Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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6話 : 対話 ~passing each other , but~_  後編

雨音が聞こえる。空は暗く、川の流れる音がする。唯依は確かに聞いていた。命が消えていく音も。

 

『こんなっ、こんな所で…………まだわたし、何も返せていな―――――きゃっ!?』

 

脚部を損傷した白の瑞鶴。ごぅん、と鈍い音は鮮血と共に。唯依は通信の先から、肉が潰れる音が聞こえたような気がした。

必死に呼びかけても返事はない。あるはずがない。致死量の血液と腕が地面に転がっているのだから。

それも雨に流されていく。志摩子、と叫ぶ言葉も声にならない。

 

『仇を――――みんなを守るんだ!』

 

初陣の時のような自棄っぱちではない、意志が固められた声。能登和泉は戦意に輪郭を持たせて、次から次へと出てくるBETAを斬り伏せていた。

一つ一つ、丁寧に敵の命を的確に刈り取っていく。それでも自分の命を狙うモノが増える量は、減っていく数を圧倒していた。

 

増水した川のように流れてくるBETAに、和泉の機体は弾き飛ばされた。突撃級に跳ねられたのだ。

 

『う………いっ………や………ぁ』

 

通信だけでしか、同期の、仲間の、戦友の、友達の最後を確認できない。振り返っている余裕はどこにもなかった。

それだけに目の前の敵は強く、多いのだ。雨粒のように果てしなく、どこまでも湧いて出てくるような気さえしていた。

 

これが夢であることは間違いない。唯依は認識しながらも、己の不甲斐なさに泣いた。

 

(先日までとは、まるで違う)

 

その時は頼れる上官が居た。規格外の衛士が居た。自分たちを守る誰かが居た。

だが今は離れ、自分は同期の仲間たちの指揮を任され、そして死なせてしまった。

 

(私のせいだ………私のちからが、けいけんが足りなかったから)

 

上官でも、同い年だった彼。実戦の場で培ってきたものの量が桁違いだった事は知っている。

それでもそれなりの自負はあったのだ。あのように上手くいくはずがないが、それでも一所懸命に頑張れば何とかなるかもしれないと、その考えが浅はかだった。

 

逃げていれば良かったのだ。退避中に匍匐飛行をしていた上官は戦車級に飛びつかれ、そのまま。光線級の脅威があったとはいえ、指揮を引き継いだ時点でもっと味方の多い後方に逃げていれば彼女たちを死なせずにすんだかもしれない。

 

(自分の手では、何も守れなかった――――目の前に居る親友さえも)

 

周囲の敵は全て倒していた、助けるにしても手の届く距離だった。衝撃により機体の反応が途絶え、コックピットを開放できない白の瑞鶴が目の前にある。その上総の機体は、沈黙するだけだった。機体から降りて直接操作しようとしたが、コックピットブロック自体が歪んでいるため、開放されない可能性が高い。

 

どうしたらいいのか、どうするべきなのか、迷っている内に小型種が殺到してきた。少し離れた場所には、小規模だが戦車級の群れが。

たまらず、助けを求めた。このままでは最後の1人さえ死んでしまう。みっともなく救援を求め、そこに現れた機体があった。

 

忘れもしない、真紅の武御雷。試製とはいえ高性能である機体を任せられた衛士は瞬く間に周囲のBETAを駆逐して、上総の瑞鶴の前に立った。

無造作に長刀を一閃。他愛なしと言わんばかりに、上総のコックピットの前面だけを斬り裂いた。瑞鶴の装甲の厚さや、構造をよく知っている人間でないと出来ない業だ。

 

(何も………なにも出来なかった! 私がやるべきだったのに!)

 

“設計者である篁祐唯の娘”である自分の手で助けるべきだった。志摩子や、和泉に関しても同様だった。助けたかったのだ。死なせたくなかった。なのに結果はどうだ。分かったことは、自分が1人では何もできない無様な存在であると思い知らされただけ。

 

叩きつけるように雨が振る。自分は無様で小さくて取るに足らない弱者であると力づくで理解させるように、何度も、何度も。

 

 

「………い…………ちゅう……………中尉!」

 

 

大きな声。そこで唯依は、はっとなって顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビャーチェノワ、少尉?」

 

「………泣いているのか?」

 

「え?」

 

唯依は、そこで慌てて目元を触った。だが、涙はこぼれていない。

泣きそうな気持ちではあるが、自分は上官であり弱い表情など見せる訳にはいかないのだ。

そうして唯依は表情を戻し、クリスカに向き直った。

 

「目覚めたんだな。意識ははっきりしているか?」

 

「ああ。それで、ここは………今はどういった状況なんだ?」

 

「………覚えていないのか?」

 

唯依が尋ねると、クリスカは考え込んだ。

 

「わからない………そこから先は…………何も………」

 

「あ、いい。それ以上無理をするな」

 

唯依は顔色の悪いクリスカに声をかけつつ、説明をした。ゴムボートのレースが始まった直後に、クリスカが急に体調を崩して気絶したこと。

間の悪いことに、気絶に対して処置をしようとした所に暴風雨がやって来たこと。一時的に避難するために、近くにあった島に上陸したこと。

 

「そうだったのか………世話になってしまったな」

 

クリスカは少し気まずげな表情になる。唯依は気にしなくていいと返しつつ、洞窟の出口を見た。

 

「タカムラ中尉………の他に誰か居るのか?」

 

「ブリッジス少尉だ。今は上陸地点に固定したゴムボートを確認している」

 

ボートにはビーコンが取り付けられている。そのビーコンが正常に作動しているか、確認しに行ったのだ。

 

「そうか………中尉が残っているのは、怪我をしているからか?」

 

「っ………そうだ」

 

唯依は気づかれたか、と頷き自分の足元を見た。足首は少し赤く、わずかに腫れている。

上陸した後、クリスカに肩を貸して歩いている時に砂浜に足を取られて捻挫してしまったのだ。

岩肌で皮膚を切り裂くなどの、はっきりとした外傷が無いのが幸いだった。長時間雨に打たれたお陰で患部を冷やす処置も出来ている。

 

(………情けない)

 

この緊急事態に不注意で怪我をするなど、あってはならない事だ。

ユウヤの負担が実質的に倍になるのだから。それも、自分は上官である。

先程も、歩けない自分はユウヤに抱きかかえられなければこの洞窟にたどり着くのに相当な時間がかかった事だろう。

慣れない異性の腕の中に、戸惑う余裕さえなかった。加えて、この雨だ。

不甲斐なさと雨の音は、唯依が無力を痛感させられた京都のあの日にあまりにも似ていた。

 

だが、唯依は衝動的に叫びたくなる自分を抑えこんだ。

今も守るべき立場にあることは自覚していた。これからの帝国の貴重な戦力である不知火・弐型、それを開発する衛士としてユウヤ・ブリッジスは得難い存在であると言えた。

だというのに自分は彼ばかりに負担を強いている。唯依は、それが悔しくてならなかった。

そんな唯依に、問いかける声がかかった。

 

「ユウヤ・ブリッジス。彼について、聞きたいことがあるのだが」

 

「え、っ………少尉に興味が?」

 

クリスカは急な話に戸惑っている唯依を置いて、次々に質問をした。

優秀な衛士だという評判はクリスカも聞いている。だがそれに反して、合同演習でユウヤの駆った吹雪の動きはお粗末の一言だった。

XFJ計画が難航している事も、その原因が彼にあるのではないかと言ってきたのだ。

 

「いや、それは違う。原因の一端ではあるが、ブリッジス少尉はよくやっている」

 

「………彼には特殊な才能があるのか? 中尉の言葉と状況は矛盾している」

 

「それは………私の口からは何も言えない」

 

不幸中の幸いとして、今は手の届く位置に居るのだ。興味があるのなら、本人に直接聞けばいい。

そう告げた唯依に対し、クリスカは静かに首を横に振った。興味を持っているのは私ではなく、イーニァであると答えた。

唯依は先日の、小碓軍曹と不思議な会話をしていた浮世離れした少女の顔を思い浮かべた。

あの少女がユウヤにどのような興味を持っているのだろうか。唯依が尋ねた所で、クリスカは急に顔を上げた。

 

「ダメだ、そんな事は訊けない!」

 

急に感情を顕にした。唯依は驚いたが、また顔色を悪くするクリスカに無理はするなと心配の声をかけた。

クリスカは俯き、呟いた。あの子は繊細なのだと。唯依はその声が、まるで触れれば崩れる積み木に接しているかのようなものに聞こえていた。

 

果たして二人は、どういった関係なのか。唯依がそれを言葉にしようとする直前に、クリスカが顔を上げた。

 

入り口の方に視線を向ける。そこには、雨でずぶ濡れになったユウヤが居て、開口一番に告げた。

 

 

――――固定している筈のボートが流されていた、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………止まないな、雨」

 

「ブリッジス少尉達、大丈夫ですかね」

 

「大丈夫だろ。三人とも、そう簡単にどうにかなるような軟な衛士じゃねえよ」

 

「そうね。サバイバル訓練をパスしているのなら、今はまだ深刻な状況ではないと言えるわ」

 

普通に考えれば、近くの島に退避していると思われる。

早く助けることに越したことはないが、不必要に焦る必要もない。ステラの説明に、タリサは頷きながらも後悔の声を上げた。

 

「アタシも………無理にでもついていけば良かったかな」

 

「潮流が真逆だったンだろ? それに、装備が無かったあの状況じゃ人数が増えても状況は変えられないさ」

 

人数が増えればそれだけ動きが鈍る事もある。

もたもたしていれば、暴風雨に打たれて海に落ちていたかもしれない。

 

「明日なら天候も回復しているでしょう。一時的な雨だと思いますよ」

 

「だな。その後はGPSやビーコンを頼りに救援に向かえばいい」

 

ヴァレリオの言葉に、3人は窓の外を見た。雨雲はまだ、空の青を覆い隠していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日。ユウヤは唯依やクリスカと一緒に砂浜に居た。

空は青色が広がっている。雨は朝方に止み、目の前の光景は南の島らしい青と白と緑色に染まっている。

 

戻ってきたのはSOSのサインを送ることと、救援に来た時にこちらの位置を報せる信号筒や狼煙の準備をするためだ。

その作業は既に終えたユウヤ達は、次の行動に移ろうとしていた。

 

それは、水の確保である。人間の生命活動を維持する以上、水源の確保は急務だと言えた。島の内側にある森であれば、飲める水があるかもしれない。ボートに備え付けられていたサバイバルキットに同梱されている水は2リットルしかなく、捜索隊が自分達を発見するまでの期間を考えれば確保しておく必要があった。最悪の予想ではあるが、捜索隊が自分たちが発見するのは一週間ほど後かもしれない。唯依が冷静に告げると、クリスカの表情が暗くなった。

 

「なんだ、クリスカ。もしかして震えてんのか?」

 

ユウヤはもしかして体調が悪くなったのか、と気遣う声をかけた。

クリスカは大丈夫だと返したが、ユウヤの目には虚勢が見え隠れしているように見えた。

不安気な表情は、交歓会の時や施設で銃をつきつけられた時とは違う、ただの少女そのものだった。

 

(全く、中尉といい………調子狂うぜ)

 

ユウヤは内心でため息をついた。腕の良い衛士ならそれなりに、もっと毅然とした態度を取られないとどう接すればいいのか分からなくなる。

それが偽らざる感想だった。一般の少女と何の因縁もなく接する経験など持ってはいないと。

昨日の、足を怪我していた時の唯依もだ。慣れないのか、顔を赤くしてカチンコチンになっている様子は何をどう考えても年下の少女にしか見えなかった。

 

(と、言っている場合じゃないな。体調が万全なのは俺だけなんだから)

 

唯依は足を、クリスカは原因不明の。いずれにせよ単独行動をさせる事はできなく、水源を探索するという任務には不向きだ。

遭難でもされれば労力が増えるし、ここにどういった動物が居るのかも分からないのだ。

 

その中でクリスカが提案をした。足の怪我が完治していない唯依だけがこの砂浜で救援の捜索隊の監視を行うべきで、自分は水源の探索につくという。

ユウヤは原因不明の病人にそんな事をさせるつもりがなく、お前もじっとしていろと反論をする。

それとも、原因が分かっているのかと問い詰める。ユウヤの言葉に対してクリスカは大丈夫だと頷き、自分の身体の事は自分が一番良く知っていると言って意見を曲げなかった。

そのまま言い合い、少し空気が悪くなってきた時に割り込んだ声があった。

 

「ブリッジス少尉。ビャーチェノワ少尉のことを頼む」

 

「っ、アンタ」

 

「聞こえなかったのか? 少尉の探索を許可する、と言ったんだ」

 

話はこれで終わりだ、と言わんばかりに唯依が目を閉じた。

ユウヤは拳を握りしめ、人の気遣いを無視するような態度を見せる唯依の顔を見た。

 

「気をつけてな」

 

唯依の意味ありげな声に送られたまま、ユウヤは不機嫌な顔で森の中に入っていった。

 

 

 

 

 

そうして探索が始まって一時間、ユウヤ達は何を発見することもできなかった。正式な装備ではない、サンダルであれば森の奥に入っていくのは危険すぎる。

故に森の外縁部を探索していたのだが、求めていた水源はどこにもなかった。

 

(そろそろ、戻った方がいいな)

 

一時間進んだ、ということは戻るのに同じだけ歩かなければならないということだ。

体調が不安定なクリスカに無理をさせる訳にはいかないと、ユウヤは戻ることを提言する。

だが、そういった声もどこ吹く風に。大丈夫だとの一点張りに、ユウヤは呆れさえ覚えていた。

 

取り付く島もない態度に、皮肉さえ出てくる。だがその言葉にさえ、望んでいた反応を見せることはなかった。

 

「よくわからない事を言う。もっと簡潔に要点をまとめた方が良いだろう」

 

「………あのな」

 

ユウヤはクリスカとイーニァ、『紅の姉妹』に関する事を思い出して納得していた。

先日のステラやタリサと同じに、紅の姉妹に対する評判は悪い。

 

イーニァがどうだか、分からない。だがクリスカのこの性格と態度が、評判を落としている原因なのだ。

ユウヤは遠回しに評判に関する事を告げるが、それさえも一刀両断された。

 

「そんな事よりもだ。貴様はここで少し休憩を取りたい、と言いたいのか」

 

ユウヤは非常に納得いかないまでも、頷いた。自分はまだ大丈夫だが、クリスカの体調は不安が残っている。

顔色はどうなっているのか。ユウヤはクリスカに向き直ったが、その顔は予想以上に近くの位置にあった。

聞きたいことがある、と前置いてクリスカは尋問に近い口調で言葉を発した。

 

「貴様は―――イーニァの事をどう思っているのだ」

 

「………は?」

 

いきなり過ぎて、何がなんだか分からない。ユウヤはもしかして別の暗喩でもあるのか、と聞き返したがクリスカはそれ以外の意味はないと答えた。

イーニァは、理由は不明だがユウヤ・ブリッジスを気にかけているという。

付け足された言葉も、ユウヤには意味が分からないと返した。

対するクリスカも必死だった。イーニァが今までにそんな事を言ってきた覚えはないと、戸惑った口調で。

だが自分はイーニァのパートナーとしてよく把握しておく必要があり、つまり貴様はどうなのだと言葉の直球を投げてきた。

 

「あ~、っと…………よく分からないな。いや、言ってることは分かるんだが」

 

先ほどのクリスカの皮肉を返したが、頭を心配されるような表情を見せられたユウヤは深くため息をついた。

半ばやけくそになりながら、正直に答えた。

 

そもそもユウヤはイーニァと話した覚えが殆ど無かった。クリスカも同様だ。

そんな相手にどう思っているとか思われているとか、問われても返すべき言葉があるはずはなく。

何も思っていないし、気にかけられていると言われても戸惑いしか覚えないのがユウヤの嘘偽りのない感想だった。

 

クリスカも、同意見だと頷いた。ユウヤの事に関して、知っているのはデータベースの事だけだと。

 

「データと違うのは、合同演習で米軍トップクラスの開発衛士が残念な結果に終わったことだけだな」

 

「………喧嘩売ってる、って訳じゃなさそうだな」

 

クリスカの態度には、侮蔑も嘲笑も含まれていなかった。ただ事実を確認しているというように、淡々と事象を言葉にしているだけだ。

それはそれで腹が立つのだが、ユウヤはひとまず我慢をすることにした。

 

「喧嘩? そのようなものを売った覚えはない。ただ、分からない所があるだけだ。昨日にタカムラ中尉に質問をした所、本人に訊けばいいと言われた」

 

「はぁ!? そう言われたのか、あいつに!?」

 

ユウヤは唯依がクリスカの随伴を許可した理由を知って、腹が立った。

適当にいくらでも言えるというのに、わざわざ面倒事を回してきた上官の態度にだ。

 

「貴様は………なぜ怒っている?」

 

「え、まあ。怒っているといえば怒っているけどよ」

 

「それだ。データと照らしあわた上で最も理解できないことがある。貴様とタカムラ中尉はなぜ同じ日本人同士で衝突する。それが計画の障害になっているというのに――――」

 

「俺は、日本人じゃない!!」

 

クリスカの言葉は最後まで紡がれることが無かった。内容を認識した途端にユウヤが大声で否定したからだ。

データベースでも、忌々しい事ではあるが日系のアメリカ人となっている筈だ。

ユウヤは目を逸らしながら、二度と間違えるなと告げた。

 

(ち………やっちまった)

 

女に対して、それも病人である相手に怒鳴ってしまった。その事実を認識したユウヤは、罰の悪い表情を浮かべる。

だが、クリスカは何も無かったとばかりに純粋な意見をぶつけてきた。

 

日本人に対して思うべき所があるのか。あったとしても、軍人である衛士が些細な事情で感情的になるなど、ましてや計画に支障を来すことなど許されない。

先ほどと同じ口調に、ユウヤは顔をしかめざるを得なくなった。

 

言葉としては正しいだろう。だが人の個人的な事情を面と向かって“些細”だという単語で斬り捨てた挙句に、軍人らしいお題目が唯一の正答であると語ってくるのだ。

以前にユウヤは共産圏のエリートは頭が硬い上に官僚的で、人の心の機微を不純物であると気にかけない者が多いと聞いたことがあったが、目の前のクリスカが正にそれだった。

いかにも共産主義的な考えで、個人の尊重など不必要だという考えがにじみ出ているようだ。

 

「あのなあ………お前からしたらどうでもいい些細な事かもしれないけど、俺にとっちゃ重要なことなんだよ。それが………足を引っ張ってる要因ってのは分かってるけど」

 

それでも、重大な事なのだ。積み重ねられた記憶は思考の内壁にこびりついて離れない。

意識する以前に、胸の中の感情に作用してくるのだ。

 

「お前もだ。誰かに、無造作に触れてほしくない部分があるだろ」

 

「………そういうものなのか?」

 

「いや、そういうものって」

 

ユウヤは頭が痛くなってきた。何やらものを知らない3歳児を相手にしているような気持ちになってきたからだ。

困っていると、クリスカはまた党や国の事をユウヤに語った。

その意見は、徹底的といえるほどにユウヤの考えと噛み合わない。

 

(こいつは………個人は組織あってのものって。大前提にそれがある)

 

対するユウヤは個人が集まることで組織が出来て、その上に国があると考えていた。間違っても、その逆はあり得ないと思っている。

当然ながらに、いつかの米ソのように主義主張が混ざることはない。

クリスカはそれを侮辱と取り、怒りの感情のままユウヤに詰め寄ろうとした。

 

だが、踏み出した所でバランスを崩し、ユウヤはそれを慌てて受け止めた。

 

「やっぱりじゃねえか。病み上がりで無茶して、自分の体調管理もできないようじゃ――――」

 

「っ、私に触るなっ!」

 

クリスカは少し頬を赤くしながら、目の前にあるユウヤの胸を手で押して離れようとする。

そこでまた転びそうになったが、予想していたユウヤが腕を掴むことで転倒は避けられた。

 

「お前、馬鹿だろ! なんでそんな意味のない無茶するんだよ!」

 

「………意味の、ない?」

 

「そうだ。必要のない所で意地はって、そのまま死んじまったらどうするんだよ」

 

例えば昨日のことだ。唯依と二人だけで嵐に巻き込まれていたら、死んでいたかもしれない。

そうなった場合に、イーニァはどう思うのか。ユウヤは柄じゃないと思いつつも、説教のようなものをした。

それだけ、目の前のクリスカ・ビャーチェノワという衛士は危なっかしいのだ。反論されて殴られても構わないと思いながらの意見に、返ってきたのは予想外の反応だった。

 

「………すまなかった」

 

「え?」

 

「お前たちをこの状況に招いてしまったのは、確かに私が………私の責任だ」

 

急にしおらしい声を出したクリスカに、ユウヤは慌てた声を出した。

別に、責任を追求して罵倒するつもりはなかったのだ。

 

(というより………極端だなこいつ。アンバランスっていうか。思えば、イーニァも同じようなものがあるしな)

 

会話にならない事もあるが、ほとんどは好意的に接してくる。

一方で、タリサやステラに対してはけんもほろろな対応だった。

 

「私は………恐ろしいんだ」

 

「何が………って、もしかして」

 

ユウヤは、競技が始まる前のイーニァの言葉を思い出していた。彼女は、海が怖いと泣いていたのだ。

広く、深く、どこまでも続いていて飲み込まれそうになると。

 

「………っ、そうだ。あんなに、底知れない水の塊が存在するとは思わなかった。それが蠢いているんだ」

 

平時の海でさえ、沖合に出れば大きく畝る。ボートごと持ち上げるように、何度も何度も押し寄せてくる。

それが怖いのだと、クリスカは肩を震わせた。

戦術機に乗っていれば大丈夫らしいが、生身で向き合うのは相当に恐ろしいらしい。

ユウヤはそこで、彼女が無茶をしていると知った。ボートでの競技を辞退したイーニァに代わって参加を申し入れたものの、本心では拒絶していたのだ。

 

(それほどまでに、イーニァの事が大事なのか)

 

彼女の交友関係は知らないが、あるいは唯一の味方か身内であるのかもしれない。

震えるクリスカの肩は妙に小さく見えて、ユウヤにはその姿と幼少の頃の自分が重なって見えた。

 

「………取り敢えず、元の場所に戻るぞ。返事は聞いてねえ」

 

ユウヤはクリスカに肩を貸しながら、砂浜へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1人、砂浜で佇んでいる唯依は水平線を見つめていた。青と蒼が交差している境界線は丸く、地球の大きさを知らしめている。

 

「………分からなければ直接訊け、か」

 

唯依は自分が発した言葉を反芻していた。素直な気持ちの上に出た自然な助言であるが、自分ではない誰かの口から聞いた覚えがあったのだ。

心当たりがあるのは、京都でのこと。他国の人間と多く接するようになるだろうと、そう予想した誰かが居た。

そして、もっと大事な事を教わったような。押し寄せる波。このような絶望に立ち向かった誰かが、言っていたような気がする。

 

「………!」

 

唯依はようやくかつて聞いた言葉を思い出し、無言のままぎゅっと拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

夜。洞窟の中でユウヤは、気まずい空気に晒されていた。外ではぱらぱらとした小雨が降っている。

とはいえ、外に出るのは得策ではない。そういった意味で洞窟の中は閉鎖された環境になっていると言えた。

その中で、淀んだ空気を発している人物が居る。

焚き火に照らされた暗い岩の穴の中、篁唯依はいかにも不機嫌そうな表情を隠そうともしていなかった。

 

(そりゃあ、予定していた時間に遅れたのは確かだけどよ)

 

クリスカに肩を貸しながらの帰路は予想以上の時間がかかり、砂浜に戻った時は予定していた集合時間を1時間も越えてしまった。

二重遭難か入れ違いになる事を恐れた唯依はその場にずっと残るしかなかったのだ。

 

(それで怒ってんのはなんでだ? いや最後のあれのせいか)

 

安堵したせいか、最後の最後でクリスカはバランスを崩して転んでしまったのだ。

ユウヤは何とか支えようとしたものの、失敗して一緒に転んでしまった。

その時に、クリスカの水着の紐が外れて――――とそこまで考えたユウヤは、唯依の厳しい視線が飛んでくる気配を感じて、思考を止めた。

 

(あれは事故だって、分かったって言ったじゃねえか)

 

それでも、唯依はその時よりずっと不機嫌な顔をしていた。もしかして、その事に怒っているのではないのかもしれない。

ユウヤは唯依の顔を見ながら、いつかの自分がしていた表情を思い出していた。

 

まるで、仲間はずれにされて不貞腐れているガキのようだと。

 

「何か言ったか………少尉」

 

「い、いや。何も言ってねえよ。ふて腐れてるとか、そんな事思ってねえ」

 

「ふ、不貞腐れるだと!? 私は任務遂行を思って………っ!」

 

「中尉、落ち着け」

 

一触即発な空気の中、どこまでも冷静なクリスカの声が間に入った。ユウヤはその他人事な態度が、今はありがたいと思った。

また、気まずい空気が流れる。ユウヤは目を逸らして、唯依もじっと地面を見ている。

 

沈黙の空間に、焚き火の影だけが揺らいでいる。ユウヤも唯依もこのままではいけないという思いがあった。

だが時折視線があっては急いで逸らすという、学生のような探りあいが続く。

そこで、話題を見つけた唯依が意を決して口を開いた。

 

「ふ、二人に聞きたい事がある」

 

「な、なんだ?」

 

「交歓会の事だ。貴様らは小碓軍曹のことを、変質者などと呼んでいたが何かあったのか?」

 

帝国軍人として、身内の恥は処断しなければならない。計画の妨げになるようならば、と妙に気合の入った言葉にユウヤは小碓四郎という男の危険を感じた。このままでは可哀想すぎる。そう思ったユウヤは、慌てて否定した。

 

「あれは、不幸な事故だったんだよ」

 

「いや、違うぞ。あれは悪意ある変質者だ。あの怪しい男は、こともあろうにイーニァに襲いかかろうとしていた」

 

「へ、変質者だと!? それもシェスチナ少尉のような少女をかどわかそうなどと………!」

 

「違うって、あれはポリ容器の――――!」

 

「ポリ容器をカモフラージュとして、あいつはイーニァを――――」

 

「何か、口に出来ないような真似をした―――――」

 

「いや違うって! お前らいいから一旦落ち着いて――――」

 

 

洞窟は数分前と違う、喧々とした空気に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、グアドループ基地で食事中の整備兵がくしゃみをした。

 

「ばっくしょん! あ~、誰か噂でもしてんのか…………っ!?」

 

そこで武は残酷な事実を知った。意図的に無視していたと表した方が正しい。

スープを飲んでいる最中にくしゃみをしてしまったのだが、その肝心な口の中に含まれていたものはどうなったのか。

答えは、怒りに肩を震わせながらスプーンをテーブルに叩きつけるタリサの姿であった。

背後では、イーニァが目を丸くして驚いていた。

 

「ちょ、おま、タリサ!」

 

「止めんな、VG!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ん? どこかで声が聞こえたような」

 

具体的に言えば、ガガーリンという言葉が。

唯依はそれを幻聴だと断じて、二人の説明に耳を傾けた。

 

「つまりは………ビャーチェノワ少尉の誤解だったんだな?」

 

「ああ。原因は俺にあるし、あれは本当に不幸な事故だったんだ」

 

「そ、そうか。しかし………間の悪いことだな」

 

すっぽり頭にはまった事もそうだが、イーニァが転ばないよう腕を掴んだ直後にはまったのも。

その光景をクリスカが発見したのも、まるで何かの意志が働いたかのようなタイミングだった。

一方で唯依は、説明されたその時の光景を想像した。

 

(ポリ容器………あれを被って少女の腕を掴む男か)

 

誤解かもしれないが、傍目には変質者と呼ばれて差し支えない格好だ。そしてその格好のまま、蹴りを受けた痛みで地面を転がっていたらしい。

あの飄々とした男が、そのような目にあっている。想像した途端、唯依はどうしてか少しおかしくなって吹き出しそうになった。

 

「おい、笑ってやるなよ。可哀想だろ。あの蹴り、かなり見事に入ってたんだぞ」

 

「あ、ああ。すまない、そういったつもりは無いんだが」

 

それでも、まるで喜劇を見ているかのようなのだ。ともあれ、誤解だとわかった唯依は安堵の息を吐いた。

ユウヤもはあと溜息をつく。

その中で唯一、クリスカだけは納得していない表情のままだった。

 

「それでも、あいつは………怪しすぎる」

 

「ああ。まあ、そうだな」

 

「………否定できない」

 

見た目も行動も胡散臭すぎる。経歴を正したら間違いなく相応の秘密が出てくることだろう。

ユウヤと唯依は、そのあたりの事は有耶無耶にするつもりはなかった。

だが明確な敵意や策略をもって自分たちに近づいているとも思えなかった。

 

第一に、いちいち間抜けすぎる。第二に、本当に隠すつもりであればもっとやり様はあった。第三に、自分達に対して悪意を持って接しているようには見えない。

第三の理由は、ユウヤと唯依のそれまでの経験から来る主観である。客観的な証明には到底及ばなく、もしかしたらそうした隠蔽が上手い者であるかもしれない。

事実として警戒は怠っていなく、何かをやらかせばすぐさま対処するつもりではある。それでも、積極的に排除しようとは思えないのだ。

 

(それに………真っ当な意見だった。道化を演じてまで、俺に伝えようとしたんだ)

 

ユウヤは内心で呟いた。ポリ容器の件の続きは、説明していない。

道化を演じて、不知火・弐型に関するアドバイスをしたのを知っているのはあの場所に居たタリサ達だけだ。

小碓四郎は言った。全ては自分のためで、計画の成功は日本の未来のためになるのだと。

 

ユウヤはそれを思い出し、そして自分の目的を見据えた。

それは不知火・弐型のことだ。いつまでも足踏みをしたままでいるのは御免であるし、米国軍人の代表として不知火・弐型を中途半端な存在にする訳にはいかなかった。

完璧な機体に仕上げればいいのだ。それで自分の価値は高まるし、米国としても日本との友好な関係を続けることができるかもしれない。

ボーニングはアメリカの企業だ。政府にさえ意見できるほどの、世界でも有数な企業である。

現状の対BETA最前線である日本に対して売る恩は、あればあるほど良いのだ。

 

(ヴィンセントやあの怪しい整備兵に笑われるのも癪だしな)

 

時間だけが過ぎていく。誰も言葉を発しないまま、一時間が経った後だ。ユウヤは迷っていた内心を吹っ切るように顔を上げた。

ここで何もしなかったら間違いなく、素直になれないお年ごろなんですかとからかってくる奴らが居る。

それは我慢ならないと、ユウヤは唯依に向き直った。

 

「中尉に訊きたいことがある。不知火・弐型に関することだ」

 

「弐型の? 機密に関することは、この場では話せないが………」

 

唯依はクリスカを見ながら言う。だが、ユウヤはそのような内容ではないと説明した。話をしたいのは、弐型で長刀を使って真剣勝負を挑んだ時の感覚についてだ。機体のことや、日本の戦術機に関する情報を中尉の口から訊きたいと申し出た。

唯依は、戸惑った表情をした。

 

「どういった風の吹き回しだ? 貴様は………日本人を嫌悪しているのだろう」

 

それまでと違いすぎる態度に、唯依は素直に喜べないでいた。

信じたい気持ちはあるが、それ以上に吹雪の事などで言い合った時のユウヤの言葉が残っているのだ。

帝国の衛士を否定するかのような物言い。なのにどうして、今になって心境が変化したのか。

問われたユウヤは、ぐっと呻いた。確かに、それだけの言葉を浴びせた自覚があるからだ。

 

それでも、ユウヤはここで退くことはできないと考えていた。そして、ふと気づいた事があった。

 

(悪意は………ない。ただ、疑問を抱いているだけだ)

 

頭から否定はしていない。何を考えているのか、それを知りたがっているのだ。もしかしたら、認識のすれ違いがあるかもしれないと。

ユウヤは唯依のそうした態度に、慎重だなといった思いを感じた。

それだけに、この計画を重要視しているのだろう。先の演習の件も、下手をすれば国際問題になっていたかもしれないのだ。

だからこそ、自分の言葉で語れと言っている。あるいは、ただ訊きたいのかもしれない。

 

「言葉は、人と交わすためにある。世話になった先任の衛士から教わった言葉だ」

 

唯依は記憶を絞り出して、答えた。その衛士は言っていたのだ。

先入観を以って接するのではなく、例え面倒ごとであっても見極める誠実さを持って欲しい。

そのためには言葉を交換することが大事であると。

 

「これ以上、私は………計画を遅らせたくない。間違っても、失敗させる訳にはいかない。誤解によるすれ違いはしたくないんだ」

 

逼迫感のある声。ユウヤはその決意に篭められた意志に、何かの理由があることを察していた。

そのまま、何か目的があるのかと尋ねる。唯依はその言葉に、迷いながらも頷いた。

 

「もっと雨脚が強かったんだ――――私が京都で戦友を失ったあの日は」

 

そうして、唯依は自分の過去をわずかながらに語った。

京都での、故郷を守るための防衛戦。訓練未了にも関わらず、前線に立たされたこと。その中で自分が無力な存在であると、戦友達の死をもって痛感させられたこと。

破壊された街に、跡形も無くなった生まれ育った家。

 

「二度と繰り返すつもりはない。衛士としての精進を欠かすつもりもない。だがその上でも、優秀な戦術機は絶対に必要になるのだ」

 

「それは………守るためにか」

 

「それ以上に、私は取り戻したいのだ。斯衛の尊厳と、国民の生活を………いつかの日常を元の場所に戻したい」

 

そのために、日本の要求仕様に沿った戦術機が必要なのだ。日本という地で問題なく、帝国の衛士に認められる戦術機が。

だからこそ、唯依は意見を曲げることは出来なかった。その上で米国の良い部分を吸収し、幾万のBETAをも圧倒する新鋭の戦術機を完成させなければならない。

 

唯依は、だからこそ自分が必要とされるこの地にやって来たと説明をした。

生き残った戦友達に託され、戦う術を整えるために。

 

「命を賭けてなお、足りないものがある。開発者として、それを座して認める訳にはいかないんだ」

 

「………死んでも足りない敵のために、か」

 

唯依の言葉を聞いたユウヤは、そのまま黙り込んだ。何をも反論することはない。

じっと、揺らいでいる焚き火の輪郭を追う。だがその視界の奥に映っているのは、赤い炎ではなかった。

 

胸の奥に灯った、言葉では表せない無形の炎。取り繕うこともできないほどに、何かが打ちのめされた感触。

ユウヤはその感情のままに、言葉を紡いだ。

 

「何事もお家、お国が第一。衛士としての責務に任務が第一、か…………まるで親父だ」

 

「なに?」

 

ユウヤは顔を上げて、クリスカと唯依を視界に収めながら告げた。

 

「………知っていると思うが、俺の親父は――――日本人だ。顔も知らないけどな」

 

そうして、ユウヤは祖父が語っていたその日本人の父親の事を語った。お家が大事で、だから母を捨てて日本に帰ったらしいと。

 

「らしい………? なぜ推定なのだ」

 

「とてもじゃないが訊けなかったからだ」

 

ただでさえ日本人が大嫌いで、大切に育てた愛娘を傷つけられた。そう思い込んでいた祖父に父親の事を尋ねるなど、遠回しに殴って下さいと言っているのも同じだった。

それを聞いたクリスカが、ユウヤの顔を見た。

 

「だから貴様は先ほど、自分が日本人ではないと否定したのか。自分と母親を棄てた父親と同じではないと」

 

「ああ。軽蔑しているし………今でも憎んでいる」

 

全ての元凶だ。物心がついてから今までの自分の世界を決定した、忌まわしき存在。

それが自分にとっての日本人である。ユウヤはそう告げると、唯依の方を見た。

 

「全ての日本人が、そうであると信じていた。いや、今も疑っている。だから俺は日本人が大嫌いだ」

 

「………そうか」

 

唯依の顔が、暗い色に染まる。そこに含められているのは、諦観である。

もう、これ以上は。だがその言葉が出る前に、ユウヤは言葉を挟んだ。

 

「でも! アンタは………篁中尉。俺は、少なくともアンタ達は違うと思った」

 

「なに?」

 

ユウヤはずっと考えていた。日本人とはどういった人種なのかと。

基地にきて一ヶ月以上、考察する時間だけは十分にあった。唯依とも、意見の交換という名前の言葉の殴り合いをしていた。

思い返したあの日々の中で、ユウヤはあるものを感じていた。

 

「あんたは真剣だった。開発に、真摯に向き合っていた。ヴィンセントから聞いたよ。文字通りに………命を賭けてでもこの作戦を成功させたいって意志が感じられた。そして、嘘だけは決してつかなかった」

 

弐型の性能を知った時に、感じたことだ。それまでの自分の行動を省みる余裕。そしてタリサの乗るF-15ACTVをねじ伏せたという小碓軍曹の不知火。その2つを元に、ユウヤはもう一度考えたのだ。

 

「俺は、テストパイロットだ。この役割につくこと、任されている事を誇りに思っている。だから………開発衛士として」

 

自分の内心を言葉にするのは恥ずかしい。経験したことが無いから、よほど。ユウヤは、目の前の年下の少女の言葉を反芻した。

ヴィンセントの言葉を信じるのなら、自分と同じように不器用なのだ。過去を語るのは、古傷を抉るのに似た行為である。

 

それも戦友を。仲間を守れなかったという声は後悔の色に染まっていた。かといって、同情を求めているようにも聞こえない。

ただ篁唯依という衛士が求めるべき道というものを、自分の言葉で語ったのだ。

 

嘘であるとは、到底思えない。ユウヤは確かにこの計画にかける彼女の言葉を聞いたと思った。

それを聞いて湧き上がったのは、熱い感情と後悔だった。前半はこの計画に対する情熱であり、後半は先に言わせてしまったという事実に対して。この場合は、レディーファーストなどと言えない。だからこそ、ここで自分が退くわけにはいかない。

 

ここは、決意を交換する場所である。ユウヤは理屈とは程遠い場所で、この状況が意味する所を理解していた。

今は先んじられたも同じである。ならば対する自分としては、どうするべきなのか。

 

否、どうしたいのか。格好をつけてひねた意見を出して躱すのは簡単だが、それでいいのか。

 

(………駄目に、決まってるだろ)

 

それは屑のやる事だ。それに、ユウヤは唯依の言葉から感じられることがあった。

生々しい話が後押ししているのかもしれない。だが、確かに彼女の言葉からは疑いようのない強い意志が感じられたのだ。

失った戦友のためにという言葉を疑うのは、やってはいけない行為であると思えた。

 

ならば、自分はどう応えるのか。ユウヤは自分の意志を表明するために、ゆっくりと口を開いた。

 

「国のために、認められるために良い成果を残したいって気持ちはある。元々、そのために軍に入った」

 

母親のために。立派な市民としてアメリカに認められるために。

 

「でも今はそれ以上に―――挑みたい気持ちが強い。何より俺は、この開発計画に対して嘘をつきたくないと思ってる」

 

初めて、手の届く距離に来た日本人。その中で接した日本人は、祖父から聞かされたものと違う輝きを放っていた。

虚飾の惑わしで、本当は違うのかもしれない。だが、それが偽りであると断定できる材料は無いのだ。

 

それに、不知火・弐型は二国の思惑が組み込まれた、複雑な背景を持つ機体である。ユウヤはそれに、自分と似た境遇であるとのシンパシーを抱いていた。このまま計画が完成することなく中止させられれば、陽の目さえ見られないまま闇に葬られる。

あるいは、別の開発衛士に計画が任せられかもしれない。珍しくもない話だった。

開発の進捗は担当の衛士によって大きく変わるもので、成果が芳しくなければいくらでもすげ替えられるものだ。

事実として、最近になって西欧のガルム試験小隊の人員がまるごと入れ替えられたとの噂もある。

 

次に自分がそうならないとも限らない。むしろ、その可能性は高いのだ。だがユウヤは、それが我慢ならなかった。

 

「中途半端で終わらせたくない。すれ違ったまま終わるなんて認められない。あいつを良い機体に仕上げないと、気が済まない。俺の手でこの機体をもっと高みに持って行きたいんだ。そのために必要なものは分かってる」

 

真剣な言葉には、本気で応える。嘘偽りのない言葉に対しては、自分も誤魔化し無しの本気で向かわなければならない。

差別意識は、中尉の味方の命の決意に匹敵するものか。その解答は出せなかったが、決して無視できるものではない。

 

ならば決意の言葉には、同じものを。そう考えたユウヤは、頭を下げた。

 

 

「篁中尉、弐型を完成させるために――――頼む。俺に、日本の剣術を教えてくれ」

 

 

ユウヤが発した言葉は、数秒の沈黙を生む。直後に唯依が答えた言葉だが、それは戦術機の飛行音によってかき消された。

 

自分たちを見つけた、救援が来たのだ。だがそれを確認する前に、二人の手は両者の中間で重ねられた。

 

 

ただ一人、クリスカはじっとしたまま。無言で何かを交わす二人の様子を前に、何も言葉を発することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………誰の仕業か知らんが」

 

イェジー・サンダークは部屋の中で、ある紙を見ていた。そこには英語で、こう書かれていた。“第六世代と第五世代を狙っている者が近海に居る”と。イーニァ・シェスチナのポケットにいつの間にか仕込まれていたものだ。指紋もついていない、諜報員の仕業であると言えた。

 

その情報を元に確認した所、確かに付近に不穏な反応があり、サンダークはイーニァを急ぎ出撃させた。

そして、行方不明だった3人が居た島に辿り着いたものの、その途中に見えたものがあるという。

それは情報どおりに、何者かが3人の居た無人島へ上陸しようとしていた痕跡だった。

 

(シェスチナ少尉が探知できなかった。それを考えれば候補は絞られるが………)

 

それこそがフェイクかもしれない。それにこの手紙は計画を陥れるものではない、見ようによっては善意ある忠告と取ることもできる。

別の問題として、あの状況を影で仕組んだ者たちの存在も考えなければならない。

 

「広報官もグル、か………やはり一筋縄ではいかんな」

 

 

今回の相手の目論見は潰せたものの、やはり米国は油断ならない。一層の警戒を強める必要があるだろう。

 

サンダークは表情を変えないまま、相手を手紙に見立てて力いっぱいそれを握りつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして決意が固められたXFJ計画の衛士達が無事ユーコンに戻った2週間後、ソ連のイェジー・サンダーク中尉よりある提案が出された。

 

内容は――――ソビエトの最前線で不知火・弐型の運用試験を行わないか、というものだった。

 

 




3.5章の1パート目終了、って所ですね。
トータル・イクリプス編の本番はここからです。


あとは、4月バカ短編連絡。4月1日(あるいは2日)にあちらでのブログと、こちらで更新予定。
こっちはやや遅れる可能性がありますが。

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