「にん……げんに?」
「そうっ! 擬似ISであるその身体を」
「必要ないわ」
説明を口から紡ごうとした束の言葉を遮り、ルアナは拒絶する。
目を細め、何かを思考して、ルアナはもう一度、必要ないと付け足した。
その否定に反応したのは誰でもなく、織斑一夏である。
「なんでだよ!? 人間に戻れるんだぞ?」
「そうですわ!」
一夏に同調するように口を開いたセシリア。箒も疑問を顔に浮かべている。
ルアナは少しだけ目を見開き、瞼を下ろした。息を分かる様に吐き出す。薄く瞼を上げて口を開く。開いた口からは声は出ず、ただ息が吐き出されるだけに終わった。
「……そうね。ヒトに成れるだなんて、夢のようだわ。いっそのこと夢ならば二つ返事で答えたでしょうけど」
「なら、」
「少しだけ考えさせてくれないかしら?」
「ふーん、まあいいよっ! 他ならぬルーちゃんの頼みだもの! 束お姉ちゃんは聞いてあげるよ!」
「……」
ルアナは束に反応を示さず、踵を返して一夏達を抜けて部屋から退出した。
ソレを追う様にシャルロットも部屋から消えて、一夏は頭を掻く。
「なんでアレだけ人間に成りたがってたのに、迷うんだ?」
「……さぁ? ルーちゃんの考える事はよく分からないからねー」
「あの、篠ノ之博士」
「なんだい? ちっぱいちゃん」
束が首を傾げて問いかけてきた鈴音に反応する。
たっぷりの沈黙を以ってしてその怒りを治めて凰鈴音は疑問を吐き出す。
「ルアナを人間に戻せるって言いましたけど、本当なんですか?」
「本当だよー。当然じゃないか。テンサイたる私が十全に彼女を人間に出来ると言ってるんだよ? 何を疑う必要があるんだか、それこそ私には分からないなぁ」
「なら、もっと早くに出来たんじゃないですか?」
「うーん、ソレを言われると痛いんだけどね」
にゃはは、と笑いを混ぜながら束は淹れられた珈琲を啜る。
カップから口を放し、口元に変わらぬ笑みを携えながら言葉を紡いでいく。
「実際、ルーちゃんを人間に出来る理論は出来てたんだよ」
「なら、」
「いやー、ちっぱいちゃんは実に感情的で直情的で情熱的だね。加えて残酷だ。
君はきっと友人の為に言っているんだろうけど、机上理論で実験もせずに彼女で試せ、というのかい?」
「それは……」
「なら、実験をしたんですの?」
「その答えはノーだよ。クロワッサンの妖精ちゃん。
古今東西、過去現在、私が関わった存在の中でルーちゃんはソレこそオンリーワンだからね。同じ存在を作り上げて実験する事も出来ない事は無いけれど……元々ルーちゃん自体が異質で異物でそして異常だからね」
「……なら机上理論のままでは?」
「その答えもノーなのだよ、妖精ちゃん。
言った筈だよー。私が関わった存在で、ってね。正確には別の存在だけれど、それでも彼女に似通った存在は沢山あったんだよ。それこそ私にとってついでではあったけど。
君達も知ってる筈だよね?」
「"ブローバック"……」
「そう。まあ、似た存在で実験を」
「って、束さん。ソレって人体実、」
「んー? ああ、私は人体実験を行ってないよ。勿論、生存している人間を殺した事もない。ISを作ってしまった事で間接的には分からないけれど、直接手を下した事は無いよ。
で、その、"ブローバック"だっけ? 彼女はルーちゃんとほぼ一緒……いや、機体的なスペックで言うなら彼女の方が断然高いんだけどねー。ホント、ルーちゃんは私の予想を何度も覆してくれるよ」
あっはっはっ、なんて笑っていた束が全員のジト目を見てその笑いを沈めていく。
少しだけ気まずそうに頬を掻いてから、視線を外に向けてしもどろに言葉を出していく。
「ま、まあ、ルーちゃんを人間に出来るのは実験済だから問題は何もないよ。尤も、そのルーちゃんが問題ないんだけどね」
「どうしてなんだろうな」
「バーネットだって迷いはあるんだろう。私達がどうこうして解決する問題でもないだろう」
「……箒さん、何か変わりました?」
「変わらないさ。何年経ってもな」
肩を竦めてみせた箒にセシリアは訝しげに視線を寄せて、一夏は苦笑をして、頭に疑問を残した。
◇◆
疑問の主たるルアナ・バーネットはカツカツとローファーを廊下へと打ち付けて音を鳴らしながら歩いていた。
「ルアナ、待ってよ。ルアナ!」
その後ろから慌しく追いかけて来たシャルロットがルアナの隣に並んで歩く。
顔にはやはり疑問が表れていて、ルアナはその表情をチラリと見て前へと視線を戻した。
「どうしたのさ。急に」
「……別に、どうって事は無いわ」
「私には言えない事?」
「……シャルロット、少し黙りなさい」
「私だってルアナに信用されたいよ? そんなに頼りない?」
「黙りなさい。シャルロット。その口を私の唇で塞いであげてもいいのよ?」
「まあ私って頼りないよね! でもさ、私だって色々とルアナの為に頑張りたいんだよ!」
「嘘よ」
シャルロットが立ち止まり、光り輝いていた瞳が見事に光を失った。もうこの世界に希望など無いのだ。
ルアナはしっかりと立ち止まり、シャルロットへと振り返って苦笑する。
「ああ、そんな死んだ魚の様な目をしないで、シャルロット。そそるわ」
「ルアナってエス?」
「性癖の事を言うのなら、マゾでもあるわよ。束縛されて飼われるってのも悪くは無いわね」
「そうだよね!」
「いつの間にアナタの性癖の話になったのかしら」
手の平を上にして肩を竦め、首を横に振って呆れる。
溜め息を吐き出して足の動きを再開させるルアナ。そのルアナの隣に並ぶようにしてシャルロットが歩く。
「それで、どうして怒っているの?」
「怒ってる訳じゃないわ。私だって迷う事があるの」
「人間に成るか、成らないか?」
「まあ、端的に言えばソレね。今更ながら理解していた事を突きつけられて驚いてしまった、というのが一番かしら?」
「理解していた事?」
「いいえ、理解し切れなかったのかしら? ホント、面倒極まりないわね。まだ神経衰弱の方が簡単」
「ソレはどうかと思うけど」
「私に関係はあったけれど、私には関係の無い話だった。それとも私に関係なかったけれど、私には関係ある話だったのかしら? どちらも結果としては同じだから論じる意味などないのだけれど……ァァ、面倒ね」
「意味が分からないけど、ルアナは人間には戻りたくないの?」
「シャルロットは知らないだろうけど、私が人間であったことなど一度たりとも無いわ。ルアナ・バーネットという存在も、その以前も、私は人間でありながら、人間というカテゴリーの中には存在してはいなかった。だからこそ、人間に戻るという言葉は私には適応されない。成る、という言葉に置き換えた所で私にとってこの身体は都合のいい物であるから対した価値は見出せない。人間になる事がどれ程重要か理解出来ない、する気がない。
ねえ、シャルロット。アナタはヒトである事に幸せを感じるのかしら? ヒトである事に意味はあるのかしら? 生きる意味は? 死ぬ意味は? いいえ、そうね。私には死ぬ理由も意味もあるんだっけか」
「ルアナ、ちょっと落ち着いてよ」
肩を掴んだシャルロットを物ともせずにルアナはその足を進める。踏ん張っているにも関わらず、止まる事もなくズルズルと踵が磨り減っていく。
肩を両手で掴んで引き摺られていくシャルロットとソレを引くルアナの姿は注目され、ルアナは眉を寄せた。
「シャルロット、離しなさい」
「ここで放しちゃうとルアナは何処かに行っちゃうでしょ!」
ルアナは立ち止まり、肩に掛かる腕を払い身体ごとシャルロットへと振り返り、顔を寄せる。深い青の瞳がシャルロットを写し込む。
「……」
「な、なに?」
「いいえ、今更ながらお節介を購入した、と理解したの。別に好きだからいいけれど」
「そ、そう……ん? 今好きって言った? 言ったよね? ちょっと待って、私のログには何も残ってないからもう一回、もう一回」
「さてね。言ったとすればベッドの上よ」
ヒラリ、とシャルロットの制止の手を避けたルアナ。その口にはいつもの様にニタリと含んだ笑いが添えられていた。