ストライク・ザ・ブラッド 〜同族殺しの不死の王〜   作:國靜 繋

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観測者たちの宴
観測者たちの宴


壊れる――

聖堂が壊れて行く。

あまりに唐突な崩壊に、古城は反応することが出来なかった。

そのままでは膨大な質量に押しつぶされ、確実に命を落としていただろう。

そんな古城を救ったのは、目眩に似た奇妙な浮遊感だった。

空間転送の副作用だ。

誰かが、空間を歪めて、崩落する聖堂の外へと古城たちを運び出したのだ。

そして、一度聖堂の方から、酷く大きな爆発音のような音が響き渡った。

 

「ぐっ……」

 

眩しい夕日に照らされて、古城は思わず目をそむけた。

そのすぐ隣に、銀色の槍を持った雪菜が着地する。

聖堂からそれほど離れた場所ではない。

空間跳躍したのはせいぜい二百メートル弱。

辛うじて聖堂の崩壊の影響を逃れる程度の距離でしかなかった。

おそらくそれが術者の限界だったのだ。

 

「優麻さんっ……!?」

 

雪菜が短く悲鳴を上げた。

優麻は、全身は血まみれ、普段の活発な姿とは別人のように衰弱していた。

胸元には深い刀傷が穿たれ、血が止めどなく流れ出していた。

 

「ユウマ……おまえ……何でこんな無茶を……!」

 

苦痛に呻く、仙都木優麻に駆け寄りながら、古城は強く唇をかんだ。

優麻は魔女。

悪魔との契約と引き換えに、強大な魔力を与えられた人間だ。

彼女はその力を使って空間を歪め、古城たちを聖堂の崩落から救ったのだ。

しかしその無謀な空間転送は、優麻の肉体に大きな負担をかけていた。

直前までの戦いで、彼女は限界以上の魔力を放出しており、肉体にも深い傷を負っている。

常人なら即死しても可笑しくない程の状況なのだ。

それでも優麻は、上体を起こして、無理矢理微笑みを浮かべて見せる。

 

「違うよ、古城……ボク一人の力じゃない。”空隙の魔女”が手を貸してくれた……」

 

「那月ちゃんが?だったら、あの人は……どこに……!?」

 

思いがけない優麻の言葉に、古城は呆然と自分の両腕を眺めた。

雪菜も表情を硬くする。

南宮那月は”守護者”の剣に貫かれて、優麻以上のダメージを負っているはずだ。

その状態で優麻に力を貸して、古城たちを助けたと言うのだろうか。

しかし、古城が抱きかかえていた筈の彼女の姿はどこにもない。

もしも那月が古城たちだけを外に逃がして、彼女自身は聖堂の中に今も取り残されていたのだとしたら――

 

「先輩……!」

 

雪菜が愕然としたように、聖堂が建っていたはずの場所を見上げた。

完全に崩れ落ち、闇色の土煙に包まれていた古聖堂の跡地。

そこに見慣れない新たな建物が現れていた。

分厚い鋼鉄の扉と有刺鉄線に覆われた軍事要塞――否、監獄が。

那月が守っていたはずの聖堂が消滅し、そこに巨大な監獄の姿が浮かび上がっている。

 

「これが……監獄結界か……?じゃあ、さっきまでの建物は何だったんだ!?」

 

威圧的な要塞の姿を見上げて、古城が困惑する。

古めかしくも荘厳だった那月の聖堂に比べれば、その要塞は、監獄と言う呼び名に相応しい禍々しさに満ち溢れていた。

しかしその全貌は、粉塵の中に揺らめく半実態の姿を保って、いまだに外部からの侵入者を拒んでいるようにも見える。

 

 

時は少し遡る。

聖堂が崩れ落ちる中、聖堂内に落ちた血を一滴残らず吸い尽くした棺は、その蓋が僅かにずれた。

丁度人の目一つ分と言った所の隙間からは、闇とびっしりと埋め尽くすように瞳があった。

 

「起きるのが……遅すぎだ……」

 

崩れ落ちる聖堂の中、血を吐きながらも那月は棺に向って呟いた。

しかし、棺の中身は反応しない。

ただ、無機質に見ている。

崩れ落ちて行く聖堂を、血を流している那月を、そして棺が半分ほど開くと物理法則を無視しながら真っ赤な”何か”が天に向って流れ出し人の姿に変わり始めた。

 

「随分酷くやられたね……那月ちゃん」

 

棺の上に立つと、普段のダアトからはあり得ない程穏やかな表情、声音だった。

ダアトだったら、一も二もなく那月にこの様なことをした奴を探し出し、殺すと誰もが考えるだろうが。

しかしその予想を裏切る形でダアトは現れていた。

 

「あいつらを……頼むぞ」

 

それだけを言い残すと膝をついて倒れようとする那月が、一瞬ブレ何かが空間転送で飛ばされ、後に残ったのはダアトと会ったばかりの頃の幼い那月の姿だった。

 

「全く、任せるとか……人使いが荒いんだから」

 

那月が幼くなったのが原因か、ダアトの中からボロボロと大量の鎖が砕け散りながら出てきた。

拘束術式が、完全にではないが機能しなくなっている。

この事で、ダアトはほぼ間違いなく全盛期の力を揮うことが出来るようになった。

ただし、不完全であるが為に一つの眷獣を使用することが出来ないが、それを除いたとしても現状、絃神島で最悪の生物の枷が外れた事に為る。

ゆっくりと荒れた床を歩きながら那月の元へと歩み出したダアトは、崩れ落ちたために晴れ晴れとした嫌な天気を見上げた。

ダアトは幼い那月を御姫様抱っこすると、その場から飛び上がった。

その際、聖堂が崩れかけていたという事も相嵌り、衝撃に耐えられなかった聖堂が爆発音のような音を立て完全に崩壊してしまった。

 

 

 

ダアトが、地面に着地したと同時に聖堂があった方から”一般人と比べたら”強い気配を感じた。

聖堂が在った所は、既にその後がなく今では、無骨な如何にも監獄といった風建物が建っていた。

 

「まだ、完全ではないが、出て来たか……」

 

無骨な監獄の上に立つ影は六つ。

老人。

女。

甲冑の男。

シルクハットの紳士。

そして、小柄な若者と、繊細そうな青年だ。

年齢も服装にも統一感がなく、特に不気味な容姿の持ち主はいない。

そんな奴らを振り返りざまに見ていたダアトは、奴らがどの方向に飛んでいくかを視認していた。

ダアトの腕の中には未だ、眠ったままの幼くなった那月がいる。

奴らの狙いは間違いなく、監獄結界の破壊。

即ち、那月の死が奴らの望みだ。

それをダアトが許すはずがない。

 

「まあ、俺がいれば問題ないか……それに、任せると言われたしね」

 

ダアトの腕の中で、寝息を立てている那月を愛しみ、起こさない様に奴らが跳んで行った方向へと再度飛び上がった。

 

 

 

 

「仙都木阿夜……”書記の魔女”か。あの忌々しい監獄結界をこじ開けてくれたことに、まずは礼を言っておこうか」

 

最初に口を開いたのは、シルクハットの紳士だった。

年齢は四十代の半ばほど。

がっしりとした筋肉質な体型だが、服装のせいか知的で穏やかな雰囲気がある。

上流階級の人々が集まるサロンやオペラハウスに紛れ込んでも、不審に思われる事はないだろう。

しかし彼の全身から発せられているのは、隠しきれない強大無比な殺気。

怒りに燃える彼の瞳が睨みつけているのは、南宮那月の安否を気遣う古城たちだった。

監獄結界の囚人たちにとって、彼らを捕え、異世界に閉じ込めた”空隙の魔女”の仲間は、八つ裂きにしても足りない憎しみの対象なのだろう。

そうやって殺気を漲らせる脱獄囚たちを見返し、阿夜が傲然と問いかける。

 

「汝たち六人だけか……他はどうした?」

 

「どうした、じゃねー!こいつだ、こいつ!」

 

短く編み込んだドレッドヘア。

派手な色使いの重ね着に、腰穿きのジーンズ。

流行遅れのストリートファッションだが、少なくとも見た目の年齢は、古城たちとそう変わらない。

だが彼も、やはり監獄結界に収容されていた凶悪な犯罪者の一人なのだ。

その証拠に彼の左腕にも今も、鉛色にくすんだ金属製の枷が嵌められている。

 

「見ろ!」

 

獰猛な唸り声を上げながら、ドレッドヘアの若者が右腕を一閃しようとした時だった。

上空より縦横無尽に蠢きながら、血走った瞳が生えたどす黒い腕が、囚人たちに降り注いできたのだ。

囚人たちもとっさに反応し、各々回避したが紳士だけが回避ではなく魔術障壁で、血走った瞳の生えたどす黒い腕を受け止めようとしたが、その腕は魔導障壁を突き破り紳士の胴体に深い傷を負わせた。

 

「クソ、誰が――」

 

グボッ、と血塊を吐き出しながら、紳士は襲撃があった上空を見上げた。

そこには、背中より囚人たちを襲撃した黒い腕を生やした奴がはるか上空より降って来ることだけが辛うじて認識することが出来た。

 

「ちっ!!まあいいかァ俺の手間が省けたからなァ!来るゼェ!」

 

ドレッドヘアが興奮気味の口調で叫んだ。

魔道士の左腕に嵌められていた手かせが輝いたのは、その直後だった。

鉛色の手枷から、奔流のように噴出したのは無数の鎖だ。

それらは瀕死の魔道士の肉体を容赦なく縛り上げ、何もない虚空へと引きずり込んでいく。

行先はおそらく監獄結界の内側だ。

 

「ぐおおおおおおぉぉ――!」

 

シルクハットの紳士は重傷を負った体で必死の抵抗を試みるが、彼の繰り出す魔術にはもう、鎖を断ち切るだけの力は残されていなかった。

底なしの沼に沈んでいくように、彼の肉体は虚空に呑み込まれて消滅する。

 

「……なるほどな。監獄結界の脱獄阻止機構(システム)はまだ生きている、ということ……か」

 

仙都木阿夜が、平静な声でつぶやいた。

彼女も、他の脱獄囚たちも、魔道士が消滅したことに対しては、何の感傷も抱いていないらしい。

彼らは偶々同じ監獄に収監されていたと言うだけの関係だ。

元より仲間意識など微塵もないのだ。

ただ、彼を攻撃してきた存在にだけは全員が全員興味を持っていた。

降って来た奴は、その腕に幼い少女を抱いていた。

 

「俺たちの獲物を向こうから持ってきてくれるとはなァ」

 

ドレッドヘアは、楽が出来て良かったと思っているようだ。

他の連中も先ほどの攻撃は脅威と捉えても、当らなければ問題ないと思っているようだ。

しかし、この中で三人だけダアトの事を知っていて多分に警戒をしている者がいた。

一人は仙都木阿夜、一人は眼鏡をかけた青年、もう一人は菫色の髪をした若い女だった。

 

「やあ、古城アスタルテ達が世話になったね」

 

「あ、あんたどこに行ってたんだよ!!那月ちゃんが……」

 

自分の所為で那月があんな目に遭ったと、責任を感じているのか古城は悔しそうにしており、拳も強く握りしめていた。

 

「お前が気にするような事ではないよ、さあ帰った帰った、ここからは俺の番だから。にしても、中々愉快な面子が出て来たね」

 

那月が酷い目に合わされているのに愉快そうな声でダアトは古城たちをシッシと追い払う様に手振りしながら言った。

そのことで、最初に違和感を感じたのは雪菜、次に古城が気が付いた。

いつも那月ちゃん、那月ちゃんと合う度に那月にべったりだったダアトが、那月を傷つけた相手や、殺そうとしている相手が目の前にいるのだ。

それなのにあり得ない程穏やかにしている。

その違和感が拭えずにいた。

  

「アァ!!お前こそ何様だァ」

 

「俺は那月ちゃんにしたがっている、ただの従僕だよ。シュトラ・D」

 

「なら、その従僕はその腕に抱いているものを置いて行け」

 

シュトラの言い分にダアトは、絃神島中に聞こえるのではと思うほど大きな声で愉快そうに笑った。

 

「俺が?那月ちゃんを殺そうとする奴らにやるとでも?面白い事を言うね。それに那月ちゃんに他にも面白い事をしてくれたみたいだね」

 

「気づいていたか……否、気づくか」

 

阿夜は気だるげな表情のまま、長い袖に包まれた左腕をダアトの前に掲げて見せた。

挑発も籠めてだろう、握られていたのは二冊の古びた本を革紐で留めてある物だった。

 

「”No.014”……固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書に、"No.001"……精神分割(スピリットセグメンテーション)操作の魔導書ですか。なるほど……面白い」

 

訳知り顔で頷いているのは、ダアトを警戒している一人の繊細そうな面差しの青年だった。

 

「どういうことだよ、冥駕?」

 

「馴れ馴れしくその名前を呼ばないでもらいたいのですが……まあいいでしょう」

 

不愉快そうに眼鏡のズレを直して、冥駕と呼ばれた青年がシュトラを見る。

 

「要するに、呪いです。仙都木阿夜は魔導書の力を借りて、”空隙の魔女”に呪いをかけた。今の南宮那月は、おそらく記憶をなくし、二人に分かれている――そうですね、仙都木阿夜?」

 

「そう……だ。正確に言えば、奪ったのは記憶だけでなく、やつが経験した時間そのものだがな」

 

「他人の肉体の堆積された時間を奪い取り、更に魂を分割する……それが、”図書館(LCO)”の総記(ジェネラル)にだけ与えられると言う二冊の魔導書の能力ですか。……なるほど……興味深いですね……」

 

平坦な口調で青年が言う。

シュトラ・Dが、不機嫌そうに喉をうならせて会話に割り込み、

 

「記憶だか時間だかを奪って、更に二人に分けて……そんなことして意味があるのか?むしろ手間が増えてるだろ」

 

「今の南宮那月は魔術が使えない、ということです。おそらくは彼女の”守護者”の力も。更に付け加えますと、例え記憶が戻ったとしても”守護者”の力は十全には使えないでしょうね。何せ魂を二つに分けてるのですから」

 

青年が酷薄な笑みを浮かべて告げた。

南宮那月は空間を自在に操る強力な魔女だ。

魔女の力を手に入れる為に、彼女が支払った契約の対価は、監獄結界の管理者と言う凄まじい重責。

その代償の大きさに比例して、彼女には桁外れに強大な魔力が与えられた。

そして、十年以上に及ぶ魔族との戦闘経験が、彼女を更に狡猾な攻魔官へと育てた。

その際、狡猾に為るにつれてダアトが『あの純粋だった頃の那月ちゃんはどこへ行ったのか……』と涙を流していたりするが、那月が契約して魔女となる切っ掛けがダアトの足手まといになりたくないと言う小さな乙女心だったのだがそれはダアトは知らないし、那月も思い返して恥ずかしくなるので記憶の奥に封印していたりする。

監獄結界にとらわれていた魔道犯罪者なら、誰もが南宮那月の恐ろしさを知っている。

だが仙都木阿夜の魔導書は、那月から、彼女の力の源を根こそぎ奪い取る事は出来たが、逆にそれ以上に脅威となる力を解放することに為ってしまった事を未だこの場にいる者達は理解していない。

 

「そうか……その二冊の魔導書は、あの女が手に入れた力を……いや、力を手に入れるために使った時間や経験そのものを、なかったことにしちまった……ってことか」

 

ようやく状況を理解して、シュトラが愉快そうに唇を曲げた。

 

「十年かけて策謀を張り巡らせ、実の娘の肉体を囮にして、ようやく”空隙の魔女”に一矢報いる機会を得た。ほんの一撃……だが、魔導書を発動させるには十分……だ」

 

愛おしげに魔導書の表紙を撫でながら、仙都木阿夜が独りごちる。

監獄結界から脱獄するためには、南宮那月を斃さなければならない――阿夜はそのことを知っていた。

だからこそ彼女は待ち続けていたのだ。

那月が見せる一瞬の隙を。

切り札である魔導書の効果が、彼女に届く瞬間を。

 

「完全に魔力を失う直前に、片方の南宮那月は逃走したようですが、片方は今我々の目の前にいる。あとは誰かが、逃走中の彼女を見つけ出して止めを刺せばいい、というわけですか。仙都木阿夜?」

 

眼鏡の青年が、冷静な口調で阿夜に確認する。

如何やら、ここに居る連中にとって目の前のダアトに抱かれた状態で寝息を立てている那月は、既に殺す事が確定しているようだ。

それも、致し方ない事だろう。

今のダアトからは、殺気どころか凄みさえも感じ取ることが出来ない。

知識としてのみ危険性を知っていたとしても、必ずしもそれに値するほどの力を持っているとは限らないからだ。

更にいうなら、この人数だ。

最悪でも、この人数で掛かれば勝てると踏んだのだろう。

 

「そういうことなら、手を貸してあげても良いわよ、仙都木阿夜。あの女を殺したいと思っているのは、みんな同じ――早いもの勝ちということでいいのかしら?」

 

菫色の女が、自分の左腕の枷を眺めて、艶っぽく微笑む。

シュトラ・Dはふてくされたように、ドレッドヘアを掻き上げた。

 

「ケッ、面倒な話だが、まあいいか。長い牢獄暮らしで身体も鈍ってることだしな。リハビリには、丁度いいかもしれねェな。目の前に獲物もあるし」

 

彼の言葉に同意したように、他の脱獄囚たちも無言でうなずく。

目の前の那月を始末した後に逃走している那月を始末する。

少なくともそれまでは、お互いに共闘するということで脱獄囚たちの意見は一致したらしい。

ざけんな、と唇を歪めてダアトを押しのける様に前に古城が出た。

ダアトが、帰れと言ったのに未だ罪悪感と責任を感じているせいもあるのだろうが、下手に古城がここで暴れられるのはかえって、邪魔にしかならない。

そんなダアトの機など知らない古城は、

 

「待てよ……そんな話を聞かされて、お前らを行かせると思ってるのか」

 

脱獄囚たちに啖呵を切っていた。

 

「……アァ?なに言ってんだ、このガキは……?」

 

ようやく古城の存在を思い出したように、鬱陶しげな視線を向けて来たのはシュトラだった。

 

「そういえば、あなたがいましたね。第四真祖。この際、先に排除しておきましょうか――」

 

物静かな口調で、眼鏡の青年が告げた。

コートの女が、美しく目を細めて古城を睨んだ。

甲冑の男は無言で背中の剣に手を伸ばし、老人が干乾びたような腕を掲げて笑う。

誰一人、古城を恐れている者はいない。

世界最強の吸血鬼を相手にしても、自分が敗北することはあり得ないと、彼らは当然のように信じているのだ。

 

「ったく……たかが吸血鬼の真祖風情が、この俺を止める気かァ?」

 

シュトラが蔑むように言い放った。

古城までの距離は十メートル以上。

素手の攻撃が届く間合いではない。

しかしシュトラはそれに構わず、大上段に構えた右腕を振り下ろした。

放たれた殺気は強烈だが、シュトラの右腕からは魔力をほとんど感じない。

ただの威嚇だと判断して、古城はそれを避けようとしなかった。

 

「ははははははははっ、実に愉快じゃないか」

 

古城を守るために、古城の前に出ようとした雪菜はこの時初めて気が付いた。

銀色の槍を持っている手が震えており、嫌な汗が滲み出ている事に。

そして、自覚してしまったのだ。

あの違和感は、間違いなく本物だった。

ただ気づけていなかったのだ。

本能があまりの恐怖故に、気づかない様にさせていたのだ。

ダアトは、那月が傷つけられたことに怒って、悲しんでいない訳では無い。

ただ、怒っている表情が出来ない程に怒り、悲しんでいる表情が作れないまでに悲しんでいるのだ。

結果的に作れる表情が、穏やかな表情に為ってしまったが為に、誰も気づくことが出来ずにいたのだ。

それに気が付いてしまった、雪菜は今までも発していたのであろうダアトの殺気に当てられその場にへたり込んでしまった。

『先輩を助けなければ』頭の中では、そう思っていても心が恐怖心に負けてしまったが為に、身体を動かせずにいた。

これ程の殺気に当てられて、失禁しなかったのは流石と言えるだろう。

一般人だったら、失禁か、間違いなく気を失うだろう。

それ程の殺気を監獄結界の脱獄囚たちも認知することが出来ずにいた。

所詮は感情を持った生物、だからこそ本能が感じ取らせない様にしているのだろう。

心の在り方、その重要性を無意識下だからこそ理解できているのだろう。

 

「『怠惰なる辺獄烈火』」

 

今までダアトが出していた怠惰なる辺獄烈火(ベルフェゴール)とは、桁違いの闇色の炎が鋼鉄の地面より吹き出した。

そこから闇色の炎を纏った骸骨の馬に跨り、闇色の炎をマントのように纏い豪華な王冠を被った巨大な骸骨が現れた。

怠惰なる辺獄烈火(ベルフェゴール)が、シュトラの攻撃を燃やし尽くしたのだ。

 

「……何だ、その眷獣は?俺の轟嵐砕斧を無効かしやがっただと?」

 

自分の必殺の攻撃を無効化されたことに、シュトラは動揺していた。

 

「やってくれるじゃねーか。プライドが傷ついちまったぜェ!ちっと本気出すかァ!」

 

荒々しく吼えながら、シュトラが再び腕を振り上げた。

これまでとは比較に為らない図様じい殺気が、練り上げられているのが伝わってくる。

しかし、シュトラの殺気はダアトの発する殺気以下だ。

比較するなら、漣と津波位の違いがある。

 

「へぇ……少しは抗って見せろよ」

 

怠惰なる辺獄烈火(ベルフェゴール)が姿を消すと、ダアトは右腕だけ肩から先の無い闇色のマントを、背中のどす黒い腕たちもまとめて纏った。

そして、迫り来るシュトラに対して、背中から生えているどす黒い腕で襲い掛かった――と同時に、シュトラも古城たちをも巻き込む形で不可視の斬撃をダアトに叩きつけた。

 

「チッ!!思ったよりも厄介だな」

 

不可視の斬撃は、闇色の炎によって燃やされる様に無効化され、その炎を纏ったどす黒い腕が縦横無尽にシュトラに襲い掛かる。

襲い掛かってくる腕の数は、左右合わせて六本。

決して多い数ではないが、少ない数でもない。

かわしてもかわしても限がなく、関節といった限界が無いため文字通り流れる様に襲いかかってくる。

かわした攻撃も鋼鉄の人口の大地を、掌では抉り取る様に腕では切り裂く様にする為掴みようもない。

そんな時だった――

眩い深紅の閃光がこの場を覆い尽くしたのだ。




お気に入りが減って、評価が増える不思議な日々が続いてる

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