Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
「ほらほら、どうしたトップガンっ!」
タリサ・マナンダルが駆るF-15ACTVが吠えた。狙い定められた突撃砲より撃ち出された36mmの弾が大気を切り裂いた。
ユウヤ・ブリッジスはそれを回避しながら、内心で舌打ちをする。
(くそっ、やりやがる!)
回避に専念しているため直撃は一度も受けていないが、危うい場面は幾度と無くあった。
先に相手を発見し、仕掛けてくる位置を推測した上でのファーストアタックは上手くいった。だがユウヤは一連の攻防で一瞬だけ虚をつかれ、その僅かな隙に上を取られてからは、守勢に回ることしかできなくなっていた。
仕切り直しをするために牽制で何度か36mm弾をばら撒くも、推力で上回るF-15ACTVは素早く的確な機動でもって強引に突破を仕掛け続けてくる。
(他人の機体だ、ラグは絶対にあるはず………それをものともしねえってのか!?)
タリサが乗っている機体は、元はドーゥル中尉の機体だ。
準備の時間は数時間、その程度で完璧な調整を行える者がヴィンセント以外に居るとも思えなかったし、機体特有の癖などは何度か操縦してみないと分からないのが普通。
(実際に、その"ズレ"によるラグは出ているのは間違いない。でも、それをカバーできるほどの………!)
注視すれば、ぎこちなさがあるのは窺える。だがそれを上回るぐらいに、衛士であるタリサの反応が早いのだ。
ユウヤは戦う前までに、この短時間で話したタリサの性格を分析していた。
命令違反をする程に勝気で、感情的な。開発衛士の例に漏れず、負けず嫌いで自信家であると。
だからこそ回避に専念して、相手を焦らせる方法を取った。相手にとって想定外の事態を引き起こすことで、判断力を削ぎ落とさせる作戦に。
機体と衛士のフィッティングは完全ではない。あるいはその隙を突ければ、機体性能で劣る自分のF-15Eでもやれる筈だと思っていた。
「どうしたぁ、こんなもんかエリートさんよ!」
「言ってろ、猫野郎!」
「誰が野郎だっ!」
オープン回線での会話はルール違反であると。ユウヤは最初こそ毒づいていたものの、今はそれを責める余裕さえ無くなっていた。ネコのように機敏に、獣染みた反射神経、そして。
「そこだァっ!!」
「っ!?」
跳躍ユニットを全開にして一気に間合いをつめたタリサが、短刀を煌めかせる。
虚をつかれたユウヤは、無意識に姿勢をわざと崩した。
「なっ?!」
タリサは標的が視界から突然消えたことに驚き、一瞬だけ思考を硬直させられた。ユウヤはその一瞬の間隙を縫うようにして、体勢を立て直す。
追撃はこないと、狙っての回避機動である。後詰がいたら、体勢を立てなおしている内に撃たれただろうが、それは来ない。
ユウヤは聞いていた。タリサ・マナンダルは最初に言ったのだ。VG――――ヴァレリオは手をだすな、アタシ1人でやると。
だからこそユウヤは1人で受けて立った。回避に専念、判断力を削いで誘い込み、ステラからの狙撃で勝負を決める。
あるいは自分の手で片を付けようと。だがここに来てその判断が間違ったものであることを悟った。
ユウヤは、侮っていた事を悔いる。目の前の衛士の技量は自分が思っていた以上に高い。この機体性能差でやり込めるのは非常に困難な相手であり、間違えなくても油断をすれば落とされる程の腕を持っていると。
このまま、誘導しきれるか。ユウヤは過った不安を断ち切るように叫んだ。
「やれるかじゃねえ――――やってやるさ!」
「………負けもやむなしの条件と思っていましたが、なかなかどうして」
管制室、CPオフィサーの後ろでイブラヒム・ドーゥルが呟いた。
言葉の先は、隣に居る人物にだ。イブラヒムのように筋肉質ではない、青い服を纏った一般的な体格をもつ白人の男。
彼は、困ったように笑った。
「複雑な心境ですよ。F-15ACTVの開発者としてはね」
そう言いながらも表情からは笑みが消えていない。ボーニングの技術顧問である、男――――フランク・ハイネマンは隣に居る女性に尋ねた。
「どうかな、篁中尉。XFJ計画の開発衛士である、ユウヤ・ブリッジスの技量は」
「………見事な腕前です」
国連軍の黒いBDUを身に纏う、長い黒髪を持つ女性衛士――――篁唯依は映像を見ながら答えた。
体勢を立て直したF-15Eは見事な機動でビル群を駆けまわり、それをF-15ACTVが追っていく。
機体性能差がある相手に、こうまで立ちまわることが出来る。困難に慣れている者、そして操縦の基礎を高めている者でなければ不可能な事だ。
(正直、想像以上だ。悪ければ、技量の低い衛士をよこされると危ぶんでいたのだが………)
技量にケチをつける所はなし。衛士としての姿勢も同じくだ。
唯依も、ユウヤの狙いは読めていた。追い込まれているのは確かだろうが、それでもまだ諦めてはいない。
機動を見れば、その衛士の気概が死んでいるかどうかは、唯依でも分かることだ。
その言葉の通り、ユウヤは追い込まれるままに誘い込んだ閉所にタリサがやって来た途端、煙幕弾を一斉に撃った。
豪快な使い方で、辺り一面は真っ白に染まっている。中に居る二人の視界も、完全に塞がれているだろう。
だが、その時だった。タリサのF-15ACTVはそれでも怯まずに前へと進む。
そこで、同じく前へと進路を取ったユウヤの機体と衝突した。F-15ACTVはよろめき、F-15Eが尻もちをつく。
タリサの、F-15ACTVの手には短刀が。
その光景を見た管制室に居る人間の感想は2種類だった。
新人CPオフィサーやハイネマンは、ユウヤの敗北を悟り。戦術機の戦闘を知る者は、息を呑んだ。
アクシデントはあったが、タリサの機体は動きが止まっているのは事実。
そして、場所は狙撃しやすいL字路。これ以上無いという程の、絶好の狙撃ポイントだ。
(―――な)
絶好の、だからこそと理由をつけるべきだろうか。唯依は想像を越えた光景に、目を丸くした。
短刀を片手に踏み込もうとしたF-15ACTVだが、まるで危機を知った猫のように、弾かれるように背後へ飛んだのだ。
直後、狙撃のペイント弾がタリサの居たポイントを黄色で汚していく。
無理な体勢で回避するF-15ACTV、それを追うようにステラ機が狙撃を重ねたが、その尽くが空を切った。
時間にして数秒。それは体勢を立て直し、突撃砲で狙いを定めるには十分な猶予であり。
それを視認したのだろうF-15ACTVが、突撃砲を構え。
発砲音の後。互いのコックピットの中心部は相手のペイント弾の色に染められていた。
「――――相討ち、か」
歓迎の模擬戦が引き分けに終わった後。ユウヤ達アルゴス中隊が乗る4機の戦術機は、ユーコンの上空を飛んでいた。
XFJ計画で改修が施される不知火が届くまでの繋ぎであり、親睦を深める意味での。その訓練の中で、4人は任務を果たすための言葉を交わしていた。
「あーもー、まさかあそこでああ来るとはなー」
「誘い込まれてることを読めなかったお前の落ち度だ。まあ、俺も予想してなかったけどな。まさか初対面のステラにバックアップを全部任せるなんてよ」
初対面の相手に任せるなんて度胸あるねー、とヴァレリオが笑う。
「………勝つために必要だったからな。お前も同じだろ、マカロニ」
「マカロニ………って俺の事かぁトップガン?」
「言われたくなきゃ名前で呼べっての。陸軍出身って言っただろ、トップガンは海軍の呼称だっての」
模擬戦の内容も、トップガンとは程遠い結果だったと、ユウヤは先ほどの勝負を思い出し、内心で舌打ちをした。
本当は自分の手で決めるつもりだった、とは言わない。言えないからだ。
予定は未定であり、どんな作戦を取ろうと実が伴わなければ言い訳にしかならない。
「そう謙遜すんなって。引き寄せて囮になって~って、言うのは簡単だけどよ。ていうかてっきり誰かさんみたいにサシで決着つける派だと思ってたわ」
「そうかしら。アメリカ軍は数の優位を重視する作戦をとるから、むしろユウヤにとってはセオリー通りの戦術だと思うわ」
「へ~、チームワーク優先ってか。どこかの誰かさんに聞かせてやりたい言葉だなぁ、タリサ」
「言ってんじゃんか! っつーかアタシが言ったのはユウヤに手を出すなって意味で、ステラに手出しすんなとは言ってねーだろ!」
「へっ。俺ぁ、ステラに手を出す時は浮ついた気持ちじゃいけねえって、そう思ってんのさ」
「意味違うだろ! 茹でられろこのパスタ野郎!」
「あんだとぉ!? てめえこそあんだけ機体に性能差あんのに、最後までトップガンを仕留められなかっただろうが!」
イタリア馬鹿にしてんのか、とぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を、ステラが微笑みと共に見守り。
最後の1人は、無表情のままじっと黙りこんでいた。それを察したステラが静かに話しかける。
「あら………勝てなかったのが、そんなに悔しい?」
「当たり前だろ。やるからには勝つつもりだって言ってただろうが」
ユウヤはステラの言葉に噛み付くように答えた。やるからには勝つ、それが衛士だと思う―――というのは、模擬戦前のステラ本人の言葉だ。
同じく、余裕をみせつけて勝利するつもりだった。だが、蓋を開けてみれば劣勢の上での引き分けだ。
それどころか、狙撃でタリサが体勢を崩す以前の、一対一での格闘戦では終始追い込まれていたように思えた。
最後の撃ち合いでも同時。ユウヤにとっては、不本意極まりない結果だと言えた。
「タリサを相手にしてあそこまで張り合えたんだから、誇っていいと思うけれどね」
「勝てなくて喜ぶような負け犬根性は持ってねえよ。って、あいつの腕はそれほどのモンなのか?」
「見たとおりよ。少なくとも私じゃね。一対一の条件下で戦うような事態になるのは、御免ってとこかしら」
ユウヤはノータイムで答えるステラに、タリサに対しての信頼を見た。
(国連軍か………米国以上に多種多様な人間が集まる軍隊。もっとバラバラだと思っていたけどな)
あるいは、腕の良し悪しで判断されるのか。
「アンタもやるけどね~。位置取りとか、俯瞰的な戦術的判断力とか」
ぶすっとした声でタリサ。ユウヤはそれに、はっと鼻で笑って言い返した。
「それでも自分よりは劣るって言いたいんだろ?」
「まーね。とはいっても、先の勝負はアタシの負けだ。あんだけの機体の性能に差があったのに、最後まで仕留められなかったし」
「へっ、お前のおこぼれでの勝利なんざ要らねーよ。それでも勝つつもりだったんだよ、俺は」
舐めてかかれる相手じゃなかったとは、意地でも口にせず。
タリサはそれを聞いて、え、アタシってどんだけ舐められてんの、と予想外過ぎるユウヤの言葉に目をぱちくりさせた。
「まあまあ………っと。ん、小型飛翔体、誘導弾? ――――じゃねえか、これは」
「マカロニ?」
「だからマカロニじゃねーって」
ヴァレリオはレーダーの反応を確認すると、タリサに告げた。
「おー、タリサ。どうやらお友達がお迎えに来たみたいだぜ」
直後に通信が入ってきた。内容は、中隊が居る近辺でソ連の戦術機が演習を行っているというものだった。
「誰が友達だ………あんな奴らと」
チェルミナートル スカーレット・ツイン
「あの Su-37UBに 『紅の姉妹』 が乗っているとは限らないでしょ」
「………チェルミナートル、スカーレットツイン?」
聞いたことのない名称に、ユウヤが疑問を抱く。
「チェルミナートルはSu-37、スカーレット・ツインはそれに乗ってる、タリサと揉め事を起こした衛士のことだ」
「チェルミナートル、ね」
ユウヤは目を閉じて皮肉げに笑った。英語でいうターミネーター、"終結させるもの"とは、イーグルの未来でも根絶するつもりかと。
どちらにせよ、このタリサよりも上手の衛士かもしれない。
そう考えたユウヤは、期待感に胸を躍らせた。
ツインというからには複座型の機体だろう。射手と機動で分かれる構成になる複座型は、はまれば相当に強いと聞いている。
(井の中の蛙になったつもりはねえが………舐めるのはもうなしだ)
ユウヤはほくそ笑んでいた。彼我の力量差はともかく、歯ごたえのある相手が居るのは有難い。
こんな田舎に飛ばされた甲斐があると、意味を見出したような気がしていたのだ。
そうした事を考えている時に、ステラが変ね、と言う。
このままだと、先ほどの小型飛翔体が演習エリアの外に出てしまうという。あれは標的機で、本来であれば演習の際に全て撃ち落とされるべきものだ。
「確かに、変だな。まさかタリサの体当たりが効いたか?」
「言ってろ、VG。いいからほっとこうぜ、万が一の時にはあっちで何とかするだろ」
不貞腐れるタリサを置いて、ヴァレリオは資料を取るためのカメラを用意しはじめた。
貴重な記録が取れるかもしれない、と判断してのことだ。CPのイブラヒムに、該当空域には絶対に進入しないという条件で許可をもらう。
あっさりと許可が下りたことに、ユウヤはへえ、と頷いた。
(それだけあの機体の重要度が高いってことか。確かに、あの凄みを見れば分かるぜ)
そして、目の前の光景を見てもだ。Su-37は見事な動きで、不規則な動きをするドローンを一発も外さずに撃墜させていく。
ヴァレリオが感嘆の声を零し、ユウヤもそれに同意した。
(でも………あれはBETAの動きじゃないよな)
ユウヤはBETAと実際に矛を交えたことはない。だがドローンの動きを見るに、これがBETAがするような機動ではないことに気づき、同時に不思議に思った。ソ連も欧州や日本と同様に、対BETAの戦争に専念している。
アメリカに領土を租借しているような現状、対人類の戦争などにかまけている余裕は無いはずだ。
加えて言えば、今のあの機体には昨日のような凄みがない。ヴァレリオの反応を見るに、いつもの卓越した技量でもってドローンを潰しまわっているようだが、それでもだ。
(おっ、一機だけ逃しそうに………なら!)
ユウヤは機体を前に。そして突撃砲で、ドローンに狙いをつけた。
挑発の意味もかねて、ドローンを破壊しようというのだ。
(昨日の凄み、なんだったのか………っ!?)
演習場から出て行こうとするドローンに狙いを定めて引き金を引く、その直前だった。
Su-37がタリサの方と、自分を見たような感覚。その手には既に突撃砲が構えられていた。
一瞬のこと。だがユウヤはそこに、昨日と同じような言い知れぬ凄みを感じた。まるで全てを見透かされているような、飲み込まれるような奇妙な感覚。それが一体何なのかは不明だった。あるいは錯覚であるかもしれない。
だが――――錯覚ではないと。
Su-37は見せつけるように"自分と全く同じタイミングで”超長距離射撃を成功させた。
2つの弾を受けた小さなドローンは跡形もなく爆散した。
―――その日の夜。任務を終えたユウヤ達4人は、歓楽街であるリルフォートに繰り出していた。
「ようこそ、アラスカへ~」
「お、おう」
ユウヤは明るい声で歓迎の言葉を吐くタリサに驚いていた。
ぽろっと零してしまった本音――――最初は舐めていたこと――――を聞いてからはずっと怒っていたのに、今はそんな事を微塵も感じさせないような表情をしている。
その後の会話に関してもだ。ユウヤは当たりが柔らかくなった口調のタリサに戸惑い、それを察したヴァレリオがフォローを入れた。
「いつまでも腐ってねえのがこいつの良いところでな。長い間、怒りを持続させられない鳥頭と言ってもいいけど」
「誰が馬鹿だ、聞こえてんぞマカロニ!」
「だ~か~ら~! マカロニ言うなっつってんだろうが!」
ユウヤはまた喧嘩をする二人を見ながら、呆れた顔を見せる。
ステラはフォローするように言った。
「素直じゃないのはともかく、嫌な気持ちを引きずらないのは本当よ。部隊のムードメーカーね」
また喧嘩をする二人を見ながら、ステラはぽつりと呟いた。
例外はあるけど、と。
「ソ連の奴らか………そういえばタリサ」
「あン? なんだよ命令違反君」
ソ連の演習の邪魔をしたとして、ユウヤはイブラヒムより厳重な注意を受けていた。
とはいえ大声で怒鳴られるだけの、実際の処罰など無い軽いものだったのだが。
「お前、あの時あいつらを挑発したんだろ? さっきも、かなりお前を気にしているようだったが、一体なんて言ったんだよ」
挑発に乗ったのか、乗ってこなかったのか。ユウヤは先の一件でははっきりと分からなかったため、タリサがなんと言って相手をその気にさせたのかを知りたがっていた。
「あー………まあ、売り言葉に買い言葉ってやつだ。いちいち覚えてねーよ」
タリサが不機嫌そうに答える。ユウヤはそれを見て、嘘だなと思った。本当は覚えているが、話したくないようだけのようだと。
ユウヤは更に追求しようとする。空の上でも聞いたが、タリサは紅の姉妹相手に直接的には仕掛けてはいないと言った。
それが嘘で無いなら、あちら側から仕掛けてきたことになる。怒らせるか、それに近い何かをもたらす言葉があったはずだ。
あの狙撃は神業だった。ありえないが、もしかしたら着弾のタイミングさえ合わせたものかもしれないと思わせる程の凄みがあった。
だが、そんなユウヤの思いをよそに、タリサは腕でバッテンを作って叫ぶ。
「あーもう、飯が不味くなる話はやめやめ! あ、おーいナタリー!」
タリサは腕をぶんぶんと手を振って、ウエイトレスを呼んだ。
ナタリーと呼ばれた彼女は、笑顔でユウヤ達のテーブルへと近づいてくる。
「あら、新顔さん?」
「そうそう。アメリカから来たってよ」
「開発衛士のトップエリートさんらしいぜ~」
ヴァレリオとタリサが親しげに話しかける。ユウヤは顔見知りなのか、とその女性を見る。
名前をナタリー・デュクレールという彼女はフランス人で、元はカナダに逃げてきたフランスの難民だったという。
「まさか、こんな所で働けるようになるとは思わなかったけどね」
明るく言う彼女に、ステラが付け足した。
「………ここに来たばかりの人は、戸惑うことが多くてね」
「そうそう。アタシも最初に来た時にはびっくりしたんだ~」
一応は、人類の貴重な戦力を整えるという役割においては最前線と言える場所である。
だがBETAの領域の境目に接している基地とは比べ物にならないぐらいに、この基地の空気は緩いのだ。
「贅沢だ、って後ろめたい気持ちになる人が多くてね」
「まあ………でも、昨日に食べたあれは合成食料だったよな」
「やっぱり天然の食料は高いもの。大勢の人員が集まるとどうしても、ね。士官専用の食堂はそうでもないらしいけど」
「今日はその天然ものが入ってるわよ?」
そろそろ注文いいかしら、とナタリーが言う。
ステラは、ごめんなさいと言いながらも、その天然モノの食材、サーロインステーキを4人分注文した。
「おまっ、大丈夫なのかよステラ!」
「はー、豪快だねえ。いや~太っ腹だ、ごちそうさん」
「あら、私の心配は不要よ。支払いは今日の敗者がする、って言ってたじゃない」
うふふ、と笑う。だが、模擬戦の結果は引き分けに終わったはずだ。ユウヤが不思議に思っているが、ステラはタリサを方を見た。
「自分で負けたー、って言ってたわよね? ………うそうそ、冗談だからそんな顔しないの。歓迎会なんだし、3人で割り勘にしましょうよ」
「あー、ならさんせー」
「とほほ、今月は厳しいのに」
明るい声を出すタリサに、情けない声を出しながらも反対をしないヴァレリオ。
ユウヤは戸惑っていたが、どうにも反論が出来る空気ではないので、ありがたく歓迎されることにした。
「悪いな、お前ら」
「言いっこなしだって。でも、あー、そういえばユウヤさー。ヴィンセントに聞いたけど、さっき日本側の開発主任に会ってきたんだろ?」
タリサの質問に、今度はユウヤが不機嫌な表情になった。
そのあからさまな反応に、ステラを含む3人が不思議な表情を浮かべた。
「なんだよ。ひょっとして、早々になんかやらかしたのか」
「いや………何でもねえよ。挨拶だけで、何もなかったさ」
それよりも模擬戦の事を話そうぜ、と。ユウヤの提案に3人は逆らわず、別の話題へと移っていった。
「っくしゅん」
口を手で押さえて、カワイイくしゃみの音。それを発した唯依に対し、隣にいる小さなCPオフィサーが心配そうに話しかけた。
「大丈夫ですか、篁中尉」
「あ、ああ。問題ない、テオドラキス伍長」
篁唯依は目の前のCPオフィサー達を見た。
小柄な体躯のギリシャ人、フェーベ・テオドラキス伍長。
長身ではあるがCPオフィサーに成り立ての新人であるスペイン人、リダ・カナレス伍長。
褐色の肌に凛とした印象を思わせる眼鏡をしているインド人、ニイラム・ラワヌナンド軍曹。
いずれもアルゴスの先を導く役目を任じられている若きCPオフィサーだ。
唯依はプロミネンス計画の責任者であるクラウス・ハルトウィック大佐と、今回のXFJ計画のキーマンとなるフランク・ハイネマン、開発衛士を受け持つ日系人の少尉、ユウヤ・ブリッジスと面通しを済ませた後、自室に戻る途中の廊下で3人に声をかけられたのだが。
(とはいっても、後からこちらを窺っていたリダに声をかけただけなのだが)
本当はテオドラキス伍長が話をしたがっていたとのこと。唯依は内容をたずねたが、どうやらフェーベは日本の文化に興味があるということだった。
事前の勉強はしているようで、日本の戦術機の名前を。不知火や吹雪といった言葉の由来を知っていた。
興味をもったのは、長い歴史と独自の文化を持つ国に興味があるからとのことだ。
それをフォローするかのように、ラワヌナンド軍曹が告げた。
語るべき故郷を大陸規模で失った、欧州出身であるテオドラキス伍長たちは、止められぬものの代名詞になりつつあるBETAの侵攻を跳ね返した日本という国を、特別に思っていると。
(それをいうのであれば大東亜連合も同じだと思うのだが………)
ラワヌナンド軍曹は、当時の攻略部隊の隊長、副隊長であった二人と同じ出身地である。
だが、彼女達にとってはフェイズ1のハイヴを攻略した大東亜連合より、フェイズ4相当のハイヴを攻略した日本に期待を持っているらしい。
欧州のハイヴはボパール以前に建設されていて、時間が経過しているせいで規模が軒並み高くなっている。
そしてフェイズの攻略難度は規模が1段階上がるごとに二乗倍されていく。それらを考えれば、日本に期待するのは分かる話だと言えた。
(………G弾があってこその勝利だったのだがな)
それこそが帝国の遺恨として残っているのだ。だが唯依は苦々しい思いを表情に出すこと無く、ただ期待されている事実を受け止めた。
一刻も早く、不知火の改修を終えなければならない。
そう思う唯依の前で、話題は開発衛士たるユウヤ・ブリッジスに移っていく。
「中尉は、ブリッジス少尉の事をどう思いますか?」
「そう、だな………」
唯依は先ほどの戦闘を思い出していった。
「………米国屈指のテスト・パイロットというのは誇張では無さそうだな。優秀な衛士だ」
操縦も米軍らしく大胆だが、大雑把なだけではない。一つのターンを見るだけで、あれが計算され尽くした機動だと分かる。
本能よりは半ば以上に理論で機動を決定するタイプ。開発をする側としては、有難い衛士だと言えた。
「やっぱり、凄かったですよねー」
「ええ。マナンダル少尉の機動に、あれだけ食い下がるとは計算外でした」
「計算外………軍曹はマナンダル少尉と同じ、大東亜連合からの転属だったな。彼女は、連合の戦術機甲部隊でも有名な存在なのか?」
「一部の衛士が知っているだけですが、有名だと聞きました。グルカの戦士ですからね。近接格闘戦では連合でもトップクラスであるという噂を聞いた覚えがあります」
「…………グルカ、か」
唯依は何かを思い出しそうになった。だが、どうしてか浮かべた光景にモヤがかかっているようになって、思い出すことができなかった。
(グルカ、優秀な衛士………何故引っかかる? いや、それよりも)
タリサの腕は見事なものだと言えた。特に近接格闘における機動や短刀の"キレ"は斯衛の猛者に勝るとも劣らない。
ユウヤ・ブリッジスも相当な技量を持っている。本人もそれを自覚しているだろうことは、唯依にも推測できた。
だが、確証がある。衛士としてのタリサ・マナンダルには瞠目すべき点があり、ユウヤでは勝てない部分があるのだ。
それは、反射神経だ。
唯依は先ほどの模擬戦を思い出し、分析をした。確かに大した衛士ではあるが、長刀の扱いや突撃砲の命中精度などを含めれば、総合力で負けているとは思わない。だが、とにかくタリサの機動は素早く鋭かった。判断の潔さもあるのだろうが、思考より行動に移るテンポが常人より2テンポは早い。動物じみた反射神経を指し、猫と称されていたが、頷ける話だった。
武御雷を用いれば勝つことは可能だろうが、何割かの可能性で負けることもあり得る。
(今は敵ではない、か)
大東亜連合自体が帝国の味方だと言えた。国家に真なる友人は居ないというが、それでも常識的な範囲内で無意味に同盟国を裏切るような事をする国もまた存在しない。
その意味で、頼もしい存在であると断言できた。インド以東のアジア圏、東南アジアを含む連合の力は非常に大きくなっている。
根底に核とG弾を使わない条件でハイヴ攻略を成し遂げたという、輝かしすぎる戦績があるからだ。
マンダレー・ハイヴを攻略した後にBETAが東南アジア方面への侵攻を緩めたことも関係している。
BETAを退けた地、侵攻の弱まった比較的安全な地域が今の東南アジア地域だ。その中でも特にシンガポールやベトナムでは世界でも注目の集まる場所となっていた。
何より資源が豊富で、人も豊富な土地である。亜大陸撤退戦以降の防衛戦において、現在の連合の軍の中核を担っているアルシンハ・シェーカル元帥は見事な指揮を取って難民を守り続けた。
全てを救えた訳では決して無いが、それでも多くの人間が避難に成功した。
直後の食糧問題にも手を打っている。そして難民救済の案として、日本の大企業の工場を呼び込んで就業者数を増加させた。無職の人間を減らすことで、治安の改善も成功させているらしい。
周辺諸国の上層部とも、WIN―WINな関係を築いているという。商売のやり方と筋の通し方を知っている元帥として認められ、造反者も今のところは出ていないらしい。
連合成立直後は最悪であった国連軍との関係改善も進めているとのことだ。
(根にあるのは、"マンダレーの奇跡"だが)
マンダレー・ハイヴを攻略できたのは元帥の判断によるものが大きいとされていた。
撤退を踏みとどまったこと、そのすぐ後に極まった拙速による電撃作戦を敢行したこと。
博打のようなものであったが、終わってみれば最善かつ最良な結果でBETAを退けることができたのだ。
連合内部の人材も育ってきているという情報も入ってきている。あの教本の存在もあるからだろう、かの連合の精鋭部隊は斯衛の衛士達にも劣らないらしい。それらを考えると、タリサ・マナンダル少尉はむしろ味方であり、頼もしい人材と言えた。その他の2名もレベルが高く、開発衛士としては申し分ない力量を持っている。そんな風に1人で納得する唯依に、ラワヌナンド軍曹が声をかけた。
「えっと、篁中尉?」
「あ、いやすまない。この計画に参集してくれている、多くの優秀なスタッフの事を考えていてな」
誤魔化すように小さく笑う。だが、それは唯依の本心からの言葉だった。
(………ブリッジス少尉のあの視線が気にはなったが。いや、気のせいかもしれん)
ここで弱気になっては、父様や叔父様に笑われる。
唯依は二人の顔を思い出しながら、明日から本格的にスタートとなる計画のため、より一層に気を引き締めることを誓った。
小碓四郎こと白銀武は、武御雷の整備班の班長である神代乾三と最後の打ち合わせをしようとしていた。前乗りで武達はユーコンに来ていたので、まだ山吹の武御雷とも、その持ち主である唯依とも会っていない。
テスト・パイロットやCPオフィサーへの面通しが終わった後、その後に武御雷の整備班と初顔合わせになる。神代率いる整備班は不知火・弐型の改修を担当する彼らとは全く別の班だ。この班は整備が難しく機密レベルの高い武御雷の担当かつ、他国の整備員との意見交換会を行うためにこの地に来ている。
(表向きは、な)
武は内心で呟いた。間違っても声には出さない。ここはもう、米国やソ連の領域である。
常に見張られていると思った方がいいのだ。米軍は国防に関しては手を抜かない。既に"仕込み”が済まされているのであれば、今は厳戒態勢であるのと同じだ。特に自分は怪しまれやすい格好をしているのだから。ふと、武は隣にいる整備班長から視線を感じた。
「………言いたいことは色々とありますが。篁中尉は貴方に気づかないのですか?」
「それは、はい。間違いなく」
武は乾三の疑問に、主語をぼかした物言いで答えた。彼が言いたいのは、この変装が篁唯依に見破られないか、ということだ。
対する武は、理由は言えませんけど、と苦笑だけを返す。
(今は"ずれ"ている。第一印象を誤認させれば、思い出さない)
金髪にサングラスという変装はそのためのものだった。
白銀武には目的がある。ここで自分が白銀武だと―――オルタネイティヴ4に深い関わりをもつ人物であると――――気づかれるようでは、諜報員からのマークが必要以上に厳しくなってしまう。軽い警戒を受けるのならばともかく、最上級の要注意人物であるとの疑念を抱かれるのは武にとっても本懐ではなかった。
確かに、潜入するのであればこの格好はNGだ。諜報員からのマークもきつくなる可能性があるのだから。
(それも望む所だ、ってな。まあ………リーゼントよりはマシだし)
金髪にサングラスは自分の提案であったが、最初はリーゼントの予定であった。
提案者は言わずもがな、横浜の魔女と呼ばれた彼女である。
武はいかにも尤もな理由を並べ立てられ、納得しそうになっていた自分を思い出し、冷や汗をかいた。
変装はこれだけで十分なのだ。世界間移動の弊害はあれど、それをプラスの方向に持っていくための処置であった。
(………全てを覚えている訳じゃないけど)
武は未来のことを知っていた。話した人間が居たからだ。他ならぬ、あちらの世界のユウヤ・ブリッジスに。
だが、人間の記憶には限界がある。全てを覚えているのはあり得ず、必ず話されていない、忘れている事があるはずなのだ。
聞いたことのある名前に関してもそうだった。
篁唯依。タリサ・マナンダル。崔亦菲。親交の浅い深いはあれど、それなりに言葉を交わした彼女達がこの時のユーコンに居るという。
未来を見据えれば、さあ必要なことがある。武はそのために動いていて、だからこそここに居る。
ユウヤに話を聞く以前にも、ユーコンでやることはあったのだ。約束以前の、元々の目的も持っている。だからこそその名前を聞いた時、驚きと共に焦りを覚えた。なにせ、あちらの世界には自分は居なかったのだ。
出会い、影響を及ぼした可能性は十分に考えられる。1998年以前にしでかした事もあるのだ。
マンダレー攻略やそれ以外のことあれこれは世界に多大なる変化を及ぼしたはずだ。間違いなく、自分の知っている通りの未来は訪れない。
(良い悪いも、知っていると胃が痛いな………どうなることやら)
さしあたっては開発のことだ。武は乾三を経由してあちらの整備班長と共に唯依へと提案してもらうつもりだった。
内容は弐型改修への第一歩となる、不知火・壱型丙の組み立て期間中に関することを。
武は父・影行より、ハイネマンの事は聞いていた。彼は他人の事など一切無視し、極めつけと言えるぐらいのマイペースで開発を進めるのだと。組み立ては予定より遅れるだろう。悪ければ週単位で遅延が発生するかもしれない。
その間を無駄にしないように第三世代機の練習機である吹雪にユウヤ・ブリッジスを乗せて、日本の戦術機への理解を深めてもらえれば。
(………開発衛士、エリートに練習機。素直に受け取るなんて、無いだろうけど)
衛士にもプライドがある。反発する気持ちも生まれるだろう。
武はユウヤから聞いた当時の事を思い出していた。
仮にでも思い出したくないほどに恥ずかしいのか、しどろもどろになりながら、言い訳をするように語られた過去。
それを聞いていたあちらの香月夕呼は一言でまとめた。触るものみな傷つけるやんちゃなナイフだったのね、と。
直後、ユウヤは無言で考えこんでいた。そして夕呼の言葉が実に的確であると認めたのか、顔を真っ赤にして悶えていた。
よほどの事なのか、しばらくは自省と共に凹み続けていて、傍らの少女に慰められていた。
(届く位置に降りてきた。だから殴りたくなった、って言ってたっけか)
その言葉の真実は知らない。だがユウヤ・ブリッジスにとっての日本とは、過ぎ去った時になっても大きくて、一言では言い表わせない複雑なものなのだ。
そうした事情や想いは、武もなんとなくだが察することは出来た。当時は国連の中で、1人だけ浮いていたことも。
思い出せば、そうなのだ。人と人が接すれば必ず軋轢やしこりが発生する。
だが、今の段階でため息をついたり弱音を吐くなど、許されないことだ。
だからこそ武の目には、ユーコンという場所は高度な技術が集まるだけではない、白黒の熱が集まる魔窟に見えた。
各国の意志方針謀略に意地がミックスされているので、そう遠い表現ではないと確信していた。
技術交換により開発意欲が向上したといえば、聞こえは良い。だが他国の人間の目に触れる機会が多くなるということは、競争心が爆発的に高まることを意味する。
そして、ここに来られるような人間は誰もが自国でもトップクラスの技量、知識を持っているエリートばかりだ。
試験小隊はそれぞれ、大東亜連合のガルーダ、中東連合のアズライール、アフリカ連合のドゥーマ、統一中華戦線のバオフェン。
欧州連合も参加していて、スウェーデン王国軍を中心としたスレイヴニル、第一世代機の安価な改修の評価試験を行っているガルム、東欧州社会主義同盟のグラーフ。
豪州からもF-18で参加している試験小隊がある。
(あとはソ連のイーダル………"偶像”とはまた皮肉な名前をつけたよな)
実像と異なる幻のように、されども。その中に秘められているものが何であるのか、武はまだ直接には知らない。
これより知っていくのだろう。人類の未来のために、直接的にではないが戦っているこの基地の人間と同じように。
誰しもがぶつかり合うことも、盗み合うことも厭わず、何よりも祖国のために自分の情熱を役立てようと燃えている。計画の名前の通り、大義の旗のもとに人の意志という紅炎が燃え盛っているのだ。空の向こう、地平線の果てにある故郷に帰りたいが故に。
だが、それを利用しようという輩も居る。朝があれば夜があるように。
武は星の多いユーコンの空を見て、また深いため息をついた。