Ⅰ
咲を残してそれまで麻雀卓に座っていた部員達が壁際へと移動し、空いた3つの席に久、のどか、青山が順に座る。
そこに普段の和やかさはない。
まるで全国大会決勝に来たかのような張りつめた空気が卓を覆う。
全員が席に着いたことを確認し、久がゆっくりと口を開いた。
「初めに今回のルールを説明しておくわね」
「ルール……ですか?」
「そうよ。さっきも言ったけど、これは県大会に向けての練習。なら当然より本番に近くなるよう、ルールもそれに合わせるべきでしょ?」
「はぁ」
「今回は県大会の予選を意識して勝負は半荘一回。持ち点は先鋒の原点にあわせて十万点とするわ。ウマやオカはなしの飛びあり。半荘終了時点で一番多く点棒を持っていた人の勝ちよ」
その他の細かなルールは来週行われる県大会と同じ。
それでいいわねと久が同じ卓に座る三人を見回すと、のどかと咲が小さく頷いた。
よろしいと、残った対面へと顔を向ける。
「青山君もそれで大丈夫かしら? 何なら大会のルール規約を渡すけど?」
「……問題ないです」
「そう。なら始めましょう」
開始の言葉と共に自動卓に息が吹き込まれ、洗牌された牌が四つの均等な山となって卓上に姿を見せる。
元々席についていた咲が仮親となり、卓中央のスイッチへと手を伸ばす。
コロコロと二つのサイコロが勢いよく回転し、数秒の時間を置いて止まった。
出た目は七。
つまり、咲の対面に座っているのどかが起家という事になる。
決まった並びに従いそれぞれが山から牌を取っていく。
東一局
起家:原村和 100000
南家:竹井久 100000
西家:宮永咲 100000
北家:青山茂喜 100000
……青山君がラス親か。
北家の青山が最後の手牌となる十三枚目の牌を引き終わるのを確認し、久は伏せていた牌を開いた。理牌し、余り良くない配牌に苦笑しながらそっと目線だけを対面に向ける。
……できることならのどかか宮永さんになってほしかったんだけど。
しかし賽の目で決まった以上仕方がない。
表情には出さず、しかし内心でぼやきながら久は余分な字牌を切り出した。
そして誰も動きを見せることなく迎えた三巡目、最初に動いたのはのどかだった。
「チー!」
涼やかな、しかしよくよく聞けばいつもより気合の籠った発声が卓に広がる。
手牌から二萬、三萬を晒し、のどかは青山の捨てた四萬と共に自卓の右側へと置いた。
「ポン」
そして次巡、今度は咲の捨てた{二筒}を鳴きこれで二副露。
序盤からの速い展開についていくものはなく、二副露した三巡後にあっさりとのどかは手牌を倒した。
「ツモ。500オールです」
ドラや赤ドラもない、断幺九のみでの和了。
和了形や河を見た限りではもう少し伸びる余地のありそうな手ではあったが、のどかはあっさりとそれを捨てて確実に点数を取りに行った。
……のどからしいと言えばのどからしいけど。
しかしと久は内心で首をひねる。
堅実で速い麻雀は確かにのどかの得意とするところではあるが、同時にその場の状況にあった打ち方をするのもまた彼女の持ち味のはず。
こんな序盤―――それも十万点スタートのこの状況で、点数を下げてまで和了に行くのがのどかの麻雀だっただろうか?
どこか違和感を抱きつつ、次の局が始まる。
東一局・一本場。
親:原村和 101500
南家:竹井久 99500
西家:宮永咲 99500
北家:青山茂喜 99500
一本場。積棒が置かれたこの局もまた、のどかの独壇場だった。
開始早々に翻牌を鳴き、役を確定させるとそのまま久の捨て牌に手牌を倒した。
「ロン 2900は3200です」
……また手を崩しての安手。
撥ドラ一。デジタルで言えば今の局ののどかは本来、安牌かつ保険として{撥}を抱えながら手作りを進めていくのが常道。事実手牌の形はよかったし、巡目と点数を考えればわざわざ手を崩してまで安易に和了を求めるなど普段ののどかなら決して行わない。
一体どういうことなのか――――点棒を取り出しながら、久は気づかれない程度にのどかの様子をうかがう。
これまで部活ではほとんど見せたことのない、どこまでも張りつめた険しい顔。
安手とは言え二連続で和了ったというのに、その端正な顔が緩むことはない。
……やっぱりいつもののどかじゃないはね。
疑念を深めながらも点棒をのどかに手渡した時、彼女の目が自分に向いていないことに久は気が付いた。
……そう。そういうことね。
その視線の先にある人物を理解し、久は悟った。
まるで睨みつけるかのような強い意志の籠った瞳が向けられる先は、本日のメインゲスト。
……昨日やられたのがよっぽど堪えたみたいね。
つまるところ、先の二局はのどかなりの宣戦布告なのだろう。
もともとプライドの高い所があるのどかだが、こうまではっきりとした敵対心を見せたのは咲の時以来ではないだろうか。
もっともと、久は対面で顔色一つ変えずに静かに手牌を倒す少年へと向けた。
……気づいていない……わけはないわよね。
ちらりと様子を窺っただけの自分は愚か、同卓を囲んでいる咲や離れた場所で観戦しているまこ達ですらのどかのただならぬ様子に気が付いているのだ。
こんな物理的なダメージさえ受けそうな視線を直接受けて気が付かないならば、最早鈍感を通り越して無神経のレベルだろう。
つまり、気付いた上であえて無視しているということになる。
それがまた癪に障るのかより一層のどかの顔が険しくなり、いつになく乱雑な動きで百点棒を新たに重ねた。
「東一局、二本場です!」
東一局・二本場。
親:原村和 104700
南家:竹井久 96300
西家:宮永咲 99500
北家:青山茂喜 99500
開始早々親が連荘しての二本場。
安手のために点数的な差はさほどついていないが、それでも何となく出鼻を挫かれたという感覚はぬぐえない。
そしてそんな久の感覚を裏付けるかのように、
「リーチ!」
開始から八巡目。
先の二局の勢いがそのまま乗り移ったかのように、のどかが牌を曲げた。
……また速攻。
後輩の気合の籠った宣言を聞き、久は山に手を伸ばした。
引いたのは薄いと思われていたカンチャンの{三萬}。
これで一向聴。
……でも、手が進んだのはいいけど……
逆に困ったと久は顔を顰めた。
手成りに進めてきた結果、今の久の手牌は平和と二三四の三色が見える良形。
どちらかと言えば最初は見に回ろうかと思っていただけに、予想外に良い手が入る形となったのは嬉しい誤算。
しかしかと言って、一向聴で親リーに勝負できるかと言われれば正直難しい。
幸いにも余り牌の一つがほぼほぼ安牌であるために次巡まで今の形を維持できるが、次に有効牌を引いてももう一方の余り牌である{八索}は、恐らくのどかの本命であろう断幺九平和系統の危険牌。
……これは降りね。
もともとこの対局は久自身がトップを取ることを目的としたものではないのだ。
手を抜く気はないが、かといって無暗に危ない橋を渡る必要もない。
とりあえず一向聴を維持しつつも、久は降りることを念頭に置いた安牌切りを選択。
常識的、一般的に正しいと言われる選択。
しかしその久の常識を出迎えたのは、対面からの非常識だった。
「カン」
……えっ?
久の捨てた{九萬}に対し、対面に座る青山が自身の手牌から同じ牌を三つ倒す。
{九萬}の大明槓。
親リーに対し、ドラでもない牌を槓―――それも大明槓というセオリーガン無視。
……これって。
これまで部室で何度か見たことのあるその光景に、久の目は自然と咲を追っていた。
久の目に映った咲の顔は対局当初とさして違いはない。
幽霊に怯える幼子の様な不安と恐怖の入り混じった暗い表情、ただどことなく困惑の成分がそこに加わったように見えなくもない。
青山は王牌から嶺上牌を引き――――そのままツモ切った。
……嶺上開花じゃない?
拍子抜けとでもいうのだろうか。
普段、咲の嶺上開花を見慣れているだけに槓をして和了らないという状況に少し違和感を覚える自分がいることに久は気が付いた。
……随分感覚がマヒしてるわね。
普通に考えれば嶺上開花など早々起きることではない。
いけないいけないと心の中で首を横に振るが、同時に疑問が首をもたげてくる。
じゃあ、なぜわざわざ槓したのかという疑問が。
……新ドラは{九萬}。
すなわちドラ四。
槓材にドラを乗せたことは確かにすごいが、その一方でリーチをかけたのどかの裏ドラを増やす結果にもなっている。
どことなく片手落ちの感は拭えない。
……とはいえ、これで青山君は満貫以上が確定。
この親リーがかかった状況で大明槓をしたこと、そして先程久が危険と感じていた八索をノータイムでツモ切るあたり、既に張っていると考えるべき。
……役はチャンタ―――にしては幺九牌が河にあるから、対々か役牌といったところか
しらね。
最早久の中に勝負の色はなかった。
いかにして二人の待ちをかわすか、そのことにみを念頭に置いて迎えた次順。
……引いちゃったわね。
あっさりと、欲しかった{四筒}を引き入れる。
これで{二筒}{五筒}待ちの聴牌。
勝負に行きたい時にはどれだけ願っても引けないのに、降りたいと思った時には簡単に引けてしまう。
麻雀ではよくあることとはいえ、唇の端から苦笑の一つも零れるというもの。
……まぁ、零れたらラッキーってところかしらね。
張りこそしているが、{五筒}で和了れば平和のみの安手になってしまうこの状況ではリーチなどかけられるわけがない。
聴牌しつつも、少しでも危ないと感じたら即座に降りるつもりで安牌となった{八索}を河に置く。
「ポン」
……えっ?
再び、久は呆気にとられた。
先ほどは三つ、今度は二つと数こそ違えどまた対面の手牌から牌が倒される。
……自分が捨てた牌を鳴いた?
はっきりいってわけがわからない。
鳴くぐらいなら、どうしてわざわざ暗刻を崩したりするのか。
久だけではない、青山を除くその部室にいた全員がその理解できない打ち筋に呆気にとられながら、番はのどかへと移る。
こんなデジタルをガン無視した、悪ふざけとしか見えない打ち方が気に入らないのだろう。のどかは仄かに頬を紅潮させながら山から牌を引き、目当ての牌でなかったことを確認すると少し眉を顰めてそのまま河へと置いた。
……えっ?
そして三度、久は同じ反応を繰り返す。
のどかが置いた牌は{二筒}。
思わず、久は手牌を倒していた。
「えっと……ロン」
平和三色 3900(二本場で4500)
親:原村和 99200
南家:竹井久 101800
西家:宮永咲 99500
北家:青山茂喜 99500
和了ったと言う感触は全くない。
和了るつもりはないのに気が付けば和了っていたというのは麻雀を打っていれば偶にあることだが、今のは。
……和了らされた?
誰に―――など言う必要もない。
正面、静かに牌を卓の中央に空いた穴に落としている少年、青山茂喜。
……あの二つの意味の解らない鳴き。
麻雀と言うゲームにおいて鳴きという行為は本来リスキーなものだ。
手を晒し、点数を下げ、選択肢を減らし、安牌を減らす。
それでも鳴くのは、少しでも和了りやすくするために他ならない。
そういう意味で言えば、先程の青山の行った二つの副露は0点だろう。
無駄に手牌を晒し、リスクを増やしただけのバカ鳴き。
しかし、もしもあれが『青山自身』が和了るためのものではなく、『他人(久)』を和了らせるためのものだとしたら。
ある程度巡目が進めば、他人の手牌の形も見えてくる。
上級者になればなるほどその読みは早く鋭くなり、相手の待ちを見抜いて差し込むという行為もプロの世界では決して珍しくない。
……でも。
それはあくまでも“自分の手牌”から牌を送り込むからであって、ツモ順をずらすことで有効牌を“引かせ”、更には“他人に”差し込ませるなど聞いたことがない。第一そんなことができるという事は、相手の手牌どころか山に何があるのかさえわかっていることになる。
……魔神……
ごくりと久は喉を鳴らす。
牌譜のデータだけではわからない、実際に相対してみて初めてその得体の知れなさがわかる。
卓上に嵐が吹き荒れようとしていた。