって違うそれは、同じく人を精神的に癒やしも、肉体的に壊しもする。
あるいは、その逆にもなるものだ。それでも、様々な形のグラスの中にあるそれは、多くの技術や文化遺産が無くなった中でも根強く残り、人を酔わせる魔性の飲料だった。
少し暗くなったバーの光を反射し、それぞれの光彩を見せる。
「………酔ったな」
「ああ、自分にか?」
「そうかもしれん。でも、悪くないと思えるのは何故だろうな」
「そりゃ、あれだろ。1人で陶酔してたら、それこそ馬鹿だろうけどな」
――――それでも、一緒に酔える奴が居るのならば。
言葉にしないまま、それとなく察しあったかつての戦友は視線を交差させる。
本日二度目、そして通算では何十回目の乾杯。
色の違う液体がグラス越しにぶつかり合い、いつかと同じ心地良い残響音となったそれは6人の耳目とその奥にある何かを震わせて消えた。