人類は衰退してきました。   作:虚弱体質

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それはオルタネイティブ (上)

「ねぇ、どこー?」

 

 彼女は歩きます。真っ暗闇を、ふらふらひたひた。

 

「いじわるしないで出てきてよー」

 

 彼女は探します。手当たり次第に、あちらこちら。

 

「もう! 目を離すとすぐにどこかに行っちゃうんだから」

 

 彼女は怒ります。ぷっくりむくれて、ぷりぷりぷんすか。

 

「ねぇってばー」

 

 彼女は呼びかけます。誰かに向かって、しょんぼりこわごわ。

 

「……ひとりは、さびしいよ」

 

 彼女は、彼女は。そうしてひとり、涙を流すのです。

 

――――

 

 厳しかった残暑がようやく緩み、秋の匂いが風に混ざり始める頃、べーた追撃という狂騒に耽っていた帝国は正気を取り戻しつつありました。

 明星作戦からなし崩しに始まった、形振り構わないべーたさんへの追撃。それは、今までの悲惨さは何だったのかというくらいに順調に進んで、見る見るうちに関東全域を奪還することに成功します。

 そのように、鎧袖一触、為すすべもなく追い散らされたかに見えたべーたさんでしたが、そんなであっても彼らは彼ら。人間如きには理解できそうにもない意味不明の行動基準に従って、あっちへ行ったりこっちへ来たり、かさかさぱからとせわしなく動き回り、その無秩序極まりない行動に振り回されて被害を重ねてしまう場面もちょいちょいあったのだそうな。

 それでもなんの光明すら見出せない泥沼の防衛戦に比べたら、遥かにましということでしょう。埃にまみれた兵たちの顔には気迫が漲って、反撃の機運はますます高まる一方でした。

 しかし、快進撃が続いたのはそこまで。

 拡大した戦域を支え続けるだけの余裕が、今の帝国にはありませんでした。

 追撃部隊への支援、制圧域の掃討、補給線の確保、基地の復旧、インフラの回復。奪還した地域が増えるにつれて少しずつ無理が積み重なり、やがてにっちもさっちもいかないありさまになってしまったのです。

 不甲斐ないとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、帝国は横浜ハイヴ殲滅戦に投入した戦力の五割強を喪失していたのです、それこそ無理からぬ話でしょう。

 生還した部隊にしても陸海宙と無傷なところは一つも無く、作戦中に絶対防衛線が崩壊したことで補給や整備を担っていた兵站網までもが傷だらけ。そんな満身創痍の状態で、よくもまあ追撃部隊を組織的に運用できたものだと却って呆れてしまうほどです。

 その惨状の中でも、G弾によって受けた被害はひと際酷いものだったと言えます。

 ハイヴ周辺に布陣していた戦力の一割を瞬時に消滅させ、臨界反応消失時の大気の吸い込みによって多数の部隊を壊乱へと導いた、恐るべき悪魔の兵器。

 それは数字上だけで見れば、ハイヴ制圧という歴史に残るだろう快挙に見合った、相応の損害だとも言えなくは無いのでしょうけど。

 しかしながら、人的被害という点からは到底許容できないものだったのです。

 G弾が投下されるよりも少し前のこと。攻略部隊としてハイヴ内へと突入していた軌道降下兵団の通信途絶を受けて、作戦総本部は地上から再度攻略部隊を送り込むことを決断し、各所へと発令していたのだそうです。

 そうしてひっ迫する戦況の中、最激戦区だったハイヴ辺縁のとある坑道口が選定され、そこを橋頭堡として確保するべく、虎の子として後生大事に温存していた大陸帰りの精鋭を中核とする大部隊を展開。激戦の末ようやく突入が開始されようとしたその矢先に、かの破壊兵器が投下されたとの凶報を受け取るのです。

 彼らがその後、どのような行動に出たのか、わたしは知ることが出来ませんでした。ですが、機密の壁に遮られたその先で、彼らは何かを試みて。そして。

 誰一人として帰ってくることはありませんでした。

 そこに集結していたはずの精鋭達が、隊にその人ありと謳われたエース達が、癖は強いが腕は一流と言われた名物部隊が。帝国を支える一騎当千と称すべき侍達、その全てが。

 ハイヴ諸共、跡形もなく消え去ってしまったのです。

 中核を担うべき精鋭部隊をごっそりと削り取られた軍部の苦悩は、筆舌に尽くしがたいものだろうというのは想像に難くありません。

 そのことだけでも一大事だというのに、影響はそれだけに止まらず。

 在日米軍撤退の件で冷え込んだとはいえ、友好関係にあったはずの米国が、G弾の使用に際して事前に何の断りも入れていなかったこと。そして、国連軍の中軸を成していた米国系部隊が一存で戦線を離れ災禍を逃れたことで、その穴埋めに向かった大東亜連合軍、帝国軍が多大な被害を受けたこと。更には、べーたさん逃亡後、ハイヴに雪崩を打って突入した米国系部隊を守るように、国連軍全軍がハイヴ跡地に駐屯して動かなくなったことなど。

 米国の横紙破りで生じた不和は積もりに積もって、日米関係はきしきし軋みを上げています。

 それは政治レベルでは話し合われ、何らかの駆け引きを経てある程度の合意を見ているのでしょう。冷静になって考えれば、ここまで無下にされるなんてそうそうありえないことなんですから。

 けれども、市民や兵士達の立場ではそこまで思いを巡らすことが出来ず、果てに昨年から燻っていた反米感情は燃えに燃えて、彼らとの関係は坂道を転げ落ちるように悪化の一途を辿ります。

 最大の援助国である米国との関係が拗れればどうなるのか。

 明星作戦で弾薬の備蓄の大半を吐き出した帝国は、佐渡島からの侵攻を睨んでそちらの備蓄充足にも注力しなければならず、軍需工場群が本格的に復旧するまで、追撃部隊は他国の支援に依存しなければその日の弾薬にすら事欠く有り様でした。

 米国との関係が深刻化したことによる援助先細りの懸念は、追撃部隊を主導していた軍上層にとっては悪夢に等しいものだったことでしょう。

 恨みというのは甚だ理不尽なもの。米国憎しを合言葉に盛り上がりを見せる反米感情は、そういった自らの行動によってもたらされる鬱積すらも燃料に変えて、尚のこと燃え滾っていくのです。

 こうしていざこざにまみれた波乱の季節は、米国対反米国という新たな火種を巻き起こしながら、ふわりと移ろい行くのです。

 

 まぁ、そんな国際情勢的なことなど、わたしにはあまり関係ないんですけどね。

 

 わたしはひよっこ共、いえ、この言い方はもう失礼ですね、新任達と改めましょう。彼女らをどのように締め上げ鍛え抜くのか、それに頭を悩ませる只の中隊長。それ以上でも以下でもないのですから。

 そんな思いやりに溢れる勤勉な教官殿たるわたしが、今、何をしているかというと。

 

「噂は聞いているよ、篁中尉。なんでも明星作戦をたった二名の損害で越えたとか。いや、大したもんだな」

「いえ、恐縮です」

 

 絶賛、愛想笑い中なのでした。

 言葉だけを取れば称賛に聞こえなくもないですから、御仁はわたしを褒めているつもりなんでしょうね、多分。ですけど、下調べもせず安易に言葉を発すると取り返しがつかないということには、未だ気付いていない御様子で。

 あの時、地獄へと引きずり込まれた二線級部隊群の中にあって、最後までべーたさんと打々発矢激戦を繰り広げたわたし達の中隊は、なるほど、確かに称賛するに値します。

 とはいえ、初めて持った部下の死を“たった”の“損害”と形容されて、笑顔でいられる人物が何人いることやら。揃いも揃って想像力というものが無いのでしょうか。

 心の中で深々とため息。

 ――たった二名。

 この台詞を、もう何度聞いたことか。

 最初の頃はそりゃもう、不機嫌ですよ、といった風に仏頂面を晒したもんですけど、来る人来る人がまるで挨拶のように口にするせいで、いつの間にか柳の如く受け流せるようになってしまいました。今ではほら、この通り。能面のようにべったりと笑みを張り付けて、寸分も感情を悟らせない大した役者ぶりではありませんか。

 あぁ、何処から飛んできた流れ弾が目の前の小太りの頭を偶然吹き飛ばしちゃったりしたら、さぞかしスッキリするんでしょうけど。

 

 さて、どうしてこのような事態に陥っているのか。

 わたしにもハッキリとしたことはわかりません。だって、ただ気が付いたら、としか言いようがないのです。

 ところで101教育中隊というのは、通常編成の連隊に属しておらず、ある程度の裁量を持つ独立隊のような扱いとなっています。独立隊のような扱い、という曖昧な表現で察していただけるかと思いますが、書類上そうなっているというだけの話でして、隊運営に関わるほとんどを城内省や基地司令本部が差配して、わたし達は日々訓練に没頭する、実際はそういう管理形態なのです。

 それでも隊として成り立っている以上、軍上層からの視察や監査といった面倒事からは逃れられようはずもなく。その場合は、厳正なる籤引きにて選出された隊長格の誰かが書類片手に対応する、大隊の頃からの伝統を引き継いで、今も変わらずそうやっているわけなんですが。

 明星作戦が終わってひと月もしない頃でしょうか。わたしが不運にも当番を引き当ててしまった、とある日のこと。いつものように監査に来ていた城内省の事務官が、去り際にぽつりとこう呟いたのです。

 

「貴色を纏う方々も期待していらっしゃる。今後も職務に励むように」

 

 何の変哲もない一言でした。

 その時、わたしは間抜けにも「はぁ、わかりました」などと気の抜けた返事をして、それっきり気にも留めていなかったのですけれど、今思い返すにどうやらそれが発端だったらしく。

 この日を境に、査察や視察の件数はじわりじわりと増えていくことになります。

 そうして詰めかけてきた方々は誰も彼もが社交的で、有り体に言えば世間話をよく好んでおりました。

 最初はバカ正直にそのお喋りに耳を傾けていたんですけど、わたしだって武家の娘、しばらくすれば彼らの目的がうっすら透けて見えちゃったりするわけでして。

 どうやら、お目当ては斯衛の深部へのお誘い、つまりは派閥勧誘のようだったのです。

 彼らも、最初は比喩や暗示を織り交ぜてほんの少し背後関係を仄めかす程度だったんですが、しばらくすると会話の端々に本音が見え隠れするようになり。やがて、そのような話術を心得た人材が尽きたのか、はたまた取り繕う必要性を感じなくなったのか、より直截な言葉を口にされる方がいらっしゃるようになって。

 そして、今ではこの有り様です。

 直截というより無神経、権力を笠に着るのに慣れ親しんだ方特有の無遠慮さで、わたしの繊細な心を自分勝手に踏みにじり、一方的に話を押し付けていくのです。

 

「――ということなのだよ、篁中尉。君だって武家の一員だ、わかっているだろう?」

「はっ」

 

 さっぱり聞いていませんでした。手を変え品を変え似たような話を何度もされているのです、真面目に聞こうはずがありません。

 ですけど、どうとでも取れる曖昧な返事ににっこり微笑みを付け足せば、あら不思議。御仁は満足そうに頷いているではありませんか。ちょろい――いえ、人類の普遍的感情表現の一つ、笑顔の偉大さに感服するばかりです。

 そんなことを考えるうちにちょうど話は一段落。この御仁は視察名目で来ているんですし、さっさと仕事を終えてもらって速やかに御帰り願うことにいたしましょうか。

 

「ところで、今演習場にて隊員達が実機訓練をしております。どうでしょう、御覧になられますか?」

「ふむ、そうだな。案内してくれ」

 

 ふふふ、予定通り。さぁ、ちゃっちゃと終わらせてしまいましょう!

 

 演習場用の指揮所に入ると、戦域管制将校達が状況を読み上げている真っ最中でした。

 ささっとモニターに目を通して。ふむ、どうやら五機ずつに分かれての対戦術機戦のようです。副長は組分けからひとり外れて指導にでも当たっているのでしょうか、動きがありません。

 わたしとしては、こういった戦術機同士の模擬戦をするのなら、横浜近辺の哨戒でも出かけたいというのが本音なんですけど、どこもかしこも戦力不足の御時世、そんなことを言えばすぐさま最前線へと送られかねません。臆病者と笑われようとも、今はひっそり雌伏の時なのです。

 スクリーンに映る状況を御仁に手早く解説しながら、彼女らの動きを各々確認していきます。

 狙いは素早く弾は少なく、低く鋭く這うように跳び、するりと近付き一撃離脱。

 うーん、連携の些細な乱れや反応の遅さ、判断の甘さなど指摘する点はまだまだあるんですけど、それでも新任としては上等な程度だと手前味噌ながらに思ったりもします。まぁ、そうでなくては困るんですけどね。ピクニック気分のべーたさん見学会から始まって、明星作戦では連隊規模のべーた群まで相手取ったんです。これで練度が上がっていないのなら、大隊長や先輩方の苦労が全否定ってことですからねえ。

 そんなことを頭の片隅で考えながらゆったり観戦していたのですが。なんでしょう? 時たま動きが鈍るというか、強張るというか。全機の機動が妙に緩慢になる瞬間があるような……。

 隣で観戦していらっしゃる御仁は背広組だという話なので恐らくは気付かれないでしょうけど、これが戦術機を見慣れた人物だったとしたら、ねちねちしつこく論われたこと請け合いです。運が良いと喜ぶべきなのか、鍛え足りないと嘆くべきなのか。なんとも微妙なところです。

 とにかく、何が起こったのか把握しないと。そう思って隊内通信を出力すべくスイッチに手を伸ばすと、なぜだか苦笑いだったCP将校達が一斉に一言。

 

『あっ』

 

 えっ?

 カチリ。

 

『てんめぇコラ名波! どこ狙って撃ってやがんだこのド阿呆が、じじいの小便だってもう少しまっすぐ飛ぶぞクソ! 貴様が後生大事に握りこんでるそいつは、しょぼくれたイチモツ以下だって言いてえのか、ああん? んなわけねぇだろ、アル中みてぇに手震わせてんじゃねぇぞコラぁ! 眼ぇひん剥いてしっかり狙いやがれ!』

 

 わーお。

 

『篠崎、てめぇもだ! 貴様の操機がお上手なのはよぉーくわかった。だがな、相方無視してひとりで突っ込むんじゃねぇ! ひとり上手も大概にしろよ、自慰狂いの発情猿が! それともなにか、汁撒き散らして果てるのを見てもらわないと満足できんのか、貴様は? 仲間ってのはな、てめぇの万摺り鑑賞するためにいるんじゃねえんだよ、ちっとは考えろボケ!』

 

 わーあ。

 

『貴様らもだ、このあたしがわざわざお優しい言葉で丁寧に教えて差し上げてんだ、辞書の卑猥な言葉に赤線引いて喜ぶ餓鬼じゃあるまいし、いちいち反応すんじゃねぇ!

 返事!!』

『了解!』

『声が小せぇ! 腹の底から絞り出さんか洟垂れ共!』

『了解!!』

 

 えぐく尖った言の葉が、豪雨となって降り注ぐ。副長主催の精神的処刑場、堂々の御開帳でありました。

 

 あー、さて。

 わたしが戦場に身を置いてしみじみ感じたのは、しぶとい兵士というのは諧謔をよく嗜み、その中でも、品の無い冗句は特に好まれているということでした。

 広域通信に耳を澄ませば、断末魔の様な救援要請の只中にですら、そういった愛すべき馬鹿共の笑い声が溢れ、それが途絶えることはありません。

 わたしの経験上ですけど、死地に在って笑いを忘れるような部隊というのは、生き汚さというのでしょうか、粘り強さが欠けているように思えるのです。彼らはいつだって真面目な顔で覚悟を決めて、そうして先に九段へと旅立っていくのですから。

 とは言っても、脳味噌が卑猥な妄想で埋まってるお馬鹿さんの方が強いと言っているわけでは無くて。

 空元気も元気のうち、というのと同じ。

 無理にでも笑って虚勢を張ることで、死の淵にあっても生き残る道を選択する図太さを確保できるんじゃないかと、まあ、そういう話です。日本人の思考って、悲観が極まれば後は玉砕まっしぐらですからねえ。

 その点、下品な話というのは便利なのだと、ちび先輩は言っておりました。

 あの系統の話ってのはどこでも通じる共通言語みてーなもんだし、追い詰められた頭で捻り出せる冗談なんてたかが知れてる。シモの話は猥語並べるだけでらしく聞こえるし、タフを気取るならちょうどいいのさ、とかなんとか。

 思わず納得してしまいました。その時点で随分彼らに毒されていたようです。

 ともあれ、この手の話は男性主体が主でして、女性からすれば肩身が狭いんですけどね。

 

 それはそうと、軍組織というのは未だに男性社会ではありますが、大陸派遣軍の損耗が想定以上に激しかったこともあり、健康な男子というものはめっきり見かけない貴重な存在となりつつありました。

 わたしが斯衛の養成学校に入った頃だと、女性の徴兵年齢が十八歳。これが男性になると少し下がって十六歳。やる気のある人は志願兵として後方任務に就くことが出来るので、さらに若年で軍務に携わることも可能になったりします。

 この差というのは中々大きなものでして、血気盛んな男の子達は先を争うように軍務に就いて、いつしか女性ばかりが目につくようになってしまうのだとか。

 斯衛軍の衛士養成学校であってもその風潮に逆らうことは出来ず、栄えある武家の御子息方は一足先に斯衛に入隊していたり、もしくは武功を求めて帝国軍へと流れたり。そんな感じで近年の斯衛軍衛士養成学校は男性の姿がかけらもない、姫の展覧会が如き有り様なのです。

 元々箱入りのわたしらは、養成学校という閉鎖的空間で更に純粋培養されました。

 おかげで一般衛士より多少腕は立つようになったのでしょうけど、精神的に未成熟とでもいいますか、衛士として持っているべき柔軟さや頑強さ、そういったものを欠いてしまったのではないか、そう感じることがあるのです。

 鋭く切れて折れやすい、まるで硝子細工の刃のように。

 しかしながら、わたしが求めるのは斬れるが砕ける剃刀ではありません。少し鈍らでも構いやしません、ただただ折れず曲がらず、粘り強くあって欲しいのです。

 

 はっきり言いましょう、わたしは彼女達に生きることを諦めて欲しくないのです。

 

 一度砕けたわたしが教わり、そして教えることの出来る、生き残るための一歩。

 その為にも、心を鍛えないと。

 戦場でも機転を保つ余裕を。危地に道を探す冷静さを。負け続けながらも再起を誓う不屈の精神を。血泥に塗れながらも微笑むことの出来る強靭な心を。

 過酷な戦場を歩き続けるだろう彼女らを、少しでも生き残らせるために。

 

 散っていった英霊達の弔いに、帝都の酒屋で購った上等な酒を舐めながら、副長にそう管を巻いたことがありました。つい先日の話です。

 思い返すと顔が赤くなります。

 言い直しているので多少見られる話になっていますけど、実際にはあちらこちらと話が飛んで、その間にどれだけ下劣な冗句を口にしているのかという具体例が挿まれたりと、聞くに堪えない体たらくだったと思います。

 酔っていたんです。酒にも、雰囲気にも。消息不明だった大隊長達、彼らが正式にMIAに認定された、その日でしたから。

 そんな感じで、わたしとしては可及的速やかに忘却の彼方へと押しやって欲しい、新たな黒歴史とさえいってもいいほどの醜態だったわけなんですけど、副長としては、なにやら感じ入る部分が無きにしも非ずということだったのでしょう。

 確かに、こういう執拗な叱責と罵倒による精神的圧迫というのは、心胆を鍛え直すにはうってつけなんです。そこに箱入り娘共が聞き慣れない低俗な言葉を織り交ぜれば、効果は倍増間違い無し。しばらくすれば、馬鹿共が垂れ流すバカ話にだってさらっと笑顔で対応できるようになるでしょう。わたし自身、先輩方にやられた口なのでよーくわかりますよ。

 ええ、わかるんですけど。

 

 なにも、いまやることないでしょうに。

 

 ところでみなさん、知っていますか?

 現実逃避というのは現実を受け入れることの出来ない可哀想な心理状態と、それに伴う残念な方向への逃避的行為全般を指すわけであって、文字そのままに現況から逃亡できるわけではないという悲しい事実を。

 わたしは本日、身を持って知ってしまいました。出来るなら、このまま希望溢れる明日辺りへと華麗に羽ばたいていてくれればと期待したんですが、現実というのはなんとも非情なのでした。

 恐る恐る後ろを振り返れば、御仁は目を剥き口をぽかんと開けて硬直しています。

 さもありなん。武家の姫の集まりだと聞いていたのに、蓋を開ければ下町の居酒屋でも聞かないような口汚さで隠語を並べ立てているのですから。

 男性という生き物は、誰しも心の中に理想の女性像を抱いているのだそうな。今、彼の心中では、その美しき幻想がぼろぼろと音を立てて崩れている真っ最中でしょう、なんとも痛ましいことです。

 カチリと。

 喧々と垂れ流される罵詈讒謗に耐えかねてスイッチを戻すと、指揮所には虫も殺せるような静寂が充満しました。お前がなんとかしろ。場の収拾を求める管制将校達の熱い視線に、身に穴が開きそうです。

 萎えかけた気力を奮い立たせて微笑みの仮面を被りなおし、なんとか声を絞り出します。

 

「以上です。なにかご質問は?」

 

 ふるふると首を横に振る御仁と、頬を引き攣らせながら笑顔を維持するわたし。平行線をたどり続けていた二人の心は、今、ひとつになったのです。

 

 ――無かったことにしよう。

 

 101教育中隊の訓練はスゴいらしい。

 そんな噂が基地内を駆け巡るのは、その数日後のことでした。何がどうスゴいのか、未だに怖くて尋ねられないままなのです。

 

 

――――

 

 私には、ひとり幼馴染がいる。

 窓を開ければすぐお喋りできる。そんな隣り合った家に住む、同じ年頃の男の子。

 少しいじわるで、でもたまに優しくて、時々かっこいい。そんな元気な男の子。

 私は、彼とずっと一緒にいた。思い出の中には必ず彼がいるくらい、いっつも一緒。

 近くの公園で泥だらけになって遊んだり、誕生日にケーキを囲んだり。学校はいつも一緒に行くし、ご飯だって一緒に食べる。

 私にはそれが当たり前で、ずっとずっと、ず~っと一緒にいられるのだと疑っていなかった。

 だけど、そうじゃないのかも知れない。

 ついこの前、彼は突然、俺は衛士になる、とか言いだした。白陵基地に適性検査受けに行くんだって、目をらんらんと輝かせて。

 聞いてない、急だよ、急すぎるよ!

 そうやって突っかかったら彼ってば、今言った、だってさ。ひどいよ~。

 もし。もし彼が衛士になったら、私と一緒じゃなくなっちゃうのかな。ひとりでどこかに行っちゃうのかな。そう考えたら急に胸の奥がもやもやして、すごくすごく、すご~く不安になったの。なんだろう、寂しいのかな、私。

 どうしよう、とにかく何かしなきゃ。何とかしなきゃ、ずっともやもやしたままだから。

 だから、私もついていくことにした。おじさんにこっそり頼んで、出発直前に車に乗せてもらったの。

 もちろん、彼はすごく嫌がった。それでも泣きそうになりながら、これでもかと駄々をこねたら、しぶしぶ納得はしてくれたんだけど、そのままぷいと横を向いて、私の顔を見ないようにしているみたい。

 ……怒らせちゃったかな、嫌われちゃったかな。

 そうやって私が落ち込んでいたら、こちらを見てにやりと一言。にぶいお前には無理だろうけどな、だって! 

 う~、むかつく! 絶対にすごい結果出して、ぎゃふんと言わせてやるんだから! 

 でも、実際戦術機のしみゅ、しゅみれーたー? に乗ったら、そんなこと考えてる暇なんて全然無かった。

 ぎゅんぎゅんで、ぐるぐるで、ぎゃぎゃーん。右に左に振り回されて、テレビの景色はぐんぐん切り替わる。すごいよ。すっごい楽しい! 中で話しかけてくれたお姉さんは、なんだか驚いてた。ここまで平然としてるのは珍しい、だってさ! すごい褒められちゃったよ、えへへ。

 すっきりした気分で外に出ると、ちょうど彼も出てくるところだった。げっそり青い顔して、それでも私を見たら胸を張って、大したことなかったな、だってさ。ふふん、ばればれだよ。

 案内してくれた綺麗なお姉さんは、二人とも十分に適性がある、って言ってた。彼は青い顔していたけど、あれくらいならかなりマシな方なんだって。

 けど、その後の説明を聞いて、二人してしょんぼりだよ。

 学科試験、あるんだって。

 おじさんが資料を貰ってきたんだけど、白陵基地にあるのは防衛大付属の衛士養成学校で、進学校に入るくらいの成績が必要なんだって。ムリだよ~、私も彼も絶対ムリ!

 なのに、彼は諦めてないみたい。エリートの方がかっこいい、とか言っちゃって。彼も私も似たような成績だから、今のままじゃ絶対ムリなんだけど。でも、きっと平気なんだ。だって、それが私自慢の幼馴染なんだから。

 あ~、どうしよう~。

 もしかして私、置いて行かれちゃうのかな。このままひとりになっちゃうのかな。――嫌だよ。そんなの、絶対に嫌!

 だから、死ぬ気で勉強することにした。そして絶対絶対、ぜ~ったい! 一緒に合格してやるんだから。ひとりになんかしてやらないんだからね!

 朝起きて、身嗜みを整える。髪の毛はねてないよね、よし、大丈夫。

 ひとりで起きられない彼を起こしに行くのは、いつものこと。私にとって自然な、当たり前のこと。

 いつものようにおじさん達に挨拶をして、一気に二階へ駆け上がる。

 今日も、いつもの当たり前が始まる。そしてこれからも続いていく。ううん、続けてやるんだ。明日も、来週も、来年も。私達はずぅ~っと一緒なんだから!

 部屋の前で大きく息を吸い込む。さぁ、日常を始めよう!

 

「朝だよ~! 早く起きないと遅刻しちゃうよ! ――!!」

 

――――

 

 がばりと寝台から跳ね起きました。

 もう朝で――はない様子。時計を見ればまだ未明、どうやら寝惚けてしまったみたい。後ろ頭をぽりぽりとかきながらぼんやり意識をあそばせていたところ、ふと、何かが脳裏を掠めていきました。

 ……あぁ、夢。そうです、夢を見ていたんです。なんだかわたしらしからぬ、とても甘酸っぱい夢だったような。

 端々から消えていく夢の欠片を惜しみながら、とりあえず思いついたことを口に出してみることにします。

 

「たけるちゃんって、誰?」

 

 寝よう。おやすみなさい。




2012.12.18 言葉選びを変更
2013.12.01 句読点の整理 文章の補強

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