咲-Saki- 至高を目指す魔神   作:神田瑞樹

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第四話

 

       Ⅰ

 本館と別館によって構成される本校舎から少し離れた小高い丘の上。

 そこにもう一つの清澄高校があった。

 清澄高等学校旧特別校舎、通称旧校舎。

 今は殆ど使う生徒がいないその校舎の屋根裏部屋に清澄高校麻雀部の部室はあった。

 

「しかし、部長遅いじぇ」

 

 片岡優希はそう呟くと、包装紙で丁寧に包まれたタコスをかじった。

 赤いボンボンでツーサイードアップにあげられた明るい茶髪に、暖かな色を帯びた頬、

 退屈だとばかりに口を八の字に曲げ、椅子から投げ出した足をぶらぶらと動かすその姿はただでさえ幼い外見を更に幼く見せた。

 

「京太郎、何か知ってるか?」

「いんや、授業が終わったらすぐに部室集合としか聞いてないぜ」

「使えない犬だじぇ」

「誰が犬だっ!」

 

 やれやれとばかりに頭を振った優希に、京太郎と呼ばれた少年は声を荒げた。

 柔らかい印象を与える整った顔立ちは明るさをおさえた金髪とよく合っており、高い身長とあいまってちょっとしたモデルの様にも思えた。

 声を荒げたものの決して本気ではなかったのだろう。

 ったくと京太郎は呆れた様に肩をすくめ、背もたれにもたれかかった。

 

「でもまぁ、授業が終わったら“必ず”部室に集合って確かに珍しいよな」

 

 京太郎は昼休みに送られてきたメールの文面を思い返した。

 もともと自由なところがある部長の性格が反映されているためか、他の部活と比べて麻雀部の空気はかなり緩い。

 普段の練習も強制ではなく、あくまでも参加するかは任意。

 だからと言ってそれにかまけて練習をサボる様な部員は麻雀部にいないが、それでも部長がこうして“必ず”何て言葉を使ったのは初めてじゃないかと京太郎は思った。

 

「やっぱ来週の県予選のことか?」

「けどルールなら昨日の放課後聞いたじぇ」

「だよな~」

 

 京太郎は背もたれに体重を預けると、なぁとこれまで一度も口を開いていない右隣に座る少女へと顔を向けた。

 

「咲はどう思う?」

「えっ、うっ、うん」

 

 話を振られた宮永咲はびくっと体を震わせ、一瞬京太郎の顔を見るものの結局曖昧に言葉を濁して俯いた。

 心ここにあらずを地で行く幼馴染に、やっぱりおかしいと京太郎は顔を顰めた。

 

「咲のやつ、朝からなんか変なんだよな。話しかけてもどっか上の空だし、妙におどおどしてるし」

「変なのはのどちゃんも同じだじぇ」

「えっ、のどかも?」

「うむ。あれを見るがいい」

 

 優希が指差した先にあったのは、優希達に背を向けてパソコンの前に座る少女の姿。

 角度的に京太郎が座る位置からチラリと見えた横顔は真剣そのもので、厳しい表情で画面を見つめていた。

 

「あれの何がおかしいんだ? いつもの様にネット麻雀を打ってるだけだろ?」

「お前の目は節穴か! のどちゃんは一体いつからああしてると思っているじぇ!」

「いつからって……詳しい時間までは知らねぇけど、俺と咲が部室に来た時には……」

「……部室に入ってきた時、のどちゃんから何か声をかけられたか?」

「いや、何も。つーか、俺達が来たことにすら気づいていない―――って、あぁ!」

 

 そういうことかと、京太郎は声をあげた。

 優希はうむと重々しくうなずく。

 

「いくらネット麻雀に集中してたとしても、礼儀正しいのとちゃんはこれまで誰か来たら必ず気付いて挨拶してたじぇ」

「たしかに……」

「それだけじゃないじぇ」

「うん? 他にもまだあるのか?」

「うむ。登校の時元気がないようだから励まそうとのどちゃんのおっぱいに触ったけど、何の反応もなかったじぇ。普段なら怒ってるのに、何も反応ないなんて明らかにおかしいじぇ!」

「いやその確かめ方はどうなんだ? って、待てよ? 何の反応もないってことはもしかして今なら俺が触っても……」

「こらっ! バカ犬! わたしのおっぱいで何を想像している!」

「いや冗談だって! だから蹴るな蹴るな! それにお前のじゃないだろ!」

「相変わらず仲がええのぉ~」

 

 突如として聞こえた声に二人は動きを止め、声のした方へと揃って顔を向けた。

 そこには大きなあくびをしながら、部屋の隅にあるベッドから体を起こした少女の姿があった。

 

「あっ、起きた」

「あんたらがやかましゅうするから、目が覚めてしもうたわ」

 

 呆れたように言うと、染谷まこはベッドから離れ優希達が囲む雀卓の空いた残りの一つの席に腰かけた。

 

「それで染谷先輩は知っているじぇか?」

「なにがじゃ?」

「部長が俺達を集めた理由っすよ」

 

 優希の質問に京太郎が補足を入れると、まこはあぁと眠たげな声を漏らした。

 

「さぁ。わしも聞いとらんの」

「そうっすか……」

「まぁ。何となくはわかるがの……」

 

 チラリと、まこは対面で俯く少女に目をやる。

 まこの言葉に京太郎達が聞き返すよりも早く、ばたんと勢いよく扉が開かれた。

 のどかと咲を除いた3人の視線が一斉に扉へと向く。

 

「うん。ちゃんとみんな集まっているわね」

 

 呼び出した張本人―――麻雀部部長竹井久は部室を見回し満足げにうなずいた。

 まこは小さく息を吐き、

 

「まったく。呼び出した本人が一番遅いとはどういうことじゃ」

「あはは。ちょっと準備に時間がかかっちゃってね」

「準備っすか?」

「それって今日私達を集めたのと関係あるのか?」

「ふふ。それは今から発表するわ……ほら。宮永さんとのどかもこっちに注目してくれる?」

 

 その言葉にゆっくりと咲は顔を上げたが、のどかは気付いていないようで相変わらずパソコンに噛り付いたまま。

 仕方ないわねと苦笑しつつ、久は窓際のパソコン机に向かい画面に集中するのどかの肩に手を伸ばした。

 

「こら、部長が話をしているんだからちゃんと聞きなさい」

「きゃっ!」

 

 可愛らしい悲鳴が室内に零れた。

 ぐるんと勢いよく椅子が回転し、のどかは今気が付いたとばかりに驚いた顔で久を見つめた。

 

「部長……」

「集中するのはいいけど、ちょっとは意識を外に向けないとだめよ」

「すみません……」

 

 自覚はあったのか、どことなく後ろめたそうな声。

 久は肩をすくめると、改めて全員に向き直った。

 

「今日集まってもらったのは他でもないわ。実は、あなたたちに紹介しておきたい人がいるのよ」

「紹介しておきたい人?」

「誰だじょ? まさか部長の恋人かっ!?」

「違うわよ」

 

 紹介できる恋人がいるんなら良かったんだけどねと久は苦笑し、

 

「ほら。ウチって部員が少ない上に対外試合とかないでしょ? 大会まであまり時間もないし、いつもの面子以外での対局も必要だと思って来てもらったのよ」

 

 久の言葉に、あぁなるほどと皆一様に納得したような言葉を漏らす。

 

「なるほど。ってことは、俺達の練習相手ってことですか?」

「一体誰だじぇ? まさかプロかっ!?」

「あはは、流石にいくら私がプロと知り合いでも、二日続けて呼ぶことは無理よ」

「む~。プロじゃないのか。でもそれなら、昨日咲ちゃんとのどちゃんがやったみたいに染谷先輩の雀荘に行った方が早いじぇ」

 

 雀荘と言う言葉にピクリとのどかと咲が反応する。

 そんな後輩の反応を目に入れつつ、まこは優希に同意した。

 

「まっ、確かにそうじゃの。プロを呼ぶんならともかく、そこらの打ち手を呼ぶ意味はあんまりないような気がするがの……」

 

 否定まではいかずとも、どことなく疑問視する声が上がる。

 しかし久は予想していたとばかりに、形のいい胸を張った。

 

「確かに単に場馴れするだけならまこの所にいけばいいわ。でも、私達が大会で闘うのはあくまでも同じ高校生。ならより実践的な練習をするにはそれに近いものにした方がいいと思わない?」

「えっ。それってつまり……」

「練習相手って私達と同じ高校生じょか!?」

「でも確か今年からルールが変わって県予選一ヵ月前からは男女問わず、他校の生徒と打ってはいけない決まりのはずじゃ……」

 

 怪訝な表情で大会規則を思い返すのどかに、久はくすりと笑みを浮かべた。

 

「そうね。確かに“他校”の生徒とは打ってはいけないわ」

「おい。あんたまさか……」

「紹介するわね。入ってきてもらえるかしら」

 

 扉ごしでも聞こえる様に張り上げられた声がしてから数秒、木のドアがゆっくりと開かれた。

 

「あっ」

「あ」

 

 そして扉の向こうから現れたものを見た瞬間、ある二人の少女の声にならない声が零れ落ちた。久は“それ”の下に歩いていく。

 そして“それ”の隣に立つと、様々な様相を呈す部員を見渡した。

「紹介するわね。一年I組の青山茂喜君―――彼が今日の対戦相手よ」

 そういって、久はにやりと笑った。

 

 

          Ⅱ

 言葉が出なかった。

 それを見た瞬間、宮永咲は時が止まったように錯覚した。

 

…な……んで?

 

 息が苦しい。

 体が熱い。

 動悸が激しくなり、身体は自然と震えだす。

 椅子に座っていてよかったと咲は思う。

 もしそうでなければ、きっと立つことすらままならなかっただろうから。

 

……なんで、あの人が?

 

 昨夜、トラウマと言うのも生ぬるい恐怖を咲に植え付けた張本人。

 彼の前に打った藤田と言うプロの時はまだ耐えられた。

 彼女も今の咲では及ばぬほど強かったが、それでも彼女が発していたのは幼い頃に姉から感じたものとほとんど同じ。

 だから恐怖こそしたが何とか耐えられた。

 

……でも、あれはそんなものじゃなかった。

 

 こんなものがこの世に存在していいのかと、そう思わせるほどの圧倒的なまでの“力”。

 同じ人とは思えない、まるで神話から抜け出したような人智の及ばぬ力をあの少年から咲は感じ取った。

 そして実際の対局では咲の力は全くと言っていいほど通じず、逆にそれすらも利用して少年は異様なまでの力で場を蹂躙した。

 

……怖い。

 

 部長が早速打ってもらいましょうかなどと言っているが、そんなことは耳には入らなかった。咲は今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。

 逃げ出して、どこか誰もいない場所で暴風が立ち去るまで蹲っていたかった。

 目線を床へと下ろし極力“それ”を目にいれないようにしながら、咲は何とかして自分の体に活を入れる。この場から一刻も早く逃げなければならない、そんな焦燥感だけが何とかして華奢な体を立ち上がらせようとする。

 しかしそんな努力を嘲笑うかのように、

 

「それで相手だけど……宮永さんとのどか、あなたたちが打ちなさい」

 

――――死刑宣告が下された。

 

「わ……たし…ですか?」

「えぇ」

 

 震えた声で咲は縋るように久の顔を見上げたが、返ってきた答えは酷くあっさりしたものだった。

 それ故にそれが事実なのだとわかってしまう。

 わかってしまった。

 

「そんな……む…りです」

「いいえ、無理でも戦ってもらうわ」

「そんな……」

「部長。今日は何か咲の奴調子悪そうだし、ここは俺が代わりに……」

「駄目よ」

 

 尋常ではない様子の咲を案じたのだろう。

 京太郎の助け舟も久は即座に切り捨てた。

 

「これは宮永さんじゃないといけないの。理由は―――言わなくてもわかるわよね?」

 

 ちらりと向けられた含みのある眼。

 全部わかっている――――まるでそう言っているかのようで、咲はうつむくしかなかった。

 

「で、でも……」

「やりましょう、宮永さん!」

「原村さん……」

 

 何とかして逃れようとする咲の手を、同じく指名されたのどかが握った。

 咲を見つめる大きな瞳の奥には熱がこもっている。

 

「折角リベンジする機会がやってきたんです。一緒に戦いましょう。そして、今度こそ勝つんです!」

「むり……だよ…」

「無理じゃないですよ! たった一回負けただけじゃないですか! やる前から諦めてどうするんですか!?」

「だっ……だって…」

 

 理解してしまったから。

 絶対に勝てないのだと、どれだけ努力を重ねても決して届くことはないのだと。

 

「やっぱり……私には無理……だよ」

「っつ!」

 

 のどかの頬が熱を帯びた。

 きゅっと唇を噛み、のどかの細い手が咲の肩を強く握った。

 

「約束したじゃないですか!」

「原村……さん?」

「一緒に全国に行こうって! 行ってお姉さんに会うんだって、宮永さんそう言ったじゃないですか!」

「そ、そうだけど……」

「それとも、宮永さんにとって全国っていうのはそんなものだったんですか!? この程度のことで諦められるほど全国は軽いものだったんですか!」

「ち、ちがうよ」

「だったら!」

 

 ばんと、いつもは決して見せない荒々しい所作でのどかは麻雀卓を叩いた。

 

「一緒に打ちましょう!」

「う……うん」

 

 決して吹っ切れたわけではないのだろう。

 咲の顔には未だに隠し切れない恐怖の表情が映し出されている。

 それでも咲は小さくうなずいた。

 

「心の準備は出来たかしら?」

「……はい」

「よろしい。じゃあ悪いけど、宮永さん以外の三人は席を空けてくれる?」

「それは構わんが……のどかと咲、それにそっちの青山を入れても三人じゃが後の一人はどうするんじゃ? わしらで勝手に決めていいんかの?」

「それなら私が入るじぇ!」

 

 はいはいと勢いよく優希が手を挙げる。

 見ていて微笑ましくなってくるその光景に久は笑みをこぼした。

 

「優希には悪いけど、入る面子はもう決まってるのよ」

「む~。残念だじぇ」

「優希じゃないってことは俺か染谷先輩ですか?」

 

 いいえと久は頭を振り、

 

「私が入るわ」

 

 

 

 

 

 

 


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