咲-Saki- 至高を目指す魔神   作:神田瑞樹

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第三話

 

               Ⅰ

「――――で、呆気にとられていたらいつの間にか雨が止んでて、気づいた時にはその男の子はいなくなっていたと」

『……そうじゃ』

 

 携帯越しに聞こえてくる年下の親友の言葉の中には些かの後悔が含まれていることを久は知っていた。知っていたが気付かないふりをしつつ、「なるほどね~」と表面上相槌の声を入れながら、竹井久は自室の窓を開けた。

 場所が車道に面した住宅街だけあってお世辞にも見晴らしがいいとは言えないが、それでも夜空に浮かぶ綺麗な三日月ははっきりと見える。

 

「それで、宮永さんとのどかの様子はどうだったの?」

『……最悪じゃ。二人ともかなり精神的にまいっとる。まぁ無理もないがの』

「そんなに?」

『のどかはリベンジしてやろうって気力がまだ多少なりとも残っとったが、咲に関しては完全に心が折れとる。正直、県予選までに立て直すのも危ういの』

「そう」

 

 薄手のTシャツに短パンというリラックスした格好で窓枠に腰を下ろした久は、ひんやりと冷たい夜風を浴びながら納得したとばかりに小さく息を漏らした。

 

「道理でいつまで待っても二人が戻ってこなかったわけだわ」

『もしかしてずっと部室におったんか?』

「まぁね。あの二人なら合宿しようとでも言いに戻って来ると思っていたから」

 

 結局そうはならなかったわけだが。

 

……ほんと予想外だったわね。

 

 今回の雀荘見学の目的は麻雀部の二大エースである咲とのどかに上には上がいることを実感させ、更なる向上心を持たせることにあった。

 そのために藤田靖子という顔馴染のプロ雀士に連絡を取り、二人をへこませてくれと久はお願いした。

 ところがだ。

 蓋を開けて見れば、靖子以上の実力を持った怪物と遭遇し向上心を持つどことか、圧倒的な実力差に心を折られている。

 

……これは靖子に何か奢ってもらわないと割に合わないわね。

 

 多忙の中で頼みを引き受けてくれた靖子を悪く言う気はないが、それでも間接的にとは言え原因の一端となったのは間違いなく彼女。

 何か奢ってもらったとしても罰は当たるまいと、久は自分の中で勝手に結論付けた。

 

『それでどうするつもりじゃ?』

「うん?」

『合宿じゃよ。そんな風に咲達の行動を予想しとったっちゅーことは、もう宿はおさえとったんじゃろ?』

「あぁ……わかった?」

『あんたのことじゃからの。何となく予想はついとったわ』

 

 スピーカーから聞こえてくる呆れたような声。

 まだ一年足らずの付き合いだというのに、どうやらあっちは自分の性格をよく知っているらしかった。

 

……まぁ。それは私にも言えるかもしれないけど。

 

 妙に濃密だった去年を思い出しつつ、久は壁にかかったカレンダーに目をやった。

 

「一応今週末からの3日間で合宿所をおさえてはいるんだけど……」

『あんな状態で合宿をさせても意味はないと思うがの』

「でしょうね」

 

 こうやって軽く聞いただけでも、二人がいかに深刻な状態にあるのかがよくわかった。 確かにそんな状態で合宿をやった所で殆ど効果は見込めないし、むしろ焦らせて逆効果になりかねない。

 

「けど、合宿は絶対に必要よ」

『龍門渕か……』

「えぇ」

 

 昨年、6年連続で県代表だった風越女子を決勝で完膚なきまでに打ちのめした龍門渕高校。試合に出たレギュラー全員がそれぞれ高い実力を持っていたが、その中でも一際異彩を放っていたのが、

 

『天江衣……昨年の牌譜を見たが、ありゃ本当に化け物じゃ』

「彼女の打ち方に対抗できるのは恐らくウチでは宮永さんぐらいね」

『まぁ。咲も大概異常じゃからのぉ』

「ふふ。酷い言いようね。でも、その宮永さんでも今のままじゃ天江衣には届かない」

 

 おまけに、天江衣以外のレギュラー陣も全員が当時一年生。

 当然、今年もそっくりそのまま出てくることだろう。

 

「龍門渕に風越、そしてその他大勢の強豪たち……これら全部を倒して全国に行くには、私達全員のレベルアップが必要不可欠よ」

 

 それゆえの合宿。

 たった数日で何が変わるのかと言う人もいるかもしれない。

 けれど、その“たった数日”が鍵なのだと久は確信していた。

 それに、

 

「ここでドタキャンしちゃったら、キャンセル料とられちゃうしね~」

『って! 本音はそこかい!』

 

 ビシッと音が付きそうな鋭い突っ込み。

 冗談よと久は軽く笑い、僅かな間を明けて再度口を開いた。

 

「宮永さんとのどかの事だけど、私に任せてくれないかしら?」

『何とかできるんかいな? 合宿まで後一日しかないんじゃぞ』

「できるか、じゃないわ。何とかするのよ」

 

 凛と芯の通った力強い声。

 やっぱりかなわんはとスピーカーの奥でまこは小さく溢し、

 

『それで具体的にどうするつもりじゃ?』

「うーん。内緒」

『おい』

「明日になったらわかるわ。それまでは……ね?」

『……なんか嫌な予感がするんじゃが、了解じゃ』

「あら。失礼ね」

 

 軽口をたたきつつ、久は壁際の時計に目をやった。

 もうすぐ日付が変わろうとしていた。

 

「もうこんな時間か……」

『じゃけぇ。伝えることは伝えたし、そろそろお開きにするかの?』

「そうね……あっ。切る前に一ついいかしら?」

『うん?』

「青山茂喜と天江衣、戦ったらどっちが勝つと思う?」

 

 意図があるわけではなかった。

 ふと思いついたから聞いてみた、ただそれだけの問いかけ。

 唐突の問いかけにまこは困ったような声を上げた。

 

『どっちが勝つと言われてものぉ………わしは天江の試合を直には見ておらんし、青山に至ってはたった二局見ただけじゃ。それでどっちが強いかと言われも、わからんというのが正直な所じゃ』

「そう」

 

 返ってきたのは半ば予想していた答え。

 さして期待していたわけではない。

 わからないならないで別にかまわなかった。

 ありがとう電話を切ろうとすると、

 

『ただ……』

「うん?」

 

『あれが負ける姿は想像できんのぉ』

 

 電源ボタンに指がかかる直前、熱にうなされたような一言が久の指を止めた。

 それが全てだった。

「そう」と、もう一度久は同じ二文字を繰りかえした。

 そして短く礼を述べて今度こそ電話を切った。

「ふ~」

 

 大きな息を吐きながら、ベッドへと倒れこむ。

 本音を言えばこのまま何もかもを忘れて夢の中へと逃避したいところだが、生憎そういうわけにもいかない。

 

……上手くいかないものね。

 

 咲とのどかの実力を伸ばすために良かれと思ってやったことが、まさかの裏目。

 何事も計画通りにはいかないというのは世の常だが、それでも少しぐらいは大目に見たっていいだろうにと思わず久は普段信じていない神様を恨んだ。

 

……まこにはああ言ったけど。

 

 正直、咲とのどかを立ち直らせる絶対的な自信があるわけではなかった。

 そもそも久はカウンセラーでもなんでもない、ただの女子高生に過ぎないのだ。

 絶対的な自身など持てようはずようもない。

 

……でも、やるしかない。

 

 県予選まで後一週間、合宿まではたった一日。

 くよくよしている暇などどこにもありはしない。

 

……今の状況に何か意味があると考えましょう。

 

 一見マイナスに見える事柄にも全て意味がある。

 麻雀の打ち筋にも見られるこの考え方こそが、竹井久の根本。

 ごそごそと、寝ころんだまま枕元に無造作に置かれた学生鞄に手を伸ばす。

 

……まこによれば、彼が着ていたのはオーソドックスな黒の学ラン。

 

 日本の高校で最も多く採用されている制服。

 学生鞄を持っていたという事も踏まえれば、帰宅途中の可能性が高い。

 

……けど、あの時間にあの辺りで停まる電車やバスはない。

 

 ここが長野の田舎町だという事が幸いした。

 一時間に一本来るかこないかという交通の便の悪さ、そして碌なより所もないことを考慮すれば、前の電車やバスに乗ってきたとは考えにくい。

 

……つまり、学校があるのは徒歩か自転車で行ける範囲。 

 

 少し広めの六キロ圏内で探した場合、該当するのは僅か三校。

 その内、黒の学ランを採用しているのは、

 

「ウチだけ……か」

 

 ぽつりとこぼし、鞄から数枚のプリントを取り出す。

 秋に迫った文化祭の参考資料にと、副会長から半ば無理やり渡された全学年のクラス名簿だった。

 

……あった。

 

 一年I組、青山茂喜。

 

……I組ってことは別館。道理でこれまで見なかったわけだわ。

 

 今年は例年よりも新入生の数が多かったために、上級生のクラスがある本館とは別に、別館にも一年生のクラスが作られている。それまで殆ど使われていなかった別館を有効活用出来たと教師たちは喜んでいたが、その一方で本館と別館が半ば断絶状態にあるという問題も起こっていた。

 

……これについてはまた後日の議会で話すとして。

 

 天江衣という魔物と闘う前に、それに匹敵―――あるいは凌駕する怪物に出会えた。

 そして怪物は同じ清澄高校にいる。

 幾重もの偶然が折り重なった事実が指し示す意味。

 その意味を考えて――――苦笑する。

 

……これは随分と分の悪い賭けになりそうね。

 

 麻雀で例えるなら最下位で迎えたオーラス、逆転の役満を聴牌したものの待ちは相手に読まれているドラの地獄単騎待ちに近いかもしれない。

 確立だけで言えば、てんで話にならない。

 だが、

 

……悪待ち上等。

 

 多面待ちの好形なんかより、よっぽど自分らしいと久は笑う。

 

「目には目を、歯には歯を、麻雀には麻雀を」

 

 勝負は明日。

 明日は忙しくなりそうだと考える久の脳裏に、ふととある疑問が浮かんだ。

 

……そういえば。

 

 青山茂喜。

 昨年度春季、及び夏季インターミドル個人戦二連覇。

 及び、夏季インターミドル“団体戦”優勝。

 

「どうしてウチ(麻雀部)に入らなかったのかしら?」 

 

 ぽつりと呟かれた疑問に答えはなかった。

 

 

       Ⅱ

 

――――なぜそこだったのだろう。

 

 長野県立清澄高等学校。

 昔ながらの自然が色濃く残る南信地方の田舎町にひっそりとそびえ立つ、今年で創立六三年を迎える公立校。

 掲げた校風は自由。

 自慢は田舎であることを活かした広大な敷地と数年前に建てられた新しい校舎。

 偏差値レベルは学区内四番目で、全国的に見れば中の中~中の上と言った所。

 低くはないが決して高くもなく、進学成績もそれに見合ったものとなっている。

 では部活動が盛んなのかと言えばそうでもなく、広大な敷地には種類と数こそあるがこれといって際立った成績を残した部活はここ十年ほど現れていない。

 つまるところ清澄がどんな高校かと言われれば、その敷地の広さ以外は何ら変わりのないごくふつうの公立高校と言わざるを得ない。

 なぜ数多の推薦を蹴り、住む場所を変えてまで彼がそこを選んだのか。

 

 有名校への反発心からなのか。

 その自由な校風に惹かれたのか。

 知り合いがそこにいたからなのか。

 誰かから紹介されたのか。

 それとも本当にただの偶然なのか。

 

――――答えはわからない。

 

 けれど実際、彼は―――青山茂喜は確かにそこにいた。

 

       ◇

 

 見上げれば広がる一面の青に、降り注ぐ初夏の日差し。

 流れるそよ風はほんのりと冷たさを帯び、優しく頬を撫でていく。

 遠くから風に乗ってほのかに聞こえて来る生徒達の声はどことなく上ずっていて、まるで明日から訪れる大型連休の到来を暗示しているように思えた。

 こんな場所じゃなければもう少し様になっただろうになどと思いつつ、少年は小さくなった菓子パンを口の中に放る。

 行きがけに買った安物だけあって、お世辞にもおいしいとは言えない。

 やはり一つ三十円は幾らなんでも安すぎたかと、少年は口の中に嫌というほどこびりつく人工的な甘さを購買の自販機で買ったコーヒーで流し込む。

 

……ねむ。

 

 壁にかかった時計は間もなく一時を過ぎようとしていた。

 生徒指導室に呼び出しを受けた少年にとってはいつもより三0分ほど遅い昼食であったが、眠気も同じだけ遅れてやってきていた。

 律儀なことだとあくび一つ、少年は目を手元の紙コップへと下ろす。

 ゆらゆらと小刻みに揺れる黒い水面に、うっすらと画が映る。

 適当に切ったかのようなざっくばらんな黒髪に、少し縦長の顔。

 清澄高校1年I組、出席番号二番青山茂喜。

 それがここにおける今の彼の身分だった。

 茂喜は残ったコーヒーを全て飲み干すと空になった紙コップを握り潰し、そのまま固いコンクリートの上に寝転がる。

 学ランが砂埃で汚れるが、それを咎める者はこの場にはいなかった。

 

……もうすぐ二年か。

 

 雲一つない、青色の絵の具で塗りたくったような空を見上げながら茂喜はぼんやりとそんなことを思う。時が経つのは本当に早いもので、気がつけばあれから二度目の夏を迎えようとしていた。

 

――――二年。

 

 長いようで短い、けどやっぱり長いそんな時間。

 全てが変わったあの日。

 世界が色を失ったあの時からもうそれだけの時間が経っていた。

 茂喜は固い地面に投げ出していた右手を持ち上げ、冷たい掌で自分の胸元を掴んだ。

 学ラン越しに感じる小さな固い感触。

 それにどうしようもない安心感を抱いている自分に気づき、苦笑する。

 

……変わってない。

 

 よかったと心の中で小さく呟く。

 それでこそ、わざわざ東京を離れた甲斐があったというものだと。

 

……さて。

 

 茂喜としてはこのまま夢の世界に旅立ちたいのだが、それをして放課後まで目が覚めなかったのはつい昨日。そしてその件で(ついでに言えばこれまでの態度も含めて)学生にとって貴重な昼休みを生徒指導室で費やすことになったのがついさっきのこと。

 ここで昨日同様また午後の授業をぶちって放課後まで睡眠に励めば、今度は軽い説教では済まないことは明白だった。

 教室で寝るかと、茂喜が起き上がったその時だった。

 音がした。

 屋上と三階とを結ぶ唯一の扉。その奥から聞こえてくるカンカンと一定のリズムを伴った金属音。

 その音を茂喜はよく知っていた。

 ここに来る時に毎日聞いている、三階から屋上へと延びる金属の階段を叩く音。

 

……誰だ?

 

 段々と大きくなる音を耳にし、茂喜はすっと目を細めた。

 ただでさえここはあまり人気のない別館の屋上。

 稀に数人の生徒が興味半分で来ることはあるが、こんな昼休みの終わりに訪れる酔狂な生徒はこれまで目にしたことがない。

 一体何の用かと茂喜が疑問符を浮かべている間にも音は大きくっていく。

 そして、立てつけの悪い扉が耳障りな音を鳴らしてゆっくりと開かれた。 

 


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