Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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12話・後編 : 光明 ~ Dim & Dim ~

 

基地の中を走る影があった。国連軍の女性士官を身にまとい、流れるような黒い長髪をたなびかせて走っている。

彼女――――篁唯依は舌打ちをしながら呟いた。

 

「………この状況でオープン回線が切れている、か………っ、コード202、基地の放棄?! 馬鹿な、早すぎる!」

 

唯依は司令部の方を見ながら、早すぎると呟いた。状況の展開が不自然なまでにスムーズ過ぎると。

 

「やはり、少佐の言われた通りなのか………あれは、ローウェル軍曹!?」

 

唯依は前方に居る、見知った顔に走り寄っていった。

 

「タカムラ中尉!? こんな所で何やって………まさか」

 

「予想の通りだ………基地一帯の無線が死んでいるようだが、格納庫との連絡は取れているか?」

 

「それが全然。一応、やばいデータの入ったHDとモバイルだけは確保していますが」

 

無線が途絶えた時点で状況の怪しさを感じ取ったヴィンセントは、その後で格納庫に戻ろうとしたという。

 

「そこで警備兵にとっ捕まっちまって。ID見せても、急ぎ第二発着場から撤退しろの一点張りですよ。ここで国連軍の行動を妨害するとか、普通なんですか?」

 

「そんな筈は………っ、XFJ計画開発チームの退去命令は? ドーゥル中尉はなんと」

 

「館内放送で一度だけ………っと、そういえば変な事を言っていましたね。99型の放棄は帝国斯衛軍の作法に任せるって」

 

「そういう、ことか」

 

99型砲の管轄は斯衛ではなく、帝国軍にある。とはいえ、イブラヒムがするような勘違いとも思えない。

つまりは、故意に間違えたということだ。そしてこの基地において、帝国斯衛軍に所属している人員は二人しかいない。ヴィンセントも同じことに気づき、眉を顰めた。

 

一方で唯依は、別の視点から想定できる事象に対して表情を強ばらせていた。

 

(いくらなんでもおかし過ぎる。何もかも少佐の予想の通りに進んで………いや、待て。そちらも、スムーズすぎはしないか)

 

唯依は全てを知っているかのような風守武の言動に対し、不信感を抱いていた。言葉や意気、人柄を見たが故に一度は信じようと判断したが、予想の通りに事が運びすぎているのは怪しすぎるのだ。唯依は99型砲を持ち込んだ時点で、万が一があるという事態は織り込んでいた。

だが、風守武はそれが確定された未来であるかのように話を進めてきた。

まるで、ソ連から直に情報を仕入れたように。そうではなくても、唯依はここにきて上手く誘導されているような感覚を抱いていた。

 

(だが、人間にBETAの動きがコントロールできるとも思えん。別の可能性も………考えたくはないが、風守武はソ連と共同して99型砲を………考えすぎだと思いたい)

 

風守の二刀など、信じるに足る証拠はある。だが、最後の確証は未だに得られていないのだ。

唯依はそうであるならば、と近くにある車に走った。

 

「乗れ―――行くぞ、ローウェル軍曹!」

 

「え……」

 

「弐型の機密データの処理を優先する。急げ、時間が無い!」

 

「りょ、了解っ! ………こうと決めたら迷わねえなぁ」

 

唯依はヴィンセントが助手席に座るのを確認すると、車を格納庫に向けて走らせた。

目的は不知火・弐型の機密データの処理と、99型砲の爆破だ。あれは旧式であり、砲身自体がサンプルとして採取されても問題はないと言われた。だが、念には念を入れておいても損はない筈だ。そして万が一にも、コアが残っているようであればそのままにはしておけない。

 

「ねえ、中尉。考えたくはないですけど、シローが、小碓少尉がユウヤの出撃に拘ったのって――――」

 

「それ以上は言ってくれるな………あくまで可能性に過ぎないからな」

 

疑う貴様も、そんな可能性は信じたくないだろうに。唯依はヴィンセントの表情から、余裕が消え去っているように感じられていた。特大の苦虫を噛み潰したかのような。見ないふりをしたまま、唯依は運転に集中した。

 

「………ブリッジス少尉の不知火・弐型、そして少尉の不知火も出撃しているのならば99型砲は搬出できない。この状況が意図されたものであるかは、判断がつかない。少尉が、帝国軍を裏切るような人物だとは思わない」

 

あるいは、思いたくないという方が正解か。唯依は言い知れぬ違和感と共に車を走らせた。

仕掛けの大元はソ連であろう。唯依はだからこそ、これ以上の強攻策はあり得ないと考えていた。国連を敵に回すと同時に、米国との関係も悪化することになるだろう。

あくまで不幸が積み重なっただけの事故であると、そういったシナリオが組まれている筈だった。

 

(だが、大掛かり過ぎる。BETAの動きを制御することなど不可能だ、そのはずなんだ。99型砲がこのタイミングで搬入されると確信しているような………)

 

だとするならば、ある程度以上に帝国内の情報が流れている可能性も考えられる。

唯依は悪い予感を振り払うように、車のスピードを上げた。

 

そして一つ目の格納庫に到着すると、急ぎヴィンセントを降車させた。

 

「助かりました、中尉!」

 

「そちらの方は任せた。くれぐれも頼むぞ。ただ、無理だけはするな」

 

「そいつは聞けない相談ですね。それに、18番格納庫のあれも急いでどうにかする必要が――――」

 

「こちらはいい。データの処理が終わり次第、退去してくれ。不知火・弐型の機密保全が最優先だ………これは命令だ」

 

「なっ!? 何をするつもり………いや、人手が多い方が成功確率が上がるでしょうに!」

 

「貴様の心づかいは嬉しい。だが、これは私の責任だ。それに私に万が一があっても、XFJ計画は遂行できるだろう」

 

「え………っ、中尉!」

 

 

唯依はヴィンセントが制止の声を出すと同時に、目的地に向けて車を走らせた。

 

 

「不知火・弐型とユウヤ・ブリッジス、それに今のスタッフが揃っているのなら………」

 

そして風守武が真実、計画のために動いてくれるのであれば。

確認するためにも、私が行かなければならない。唯依は決意と共に、またアクセルを深く踏み込んだ。

唯依は運転に集中しながらも、考える。題目は、最善の行動に関することだ。

 

(今は一刻も早く99型砲の状態を確認する。その次は………)

 

風守武がコアを回収するというのなら、不知火は格納庫にやってくるだろう。

そうでない場合は、彼がソ連を裏切ったことを意味する。そうなれば99型砲のブラックボックス部分は、ソ連の手に落ちてしまう。

 

(彼が裏切っていないのならば、それで良し。私が救出されなくても彼が居れば後は何とかなるだろう。任せられた仕事を途中で放棄するのは好まないが――――)

 

それでも、帝国の技術者が長年をかけて完成させた99型砲を他国の手に渡すわけにはいかなかった。

自国から持ち出すことを打診した自分であれば、尚更のこと。唯依は、責任を取るつもりでいた。

 

格納庫についてからも迷わなかった。中には帝国の整備兵はおらず、居たのはソ連の兵士が一人だけだ。

オルロフ軍曹と名乗った彼は、整備兵達の退避誘導を行ったという。唯依は地面に血痕がないことに、ひとまず安堵の息をついた。硝煙の臭いもしないことから、発砲を伴っての強制退避は行われなかったようだと。

 

「ご苦労だった。私に構わず退避するがいい」

 

「はい、いいえ――――できません。速やかに退避を完了させるのが与えられた命令ですので」

 

「こちらは99型砲の機密を守るのが任務だ、それに………BETAはすぐそこまで来ているぞ? 生きながらに喰われたいというのなら止めはしないが、その覚悟はできているか」

 

唯依は自分の言葉に、オルロフ軍曹が言葉に詰まったのを見た。

だが、それでも退く気はないらしい。唯依は軍曹の手にあるカラシニコフを見ながらこれ以上の問答は危険だと判断し、99型砲の近くにあるパソコンへと走った。オルロフに数分で済むと告げながら、睨みつけるようにモニターと向き合う。

 

「操作始め………くそっ、やはりこのエラーは」

 

エラーは、機密保護のための対抗プログラムが作動したことを意味していた。

同時に、99型砲の動作不良がソ連の手によるものだったと悟る。

 

(復帰のためのマスターコードは与えられていない。ならば………)

 

やはりこういうことになるか。唯依は険しい顔をしながら立ち上がった。

 

「お急ぎ下さい、中尉! BETA群はもう5キロ先まで迫ってきています!」

 

我々以外の退避は完了して、あれが最後のヘリだと叫んでくる。

唯依はそんなオルロフ軍曹に対し、淡々と告げた。

 

「分かった。こちらも、作業が完了したところだ、急ぐぞ」

 

「え………っ?!」

 

「機密保持のための自爆装置を作動させたと言ったんだ。半径2キロまでは消滅するだろうが、退避が完了しているのなら問題はないな」

 

唯依はオルロフに対し、退避中のヘリのパイロットへの連絡を要請した。

全速離脱をして距離を稼げないと、衝撃波で全滅してしまうと。

 

勿論、ブラフである。唯依は通信でヘリのパイロットへ連絡を取る軍曹を見ながら――――ソ連軍の通信だけが繋がっていることを確認すると、走った。

そして、オルロフと共に最後のヘリがあるという場所に辿り着く。

 

離陸の準備は既に完了しているらしく、すぐにでも飛び立てる状態だ。

唯依はそこに入ると、オルロフ軍曹の表情を見る。そこには本当に僅かながらでも、安堵の念が見られた。

 

それが、隙となる。唯依はヘリが地面から離れ出し、ハッチが閉まろうという直前にオルロフ軍曹へと駆け寄った。

意表をついてオルロフが持っているカラシニコフを奪うと同時、踵を返してハッチへと走る。

 

「な………中尉、一体なにをっ!?」

 

「忘れ物をした――――行け、貴様達は生き残れよ」

 

唯依はそれだけを言い残して、ハッチから飛び降りた。間一髪で外に出た直後、ハッチ部分が完全に閉じられる。

そして唯依は飛び去ったヘリに目もくれず、格納庫の中へと戻ると再び操作用のモニターを睨みつけた。

 

「マスターコードは与えられていない………ならばどうすればいいのか。外部から破壊するのは………いや、不可能だ。主要部の強度が高すぎる。ここにある爆薬ではどうにもならない」

 

事前に知らされていたことだった。爆薬でどうにかしたいのなら、あらかじめ内部に仕込んであるものを爆発させるしかない。外部から破壊しようというのなら、戦術機の120mmを持ってくる必要があった。

 

(万が一にでも、裏切っていたら………その時のことも考えなければならない)

 

唯依は考えながら、震える手を押さえつけた。震動に揺れる地面。それを起こしているのは、あの異形の化け物達なのだ。フラッシュバックするのは、京都で見せつけられた友達の死体。コックピットから無造作に出ていた、まるで誰かに助けを求めるように空へ向けられていた腕が忘れられない。ひしゃげて、血塗れて。

関東の防衛戦でも、歩兵が潰される瞬間を見た。ナカもソトも無くなったぐしゃぐしゃの死体は、想像の中だけでも吐き気を喚起させられるほどのもので。

 

(私も、同じように死ぬ………逃げなければ間違いなく死ぬな。だが、それはアイツも同じだった。調整中の機体で、それでも逃げなかった。同じ立場に居る私も、生命をかけなければいけない。それでこそ釣り合いが取れるのだから)

、それでも逃げなかった。同じ立場に居る私も、生命をかけなければいけない。それでこそ釣り合いが取れるのだから)

 

危険だからといって逃げる訳にはいかないのだ。唯依はこの計画を成功させたいというユウヤ・ブリッジスの姿を思い出していた。搭乗員保護機能を切ってまでという、我が身を省みない姿勢で。ずっと諦めなかったのだ。

ならば、自分だけがここで諦めるのは卑怯である。それだけは耐えられないと、必死で方法を探る。

 

「だが………やはり不可能、か。道具もない人の手では………いや、待て」

 

ならば、人の手でなくBETAの手を利用すればどうか。唯依は思いつくと、BETAが何を優先して破壊するのかを考えた。

 

「高性能コンピュータを搭載した有人機が最優先で………99型砲の内部に私が入れば………っ!?」

 

整備パレットを使って内部に入ればどうか。

だが、その考えは轟音にかき消されるように霧散した。

 

発生元は格納庫の入り口にある扉だった。大きな衝撃によりフレームが歪んでいると、唯依が視認して間もなく扉は悲鳴のような音を開けた。

人間には耳障りな、金属が軋む音。数秒続いた後には扉だったものはその意味を無くされ、次に現れたのは血のように赤い体躯を持つ化物だった。

 

「戦車級………もうこんな所まで!」

 

唯依は立てかけておいたカラシニコフを素早く取って戦闘態勢に入った。

だが、続けて見た光景に目眩を覚えた。どしん、どしんという足音が間断なく聞こえてくる――――戦車級が入り口からわらわらと侵入してきているのだ。

 

唯依は呆けている場合ではないと、立てかけておいたカラシニコフを取ってすぐさまその引き金を引いた。人間ならば十分に殺せるだけの銃弾が、戦車級の体に突き刺さる。

だが、止まらない。唯依は察すると同時に飛んだ。自分を掴もうとする赤い手から間一髪の所で逃れると、今度は至近距離から叩き込んだ。

 

それなりに威力の増した銃撃。唯依はその結果を待たずに、また後方へ退いた。

 

「っ、やはり通じないか………!」

 

進行の足音は変わらない。ならば、と僅かに開いている口の中を狙うが尽くが歯に弾かれて終わる。

そうして、このままではと思った所だった。唯依は赤い敵の群れの中に、白い物体を見た。

 

「兵士級だと?!」

 

進行速度の遅い小型種がどうやって。要塞級に運ばれたのか、と考えている暇もない。

戦車級のように鈍くない兵士級は、幸いにして一体だけだった。

 

唯依は戦車級との間合いを測りながら、目下の最大脅威である兵士級に銃口を向けた。

頭部から胴体付近を狙った斉射。だが、その5割が外れて終わった。

 

(手が、震えて………っ)

 

フラッシュバックするのは、フォローしきれずに兵士級に頭部をかじられていた歩兵の姿。

振り払うように、指に力を入れた。だが、仕留めるにはたらなかった。

 

間合いが、詰まる。唯依は兵士級の腕部がぴくりと動いたと同時に、横に飛んだ。

 

まともに喰らえば肉が爆ぜて骨も散る。唯依は死の羽音を耳に捉えながら、その一撃が已の横を過ぎていくことを感じ取った。

受け身を取ると同時に回転し、銃を構える。先ほどより近い距離からの一斉射が、兵士級の頭部に全て突き刺さった。

 

気持ちの悪い肉の音と、穿たれる白い頭部。唯依は自分が叫んでいることに気づいてはいなかった。

永遠とも思える数秒のこと。ついには、兵士級がその体を地面に伏せた。

 

動く限りは人間を殺そうとする虐殺の歩兵である。唯依は倒したのか、と呆けていたが地面の震動が彼女の意識を現実に戻した。

 

先ほどよりも余裕のない、間一髪での回避行動。それはかろうじて成功したが、唯依が居た空間を過ぎ去った戦車級の腕部がコンテナに突き刺さる。

飛び散るのは、金属の破片。同時に唯依は、左腕に痛みが走るのを感じ取っていた。

 

「ぐ―――っ?!」

 

悲鳴を押し殺して、後ろに飛ぶ。直後、横から掻っ攫うようにしてふられた戦車級の腕が空振りに終わった。

唯依は後ろに飛び退った勢いのまま受け身を取り、後転して間合いを空ける。

 

立ち上がると同時に、引き金を引きながら2、3歩ほど後退する。

そして唯依は、背中に当たる固いものに対して舌打ちをした。

 

後ろは壁で、破壊は不可能。そして兵士級は倒したものの、戦車級の群れは健在であった。

前方や側面はそれなりに開けている。だが、その退避ルートの地面には金属の破片やコンテナからこぼれ出た部品が転がっていた。

 

考えながらに撃ち続ける。だが、戦車級に対しては何の意味もない。

コンマにして数秒、その歩みを遅らせることができるだけ。そして、残弾は無限ではあり得ないのだ。

 

マズルフラッシュが途切れる。

 

一歩、そして一歩。震動が足元に。唯依は銃を見下ろすことなく、その引き金から指を離した。

思い出したかのように、左腕にある傷跡が痛みを訴えてくる。同時に想起するのは、胸の痛みだった。

 

(死ぬのか………私も………あの人達と同じように)

 

逃げる道はある。だが、それも不可能に近い。駆け抜けるには走る以外にありえず。そこで散乱している部品を踏んでしまえば、バランスを崩してしまえばそこで終わる。

曲芸のような真似が必要とされるのだ。そして先ほどまでとは違い、側転も後転もできないのだ。

ほぼ間違いなく、死ぬ。そう思った時に浮かんだのは、失ってきた人たちであった。

 

守れなかったものはなんであろうか。問われて即座に答えきれないほど。

だが一番に思い返す光景があった。それはかつての同期達であり、共に戦場に立った主君だ。

 

――――崇宰恭子、明星作戦にて戦死。

その時に、自分は傍に居たのだ。しかし手を伸ばしても届かず、先に死ぬべきだった自分はこうしてここに居る。

 

当然のことなのだ。おめおめと生き延びていたのが、おかしかった。

こうして死ぬことこそが。そうすれば、何にも悩まされずに済む。唯依は目眩の中で、弱い自分が何事かを囁いてくるような錯覚に溺れていた。

 

(これが――――絶望か)

 

人を殺す病であるという。戦場によく現れるらしい。人づてに聞いたそれが、今こうして自分に襲いかかって来ている。

唯依は、それを認識した。コンテナの破片踏み砕いて進む音が、絶望の具現を確信させてくれる。

 

ここで終わりなのだ。後は残された者たちが上手くやってくれるだろう。唯依はどうしてか、99型砲がソ連に奪われないであろうことを確信していた。信頼や信用とは違う、どこか違った所での確信。風守武という男とユウヤ・ブリッジスという衛士は、それを誘発させられる程の光を持っている。そう信じさせてくれる何かがあった。

 

だから、これでもう楽に――――そう思った途端に、唯依は叫んだ。

 

その声に自覚はない。だが、実物として大声は大気を震わせていた。

 

弾の無くなった銃を両手に持った。そうして唯依は心のどこかから浮き上がってきた弱い自分を振り払うように、八相の構えを取った。奥には、戦車級を凌ぐ巨躯を持つ要撃級の姿さえ見える。

 

だが、唯依の口が閉ざされることはなかった。

 

「私は――――まだ、生きている」

 

言い訳をしている暇があるのか。その答えは否であった。助けて、という言葉に意味はあるのか。問うまでもなかった。死ぬしれないという現実。だけど、誰が不可能だと決めたのだ。泣いている余裕など、どこにあるのか。

 

不可能があることは知っている。唯依はそう呟いた。

だがずっと前から、そしてここ数ヶ月の中でも自分は見てきた光景があると、無言のまま歯を食いしばった。

 

――――決して諦めない人間の姿があった。

弱音を塞ぐように食いしばり、自分の身をも危険に晒しながら、叫ぶように戦っている男の姿があった。

知らない内に、何かが胸の中に灯り。そうして、この基地の中で得られた言葉があった。

 

夢。公人として目指すべき義務ではない、自分自身が目指したいと思う遠い場所のこと。

 

帝国斯衛でもない、一般の衛士としてでもない、篁唯依としての自分が何を望んでいるのか。

傲慢になればいいと言われた。唯依はその言葉を聞いてから、一部だけど何かの枠のようなものが取り去られたかのように感じていた。

 

すぐに想起したのは、小さい頃のことだ。まだ小さく物心がついたばかりの自分でも、抱いたものがあったように思う。憧れた人は、すぐ傍に居た。

そして大きくなってからも。唯依は不謹慎な自分が居たことを思い出していた。

1998年の、日本侵攻。あの時の、戦乱に飲み込まれようとしていた京都でのことだ。

 

繰り上がり任官で衛士になった自分は、あの時に何を思ったのか。不安であったように思う。そこに嘘はない。

だが父が開発した戦術機を前に、コックピットで操縦桿を握った自分は心の中に何を抱いたのか。

戦車級越しに見えるのは、帝国最新鋭の武装である99型砲。まるで光が発射されたかのようなあの光景を見て、自分が何を思ったのか。

 

唯依はそれを言葉にしないまま、前傾の姿勢を取った。形にならない思いがある。それを、失ってはいけないと考えたから。戦車級は大きくて、強い。掴まれればそれで終わりで、懐に飛び込んだとして踏み潰されれば肉片にされる。勝ち目はないだろう。だが、それは死んでもいいという言葉に繋げてはいけないのだ。

 

乱れた呼吸を自覚しながらも、足に力を入れる。そうして、通じないと理解しながらも認めないことを決めた。

 

決意と共に、視界が晴れたような気分になる。唯依は世界が変わったような感覚のままに、叫んだ。

 

 

「――――かかってこい、化物ども!」

 

 

その言葉に反応したのかは分からない。

 

だが現実のものとして、唯依の目の前に居る戦車級はその場に立ち止まって――――次の瞬間には、二等分にされていた。

 

要撃級さえ上回る、大きな震動。光を遮る、巨人の影。

 

それを表す名前を、94式歩行戦術機『不知火』という。

 

 

「風守………少佐?」

 

 

『動くなよ、篁中尉』

 

 

唯依を守るようにして立っている不知火が、右手に持っている中刀をゆらり構えを変えた。

 

直後に現れたのは、圧倒的な暴力だ。肉断つ音と穿ち抉る砲弾が乱舞する。それは、蹂躙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追いかけて辿り着いた先。ユウヤが見たのは、あちこちが崩れ落ちた格納庫とBETAの死骸だった。

紛れも無く戦いの痕跡であるそれは、格納庫の中にまで及んでいる。

 

周囲のBETAも、少ないが残っている。ユウヤはそれに対処しながらも、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。

こんな所に、1人の人間が生身で居ればどうなるのか。

 

『っ、唯依!』

 

脳裏に浮かんだ光景を否定するように叫ぶ。直後、格納庫の中から吹き飛ばされるようにして戦車級が飛び出てくる。

ユウヤはそれを成したであろう不知火が格納庫から出てくるのを見て、叫んだ。

 

『シロー、唯依は!』

 

『負傷しているけど、何とか無事だ!』

 

それを聞いたユウヤが、安堵の息を吐いた。

 

『安心している場合じゃねーぞ。こっちも燃料が心もとないんだ、さっさと退散しようぜ!』

 

『タリサの言うとおりね。中尉、急いで』

 

『よし………それじゃあ、篁中尉。言いたいことは山ほどあるけど、それは後だ。ブレーメル少尉、中尉を頼む』

 

『了解………ってタカムラ中尉?』

 

ステラは唯依の顔に浮かんでいる表情を見て、訝しんだ。

痛みもあろうが、それ以上に驚愕の色が濃い。そしてその視線は、不知火に向けられているのだ。

 

『ってシロー、99型砲はどうすんだ!?』

 

『無傷とはいえないが、問題はない。ここで破壊していく。だけど、それは撤退の準備が整ってからだ』

 

それを聞いたステラは、急ぎ唯依に対して応急処置を施した。

局部麻酔剤を使って腕に突き刺さっている金属片を抜き取ると、傷口に包帯を巻くのだ。

 

守るようにして展開しているユウヤ達は、格納庫に近寄ってくるBETAの相手をしていた。

 

『くそっ、弾が………っ』

 

『気にすんな、ユウヤ! いざとなったらアタシとシローでやれる!』

 

残弾を惜しんで命を捨てる羽目になったら、それこそ目も当てられない。

ユウヤはタリサの言葉に頷くと、周囲にいる要撃級に向けて36mmをばら撒いた。

 

まもなくして、少なかった弾がゼロになる。だがユウヤは大人しくしているつもりはなかった。

 

『砲撃ができない、ならよぉっっ!』

 

『ちょっ、おまっ!?』

 

『ユウヤ! ――――やるなら短刀でやれ!』

 

武はユウヤの意図を察した、叫ぶ。

ユウヤは、止められなかったことに驚き、唇を緩めた。

 

『了―――解!』

 

迫り来るBETAは散発で少数だ。ユウヤはそれを掻い潜るようにして、短刀で一体づつ仕留めていった。

待ち望んでいた、近接兵装での戦闘。ユウヤはその中でこれが想像していた以上に危険なものであると痛感し、それでもと続けた。

 

『ああもう、無茶しすぎだっての!』

 

『そう言う割りには顔が緩んでんぞ、タリサ!』

 

ユウヤの動きにはぎこちなさが残っているが、一合ごとに成長しているように見えた。

攻撃を弾かれ、援護に助けられ、次には弾かれないように工夫し、それを重ねる。

命のかかった実戦でも怯むことなく続けられている。

 

『お前も、そのスカしたサングラスでも取ったらどうだ!』

 

武とタリサは軽口を叩きながらもユウヤの援護とステラ機の安全を確保し続けていた。

そうしている内に長かった数分が過ぎ去り、ステラの唯依への処置が終わった――――その直後だった。

 

『こっちの処置は終わったわ――――っ、アルゴス1、後ろ!?』

 

『なっ、しまっ!?』

 

背後にいるのは要塞級で、既に攻撃の態勢に入っていた。

ユウヤは失態を悟った声を発し、それが終わるまでに砲撃の音が響いた。

 

武のものでも、タリサのものでもない砲撃。それは、撤退の進行方向からやってきたものだった。

 

『っ、ガルム実験小隊?!』

 

『邪魔したかぁ、アルゴスのひよっこ共!』

 

返答する間もあればこそ、やってきた3機は周囲にいるBETAを蹂躙した。

そうしている内に、また新たな機体が格納庫に到着した。

 

殲撃10型――――統一中華戦線の機体は、すれ違いざまに77式長刀で要撃級の頭部を割断した。

そうして、新手の4機を加えた7機による攻勢。それはものの70秒ほどで、周囲にいるBETA群の全てを一掃するほどのものだった。

 

『助かったぜ………ってなんでここにあんたらが。撤退したんじゃないのか?』

 

『ああ。そのあたり、どうなんでしょうかシャルヴェ大尉』

 

ユウヤと武の問いかけ。

フランツは、肩をすくめて答えた。

 

『99型砲が気になったからだ。流石に、あんな超威力を持つ兵装をソ連に奪われるというのはゾッとしない』

 

秘匿回線でのやり取り。武はそれを聞いて納得した。建前であり、本音でもあると。

 

『そこまでのヘマはしない。ここで破壊していくしな。BETAにも回収させるつもりはない』

 

『そうか………ん?』

 

撤退の準備も完了した、と思った時のことだ。こちらに近づいてくる機影があった。

識別信号は、ソ連のもの。それは、ラトロワ中佐率いるジャール大隊のものだ。

整然とした機動で着地した機体群、その中央に居る指揮官からオープン回線で通信が届いた。

 

『無事みたいだな、坊や』

 

『ラトロワ中佐………!?』

 

『全機全周警戒、残存しているBETAが居れば掃討しろ!』

 

『―――了解!』

 

幼い声での、了解の唱和が通信を響かせた。

ラトロワは周囲に散らかっているBETAの死骸を見ながら、呟いた。

 

『ふん………基地の中で、派手にやってくれたものだな』

 

『なんでアンタ達がここに………数キロ先でBETAを迎撃している筈じゃあ。それに、ここいらは強力な電子欺瞞が、って』

 

気づけば、一帯に張られていたジャミングは綺麗さっぱりとなくなっていた。

ユウヤの訝しむ視線に、ラトロワは自嘲気味に答えた。

 

『馬鹿が阿呆なことをやった尻拭いさ………通信塔なら既に叩き壊した。こうして話せているのが証拠だ』

 

『な………に………?』

 

ユウヤはそこでようやく、データリンクが復活していることに気づいた。

そして、通信塔を壊したとはどういうことか。問い詰める前に、それはやってきた。

 

『爆撃機………まさか、この基地諸共に!?』

 

『まさか、奴らは………っ?!』

 

ユウヤが驚き、ラトロワが何かを察したかのような声を出した。

その場に居る全員も、状況の変化にそれぞれの思いを抱く。

 

だが、直後に武を除いた全員の気持ちはひとつになった。

 

編隊で空を舞う爆撃機――――その全てが、一筋の光線に貫かれて爆散したからだ。

航空機による制空権という単語を過去のものとした張本人。衛士にとっての死の象徴が、叫ばれた。

 

『れっ………光線級っ?!』

 

『馬鹿な、どうしてこのタイミングで?!』

 

大隊の副官であるナスターシャが悲痛に叫んだ。一方で、冷静な者たちもいた。

BETA相手の戦場ならば、こういう事もあるだろう。それを頭ではなく、血肉で理解させられた者達である。

 

『まずいな………分かっていたことだけど』

 

武は小さく呟いた。光線級が現れたことにより爆撃機により基地ごと葬り去られることはなくなったが、それ以上に厄介な事態になったと。そうして、ジャール大隊を見回した後に告げた。

 

『アルゴス小隊は急いで撤退を。ガルム実験小隊とバオフェン試験小隊も………いや、3機残ってくれ。どうしても、援護が必要になるから』

 

『援護、って何をするつもりさ』

 

タリサの問いかけに、武は肩をすくめながら答えた。

 

『後ろからレーザー撃たれて蒸発させられる、って結末になるのはつまらねーだろ? そうならないように、こちらはこちらでやることをやるってだけさ』

 

『ふむ………何か算段があるということだな。了解した。アーサーとリーサはこの場に残れ。俺は撤退を援護する』

 

『了解。部隊長向きじゃないしなー』

 

『まあ、俺ら向けだよな。どう考えても』

 

ユウヤはそこで驚きの声を漏らした。歴戦の衛士揃いであるというガルム実験小隊が、まさか言葉が足りないにも程がある提案に即答するとは思ってもいなかったからだ。

バオフェンも同様の答えを返し、それに対してバオフェンの1人も驚きを返した。

 

『た、大尉?! なんでこんな所に!』

 

『見極める必要があるから。これからの殲撃10型のためになるかもしれない。呉大尉と亦菲には、そう伝えておいて欲しい』

 

『そんな…………呉大尉はともかく、あいつは怒りますよ?』

 

『怖いね。だけど、ここは譲れない………お願いだから』

 

訴えかけるように言う。それを向けられた李は、うっと言葉に詰まった。

そして数秒ほど頭をかきむしり、暗い声で言った。

 

『分かりました。ご武運を祈りますので、無事に戻ってきてください』

 

『ありがとう………こっちは準備が整った』

 

『了解。悪いけど、全てを説明している時間がない。急ぎ撤退を開始。あ、タリサは中刀を貸してくれ』

 

『………理由も聞かないままじゃ、貸せねーよ。端的にでいいから、目的を言え』

 

 

 

光線級吶喊(レーザーヤークト)には囮役が必要だろう? ――――つまりはそういう事さ』

 

武はジャール大隊を見回しながら告げる。その言葉に、ユウヤははっとなった。

ラトロワの方を見る。だが彼女は、まるで表情を変えないでいた。それが当然であるかのように、死地へと挑むつもりだ。それを察したユウヤが、緊張に息を呑んだ。もうそこまでの事態になっているのだと。

 

(まじかよ………残弾と燃料も心もとないだろうに)

 

不安要素など、数えきれないはずだ。だがユウヤはラトロワの顔を見て、黙り込んだ。

吶喊の難易度と死傷率に関しては聞かされている。まず間違いなく死ぬだろうということも、想像できていた。

歴戦であろうジャール大隊なら、自分以上に理解しているだろう。だというのに、ジャールの衛士達はそれが当たり前のものであるかのように受け止めていた。周囲にいる少年兵からも、異論は出てこない。それこそが役割であるというかのように、次なる目的に冷静に向かい合っているように見える。

 

それでも、子供だ。成人もしていない、少年と言っても差し支えのない年齢だ。

ユウヤは胸の中から得体のしれない感情が沸き上がってくるのを感じ取っていた。

 

『って、時間が無いっていっただろう! 撤退を急いでくれ!』

 

『………っ、了解した』

 

ユウヤが何とか返せた言葉は、それだけだった。時間は待ってはくれない。めまぐるしく変わっていく状況に、対処しなければならないのだ。それは義務であり、しかしという感情が渦巻いている。

 

それを察したのは、武だった。向き直り、秘匿回線での言葉が届く。

 

『死んで欲しくない。そう思っているように見えたんだが』

 

『………甘い考えでしかないだろ。新兵ごときが、って笑うか? ああ、そうだろうさ』

 

ユウヤの理性はそう答えた。それが言葉になって、声になる。その反面、音量は非常に小さいものであった。

ジャール大隊の方を見る。思いだすのは、この戦場に出た直後のことだ。選択肢というもの。拾わなければ失われてしまう命がある。ここでの死は当然なのだ。それに晒されること。納得している表情をしなければならない。

 

だが、ユウヤの顔は晴れなかった。死地に赴く衛士こそを誇りであると、笑って送るのが正しい作法である。

できそうもないと、心は言う。笑えるはずがあるものかと。

 

だが、どうすればいいのか。迷ったユウヤにまた秘匿回線で届く、同じものを抱いているような声があった。

 

『――――死んで欲しくないか? 当然だって言われても。理不尽なまま、BETAに殺されることを良しとしないのか? それが見知らぬ他人であっても』

 

『それ、は………っ』

 

反論は出来なかった。なぜなら、半ば以上に図星をつかれていたからだ。言葉にならない不満。ユウヤはそれらが的確に言葉にされたような錯覚に陥っていた。

 

『俺は………いや』

 

誤魔化す言葉はふさわしくないように思えた。ユウヤは、そして問うた。

 

『シロー。お前、なんでそう思ったんだ』

 

『そういう顔してるからだって。死んでほしくない、でも諦めなければならない。無力感を飲み干して我慢してるような、情けねえ面だ………馬鹿でも分かるぜ。俺は好きだけどよ』

 

ユウヤは答えない。最後の言葉に意表をつかれたからだ。

武はそれを見て、笑った。その笑みを見たユウヤは、驚きながら問うた。

 

『シロー………お前は、助けるつもりなのか』

 

『やるだけのことをしないまま、逃げるつもりはない。そう誓ってる? 済ませてるのさ。お前は………力不足だからって顔してるな。でも、それだけで諦めるのか』

 

『っ、諦めたくはない! だけど………』

 

仕方ない、という言葉は喉で止まった。声にしてはいけないと思ったからだ。出来るとは思わない、というのが偽りのない本音だった。ユウヤは誰に言われずとも、今の自分では腕が足りないことは自覚していた。先ほどのことも忘れてはいない。1人では危なかった場面がある。援護されなければ、死んでいたかもしれない時も。

 

本当の自分は、与えられている役割はここに残るという選択肢を良しとしない。

開発計画に心血を注ぐのが本当で、それこそが成すべき目的である。唯依も、無傷ではないのだ。

むざむざとここで死なせる訳にはいかない。

 

(だけどよ………それでもよ。最前線で俺達を守るために戦っているガキを。こうして戦っている誰かを見捨てることを、良しとするべきなのか?)

 

出てくる答えは、"違う"というもの。納得などできない声。違うと、理屈ではない所で答えは出ている。

同時に、冷静な自分は不可能だと裁定を下していた。不可能という無謀に命を捧げるのは、馬鹿のすることだと。だけど、納得はできない。

 

答えの出ない問いかけだ。武はそれに答えられないユウヤを見て、告げた。

 

 

『今は無理だろう。1人じゃあ不可能だ――――だから、ここは任せろ』

 

 

武はそうして、笑った。

 

 

『そっちは任せた………篁中尉は頼んだぜ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4機を残してユウヤ達は後方へ遠ざかっていく。間もなく、ラトロワから武に通信が飛んだ。

 

『内緒話は捗ったか? ――――何をするつもりだ、少尉』

 

『言った通り、囮役ですよ。幸いにして、うってつけの材料があるので』

 

どちらにせよ、ここで光線級を逃せば万が一がある。最善は、誰かを囮にして光線級を一掃するというもの。

武は言いながら突撃砲を構え、120mm砲を99型電磁投射砲に叩き込んだ。砲身から何まで爆散し、部品となって地面に散らばる。

 

BETAの動きに異変が起きたのは、それと同時だった。まるで暗闇の中の灯火に殺到する虫のように、基地外部に居るBETAまでもがこの格納庫に進行方向を変えていた。武はそれを確認した後、破片の中にある箱のような部品を回収する。ケースに入れるのはまだだな、と独り言を零した。

 

『さて、と………自分達は"これ"を持って側面に周ります。光線級が居る方向は分かってますよね』

 

『ああ、既に割り出している………それで釣るつもりか。確かに、効果的といえる――――貴様達が途中で進行方向を変えなければ、という前提があってこそだが』

 

ラトロワはありえない現象を前にして、その内容を問うことを止めた。これはそういうものだと認識したのだ。その時間こそが惜しいと。理屈を問うより、建設的な話をするしかない。光線種の殲滅こそが最善であると判断している、彼女の判断は尤もなものだった。

 

『保証はないだろうな。ジャール大隊こそを囮にして、自分達の撤退を優先する。そう考える方が自然だと思うが、否定できるほどの材料はあるのか』

 

国に属する軍人として、衛士としての利はどこにある。それは他国の人間を利用しないという根拠になりうるのか。

自国を守るために存在する軍人の道理である。それを前にして、武は言った。

 

『糞食らえです』

 

『………なに?』

 

『利益はこっちで見出します。俺が納得するように動きます。その責任も負うつもりです。傲慢であろうが全ては許されて………だからこそ自分はここにいる』

 

代価も、必要性も。そうして、武は笑いかけた。

 

『嫌なんですよ。お断りです。見捨てるのも、裏切るのも、やれることをやらないまま諦めるのも、言い訳をしている自分が正しいと思い込むのも』

 

そして何よりも、と武は拳を握りしめた。

 

『腹が立っているんです………余計なことを思い出しちまったから』

 

原因は、怪我をした篁唯依の姿だった。間一髪で助けられた、友達。それを見ながらも浮かんだのは、人が人のまま喰われるという光景だ。全てではないが、思い出せる。それは遠い世界で知り合った親しい誰かの顔であり、この世界で出会った誰かのものだった。

 

思い出してしまった武は、久しぶりの苛立ちを覚えていた。

主にBETAと、自分に対してだ。

 

(………分かっていたのにな。篁中尉なら、"そう"するかもしれないって)

 

武も一時ではあるが、武家の人間と共に戦っていた。心のどこかで、唯依が自分の命を使うかもしれないと、認識していた。それを、見過ごすしかなかった。説得するには、明かさなければならない秘密があって。それは、この後のユーコンでの事件を考えると、マイナスにしかならない要因で。

 

(言い訳だよな………その償いはする。何より、見せなければならないものがある)

 

正しく報いるためには、どうするべきか。ユウヤの希望に沿う結果をもたらすためには。

自分の誓いに似た信念を持っている馬鹿な衛士。それを、ただの馬鹿のままで終わらせないためにはどうすればいいのか。八つ当たりも済ませるには、どうすればいいのか。

 

その問いに答えるように、機体はあるものの更新を完了させていた。ガルムが到着してから、裏で起動していた変更の作業だ。間に合った、と笑う。

 

状況は整っている。

いよいよもって殺到してくるBETAがいるのだ。観測されている規模は大隊では収まらない程のものだった。

 

武はそれを前にして、笑った。舞台の相手には、ちょうど良いと。

そして、宣告した。

 

『………一年以内にオリジナル・ハイヴを落とす。そのパーツの一つが、これだ』

 

 

投影された網膜に映るのは、戦術機のOSの状況だった。

 

更新完了の報告には、"Cross Rabbits Operating System"とあった。

 

同時に、武はサングラスを取った。現れたのは、一部の人間であればよく知っている、僅かながらに幼さが残る顔だった。その眼光の中には、5年前までは見られなかった色がある。

 

それを見比べられるのは、無言のまま待っていた3人の衛士であった。

 

通信が繋がり、顔が見える。それを見た3人は、これ以上ない笑顔を浮かべた。

 

 

『――――"Once&Forever"か?』

 

『ああ――――"Once&Forever"のために』

 

 

4人の間で、軽くて重い言葉が交わった。

 

武は獰猛な笑みを浮かべ、背にマウントしている中刀とタリサから受け取った中刀、その二振りを両手に構えた。

 

 

 

 

『――――XM3、起動』

 

 

 

世界を変える決意が秘められた、宣告。

 

それが、開戦の号砲となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラトロワは光線級吶喊を成功させた後、生き残った部下と共に匍匐飛行をしていた。

向かう先は、第967戦術機甲師団である。基地司令だったバラキン少将の誘いに乗り、そこに向かっていた。

 

戻れば基地壊滅の責任を負わされるか命令違反により銃殺されることから、それ以外の選択肢が残されていなかったともいう。

 

(表向きは、全滅………帰還者なしと扱われているだろうが)

 

光線級吶喊の栄誉など、与えてはくれないだろう。だがそんなラトロワの頭の中を占めているのは諸々の陰謀や対処できなかった自分への後悔ではなかった。陰謀を仕掛けてきたロゴフスキーなど、眼中にもない。それ以上の衝撃があったのだ。それは、同じ光景を見ていた彼女の部下も同じだった。

 

『中佐………"アレ"はいったい何だったのでしょうか』

 

ナスターシャ・イヴァノワ。15にして大尉の階級を与えられている彼女は、それなりの修羅場を経験している。

死地も味わったことがある。そんな彼女をして、理解できないことがあった。

 

道中での報告もあったのだ。"アレ"は光線級の襲来を予知しているかのような言葉を吐いていたと。

理屈に合わない。勘など、非科学的に過ぎる。

 

何より、信じられないことがあった。たった一体、17分で852体というイーダル試験小隊の非常識なスコア――――"それが霞むほどの結果を出せる衛士が現実のものである"などと、何処の誰が信じるというのか。

 

ラトロワは、半ば以上に呆然としている少年少女達に向けて言った。

 

『オリジナル・ハイヴを落とす、か。冗談にしても出てこない台詞だ』

 

『それは………そうだと思いますが』

 

『大言壮語にも程があるだろう。だが、この戦況を知る者の誰が、あのような言葉を素面で言ってのけるのか』

 

ましてや、これ以上ない確信をもっての口調で。

ラトロワの胸中には、信じられるかという気持ちより勝る想いが渦巻いていた。

 

(………報いることは出来ないと思っていた。死んでいったあの子達は、世界を救うために戦ったのだと言えないと)

 

ラトロワは苦悶を噛み締めていた今までを思う。口が裂けても言えないが、隠している考えがあった。

衛士の損耗率と戦果に対してのものだ。衛士が勇敢に戦ったという結果があるからこそハイヴが攻略される日が訪れるのだと、胸を張って断言できる時が来る。

 

来ないものだと。思っていた。子供相手であれ、明らかな嘘は罪以外のなにものでもない。

死んでいった子供たち、今も生きて戦っている子供たち、彼らに対して嘘をつくことなどできないと思っていた。

生きるためにと、嘘はつけよう。だが、心のどこかでは諦めが残っていた。

絶望に打ち勝つことはできよう。だが、その絶望が将来的に消え去るなどという希望を抱けないのも確かだった。

 

だが、あの不知火が見せた全ての動きはどうか。

あの機体の動きは、個人の技量だけでは説明できない何かがあるのではないか。

ラトロワの目には、そう映っていた。

 

『中佐………笑って?』

 

ナスターシャの言葉に、ラトロワは小さな笑みを返した。

 

『笑いもするさ。TYPE-94の強さは、単純な機体性能ではない………私の予想が正しければ、面白いことになるだろうな』

 

ハードではなく、ソフトによって性能が上がる。考えたこともないそれは、非常識な結果と共に示された。

希望的観測にも程がある。だが、それこそオリジナル・ハイヴが攻略できるほどの成果が生まれるかもしれない。

 

子供たちに、未来の夢を語らせてやれる、明るい展望を持たせてやれるほどの。

ラトロワは自分らしくない甘い考えを、それでも否定しきることはできなかった。

 

(坊やも、良い顔になっていた………周囲に居る者達も粒ぞろいだ)

 

可能性としては低いかもしれない。だが、それらの要素が全て、正しい方向で交われば。

 

ラトロワは前方の空に広がる雲、その隙間から差し込む光のように、未来の見えない戦況の中でも僅かな希望を見出していた。

 

 

 

 


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