Ⅰ
東二局、東家竹井久。
先程までの速い展開とは打って変わり、この局は非常にゆっくりとした展開を見せた。
特に何の動きもないまま終盤を迎え、十三巡目にのどかと青山が互いに一回ずつ鳴きあったものの、結局それらが和了に結びつくことはなかった、
最後の捨て牌が久の指から離れると、全員手牌を伏せた。
「ノーテン」
「ノーテンです」
「えっと、ノーテンです」
「……ノーテン」
結局何事もなくこの局は流れた。
親番であった久が聴牌できなかったため、親は咲へと回る。
東三局
西家:原村和 99200
北家:竹井久 101800
東家:宮永咲 99500
南家:青山茂喜 99500
ドラ:{七筒}
……開始からこれで四局目。
配られた手牌に目を落としながら、久は昨晩の間に調べた青山茂喜の牌譜を思い出す。
インターミドルを二度制しているだけあって牌譜の量に困ることはなく、またインターネット上にはその打ち方に対して考察しているサイトもある程度あった。
だが、それらのサイトが青山の打ち方をしっかりと分析できているかと言われれば、久としては正直首をかしげざるを得ない。
青山の牌譜は一目見ただけでも異常だとわかるのだが、咲の嶺上開花のようにはっきりとした特徴があるわけではないためその打ち方の実態は謎に包まれている部分が多い。
……今の所、青山君に対してわかっているのは三つ。
1.最初の何局かは比較的安手で和了ることが多いということ。
2.ある程度の局数をこなすと怒涛の連続和了が始まるということ。
3.後半になればなるほど火力が増すということ。
……牌譜を見た限りだと、連続で和了り始めるのはおよそ四局目以降。
つまり、そろそろということになる。
ネットでは一部で、あの宮永照の連続和了をすら凌ぐとさえ言われるそれ。
青山を敵に回すならば開始早々に勝負を決めなければならない。
それが青山と対峙する者の常識。
実際インターミドルで青山と闘った選手の多くがその戦法を取った。
……単純に勝率を上げたいなら、この情報をのどかと宮永さんと共有して速攻で勝負を決めに行くのが正しいんでしょうけど。
しかし、久はあえてそれを行わなかった。
理由としては、今回の対局は勝敗云々よりも対局の内容に重きを置いていることにある。
のどかと咲に植え付けられてしまった青山茂喜というトラウマ。
それを払拭するためには青山茂喜の全力に立ち向かって初めて達成できる、そんな考えが久にはあった。
……危険な賭けであることに間違いはないけど。
もしかすれば更なるトラウマを二人に植え付けてしまう可能性もある。
しかしこれを乗り越えなければ清澄に未来はないという確信が久にはあった。
……お願いだから二人とも、乗り越えてよ。
この後に待ち受けるだろう試練を思い、久は切に願った。
Ⅱ
これから待ち受けるであろう困難に思いを馳せる久だったが、そんな彼女の予想に反して東三局は前局と同じく静かな立ち上がりから始まった。
局面が動いたのは局のおよそ中盤。
九巡目、それまでの局と同じくのどかが口火を切った。
「リーチ!」
発声と共に{一萬}が曲げられ、千点棒が卓中央へと置かれる。
河から予想されるのどかの手は平和系。
リーチまでの牌の切り方から考えれば、{二萬}{五萬}{八萬}辺りが濃厚。
勿論、そのことは久と咲もわかっている。
リーチ直後ということもあり、二人は無難に安牌切りを選択。
しかし次番、青山は引いた牌と手牌の一つを入れ替えると躊躇なくその危険牌である{二萬}を切った。いきなりの危険牌切りに久と咲に驚きの表情が浮かぶが、のどかは僅かに顔を顰めるだけで手牌を倒すことなく山へと手を伸ばす。
リーチをかけたものは和了牌と槓材以外はそのまま捨てなければならない。
そのルールに従い、のどかはツモった牌を確認するとそのまま捨て牌へと置いた。
そう。それが全ての始まりだった。
「ポン」
のどかの捨てた{北}を青山が鳴く。
青山の手牌から二枚の{北}が晒され、のどかの捨てた{北}と共に青山の手牌の右側に晒される。青山が鳴いたため順番が巻き戻され、もう一度のどかが山から牌を引く。
そしてそのツモでも和了牌を引けなかったため、ルールに従いまた河へと牌が置かれる。
「ポン」
「なっ」
今度は{九筒}。少なくなった青山の手牌からまた新たに二つの牌が晒され、北の上に新たに三つの牌が重ねられる。
そして再度順は巻き戻る。
のどかはまさかと小さく唇を動かし、引いた牌を捨てた。
「ポン」
「っつ!」
三度目は{九萬}。
さらに少なくなった青山の手牌からまた二つの牌が晒される。
これで三副露。
とは言え、三副露自体は決して珍しいものではない。
半荘を打っていれば数回ぐらいは必ず出る、そんなありふれたもの。
しかしそれが同巡以内、それも同じ人物から三度続けてとなると話は変わってくる。
単なる偶然で早々起きるようなことではない。
かと言って狙ってやったとすれば、青山は予めのどかの捨てる牌をわかっていたことになる。
「そんなオカルト……!」
ありえませんとのどかは力強く牌を引く。
それで和了ることができれば全て終わりだというかのように。
「っつ!」
しかしのどかは引いた牌を確認すると眉を顰め、ゆっくり河へと置いた。
「ポン」
そして四度、静かな発声が卓を揺らす。
それまでと同じく、青山は僅か四枚になった手牌から二枚の{九索}を晒した。
打牌後、のどかの河に置かれたばかりの{九索}が青山のそれと共に九枚の牌の上に重ねられた。気負いも感情の揺れも感じられない、淡々とした動作。
これで四連続副露。
卓には異様な空気が立ち込めていた。
ルールに従い、四度順番はのどかへと戻る。
戻ってしまう。
「こんなことって……」
そこに先程までの強気な原村和はいなかった。
のどかは絶望にも似た声を零しながら、まるで祈るかのように山から牌を引いた。
しかしその牌を見た瞬間、のどかは唇を噛みしめた。
リーチをかけたものは和了牌と槓材以外はそのまま捨てなければならない。
力なく牌が河に置かれる。
そしてそれと被さるように、青山は牌を倒した。
「ロン」
混老対々三色同刻 12000
西家:原村和 86200
北家:竹井久 101800
東家:宮永咲 99500
南家:青山茂喜 112500
青山の跳満直撃により、それまでほぼ平らだった点数に若干の開きが生じる。
とは言え、一位の青山と最下位ののどかの間でさえその点数差は3万弱。
まだ東場と言うことを考えれば勝負はこれからと言うところ。
だというのに、点数差以上の何かが三人の少女に重く圧し掛かっていた。
「東場オーラス……」
それまで必要最低限の発声しかしてこなかった青山が声を漏らす。
決して大きくない、囁くような音量だというのに卓を囲んでいた三人の耳にははっきりと届いた。
少女達が顔を上げると、青山は賽を振った。
Ⅲ
清澄高校麻雀部部室。
麻雀部唯一の自動卓が設置された部屋の中央で殺伐とした試合が行われる中、それを遠巻きで観戦していた麻雀部唯一の男性部員である京太郎がおもむろに口を開いた。
「なぁ優希」
「なんだじぇ、京太郎」
「明日の昼食だけどさ、俺の代わりにレディースランチ頼んでくれねぇ?」
「えぇ~。面倒だじぇ」
「頼むよ~。明日のすっげぇ美味そうなんだけど、咲の奴頼んでも引き受けてくれねぇんだよ」
「うーん。タコス奢ってくれたら考えるじぇ」
「げっ。こいつ、人の足元見やがって……」
「あんたら一体何の話しとるんじゃ」
後輩のやり取りを見ていたまこは、呆れたとばかりに額を抑えた。
先輩の言葉に京太郎と優希はそれまでのやり取りをピタリと止め、二人揃って不安げな瞳でまこの顔を見つめた。
「染谷先輩……」
「現実逃避しとらんと、しっかり対局を見んしゃい」
「いや、だってな」
「だじぇ」
対局から蚊帳の外に置かれた一年生コンビは互いに頷き合うと、その惨状を改めて確認した。
東四局 四本場 八巡目
東家:青山茂喜 205300
南家:原村和 64900
西家:竹井久 68900
北家:宮永咲 60900
まるで目を疑いたくなるような光景が二人の前に広がっていた。
優希と京太郎は一応互いの頬を引っ張り合い、それが夢でないことを確認する。
「跳満、倍満、跳満、満貫、三倍満で五連続和了……」
「一番低いのでも満貫とか、エニグマティックすぎるじぇ」
そう言っている間にも、また青山が手牌を倒した。
倒された牌は全て萬子。
一から九まで全て綺麗に揃ったその手に、優希と京太郎は顔をひきつらせた。
「これで六連続……」
「しかも役満……純正九連とか初めて見たじぇ」
「……たしかそれって、役満の中でもかなり難しい奴だよな?」
「だじぇ」
「別名天衣無縫。生涯で一回でも和了れたらええ方で、和了ったら死ぬっちゅう迷信もあるくらい難しい役満じゃ」
まさか生で拝める日が来るとは思わんかったと、まこは若干興奮気味に眼鏡の位置を直すと美しすぎる役満を凝視する。
京太郎はまこの解説に一層顔をひきつらせた。
「染谷先輩。あいつ、ほんと一体何者なんですか? あの三人が手も足も出ないとか、俺信じられないんですけど」
「同じ一年にあんなのがいるとは、私も知らなかったじぇ」
「ワシも全てを把握しとるわけじゃないんじゃが……あんたら、昨年のインターミドルチャンピオンの名前は知っとるかいの?」
「えっ? そりゃあ」
「のどちゃんだじぇ!」
当然とばかりに即答する優希に、まこは苦笑を零す。
「女子はそうじゃの。じゃあ、男子は誰かわかるかの?」
「男子っすか? えっと。確か前に優希と一緒に読んだ雑誌に、のどかの記事と一緒に載ってたから見たはずなんすけど……」
「京太郎はのどちゃんのおっぱいしか目に入らなかったから、男の名前なんて覚えてないんだじぇ」
「うるせぇ! じゃあお前は覚えてるのかよ?」
「私はもともとのどちゃん一筋! 男の名前なんて憶えてるわけないじぇ!」
「いや、威張るようなことじゃねぇし」
「全くあんたらは……」
放っておけばすぐにじゃれ付きあう凸凹コンビの仲の良さは、呆れを通り越して関心すらまこに抱かせた。しかしこのままではいつまで経っても話が進まない。
まこはパンパンと二度軽く手を叩いた。
「はいはい、そこまでにしんしゃい。これじゃあ話が進まんじゃろが」
「うっ。すみません」
「ごめんなさいだじぇ」
「それで答えは出たかいの?」
「いや、思い出せてはいないんすけど……染谷先輩がその質問をするってことはつまり……」
「じゃけぇ。あそこに座っとる青山茂喜が男子部門のインターミドルチャンピオンじゃ。まぁ、うちの学校の生徒だったとは知らんかったがの」
ほえーと言った表現が似合いそうなほど感心した顔で、京太郎と優希は卓で無双を続ける青山茂喜の顔を改めてまじまじと見つめた。
しかし京太郎はすぐに「うん?」と首をかしげると、まこへと視線を戻した。
「けど染谷先輩。青山がインターミドルチャンプなのはわかりましたけど、男子と女子ってそんなに力の差があるもの何ですか?」
「そうだじぇ! のどちゃんも同じインターミドルチャンピオンなのに……」
男子と女子。
性別による部門の違いこそあれど、青山茂喜と原村和は共に同じインターミドルチャンピオン。にもかかわらず、対局においてこうまで差が付くのはなぜなのか。
昨夜自分が抱いたのと同じ疑問に、まこは「あー」と癖毛で覆われた頭を掻いた。
「そのことじゃが……正直言って、単純に青山がのどかよりも強かったとしか言いようがないの」
「それって答えになってないんじゃ……」
「まぁ聞きんしゃい。男子と女子は競技人口こそ倍近く違うが、実力的にはそう変わりゃあせん。実際トッププロには女流雀士も多いからの」
特にまこ達の世代に関して言えば、今の女子のインハイチャンピオンが圧倒的すぎるお蔭で男子よりも強いという噂さえあるほど。
「インターミドルに関しても、数こそ違えどレベル的には然程大きな違いはないとワシは思っとる。仮にのどかが男子部門で出場してたとしても、女子の時と似たような結果になったじゃろう」
「だったら……」
「じゃから男女の差じゃないんじゃ」
まこの脳裏に浮かぶのは、青山茂喜に関する様々な伝説。
昨晩行われた圧倒的すぎる対局に、今目の前で行われている蹂躙劇。
男子と女子の違いとか、競技人口の違いとかそんな小さなことではない。
「単純に“青山茂喜”という人間が圧倒的に強かった。ただそれだけのことじゃ」