凄まじい勢いで、モニタに表示された数値が減っていく。
最初、その数字は五桁あった。しかし瞬く間に四桁になり、半分になり、四桁を割った。
「待て待て待て待て……それは無いだろう!」
冬彦は焦燥から独り言を、あるいは誰かへの恨み言を漏らしながら、揺れの中でサブモニタを操作していた。
現在、ザクは絶賛落下中である。
“落下”中である。“降下”ではない。
「ブースターの故障なんぞ洒落になってないぞ!」
四本ある最終減速ブースターの内の一本が、反応しなかったのだ。
ブースターはそれぞれ前に二本、後ろに二本あり、MSを中心に四方に向けて装備することで水平になるよう設計されている。旧世紀のロケットの打ち上げに使われたサブロケットのような形だ。
ところが、その内の一つが反応しないとなれば、どうなるか。考慮されていたはずのバランスは崩れてしまう。
反応が無いのは右後方のブースターで、ザクも同じ方向に飛んでいる。
高度を下げながら斜めに飛んでいると言うのが正しいから。
姿勢制御不能。MSに限らず、パイロットという職種にあっては最悪の状況の一つか。
「ブースター再起動……他のブースターからの割り込み……ええい全部駄目か!」
焦りの中で、冷静に事態に対処しようとするが、アラームが鳴り止まない。
機体の姿勢がやや仰向けになているため、身を起こしての不自然な体勢での作業のだが、身を結ぶことは無かった。
ザクは斜めに落ちながら、高度を下げ続けている。
モニタの一つに映るその数値は、200を切っていた。
少しの逡巡の内に、冬彦は決断した。
モニタを操作し、赤い枠で囲まれた項目を注意書きを読み飛ばして連打する。
「パージ!」
最終減速の為のブースターとパラシュートの切り離し。
これで元からあったスラスターで姿勢制御はできるはずだし、重量のあるブースターを切り離したことで重量も軽くなる。
しかし、誤算も一つ起きていた。
機体を起こした時点で、もうこれ以上減速出来るほどの高度が残されていなかったのだ。
「な、南無三っ……!」
《ちゅっ、中佐―!?》
速度を落としきれぬままに、接地。
突き上げるような衝撃と共に、冬彦は意識を失った。
◆
耳鳴りが酷い。〈Alert〉の音が遠い。頭痛もする。
視界は霞んでいる上、赤い。
火花の散る音も聞こえて不安を掻きたれられたが、生きていることは確からしい。
「……今度から不精せずにヘルメット被ろう」
冬彦は、生きていた。どうやら機体は仰向けになっているらしい。
体中が痛んだが、状況把握の為に首だけでもと必死に動かした。
そして、気づいた。
世界に、ヒビが入っている。
「……ああ、何てこった。最悪だ。あーもう畜生、最悪だ」
最初は、メインモニタが割れているのかと冬彦は思った。それも間違いではないが、そのヒビは冬彦の視線についてきた。それでわかった。
トレードマークである瓶底のレンズにメインモニタの破片が直撃してヒビが入ったのだ。
眼鏡を外し、空いている手で顔を覆う。血で、酷く滑った。
「生きてる。そのうえ五体満足、万々歳だ」
冬彦は顔を上げ、ザクからの脱出を開始した。メインモニタは粉々だが、サブモニタが幾つか生きている為暗いながらも灯りはある。
一応機体状況も確認したが、〈Alert〉が鳴っている以上確認するまでもなく損傷は致命的だった。
どこもかしこも真っ赤である。機体の異常を示す赤い警告灯と、飛び散った冬彦の血とで。状況は「アイランド・ワトホート」防衛線で被弾した時よりも酷い。
こうなっては機体を諦めるしかないのはしょうがないが……ランドセルが吹き飛んでいながら、機体そのものが爆散していないのが不思議に思えた。
とにかく、機体から出なければ話にならない。まず、身体を固定していたベルトを外し、次に上になっている足を体勢を変えて下ろし、背もたれに立ち上がれる状況を作る。
それから、MSに積まれている緊急時用の生存必需品が入ったエマージェンシーパックを引きずり出した。他に機密情報の入った小型の端末と水と食べ慣れた糧食のパックを加えれば、準備は完了である。
痛みに耐えながらであるから随分と時間はかかったが、とりあえずは大丈夫そうだ。
「よし」
ザクⅡというMSはある意味でジオンのMSの中でも特殊で同じように見えても型番が異なると大きな差違が現れるという特徴がある。
その一つがコクピットハッチの形式で、F型であれば胸部装甲の左側が開く。しかし、地上改修型のJ型などは、胸部装甲全面が開くようになっているのだ。
冬彦のS型はF型の上位互換機であるから、左側が開く。
「いっつつ……」
ハッチの淵に手を掛けて。
身体を機体の装甲の上に引き上げただけで、冬彦の全身の筋肉は悲鳴を上げていた。
荷がずり落ちぬよう装甲のくぼみに引っ掛けて、大の字に寝転がる。
深くゆっくりと息を吸えば、冷たい空気が肺に染み渡る。吸ったときと同じようにゆっくりと吐き出しても、痛みはこない。肺を痛めてはいないなと、素人判断で検討をつけた。
「森の中か」
身を起こして辺りを見回してみれば、低木が視界を塞いでいる。
唯一方向、ザクが落ちてきた方向だけが木々がなぎ倒され、視界がまっすぐに開けている。おそらくは、低木がクッション材として働いたのだろう。
「はー……新しくMSを回して貰わないといけないな。これは。ドズル閣下に何を言われるか」
袖で顔を拭いながら、改めて愛機であるザクを見る。
拭った血でどす黒い赤に染まった袖と同じくらい酷い有様である。
どこもかしこも傷だらけ。脚部は両方とも膝から下が破損。左腕部は肩から行方不明。
頭部ももちろん破損している。新しいアンテナが、横に歪んでしまっていた。
取り繕いようもなく、全損である。
【中佐、ご無事ですか!?】
突如響いた大音声に、びくりと肩を震わせた。しかし、冷静になればそれは聞き馴染んだ声だった。
どうやらフランシェスカが外部スピーカーまで使ってこちらに呼びかけているらしい。
耳に付けたままの通信機が生きていることに淡い期待を持ちながら、
「どうにかこうにか生きてるよ」
【中佐っ!】
木々を飛び越え、掘り返された土の地面の上に降り立つグフに、冬彦は座ったまま右手を掲げる。立つことも、酷く億劫だった。
「中佐、お怪我は!」
「深刻なのは無さそうだ。身体の節々が痛いし、顔はそこらじゅう切るし、眼鏡は割れて散々だけどな」
「命に関わるような怪我は」
「ないない。多分な」
「多分って……」
グフから飛び降り駆け寄ってきたフランシェスカは冬彦とザクの惨状に絶句しつつも、冬彦が普段とそう変わらぬ調子でとぼけるのを見て、安心したようだった。
「わかりました。とりあえず、今できる顔の傷だけでも治療をしましょう。エマージェンシーパックを貸して下さい」
「これくらいかまわん。その内乾いて止まるだろう」
「駄目です。ガラスが傷に入ってたらどうするんですか。しばらく動かないで下さい」
言って、エマージェンシーパックから包帯と水、応急処置用のテープを取り出すと、包帯を短く切って水を掛け、それで冬彦の顔を拭い始めた。
他人に顔を拭われるという体験はむずかゆくもあり、心地よくもあった。その内血を拭い終わり、ガラスが入っていないか傷を一つ一つ見て、テープを貼って応急処置は終了した。離れていくフランシェスカの手が、名残惜しく感じた。
「とりあえず、大丈夫そうです」
「……」
「中佐?」
「いや、なんでもない。ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
冬彦の視線がどこを向いていたかは内緒である。
「さて、どうするか」
顔に縦横にテープが走る冬彦が、フランシェスカと共にザクの胸部装甲板の上に敷かれた地図を睨む。
「ザクも何時までもほったらかす訳にもいかん。とりあえず今の所爆発しそうな気配はないが、最悪自爆させにゃならんかもしれん」
「回収しないのですか?」
「機密を残さないようにできればそうしたいがな。してもどうせスクラップだ」
さて、と一つ膝を打つ。
「フランシェスカ、現在地点がどの辺りかわかるか」
「はい。この辺りです」
フランシェスカが指さした所は、やはり降下予定地点よりも北東にずれている。
「思ったよりも前線に近いな」
冬彦の言葉に、フランシェスカは、え、と声を上げた。
「この一帯はジオンの勢力圏内では?」
「正確には混在地域だ。連邦が潜んでいるかも知れないような地域は勢力圏内とは言えん。前線はあやふやだろう。
……早く離れた方がいいな。フランシェスカ、ウルラⅡに通信を取ってくれ。試験は中止、いや失敗と結論づける。だからとっとと迎えを寄越せと」
「いいんですか?」
「いい。何か言われるようなら俺が対応に出る。今の精度じゃ次は死人が出る」
「……わかりました」
フランシェスカはさっと立ち上がった。
そして、ザクの人間で言う腿の辺りから颯爽と飛び降りて、グフの方へと向かうのかと思いきや、いつまで経っても姿を現さない。
心配になって端の方へ寄って下を見ると、フランシェスカは逆に上を見上げていた。
「何してるんだ」
「中佐が降りてこられないので待っているのです」
「今の俺に飛び降りろってのか」
「グフにいた方が安全だと思うのですが」
「わかった。腕の方から降りていく。先に行ってくれ」
「了解しました」
今度こそ、フランシェスカはグフに向かっていった。
ザクがこうなった一方で、フランシェスカのグフは脚部こそ汚れているものの破損している箇所はない。
「……日暮れか」
日は傾きつつあった。
さよなら、ザク