こういうのがあるから本屋巡りは辞められんのですよ。
……食費がちょっと飛びましたけどね。
暗い森の中で、小さな灯りが周りを照らしていた。
灯りは、小型のガスランプだった。
周りを石で組んだ簡易なコンロで風を遮断し、揺らぐことなく火を灯し続けている。
コンロの上には、これまた簡素な造りの薬缶が載せられている。
円筒型の物で、注ぎ口も僅かに尖っているだけの物。
持ち手も、収納する際邪魔にならぬよう折りたためるようになっている優れもの。
そんな物でも、容量は一リットルは入る。今は水が満たされ、静かに火に炙られ続けていた。
少し離れれば、辺りは闇だ。周りには自然人工を問わず他に光源など無い。仄暗く赤い灯りの中だけが、光りと熱で守られている。
僅かばかりの空間。
その中に、冬彦はいた。
大破したザクの腿の部分との間に置いたエマージェンシーパックを断熱材代わりにして金属の冷たさから身を守りながら、ぼうっと火を見ていた。
眼鏡は今、外している。視界の中のヒビが煩わしかったから、投げ捨ててしまった。
少しの後悔を忘れる為に、ブランケットの端を弄ぶ。
にじみ、ぼやけた視界の中で灯る火は、不思議な色をしている。
赤く、黄色く、橙で、白くて、透明。
不定形でありながら、安定していてぼんやりとした形を常に保っている。
ただじっと見ている分には、不思議と退屈しなかった。
「どうだった」
ふと、冬彦が口を開いた。
視線は、火から外していない。言葉はそのまま辺りの闇と小さな声に吸い込まれて消えて行ったが、それでも答えは返ってきた。
「何とか連絡がつきました」
言葉は、上から。
火から視線を上げ、声のした方を見上げてみれば、フランシェスカがグフのコクピットから顔を覗かせていた。
グフは膝立ちの状態で、さらに上半身を大きくかがめている。人気の無い森の、それも夜ということもあって、辺りは静かだ。地面からでも充分に声が届く。
ウィンチを下ろし、火のすぐ側に降り立ったフランシェスカの表情は明るい。
彼女もまた、火の側にきて自分の分のブランケットを身体に巻き付けた。
「ヘリが来ます。ウルラⅡもここから五日の地点までは来れるそうです。それと、近くのパトロール部隊とも通信ができました。こちらは明日にでも合流できる位置にいるそうです」
「そうか……」
「嬉しくないのですか?」
「いいや、そう言う訳じゃ無い。俺のザクも自爆させずに済むかも知れないのだし」
「では、何か懸念が?」
「ん、む……」
鎮痛剤を打っている為、冬彦の思考はこの時少し鈍っていた。痛みが完全に引いたわけではないため、こころここにあらずというほではないが……微睡みつつある、というのが正しいか。
少しだけ、理性の“たが”が外れかけていたのだ。
普段であれば、自問自答の後腹の内に沈めてしまう心の内。
それが、フランシェスカの何気ない問で、少しだけ漏れ出した。
黙っておくべきこと。
しかし、誰にも語らずにいては、答えのみつからない問。
誰に話すか。問いかけるか。
今なら。フランシェスカなら?
森の中。盗聴の心配などするほうがばからしい。
ならいいのではないか、と。
「少し、この戦争について、な」
「ええと、聞いても大丈夫な話でしょうか?」
「機密ではないから、大丈夫だろう。他所で話したらどうかしらんが」
冬彦が、くっと笑う。いつもの自嘲気味な下手な演技ではなく、苦笑混じりではある物の、素の笑顔。随分珍しいことだ。アヤメ辺りが見たなら、何か起きるんじゃあないかと辺りを警戒するだろう。
「中尉は、ジオンが連邦に勝てると思うか」
「思います」
即答だった。内容が内容だけに、フランシェスカは真顔だ。未だ口の端を持ち上げたままの冬彦を、不審げに見るほどに。
「ジオンにはMSの優勢があります。このままなら、押し切れるのではないでしょうか」
「中尉」
「はい」
「MSの優位性なんぞ、すぐにでも無くなるぞ」
「……中佐」
「なんだ」
「正気ですか?」
フランシェスカの本心だった。
何せ冬彦は本人がどうあれ、客観的に見ればドズルという国の中枢にいる者に近く、MSでもって戦果を上げ中佐まで駆け上がってきた人間である。
そんな男の言葉が、MSのことを否定するような物であったなら、人はどう思うか。
頭でも打ったのではないか?そう思うだろう。事実、冬彦はフランシェスカが見つけた時顔が傷だらけであったのだし。
冬彦は、それを咎めるでなく否定した。
「正気だとも! 中尉は、前にした話を、覚えているか」
「……申し訳ありませんいつの話でしょうか」
「第一次降下作戦の時、秘匿回線で」
「ああ、ニュータイプがどうとか……」
「そう。あの話」
冬彦は背中の後ろからエマージェンシーパックを引きずり出した。中に入っているはずの紅茶のパックとカップを探しながら、鈍な思考が知識の糸を縒って言葉を紡いでいく。
「人が宇宙に進出し、適応し進化した存在がニュータイプであるという。サイド3や月では研究も行われている。あるいは、俺達がこの地球に降りてきている間にソロモンでも始まっているかも知れない」
「まさか、ドズル閣下がそんな眉唾な物を」
「眉唾か。だが研究が行われているのは事実だ。ジオン・ズム・ダイクンが提唱したとおりの存在なのかどうか、それとも総帥が人類の優良種とする根拠なのか。
どんなものかもわからない物に対して、今なおそれなりの研究者がこの戦時下で国の援助取り付けて軍の中で研究している。どんなものであるにしろ、“何か”あると考えるのが自然だろう。
さて、もし本当にニュータイプなんてものがスペースノイドであるとしよう。
問題になるのは、果たして、一度宇宙という空間に対して適応し、進化したスペースノイドは、再び地球という余りに多様な環境に再び適応できるか、さらなる進化、あるいは退化できるのか。
MSという、宇宙で生きるスペースノイドにとっての切り札は、地上においても切り札のままでいられるか」
やっと見つけた紅茶の缶の縁を、つうと撫でて。
その瞬間の冬彦に、フランシェスカは何を見たのか。
ひっ、と息を詰まらせた。
彼女も、二度の会戦をくぐり抜けたベテランであるというのに。
顔面に白いテープを貼りたくった、いっそ滑稽な冬彦に、何を。
「中佐は」
フランシェスカが、ブランケットをきつく身体に巻き直し、冬彦に問う。
「中佐は、ジオンが負けると仰るのですか」
「さて、どうだろうな。今のところは押しているらしいし、このまま押し切れればあるいは独立は勝ち取れるかもしれない」
「では、優位性が失われるというのは」
「まあ、連邦もそのうちMSを出してきてつぶし合いになるだろうっていうのもある。量で攻めてくるだろうしなあ。物量作戦は怖いぞ」
「質は……質はジオンの方が、上のはずでは」
「それこそさっきの話だ。スペースノイドが宇宙に適応し進化したというのなら、地上でなら彼ら連邦の方が強くて然るべきだ。ザクは万能だが、最初から地上運用を考えて作られたMSに対しても優位でいられるか? 幾らかサンプルももう取られているだろうし、仮想敵として確実に上まわる物を出してくるだろう」
ここまで言った時、水が沸騰し始めた。小さな気泡の音に、一旦冬彦の言葉が止まる。
紅茶のパックを薬缶に落とし、自分のカップにふっと息を吹き込んで、ほこりを吹き飛ばした。
「よし沸いたな。どら、フランシェスカ、君のカップを出せ。注ぐくらいは俺がやる」
「……お願いします」
思い当たることがないではないのだろう。フランシェスカの顔色は悪い。それを見て、饒舌だった冬彦も自分が言ったことのまずさを今頃になってわかり始めた。
白く煙る湯気は、微妙に気まずい誤魔化してはくれなかった。
しばらくの間、互いに紅茶をすする音だけが聞こえる沈黙が続く。
何かフォローしようにも後の祭り。ジオンが勝つと言えるだけのことを言えれば別だが、正史では敗北しているし、現状でも随分と宇宙の方がきな臭い。
「――中佐」
「ん」
意外なことに、フランシェスカの方が冬彦よりも先に口を開いた。
紅茶のおかげで少し暖まったのか、呼気が湯気よりなお白い。
「中佐は、どうすれば勝てる思いますか。中佐なら、どうしますか」
どうすれば、ジオンが勝てるか。どうしようもない難問である。
「……わからん」
「中佐」
「わからんよ。宇宙にいればまた何か違ったのかもしれないが、地上にいては宇宙にいるドズル閣下に働きかけることもできん。今こうして茶をすするのが精一杯だ」
「中佐でも、駄目なのですか」
「駄目も何も、フランシェスカ。君が何より見ていたはずだろう。俺が中佐の地位にいるのは、ドズル閣下にとって使い勝手がいいと思われたからだ。MSに乗っていればそれなりに戦いはするが、それにしたって被弾もするし、運が悪ければ今回のような目にも会う」
「でも、こうして生きています。月でも、ルウムでも貴方の指揮で戦って、私も今ここにいます」
「それで?」
「これまでのように、これからも私を導いて下さい。貴方の目指すところに、私達もついていきます」
「……しばらく考える時間をくれ」
「どうぞ。何時までも待ってます」
次回、ついに待ち望んだ展開が……!
来るかもしれないし来ないかもしれない。