Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
Stardust memory_
「あんたは……あんた達は間違いなく、この世界を救ったのよ」
「また………ね………」
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その世界に残っていた白銀武の最後の因果が消えたのは、香月夕呼と社霞の最後の声が届いた後だった。
因果導体になる原因となっていた鑑純夏が死んだことで、運命の鎖に囚われていた武は解放された。
戻っていく。かつて、彼自身が在った、在るべき場所へ。
世界もそれに合わせて動いていった。理に沿ってあるがままに、不自然のないよう矛盾のない形へ還っていく。不自然な存在を作る痕跡として、何もかもが霧となって散っていった。
そして。
―――そして。
『消える……』
武は声にならない声で呟いていた。世界に忘れられていく、自分の痕跡が消え去っていく感触を心の中で噛み締めながら。
一瞬だったような―――途轍もなく長かったような。今まで、何があっただろう。振り返った武が思い出したのは、戦いの記憶だけだった。この世界に呼ばれ、生きて、戦ったことを示す血のような光景の数々だけが鮮烈なままで。
それ以外にも、本当に色々なことがあった――その全てが消えていく。出逢った人達のことでさえ。桜花作戦を乗り越え、今も生きている者の中にある記憶も例外ではない。世界に抹消されていくことを感じた武は、一つのことを思った。
生き残っている彼ら、あるいは彼女らはもう白銀武という衛士が存在したことを、共に戦った日々を思い出すことは無い。香月夕呼が称した、どんな衛士よりもガキ臭く、甘い考えを抱いた青臭い衛士。それでも戦い、遂には世界を救った泣き虫は、幻の存在となっていく。
世界は安定を望むと断言した、香月夕呼の言葉通りに。
記録も、記憶も、自動的に修正されていくのだ。
XM3の発案者であり。佐渡島で獅子奮迅の活躍を見せ、横浜防衛戦を乗り越えて。果てはオリジナル・ハイヴのあ号標的を打ち倒した稀代の英雄の活躍は、元からこの世界に在った誰かの功績へと入れ替えられるのだろう。
空いた穴は埋められ、何かに入れ替わり、白銀色の軌跡の全てを打ち消していく。不自然のないように整えられてゆき、この世界は何事もなかったかのように再び続いていくのだ。
『――それは、いい』
不満は無いと、武は頷いた。自分は忘れられる。居なかったことになる、だけど文句は無いと。
彼自身、複雑な想いを抱いていた。残った仲間にも覚えていてもらえないということに対する寂しい気持ちは確かに存在していた。だが、それよりも先に達成感がある。自分が最後に消えようとも、名前が後世に残らなくても、白銀武は共に戦ったあの日々を悔いることはなかった。
見知らぬ世界の日々の中で起きた、様々なこと。見知らぬ他人から見知った他人、ついには戦友となった仲間達と馬鹿をやった。
命を共にする部隊の仲間、戦友達の顔は今でもこの胸の奥に。207訓練小隊を初めとした、A-01の戦友たちがいた。背を預けあい成すべきことに向かって戦った記憶と、共に過ごした生活は今も頭と心の中に存在している。散ってしまった陽だまりは、残照のような温もりは痛みを伴っても消えず残っていた。
世界とやらにも負けない、消えない想いがあったのだ。だから武は、それでも良いと思った。出会った人たちのほとんどが、それぞれの意地を持っていた。貫くべき信念を心の奥に打ち立てていた。
心の礎を地面に敷いて、決死の覚悟を抱き、人類にとっての大敵であるBETAへと立ち向かっていった。容易くはなかった。過酷な戦いの中で、志半ば散っていった人たちは多く、その死に目にも会えなかった人達も居た。だが、誰も無駄死にはしていないと確信していた。
誰しもが担うべき役割を持って、それから目を逸らさず、最後まで前を向いたままで生きたのだ。たった一つしかない、己の命を賭けてまで。その先に果てたのだから、絶対に無駄なんかじゃないと武は確信していた。
故に武は、自分の名前がどうとか、功績が無くなるとか、そんなつまらないものは大切じゃないと思っていた。
何より、そんな仲間と背を預け合い戦えたことが誇らしかった。だから自分の何もかもが忘れられたとしても、それはそれで仕方が無いことだと納得することができた。
―――自分たちは、ヴァルキリーズは最後まで戦い抜いて。悲願を、人類の宿願とも言える目的を達することができたのだから。
その結果だけは消えずに、あの世界に確かに刻まれた。自分が所属していたあの部隊が、オリジナルハイヴのあ号目標を打倒したという記録。それが世界に刻まれたのは間違いないのだ。
故に、ただ一つ残った最も大切な絆の証を。皆とともに成した事さえ消えないのであれば良いのだと、白銀武は感じていた。
―――でも。それでも、という単語は思い浮かんでしまって。
―――そうして、武から体の感覚が完全に無くなった時だった。
『うん?』
武は疑問の言葉を投げつつ、何かを感じて目を閉じた。歪になって、風景も何も無くなっていた闇の中。その中でまぶたを降ろし、真の暗闇となった視界の中。
――――光が散乱していた。
何が光っているのか。武は眼を閉じながらそれを感じ、そして触れた。黒く光るそれは、戦いの記憶だった。虚数空間内に広がっていく、自分の記憶と同じようなものだ。今や形があるかもわからない。だけど近くから自分の目を凝らして中を覗くと、はっきりと理解できた。
それはかつての白銀武がばらまいた敗北の記憶だった。何十、何百、あるいは何万かもしれない戦いの記憶であった。その欠片達が乱舞し、虚数空間らしきものを白く染め上げている。あるいは黒くもある。なぜかって、負けて失った自分の思い出だからだ。幾重にも積み重ねられた辛酸の極みとも言える記憶達だからだ。
いつかどこかの白銀武が闘い抗って、血反吐をぬぐう暇も無く足掻き続け、だけど道半ばにして果ててしまった"白銀武達"の歴史が白く、黒く輝いていた。
因果導体ではなくなった今までに積み上げてきた戦いの日々、幾千幾万とばら撒かれた記憶の大半は、闇色に染まっていた。人は自分の大切なものが奪われた時、その奪ったモノに憎しみを抱く。憎悪の色は例外なく黒く、あるいは赤く。どこにも流れゆけないものであるから濁り、淀みきっていた。
故に、光は黒い炎のように輝き。その記憶の主成分が、『敗北した』白銀武の記憶であるから尚更だった。一番に多いのは、オルタネイテイヴ5が敢行された世界の記憶達。
絶望が世界に覆う中、旅立った想い人を胸に抱いたままに戦い続け、だけれども負けてしまった白銀武達の日々の痕跡だった。それは黒く、淀んでいた。
しかし、それだけではなかった。黒い泥の塊の中にも、白の光があったのだ。
ここにいると主張するように。か細いが、確かに光り輝く何かがあった。
消えてはいない、ここにいると、存在を誇示し続けているかのような。
憎しみだけではなかったと、吠えるように。
「これ、は―――」
武はそれに触れ、その記憶達がなぜ輝いているのかを理解した。
それは、祈りだった。
それは、希望だった。
戦いの中で力尽きて道半ばにして果てた白銀武達は、無数の死にゆく武達は、最後に想い描いた絵があった。それが、記憶達を輝かせていた。
兵士級に噛み砕かれる寸前闘士級の腕で頭を引きちぎられる直前戦車級に噛み砕かれる間際。突撃級の突進で踏みつぶされるその前、要撃級の前腕で磨りつぶされる瞬間、光線級のレーザーで蒸発していく最中に。あるいは要塞級の衝角を受け溶解することを認識した時、G弾の爆発に巻き込まれる直前のその時に。
様々な死があった。だけど記憶の光の持ち主、様々な世界の時の「白銀武」は、共通してただ一つのこと思っていた。
―――どうか、戦友たちが死にませんように。
―――どうか、残された人達に希望がありますように。
―――せめて、大切な人達が笑っていられますように。
祈りを捧げ、誰かの明日を希い、大切な人の幸せを願っていた。
『………そうか』
記憶を見た武は、香月夕呼の言葉を思い出していた。彼女は言っていた。"虚数空間における記憶の流動は、付随する本人の感情に強く左右される"と。
その理屈から言えば、この記憶達はまだ自分が死んでいないのだろう。まだやれることがあると、と主張しているのだろう。
この闇の中に在って色褪せない程に強く、その意志を輝かせているのだろう。死者の亡念ではあれど、消えずその願いと想いは、時間軸上に未だ生存し続けているのだ。
消失もせず、行き場もないままに漂い続けるけど、決して輝くことを諦めないで。
――――そして、時が来た。
『俺、は』
平和な世界に戻る武の、目の前が晴れていく。
戦いの記憶も何もかもが薄れていくその中で、武は願った。
『俺は――――』
無くなった手を空にかざして、振り返る。
最後の最後にあの日々を反芻していた。
そして、自らも同じ"絵"を望んでいた。
何もかもが終わる、その最後の一歩踏み出す少し前に、一つだけ。
虚数空間という夜空の中、星のように瞬く記憶群に振り返り、いつかの白銀武達と同じように、祈りを捧げた。
そうして、一人の少年は在るべき世界へ還った。
オリジナルハイヴを潰すという離れ業をやってのけた戦士は、かつて自らが所属していた世界へ帰還するのだ。
伴うように、星が落ちていった。
まるで導かれるかのように、別の世界へ向けて、尾を引いて流れていく。
――終わりは一つの始まりを呼び、一つの始まりは終わりへと再び向かって往く。
今、一つの物語が終わった。
そしてまた、別の物語が始まっていく。
これは、とある一人の少年と。
地獄のような世界、その空の下で、それでも戦い抜いた人間達の物語である。