Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「どうしたのイーニァ…………まさか、あの男に変なことでもされたの?」
静かな怒りと共に問いかける。その声に返ってきたのは、身体と同じように恐怖に震える声だった。
「みえなかったの。みつめてもわからない、でも…………」
イーニァは自分の掌を胸に当てた。不安に高まる鼓動を抑えるように。
「でもみてしまったら、きっと………」
「え………」
イーニァはぽつりと、施設で見た絵本に出てくるものの名前を呟いた。
「………かいぶつ」
2001年、6月10日。ユウヤはシミュレーター訓練が始まる前、昨夜にヴィンセントと話した内容を思い出していた。
一ヶ月が経過したというのに、未だ機体を扱いきれていないテストパイロットが居るという――――自分のことだ。
お払い箱だな、と自嘲している自分にヴィンセントは苦笑混じりに答えた。
今日の整備は通常どおりである。機体を一日以上使わない場合はオーバーホールをするぐらいの整備が行われるが、それではないと。
ユウヤは安堵しつつも、暗い思考に陥った。所詮は一時の安心。停滞している開発計画を見れば、この先の結末なんて分かりきったことである。弱気になるユウヤに、ヴィンセントは言う。開発衛士としての能力であれば、お前は紛れも無く米軍でもトップクラスであると。自身の命の危険を免罪符にせず、少しでも機体が良くなる可能性があればいかなる苦難にも挑むであろう、貪欲とも表すことができる向上心。
中途半端な仕上がりでは満足しないと、態度と行動で語ることも評価されているらしい。
普通ではなく、優秀である。だからこそ、多少であれば逸脱した行為も見逃されてきたのだという。
(買いかぶりすぎ――――じゃないな。確かに、俺には戦術機しかなかった)
半ば以上に自嘲がある結論だった。実際に、唯一の親友として挙げられるのが戦術機のみであったからだ。
かつては、自分以外の他人に何かを求めた時期があった。だが、それも徒労に終わっていた。
何をしても認められない。評価されるのも、日系人であることが足枷になっているのだろう、素直なものではあり得ない。
謂れのない中傷は日常茶飯事で、苦い思いは飽きる程に食わされてきた。
だが、戦術機は違った。開発衛士になって実感できたことだった。この二足歩行の巨人の兵器は、自分が努力すれば必ず応えてくれるのだ。必死で乗れば欠点が浮き上がってくる。人間と同じで、完全無欠な機体など存在しない。真剣に取り組めば取り組むほど、それが浮き彫りになってくるのだ。それを指摘すれば、同じく機体を良いものにしたいという人物たち――――開発に携わる人間達が応え、すぐに直ったものが出てくる。整備兵や開発班などの思惑と利益が一致したからであろう。だが、その反応は素直の一言に尽きた。
開発にはその細やかな改良を山のように積み上げることが大事である。
そして戦術機は人間と違って、気まぐれや裏切りによりその山が崩されることはなかった。
諦めずに頑張れば、必ず評価してくれるのだ。自分の努力に、しっかりとした形で応えてくれる。
(だが、この機体はそうじゃない。陸軍の戦技研なら、欠点を指摘すれば必ず相応の改善があった)
仕様だ、と言わんばかりの問答無用。篁唯依は自分の要求には応じなかった。
ユウヤは開発が頓挫している原因がその一点であると信じていた。
だが、どうにも日本人形のような容貌を持つ女性衛士の眼がちらついて仕方がなかった。
真剣に語るあの眼には、どこかで見たような決意の光があった。
それも、理屈の通じないイノシシ野郎の眼ではなく、もっと別の。
それを実感したユウヤは、ヴィンセントに尋ねた。
もし唯依の言葉が正しいものだとして、自分の方が悪いものと想定して、ならば自分に足りないものは何なのかと。
切っ掛けは、昨日の珍妙な整備員の言葉が脳裏に過ったからだった。
真摯に取り組んでいると、ポリ容器星人とやらは告げた。ユウヤもそれを疑ったことはない。
だが、何か大事な事を聞いた覚えはあった。そう思って不知火・弐型や日本の戦術機の特性などを聞き返した。
そこでユウヤは、助言が正しかった事を知った。
ヴィンセントから改めて聞かされた情報は、聞いているようで、聞いていなかった事実が隠されていたのだ。
戦術機の機動概念、設計思想における米軍式と日本式の異なる部分。
頭部モジュールのセンサーマスト、それが持つ機能的な意味。
何より、空力制御の最終的な結論が異なっているというのは、ユウヤにとっては衝撃的事実だった。
なぜ今までに教えてくれなかったのか、と言うユウヤ。それに対して、ヴィンセントは少し怒った表情で答えた。
最初から教えていたと。だが自分の方が聞いていなかったのだと。
ユウヤも、確かに断片的にではあるがそのような事を聞いた覚えがあった。
だが、その時は欠点だの改悪だのと自分勝手に判断していて、真面目に聞かないどころかその事実を客観的な視点から分析しようとしなかった。
数週間が無駄になった訳だ。ヴィンセントもそれに頷いていたが、その甲斐はあったと苦笑を重ねていた。
隠していたのは、他ならぬ自分の視野の狭さだったのだ。
そんな自分とは違い、ヴィンセントは整備兵としての本分を全うしていた。
まだまだ未完成の機体を無理に米国式に合わせて誤魔化そうとせずに、開発の本道から逸れないように工夫していたという。
(あとは………篁との和解か)
日米の両方の設計思想が反発しあわないように調整し、互いの長所を活かせるように指摘するのが主席開発衛士たるユウヤ・ブリッジスの仕事である。
そう聞かされたユウヤは、尤もだと思い始めていた。だがそれには篁唯依という人間との関係の改善が必要である。
ヴィンセントの主張は、全くもって正論であった。それまでの説明も、もっと早くに聞き入れていれば良かったと思う程に。
(だが………簡単に言ってくれるぜ。その本人は、何処かに行っているしよ)
ヴィンセントは今日の試験を見ずに姿を消しているらしい。ユウヤはCPに確認したが、まだ所在は不明のままだという。
ユウヤは昨日の反省を今日の訓練に活かすつもりだった。その姿勢が間違っているかどうかはともかくとして、苦労と面倒をかけた相棒には伝えるべきだと感じていた。
時間が経過し、シミュレーター訓練が始まろうという時にも発見の報は得られない。
――――その時だった。
『え、無断侵入? 訓練区域内に………』
『な、なになに? って。あ――――』
CPから聞こえる声が、急に慌ただしくなる。その直後だった。
統合仮想情報演習システムが勝手に終了され、目の前の風景が一変したのだ。
岩山はそのまま。空だけが、白い雲が映える爽快な青から、不安を感じさせる赤へと変わる。
驚愕しながらも、状況を確認する。
「CPとの通信は………駄目か。広域データリンクも途絶。機体に異常は見られないが………」
他のアルゴス小隊員も同様らしい。これがCP壊滅というシチュエーションの演習であれば分かるのだが、そのような状況が設定される事は小隊の誰も聞かされていなかった。
ユウヤは確認した後に、もしかしたらヴィンセントが姿を見せない事に関連しているのか、と不安になる。
その問いに答えるように、警報がなった。
「この警報は………戦術機が………2機?」
アンノウンがこちらを目指している。理解したユウヤは迅速に自分たちの装備を確認した。
あるのは演習用のものばかりで、短刀や中刀さえ刃を潰している模擬刀だ。
『これは………不知火が1機に………もう片方は不明ね』
『くっ、接近中のアンノウンに告ぐ!』
無言の中。前方に見える三機の反応を前に、唯依は操縦桿を強く握りしめた。
通信からは、ここがアルゴス小隊が優先的に占有している演習区画だの、貴機の行為は軍規違反だのといった忠告が聞こえてくる。
それをBGMとして、僚機である武が告げた。
『ご要望の通り、マナンダル少尉はこちらで抑えます』
『分かっている。だが………今更なのだが、貴様に少尉を抑えることができるのか? こちらから言い出した事だ。しかし彼女は相当な技量を持っている、すぐに貴様が撃破されでもすれば―――』
『何とかやってみせます。それよりも、本命を頼みましたよ』
『………言われずとも。手加減は最低限にして、後は本気で仕掛けるつもりだ』
中途半端は無し、あるいは殺す事も視野に入れる程の覚悟で挑む。それが武の提案した事であり、唯依もそのつもりであった。
しかし、本当に殺してしまえば何もかもが台無しになってしまう。最悪、日米の戦争に発展する可能性もあるのだ。不安を覚える唯依に、武は安心させるように笑顔を見せながら言った。
『大丈夫ですよ。これは実戦に近い。ブリッジス少尉にとっては初陣。命が試される場所。でも、彼はその場所での武器を………有用な経験はいくつも積んできているでしょうから』
幼少の頃より、本人の望まない形での過酷な環境で育ってきたこと。目的を前にすれば、熱意を燃やすことのできる一途な想い。
武は同じような過去を持っている人間を知っていた。その彼女が初陣で見せつけてくれた底力も。
唯依は武の言葉にしない部分をうっすらと感じ取る。そして、顔を上げた。
「斬らぬならば、抜くな………もう、迷う時ではないのだな」
どうしてか、小碓軍曹の言葉には説得力を感じられる。
それに、自分は何のためにここに居るのか。自分はどういった立場にいる者なのか。成すべきことは。
胸に刻みつけるように唯依は想起し、全身に刻みつける。
直後に、通信から驚愕の声が聞こえてきた。
『
日本が誇る知恵と技術に、大東亜に居る戦術機技術者のアイデアが合わさった帝国最新鋭の第三世代機。
『
――――然り。唯依は呼応するように頷き、白刃たる己を意識した。
侵入してきた2機が止まる。ユウヤはその目が自分の方に向けられていることを感じ取り、歯を食いしばった。
このユーコンにある武御雷は一つしかない。乗っているのは言わずもがな、篁唯依という衛士である。
その彼女は、背中にマウントしていた長刀を抜いた。小枝を振るようにして、斜め下に切っ先を向けて半身になり、一歩だけ踏み込んだ。
『きったねーなぁ。こっちには短刀しかないってのに』
ユウヤはタリサの言葉を聞いてぎょっとした。武器が無いことにではない。
その声が、内容と全く異なり、これ以上無いほどの戦意に満ちあふれていたからだ。
ステラとヴァレリオは困惑していた。成程、彼女であればこの事態をセッティングすることは可能かもしれない。
だが、こんな事をする意味など何処にもないのだ。むしろ開発に携わっている者として、一番に困るのは計画を提案してきた日本であり、彼女である。
ユウヤも同様だった。自分も長刀しか持っておらず、まともに戦うことなどできない状況だ。
だが、腑に落ちない点が多すぎる。ユウヤ、ステラ、ヴァレリオの3人は疑問符を納得のいくものに変えようとした。
それを前に、タリサは短刀を抜いた。
『手っ取り早い方法で行こうぜ』
『待て、タリサ!』
『そうしたいのはやまやまなんだけどね。あちらさんは、やる気だってよ』
見れば、不知火の方も中刀を構えていた。肩に担ぐようにして、静止する。
左手には何も持っていない。構えのようであり、ただ待機しているようにも見える。
堂に入った動きだった。それを見たユウヤは、知らない内に息を飲む。
『………なあ、ステラ』
『VG、貴方も? 私だけじゃないようで安心したわ』
『ああ………なんだよアイツ』
敵対的な行動と言えば、武器を出しただけ。なのに3人は、その機体を見て何かを思い出しそうになっていた。
忘れるほど遠い昔ではない、具体的に言えば数年ぐらい前感じた事がある感覚。
それが目の前の敵と思わしき機体の一つ――――不知火から、感じ取れるのだ。
うっすらと額に走ったのは、汗か不安か。タリサは認めないとばかりに、叫んだ。
『っ、ざけんな!』
震える声を振り払うように、タリサは短刀を構えた。
『模擬戦用の短刀だって、やりようはあるんだよ!』
『待て、タリサ! まだ敵だと決まった訳じゃ――――』
ユウヤが制止の声を出すが、タリサは止まらない。実戦用の長刀であれば殺傷能力は十分である。
武御雷の性能の高さは、タリサが一番良く知っていた。万が一に相手が本気であるとして、先手を取られて状況をコントロールされれば、全滅は不可避となる。
その前に確かめる。
(砕けるつもりは毛頭ないけど――――)
突撃前衛たるポジションの役目を全うしてやる。タリサはそう決断して、武御雷に躍りかかった。
左右に機体を振り、フェイントを織り交ぜて狙いを定めさせないようにしながら間合いをつめていく。
『ここだ――――っ!?』
タリサは相手から見て、右側。攻撃しにくい方に回りこむフリをして、左に機体を滑らせた。
空力制御も見事な、鋭い機動。速度が乗った一撃が繰り出される。
未だ動かない武御雷に、タリサは相手の読みを外せたことを実感した。奇襲の成功を確信する。
最悪でも、先手以上のものは獲得できるはずだ。ならば一撃であればもらってもいい、というぐらいの覚悟がこめられた攻撃が繰り出された、が。
『な―――っ!』
少し後方に控えていた不知火は、既に動いていた。
軽く前に跳躍して数歩を進めると同時にタリサの前に立ちはだかると、中刀を一閃する。
『ぐっ?!』
よどみのない、清流のような袈裟斬り。タリサはそれを短刀で受け止めるが、その衝撃により自分の機体の進路が横に弾かれてしまったことを感じた。
これでは武御雷に届かない。瞬時にそれを悟り、止まらずに前へ駆け抜けることを選択した。
突進を活かした一撃は高い威力を誇るが、止められた時は大きすぎる隙が生まれてしまう。
であるならば、止まらずに走り去った方が良いのだ。操縦桿を斜め前に、少し上空へと機体を向けた。
(くそっ、先を取られ――――!?)
舌打ちをする間もなく、タリサは機体から発せられる情報に驚いた。
先ほど自分に攻撃を仕掛けてきた不知火が、既に自分の後を追うような位置を取っていたのだ。
『くそっ、なにもんだテメエ!?』
いくらなんでも速すぎる。舌打ちをすると同時、タリサは中刀を片手に追撃を仕掛けてきた不知火に向き直った。
『っ、んだよ今のは』
ヴァレリオは思わず呟いた。速すぎる、というのが今の攻防の感想であった。
タリサのフェイントを混ぜた奇襲はさり気なく高い技術が使われている、見事なものだった筈だ。
対する不知火は、たった一撃でタリサの仕掛けを徒労に終わらせてしまった。
仕掛けた不知火は中刀から返ってくる反作用の力に逆らわずに機体を引き、後ろ足を出して踏ん張ったかと思うと全速で噴射跳躍。
炭素で出来た靭帯のような構造をバネに加速を助長し、一気にトップスピードに乗ったかと思うと一直線にタリサの機体に追撃を仕掛けたのだ。
簡単なようで簡単ではない動作。だが、問題はその速度にあった。
いずれも速すぎたのだ。攻撃を読み取る速度、実行に移すまでの時間、動作を繋げる間のタイムロス、どれを取っても文句のつけようがない程のものだった。
『………っかよ』
『ユウヤ?』
冷や汗を流していたステラは、ユウヤの声を聞いた。
怒りに染まっている、その声を。
『ここまでやるほど………本気で、オレを潰すつもりなのかよっ!!』
ユウヤも今の攻防は見えていた。そして、相手の本気を知った。
武御雷は、篁唯依は一機では不利だと悟ったのだろう。だからこそタリサを封じ込めるために、相応の衛士を出してきたのだ。
それもわざわざ、不知火を乗りこなしている衛士で自分の動揺を誘うように。
目の前の山吹色の機体は何も答えない。ただ、そうであると言わんばかりにその構えを変えた。
切っ先を斜め下から上に。振り下ろし両断するぞという意志に満ち溢れているものに。
身に纏う雰囲気も、模擬戦で感じたことのあるものとは雲泥の差である。
それは重く、呼吸が乱れるほどに内蔵の中まで浸透するような。
その中でも自分の武装を冷静に把握していたユウヤは、唯一の実戦武装である長刀を抜いた。
『こいよ中尉、かかってきやがれ――――!』
(………上手くいったか)
武は1人、顔を綻ばせていた。眼下ではユウヤの駆る不知火・弐型が唯依の乗る武御雷に斬りかかった所である。
ぎこちない動作での一撃、唯依はそれを難なく弾き飛ばし、距離を取ったかと思うと馬鹿正直に真正面から斬りかかっている。
この程度の一撃を防げないようであれば、この場で死んでしまえ。
唯依からそのような意図が含められた攻撃が繰り返され、ユウヤは死に物狂いで受け止めながらも、また自分から攻撃を仕掛け始める。
(まるでかかり稽古だな)
武は京都に居た頃を思い出していた。斯衛のある者に、剣術の稽古を見せたもらった時にも同じようなものを見ていた。
技量が上のものが受け役に回り、下のものが掛かっていく。
中途半端な一撃や遅いものであれば横に弾かれ、掛かっていった後でも隙があれば竹刀を打ち込まれるというものだ。
本来であれば体力をつけるような、厳しい稽古である。だが、これは戦術機の立合いであった。
試されるのは体力や肺活量ではなく、気力と戦意と技術。実戦さながらの緊張感の中で、ユウヤ・ブリッジスという人間は底力を試されているのだ。唯依は問いかけている。この重圧の中で貴様はどこまでやれるのか、何を見せるのか。
実戦用の長刀を持っているというのも、重圧を高める要因となっていた。そして彼女の剣の腕は、国内の中でも相当に知られている程に高いもの。
容赦の無い問いかけは続いている。死ぬかもしれない緊張感の連続に、普通の人間であれば諦めるか逃げるか。
技量の高いユウヤならば余計に、数度の攻防で嫌というほどに理解させられた筈だ。相手の技量の高さと、圧倒的不利に置かれている自分の状況を。
だがユウヤは諦めず、命を賭けて応え続けている。
自分の持っている技術を総動員し、長刀の扱いでは遥か高みに位置する唯依に追いすがっている。
武は、それを成長と見た。徐々に鋭さを増している唯依の斬撃に、対応し始めているのがその証拠だ。
ユウヤはここで何かを掴み、モノにしようとしている。
(だから――――邪魔させる訳にはいかない)
見れば、周囲に居るステラとヴァレリオの乗った機体がユウヤを援護する機会を窺っている。
隙あればペイント弾を叩き込み、唯依の機動を阻害するつもりだろう。
「やらせるわけにはいかない、か」
武は中刀で切り結んでいたタリサの機体から背を向けて、高度を落とした。
追うようにして、タリサの乗るF-15ACTVが高度を落として背後から接近する。
『なんのつもりだよ!』
なにが、とは答えない。武は先ほどからも、自分が本気ではないのを悟られていたことは分かっている。
『アタシを前に余所見をするなんて、さぁ………!』
武は答えず、持っていた中刀を僅かに振って推力変換の助けとした。
そのまま機体に作用する空力を活かしきって反転し、ステラとVGが居るポイントに加速する。
当然として、二人は自分たちに接近する機影に気づく。武は相手が反応した事に満足しつつも、距離をつめていった。
そして一定の距離になり、突撃砲の先が自分の方に向けられると笑った。
素早く狙いが定められて、引き金が引かれて数十発の弾が出た。殺傷能力は無いが、加速中の機体に当たればそれなりの衝撃にはなるもの。そうした意図が含められたペイント入りの36mmの弾全てが、空を切った。
『な、んで当たらねえっ!?』
『っ、そこ!』
驚愕するヴァレリオ。横ではステラが精度を高きに置いた狙撃を繰り返しているが、動き回る不知火に掠らせることもできなかった。
その塗装の一欠片さえも、汚すことができない。名前の由来の通り、まるで蜃気楼そのものあるかのようにその実体部を捉えることができないのだ。
『っ、ナメんなっ!』
武は怒声に振り返った。ようやく追いついたタリサの機体が、短刀で斬りかかってきているのが見える。
そう、見えているのだ。武は予定調和のように、それを回避しきるとF-15ACTVの脇を通り抜けた。
接触するか、しないかというぐらいの至近距離。そこでも武は反撃は行わず、そのまま地面に着地した。
振り返って、こちらを見据えてくる3機に向き直る。そして構えている中刀を、地面に突き立てた。
背後には、一進一退の攻防を繰り広げている唯依とユウヤの機体がある。進ませないという意志を示すように、地面に突き立つそれを前に仁王立ちをしている。
『っ、そういう心づもりかよ』
『舐めやがって………っ!』
ヴァレリオが舌打ちをし、タリサが激昂する。武は通信越しから聞こえてくる声に、内心でため息をついた。
嫌われ役はいつものことだが、何度経験した所で慣れるものではない。だが、やらなければならない事がある。
そのためには嫌な事からは逃げられないのはいつもの事だった。
(でも、アレが使えないのは痛いな)
そのせいで、イマイチ調子が出ないと。武は同じ不知火にしても、つい先日とは違う‘もの”のせいで、機動に違和感を覚えていた。
負けはしないが、3機に連携を組まれて仕掛けられると厄介なことになる。反撃するつもりはなかった。
ここで相手方の機体を壊してしまえば、更に話がややこしくなる可能性が高いからだ。
(なら、心理面で攻めるか)
3機に協調されるのが厄介なら、その輪を崩せばいい。その方法を、武は持っていた。
相手は実戦も経験した衛士である。多少の揺さぶりなど、一笑に付されるか気にも留められず終わる。
それでも、1人であれば確実に挑発できる言葉を武は知っていた。
気が乗らない、というか心底したくない。武はそう思いながらも、タリサの乗るF-15ACTVに秘匿回線をつないだ。
『先日とは明らかに違う。駄々をこねた子供のように、精細を欠いた戦術………感情の制御がなってないな?』
突然の通信に驚く間も与えず、畳み掛けた。
『そんなんでグルカを名乗るのか――――
その言葉は、雷の威力を持ってタリサの心を直撃し。
溶岩のような怒りが、口から吐出された。
『てっ……………めええええええええええええっっっっっっっっ!!!』
怒りの名前のつくあらゆるものを胸に、タリサは飛び出していた。
同時に生じた訳の分からない感情それさえも無視して、機体は激発した衛士に応えて弾丸のようになった。
だが、次に繰り出されるのは技術も何もない、速いだけで素人染みたものだけ。それ故に結末は見えきっていた。
短刀が受け止められる音に、殺された機体の推力。直後にタリサは、自分の機体が一回転するのを感じた。
地面にたたきつけられる衝撃に、タリサの口から苦悶の声が漏れた。
致命的ではないが、それでも軽くはないダメージ。自分が何をされたのか分からないまま、意識が薄れていくのを感じた。
『挑発には弱い、か………相変わらずだな』
悔しみの言葉さえ形にならないような暗い視界の中。
複雑であると言外に示しているような声に、タリサは悔しさとは別の感情を抱いていた。
――――数秒後。
長刀が地面に突き刺さる音と共にCPのイブラヒムから状況終了の通信がその場に居る全員に告げられていた。
「あ、こんな所に居たんですか」
「………小碓軍曹か」
武は日が沈もうとしている基地の中、ハンガーの外で唯依を見つけた。燃えるような赤い光を放っている太陽は、今まさに山の向こうに隠れようとしている。
「飴、舐めます?」
「いや、いい。そのような気分ではないしな」
唯依は夕陽に視線を向けたまま、ため息をついた。さっきまで身体の中で高まっていた戦いの熱を外に吐き出すように。
その中に苦味はない。成功の喜びと、この上ない安堵があった。武はその中に少女のような弱い震えを見たが、すぐに忘れた。
「取り敢えずは安心………いや、満足できたようで」
「ああ………変わる切っ掛けにはなったと思う」
答えた声の中にあるのは、安堵の色が10割だった。まさかこんな最初期の段階でXFJ計画を中止させる訳にはいかないと、そう考えていたからだろう。今までの遅れを覆すための大胆な提案は、十二分に効果が得られる結果に終わった。武はそう思っているし、唯依も実感しているように見えた。
「まあ、十分だと思いますよ。仮にでも中尉の剣を弾くことができたんですから、格段の進歩です」
武は先ほどの勝負について、最後に唯依が長刀を弾かれて終わったと聞かされていた。
だが、それが二人の実力の優劣を決定づけるものではないとも理解している。
唯依は最初の振り上げる一撃以外は、斜めに斬り下ろす袈裟斬りのみを使っていたという。
どれも見えていれば対処しやすい攻撃である。加えて言えば、動作に関してもわざと大きくしていた節があった。
切り返す速度も、わざと遅くしていたのだろう。それでも、昨日までのユウヤであれば対処できなかった速度である。
「私にできるのは、ここまでだがな」
「それだけでもう、大丈夫ですよ。あとは1人で。手を引かれなければ歩けないほど軟弱であるとも思えませんし」
「そう、だな。仲間がやられるより先に挑んできた姿勢も………」
唯一、実戦の装備を持っている自分が。
ユウヤにそういった思考があったかどうかは聞いていないが、唯依は味方より先にと単機で挑んできた意気を好ましく思っていた。
「相棒からのアドバイスもありましたからね。そういった情報を即座に活かせられる程の実力は持ってるようです」
昨日に聞いたばかりだというのに、実戦の中でそれを思い出し、苦境を乗り切ることができる。才能だけではない、自分の足で立てる強さのある衛士にしかできないことだ。こういう衛士が将来的にエースと呼ばれるぐらいの存在になるもの。
そうした強さを持っている者だらけの所に居た武の言葉には、不思議な説得力があった。
「そうだな………底力、か。全て貴様の言った通りだった」
「これでも海外に出た経験は豊富なんで。困った事があれば、なんでも聞いてくださいよ」
武は少しおちゃらけた様子で答えた。その言葉に対し、唯依が視線を鋭くする。
「ならば聞かせて欲しい事がある………単機でマナンダル少尉達を抑えこんだ、その技量に関しての事だ」
「は、ははは。あーその、挑発が上手い具合にハマったんですよ」
「謙遜はいい。私は最初の動きを間近で見せられたのだぞ? その後の戦術機動に関してもだ。基地でも有数のテスト・パイロットが認める程であったと聞いている」
それだけに、納得ができない。唯依は武を睨みつけると、問いかけた。
「貴様、一体何者だ。誰の命令で、どのような目的があってこの基地で整備兵などをしている」
演習が終わってから、質問が殺到した事に関する答えでもある。
それに対して答えたのは、神代曹長であった。だが、言葉どおりに受け止めた人物は居ない。
それだけの技量を持ちながら、どうして。あり得ないことだと言う唯依に、武は苦笑した。
あまりに、真っ直ぐだったからだ。武は答えず、肩をすくめた。
「事情は説明しました。それ以上のものはありませんよ………っと?」
武はそこで、ふと気配を感じると、後ろに振り返った。
そこには夕陽の光を受けている、銀髪の少女の姿があった。
「あれは………」
武はイーニァ、と名前を呼ぼうとしたが、すんでの所で思いとどまった。
一つは、こちらではまだ気易く名前で呼び合うような間柄ではないこと。
もう一つは、その目に警戒と怯えの色があったからだ。
(ああ、まあ………そうなるよな)
武はイーニァが警戒している理由は察することが出来ていた。恐らくは、常時携帯しているバッフワイト素子のせいだろう。
夕呼より渡されたこいつは、外より干渉しようとするESP能力者の特定の働きを阻害することができる。
本来であれば能力者に携帯させ、特定の人物のリーディングやプロジェクションをブロックするものではあるが――――とそこまで考えた武は、イーニァが怯えている理由について引っかかるものを感じた。
彼女は周囲にいる人間の思考を読み取る事ができるので、居る場所も分かる。それを利用して人の目を掻い潜りながら散歩していることも、あちらの世界で聞かされた事があった。
故に思考を読み取れない自分のことを警戒するのは理解できる。
(でも………なんでオレ、イーニァに怯えられてんの?)
恐怖を与えるような事をした覚えはない。強いて言えばポリ容器星人になったぐらいだろうが、それだけでここまで怯えられるとも思えない。
武は内心で首を傾げながら、さてどうしたものかと考え始めた。
と、そこで良い物があることに気づいた武は、ポケットからあるものを取り出した。
「そこのお嬢さん」
「っ………」
ビクッとなって後ずさるイーニァ。武はそれを見ながらも、手に持ったものを差し出した。
「これ、飴っていうんだ」
「飴………?」
「うん、飴。舐めると甘くて美味しいんだけど………いる?」
精一杯の笑顔をこめて、告げる。イーニァは最初は遠くからじっと飴を見つめるだけだったが、小さく一歩づつ近づいていくと、武の手にある飴を受け取った。
「包み紙を取って、口に入れる。するとそこには幸せが………レッツ・イート!」
イーニァは声に驚き、警戒心たっぷりに武を見ながら距離を取る。それでも飴に興味はあるようだ。
やがて一定の距離まで離れると、飴の包を取って言われた通りに舐め始めた。
「あ………美味しい」
「そうだろう、そうだろう」
武は満足気に頷いた。こちらでは知り合いではないとはいえ、イーニァにこうも怯えられていると心が荒むような感じがしていたからだ。
故に仲直りというか、怯えを消す切っ掛けとなった事に安堵し、額から流れていた嫌な汗を拭った。
「あなたは、やさしい?」
「え?」
「ゆいは、ゆうやとおんなじ。やさしいの」
「ああ………まあ、中尉は優しいよな」
でも、おんなじとは。武は非常に複雑だ、という心境を隠さずに頷いた。
「クリスカとおんなじ。とっても、やさしいの」
「…………らしいな」
あちらでは、よく聞かされた言葉だった。全てが過去形であったが、それでもクリスカ・ビャーチェノワは優しい人であったと。
「でも、あなたはわからないの」
「俺は………優しくはない、かな」
武ははっきりと答えた。優しくはない。
優しいのであれば、そもそもはここにこうして居ない。ユーコンに来ることすらなかったと。
人を殺した事がある。それがイコールかどうかは分からないが、優しいと言われても頷けないものがあった。
「………ないてるの?」
「泣いちゃいないさ」
「かなしいの?」
「悲しくない。そう言い張るのが、悲しみをなくす第一歩なんだって教えられた」
「それは、たのしいの?」
「楽しいことばかりを選べたら良いんだけどなぁ。でも、嬉しいことはあったんだよ」
「うれしいこと?」
「中尉と少尉の絶妙なすれ違いが無くなったから、その事が嬉しいんだよ」
何でもない会話。辿々しくも探るようなそれに、武は苦笑した。
出会った頃のサーシャと重なるから。あちらでの、イーニァとの会話そのものだったから。
そして、思い出す。世界各国のハイヴ攻略に動き出していたあちらの世界。
その中で自分を示そうとしていた男のことを。武は優しいと評した人物のことを、逆に問いかけてみた。
「ユウヤは、優しいのか?」
「うん。とてもやさしいの。チョビとはちがうの。きびしくないの。ゆいと同じぐらいに、あたたかいの」
「なっ………」
ようやく再起動した唯依は、またまた自分へのストレートな褒め言葉を聞いて顔が赤くなった。
「チョビが誰かは知りませんが、中尉は信頼されてますね。で、今のユウヤはどう思う?」
「なやんでるの。さっきの、おしえてもらったことについてまよってる」
「まあ、見るからにそうだよな」
武はハンガーの中で見たユウヤの顔を思い出す。真剣な表情で機体を見つめながら、じっと何かを考えていた。
恐らくは先ほどの戦闘で感覚を掴んだ不知火・弐型のことだろう。あれだけの動きが出来たことに関して、喜びよりもまず再現することに重きを置いている。実にストイックというか、真面目な男だった。
「前のユウヤは違ったんだな?」
「うん」
「まあ、色々と複雑だろうからな………で、良い気になってるとかはないんだよな」
「せんじゅつきのことばっかりかんがえてる。ちょっといらついているけど、さっきみたときはぜんぜんちがった」
「だ、そうですよ中尉。純真無垢な少女の感想ですので、信憑性は十分ですよ?」
「そう、か………慢心が無いのは結構なことだ」
「イーニァ。こういうのを素直じゃないっていうんだ、覚えておこうな」
「うん」
「ほう………結構な口を聞くじゃないか、軍曹」
「ほっぺたにある赤いのを取ってから出直して来て下さい、中尉」
「ぐっ………!」
まるで先ほどまでユウヤに斬りかかっていた人物とは違う。武はその様子におかしさを覚えつつも、イーニァに近づいた。
伸ばせば手が届く距離。イーニァはもう、逃げなかった。
「かいぶつさん」
「………怪物じゃないけど、なに?」
武は引きつった顔のまま問い返した。
「かいぶつさんは、やさしいかもしれないね………ゆうやとおんなじ、あったかいめでわたしをみるの」
「………違う、って言っても聞きそうにないよな」
ご褒美に、飴をもう一個あげよう。そう告げる武に対して、イーニァは笑った。
そのまま、俺は怪物じゃないよー、と腕を振る武に笑顔を向けたまま去っていった。
残された二人は、何も言えない空気に包まれていた。
イーニァが来るまであった、剣呑な雰囲気は欠片もない。締まらないその中で、陽は完全に落ちていた。
「純真無垢な少女に対して、『飴を上げるから怖くないよ』か。その格好といい、不審人物そのものだな」
「い、言い訳が出来ねえ!?」
武は自分の言動を思い返すと、納得してしまった。クリスカが居れば、また脇腹に蹴りを入れられることうけあいだろうと。
苦難に頭を抱える武に、唯依はふっと口元を緩めた。
「先ほどの問いかけに対して………答えないお前を、信じることはできない」
「で、しょうね。それが当たり前です」
「ああ。だが―――――貴様を部下にした上、庇っている神代曹長を信じることにしよう」
不審な動きを見せれば、即座に対処する覚悟はある。そうした決意を漂わせながらも、唯依は告げた。
あの少女の、イーニァの言葉も忘れたわけではないと。
唯依の照れ隠しの言葉に、武は驚いて顔を上げて。唯依の耳が少し赤くなっていることに気づき、思わず吹き出してしまった。
「………軍曹」
「すみません。優しい中尉殿の反応が、素直に過ぎて思わず」
武はジト目で睨んでくる唯依に、笑いかけた。だが、その中で何かしらの葛藤があることを感じていた。
引っかかっている言葉は、恐らくだが優しい。武はその言葉をどう受け止めているか、尋ねてみた。
唯依はそれに対し、自嘲の笑みを返した。
「私が優しいかどうかは知らないが………無能だと思う時はあるな」
「え?」
「――――所詮は、自分の手で親友の窮地も救うことができなかった衛士だ」
武はそう告げてきびすを返す唯依の背中を、見送ることしかできなかった。