私が殺した彼女の話   作:猫毛布

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65.ヒロイックヒロイン

 更識簪はただドコかを見つめていた。それは未来視をしている訳でもなく、世界が粒子へと変換されたソレを見ている訳でもなく、宙に漂う文字を見ている訳でもなく、ツギハギの様に脆い世界を見ている訳でもなかった。

 白黒な世界で、自分を支えてくれた姉が自分に何かを言ってから部屋を出たことは理解していたけれど、それ以外はさっぱり思い出せない。

 カチ、カチ、と一定間隔で音を立てるアナログ時計。真っ白な文字盤。針も無い。

 

 そんな世界にどうして自分はいるのだろうか。

 どうして自分が生きているのだろうか。

 

――アナタのお陰でお姉様を簡単にその状態へする事が出来ました。

――お前のせいでルアナが死んだんだ!

 

 わかっている。わかっている事だ。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、ルアナの背中がボヤケテ視界に入り込んでくる。頭へ刻み込まれたみたいに、戦っていたルアナの姿が簪の思考に入り込む。

 そして、同じ回数だけ目の前で緑色の粒子へと変換されてしまうルアナを思い出してしまう。

 抱き締めていた筈の身体がまるで無かったかの様に消えていく感覚。在った筈の温度が無くなり、粒子だけが手に残っている感触。

 

 物の輪郭がやけにハッキリしたモノクロ世界。その中で自分の手を視界に入れた簪。まったく色の無い自分の手。その輪郭がボヤケていき、線が解けて世界へと飲み込まれていく。

 それでも、ソレを否定するように手が痙攣して輪郭を取り戻す。

 

 死にたくない。けれど、生きたくもない。

 この絶望から抜け出せるなら死にたい。守られた自分を死なせたくないから生きたい。

 

 どうしようもなく弱い自分を許せない。あの時にもしも自分が一歩踏み出せれば、ルアナを押す事が出来たなら。あの時ISを展開する思考を保っていれば。あの時自分にもっと力があれば。

 きっと今もルアナは簪の隣で笑っていただろう。簪は簪で怖さのあまりルアナに抱きついていたかもしれない。そんな簪を見て少しとはいい難い程羨ましそうにシャルロットが抗議を唱えて、その隣ではラウラが溜め息混じりに呆れていたかもしれない。

 

 けれど、そんな事は現実では起こらなかったのだ。

 既に出た結果を何度否定しようが、ソレは既に否定する事の出来ない事実になってしまっている。

 

 守ってくれた存在(ヒーロー)は消えて。守ってもらった存在(ヒロイン)は涙を流す。

 なんてことは無い、簪のよく知る、どこにでもある物語の一端だ。

 簪はヒーローになりたかった。誰かに守られる存在ではなくて、誰かを守る存在になりたかった。それなのにいつの間にか、どうしようもなく弱い自分を適当な理由で守って、殻に篭り、ルアナに守ってもらっていた。

 ソレを自覚しても、ソコが居心地がよくて、甘える事が出来て、少しだけ厳しくて。

 

 簪は顔を少しだけ上げる。

 モノクロな世界の中で、気だるげに動いているルームメイト。自分が殺した彼女。ルアナ・バーネットだけが色付いている。

 だらしなく垂れた顔も、寝惚けたような顔も、お菓子を頬張る顔も、少しだけ怒った顔も、真剣に自分を諭していた顔も、全部覚えている。

 ソレが一瞬で消えてしまった。ソレが消えたのは自分のせいだ。弱かった自分が全て悪い。認めよう。

 

 簪は無意識のどこかで言い訳をしていた無力な自分を認める。弱くて、臆病で、情けない自分。変に意固地になりその自分を理肯定していた。無意識で許していた。

 許せないから、否定する。弱い自分を否定する。臆病な自分を否定する。情けない自分を否定する。

 まるでそうで在るかのように、憧れである存在のように。強い自分を肯定しよう。勇敢な自分を肯定しよう。誇れる自分を肯定しよう。

 

 更識簪は瞼を落とす。ゆっくりと呼吸をして頭の中で自分の弱さを捨てていく。

 趣味も、思考も、全て、全て奥深くへと仕舞いこむ。きっとそうでもしなければ彼女の仇など取れない。

 仇を討つ為に思考し、仇を討つ為に生きる事が生かされた自分のすべき事だろう。

 簪は瞼を上げ、瞳に意志の炎を宿す。

 

 

 

 

 宿して、少しだけ間を置いて、息を吐き出した。

 

「――違う」

 

 決して、自分の心構えが間違っているという事ではない。それこそ簪の決意は本当であった。けれど、ソレは何かが欠けていた。決定的に間違っている。

 どうしようもない自分が許せない。そしてルアナ本人を消した彼女も許す事など出来ない。ソレを倒したいという気持ちもある。

 そうだというのに、どうしてルアナの呆れた顔が思いつくのだろうか。簪からしてみれば喜んでほしいのに、どうして。

 

 心は復讐を望んでいる癖に、頭がソレを否定する。復讐を肯定はしている癖に、頭が何かを否定する。

 

 違う、そうじゃない。何度も囁いてくる何か。

 何が違うというのか。何が間違っているのだろうか。

 大切な人を消されれば復讐を誓う。既に定型的なストーリーだ。神様にでも願えば世界を破壊するモノも宿るかもしれない、そんなありきたりな行為だ。

 だから、故に、従って。

 

「――うん」

 

 自分は間違っている。簪はソコへと至った。

 どうしようもなく弱い自分も、情けない自分も、臆病な自分も、全て自分だ。否定しても、変わらない。

 殻を破るのに友達の死が関わるなど、どこの主人公だと言うのだ。

 簪は苦笑してから、溜まっていた息を吐き出す。心の中にあった気持ちなんて全部吐き出した。

 

 肯定して、認めて、それでも一歩進まなくてはいけない。自分を取り戻すのに、ルアナを使ってどうする。そこまで頼ってしまってどうする。

 

「すぅ…………ふぅ。よし」

 

 カチ、カチと一定間隔で鳴るアナログ時計の文字盤には数字が描かれ、針はその数字を指している。

 

 きっと復讐に駆られていれば簪はヒーローになりえただろう。頭にダークなんて付いているかも知れないが。

 ソレを簪を拒んだ。

 ヒーローになりたくない訳ではない。それでもその理由にルアナを使う気は無い。それこそルアナが怒ってしまうだろう。

 

 簪は自分の手を見つめて、握り締める。じんわりと血が巡り、存在を認識する事が出来る。

 大丈夫、大丈夫。出来る事から始めよう。

 

 

 簪が意気込んでいると扉が開いた。

 くるりと体ごとソチラの方向を向いた簪とその扉を開いた楯無。両者、パチクリと瞼を動かして、楯無は扉を閉めてしまった。

 

 え? という顔をしてしまっている簪とは違い、扉を閉めた楯無は焦っている。

 

 ヤバイヤバイと頭の中で何度も呟き、冷静な部分で簪を元気付ける為に会話を作り上げる。

 

 楯無は扉を開いた。

「はぁーい、簪ちゃん。ご機嫌いかが?」

「お姉様! 私、絶好調です!」

「私も絶好調になったよ!」

 完璧である。

                    』

 

 一体何が完璧なのか、小一時間程冷静な状態の更識家十七代目当主殿に訪ねたい所である。そもそも元気付けるという主旨なのにどうして簪がそれほど元気なのだろうか。

 

 ともかくとして、ありのまま起こった事を言えば、目から光を失っていた妹が少し仕事で出て急いで戻ってきたら戻っていた。何を言っているか分からないと思うけれど、楯無にとってはもっと何が何だかわからなかった。

 

 いいや、落ち着け、落ち着くんだ更識楯無。伊達に十七代目楯無を襲名した訳ではない。持ち前の素晴らしい頭脳が頭を一気に冷静にしていく。

 そう、今こそチャンスなのだ。恋人にも似た友人を失った妹。そして不仲だった姉が妹を慰めて姉妹仲は最高潮へと。

 これは素晴らしい未来への布石だ。もうゲスい考えであることなんて棚の上に置いておこう。何も問題はない。そう、なぜなら彼女は更識楯無なのだから。

 

 一つ深呼吸をして、ゲスい事を考え、甘い未来に緩んでいた顔を引き締める。

 実に凛々しい顔である。先ほどまで素っ頓狂な考えをしていたなんて誰が予想出来るだろうか。

 

 楯無は扉を開き、変わらずキョトンとしたままの簪を視界にいれた。

 

「大丈夫かしら?」

 

 キリッとした顔で言い放った楯無。予想ではココで頼れる姉である自分の登場に涙して簪は抱きついてくる筈だ。そして慰める。なんて完璧な予測なのだろうか!

 

「うん、大丈夫だよ。お姉ちゃん」

 

 お姉ちゃんと呼ばれた事に小躍りしたい気分である。

 先ほどまで色々とゲスな事を考えていた自分なんてなかったかのように楯無は弛みそうな表情をどうにか凛とした表情で塗り固めた。

 完璧な予測とは何だったのか。いや、なんでもない。

 

「ルアナは……どうなったの?」

「……そうね。今はまだ精密検査中よ」

「そっか……」

「簪ちゃんは悪くないわ。アレはあの娘の選択なんでしょ?」

「私は悪いよ。何も出来なくて、ルアナを目の前で失ったんだ」

 

 立ち直った、そう楯無は思っていたが、そんなに簡単に立ち直れる訳は無い。やはり妹の心の中にどこか不具合が生じている。

 生じているというのに、どうしてだろうか。以前よりもしっかりと軸を感じるのは。

 

「だから、お姉ちゃん。私を強くしてください」

「………………」

 

 頭を下げた簪を見つめて、楯無は驚いた。コンプレックスであろう自分に頼みごとなんて何年振りだろうか。

 中学生……いや、確か小学四年生の時に宿題を教えたのが終わりだったような気がする。季節は冬だった筈だ。問題集の五十六頁。四問目だ。

 

 そんな非常に嬉しい簪の申し出。けれど、楯無の冷静な思考はソレを素直に受け取ることが出来ない。

 

「……先に言うけど、」

「復讐の為じゃない……とは言い切れないけど、目標は違うよ」

「? じゃあ、彼女を守る為?」

「私が守る程、ルアナは弱くないよ」

 

 可愛らしく首を傾げた姉に苦笑してしまった簪は改めて心の中で整頓した気持ちを吐き出す。

 

「ただ守られる存在は後悔するから……せめて、ルアナの隣に立てるぐらい、後ろにいても『私は大丈夫だよ』って言えるぐらい、強くなりたい」

「……そう」

 

 しっかりとした視線を受けて楯無は思わず笑ってしまう。復讐の為と言っていたなら、力など貸さないつもりだった。

 けれど、愛すべき妹はそんな事を目標にはしなかった。彼女の前ではなく、隣であり、そして後ろにいれるだけの力を求めた。

 

「少し、妬けるわね」

「え?」

「冗談よ」

 

 肩を竦めて、いつもの調子で人懐っこい笑みを浮かべた楯無は簪の頭を撫でる。

 贔屓目無しとはいえないけれど、これほど可愛らしい妹にソコまで言わせた存在に嫉妬してしまう。

 撫でている妹を見て、その頭を胸へと抱き留めてしまった。

 

「今は眠りなさい、簪ちゃん。疲れた身体を労わるのも強くなる一歩よ」

「うん……お休みなさい、お姉ちゃん」

「ええ、おやすみなさい。簪ちゃん」

 

 楯無が慈しみの篭った笑みを浮かべ、ソレに安心したのか簪はようやく心を落ち着けて眠りへと向かう。

 ソレをしっかりと見た楯無は妹の手を三度ほど撫でて、部屋から退室した。扉が閉まるのと同時に息を吐き出す。

 

 思わず抱き締めてしまったけれど、尤もらしい理由は吐き出したし、たぶん、バレてない筈。可愛かったから抱き締めただけ、とか絶対にいえなかったし……簪ちゃんの寝顔も見れたし何も問題は無い。

 無いのだ。いいね?

 

 

 

 

◆◆

 

 しっかりと開いた瞼。深い青の瞳は部屋にいる人物を見渡している。

 その視界に入れられた、織斑一夏、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、凰鈴音、シャルロット、ラウラ・ボーデヴィッヒ、更識簪はその人物に息を飲んでいた。

 

 まるで陶磁器の様な白い肌に、幻想的にも思える紫を淡く混ぜた銀の髪。人形とも思える整った顔。

 そして、幼い身体。

 その幼女はニコッと笑顔を浮かべて無邪気に口を開く。

 

「初めまして! お姉ちゃん達!」

 

 ゆっくりと話は動き出す。

 私が殺した彼女の話をゆっくりと始めましょう。




>>簪ちゃんの気持ち
 守る為じゃなくて、守られない為に力を求めます。守る為の一夏とは別の選択で、復讐に焦がれた一夏とも別の感情です。

>>一夏は?
 篠ノ之さんに説教くらってます。平手打ち二発ぐらいは受けてるんじゃないかな?

>>神様にでも願えば世界を破壊するモノも宿る
>>殻を破るのに友達の死
 ステマ、そしてネタバレ

>>なぜなら彼女は更識楯無なのだから。
 謎の説得力。書いてる筆者ですら「そうだな」って思う程度の説得力を保持してる。

>>頼みごとは何年振り?
 正確に覚えている辺り、楯無さんのシスコン度が、いや、なんでもないです。

>>ラスト
 次の話で。決まっている部分をチラ見せして読者さんを煽っていくスタイル。

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