Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「おはよう。お疲れね、ユウヤ」
「あー、まあな」
目の下に隈を作った男は言い返すことなく淡々と答えた。それ以外の気力など無いという言葉を、全身で回答していた。
「大丈夫? そんなに辛いの、剣術の練習は」
「素振りしかしてねえよ。だってのに………くそっ」
ユウヤは悪態をついた。今日の早朝もあった、課せられた訓練のことを思い出したのだ。
内容は単純で、素振りを200回というもの。だが唯依は随所随所で横から口出しをしていた。
そして惰性で振った1回などは認めないと、ユウヤは振り直しをさせられていた。
「やれ遅いだの、手首が硬いだの。ったく、誰だよあいつがお姫様なんて言ったのは」
陸軍に居た糞教官よりひどい。愚痴るユウヤだったが、その顔を見たステラが面白そうに笑った。
「あら、その割には良い顔してるわよ?」
「嫌味かよ、"彫刻"」
「"トップガン"様は素直じゃないわね。やり甲斐がある事ぐらい、素直に認めればいいのに」
「………別に」
ステラの独白は沈黙によって肯定された。そうしている内に、タリサとヴァレリオがやってきた。朝の挨拶を一つ。そうして話は話題の人物へと移った。
「そういや、さっきそこでタカムラを見たぜ。かなり疲れてたようだけど、何かあったのか?」
「ありゃあきっと寝不足が原因だな。それで、同じように寝不足なカレシさんに訊きたいことがあるんだけどよ」
「うっせえよ、マカロニ。あいつと俺はそんな関係じゃねえって何度も言ってるだろ」
ユウヤの悪態に、ヴァレリオは含み笑いを見せた。
だがユウヤはそれを問い詰める気力さえないと、無言で朝食を食べ始めた。
「………篁中尉も素直じゃないからね。その辺りも似たもの同士で、二人はぶつかり合う運命にあるのかも。タリサはその所どう思っているのかしら」
「単純に不器用だからじゃねーの? 広報任務の水着撮影でも、見事なウブっぷりを見せてくれたし」
先日の遭難の後のことだった。今回の騒動と先日の演習の責任を取るとして、唯依はいつの間にか用意されていたビキニの水着で広報用の写真をとられることになったのだ。
タリサが言っているのは、その時の唯依が見せた動揺のこと。恥じらいを持っていた彼女だが、ユウヤに対しては見られるのも我慢がならないといいがかりをつけられていた。
「あー、あれな。てっきり俺はナニをやっちまった後に見せる女の妙な照れ隠しだと思ったんだが」
「ねえよ! ていうかクリスカも居たのに、あるわけねえだろ!」
「いやー、トップガン先生はあっちの方もトップガンだって戦慄したわ。ほんと侮れねえな、お前って奴は」
「だから、違うっつってんだろうが!」
大声を出しながらも、喧嘩にならない。ユウヤに元気がないからだった。そうして、シモの冗談も絡めながら話は盛り上がっていった。
そして彼らも開発衛士の一員であるからして、話題は自然と操縦に関するものに移っていく。
「それにしてもよー。お前、なんであのお姫サマに剣を習おうなんて思ったんだ?」
剣の腕と戦術機における長刀の腕は関連性が深いとはいえ、等号で結ばれている訳ではない。
また違ったセンスや能力が必要になるからだ。なのにどうして今更になって、と問いかけるタリサにユウヤははっきりと答えた。
「必要だと思ったからだ。長刀を――――剣に拘ってる日本人の衛士の気持ちを知ることが」
不知火・弐型を使うのは日本人。ならば、その日本人がどういった思考や戦術的考察をするのか。
ユウヤはそれが全く分からなかった。日本人とこうまで接したのは唯依が最初で、それ以外の日本人など会ったことさえない。
知らない事の方が多いと、だから思ったのだ。分からなければ、分かるようにすればいい。幸いにして、目の前に居るのだから。
「それで剣を、か。それでも日本人の衛士なら、あの小碓って奴が居たじゃねえか」
「ああ、俺もそう思ったさ。でも断られたんだ。"自分は日本人衛士としては特殊過ぎて参考にならない、むしろ勘違いを助長させるだけだ"ってな」
それで改めて唯依に頼んだのだ。最初は剣を学ぶ事に関して、頷きはすれど乗り気ではなかった。
唯依は生兵法になることを恐れていたのだ。逆効果かもしれないと反論をしていたのだが、ユウヤの熱意ある説得により遂には折れた。
「でも今回は説得に時間がかからなかったようじゃねえか。なんだ、やっぱり無人島での一夜が原因か?」
「………ある意味ではそうかもな」
「あら、二人で大人になっちゃったのかしら」
「もう突っ込まないぜ。剣に関しての経緯はまた別だ。軍曹の奴が言ってたんだよ、ブリッジス少尉はかなり理論派だから剣の振り方だけでも絶対に教えるべきだってな」
元からの技量と持って生まれたセンスがあるから長刀を用いての機動戦術はすぐに上達する。
だが、それでも我流ではすぐに限界が訪れる。説得の言葉を反芻したユウヤは、ふと気づいたように尋ねた。
「そういえば………初めて聞く単語なんだが、"理論派"ってなんのことだ?」
「………まさかユウヤって、あの本を見てないの? あの中隊が出した本」
「そもそも何のことだが分からねーよ」
ユウヤの不思議そうな表情に、タリサ、ヴァレリオ、ステラが驚いた。
そして説明をする。ハイヴ攻略を成し遂げた中隊が作成した、戦術機動の応用理論が書かれている本のことで、その中に理論派と感覚派という単語が出てくるのだと。
「あー、そういえば噂かなんかで………でもたしか、ほとんど出回ってないとも聞いたな」
「おいおい、本当かよ………でもまあ、アメリカさんの基本戦術はG弾ありきのモンだからな」
米国の戦術機甲部隊といえば、潤沢な物資によって支えられた贅沢者として知られていた。
戦術に関しても、敵方のBETAは"G弾によって大幅に削られているという"前提で組まれている。
「そうね。背景があまりにも違いすぎるし。でも、ねえ」
ステラの言葉に、ヴァレリオが頷いた。
「勿体無えな。全部は無理でも、部分的に活かせるものは絶対にあるぜ」
なにせ様々な戦場での実体験を踏まえての、実践派の理論である。そしてその中の一つには、衛士のタイプを分類する新しい単語が書かれていた。
教導や指揮を行う上にあたって、衛士ごとの要素や配分を的確にするために使われている言葉だ。
「それが、"理論派"と"感覚派"。つまりは、戦術機の動かし方の違いよ。理屈詰めに動かすか、感覚的に奔らせるか。その比率によって、2つのパターンに分けられるのよ。私もユウヤと同じ理論派ね」
「俺もどっちかって言えば理論派だ。ちなみにこいつは完全な感覚派。直情的な奴に多いらしいぜ?」
「うっせー!」
「………いやでも、普通は考えながら機体を動かすだろ。感覚派寄りって、お前は何となくで操縦してんのか?」
「違うに決まってるだろ。そもそも根本の知識が無かったら開発衛士になんて選ばれねーっての」
どちらも根底としての基礎知識と経験があってこそ。
最初期の新兵では、分類はされない。訓練を耐えて実戦を乗り越えて、ある程度の技量が身についた時点で分かれるものだった。
「へえ。ちなみに、感覚派の強みって何なんだ」
「あー………例えば、あの時の機動かな。お前も見ただろ、アタシがあいつらと格闘戦でぶつかった時のこと」
ユウヤはそれを聞いて思い出した。
タリサはあの実戦のような格闘戦の中で、ククリナイフと自称する戦術機動でSu-37の背後を取ろうとしていたのだ。
だが、突如機体は制御を失ったと思ったら、クリスカ達の機体に激突した。
「わざとだって。ククリナイフやった時は決まったって思ったんだけど、直後に拙いって感じたんだ。このままじゃ負けちまうって」
タリサは考える前に、多少無理やりにでも機体を動かし、それが衝突の結果に繋がった。
あれが無ければ、今頃は背後を取られたままでどうなっていたのかは分からない。
そうしたタリサの言葉の芯には、確信があった。
「あ、ただの勘だって馬鹿にしない方がいいぜ。上に行けば行くほど、そうした危機察知能力が高い奴が出てくるしな」
感覚派は考える前に正答を出すので、咄嗟の状況に強い。だが平時の戦闘時などには安定性に欠ける部分がある。
理論派は考えてから解を出すので、想定外の状況に弱い。その反面として、安定した戦闘力を発揮できる。
「ちなみにステラは2:8の理論派で、VGは4:6の理論派だ」
「タリサは7:3の感覚派ね。ユウヤは………まだ分からないわ」
「それは、俺だけが死の八分を超えてないからか?」
「ご明察。全ては生き残ってからの話だから………でも、恐らくは理論派寄りだと思うわ。だから剣に関する正しい知識を持つのは、単純に技術的な観点から見ても正答に近いと思う」
ステラの言葉に、ユウヤは頷いた。アメリカに居た頃でも、納得できない理屈には決して首を縦には振らなかった。
自分でその理屈や理論を飲み込んで、咀嚼しない限りは反論し続けた。なんとなくでは認めたくないと。
「一理、あるな。それがどう繋がるのかも分からないけど」
内心では違っているのかもしれないと思っていたり、そもそもの分類に意味があるのかとも考えていた。
「でも、話のタネとしては十分に面白かったぜ。あと、その中隊には日本人が居たのか?」
「ええ、居たわ。そもそも、その中隊に長刀の扱いを助言したのはその人らしいからね」
それを聞いたユウヤは、本の内容の方に興味が寄っていた。
中隊の中には日本人も居たはずで、長刀の扱いについても何かしらのヒントになる言葉が書かれているかもしれないと、タリサに尋ねた。
「あー、無いよ」
「はあ?」
「ヒントらしきものなんて無い。長刀を使いこなしたいのなら、とにかく剣を振れとしか書いてない。タカムラの言うとおり、生兵法になる可能性が高いって考えたからだと思うけど」
何かしらの技も書かれていないという。
じゃあ何が書かれているんだとの声に、タリサは長刀でBETAに挑む際の心得が書かれていると答え、それを言葉にした。
仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。 すなわち、殺仏殺祖の心だという。
ユウヤの頭の上に、巨大な疑問符が浮かんだ。
「いや、いくらなんでも物騒過ぎるだろ。シリアルキラーかよ」
「そのものズバリじゃないって。まあ何かの教えだって言ってたよ。実際に何もかも殺せってのは暴論すぎるし」
タリサはう~んと悩みながらも、説明を始めた。
「囚われるなって言いたいんだと思う。あとは、敵を前に余分な心を持つなとも」
不信は躊躇いを、躊躇いは停滞を、停滞は被弾を。そして剣を振らずに留まれば死、あるのみ。
「乱暴に言うなら"手にもってるモンを振るなら振れ、でなければ帰れ"って所かな」
「あー、そいつは分かりやすいな」
ユウヤは唯依との一騎打ちのことを思い出していた。
確かに、中途半端に防御に回らず相討ち覚悟で攻勢に出た方が機体の動きも良くなったし、戦術的にも広がりが出来たように思う。
「それにしてもクラッカー中隊ね」
「なんだよ、VG。歯に物が挟まったような口調でさ」
「いや、あの中隊に参加していた衛士に対しての評価は、
「はあ?! 初耳だぞそんなの! それにあの頃は欧州もゴタゴタで、帰ろうにも帰る方法が無いって………!」
「まあ、そうよね。アジア戦線でもそんな余裕があるはずもなくて………だからそのあたりの理屈がわかる人は違うのだけれど」
ステラの言葉に、タリサとヴァレリオは頷いた。
どこに居て何をしたとしても、それが正しいものだとしてもその反対の意見を言う奴は絶対に居るのだ。
あるいは故意に、派閥か何かの関連であるという違いはあっても。
「それにしても、なんでお前が怒るんだよ。一時期だけど、お前と同じ大東亜連合に所属していたからか?」
「あー………まあ、な」
それだけじゃねーけど、とタリサはぼそぼそとつぶやいた。その横でステラが、そういえばと付け足す。
「囚われるな、か。その人もあの多国籍な中隊に居た人よね。だったら、こうも考えられるんじゃないかしら。殺せというのは、つまりは名指しではなく役職や役割であるとする。それを殺すということは、その価値観らしき自分の視点を消せということ」
「つまりは………戦うのに不必要な、余計な思想を挟むなってことか?」
多国籍で、色々な人物が、関係があって。それを剣に反映させるなと言いたいのか。
剣を振るには、それだけに集中しろと、そう言いたいのかもしれない。目の前の敵だけに集中することで、何かが掴めるかもしれないと。だが、そうじゃないかもしれない。悩むユウヤに、ヴァレリオが声をかけた。
「ともあれ、お前さんが衛士として良い方向に変わってんのは確かだ。俺達の目から見ても、それは間違いない」
「小隊のレベルも元に戻ったしな~。脚引っ張ってた奴が成長したお陰でさあ」
「うるせえよ、ったく」
ユウヤは悪態をつきながらも、その言葉をしっかりと耳に刻んでいた。
同時に、くすぐったいような何とも言えない空気に戸惑いを覚えていた。
ついぞアメリカの頃には感じられなかったものに、どう対処していいのか分からなくなったのだ。
「まあ………俺としてはまだまだ満足してないけどな」
「あったりまえだろ~? 向こう見ずで直情的な機動で、連携はし辛いったらないし」
ついと出てきた照れ隠しに、タリサが意地の悪い笑みで返す。
「お前も人の事は言えないけどな。ったく、問題児が多くて大変だぜ、我がアルゴス小隊は」
「おいおい、俺も含まれてんのかよ」
「むしろお前が筆頭だっての。でも………変わったな、お前さんも」
ヴァレリオは内心でユウヤの微妙な変化を感じ取っていた。
ユウヤが配属された当初のままであれば、こうしたからかいにも敵意をむき出しにするか、興味もないとスルーしていたことだろう。
今は悪態を吐きながらも、それを冗談として会話になっている。
「って、もう行くのかよユウヤ」
「さっきの思想とやらも、まだはっきりとは分からねえし。でも、参考になったぜ。あとは理解するだけだ」
「そのために、食後の運動? せっかちね」
「………日本じゃあ、鉄は熱いうちに打てって諺があるらしいじゃねえか。それに習うつもりはねえけど………いや」
複雑な表情になりながらも、素振りでもしてくるわと急いで食堂を去っていくユウヤ。タリサ達はその背中を見て、おかしそうな表情を見せながら言った。馬鹿だ、馬鹿が居る。戦術機開発馬鹿が居る。
この計画はまだ途中だ。
中核たるユウヤの心の中にも未だ葛藤はあるのだろうが、それを吹っ切る事が出来たのであれば――――面白くなるかもしれない。
それが、3人の共通認識だった。
「嵐を抜けてから、だけどね」
「まあ、同じ船に乗りかかった仲間だ。独りで荒波を越えさせる真似はさせねえよ」
俺達が先任に助けられたように、今度は自分たちが。ヴァレリオの言葉に、ステラとタリサは無言で頷いた。
「でも、タカムラの奴も何考えてんだかなぁ。この時期に最前線での運用試験なんて、もっと後にできなかったのかよ」
「おいおい、タリサよ。過去に軍のお偉いサン方がこっちの都合通りに動いてくれた試しがあったか? それに、中尉も交渉しようとはしたみたいだぜ」
唯依もユウヤと同じで、自分の心境を分かりやすいぐらいに表情に出す人物である。
それを察したヴァレリオとステラは、彼女が何がしかの反論を出したであろう事は想像がついていた。
「篁中尉も………不器用ながらでも、良い方向に変わってるわね」
ステラは先日に唯依と交わした会話の内容を思い出していた。
誘導尋問ではないが、ちょっとした話の運びで容易に訊きたいことが聞き取れる。
「それにしても、ふふ」
「あん、どうしたんだよステラ」
「いえ、彼女が可愛かったから」
ステラは自分がアドバイスした時の事を思い出していた。もう少し部下と会話をした方がいいとの言葉だったが、唯依はそれを素直に受け取り、その場で悩み始めたのだ。
その後もハンガーの中で見かけた時には、少し挙動不審になっていた。
視線はユウヤの方を向いていたから、彼に対してどういう風に接すればいいか分からないと迷っていたのだろう。
「そ、そっちの趣味があったのか。初耳だぜ」
「もう、そういう意味じゃないのは分かってるでしょ?」
戦闘力は相当らしいが、精神的には年相応なのである。訊けば、斯衛の開発班に居たことからここ数年は他国の人間と接したことがないらしい。
だが彼女はそれを仕方ないと言い訳せず、部下の意見も真摯に受け止めている。その必死かつ素直な姿勢は、見ている者を微笑ましい気持ちにさせるものがあった。
「少し固い部分もあったけど、それも取れてるようだし」
「ああ………あの軍曹殿が努力してたからな」
小碓四郎。いかにも怪しい人物だが、ヴァレリオ達はあの青年がここに送り込まれてきた意味を何となくだが察していた。
海外の基地、それも様々な思想を持つこの場所に居るというのに、彼だけは全くペースを崩していない。物怖じせず、かといって不必要に踏み込んでこない。
それどころか、最近では不知火付きの整備兵に対してもさりげないフォローを入れたりしている。
リルフォートでのちょっとしたトラブルも、うまく互いをなだめすかしたりして、大きな問題に発展させないように立ちまわっている。
「干渉役であり、助言役って所ね。ドーゥル中尉が彼をグアドループに同行させるわけだわ」
「旦那にしちゃあ強引だと思ったが、なる程な。あの時も二人にフォロー入れてたみたいだし」
「篁中尉も、怪しんではいても受け入れてるようだわ。ローウェル軍曹もそうでしょ?」
「ああ、あいつにもそれとなく聞いたが、かな~り有難がってたぜ。確かにあいつの負担は相当だったからなあ。独りのまんまじゃあ、今頃は胃に
1つや2つぐらい穴が開いてたんじゃねえか?」
ヴィンセントも米国から出向している米国の軍人である。立場上、踏み入っての助言をする訳にもいかない。だからこそ唯依を冷静にさせるあの言葉は嬉しかったと、ヴィンセントはヴァレリオに告げていた。それを聞いたタリサは、少し面白くない顔をしながら口を開いた。
「………妙にあいつの肩を持つけど、何かあったのかよVG」
「あン? いや、ふつーに接しやすいタイプだからよ。それに、あいつは分かってるぜ」
「分かってるって………そういやタカムラの奴が写真を撮られてた時に、なんか話してたよな」
「ああ、男はみんな冒険家って奴さ」
ヴァレリオは思い出す。『身を隠すように丸まって、その時の肩と尻のラインがそそる』と主張する自分に、『隠そうとされるとそれを暴きたくなる。野郎の冒険心が刺激されてるんですよね』とサングラスを光らせながら答えた時に受けた衝撃を、ヴァレリオは忘れない。
ついには、野郎の冒険心と厚着の奥にこそ秘められている神秘の白い柔肌などについて激論を交わした。隣に居た整備兵は、小碓四郎の主張を、『無謀なのは分かってる。でもああいった恥じらう表情で、上目遣いで何かを頼んで下さいと懇願する野郎連中がいそう、いや絶対にいるはずだ』の言葉に、鼻血を出して倒れた。きっと冒険心という男の浪漫が鼻から溢れてしまったのだろう。
「あー、そうね。わざとかは知らないけれど、ちょっとオープンな所があるし」
先日の事だ。整備兵が篁中尉の隠し撮り写真を持っていて、それを唯依が気づいた時のこと。
唯依が没収しようとした所を横から、『ナイスショット! あ、俺にも3枚程くれませんか。観賞用、布教用、贈呈用に』と言った後、真っ赤な顔になった女侍に痛烈な一撃を喰らっていた。
その後の会話でも、唯依が暴走した発言をする度に小碓軍曹がニヤニヤとして殴られながらもからかっていたのはステラの知る所だ。
あの後も、ちょっとしたフォローをしていた。その様子を見るに、実戦を経験しているものの根本はお嬢様育ちである唯依の助言役というのは、正しいかもしれない。
「そういえばあの時のタリサは、すごく不機嫌になってたけど………もしかして彼と? あのボートレースの時に何かあったのかしら」
「な、なんでもねーよ! 誰があんな奴なんか………!」
「おいおい。お前さんも、例の軍曹が帰国したからって拗ねてんなよ」
「違うっての! 拗ねてなんかないよ!」
「俺が言ってんのはユウヤとの連携の事だよ。確かに先週まではちとアレだったが、あいつは良くやってると思うぜ」
猪突猛進気味ではあるが、それでも対応できない程ではない。
それに言及したタリサは、正しくもあるがそうでない部分もある。
それを理解しているからこそ、タリサは黙りこんだ。
そしてふと、窓から見える空を見ながらぽつりとつぶやいた。
「………帰っちまったな、あの野郎は」
司令部の総合通信センターの中。唯依は、敬愛している人物とモニター越しで向かい合っていた。挨拶のようなからかいの言葉の後に、話は計画のものへと移っていく。
そうして、唯依ははっきりと報告した。立ち上げの当初は難航していた開発のこと。
この計画が本当に帝国の利になり得るのか、悩んだことは一度や二度ではないこと。
そうした中で、何もできない自分の未熟さを恥じ続けていること。
だが、最後にはこうして締めくくられた。計画は、今ではその遅れを取り戻せるぐらいの所まで来ていると。
それを聞いた榮二は、自省好きな所は変わっていないな、と苦笑した。
「そうか………それで、主席開発衛士は」
「ユウヤ・ブリッジス少尉です。巌谷中佐」
「そうだった、すまんな。この男はうまくやっているのか?」
「は………いえ、今は」
唯依は計画の内容とは全く異なる、辿々しい口調でユウヤとの間にあった衝突などを話した。
榮二はそれを聞いて、尋ねた。
「彼は………ユウヤ・ブリッジス少尉は日本人ならずとも、優秀な開発衛士か?」
唯依はその問いに対して、躊躇いながらも断言した。
日本人以外にこの計画を任せることを反対していたのは、他ならぬ自分である。そうした過去の自分の意見をふまえて、答えた。
「当初は、認められませんでした。ですが今は………得難い人物であります。何より、開発計画に熱心であり、真摯に向き合ってくれています。長刀の扱いに並ならぬセンスも見受けられましたし――――」
しばらくユウヤを褒める声が続く。巌谷榮二はそれに頷きながら、決して笑顔にはならなかった。
そうしてひと通り話し終わった後に、唯依はしまったという焦りの表情を見せた。
「す、すみません! 私1人でべらべらと、勝手に!」
「いいさ。計画が遅れていると聞いたので心配だったんだが、今の報告を聞いて安心したよ」
巌谷榮二は笑う。それは本心からの笑みだ。本心からのものではあるが―――と、次の発言に固まった。
「しかし、ユウヤ・ブリッジス少尉はその生まれから、日本人である父親を侮蔑して………日系人である自分を恥じているようです」
日本人は嫌いだ、と。直接的に伝えられた唯依は、その言葉を忘れてはいない。
「ですが、直接的に内心を吐露し………この開発計画に対して、嘘をつきたくないと頭を下げられました」
どのような思いだったのだろうか。唯依も、米軍に対しては不信感を持っているし、嫌悪感が無いとは言い切れない。
それを相手に言葉にして伝えながらも、それより優先すべきものがあると頭を下げる。
それに応じ、協力すると握手を交わす事を決めたのは自分だ。だが、内心では引け目を感じていた。
「それに、認識のすれ違いから来る衝突の事も………訊けば、彼は軍曹より勧められたそうです。一度、互いに腹を割って話しあえばいいと」
「軍曹?」
「はい。武御雷の整備員として配属された、小碓四郎軍曹です」
「整備兵―――いや、待て」
榮二は小さく、"小碓"とつぶやき、唯依に問うた。
「その者が、ユウヤ・ブリッジスに助言を?」
「はい。私も、助けられた事が………その、怪しい人物ではあります。外見の特徴と………」
「卓越した操縦技量が、と言った所か?」
「ご、ご存知なのですか」
「ああ………知っていると言えば、知っている。心配するな。味方かどうかは分からんが、敵に回るような相手でもない」
「そう、ですか」
唯依はほっとした表情を見せた。それを見た榮二は、何かを言おうとしてやめた。
「………具申の件は分かった。こちらで何とかしてみせる」
「ほ、本当ですか!」
「おいおい、俺が唯依ちゃんに嘘をついた事があったか? それが本当であれば、確かに得難い人材だ。彼を死なせないため、要求通り時間通りに手配しよう。それではまた、な」
「はっ!」
敬礼を交わし合う。
そうして通信を終えた唯依は、安堵の息を吐いた。
「私にできることは少ないが………ブリッジス少尉」
貴様を決して死なせはしない。その声には、強い意志がこめられていた。
機器の灯りだけが輝く空間の中、クリスカ・ビャーチェノワはその光をじっと見ていた。
「………クリスカ、なにを考えているの?」
「あ、ああ。なにも、イーニァが心配することじゃないから」
「でも、ききたい。おしえて、なにをかんがえているの?」
イーニァの言葉に、クリスカはためらいながらも答えた。
あの男のことだ、と。
「あの男って………ユウヤのこと?」
イーニァの言葉に、クリスカは頷いた。思いだすのは、無人島で聞いた言葉の数々だった。
そのほとんどが理解できないことで、聞く価値にも値しないと思っていた。
否、今も思っている。だがクリスカはその中で、引っかかるものがあった。
見えたものがある。あの場に居た二人は、ある意味で同じだった。
複雑で難解な黒い色と、僅かに瞬く暖かいようなそれ。
その中で最後に、光が。強く眩しい白色の輝きと共に、吐き出された言葉があった。
「軍人としての義務、"それ以上に”望むこと………?」
呟いてしまうほどに、強く。クリスカは一切の虚飾なく紡がれた言葉が、忘れられなかった。
馬鹿な、と呟く。軍人にとっては与えられた役割が全てだ。
自分にとっては、イーニァのためになることが全て。その役割と義務と共に、国民の事を守ることが至上のものだとずっと教えられてきた。
その通りにして、否定された事はない。自分は誰が見ても正しく、進むべき道を進んでいる。
そう自覚すればするほどに、何か引っかかるものがあった。
「クリスカ、大丈夫………?」
「イーニァ………心配ないよ」
クリスカは不安そうな声でこちらを気遣ってくるイーニァに、優しい声で答えた。
心配はない。何も間違っている事はなく、不安に感じることなど何もない。
「そう、心配することなど何もない…………私は正しいのだから」
はっきりとした口調で、自分に言い聞かせるように。
クリスカは心の中でずっと、その単語をつぶやき続けていた。
――――モニター越しに、イェジー・サンダークの鋭い視線が向けられていることにも気づかないまま。
そうして巌谷榮二は、唯依との通信が終わった直後に大きなため息をついた。
「まさか、こんな事になっていたとはな…………と考えているのは、俺だけか?」
声の直後に、部屋の暗い部分から二人は現れた。トレンチコートを着ている者と、そしてもう一人は20にも満たない青年。
少なくとも外見だけは、普通の18歳青年衛士である。だが纏っている雰囲気は、その外見の全てを裏切っていた。
「お前の予想した通りだ。篁中尉は電磁投射砲を要求してきたよ。ユウヤ・ブリッジスを、戦場で死なせないために」
メーカーたるボーニングの要求は反対した唯依の声さえもかき消し、最終的な決定として下された命令がある。それは、最前線で、実戦でのテスト運用だった。榮二は疲れた声で問う。
「"どちらも"死なせるつもりはない。決して死なせはしない。だからこそ、無茶とも言える要求でも呑もう。だが腑に落ちない点は確かめなければならない」
「おやおや………と、躱すのも無駄でしょうな」
「その通りだ、鎧衣。不知火・弐型の開発は帝国にとって絶対に必要なものだ。大東亜連合とはまた異なる形で、戦力の補填をしなければならない」
「これはこれは、お耳が早い」
「奴の癖は把握しているつもりだ。ならば、後はどうにでも補えるさ………それにしても、未だに信じられんな」
言及しているのは、大東亜連合の第三世代機のことだ。榮二は先日に設計思想や方針を見たが、そこにはどう考えても影行1人では完成させられないであろう複雑かつ斬新なギミックが詰まっていた。大東亜連合の技術者達では到底作れないようなものをだ。それを見た榮二は国内外の情報を洗い、その上で独自の結論に辿り着いていた。
―――あれには、米国のいずれかの企業の技術者の手が入っていると。
「聞いた所では、カナダ人だそうだな。G弾………不毛となった横浜の土地に対しては、流石に思う所があったか」
「彼の出身は、アサバスカですからな」
「その言葉を信じるのならば、成程という所だな。核とは違う力を望み、その期待が裏切られた形になったか」
アサバスカと言えばカナダ領で、過去に大規模な核攻撃が行われた場所だ。
BETAの着陸ユニットを破壊するために行われた、一斉投下。必要だったとはいえ、その場所を故郷に持つ人間の全てが割り切れるはずもない。
目の前の人物の言うことが真実であれば、その"彼"とやらは故郷の悲劇を二度と繰り返したくないが故に、戦術機なる兵器に未来を見出したのだろう。その夢を持つ開発者が、近年にその方針を変換させた米国に――――G弾を主幹とするドクトリンに移って行ったアメリカに何を感じたのかは、全てでないが推察はできる所だった。
「だが………名前が表に出ることは決してない。その男も、表立って得られる名誉もないというのに、よく大東亜連合に協力しようと思ったものだ」
「悲願は人の数だけある。私も事情の全ては知りませんが、恐らくはそういう事でしょうな」
「何を失い、何の果てに決意するのか………他人がその全てを理解できるはずもないということか。なら、俺の言いたいことも理解できるな」
榮二にとっての譲れないものの一つである篁唯依と、その周囲のこと。
このことに関してだけは有耶無耶にされるつもりはないと、交渉役としては相応しくないほどに感情を前面に見せながら、榮二は"もう1人"に問いかける。
「小碓四郎とは、また分かる者にしか分からない名前だな。生きている事は祐唯から訊かされて、知ってはいたが………」
榮二はその時の奇妙な感覚を忘れない。その時にまで、自分が白銀武の事を思い出せなかったという違和感を。
だが榮二にはそれよりも優先して、聞かなければいけない事があった。どこまで知っているとは問わず、"知っている"前提で言葉を向けた。
「ブリッジス少尉のことは、父親から訊かされているのか?」
「アメリカに居た頃、女性関係の揉め事で少し世話になったとは聞きました。それ以上の事はノーコメントですね」
「答えているも同じだ。あるいは横浜の魔女の入れ知恵か………絵図面を描いているのは誰だ」
「書き手は1人じゃありません。ですが、俺も筆を執っている1人ですね。当然、夕呼先生も………とはいえ、あの人は乗り気じゃありませんでしたが」
「篁唯依を利用するために―――というのは違うだろうな。不知火・弐型の開発計画が目的であれば、あの女は動かない」
「ご名答です。そして俺の目的も、篁中尉じゃなくて、ミラ・ブリッジスとあの人の忘れ形見に付随するものです」
その言葉に、榮二の目が剣呑なものに変わる。
そして歴戦の衛士に相応しき気迫を以って、答えを要求した。
「――――貴様の目的はなんだ、白銀武」
「XG-70、『凄乃皇』」
あのじゃじゃ馬を動かすために、必要なものとして。
「道化は厚い城塞をすり抜けて、手に入れなければならないんですよ―――――第三計画の遺産である二人の少女を」
そうして、様々な書き手の意図が混ぜられたキャンバスの上。
ユーコン基地のXFJ計画は、次なる局面に移ろうとしていた。