Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
(ああ………またこの夢かよ)
ユウヤ・ブリッジスは子供の頃を思い出す時に、ついてまわる感触があった。
それは髪や顔にまとわりつく、卵の感触だ。
ユウヤは物心がついた頃にはもう、卵は自分にぶつけられるものとして認識していた。理由も分からないままに嘲笑われ、何度も何度もぶつけられたからだ。割れて出た中身は服の中にまで入ってきて、気持ち悪いことこの上なかった。
――――どうして、俺だけが。
ユウヤは自分がこんな目にあわされる理由について考えたが、分からなかった。どうしてと、母に問う。
だが、母・ミラから得られたのは解答ではなかった。一筋の涙と、悲嘆に染まった謝罪だけである。
何の解決もないままに、日々は過ぎていった。
汚れたままに帰っては家の床を汚すなと母の兄弟に怒られて、水を浴びせられて、寒さのあまり泣いて帰ったら母の父に怒鳴られた。
泣いてもどうにもならない。解決する方法も分からない。唯一の味方であった母も、泣いているだけ。
ユウヤが自分の境遇や罵倒される原因を知ったのはしばらくしてからだった。
母の父――――名家であるブリッジス家の当主である祖父は、これ以上出ないというような大声で、真実を告げた。
「お前の父親が薄汚い
その時のユウヤは、日本人というものをよく知らなかった。自分を罵倒する者は決まってその単語を口にしていたが、それが何であるのかなどよく知らなかったからだ。だからそれが原因だと言われても、ユウヤは何がなんだか分からなかった。それが、祖父の口から出る生々しい"日本人"という単語を聞いて最初に抱いた感想であった。
日本人について詳しく学んだのは、祖父や伯父の言葉からだった。彼らは日本人というものがいかに卑怯で、卑劣で、無責任で、米国に仇なす存在なのかを語り続けた。母の父や兄弟は母の事を深く愛していたという。
だからこそ、それを奪った日本人に対して強い憎悪を抱いていた。
ユウヤは自分が幼い頃に、そうした心の動きがあったのを何となくだが感じ取れていた。
末の妹で才能があり、有名な学校に進学したミラは祖父や伯父から宝物のように可愛がられていた。
それを騙したのが、日本人の男、自分の父親であるというのだ。憎まれない方がおかしいというもの。
母だけは否定し続けた。日本人は、彼はそんな人ではないと。ユウヤは覚えている。彼は気高く、強く、熱く、優しい人であったと自分に言い聞かせる母の姿を。だからこそ、ブリッジス家からは怒鳴り声が止む日はなかった。
ユウヤは、祖父と伯父が母を想う気持ちは本物であったように見えた。
だからこそ父を庇う母の様を許せなかったのだろう。
母はそんな父を庇う。悪循環だった。祖父と伯父は娘や妹をそんな哀れな存在にしてしまった父を、その血を受け継ぐ自分への憎しみを日に日に高まらせていった。
ユウヤはいつも考えていた。どうして、こんな事になるのだろう。今日も母は父のように強く優しい存在になりなさいという。
だが、その父は来ないのだ。遠い日本の地にあり、母と自分を助けてはくれない。
母のその目には涙が浮かんでいるのに。その瞳の奥は悲しみに染まっているのに。
ユウヤはたった一つの拠り所であり、自分の事を見てくれている母を助けたかった。
だが、母を何より苦しめているのは自分という存在だった。
日本人の血が流れている自分が、父の面影を残す自分が居るから、周囲の全てが敵に回っていた。
「どうして………?」
毎日、問い続けた。だが、答えてくれるものは誰もいなかった。聞くまでもないことだったからだ。
全て、日本人が悪い。母を捨てた父が、日本人が諸悪の根源なのだ。ユウヤ・ブリッジスはそうして、悟った。
祖父や伯父の言うことは言いがかり的なものが多く、自分を傷つけるためのものがほとんどであったが、それだけは真実であると理解したのだ。
ぶつけられる卵の感触。気持ちの悪い音。
これら全ては、日本人にぶつけられてしかるべきもの。彼らは日本を憎んでいるから、手が届く位置にいる自分を責めているのだ。
何をしても認められることはない。勉強やスポーツを頑張った所で同じ。ユウヤは、母以外の誰にも褒められたことはなかった。
全てが無駄になるのだ。日本人の血が流れている自分は、このアメリカ社会で疎まれる存在以外の何者にもなれないと、そう告げられているようだった。
俺は何もしていないのに、どうして俺だけがこんな目に。言葉にしたとしても、誰も聞いてはくれなかった。
ただ、日本人だから価値がないと蔑まれるだけだった。
――――また、卵が投げつけられる。
ぱしゃ、と悪意が染みる。しかるべき者へと届くように。
ぐちゃ、と白身が顔にまとわりつく。汚れて当然なのだと、思い知らせるように。
ユウヤはそうして、夢から醒めていく感触を覚えた。何度も見た悪夢は、目覚め方までも一貫していた。
遠く、厳しい祖父の声が聞こえる。
――――お前さえいなければ、こいつさえ生まれなかったら。
祖父と母との会話はいつもそんな言葉で締めくくられていた。
最悪の感触と共に、意識が表に浮上しようとしている。
そう感じたユウヤが最後に見たのは、こちらを見つめているいつものように悲しい母の顔。
「…………クソが」
視界に映るのは、見慣れない天井。
ユウヤが目覚めてすぐに零せたのは、誰に向けたのかも分からない、曖昧な悪意の言葉だけであった。
「………お久しぶりです、神代曹長」
「はい、こちらこそ篁中尉」
唯依は武御雷の整備班長として紹介された人物を見て、目を丸くしていた。
――――神代乾三。
かつての京都での防衛戦における、自分が所属していた部隊の戦術機を担当していた整備班の班長である。
斯衛内でも迅速かつ丁寧な整備をする人間として知られていた。その能力を考えれば、佐渡ヶ島を見張っている部隊に配属されているべきである。
「まあ、その辺りは色々とありましてね。技術交流というのも、大きな目的の一つでありますが」
「そうでしたか」
「敬語は不要ですよ、篁中尉。自分の方が階級は下なのですから」
「それでは………そちらの整備兵に関して聞きたい事がある」
意識を上官のそれに切り替えた唯依は、乾三の隣にいる人物へと視線を向けた。
「金髪に、サングラス。とても斯衛の整備部隊に許されるような格好ではない。いや、帝国軍人としてあるまじき格好だな」
厳しい視線が飛んでくる。指摘を受けた本人――――白銀武は、ひとまず安堵の息を吐いた。
第一印象をずらせば自分が鉄大和を名乗っていた本人だと認識はされないということ。
それは武自身のいくらかの経験や夕呼の推論を元に判明していた事なのだが、それが万人に共通することなのか、まだ確証は得られていなかった。だが、問題なく誤魔化せたようだ。第一段階はクリアーと、内心でガッツポーズをする。
しかしこのままでは格好を正せなどの注意を受ける可能性がある。ファーストコンタクトが何より大事であると夕呼から言い含められていた武は何か言い訳をしようとして、そこで止められた。
庇うように、乾三が言葉を付け足したのだ。
「彼の格好は、訳あってのことなのです」
「ちょ、曹長!?」
驚く武を置いて、乾三は口早に武がこんな格好をしている理由を語りだした。
彼は、本当ならば優秀な衛士であること。明星作戦のおりに出会った大東亜連合所属の金髪の衛士に助けられたこと。
だが、その人物は戦死してしまった。彼、小碓四郎少尉はそれを悼むのと同時に遺志を受け継ぐ覚悟を示すために、忘れないと自分の髪を金色に染めたこと。
無論、全くのデタラメである。だが乾三は武に視線で合図を送った。乗れ、ということなのだろう。そう判断した武は、感慨深そうな表情を偽った。
いかにも感動したような声で、曹長と呟く。
「サングラスに関してもね。体質故、直射日光を浴びすぎるのはよくないそうなのです」
「そんな理由が………いや、アルビノというのか?」
「そんな所です。整備兵に任ぜられているのも複雑な事情が。彼は元は整備兵上がりだったのですがね」
武はそれを聞いて、まあ間違っていないなと頷いた。武御雷の整備は、記憶の中の片隅にある。
とはいっても、別の世界の記憶だ。斯衛の整備兵がテロで殺され、その煽りを食って横浜基地から整備兵がいなくなった。
助けてくれる人物など、その時は存在せず。故に少数の仲間と共に、何とか苦心して武御雷を整備しようとした事があったのだ。
芸は身を助く。嬉しくない記憶に、武は複雑な心境になった。
内心で考えこむ武を置いて、乾三の話は進んだ。
金髪にしたことを上官から責められ、謹慎処分を受けているということ。その一環として、こうして整備兵で雑用を任せられていること。
尤もらしい理由を淀みなく口にする乾三に対し、唯依は深く頷きを返しつつも、だがと告げた。
「どんな理由があるにせよ、貴様は帝国軍人だ。ならばやはり、その格好は相応しいものとは言えない」
「………はい」
「だが、貴様は直接の上官より罰を受けている。ならば、私が横合いから何かを言うのは筋違いだろう」
唯依は武を――――小碓軍曹を少しだけ睨み、告げた。
「私の機体を頼んだ。決して、手は抜いてくれるなよ」
唯依はそれだけを告げて去っていった。乾三はその背中を見送りながら、呟く。
「………どうにも様子がおかしいですね」
「いや、それよりも何ですか今のは。聞いてないですよ」
武は額の汗を拭いながら、どうしてあんな作り話をしたのか問いかけた。
乾三は、貴方の上司からの提案ですと答えた。
「多少はぎこちなさがあった方がそれらしいとね。あ、衛士としての技量を持っているという項目は、オーダーされた内容です。絶対に入れてくれとのことで」
乾三の言葉に、武はうなだれた。そうまで自分の演技力は信用されていないのかと。
「保険を兼ねてでしょう。あと数日で、予備機という名目で不知火が届きます。横浜で貴方が使っていた機体がね」
整備に関しては乾三の班で行うとのことだ。
整備班は複数の機体を掛け持ちで担当するのが当たり前なので、特に問題はないのだという。
「ともあれ、今は篁中尉です。先日にお会いした時もそうですが、やはり………」
乾三は言う。妙に"硬すぎる"と。真相を正直に明かす素振りを見せればそうそう責められはしないという予想だったが、実際は注意を重ねられただけ。
相手を見ずに、規則だけを重視したような結果になっている。
規律を乱す行為を慎めと注意する行為自体は的を外れていないものだが、乾三はその物言いに引っかかるものを感じていた。
「杞憂であればいいのですが」
――――だが、それは現実のものになってしまった。
計画が始動して5日後、武は整備兵からあるうわさ話を聞いていた。なんでも、篁中尉とブリッジス少尉がブリーフィングの後に揉めたのだという。
ブリッジス少尉は上官である篁中尉に対してあるまじき態度を取ったとして、ドーゥル中尉に軽い鉄拳制裁を受けたらしい。
武は考える。言葉遣い云々、揉め事はひとまずは大事なく終わったように見えるが、問題はそんな所にはないと。
こうまで整備員達に話が出回り、その上で彼らが不安になっているのが問題なのだ。武は何かしらの原因があるのだろうと推測した。
どこに原因があるのか、考える。先日に予想した通りに、不知火・壱型丙の組み立ては遅れに遅れている。
武はその分のフォローとして、前もってブリッジス少尉に吹雪を乗らせるという方法を乾三を通じて取っていた。
(ひょっとして………これがまずかったのか?)
武はアドバイスの方向性を間違えてしまったのではないかと焦った。このままでは宜しくない事態に発展する可能性がある。
思い切った武は雑用をこなしながらも、XFJ計画の方を担当している整備員達から話を盗み聞くことにした。
そうした情報収集をして分かったのは、ブリッジス少尉が操縦する吹雪はまるで新兵のそれを見ているかのような有り様で、F-15Eを駆った模擬戦での動きが嘘のようだったということだ。
(………どういうことだ? いや、初めてなら分かるけど)
米国機と日本製の機体とでは機体のコンセプトがまるで異なってくる。
前者は主戦場が開けた広い場所であり、大雑把な機体でも主機出力と戦術で強引にカバーする戦術が好まれるのに比べ、後者は多すぎる敵やハイヴ内という閉所に対応するため、繊細な機動が必要とされる。
戦場が違えば要求される仕様も変わる。その影響から、機動の制限なども色々と違うのだ。それだけではなく、第三世代機は第二世代機とはまた違った機体挙動を見せるとされている。
本来であれば時間をかけて慣れさせるのが普通だった。吹雪という練習機が存在し、運用されているがその証拠である。
だが、ユウヤ・ブリッジスはF-22Aの開発衛士にもなった米軍でもトップクラスの衛士である。
多少の違いなどものともしない技量を持っているはずで、間違っても新兵と間違われるような機動を見せる男ではない。
かつてのユウヤはどうしていたのだろう。武は疑問に思っていたが、その答えはすぐに得られた。
2001年、5月8日。計画始動からちょうど一週間の後、アルゴス小隊は例のソ連の小隊も参加する合同演習へ挑むことになった。
仮想的はBETA。実機を使った上でのシミュレーター訓練である。
(どうなることやら………お?)
武はまた新人が頼まれるような雑用をこなしていた所に、ある人物を発見した。
米国からの転属になっている整備兵、ヴィンセント・ローウェル軍曹。そして武は、彼と会話をしている衛士に見覚えがあった。
(………あんま背ぇ伸びてねえなぁ)
褐色の肌に茶色い髪。印象深い紫の瞳は、記憶に深く刻まれている。
武にとって、その人物を称する記号は複数ある。
アンダマン島、パルサ・キャンプで同室だった同期。
同じ人物を師と仰いだ姉弟子。
シンガポールで再会した、友達のようなもの。
そしてもう一つ、この基地に来てから新しく刻まれたものがある。
――――恐らくはアルゴス小隊でも唯一、ユウヤ・ブリッジスと同等の技量を持っているであろう精兵。
そんな彼女は、ヴィンセントに告げていた。
「あのさあ、ヴィンセント。あいついったいどういうつもりなんだよ」
疑問符に不快な想いが混ぜられた声。タリサは感情を隠さず、更に言葉を重ねた。
「あんただって本当は分かってるんだろ? このままじゃ駄目なことぐらい」
「………今は始動してまだ一週間、いわば慣らしの期間だろ。焦ったって良いこと無いと思うけどな」
「時間とか、そういった事を言ってるんじゃないんだ。焦りを口にして良いのは、一生懸命取り組んでる奴だけだろ?」
「あいつは………あいつなりに真剣だ。ただ、ちょ~っと噛み合ってないだけでな」
「まあ、篁の奴もなぁ………視野が狭いっつーか、噛み合わないにも程があるよな」
「へえ。問題はユウヤだけじゃなくて、篁中尉にもあると思ってるのか」
「どっちが悪いって問題じゃないよ。ああまであからさまじゃ嫌でも気づくさ。宣伝してるようなもんだし、ステラやVGだって分かってるんじゃないの? ――――ユウヤ・ブリッジスは日本人が嫌いです~ってさ」
タリサは打ち上げの時の事を話した。
ユウヤが唯依の事を聞かれた時に、下手くそすぎる方法で話題を逸そうとしたことや、日本人と聞いた時の表情など。
「………もう気づかれたか。意外と他人の事見てるんだな」
「連合は
観察眼は衛士に必要とされる能力の一つである。
戦況を見極めて戦術を決定するのに、周囲が見えていなければお話になんてならないからだ。
大東亜連合はその意味で衛士の観察眼が鍛えられる軍であった。習慣の違う他者に対して、その内心の機微や譲れない部分を無視し続ければ。立ち回りの下手さも度が過ぎれば周囲から孤立してしまう恐れがあった。
「篁の奴は気づいてんのか、そうじゃないのか………それにしたってなあ」
「ブリーフィングでの事か?」
「そうだよ。思い出すだけでハラハラする」
タリサは唯依の言葉を反芻した。見るからに日本人嫌いな日系米国人であるユウヤに、『日本人の血が流れているのならそのみっともない態度を止めろ』、と言ったのだ。
あくまで意訳だが、的外れでもない内容だった。それを聞いたヴィンセントと、隠れて聞いていた武はうわぁ、と呟く。
喧嘩を売るというレベルではない、汚いヘドロの中に頭を叩きこませたという方が表現的には近い。
「それ言われたらユウヤの奴も退けねえよ。殴られるような言葉遣いにもなるわ」
「どっちもどっちだと思うけどね。まあ、フォロー頼むよ。アンタはあいつの相棒なんだろ?」
「へっ、言われるまでもねーよ。でもサンキュな」
始まったばかりで終わるのはヴィンセントも本意ではない。そして、タリサの言いたい所も理解していた。
見当違いの道をいくら進んだ所で望むべき場所へはたどり着けない。軌道修正が効く内に何とかしないと、後半の開発が目も当てられないことになってしまうのだ。
「それにしても気にかけるねえ。なんだ、もしかしてユウヤのホの字とかいうのかぁ?」
「ばっ、ねーよ! ただあいつとはまだ決着をつけてないから、ここで消えられんのも嫌なんだよ!」
それに、とタリサは言う。
「――――日本の血は流れてるんだろ? アタシはその血の底力ってもんを見せてもらいたいんだよ」
記憶に残るわずかな硝子の欠片を拾うように。タリサも自分で気づかない内に、その声は情感豊かな色を灯していた。
颯爽と踵を返して去っていく。その背中を、武は複雑な心境で見送っていた。
2001年5月9日、アルゴス試験小隊は合同テストを前に仮想演習の想定条件を復習していた。
吹雪が1機に、F-15ACTVが2機、F-15Eが1機という変則的な編成である。敵は人間ではなく、BETAが想定されていた。
ユウヤは移動する途中、機体の中で操縦桿を握っていたが、すぐに解し、また握るといった動作を繰り返していた。
『どうしたトップガン。せわしないけど、トイレにでも行きそびれたか?』
『うるせえよ、言ってろチョビ。それよりも、そっちの機体の調子はどうなんだ』
一週間ほど前に損傷していたF-15ACTVだが、先日とうとう修理が終わったとのこと。
タリサは喜び満面に、自慢するように操縦桿を叩いた。
『ぜんっぜん問題ないよ。もうすっかり元通りだ。これだけのリニアリティが出てるなら東側の奴らになんか負けないさ。っと、ヴィンセントの奴、いい仕事するよな』
『………ああ』
ユウヤは言葉に詰まった。合同テストに出る前にヴィンセントに取った態度のことを思い出したのだ。
操縦席両腕部にあるスイッチ類のコンソールの変更。その他調整に至るまで、ヴィンセントの仕事に手抜きは一切見られなかった。
グルームレイクに居た時と同様に、整備兵としての仕事を完璧以上にこなしてくれている。
なのに、先ほどは八つ当たりをするような態度で接してしまっていた。
反面、あいつが余計なことをいうから、などといった言い訳がユウヤの心の中に浮かんだ。
だが、それが見っともない愚考を重ねることになるとは、ユウヤ自身も理解していた。
(せめて、こいつがまともなら………)
ユウヤはここ数日の間ずっと吹雪に乗っていたが、彼の吹雪に対する機体性能の評価は既に確定していた。
米国製のF-15Cをライセンス生産することで得られた技術を馬鹿な方向に転用した欠陥機であると。
(勘違いした日本人の、腐れた結晶だ。どうせ頭が硬いだけで、衛士の事を考えて設計されてないんだろ)
汎用性もない、取るに足らないガラクタ。ユウヤはそんな事を思いつつも、再度機体の調整をしていた。
各種ステータスの数値を確認し、より良い方向までつきつめようというのだ。
どんな機体に乗ろうが、自分に負けは許されない事を知っているからだった。作業に集中していたユウヤに、通信が入ってきた。
顔を見たユウヤが、嫌な顔をする。
『なんだよVG、トイレか?』
『なに言ってんだよユウヤ。それよりも見ろよ、『紅の姉妹』のご登場だぜ』
『なに?』
ユウヤの瞳に興味の色が灯り、タリサの口から嘲笑が零れ出た。
レーダーに表示されている、数キロメートル離れた場所に集合しているソ連の試験小隊。
ユウヤはその中に、Su-37UBの光点があるのを確認した。
(噂の人物のお出ましか。だけど、一体どんな奴らなんだ?)
ユウヤは色々と聞いて回ったが、『紅の姉妹』を見た衛士はほとんど居ないという。
唯一、タリサは知っているとのことだが、頑なに口を閉ざすだけだった。
あの神業のような機動に、狙撃。ユウヤも誇りある米軍の衛士としてのプライドがあるため、他国の人間にコツを聞くような真似など絶対に御免だと考えていたが、それでも一つだけ確認したいことがあった。
36mmを全く同時にドローンに着弾させた離れ業。あれは本当に狙ってやってのけたのかと。
好奇の視線をレーダーの方向に送る。聞けば、このユーコン基地の中でも一二を争う程の凄腕衛士だということ。
ならば、この合同テストでトップを飾れば会う機会を上層部が作ってくれるかもしれない。ユウヤはそう考えていた。
先日の顔あわせの時に話したこの計画の責任者であるクラウス・ハルトウィック大佐はテストパイロット上がりらしく、合理性を重んじる主義であるらしかった。
ならば、腕の良い衛士を直に体面させて競争心を煽らせるかもしれないと。
(なんて、都合の良すぎる考えだけどな)
そうしている内に、テスト開始の時間は迫っていた。アルゴス試験小隊は巨岩群やむき出しの岩石が散らばっているA103演習場に移動する。
ユウヤは移動中の吹雪の挙動を見ながら、舌打ちをした。
(こうしている内はまだ、普通の機体なんだけどな)
だけど、と。ユウヤは機体の事を考えようとしていたが、移動した先に思考の矛先を変えた。
レーダーに見える各国の試験小隊の配置に、違和感を覚えたのだ。
分かるのは、ある1点を中心とした包囲陣形ということだけ。まるであるものを封じ込めるかのような、殲滅の陣形であった。
『………よく分かんねえな』
BETA相手の実戦を経験したことのないユウヤは、これがどのような戦場を想定しているのか推測できなかった。
いくらか思いつく状況はあるが、それらから一つを選択できる程の経験が不足しているのだ。
『――――限定されたルートの出口でBETAを叩く迎撃戦か、間引き作戦を想定しているわね』
ステラの声に、ユウヤが驚いた。まるでこちらの心を読んでいたかのような言葉だ。
『前者であれば、まだ"地形が残っている"故郷を守るための戦い。後者であれば、祖国を蹂躙した憎き敵を削り殺す作戦ね』
その声には、まるで氷のような冷たさがあった。
ユウヤもステラとは短い付き合いではあるが、そのような声を出す彼女を見たことがなかった。
(………こいつら)
網膜に投影された映像越しに見える、自分以外のアルゴス試験小隊の衛士。
その顔は数分前までとは異なり、物々しい雰囲気が混ざり始めていた。
気のせいか、演習場を包む空気さえ変わっているような。
戸惑っているユウヤをよそに、CPより
イブラヒムの告げる声に、アルゴス小隊全員がそれぞれの色を持って了解を唱和する。
その直後に、ユウヤはうっと呻いた。
JIVESによってデータ上に示された仮想敵であるBETAの数が、想像を遥かに越えていたのだ。
『へっ、まあまあだな。初手は頼むぜ突撃前衛サマ』
『あいよ! ユウヤも、止まってないでさっさと突っ込むぜ!』
平静を保ち、当たり前のように戦闘態勢に入る。ユウヤはその姿を見て、3人が相当な修羅場を潜ってきている事を理解した。
だが、それがどの程度の熟練なのかも分からない。米軍でも実戦を経験した衛士は多く存在するが、ユウヤはそうした人物と直に話した機会は少なかった。
(BETA相手の実戦経験は俺とは比べるまでもない、か。それは認めるしかねえ)
それでも、ここで尻込みしているような間抜けではない。そう主張するかのように、ユウヤは
ギリシア神話に登場する巨人、アルゴスの名前がつけられた戦士達が進んでいく。
だが、接敵して3秒後。ユウヤはここ数日で何度と無く繰り返した、舌打ちをすることとなった。
まず、バランスが滅茶苦茶だ。F-15Eでは簡単に行えていたバックステップでも、気を抜けば転倒してしまいそうなアンバランス。
ユウヤはそれを何とか制御しながら、仮想の要撃級の前腕部をくぐり抜けながら突撃砲を撃った。
至近距離で命中した弾はほぼ全てが命中し、レーダーから赤い光点が消える。
最初の攻勢はそれだけに終わった。続く要撃級や戦車級を前に、ユウヤはアンバランスな機体を苦し紛れに振り回しながら対処しようとするが、迎撃の動作が追い付かないと判断。
無様な動作でありつつも、何とか敵の攻勢を凌ぎきった。
『また遊んでんのかよ!』
『アルゴス4、援護に入るわ!』
直後、タリサとステラの援護射撃がユウヤの周辺に居るBETAを一掃した。
続く二波目のBETAに対しても、タリサは抜き放った兵装で薙ぎ払っていく。
(中刀………! 短刀と長刀の間っていう新兵装か!)
短刀ではリーチが短すぎるし、長刀では密集地帯で取り回しに苦慮する。
実戦を経験した衛士のそういった類の声に応えて作られた、ここ数年で完成したという大東亜連合の新しい兵装だった。
機体バランスとのマッチングが難しいとされている兵装だが、タリサは見事にそれを使いこなしている。
高機動という特性をもつF-15ACTVの長所も共に活かして、迫り来る要撃級の身体を次々に切り刻んでいた。
(くそ………!)
ヴァレリオやステラも、タリサの機動戦術と連携して支援砲撃を繰り返しては仮想のBETAを消していく。
的確な射撃に素早い照準合わせは、ユウヤの目から見ても見事なもの。近づいてくる敵には短刀の一撃を贈呈し、仮想敵から仮想障害物へと役割を変じさせていった。
(くそっ、ちくしょう………っ!)
負けてはいられない。ユウヤは自分の不甲斐なさを洗い流そうと奮起するが、機体はその意志に逆らうような挙動を乗り手に返した。
ここ数日、経験していたことだった。
吹雪は通常の移動途中には何の変哲もない機体だが、激しい動作を必要とする戦闘機動に入った途端に、神経質かつ特殊すぎる機体に早変わりする。
少なくともユウヤはそう信じていた。一切に疑うことを知らない。
日本人は"そういうもの"であり、"こんな"機体を作る人間ばかりである。そう心から信じているユウヤは、叫んだ。
『く、っそがぁあっ!!』
何をするのも、ワンテンポ遅れる。他の隊員の動きに自分だけがついていけない。初めての経験に、ユウヤは悔しさのあまり目眩がした。
それでも自失には陥らず、扱いづらい機体を引きずりながらもBETAの猛攻を回避し、反撃を繰り返す。
タリサ達と比べれば遅すぎるペースであったが、交差する度に一体、また一体と機体に傷をつけながらも確実に仕留めていく。
そうして5分後には、ユウヤの機体はボロボロだった。
あくまで仮想上での事であるが、仮想のダメージにより、左腕部と右腰部に動作の制限が発生。
ユウヤは極限にまで達した苛立ちから、機体を強引に引っ張りまわした。
続けざまに要撃級の頭部を吹き飛ばす。その代償というべきか、機体の損傷が更に増した。
そこに、タリサの怒声が飛んだ。
『だからさあ! いい加減カタナを使えって言ってるんだよ!』
『っ………!』
吹雪の背部には近接兵装である長刀がマウントされている。BETAにこうまで接近させられている現状では、戦術的に有用な武器と言えた。
だが、ユウヤは短刀しか使用したことがなく、長刀の使用経験はなかった。
あくまで射撃武器で仕留められなかった相手に近づかれた場合の、緊急用の兵装でしかないのだ。
よって、意識的にかつ無意識的にも長刀の存在を無視するかのような行動を取っていた。
『ユウヤ!』
タリサの声に、ユウヤは踏ん切りを付けた。半ば自棄になった上で、長刀を抜き放つ。
そのまま損傷の多くバランスの悪い状態で、敵目掛けて突っ込んでいった。
「くそっ!」
合同テストが散々な結果に終わって、ハンガーに戻ったユウヤは地面に降り立つと盛大に舌打ちをした。
身体が鉛のように重くこのままへたり込みたい衝動に駆られたが、それよりも内心で激しく燃え盛っているものがあった。
「おつかれさん、ユウヤ――――見てたぜ」
「………ヴィンセント」
ユウヤは複雑な表情を見せる相棒に、顔向けが出来ないと視線を逸らした。
横にずれた視線の先にはハンガーの扉が。そこからこちらに向かってくる人影があった。
ユウヤは内心で何度目か分からないほどの舌打ちを重ねたが表には出さず、夕陽を背に歩いてくる相手に敬礼をした。
ユウヤにとっては今この時に最も会いたくない人物――――篁唯依は形だけの敬礼を返すと、ユウヤを睨みつけた。
「少尉。私が何が言いたいのか、分かるな」
「………ええ」
合同テストは西側の大敗に終わった。それだけではなく、西側のスコアは東側のそれに遠く及ばなかったのだ。その中でもソ連のSu-37UB率いるイーダル試験小隊の戦果は目覚ましいものが有ったという。
「これが初めての搭乗であれば、話は違った。他国の初めて乗る機体だ、その挙動に戸惑うことはあるだろう」
だが、貴様はここ数日の経験があった。唯依は語気と視線を強めて、告げた。
「あいも変わらず、機体特性を無視した上での独り善がりな操縦。その結果が、今回の合同テストの結果だ」
ユウヤ・ブリッジス少尉が足を引っ張った結果、西側は大敗したのだ。
そう言われても反論が出来ないほどに、今日のユウヤの出来は悪かった。
それは彼が指揮する部隊にまで波及する。タリサ達は個人では活躍するも、ユウヤのフォローに手を割かれて思うような戦果を出すことができなかった。
「言わせてもらいますがね、中尉。あの吹雪を使えば、誰だってああなります。米軍機であれば問題なく行えてきた機動も、アレじゃあね」
「………ほう。続けてみろ、少尉」
一拍だけ置いて先を促した唯依に、ユウヤは吹雪の欠点を並べていった。
主機出力の不足が、機体特性と致命的な齟齬を発生させている。咄嗟の実戦機動に対するレスポンスも悪く、とても使えるようなものではない。
その上でF-22Aの運用試験を行った立場から、吹雪は偽物の第三世代機であり、今回の計画で改修を行う不知火も程度が知れていると扱き下ろした。
「成程。貴様は、自分のせいではないと言いたいのか。機体が悪いから、あのような無様な機動を見せたと」
「ぐっ………!」
ユウヤは歯噛みした。機体のせいにするのは、衛士としては二流の行いだ。
だが、実際に操縦した経験から機体の性能を見極めるのは重要な役割でもある。ユウヤはそうした信条を元に、決して嘘は言っていなかった。
「でも、だからって………あんな機体を前線に送り出すのが問題だって言ってるんです! 衛士の命を軽んじ過ぎている!」
「もう既に前線で配備されている。吹雪は練習機ではあるが、実戦も可能な機体だからな。だが帝国の衛士達は吹雪を使いこなしている。実際に、あの機体に乗って死の八分を乗り越えた者もいるぞ?」
「はっ、そんなもの信じられませんね。実際にこの目で見ない限りは」
「――――己の未熟さを信じたくないからか」
「なっ!?」
唯依の直球すぎる物言いにユウヤは怒気を膨らませた。
対する唯依はそれ以上に怒り、声を荒らげた。
「はっきり言ってやろう。貴様は、帝国の新兵にも劣る未熟者だ!」
「こ、の………言わせておけば………っ!」
ユウヤは日本人の口から、それも目の前の女と同じ日本人の新兵以下の技量しか持っていないと断じられて頭に血を上らせた。
抑えきれない怒りが全身を暴れまわるのを感じ、拳を振り上げたい衝動に駆られた。
だが、相手は上官である。軋む程に拳を握りしめたユウヤは、歯をきつく噛みしめることで怒りに耐えた。
その沈黙を肯定と取った唯依は、更にユウヤに言葉を浴びせた。
先日のCASE47の対人演習など、状況が人間側で"設定"された、所詮はお遊びにすぎないもの。
BETAは人類の想像を越えて来る存在であり、それに立ち向かう衛士はある程度の戦闘条件のお膳立てがされている開発衛士とは全く違う。
死を覚悟しなければ容易く飲み込まれてしまう存在であると。
「機体のせいだと!? 我々の先達はそのような泣き言が届かない地獄で、第一世代機という性能の劣る機体で、それでも何とかしようと足掻いてきた! それがあるからこそ、こうして後方で遊びのような演習を行うことが許されているんだ!」
「遊びだと………テストパイロットが死なねえとでも思ってんのか!?」
高性能な新鋭機と言えば聞こえは良いが、開発されたばかりで様々な試験が行われていない戦術機など爆弾に等しいのだ。
ふとした事で我が身を守る炭素の鎧が高価な棺桶に変わることだってある。
それを遊びだと言われた所で、ユウヤの我慢は限界に達した。
対する唯依も先日より溜まりに溜まった不満や怒りを抑えきれなくなっていた。
ついに互いにとって決別の、計画にとって致命的な言葉を吐こうと息を吸い――――そこで声と一つの大きな拍手の音が割り込んだ。
二人をすんでの所で止めた声の主、ヴィンセント・ローウェルは作り笑いをしながら話しかけた。
「はい! お二人の言い分はよ~く分かりました、でも………」
ちら、と周囲を見る。そこにはタリサ達衛士や、整備兵の目があった。
場所は選びましょうね、とヴィンセントが視線だけで唯依にアドバイスの意図を飛ばした。
「続きは、テストに参加した全員で! そのためにデブリーフィングがあるんですから、ね? それにそろそろテストで疲れちゃった機体の整備を始めたいかなーなんて」
「ええ。それに、篁中尉には機体の事で話があります」
このままではまずいと動くヴィセントに、ちょうど近くに居た神代曹長が助け舟を出した。
唯依に視線を送り、何とか落ち着くようにジェスチャーをする。
唯依はそこでようやくはっと我に返り、周囲の目に晒されていることに気づいた。
ユウヤも同じタイミングで気付き、気まずげに視線を逸らした。
「………皆、邪魔をして済まなかった」
唯依は謝罪の意を示すと、9割方落ちている夕陽のある方向へと去っていった。
ユウヤはその背中を見送った後、ヴィンセントに向き直った。
「悪い、ヴィンセント」
「いいって。それよりデブリーフィングだろ?」
行ってこいよ、というヴィンセント。ユウヤはもう一度謝ると、ロッカーのある方向へと去っていった。
残ったのは去った二人以外のほぼ全員だ。
その中で、一際大きなため息がヴィンセントの口から吐かれた。
「はあ~………なんでこうなるのかね」
「お前さんはよくやったよ。立場的に俺らは入れなかったからな………いや、本当にお疲れさん」
ヴァレリオがヴィンセントの肩を叩いた。ステラも同意し、今度一杯おごるわよ、と慰めに入る。
タリサは去っていった唯依を見ながら、少し腹を立てているようだった。
「遊び、とは言ってくれるね。まあ、本心じゃないんだろうけど」
売り言葉に買い言葉だったのはタリサも理解していた。
だが実際にそのような理屈で納得できるか、と言われれば別の話である。
タリサはカチンときた、と不機嫌な顔をして、そこを乾三がフォローに入った。
「私から謝る事は出来ませんが………実際、複雑な心境でしょうからね。篁中尉にとっての米国とは」
一方的な条約破棄からの本州撤退や、明星作戦の事は日本人の中では風化されていない生々しい現実である。
だが失ったものが大きい事からとはいっても、それが計画をご破算にしていいと等号で繋がることはない。
乾三の言葉に、タリサは厳しいな~と言う。
「G弾に散らされた鶴の機体、か。そりゃ思う所があるって話だね」
「………少尉はご存知なのですか?」
「戦術機開発の教師役から聞いたことがあってさ。白銀影行って人」
だから篁にそのことで話をしようかって、前のブリーフィングの後に待ってたんだけどさ、と複雑な表情を見せた。
そこに、声が入った。
「――――"勝ち目ないから帰ります。こちらの都合で戻ってきました。超強い爆弾に巻き込んだけど、これなかったらどうせみんな死んでたんだろ? いや~でも一応謝るわめんごめんご"じゃあ、納得できませんよね」
それだけならばともかく、ああまで戦術機のことを虚仮にされて抑えきれる方がおかしい。
そう言ったのは金髪にサングラスをかけた男だった。突然会話に割り込んできた男に、タリサが驚いた。
「………あんた、だれ?」
「小碓四郎。階級は軍曹であります、少尉殿!」
「おうす、って変な名前だな」
「はは、直球ですね少尉殿。それよりも………ブリッジス少尉の日本嫌いは筋金入りのようですね」
「あー………やっぱ分かる? いや、すまんとしか言いようがないよ」
「いやいやヴィンセント軍曹を責めている訳ではなく! むしろ絶好のタイミングで光線級吶喊染みた言い合いに立ち向かいました英雄殿ですよ!」
勲章ものですよ実際、と慰める武にヴィンセントは笑顔を見せたが、その表情には疲労が蓄積されていた。
いずれも一角の衛士である二人の言い合いに割って入るのは相当に勇気がいる行為だったのだろう。
そして内心では迷いが見えた。武は、ヴィンセントがユウヤに対して何か言うべきだと思っているのだと感じた。
先ほど乾三は過去にどのような事情を抱えていたとしても、個人の感情で計画を振り回してはいけないと言った。
それはユウヤにも当てはまることだった。その事実を指摘しないという選択肢はない。周囲が見えている彼にとっては、この事態が最悪の一歩手前にあることに気づいているはずだからだ。
武はそうした期待もこめて、ヴィンセントを励ました。このままでは彼の禿が増してしまうと。
「ありがとよ。でも、なあ………」
「ええ………」
武とヴィンセントは互いに去っていった二人を見送りながら、後ろに居る日本人の整備兵達を見て。
この先どうなることやら、と内心で焦りを隠し切れないでいた。
「………リルフォートにでも行くか」
「おごりますよ、軍曹」
「ああ、敬語はいらねえよ。かたっ苦しいからな」
ヴィンセントは武に笑顔で答えた。その後、ヴィンセントはデブリーフィングを終えたステラやヴァレリオ、タリサを誘ってリルフォートに繰り出すのを提案した。残念会でもしようぜ、との言葉に全員が頷く。
だが、ユウヤはそんな気分ではないと断り、唯依は自分が居ると空気が悪くなるだろうと辞退した。
関係修復のとっかかりも掴めないまま残念会が行われたその翌日。アルゴス試験小隊の元に一報が届いた。
――――ユウヤ・ブリッジスが国連軍の