「簪、そこ少しオカシイ」
「あぅぅ……」
「唸ってないで、頑張る」
「はいぃぃ」
更識簪は自身の隣で同じディスプレイを見ている少女に思わず戦慄してしまう。
この紫銀の彼女が専用機を手に入れて、簪の手伝いをすると言ってからはや数日。こうして簪が頼むまでもなくルアナは開発に付き合ってくれている。
「それもズレてる。それだと照準の合わせる速度が落ちる」
「で、でも、こうしないと複数のロックが出来なくなっちゃう、よ?」
「……こうとか?」
「それだとこっちが無理に……あ、こうすれば」
「……おお、すごい」
「えへへ……あ、でもコレがエラー吐き出すのかぁ」
「それはコレで対処出来る」
「おお、なるほど」
おおよそ、こんな会話を数日繰り返している訳で。最初程ルアナに対する遠慮や、躊躇などをあまり感じていない簪。
教える時は教えてくれるし、自身が迷った時にしか手を出してこないルアナはこう言っては悪いが、簪にとって非常に都合のいい存在だった。
それを気づかせない程、ルアナは簪に対して細心の注意を払いつつ接していた。
時にはお菓子をねだり。
時にはお菓子を強要し。
時にはお菓子を奪ったりと。
細心の注意を払い、ルアナらしく接していた。いったい何を注意していたのだろうか。
そんなルアナだからこそ、簪も何も遠慮をすることなく色々と相談することが出来るのだろう。相談すればソレ相応に真摯に向き合ってくれる、ということもあるだろうが。
簪の作っている、正確には倉持技研で作られていた専用機。武装の類はある程度完成していたが、肝心のシステム部分が未完成のままであった。
主兵装とも言えるミサイルポットもその機体制御に至るまで、文字通り、手をつけた程度で放置されていたのだ。それもこれも【白式】の開発が悪いのだが、それは世論の責任である。もはやコレもありふれた責任問題なのだ。
簪自身もソレは理解することもできた。出来たけれど、納得をすることはできなかった。けれども今なら受け止める事は出来ている。
これは、自分に与えられたチャンスなのだと。壁を越えるために必要不可欠なのであると。
「簪?」
いつの間にか手が止まっていた簪の目の前にルアナの顔が降りてくる。
慣れたとは言っても整いすぎている顔が突然眼前に来たことで驚きながら、簪は意識を戻す。
「なんでもないよ」
「そう。そろそろ休憩しよ」
「まだ出来るよ」
「私が疲れた。お菓子が食べたい、お茶は淹れるから準備をよろしく」
「…………うん、わかった」
調子はずれの鼻歌を歌いながらルアナはお茶を淹れにいく。
簪は息を吐きだしながら立ち上がり、背筋を伸ばす。伸ばしてわかったことは意外に疲労が溜まっていた事だ。時計を見れば既に短い針が十の文字を過ぎていた。翌日が休みだからと言って徹夜で集中しすぎてしまった。
そしてソレにルアナを付き合わせてしまった事に少しだけ申し訳ない気持ちが出来る簪。同時にまた心配を掛けてしまったのだと理解した。
ルアナの下手な嘘を簪は見切って、感謝を心に刻む。口に出したところで彼女は素直に受け取ってくれないのだ。受け取ってくれるのはお菓子だけである。
そうして簪が一歩目を踏み出したところで扉がノックされる。三回程ノック音が聞こえ、簪は扉を見る。
扉を見たあとにルアナを見れば、相変わらず調子はずれな鼻歌を奏でながらお湯を沸かしている所だ。
「は、はい」
一応、念のため、誰かはわからないけれど、居留守を使う気にはなれなかった簪は手櫛で軽く跳ねてしまった髪を押さえ付けて、扉を開く。
そこにいたのはこれから外にでも行くのか、制服ではなく少しオシャレな私服を着ている織斑一夏がいた。
受け止めた事実も、理解している世論もあるが、やはり納得はまだ出来ていないのだ。
簪は相手を確認して、少しだけトーンの低くなった声を出す。
「なんですか?」
「あ、えっと、更識さんでよかったけ?」
「そうですけど……」
「ルアナはいるか? 一緒に買い物に行きたいんだけど」
「…………」
簪はひたすらに眉間に皺を寄せた。心の奥底で、またコイツに盗られるのか、という気持ちが湧き出てくる。
しかし、ここで断る権限を簪は持ち合わせていない。
「ん、どうかした?」
「あ、ルアナ」
「よう、ルアナ。一緒に買い物に行こうぜ」
ひょっこりと顔だけを覗かせたルアナはその顔を顰める。
「なんで?」
「いや、お前って水着とか持ってなかっただろ? 箒とも買い物に行くし」
「行かない」
「……なんでだよ」
「別に必要じゃない」
「でも臨海学校に行くなら必要だろ」
「必要じゃない。必要だったとしても一夏と買いに行く理由にはならない」
「そうだけど、ほら、デザートとかも食べに行けるし」
「……」
ルアナはジィっと一夏を見た。一夏は相変わらず真面目な顔をしてルアナを見ている。
やや険悪な空気にオロオロとしている簪。そんな簪の腕に抱きついたルアナ。
「水着は簪と買いに行く」
「へ?」
「あ?」
「ふえぇぇぇぇぇえええええ!?」
一夏の低い声をかき消したのはルアナに腕を抱かれている簪である。自分がよくわからない内に巻き込まれたし、そして約束まで取り付けられている。
簪は自身の腕に抱きついているルアナを見て、その後に一夏を見た。そろりと、確かめるように。
訝しげに眉間を寄せルアナを睨み、その鋭い目をそのまま簪に移動させた。
―ヒィッ!
決して声には出さなかったが、簪は心の中でそう鳴いた。それ程に、一夏の顔は歪んでいた。
「なんで俺とじゃダメなんだ?」
「それは一夏が一番知ってること」
「俺はルアナの為を思ってだな」
「ルアナの為?」
「……更識さんは関係ないだろう?」
恐る恐る自身の疑問を口にすればソレを拒絶するように一夏は呟いた。その一夏の呟きをそれ以上言わせない為にルアナは口を開く。
「簪とは約束をしていた」
「それは嘘なんだろ? 更識さんも驚いてたし」
「それでも、水着は簪と買いに行く」
「…………」
「早く行かないと篠ノ之箒に怒られる。行け」
「はぁ……わかったよ」
納得しないように頭を掻いて、踵を返した一夏。その背中を簪は見送る。
見送っている簪の袖がちょいちょいと引かれた。引いた存在は同室のルアナであり、申し訳なさそうに眉尻を下げている。
「ごめん、巻き込んだ」
「いいんだよ、ルアナ」
「一夏を勘違いしないで。アレは私が関わると、その……少し自分を見失う」
目を少し伏せてそう言ったルアナ。きっとそこには一夏が言ったように言えない事情があるのだろう。
簪は自然と手を伸ばし、ルアナの頭を撫でてやった。
「だ、大丈夫だよ、ルアナ。ルアナが私を手伝ってくれるように……私もルアナを助けたい」
「…………」
簪の言葉にルアナは黙り込む。少し俯いて、更識簪に見えないように下唇を噛む。
―やってしまった。ああ、問題だ。
ルアナにしてみれば一夏と簪の仲を円滑にしなくてはいけなかった。それがどうだ。自身がいることで余計な溝を作り上げてしまった。
けれど、ソレを目の前の少女にバラしてはいけない。全ては織斑一夏の為にならなくてはいけない。
拒絶しないことも出来たが、それは篠ノ之箒との仲に亀裂が入る。八方塞がりであった、と言えば諦めがつくけれど、もっといい方法もあった筈だ。
簪と一夏の溝が深くなってしまった。けれど、簪にとってそれはイイ傾向だ。一夏との関係を度外視してしまえば、かなりいい傾向だ。
あの簪がルアナを助けると言ったのだ。内気で、ヒーローを待っていた彼女がヒーローになろうとしている。それはきっといい傾向だ。一夏との関係がマズイ方向へ進んでいるけれど。
「簪、水着、買いに行こう」
「え? あれって本当に約束だったの?」
「一夏に嘘を吐きたくない」
「そ、そうなんだ」
「嘘にしなければ大丈夫」
いや、その理論はおかしいだろう。簪は心の奥で思った。思ったけれど口には出さなかった。
そして、ふと自身の不安を思い出してゆるゆると口を開く。
「でも、その……私、服を選ぶセンスとか」
「大丈夫、簪は何を着ても似合うから」
「あ、ありがとう」
ノータイムでの切り返しに簪は顔を少し赤くする。
対してルアナは何かを考えるように顎に手を置いている。色々と考えた末に、口を開く。
「もう一人誘っていい?」
「もう一人?」
「うん。シャルロット・デュノア」
「え? どうして?」
「男装して転入してきたから、たぶん彼女に水着がない」
「そうなんだ……」
「大丈夫?」
「う、うん。いい……よ」
散々迷ったけれど、ルアナの紹介ならばきっといい子なのだろう。とあたりを付けた簪は許可を出した。
ルアナがシャルロットを誘う理由は二つ。簪と一夏の架け橋をもう一つ増やす為。そして、簪に自分以外の友人を作る為である。
シャルロットならば、簪を更識として見る事はあってもソレを悟らせる事はないだろう。彼女自身、家名に苛まれている存在でもある。
「じゃあ、呼んでくる。準備しといて」
「え? ルアナは?」
「私はこの服しかない」
ひょい、と摘んだYシャツ。下からはスラッと伸びた白い足。
いや、待て、待つのだルアナ・バーネット。例え女子寮であろうとその格好でうろつくのはいけない。絶対にダメである。
「寮の玄関で待ってて」
「待って! ルアナ!」
簪は思わず叫んだ。叫んだけれど扉は無残にも閉じられてしまった。
何かを掴もうとして伸ばした手が虚空をきり、力なく落ちてしまった。
「簪、これがシャルロット・デュノア。趣味は男装、特技は色仕掛け」
「ルアナさん、そういう紹介はやめてくれるかな?」
「本当の事を告げただけ」
「趣味も特技も違うんだけど?」
「………………え?」
「もういいよ」
着替えてとりあえず言われた通りに玄関で待っていた簪。数分ほどして疲れた様子の金髪の少女と白い足をズボンで覆い少しボーイッシュだけれどお洒落な格好をしたルアナが歩いてきた。
そんなルアナがやる気なさげに隣の金髪の少女を紹介した。とても、とてもじゃない内容である。
とてもじゃない内容の紹介を軽く否定して、シャルロット・デュノアは改めて簪に向いた。
「僕はシャルロット・デュノア。よろしくね」
「あ、は、はい」
「君の名前を教えてくれるかな?」
「え、あ、」
「簪、落ち着く」
「う、うん……私は、更識簪」
「うん、じゃあ、更識さんでいいのかな?」
「えっと……名前で大丈夫、です」
「わかった。よろしく、簪さん」
「はぅ」
にっこりと笑ったシャルロット。顔が整っている彼女が綺麗に微笑んだモノだから簪の心が何かに射抜かれたように反応してしまう。
「特技は色仕掛け」
「……な、なるほど」
「ルアナさん、やめて? あと、簪さんもやめてよ」
先ほどの特技をもう一度言ったルアナに対して的を得たように神妙に頷いてしまう簪。その二人に手を伸ばして止めるシャルロット。
さて、彼女は簪と会う前に予めルアナから注意を受けていた。なんのことはない、水着の購入を誘うと同時に同室の少女も一緒だからエスコートするように、と。たったそれだけである。
付き合いが短くても必要の無い事をルアナが言わないという事を散々に理解している、というかルアナに未来を握られているシャルロットはある程度の納得をしてこの場にいる。
そして自身を名前で呼んで欲しい、という簪の主張とIS学園の会長と同じ苗字である事を鑑みて、ある程度の事を察した。
もちろん、そこまで根の深いコンプレックスだとは思っていないけれど、予想できる範囲はわかった。ついでにどうして自分がルアナに呼ばれたのかもわかった。
鈴音ならば、ツッコミはしないだろうが更識という名前に反応してしまうだろう。ラウラはおそらく直球に聞いてしまう。
「まあいいけどね」
「特技、色仕じか」
「それはよくないよ」
「ち、違うの?」
「違うよ!」
思わず大きな声で言ってしまった。シャルロットは溜め息を吐き出して頭を振る。
ルアナに流されてはいけない。改めて頭を切り替えてシャルロットはルアナを指差す。
「今日は水着と一緒にルアナさんの服を買うよ」
「いらない」
「いらなくない!」
「必要無い」
「ある! 簪さんからも言ってよ」
「そうだよ、ルアナ……流石にYシャツだけじゃ」
「あ」
「え?」
「Yシャツ……だけ?」
ルアナは逃げ出したい様に足を玄関へと進める。そんなルアナの首根っこを掴んだシャルロット。ニコニコと笑っているシャルロットを見てどうしてか震える簪。
「ルアナさん……さっき他にもあるって言ったよね? だから追求をやめたのに」
「簪……」
「ルアナ、他にも持ってたの?」
「同じYシャツがもう一着」
「許しません! 女の子が服を持たないだなんて、絶対ダメだよ!」
「最近まで男装してたくせに」
「何かいったかな?」
「何も言ってない」
「それはよかった」
ニッコリと笑顔を作ったシャルロットはそのままルアナから簪を向く。顔を向けられた簪はビクリと体を震わせて隣にいたルアナをチラリと確認した。ルアナはそっぽ向いた。
「簪さん」
「は、はひ!?」
「ルアナさんに可愛い服を着せよう」
「…………はい!」
怯えたのが嘘の様に、簪とシャルロットは硬い握手を交わした。その握手を見ながらルアナはげんなりした顔を見せる。
自分をダシにして二人が仲良くなるのは構わないけれど、これは面倒な方向に進んでいるかもしれない。
「さて、そうと決まれば時間は限られてるね」
「急がないと」
「ゆっくりでいい」
「ダメ。ルアナの服を買いたい」
「そうだね、急ごう」
二人に手を掴まれ逃げる事もできないルアナはそのまま連れ去られる様に歩かされる。
二人はそんなルアナを見て、お互いの顔を合わせて笑顔を作る。
「どんな服が似合うかなぁ」
「ワンピース、とか」
「ああ。いいかも」
「動きやすい服。ズボンとかなら」
「いっそゴシックロリータとか着せても」
「いい! いいと思う!」
「でしょ!」
「…………もう勝手にして」
ルアナは力が抜けた様にもう為すがままになっている。それこそ今ならどこかのお姫様のようなドレスでもなんでも着てくれるだろう。顔は仏頂面だけれど。
「ルアナさんの許可も得たし、今日は楽しむぞー」
「お、おー!」
買い物を楽しむ、という意味だろうけれど、どうしてかルアナを着せ替えて楽しむ、という意味がチラリと見えてしまう。
そんなシャルロットの言葉に同調して簪も笑って声を出した。
グレイよろしく引かれているルアナに関してはもはや言わずもがなである。