私が殺した彼女の話   作:猫毛布

95 / 103
94.有る故留

 振り出した刀がナイフにより容易く受け流された。

 刀を握り締める篠ノ之箒の瞳に紫銀の髪がチラつく。振った腕とは逆、雨月を逆手に持ち替え迫る攻撃を捌いた。

 散る火花と金属の高い音が響き、箒の眼前に無表情極まりない深く青い瞳が映り込んだ。

 その瞳に魅入られていた訳ではない。箒の研鑽が甘い訳でもない。相手を見ていたからこそ、箒はその相手の攻撃に反応する事が出来なかった。

 

「ガッ」

 

 腹部に衝撃。自身の間合いから挙動もなく離れていくルアナ・バーネット。いいや、箒自身が吹き飛ばされたのだ。

 衝撃はあったものの痛みは皆無だ。それは装備しているISによる性能であったし、その事を箒は重々に理解していた。だからこそ箒はルアナと対等の立場に存在できた。

 

「今のはいけると思ったんだがな」

「敵の全体を見ていないからそうなる」

 

 尤も、全体を見ればソレに相応した対応をするけれど。と付け足したルアナはナイフを手で弄び、甲で弾いて空へと跳ばした。

 

「まったく、お前から模擬戦の申し込みとは珍しいと思ったが、ここまで差があるとはな」

「そうね。私としてもココまで差が詰めれているとは思わなかったわ」

「銃も出さずによく言う」

「ハイパーセンサーを最大限に使わずによく言う」

 

 互いに口をへの字に曲げたあと、ゆっくりと笑みへと変換する。クルクルと回転しながら落下してきたナイフを掴み、箒へと構える。

 箒は深呼吸をし、逆手に持った雨月を順手へと持ち替え、構える。

 

「さて、ラウンド3よ。二度あることは、にならない事を願うわ。」

「三度目の正直にしてみせるさっ!」

「ソレは楽しみね!」

 

 加速。ひたすらに音すらも置き去りにして二人は空を翔けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、何を焦っているんだ?」

「……焦ってなんていないわよ」

 

 シャワー室の仕切りの向こう側から聞えた箒の声にルアナは少しだけ間を空けて応えた。

 

「ほう。いきなり模擬戦を申し込んで、徹底的に私を弄っていたのは単なる気紛れだと言うのか?」

「気紛れ以外に何かあるのだとすれば聞きたいモノね」

「あれから姉さんに何か言われたのか?」

「……」

「……応えない、か」

「答えはノーよ。アレから篠ノ之束とは会話をしていない。当然一方的に何かを言われてもいないわ」

 

 溜め息を吐き出しながら応えたルアナは出てくる水量を増やして頭から被る。

 強くなった音に眉間を寄せながら箒はゆっくりと口を開く。

 

「なら何を焦る。まだ若いのだから時間はあるだろう」

「……老いた事があるような物言いね」

「老婆とまではいかんだろ?」

「……そうね。今日の模擬戦でアナタの挙動が精錬されすぎてた事も含めて、追求しましょうか?」

「別に、思ったように身体を動かしただけさ」

「そう。なら私もそうしただけよ。ただアナタと戦う事を願って、ソレを行使した。それだけの話」

「それだけの話なら追求もしないさ」

「ならこの話は終わりよ。生憎、私には時間が無いの」

「……なるほど。待ち合わせでもしていたのか」

「ええ、簪が待っているもの」

「そうか。なら話はお終いだな」

「ええ、話が早くて助かるわ。ホント、篠ノ之箒と話してないみたい」

「今までの私ではないさ」

 

 肩を竦めて見せた箒が苦笑をし、それに対してルアナも苦笑する。

 勢いよく出ていたシャワーを止め、ルアナはタオルを頭に乗せる。

 

「それでは御機嫌よう、篠ノ之箒」

「ああ」

 

 短い挨拶を交わし、ルアナはシャワー室から退室した。

 箒はへばり付いた髪を掻き揚げ額を抱える。決して声は出さない。歯を食い縛り、ゆっくりと心を解していく。

 頭の中で考えうる予想達。その全てに姉が関わっている事はどうでもいい。けれど、『時間が無い』と言ったルアナの言葉を決定付ける物など予想出来ない。

 直接聞けばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。第一、ソレが許されようものならルアナ自身が箒に言っていた筈だ。

 

 箒は舌を打ち付けて苦虫を噛み潰した様に顔を顰める。シャワーの水だけが彼女の頭を冷やしていった。

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

「うっ……お酒の、匂い?」

 

 更識簪が自室の扉を開けた時の第一声がソレだった。思わず口を手で覆ってしまうほどの酒臭さ。

 お菓子作りで何度か洋酒を用いる事があったがこれほど部屋に充満している事など無かった。

 眉を寄せ、恐る恐る歩き、チラリと部屋の中を見た。

 ソレは、何と言えばいいか簪には表現出来なかった。紫銀の美少女が蕩けた顔をして茶色い液体を飲んでいるのだ。その近くには蓋の開いた瓶が四つ程。内一つは簪がお菓子作りの為に購入していた物だ。残り三つは? いや、ソレより空き瓶の出所よりも今も尚机の上に置かれている、半分程茶色く染まっている瓶は何だ。

 とにかく簪は思考を纏め上げ、深呼吸をした。そんな様子をケラケラと笑っている美少女。

 どうしてこうなったのか、なぜ彼女が酒を飲んでいるのか、そんな事はどうでもいい。とにかく優等生であり、この小説内で限られる常識人である更識簪は言わなくてはいけない。

 

「お酒は、二十歳になってから!」

 

 そうだ。そうに決まっている。

 そんな発言を聞いて紫銀の美少女はゆっくりと首を傾げる。

 

「わらひははらひらよー」

「うわ……」

 

 簪の言葉も尤もだった。なんとか簪が理解したのは酔っ払いが発した酒臭い息と舌足らずな言葉、そして彼女が明らかに酔っているという事である。

 それもそうだ。身体の中にある水分全てを酒に変えんばかりの量を飲んでいるのだ。今も尚、グラスを傾けているルアナからグラスを奪い取った簪。

 

「あぁー」

「ダメ!」

「にゃぁ」

「甘えても、ダメ、です!」

 

 伸ばされた手から逃れた簪はルアナから一歩だけ離れる。伸ばした腕がそのまま床へと力なく落ちてルアナは絨毯に寝転がり腹を見せる。

 にゃーにゃー鳴いて眉尻を下げる似非猫。白い腹がシャツから見え隠れして、緩んでいたスカートがずり落ち黒いショーツの紐が見えてしまっている。

 見えたソレから視線を逸らした簪はグラスをキッチンに置いて溜め息を吐き出してしまう。

 

 どうしたというのだ。

 というのが簪の思考だ。ソレこそルアナが飲酒をしていた事実はいつの間にか増減していた酒の量で分かっていた事だけれど、これほど飲む事など、簪の前で酔っ払う事など皆無だった筈なのに。

 

「かんじゃしー」

「うん?」

 

 四つん這いで簪の足元に擦り寄る酔っ払い猫。珍しくその表情は柔らかく、笑顔のままだ。

 にへにへと力の無い笑いを浮かべている彼女に簪は苦笑してしまう。何かと言っても面倒見のいい簪は本格的にルアナを怒る事はそれほど無い。

 膝を折り曲げて、頭を撫でてやれば気持ち良さそうに瞼を閉じてされるがままになるルアナ。手触りのいい髪と甘い香り。

 

「それで、どうしたの?」

「にゃぁ」

「話す気はない、と」

 

 一応聞きはしたけれど、彼女からの答えなど最初から期待していなかった簪だ。

 簪から言えば、ルアナという人物は姉と同等と思えるぐらい何でも出来る存在だ。むしろ単なるスペック評価で言えば姉以上とも思っている。

 それに対して劣等感を抱かないのは、人間的に完璧ではないからなのだろう。むしろ、欠陥的だと言ってもいい。お酒の力を借りて嫌な事を忘れようとしている所は非常に人間らしく、もっと言えばダメ人間と評しても良さそうだが。

 

「かんじゃしー、きすしよー」

「き、きす!?」

「んー」

「だめ、ちょ、ルアナ!?」

 

 ルアナに制止の声を掛ける簪。慌てた様な物言いではあるけれど、ルアナを抑止している腕に力はそれほど掛かっていない。

 ルアナは制止して頬を膨らませ口を尖らせる。

 

「いけずぅ」

「その、心の準備とか、ね?」

「ぶぅ……」

「えっと、ほら、我慢できるルアナの方が好きだなぁ……なんて」

「我慢する!」

 

 座りながら背筋を伸ばしたルアナの宣言。逃げ道が塞がれた気がした。

 キチンと背筋を伸ばしたルアナが揺れる。倒れないようにと簪が腕を伸ばし、ルアナがにへらと力なく笑みを浮かべて簪の腹部へと飛び込んだ。

 簪の腹に温かい息が当たる。重さは無い。少し圧迫感はあるけれど苦しい程でもない。

 

「すー……ハー……」

「嗅がないで!」

「やだぁ……かんじゃしぃ……」

 

 背中に腕を回したルアナは簪の腹に更に顔を埋める。嗅がれている事に顔を赤くしながらも引き剥がす事も出来ずに簪の手は宙を迷う。

 迷った結果として手はルアナの頭に落ち着いた。

 

「本当に、どうしたの?」

「…………別に、にゃんでもにゃい」

 

 少しだけ強くなる圧迫に何かあった事を察した簪。

 頭を撫でながら、言葉に迷う。

 どうしたモノか。出来る事ならばルアナの力には成りたい。口を少し開き、喉を震わせることもなく閉じられる。

 なでている手とは逆の手が拳を作り、改めて感じる自分の無力さを呪う。

 そんな拳がルアナに取られて頬ずりされてしまう。

 潤んだ深い青の瞳が簪を映しこみ、細められた。

 

「んぅ~」

 

 気持ち良さそうに頬ずりするルアナを見て簪は一つ溜め息を吐き出した。

 悩むのが馬鹿らしくなった、とでも言うべきなのか。

 ともあれ、変わらずも撫でられている酔い猫。尻尾でもあればユラユラと揺れている事は間違いないだろう。

 

「かんざしは、わたしが人になればうれしぃ?」

「? ルアナは人じゃないの?」

「ひとじゃないのらー」

 

 抱きついていた身体を起こし、顎を反らせて威張ってみせるルアナ。その姿は数秒ももたず、座らない首をコテンと傾げてまたへにゃりと笑みを作った。

 

「ヒトでも、にんぎょーでも、なんでもにゃいー。いきてもにゃいー、みらいもにゃーい」

「る、ルアナ、落ち着いてよ」

 

 ケタケタと嘲笑う様に、調子外れの歌を口から吐き出すルアナ。そんなルアナに手を伸ばして肩を掴んだ簪は続ける言葉に迷う。迷って、頭の中にあるアニメや漫画、小説の語録をあさり出す。

 

「ほ、ほら、何をしたい、とか」

「なにもしたくなーい」

「誰かと一緒にいたい、とか」

「わらひはひとりなのらー」

「し、知らない景色を見たい、とか」

「なにもないのらー」

 

 ボロボロと頬に涙を伝わせたルアナ。嗚咽や泣き声はあげないモノの確かに涙を流し始める。

 簪は驚いた。驚いて、頭が真っ白になった。あのルアナが泣いているのだ。だからこそ、何も考える事すら出来ず、言葉が出てしまった。

 

「私は、ルアナと一緒に居たいよ」

「ふぇ?」

「私は、ルアナと一緒に何かしたい。知らない景色を見に行きたい、ルアナと一緒に!」

 

 吐き出した声。パチクリと瞼を動かしたルアナ。アナログ時計かカチリカチリと音を鳴らす。

 そんな音を六つ程聞いてから、簪は自分の放った言葉を振り返り、恥ずかしくなる。

 心のどこかにあった気持ちが溢れて、零れて、形になった。

 涙の止まったルアナは唖然として、顔を赤くした簪を真っ直ぐに見ている。

 

「あ、あのね。ルアナ、えっと、その、こ、恋人、としてとかじゃなくて」

「わかった」

「え?」

 

 コクリと頷いて、ルアナはまたへにゃりと笑う。少しだけ赤らめた顔を惜しげもなく晒す。

 

「わたしも、簪と一緒にいたい」

 

 簪の手を取り、指を絡める。

 瞼を閉じ、身を乗り出して、顔を寄せた。

 

 

 

 瞼を閉じた簪は眉間に皺を寄せ、両手でルアナを優しく押し退ける。

 瞼を開けば不満顔のルアナ。そんなルアナを見て簪は眉尻を下げてしまった。けれど、これだけは言わなければならない。

 

「お酒臭いよ……」

 

 アルコール類を嗜める年齢でもない簪はその一言を言わなくてはいけないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 明かりが消された部屋に寝息が一つ。

 寝息の主である簪の隣には人が一人入れるスペースの空間が開いていた。

 先ほどまでソコにいた少女は窓辺にある椅子に座っており、少しだけ開かせたカーテンの隙間から月を眺めてグラスを傾けている。

 その表情は無表情で、酒気を帯びた吐息を漏らしてはいるが他者が見たところで酔っ払いと称する事など無いだろう。

 

「……」

 

 口に少しだけ含んだ液体をゴクリと喉へと流し込み、奥から溢れ出る熱を吐息へと変換して味わう様に吐き出す。

 吐き出して、グラスに映り込んだ自分の顔を見て、紫銀の少女は苦笑してしまう。

 弱くなった。そう自分を称する事が出来た。

 一夏と出会う前ならばその弱さにすら気付く事すら出来なかった。

 一夏と過ごしていた時間ならばその弱さを切り捨てる事が出来ただろう。

 今は、その弱さを受け入れる自分がいるのだ。

 

「…………ルアナと一緒に居たい、か……ふふ」

 

 ニヤケた顔を隠す事すらせずに、上機嫌でグラスを傾けた少女。

 どんなクスリを用いた所で味わう事の出来なかった幸福感が心から湧き出て、表情が柔らかくなってしまう。

 だからこそ、少女は迷っていた。

 彼の為に生き、彼女に縋っていた少女だったならば、迷う事すらなかっただろう。

 ナイフを()した少女は刀身を眺めながら息を吐き出す。

 

「アナタなら……なんて、もう決まっている事を迷う必要なんて無いわね」

 

 ナイフに映る少女の顔は苦笑に歪んでいた。

 迷う必要など少女には無い。彼女自身の決定なのだから、迷うなど滑稽極まりない。

 

「見たことのない……景色か」

 

 チラリと眠っている簪を視界に入れて、苦笑を微笑みへと変える。

 愛おしいと感じる事の出来る人。同時に狂おしいほど自分だけのモノにしたい彼女。

 ナイフを握る手に力が入り、気を逸らすように握っていない手へと突き刺す。鋭い熱が手の平に広がり、痛みへと変換されていく。

 

「ヒヒッ……あぁ、簪。アナタを殺してあげたい……殺して私だけのモノにしたいよォ」

 

 焦点の定まらない瞳を蕩けさせ、刺したナイフを捻り痛みを増幅させる。

 突き出たナイフの切っ先から落ちる赤い液体は床に落ちる前に粒子に成り、空中に漂った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。