Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
明日にでも見直しまするm(__)m
合同テストのデブリーフィングが終わった後、ユウヤは1人で頭を冷やしていた。
陽は落ちて夜になり、薄暗くなった路地の中は月の光も届かない。だが、風の通り道になっている。
ユウヤは誰もいない場所で1人腰をおろして冷たい風を感じながら、先ほど言い合った人物を思い出していた。
(あの目は………嘘や冗談じゃなかった。真剣だった、よな)
ユウヤは周囲から浴びせられる悪意には敏感だった。それを隠さずに叩きつけてくる輩も、表面上は親切にしながらも後で裏切ってくる輩も、見慣れたものだったから。
その人物達と比べ、篁唯依は“違う”とユウヤは感じていた。今まで接してきた中でのやり取りを覚えているからだ。真っ直ぐにこちらを見てくるあの光に、虚飾や増長などといった類の色は一切含まれていなかった。
(だったら……本当に、嘘偽りない助言だってのか? 俺の技量が未熟だってのも全て……!)
自分の独り善がりで、所詮は井の中の蛙だと。本当は自分など大したことのない、乗り慣れていない他国製であればいつまでたっても機体を扱いきれないような、恵まれた環境でなければすぐにボロを出す。自分は本当に持っている技術を応用することもできない、未熟な衛士であるのか。
ユウヤは先程、ヴィンセントに確認してもらった事を思い出していた。あの吹雪が故障など、なんらかのマシントラブルがあったのではないかという質問に対し、返ってきた結果は、機体には何の異常も認められなかったというもの。それは、自分が機体を制御できなかったという事が確定になった事を示していた。
(何もかも捨てて………戦術機に関することを。高みに昇ること、それだけに集中してずっと研いてきたんだ)
ユウヤは、自分の衛士としての技量が未熟とは思わない。米軍でも最高峰である陸軍戦技研のテストパイロットに選ばれたのが、自分の技量を裏付けする証拠になっていたからだ。
だが、その度に唯依の真剣な眼が想起される。
(もし、あの女の言葉が本当のものだとして……なら、何が原因だってんだ?)
日本製の機体に乗ったことがないのは確かだ。それが原因なら、とユウヤは言い訳をしようとしたが歯を食いしばって否定した。
同じ人間が乗るものであれば、同じように使いこなせるのが道理。テストパイロットという役割は、そのような技術の応用性が求められるのだ。ならば、自分には米国製の機体しか乗りこなせないような、根本的なセンスの欠如があるのかもしれない。
(もっと時間を使えば………いや、違う)
唯依の言葉を信じれば、侵攻戦時の新兵の訓練期間は半年未満であったという。戦術機のせの字も知らない人間が、乗って半年で初陣を越えるまでになる。なら、実戦ではなかろうと搭乗時間が多い自分であればもっと早くに使いこなさなければならない。習うより慣れろというが、そのとっかかりを掴むには衛士としての経験が必要であるからだ。新兵と比べるという発想自体が、情けなくも間違っている。
ならば、やはり何らかの虚偽が含まれているのか。そう思ったユウヤの脳裏に、祖父の言葉が過った。
母・ミラを騙したという日本人。卑怯で愚かな、祖父と母の両方が泥を啜ることになった原因である、彼の国の人間。
過去のことを思い出すほどに、疑念だという思いが強くなる。デタラメを並べて、不当に自分を見下しているだけなのだと。
一方で、それは理屈にあわないと常識的な観点から語っている自分が居る。どう考えてもおかしい部分があるからだ。それを否定するのは屁理屈を並べ立てて言い訳をする子供と同じ行為のようにも思えていた。
いったい、何が真実であるのか分からない。ヴィンセントにも相談できることじゃない。
そして、ここは路地の裏。たった独り、遮るものが何もない場所での吹きすさぶ寒風にユウヤは思わず自分の身体を抱きしめた。
「………さむいの?」
瞬間、ユウヤは自分の鼓動の音が跳ね上がるのを感じた。突如割り込んできた声の方向を見る。そこには、銀色の長い髪を持つ女の子がいた。背丈は低く、その表情は幼さが残っている。
「さむいの?」
「え? ………ああ、いや」
ユウヤは戸惑いを顔に浮かべた。自分のような軍人であればともかく、夜にこんな所でたった1人何を。
関係者の家族か、あるいは。聞けば、この基地は開発の最前線と言える場所なので関係者の子供や将来有望な衛士の卵や整備兵の卵が見学に来ることもあるらしい。
そういった筋の人間か。そう思ったユウヤは少女に事情を聞いたが、どうも違うようだった。
「家族って………クリスカと、ミーシャのこと?」
「い、いや俺には分からないが………ってお前、ソ連人か?」
名前の響き、そして容姿からソ連人らしい。どうみても軍属ではない民間人である。
(って、ちょっと待てよ……ここ、国連司令部に近いんだぞ?)
歓楽街からは遠い。関係者とはいえ、こんな場所に子供1人を置いていくようなものだろうか。迷子かもしれないと思ったユウヤは、色々なことを聞くがどうも話が噛み合わなかった。
何にしても、ここは一般人には立ち入り禁止の区域であり、早く家族の元かソ連の居住エリアに帰った方がいい。とはいえ、ここからソ連領内にある居住区までは10キロ以上の距離がある。交通機関があるかもしれないが、ユウヤはこのあたりのそういった事情に詳しくはなかった。迎えの車などがなければ、徒歩で帰る必要があった。
「………しょうがねえな」
まさか、こんな場所で子供1人を放ってさよならという訳にはいかない。寒い場所に迷ったままだと、風邪を引くどころか酷ければ凍死だってありえるからだ。
「あなたは、へいき?」
ユウヤは突然の少女の言葉に、戸惑った。そのうちに少女はユウヤの頬に手を伸ばして、真っ直ぐにユウヤの双眸へ自分の視線をあわせた。
(な、んだこいつ………)
周囲によく居た米国人とも、ここに来て出会った誰とも違う。その視線はまるで一色であると感じられた。そして、まるで邪気が欠片も含まれていないような。
多色の中にあるものならばともかく、一面の白は逆に不快な気持ちを思わせる。悪意に染まったことのない色だ。ユウヤは複雑な心境になりながらも、言葉を返した。
「平気だ、軍人だからな。こんな寒さで体調を崩すほどヤワじゃない」
「そうじゃないの。強い人でも、こころは………」
「心?」
何を言っているのか分からない。だが、確かに落ち込んでいたというか、葛藤していた部分がある。もしかして、子供にさえぱっと見られれば分かるぐらいに、表情を外に出していたのだろうか。
(でも………落ち着くな)
少女に見つめられているだけで、どうしてか心が落ち着いていくような。不思議な子供だな、とユウヤは呟きながら立ち上がった。ガラじゃないが、こうまで無邪気な子供を放っておくのはあり得ない。そう思ったユウヤは車を回して来るから、と告げると少女は笑いながら頷きを返した。
「そうだ、いこうユウヤ! ミーシャに会わせてあげる!」
「お、おい!」
ユウヤは戸惑った。少女は自分の話を聞かず、手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとするのだ。力任せに振りほどくのは容易だが、少女の手は小さく華奢であり、ふとした拍子に壊れてしまいそうな程だった。
それでも、途中からは変な場所に入っていき、流石に止めようとしたのだが、途端に少女は泣きべそをかきはじめた。ユウヤは迷った挙句、引きずられるままに任せた。怪しい施設で、泣きべそをかいている少女を力づくで引っ張っていくような真似はできないと思ったからだ。
(まあ、こんな子供が入れる場所だしな)
いざとなれば家族っていうミーシャか、クリスカって奴に事情を話せばどうとでもなる。そう思えたのは、歩いてから数分までだった。
壁のあちこちに書かれている文字はキリル文字で自分には読めなかったが、その周囲にある設備は普通ではない怪しさがあった。
そして、決定的な場所に出た。ここ、と少女が告げた先。その入り口には8桁のパスコードと掌紋スキャナーが必要な、尋常ではなく高いセキュリティがあったのだ。
少女は手慣れた様子でドアを開き、中に。流石にまずいのではないかと、思ったその時だった。
「ユウヤ」
「な、なんだ?」
「ミーシャ、紹介するね」
「………えっ?」
これが家族です、とつきだされたもの。それは人間ではなく、いかつい眉毛をしたクマのぬいぐるみだった。
それを見たユウヤは安堵した。いかにも怪しい親父か、ヒステリックを起こしそうな母親が出てくると思っていたのだ。ともあれ、ここまで来たからにはもう安心だと、帰路につこうとしたその時だった。
「――――動くなッ!」
「っ、伏せるんだ!」
ユウヤは咄嗟に少女を庇おうと動き出した。だが、直後に更なる大きな声がたたきつけられる。
「動くなと言っているんだ、次は撃つ!!」
「ま、て! 子供がいる!」
撃てば巻き添えに、との言葉は出なかった。少女は襲撃者―――声からして女のようだ――――に、飛びついたのだ。
「クリスカ、だめぇ!」
ユウヤが振り返って見た先。そこには長身のソ連人の女性が、ロシア式の構えで銃をこちらに突きつけている光景だった。
「――――厄日かよ」
ユウヤはこちらに近寄ってくる大勢の警備兵らしき足音を聞きながら、こんな事ならヴィンセントの誘いを断るんじゃなかったと、湿度の高いため息をついた。
翌日。拘束されたユウヤは入れられた牢屋の中で、昨日のことについて考え込んでいた。どうやらここはソ連の軍事的に重要な施設であるという。その中に自分を連れて行ったあの少女の名前はイーニァというらしい。
(色々と、変だよな)
どうしてあんな子供が、セキュリティレベルの高いドアを通れたのか。それ以前に、そのような施設の中で動きまわったにも関わらず、目的地にたどり着くまでに警備兵に出会わなかったのはなぜなのか。そもそも、イーニァは何の理由があって自分をこんな所に。
今の自分は、スパイ疑惑がかけられてもおかしくない状況だ。米国の開発衛士がソ連の重要施設に無許可で入り込むなど、スキャンダルに留まらない、外交的問題にも発展しうるほどのもの。もしかすれば、裏で何らかの政治的やりとりが。あるいはそういった問題を狙って、とユウヤは考えたが気怠げに思考を止めた。
原因は今朝の夢にあった。サムライという存在。礼節をわきまえ、思いやりの心を忘れないどころか、謙虚さを保つことができる人。それは心が強いからだと、母はいう。そのような立派な人になりなさいと言う母、だがその顔は悲嘆にくれていて。
いつもの悪夢の終わりだった。母親の悲しい顔が映って終わるのだが、今日は違った。突然、その顔が怒りの色に変わったかと思えば、日本人のあの女の顔が重なったのだ。
重なった顔は、告げた。
――――日本人の面汚しが、と。悪意そのものの声だった。
子供の自分が、どうしてと問いかけた後にだ。対する解答として得られたのが、日本人であり、面汚しであるから。
(ムカつくぜ………ただでさえ苛つくってのに――――)
お袋にはもう答えは聞けないってのにな。自嘲し、ユウヤは当時の事を思い出した。
母・ミラは自分が米国軍人として認められるその前に死んでしまった。葬儀にも出席できず、急いでかけつけた時にはもう墓に入った後だという。当然、ユウヤは怒った。訓練の大事な時期だったから、という伯父の言葉に納得できずに問い詰めた。
だが、どうしてと怒る自分に返ってきたのは決定的な一言だった。
――――お前がミラを殺したんだ、と
母の死の原因は、心労からくる免疫能力の低下によって引き起こされた肺炎だという。その大元が何であるのか、ユウヤが分からないはずがなかった。幼少の頃よりずっと、自分が母を苦しめている原因だと痛いほどに感じさせられていたからだ。
ユウヤは舌打ちをした。誰より、祖父と言い争いをするのが辛かったように見えた母の心労は、それほどのものだったのかと。それに気づけない自分の無様さを呪った。
この場所と同じく、牢屋のような離れを祖父から与えられた後もそれは変わらなかったというのに。辛くなかったはずがないというのに。
(同じように、心を追い詰めるための取り調べがあるんだろうな)
ソ連のそういった方面を担う人物は、容赦どころかいささかの手加減もないという噂がある。ともすれば自分も、そういった状態になるまで色々な事が施されるのかもしれない。
そんな、僅かに戦慄を覚えていたユウヤにかけられた答えは予想外のものだった。
「出ろ、ユウヤ・ブリッジス少尉。釈放だ」
(………何がなんだか分からねえ)
ユウヤは気の抜けた思考でも、今回の顛末を考えていた。自分は表向きには酔っ払ってソ連の衛士を殴ったために国連軍のMPに逮捕されたことになっていた。ソ連側からの抗議もないらしい。それどころか、宣誓供述書にサインさせられた。今回の施設侵入を認めるものではなく、ソ連軍少尉と口論となった上で喧嘩をしたと。念入りなことだが、ユウヤはそこに違和感を覚えていた。
自分の知らない所で政治的駆け引きがあったか、あるいはソ連にとっては今回の問題を大きくするのに不都合な点があったのか。どちらにせよ、自分をスパイとして逮捕して利用するつもりはないらしい。でも、何が理由でそんな事を。ユウヤはひと通りの理由を考えてみても答えは出なかったので、ひとまずは安堵することにした。迂闊過ぎた自分の行動を恥じて、二度と軽率な真似はしないと心に誓った。
やがて廊下を歩くと、迎えに来たという人物が見えた。そこに居るのは、小隊の仲間たち。タリサ、ステラ、VGといった合同テストを共に挑んだ面々だった。
「あれ、お前ら………」
声は、タリサの声にかき消された。誘いを断って1人で飲むとは何事かと怒っている。
「あー………え?」
ユウヤは驚いていた。てっきりアルゴス小隊の隊長であるドーゥル中尉か唯依が来ると思い、緊張していたのだ。タリサ達が来るにしても先の合同テストで不始末をした自分が更に不祥事を重ねたのである。ユウヤは冷たい視線か、あるいは間接的な嫌味でチクチクと刺されるぐらいの覚悟はしていた。だが、迎えに来た3人からはそのような感情は見えなかった。
戸惑うユウヤに、ステラが説明をする。様々な人種が集まるこの場所では酔った上での喧嘩は珍しくない。だがどの国もそうした事故を大事にしたくないから、上官は迎えにこないのだと。
「いや、そういう………事も聞きたかったんだが、ちょっと」
言葉に詰まるユウヤに、ヴァレリオが告げた。1人になりたい時や酔いたい時があるってのは分かるけど、そういう時は一声かけなと。
「あ、ああ………分かった」
「で、どんな奴と喧嘩したんだよ? あ、負けたんなら言えよな。アタシが仇を取ってやるからさ!」
「いや、俺が敵わない相手ならお前でも無理だろ」
ウエイトの問題で。そう告げると、タリサは顔を真っ赤にして怒った。
白兵戦なら得意分野だから負けない、と。
「あ、でも奴らの関節技には気をつけろよ。ねちっこい絡みであっという間に極められるからな」
「ってやりあった事あんのかよ!」
「へえ、私も初耳ね。もしかして、あの二人を闇討ちでもした事あるの?」
「ないよ! …………喧嘩はあるけど、相手はあいつらと違うし」
「なんだ、未成熟な身体を持て余して野郎でも襲ったのか?」
「よ~し、表出ろVG。今日という今日は決着をつけてやるよ」
ユウヤそっちのけてまた喧嘩をする二人。それを見たユウヤは、また困惑の表情を見せた。
「………心配の裏返しなのよ。さっきまで心配してたのは本当よ」
「な、ば、ステラ! 心配なんかしてないってば!」
仮にも同じ小隊の仲間だから、他に居なかったから仕方なくと言い訳をするタリサ。
だが、その顔はわずかに赤かった。
(………なんだ。どうして、こいつらは)
メリットもなく、自分にこうまでしてくれるのか。裏どころか表向きでも悪意ある感情をぶつけられた事が多いユウヤは、自分に対して初めてとも言える反応を見せる3人を理解できないでいた。どうして、こうまで俺を構うのか。客観的に見ても、気にかけられる理由なんてなかったはずである。
「と、いつまでもここに居るのは迷惑ね。ユウヤも、対外的なポーズと隊内処分は全く別よ? 隊長の雷に対する備えはきっちりとね」
ウインクするステラに、ユウヤは戸惑いながらも頷いた。
そして歩き出し、今日あった事を雑談する3人と、その中にいる自分に。
――――少しだけど悪くないな、と。ユウヤは誰にも分からないぐらいに小さく、唇を緩めていた。
その翌日。ユウヤはようやく組み上がった不知火・壱型丙で、シミュレーターで訓練を行うことになった。ハイヴ突入戦想定という、自身にとっては初めてのシチュエーションとなる仮想演習。
そこでユウヤは、搭乗員保護機能を切ってまで必死に挑んでいた。
だが結果は、ユウヤの主観のみの意見であったが、納得のいくものではなかった。
「ぐ…………っ」
通常以上のGの負荷により受けた、全身のダメージ。ユウヤはそれをひきずりながら、何とか機体よりハンガーへ降り立った。
待ち構えていたのは、心配そうな表情を浮かべるヴィンセントだ。
飲み物をヴィンセントから受け取ったユウヤは、一気にそれを飲み干した。
「ったく、無茶しやがる」
機体には衛士に負荷がかかりすぎないよう、搭乗員を保護する機能がついている。
ユウヤはそれを切ってまで、この仮想演習で成果を出そうとしていた。
それでも、自分の求めていた結果――――あの大敵を認めさせるに足る材料――――までには至らなかった。
「最初からは無理だって。こいつはかなり色々な面での犠牲を割りきった上に突き詰められた機体なんだからよ」
不知火に拡張性が無いのは事実であった。ヴィンセントは直接に唯依に確認したが、そういった面があることは間違いないとの回答が得られている。
そして今のこの機体は、そうした安全率ギリギリの機体に米国製の強化部品を合わせただけ。
マッチングも何も成されてはいない状態である。
「………性能が高い機体に、性能のいい部品を組み込む。それだけでベストな数字は出ないのは、お前も知ってるだろうに」
「そんな事は分かってるさ。だけど俺は、こいつで証明しなければならないんだよ!」
ユウヤは今回の実機仮想試験について思うことがあった。初めて自分の要望が通った上での試験であり、堅物過ぎる相手がようやく認めたことだからだ。
言葉少なの肯定であったが、ユウヤはその態度をこう受け取っていた。
好きなようにやらせてやる。だから、貴様の力とやらを見せてみろと。
「お前の情熱は認めるよ。昔から………正直、頭が下がるぐらいだ。でも、今回のこれは動機がなぁ」
ため息まじりに答える。ヴィンセントも、どう言っていいものかと迷っていた。
正直な事を告げたところで、ユウヤ・ブリッジスという男は自分で納得しない限りはその答えを良しとしない。
根気よく粘り強く楽観的ではない、というのが優秀な開発衛士として求められる素養だが、その反面として融通の利かなさが上げられる。
どうしたものか、と迷っている時に、乱入者が現れた。
遠く見える先。タリサとヴァレリオに話しかけられるユウヤとヴィンセントを見ながら、唯依は近づこうと一歩を踏みだそうとしていて――――そこに、声がかけられた。
「ひとまず、待った方がいいですよ」
「っ!?」
唯依はすぐ後ろから聞こえた声に、ばっと振り向いた。そこには飄々とした態度で立っている金髪の整備兵が居た。
「開発の計画を私物化するな。中尉のおっしゃりたい言葉とは、そんな所でしょうか」
「貴様………小碓軍曹?」
「搭乗員保護機能を切るってのは、確かに無茶で無謀で、かつ意味が少ないことですよね。開発のこんな初期でやるのもマイナスだ。実戦ではなく、開発に携わる衛士としてもよろしくはない」
武は上官に対する言葉遣いではないと指摘される前に、畳み掛けるように言葉を紡いだ。その甲斐もあって、唯依はひと通りの言葉を吟味し始めた。すぐに怒りを示さなかったのは、自分の考えとほぼ同じものであったからだ。
戦術機というのはワンオフが求められる兵器ではない。比較的にだが誰でも乗れる機体が優秀とされる類のものだ。兵器が乗り手を選ぶなど、あってはならないことだった。
「それを忘れて、テストの結果を満足させるためだけに無理を重ねる。成程、長期的に見ればコレほどの無意味な行為はない」
「………分かっているのであればなぜ、待つなどと消極的なことを言う」
唯依は苛立ちのままに告げた。不知火・弐型の開発に必要とされるのは、無謀な強者ではない。日米の異なるドクトリン、それに伴って違ってくる仕様、それを繋ぐ橋渡し役になる必要がある。両国から求められているものを自分の中で理解し、すり合わせ、そうした上での積極性が不可欠なのだ。
「それには機体への信頼が一番大事となる、ですよね? 最初から不知火という機体そのものをネガティブな意見で否定するならば、日米両国の利点を取り入れてできるような発展性を望めないと」
「然り、だ。そこまで理解しておきながら、なぜ私を止める」
「中尉も同じだからですよ。相手を見ずに、ただネガティブな思考に囚われちまってる」
武の発した言葉に、唯依の瞳の奥の怒気が強まった。ここに刀があれば、柄に手を添えるぐらいはされていたのかもしれない。そこまでではなくても、怒気は笑えるレベルにない程に高かった。そうした全てを無視して、武は告げた。
「ユウヤ・ブリッジスの技量は相当なものです。帝国内でも、あれだけの機動を見せられる奴は少ない。中尉も、それは認めているんですよね」
「それは………」
唯依は言葉を濁した。だが、即座に否定をしない所に答えはあった。唯依もユウヤ・ブリッジスの衛士としての技量は初めて演習を見た時から素直に認めた。一方で、自覚していない部分がある。どうして自分が、このような男の言葉に素直な頷きを返しているのかと。それを気づかせないまま、武は続けた。
「だからこそ、惜しんでいるんですよね。悔しがっている。折角腕の良い衛士が来たのに、全力でその素養を殺そうとしている男を」
期待を裏切られたのだ。それどころか、日本人の事を諸悪の根元のように語る人物であった。プラスの期待が大きい程に、マイナスに転じた時の落差と衝撃は大きくなる。それだけに唯依は忘れられなかった。植え付けられた後ろ向きな印象は深く、それをずっと引きずっている。任務を達成すること、何かを背負って意気込みすぎて予想外の事態に対し、恨みを持ちすぎること。
だが、それは唯依自身も全て自覚しきれていないものであり、はっきりとした言葉に出来ない部分であった。なのにそれを的確に言い当てて説明してみせた男に、動揺を覚えた。
(……疑念は後にして。今は、解決の方法を)
状況から脱するために、どうすればいいのか。唯依はその方法を考えはじめた。
ユウヤ・ブリッジスの技量は相当なものだ。それは疑いようがない真実である。応用性だってあるだろう。唯依は敵国は敵国として、その脅威を認めていた。だからこそ信頼できる部分もある。米軍トップという衛士の底は決して浅くない。ならば、なぜ、どういった原因が。考えこむ唯依に、武は告げた。
「技術じゃありません、心がそっぽ向いてるんです。拗ねて、直視したくないから言い訳をしている。間違った方向しか見えてない」
「そこに答えは無いにも関わらず、か」
「だからあんな事になってます。今更ですが、最初から機体と真摯に向きあえていれば……」
「分かった、それ以上は必要ない。……成果も成長も阻まれることはなかった。テストでも、もう少し違った結果を得られただろうな」
慣れも学ぶも一歩づつだ。成果の大小は人それぞれだが、全くの無駄になることはない。それがちゃんとした方向を向いていれば、という前提があってこそだが。
「つまりは――まずは、力づくでもこちらを向かせる必要があるわけか」
「ご明察!」
武は指をパチンと鳴らした。ビンゴ、という言葉に唯依は困惑の表情を浮かべた。
今まで自分の周囲に、このような軽い調子の男が居たことはなかったからだ。
「一息ついた所で飴、舐めます? 天然物ですよ。頭の運動に最適です」
「不要だ。それよりも、貴様は………」
疑いの視線を見せた。妙に話術が巧みで、表現もいちいち的確であるが、的を射すぎているのはおかしな話だった。このような目立つ衛士が日本にいれば、もっと目立つ筈だと。
(………考えすぎか?)
唯依はそう思うと同時、この海の外の地で同じ日本人を疑おうという考えを持ちたくないと思った。
事実、話には弁えている部分が多く、何も不快感を覚えるような内容は無い。
調子が絶妙であり、納得できる内容で順繰りに理屈を説明してくるからだろう。
上官に対する態度ではあり得ないが、頭の整理にはなった。
(それに………やるかどうか、迷っていた事が定まっただけだ)
もとより、打開策として考えていた案があった。問題が多く、荒っぽい方法故に最後の最後まで行使したくなかった方法が。
唯依は目の前の軍曹に、ここですべき事を理解しているという前提で問いかけた。
「表向きの強さは見えている。だが、それに耐え切れるような男ではなかった場合だ。もし、潰されでもすれば――――」
「計画の遅延か、最悪は中止だってあり得る。でもそんな事で潰れるような男が、搭乗員保護機能を切ってまで開発に挑んだりはしませんよ。自分の保身だけを考えたりはしない、馬鹿だけど熱い男です」
実戦程ではないが、下手をすれば死にかねない。
なのに腐らず、自分の命をチップとする事を選べる男。そう評した武に、唯依は浅くだが頷いた。
「………そう、かもしれないな」
唯依はそこで、見落としていた事に気づいた。ユウヤ・ブリッジスのした行為は、無意味な部分が多い。
だが、そうしてまであの機体を乗りこなそうとしている事実でもある。
(同じ小隊の者も、か。ああまで真剣に、無茶をする者を疎んじたりはしないと)
機体を言い訳にしている節はあるが、それでも全てから目を逸らしていない。
軍人として、課せられているものから逃げている訳では決してないのだ。ただ、方向性が間違っているだけで。
(私も、そうだな。悪い所ばかりを見て、気が付かなかった)
日本を侮蔑する発言ばかりを聞いて、その他の言葉に耳を傾けなかった。悪いところではなく、見るべき所はあったのだ。唯依はそこで、自分の視野の狭さを痛感させられた。見る限りは自分と同い年ぐらいの衛士が見えていたものに、気づいていなかったことを。
「そして………気づいているのだろう?」
「何が言いたいのか分かりませんが、まあなんとなくは。ちなみに自分の日本に居た時の機体は不知火でした」
武はすっとぼけた表情で言う。唯依はそれを聞いて驚き、訝しげな表情を見せた。
だが――――どうしてか、悪意はないと。目の前の人物は自分に仇なす者ではないと、そう思った。
ユウヤ・ブリッジスの傲慢を薄めつつ本来の力を引き出すための手段について考えはじめた。
「………手伝いますよ。あの面子にたった1人じゃ難しいと思いますから」
「頼んだ。私は、念のためにブリッジス少尉に釘を刺しておく」
「あ………はい」
武は止めようと思ったが、流石にこれ以上口を出すのはまずいと考え、口をつぐんだ。
――――数分後、その判断を後悔することになった。
「………不器用っつーかなあ」
武は二人の喧嘩染みた口論を聞いた後、外に出ていた。足音をそれとなく小さくしながら暗い場所を歩くのは向こうの世界に行ってからの癖になっていた。歩きながら、思い出すのは先ほどのユウヤと唯依の事だ。
二人は先日にもあったのと全く同じパターンで、売り言葉に買い言葉の挙句、また殴り合い一歩手前という所まで行ってしまった。
唯依は遠回りに保護機能を切る事の無意味さと、日本と米国の橋渡しである機体の開発に必要な素養を説いた。
ユウヤはそれを曲解して受け止め、自分が難癖をつけられていると誤解した。意固地になっているのが丸わかりだった。
それも日本人の面汚しと言われたり、公衆の面前で未熟者と断言されたのも意地を張る原因となっているのだろう。原因はどちらにもあるので、どちらが悪いとは一概に言えないものがある。二人の真面目過ぎる性格にも問題があった。
本来であれば途中で双方ともに主張する意見のすれ違いに気づき、会話の方向性の確認と修正を行う。
だが頑固な二人はそうした思考の転換を上手くできず、最後まで自分の主張の正しさや相手の思考を決めつけて見直せないまま口論を発展させるばかりだった。
(互いに近過ぎるって。もっと距離を取って打ち合えよ)
日米の関係を考えれば、共同開発の途上で必ずどこかで意見の殴り合いが必要になってくる。だが、それは何も敵を倒すためにやる訳ではない。相手の顔を見ながら、理解するために拳を突き出すのだ。そうした意見のぶつかり合いの先に、素晴らしい機体が出来上がるもの。
だが、インファイトだけではだめなのだ。この時期には、アウトボクシングが適していると言えた。そうすれば、相手の動きを観察することに繋がるから。やや離れた位置から全体像を見てようやく、勘違いにも気づくというもの。
今の二人はフットワークを使わず、逃げることや誤魔化すことを知らず、自分の信じた一点に対し、迷いなく一直線に踏み込むばかりになってしまっている。嫌いなもの同士、距離が近ければ殴りあう事だけに手を取られてしまうというのに。
「はあ…………提案はしたけど、本当にやる気かな」
手伝いはするけど、と武が角を曲がろうとした時だった。突然飛び出して来た影を避けきれず、ぶつかってしまう。
きゃっ、という小さな悲鳴。武は相手が自分の身体に吹き飛ばされる感触を覚えたと同時、手を伸ばした。転けそうになった小柄な少女の腕を掴むことに成功する。そして、失策を悟った。
(イーニァ!?)
腕を掴んだ少女は、見たことのある顔だった。具体的にはあちらの世界で、日常的に顔を合わせていた1人であった。
その視線は自分の顔に釘付けで、かつ驚きに満ちていた。
(まず、そういえばバッフワイト素子つけたままだった………!)
どうしたものかと、武は硬直した。それが後の悲劇を生んだ。
「いたっ!?」
武は頭に何かがぶつかったのを感じたと同時に、視界が白いものに覆われてしまった事に気づいた。加えて言えば、一気に周辺がプラスチック臭くなっている。
「…………!?」
目の前の少女、イーニァ・シェスチナが声にならない悲鳴を上げた。
ユウヤは焦っていた。道端に転がっていた、蓋のあたりが大きく壊れていたポリ容器を蹴ったら、思いの外遠くに飛んでいってしまったのだ。上官にでもぶつけてしまったら大事になりかねない。ステラの指摘に焦ったユウヤは走り始めた。
ヴァレリオも含めて、走るアルゴス小隊の4人。だが、辿り着いた先の光景は全く予想外の光景だった。
頭からポリタンクをかぶった男が脇腹を押さえながら道端に転がり悶絶している。
そして、その珍妙な人間を睨みつけながら、背丈の小さな少女を庇う銀色の髪を持つ長身の女性衛士。何がなんだか分からなかった。
「あっ、ユウヤ!」
「イーニァ、お前………!? いや、それよりも」
転がっている男は整備兵の服を着ていた。その服の横は、足型がくっきりとついている。
「ユウヤ・ブリッジス………!?」
「………クリスカって名前だったか。お前らここで何があったんだよ」
ヴァレリオの言葉は、ユウヤ達の内心そのままだった。何がどうなってこんな事になっているのかと。
「そいつが、それを被ったままイーニァを襲おうとしていたんだ!」
「え………」
ユウヤは転がっている男を見た。そこで、かぶっているものを見てあっと声をこぼした。
「これ、俺が蹴ったやつだよな。もしかして、こいつの頭に?」
「そうだよっ!」
ようやく起き上がった武は、ポリ容器を外して地面にたたきつけた。直後に脇腹へ走った鈍痛にうめき声を上げ、また屈みこんで悶絶した。
「あー………そういうことね。ユウヤが蹴ったポリ容器が、すっぽり頭に入ってしまったと」
「それを見たそこの女が勘違いしただけだろ。ったく、早とちりにも程があるっての」
「それだけではない! その男は、イーニァの腕を強引に掴んでいたのだ!」
「角でぶつかって、転びそうな所を掴んで止めただけだって………あー、痛え」
武は立ち上がり、脇腹をさすった。とっさに威力を殺したのでダメージが残る程ではないが、痛みが皆無でもない。これがもし、と武はタリサの方を横目で見ようとして止めた。
「ポリタンクを頭に嵌めたままだと……まあ、確かに。ぱっと見じゃあ、200%不審者としか思えねえよな」
ユウヤは想像してみた。何のつもりかポリ容器を頭に被っている男が、小柄な少女の腕を掴んでいるのだ。しかも、イーニァは怯えているように見える。
「まあ、絵的に犯罪だよな」
ヴァレリオの呟きにステラとタリサが同意し、当人である武もうんうんと頷いていた。クリスカも当然だ、という表情をする。それを見たタリサは、何となく面白く無い気分になったが。
「しかし、あれだよな。西側の施設だってのにお前らがここに居るのかおかしいんだよ。ひょっとして何かを探りにでも来たのか?」
「………」
「またダンマリかよ。あーやだやだ、付き合ってらんないねー」
タリサは興味が無いと言いたげに、わざとらしくため息をついた。
武は、そこで気がついた。イーニァの視線が、険しくなっていることに。
「………もん」
「へっ、何か言ったか? 相っ変わらずそっちの女も置物だな。むっつりして何も言わないしー」
「やめとけってタリサ。ってお前、クリスカとも知り合いだったのかよ」
「はあ? 知り合いじゃねーって、こんな奴らなんかと!」
ユウヤはタリサの感情的な言葉に、少しだが戸惑いを見せた。
あまり見たことがないほどに、苛立ちの表情を見せていたからだ。ユウヤの主観ではあるが、タリサは今までは怒っているような様子を見せても、どこか芯では余裕があったように思えていた。
それが、今は見ることができない。何が原因でこうまでなっているのか。
考えこんでいると、ユウヤは自分に視線が注がれていることに気づいた。
「と、なんだよクリスカ。何か用でもあるのか」
「別に………」
そのまま、二人は謝罪もしないまま去っていった。そして姿が見えなくなった途端、タリサがユウヤの脛を蹴りあげた。
「ってえ! なにすんだよ、チョビ!」
「チョビ言うな! それよりなんでユウヤがよりにもよってあいつらと………あの二人と顔見知りなんだよ!」
「はあ? 別に知り合いじゃねえよ。それよりも、"あの"ってなんだよ。有名人か?」
「有名人と言えばそうね。この基地で彼女達の名前を知らない衛士は居ないわ。先日も合同テストで、他の追随を許さない程の戦果を上げたようだし」
そこまで聞いて、ユウヤはぎょっとなった。
「――――
鍵となる言葉に、二人の姉妹。
ユウヤは驚きに叫んだ。だが、確かに先ほどの二人が身にまとっていたのは衛士が着る服である。
(それに、銃をつきつけられた時の凄み。思い出したぜ、確かにそうだった)
ユウヤは1人で納得した。思えば、説明できる材料は色々とあったのだ。
イーニァが衛士だというのは、完全に想像の外にある事実だったが。
そこで、ユウヤはポリ容器の音に気がついた。顔を上げれば、先ほどまで悶絶していた男がポリ容器を拾ってこの場から去ろうとしていた。
「災難だったな、シロー」
「本当ですよまったく。どこからこんなもんが飛んできたんだか」
「あ………それは、な」
ヴァレリオは横目でユウヤを見た。視線を向けられたユウヤは、うっと言葉に詰まった。
「もしかして、少尉が?」
「ああ………まあな」
ユウヤは視線を逸らしながらも、頷いた。目の前の男は、あの恥知らずな男と同じ日本人だ。その考えがずっとついて回るからには、素直に謝ることなどできなかった。謝るのが筋であるとは理解していても、身体がどうにも動かないのだ。
武はちらと見たユウヤの表情と仕草から内心を察し、はあと溜息をついてポリ容器を持ち上げた。
「少尉」
「なんだ………よ?」
視線を元に戻したユウヤが見たのは、ポリ容器をかぶった男だった。
見た目に珍妙すぎるそれに、ユウヤを含む4人の眼が丸くなった。
「自分はポリ容器星人です。悪い宇宙人をやっつけるために、あの星の彼方からやって来ました。決して、あなたの嫌いな日本人ではありません」
「お、おう」
ユウヤの頭の中は突拍子のなさすぎる事態を前に、困惑の色に染め上げられていた。
事故ではなく自分でポリ容器をかぶって変な言葉を吐く男は、酷くシュールだ。
頭がイカれてるのか、という言葉さえ出てこない。日本人の性根がどういうものか、というよりも地球に住む人間としてどういうものかというレベルにまで話が外れてしまったような錯覚に陥いってしまう程の。
見た目は酷く、ポリ容器のせいで声が籠もりすぎている。どう見ても変態のそれであった。
だがその変態は、全てを無視して言ってのけた。
「納得していただけたようですね。その、ポリ容器星人からお願いがあります。同じBETAを敵とする人に、望むことがあるんです」
「………それは?」
「貴方と同じぐらい、この計画に熱を上げているローウェル軍曹の話をちゃんと聞いてあげて下さい。恐らくですが、問題を解決する鍵はそこで得られる筈です」
じゃあ、と去っていく。ポリ容器をかぶった男。迷わず路地の裏へ去っていく姿は勇ましくも傷ましい。
4人はそれを呆然と見送りながら、しばらく言葉を発することができなかった。
「無理なら、提案の通り――――力づくになるか」
ポリ容器の中にこもった声は小さく、外に漏れるのもわずかで。
「………彼女が、クリスカ・ビャーチェノワか」
武が感慨深げに呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。